機動戦士ガンダムSEED 焔を刻む銀のロザリオ 作:ファルクラム
1
喧騒の戦場は一瞬の静寂に包まれ、時が奪われたかの如く静止していた。
舞い降りし機体は蒼き炎の翼を広げ、全てを圧倒するように睥睨している。
装甲は闇夜に映える程に鮮やかな、青、白、赤のトリコロール色。手にした身の丈を超える程の大剣は、あらゆる敵を斬り裂き、自らの仲間を守る意思を高らかに示している。
それはまさに、戦う為に降臨した天使の如き、雄々しくも流麗な姿である。
操りし者は、シン・アスカ。
先のユニウス戦役においては、オーブ軍を勝利に導き、戦争を終結させた英雄の1人であり、今や名実ともにオーブの守護者と呼ばれるまでにいたった青年である。
シンは自身が倒すべき敵を見据える。
敵は地球連合軍。
彼の祖国を侵し、彼の大切な者を炎の内に沈めようとする敵。
故に、シンは戦う。ただ、己が守るべき者達を、迫る災厄から守り通す為に。
「行くぞ!!」
高らかに吠えると同時に、シンは駆け抜ける。
蒼き炎が吹き上げる翼をはためかせ、闇夜を斬り裂いて飛翔する。
ORB-X42D「エルウィング」
オーブが同盟国であるプラントから供与されたデスティニー級機動兵器の設計データをもとに、自国にてライセンス生産する事に成功した、言わば「オーブ製デスティニー」である。
ユニウス戦役時は妹のマユと共に戦い、複座機であるイリュージョン、そしてフェイトを駆ったシンだったが、戦後、マユが除隊すると、新たなパートナーを見つけ出す事ができなかった。
シンはオーブにとって、戦いの要である。彼の戦力が低下する事によって敗北を喫する事を憂慮したオーブ政府は、プラント政府と交渉してデスティニー級機動兵器の設計図を入手、新たにシン専用の機体として完成したのが、このエルウィングである。
イリュージョン級機動兵器を長く使ってきたシンである。オーブで新たに彼専用の機体を建造するよりも、準同型機であるデスティニー級の方が、使い勝手は良いと考えられたのだ。
デスティニーは、シン自身にとってもある種の思い入れがある機体である。
それはかつて、互いに刃を交える事になった機体であり、友達でもあった少女の愛機でもあった。
アリス・リアノン。
あの最終決戦の折り、ただ己の信念のみを背負って戦った少女。
最後はシンが見ている目の前で、重力に引かれて大気圏へと落下していった、大切な友達。
だから今、シンはこの機体を駆って戦う。かつて戦った少女の存在を背に負い、彼女に負けない事を誓いながら。
手にした対艦刀を振り翳すエルウィング。
ドウジギリと銘打たれたこの対艦刀は、ザフトから提供された対艦刀アロンダイトのデータをフルコピーした上、刀身には剛性の高いレアメタルを採用し、シンの強烈な操縦にも耐えられるようにしてある。
炎の蒼翼を広げ、斬り込みを掛けるエルウィング。
その姿を見て、ウォルフは口元に僅かに笑みを見せた。
「《オーブの守護者》かッ 面白い!!」
オーブの守護者。
ユニウス戦役以降、シンはしばしばそう呼ばれるようになった。
あらゆる戦場に姿を現し、圧倒的な戦闘力で並み居る地球連合軍を倒し続けるシンの姿を、共和連合軍は畏敬を込めて、地球連合軍は畏怖を込めて「オーブの守護者」と呼ぶようになっていた。
蒼翼を閃かせるエルウィング。
対抗するように、ウォルフは破損したライフルのバレルをパージし、ショートレンジモードにすると、向かってくるエルウィングに向けて撃ち放つ。
エルウィングの先制攻撃で銃身が破損してしまった為、先程までのような高威力の砲撃はできない。しかし、機関部分は無傷である為、速射能力は健在である。
連続して放たれる閃光は、速射に近い形でエルウィングに向けて放たれる。
それらをシンは巧みに回避する。
連続して真っ直ぐに向かってくる閃光を正確に見極め、蒼翼を閃かせて回避するエルウィング。
大剣の間合いに入ると同時に、ドウジギリを構えてヴァニシングに斬り掛かった。
対抗するように、ヴァニシングもビームサーベルを抜いて迎え撃つ。
海面上でぶつかり合うエルウィングとヴァニシング。
オーブと地球連合。双方が誇る最強の機体が、海上で激しくぶつかり合う。
剣を交えるエルウィングとヴァニシング。
互いの剣を弾き合うと同時に、衝撃で距離を置く。
海面に高々としぶきを上げながら制動、シンとウォルフは自分達の機体を操りながらも、カメラ越しに互いに睨みあう。
互いに、ライフルを抜いて構えるのも同時。
閃光が2度、3度と繰り返し放たれるが、互いの攻撃は相手を捉えない。
エルウィングの攻撃は海面を抉り、ヴァニシングの攻撃は、空しく空を切った。
その様を、ウォルフは目を細めて見つめる。
「速いな・・・・・・ならば!!」
機体を一気に加速させるウォルフ。同時に距離を詰めてライフルを撃ち放つ。
両者の距離は、瞬く間に指呼の間まで迫る。
至近距離から放たれる閃光の一撃。
目を見開くシン。
ウォルフの余りの攻撃速度に、シンの反応が追いつかない。
「貰ッたぞ!!」
勝利の確信と共に叫ぶウォルフ。
ヴァニシングの攻撃が、エルウィングを捉えた。
と、思った瞬間、
エルウィングの姿は、霞の如く掻き消える。
「ぬッ!?」
その様子を見て、警戒するように唸り声を上げるウォルフ。
次の瞬間、ヴァニシングのセンサーが背後に反応を捉えた。
「ッ!?」
振り返る先にある、ライフルを構えたエルウィングの姿。
かつてのデスティニーが持っていた残像機能を更に強化した眩惑兵装。残像をより正確に作り出し、敵機の照準を狂わせる事ができる。
エルウィングのライフルから放たれた閃光。
その一撃を、ヴァニシングは辛うじて回避するが、急激な動作の為にバランスを崩し、機体は大きく流される。
海面近くまで高度を下げ、体勢が崩れるヴァニシング。
そこへ、
「貰った!!」
叫ぶシン。
エルウィングは更に斬り込むべく、降下しながらドウジギリを振り翳した。
次の瞬間、
シンは、自身に向かって高速で飛来してくる物体がある事に気付いた。
「クッ!?」
舌打ちしつつも、とっさに攻撃を諦め、シールドを広げて防御するシン。
着弾と同時に、シールド表面には爆発が起こり、視界がしばし塞がれてしまう。
相手の姿は、センサーでも肉眼でも捉える事はできない、かなりの遠距離からの攻撃である。
「・・・・・・・・・・・・狙撃か」
相手の攻撃をいち早く看破し、シンは呻く。
この闇夜に、高速で飛行するエルウィングを正確に捕捉する辺り、相手はかなりの腕前である事が伺える。
更に、2度、3度と繰り返される狙撃。
正確な照準に下で飛来する弾丸。
あまりに遠距離からの攻撃である為、さしものシンも相手の位置を掴む事ができず、防御に回らざるを得なかった。
エルウィングとヴァニシングが死闘を繰り広げている頃、ファントムペインの本隊は、突如出現したオーブ軍部隊の前に、進撃する足を留められていた。
それらは、意気上がるファントムペインの前に、突如として現れた。
異様なのは、使っている機体だろう。
所属する全員が漆黒に塗装されたシシオウを装備したその部隊は、一気に戦場に踊り込むと、次々と地球連合軍の機体に攻撃を仕掛け駆逐していく。
圧倒的な戦闘力。
少数でありながら、1個部隊にも匹敵する戦力を前に、精鋭を持って鳴るファントムペインの隊員達にも動揺が走る。
「フリューゲル・ヴィントだァァァァァァ!!」
1人が焦ったように絶叫する。
そのパイロットもまた、次の瞬間には追いつかれ、ライフルの閃光を浴びせられて吹き飛ばされた。
だが、彼の遺した恐怖感は、悪質なウィルスのように、部隊全体に一気に広まる。
オーブ軍第13機動遊撃部隊「フリューゲル・ヴィント」
それは地球連合軍にとって、恐怖の対象と言っても過言ではなかった。
かつてはユニウス戦役の折に、ザフトの大軍に対抗する為に結成されたオーブ軍の特殊部隊であり、事実上の最終決戦となったメサイア攻防戦においては、オーブ軍の勝利に大きく貢献した部隊である。
戦後、フリューゲル・ヴィントは解隊されたが、今回の欧州戦役において、地球連合軍のファントムペインの跳梁に手を焼いたオーブ政府が、精鋭を集めて再結成したのである。
彼等が使用している漆黒のシシオウは、正確にはその派生機である「コガラス」に当たる。性能的にはシシオウと大差無いが、装甲を漆黒に塗装する事で低視認性を高めると同時に、隊員それぞれの好みでチューニングを施す事も許されている。フリューゲル・ヴィントの隊員のみが装備する事を許された機体である。
今、戦場に駆け付けたのは、シン・アスカの配下にある1個中隊である。オーブ本国が襲撃を受けていると言う報せを聞き駆け付けたのだ。
横合いからの奇襲攻撃とあって、さしものファントムペインもひとたまりもない。少数ながら精鋭揃いのフリューゲル・ヴィントを相手に、次々と討ち取られていく。
ファントムペインもまた、精鋭揃いであり、中でもローガン隊は地球軍最強と名高い部隊だ。しかしそんな彼等でも、オーブ軍の防衛部隊相手に消耗したところに、横合いから奇襲を喰らったのではひとたまりもない。
1機、また1機と夜の海面に炎を噴き上げて落下していく。
「・・・・・・・・・・・・潮時か」
それらの様子を眺めながら、ウォルフはため息交じりに呟く。
エルウィングの出現によって、勢いづいたオーブ軍は、完全に勢力を盛り返して防衛線の再構築に成功している。
対してファントムペイン側は、逆に押し返され散り散りになっている。このままでは全滅も有り得る。
トライ・トリッカーズの3人は健在だが、デスティニー1機相手に攻めあぐねている状態だ。無傷の機体は1機も存在していない。
更に、
彼方で強烈な水柱が立ち上るのが見えた。
飛び上がる、蒼翼の熾天使。
先程、ヴァニシングとの戦闘で海中に沈んでいたフリーダムが、復活してきたのだ。
圧倒的な火力を開放して、再び戦列に復帰するフリーダム。
こうなると最早、巻き返しは非常に難しいと言わざるを得ない。
「・・・・・・これまでだな」
決断すると、ウォルフはヴァニシングの腕を掲げて撤退用の信号弾を射出する。
迷っている暇は無い、素早く最善の道を決断する事も、指揮官に求められる資質である。
どのみち、敵を混乱させると言う目的は達した。自分達の仕事はここまでだった。
撤退を開始するファントムペイン。
オーブ軍が追撃の為に砲撃を浴びせて来るが、それらを防御しつつ、粛々と撤退していった。
2
戦闘により発生する音は、海を渡って市街地にまで届いていた。
進行する地球軍と、必死に防戦を行うオーブ軍の戦いは、どちらが優勢ともしれないまま、ただ鳴り響く轟音だけが、市民に恐怖と不安を掻きたてていた。
だが、どれくらい、そうしていただろう?
やがて、地獄の風が鳴り起こすような轟音が、ある時を境にピタリとやんだのだった。
それまで、地に伏して震えていたオーブ市民達は、その事に気付くと次々と顔を上げる。
音が止んだ、と言う事はつまり、戦闘は終わったと言う事だった。
その事は、ユーリアが滞在しているホテルでも確認する事ができた。
「おい、音が止んだぞ」
「ああ。どうやら、戦いが終わったらしいな」
ユーリアの部屋の前で警戒に当たっていた騎士2人が、安堵するようにため息を吐いた。
戦闘の音が聞こえなくなった、と言う事はつまり、オーブ軍が勝ったと言う事だ。もし地球軍が勝ったのなら、そのまま市街地に雪崩込んで攻撃を開始するはずなので、戦闘の音が止むのはおかしい。
「俺は姫様にその事を伝えて来るよ」
「判った。じゃあ、俺は他のみんなにも伝えて来る」
戦闘が終わったのなら、警戒を解いても構わないだろう。そう判断して、緊張を解く2人の騎士達。
1人がユーリアの部屋に入るべく手を伸ばし、もう1人が踵を返した。
その時、
ドサッ
何かが落ちるような、鈍い音が背後から聞こえ振り返ると、そこには仲間が床に倒れているのが見えた。
「お、おい、どうしたんだ!?」
とっさに駆け寄って手を伸ばした。
次の瞬間、
その眉間に人差し指大の真っ黒い穴が開いた。
自分が銃で撃たれた事を認識する間も無く、その場に崩れ落ちる騎士。
床に真っ赤な血だまりが、急速に広がっていく。2人の騎士が、既に現世の人間ではなくなっているのは明らかだった。
そんな2人を取り囲むように、物陰から、全身黒づくめで身を固めた男達が音も無く廊下に姿を現した。
数は10人。いずれも顔をすっぽりと覆っている為、その表情を伺う事はできない。
「制圧完了」
「こちらも完了しました。これで、敵の護衛は全滅です」
報告を受けて、指揮官らしき人物は僅かに頷きを返す。
「ターゲットは部屋の中だ。残る護衛は女2人のみ。障害を速やかに排除し、ターゲットを確保しろ。それ以外は殺して構わん」
命令を受け、音も無く駆けだす男達。
その行く手には、ユーリア達がいる部屋の扉があった。
異変にいち早く気付いたのはエストだった。
ぼやける視界を矯正するように首を振ると、視線を扉の方に向ける。
オーブに到着した頃からだろうか? 具合が悪いと言うほどの物ではないが、エストは妙に体に違和感のような物を感じるのが多かった。それがここに来て、顕著な物となりつつある。
緊張のせいか、先程から妙な倦怠感を感じているのだ。本音を言えば、横になって休みたい気分である。
だが、現実は、エストに休息の余裕を与えてはくれなかった。
戦闘中も警戒を怠らず、周囲に意識を張り巡らせていた少女は、壁1枚隔てた向こう側で起こった異変に、鋭敏に気付いていた。
いつもの無表情に警戒色を滲ませて立ち上がるエスト。
そんなエストを、ユーリアとミーシャは訝るように見つめる。
「エスト、どうかしましたか?」
「何かあったんですか?」
自分達の身に迫っている事態に気付いていないユーリアとミーシャが尋ねるが、彼女達に構わずエストはドアの方に駆け寄ると、僅かに背後を振り返る。
「続きの間に隠れてください。なるべく音を立てずに」
戦闘に関するスキルを持たない彼女達だが、有無を言わせないようなエストの鋭い眼差しから、何か容易ならざる事態が起こっていると察したのだろう。ユーリアは素早く立ち上がると、ミーシャの手を引いて続きの間へと向かう。
「エスト・・・・・・」
呼ばれて振り返ると、ユーリアは心配そうな眼差しでエストを見ていた。
「どうか、お気をつけて」
憂慮するユーリアの言葉に頷きを返すエストだが、扉が閉じる音を確認すると、再び意識を集中し始める。
廊下の向こうから、嫌な気配がヒシヒシと伝わってきている。状況から考えて恐らく、スカンジナビアの騎士達は全滅しているだろう。残る護衛はエストだけだ。
果たして、自分1人でどこまでやれるか?
「・・・・・・・・・・・・」
エストは眦を上げ、扉を睨みつける。
やらねばならない。
キラから託された思いを無にしない為に。そして、ユーリアを守る為に。
決意を固めた次の瞬間、
扉が蹴破られ、黒ずくめの男が駆けこんできた。
ほぼ同時にエストはメイド服のスカートを捲り上げ、太ももに装備したホルスターから銃を抜き放ち引き金を引く。
正確な一撃。
それだけで男は、心臓を撃ち抜かれて絶命する。普段の戦闘ではキラに倣い、なるべく敵の命を奪わないようにようにするエストだが、今回はそうも言っていられない。容赦なく敵の命を奪っていく。
更に2人目が、部屋の中に入ってくる。今度は、初めから手にしたアサルトライフルを構えている。
だが、遅い。
エストの可憐で、そして鋭い視線は、弾丸よりも速く男を射抜く。
少女が引き金を引き、放たれた弾丸は、向かって右側にいる男の太腿を撃ち抜く。
悲鳴を上げて倒れる男。すると、別の1人が、仲間を引きずって壁の向こうへと下がっていく。
スッと目を細めるエスト。
これで事実上、3人の敵を戦闘不能にしたような物である。
かつて大西洋連邦が、対コーディネイター用の強化兵士「プロトタイプ・エクステンデット」として開発し、長く同国の特務部隊として活躍したエスト。その戦闘能力は未だに健在である。いかに特殊部隊として訓練を受けた兵士であっても、少女の戦闘能力には敵わない。
更に部屋の中に入ってきた敵が2人、エストの銃撃の前に倒れる。
次の敵は?
倒れ陥ちる敵を確認しながら、そう思ってエストが視線を向けた瞬間だった。
「あッ!?」
突如、駆けようとしたエストの足を、何者かに掴まれて床に引きずり倒される。
首を巡らせて振り返ると、倒したと思っていた敵にまだ意識が残っており、最後の力を振り絞ってエストに掴み掛っていたのだ。
とっさに蹴り払おうとするエスト。
しかし、相手は訓練された男の兵士。いかに瀕死の重傷を負っていても、死にもの狂いで掴み掛られたら、エストに勝ち目はない。
と、
エストが振りほどく前に、続けて侵入してきた別の敵が、銃口を真っ直ぐに向けていた。
真っ黒な銃口を凝視するエスト。
やられる!?
そう思った瞬間。
突如、背後から銃声が鳴り響き、男は背中から撃ち抜かれ絶命した。
倒れる男。
果たして、その陰から現れた人物は、
エストも良く知る人物だった。
「アスラン・・・・・・・・・・・・」
紅の騎士の意外な登場に、エストも目を丸くしてアスランを見る。まさかここで、彼が助けに来てくれるとは思ってなかったのだ。
さらにもう1人、銃を手に室内に駆け込んでくる青年があった。こちらはアスランよりも年上で、オーブ軍の軍服に身を包んでいる。
「エスト、大丈夫?」
「ユウキ・・・・・・」
ユウキ・ミナカミは、エストに掴み掛っている男に素早くトドメを刺すと、倒れている少女を助け起こす。
「カガリから連絡を受けてね。急いで来て良かった」
ユウキの説明に、エストは納得したように頷く。
どうやら、カガリはこうなる事をあらかじめ予想していたらしい
地球軍がオーブ本国を襲撃したタイミングの良さから、恐らく敵の狙いがユーリアの身柄であると判断したカガリは、自身の最も信頼できる人物であるアスランとユウキに、ホテルへ急行するよう頼んだのだ。
ザフトを退役し、今はオーブへ帰属する手続きをしているアスランは、言ってしまえばオーブにもプラントにも属していない宙ぶらりんの状態であり、今回の戦闘に際しても出撃する権限は持っていない。しかし、その事が却って功を奏した感がある。
どこにも所属していなかったからこそ、アスランはカガリの要請に即応する事ができたのだ。
そしてユウキも、現在は前線から離れた後方勤務に属している為、この有事の際にできる事は少ない。それ故に、カガリの要請に対して即応する事ができたのだ。
そんな2人に目を付けて、ユーリア王女の直接護衛の為に派遣する事を思い立ったカガリの決断は、見事と言うべきだろう。
「油断するなエスト、ユウキ」
アスランは周囲を警戒するように見回す。
油断は禁物だった。
エストが奮戦している隙に、アスランとユウキが手分けをして廊下に残っていた敵は一掃したが、まだ更なる別働隊がいる可能性も否定できない。
今の内に打てる手は打つべきだろう。
「襲撃が失敗したのなら別の連中が来る可能性もある。ここは危ないからユーリア王女を連れてアスハの私邸に移るぞ。そこで、カガリも待っている」
「はい」
アスランの指示を受けて、エストはユーリアに状況を伝えるべく続きの間に駆け寄る。
護衛の騎士が全滅した以上、ここに留まれば、再度の襲撃を受けた際には防ぎきれない可能性が高い。
今は一刻も早く、カガリの庇護を受けるのが得策であった。
3
戦闘から一夜明け、オーブ国内の混乱は少しずつ収束の方向に向かおうとしていた。
オーブ人も強かな物で、過去に何度も国を焼かれた経験がある事から、戦火に際して自分達が何をすべきか理解している。
殊に、今回は敵の侵攻を水際で食い止めた事も大きい。その為、民間人の人的被害は驚く程に少なかったのだ。
だが、首都近郊に敵が迫ったと言うのは事実であり、由々しき事態でもある事は間違いない。今後のオーブの戦略として前線に展開している兵力の何割かを首都の防衛に充てざるを得ない。その為に、他の戦線を縮小する事は止むを得ないだろう。いかに戦争に勝ったとしても、国土が戦火に蹂躙されてしまっては何の意味も無いのだ。
そのような中にあって、落ち着きを取り戻したアスハ邸には、キラ、エスト、ユーリア、アスラン、カガリ、シン、ユウキ、イスカが集まり、今後の対策を練る事になっていた。
ミーシャは、昨晩の疲れがまだ残っているらしく、宛がわれた部屋の方で休んでいる。
そして、クライアスもまた、アスハ邸に到着するなり宛がわれた自室に閉じこもってしまい、この場には顔を出していなかった。やはり、仲間の騎士達が無残に殺されてしまったと言う事実は、そうとう堪えたらしい。しかもそれが、自分が下した判断故となると尚更の事だろう。
「昨日は助かったよ、シン」
キラは開口一番、頼もしく成長を遂げた後輩に礼の言葉を述べた。
昨日の戦闘は、キラやクライアスが参戦しても、オーブ軍の不利は否めなかった。シン達が助けに来てくれなかったら危なかったかもしれない。
今や「オーブの守護者」とまで呼ばれるに至ったシンの実力は、決して伊達や誇張ではなかった。
尊敬する先輩に褒められたのが嬉しかったのだろう。シンは少しはにかむような表情を浮かべながら答える。
「驚いたのはこっちですよ。首都が襲撃を受けたって聞いて慌てて戻ってきてみたら、キラさんが戦ってるんですから」
ユーリアのオーブ入りは、完全に極秘事項であった為、知っている者はごく僅かである。ましてか、その護衛の事など、前線にいたシンが知るはずも無かった。
だがそれ故に、完全に秘匿行動を取っていたユーリアの行動がなぜ敵にばれたのかが謎だった。
敵はモビルスーツで襲撃して来ただけでなく、強襲部隊まで投入する周到さを見せた。その事から考えても、ユーリアの行動が敵に筒抜けになっている事は明白だった。
「誰か、身近な所に情報漏洩者がいるのか、あるいはハッキングでもされているのか?」
「ハッキングの形跡は今のところ、発見されていません。それに、情報漏洩者の可能性も今のところ低いのではないでしょうか? ユーリア王女滞在の事を知っていたのは、オーブ政府でもごく一握りの方達だけでしたので」
疑問を呈するアスランに対し、イスカが即座に否定する。今回のユーリアのオーブ入国は、彼女が事務レベルで取り仕切っている。そんなイスカにとって、いわば身内を疑うようなアスランの発言は、看過できなかったのだろう。
ただ、そうなると、敵が如何にしてユーリアの情報を取得したのか、と言う謎がどうしても残ってしまう。
「いずれにしても、騎士団の人には、申し訳ない事をしてしまいました」
「ユーリア殿下・・・・・・・・・・・・」
悔しそうに唇を噛むユーリア。そんな彼女を、傍らのエストは心配そうに見つめる。
敵のモビルスーツによる強襲が囮であると判っていれば、あえて戦力を分断するような事はしなかったのだが。
あの時、強硬に出撃を主張したのはクライアス達を支持したのは、他ならぬユーリア自身である。それが結果的に、騎士団全滅と言う結果につながった事を考えれば、心穏やかではいられなかった。
結果的に、待機を主張したキラが正しく、出撃を強行したクライアス達は間違っていた事になる。
しかし、
「あの状況では仕方が無かったと思う。僕だって、敵の出方を完全に予測できていた訳じゃありませんし」
悔恨するユーリアを慰めるように、キラはそう告げる。
実際の話、あの時点で敵の攻撃が囮であると、完全に予想するのは不可能だった。事実、待機を主張したキラ自身、明確な根拠を持って主張したわけではなく、ただ漠然と経験則から危険を解いていたに過ぎない。敵の攻撃が市街地に波及する事を危惧したクライアスの判断自体、完全に間違っていたとはいえないし、何よりエストを含めて12人もの護衛を残していくのだから安心、と考えるのは当然である。
まさか11人の騎士全員が、敵の奇襲を受けてろくな抵抗もできずに殺されるとは予想もできなかった。
アスランやエスト、ユウキがいなかったら、ユーリアの身も危ないところであったかもしれない。
「それについてなんだが・・・・・・」
発言したカガリは、真っ直ぐにユーリアを見据えて言った。
「ユーリア王女、何か、命を狙われるような心当たりは無いのですか?」
カガリには、敵が執拗にユーリアを狙ってきている理由が分からなかった。
そこまでしなくてはいけない理由が、ユーリアにはあるのか、あるいは、ユーリアに人質としての価値を見出しているのか?
いずれにしても、その理由が知りたいところである。
「それは僕も感じていた。あの本国での拉致事件も、まだ理由が分かっていないし」
カガリの後を引き継ぐように、キラが尋ねる。
事この段に至った以上、敵が何らかの理由でユーリアの身柄を狙っているのは疑いようのない事実である。
一同の視線が集中する中、
ユーリアは暫く黙考した後、ゆっくりと目を開いた。
「・・・・・・・・・・・・判りました。全てをお話しします」
自分が狙われている理由について、ユーリアには無論、心当たりがあった。だが、おいそれと他人に話して良い内容ではない為に、今まで自分1人の胸にしまっていたのだ。
しかし、事この段に至った以上、もはや沈黙している事に意味は無かった。
王女は静かに、しかしはっきりとした口調で語り始めた。
「事の始まりは、今から1年ほど前になります・・・・・・」
当時、既に欧州における戦いは激化の一途をたどっており、いつ終わるともしれない戦争に、誰もが疲労の色を隠せないでいた。
そのような最中、スカンジナビア王都オスロで、奇妙な事件が起こった。行き倒れた1人の男が、王宮に仕える使用人によって保護されたのだ。
その事自体は、決して珍しくは無い。決して貧しいとは言えないスカンジナビアにも、明確な貧富は存在している。自由経済を採用している以上、それは仕方のない事だった。
奇妙なのはその人物の正体で、戸籍照合しても該当者は見つからず、その男がスカンジナビアの人間ではない事が伺えた。いったいどのような目にあったのか、その男は全身にひどい傷を負った状態で、治療を始めた時には、既に瀕死の状態であった。
かなり衰弱していたその男は、手当も空しく、数日の後に息絶える事になる。
だが、その男は息絶える直前に、のちの世に大きな波紋をもたらす事になる言葉を残した。
「その方が言うには、この戦争を終結に導く物が、ある場所に隠されている、と」
漠然とした物言いに、一同は首をかしげる。
そもそも、戦争を終結に導く物、と言うのが如何なるものを差しているのかがハッキリとしない。手にした者に絶対的な勝利を齎す兵器なのか、あるいはもっと別な何かなのか。
前者であるならば、とてもではないが「戦争を終結させる」物になるとは思えない。それは核兵器、サイクロプス、ジェネシス、レクイエム、デストロイと言った、かつて存在した数多の大量破壊兵器群が証明している。強すぎる力は、却って反発を生み、より多くの犠牲者を出す事になる。
だが後者となると、結局のところ、それが何を差しているのか見当もつかない。
訝り一同を前にして、ユーリアは真剣な眼差しのまま告げた。
「その方はこう言いました。『それは、「デュランダルの遺産」だ』と」
「なッ!?」
声を上げる一同。
ユーリアが継げた言葉は、皆を驚愕させるには十分だった。
「馬鹿なッ 『デュランダルの遺産』だと!?」
真っ先に声を上げたのはカガリである。
デュランダルの名前を聞いて、真っ先に思い浮かべられる人物は1人しかいない。
ギルバート・デュランダル。
前プラント最高評議会議長であり、ユニウス戦役を裏から操っていた黒幕。「デスティニー・プラン」を提唱し、世界を己の思想の元に統制しようとした稀代の策略家にして陰謀家。
メサイア攻防戦で戦死を遂げたデュランダルだが、その圧倒的な指導力とカリスマ性には、未だに信者も多いと聞く。そのデュランダルがこの世に残した「遺産」となると、誰もが無関心ではいられなかった。
いったい、それが如何なる物であるのか? そしてなぜ、それが戦争を終結させる事につながるのか? 全ては謎のままだった。
「それがどういう物なのか、聞いていないのですか?」
「そこまでは・・・・・・聞く前に、その方は亡くなってしまいましたので」
エストの質問に、ユーリアは首を振る。
デュランダルは、とかく曰くの多い人物であったことを考えれば、その遺産とやらには、様々な憶測が出て来る。「戦争を終結させる」と言う言葉も、あながち眉唾とは言い切れない面があった。
「デュランダルの遺産と言われて、最初に思いつくのはやっぱり、デスティニー・プランかな?」
ユウキが腕を組んで考え込みながら言う。
人の遺伝子を解析し、能力と適性を割出し、その人物に相応しい職や役割を与える事で社会の最適化を行い、それにより恒久的な平和を生み出す事を謳ったデスティニー・プラン。
しかし、この中にいる大半の人物が、プランに対し明確に反対の立場を示した者達である。プランが持つ巨大な歪みの存在に気付き、それがより大きな戦乱の火種になる事を危惧したからだ。
だが、デスティニー・プランの必要データは、要塞メサイアが陥落した際に全て失われたはず。それにより、デュランダルが一代を掛けて築いた夢も、彼の魂と共に潰え去ったはずだった。
「バックアップデータが存在している、とかかな? それなら、充分に『遺産』って言えるだろうけど」
シンの言葉に、一同が考え込む。それは充分に有り得る事だった。
デスティニー・プランは元々、戦乱の終結を目指した物である。そのバックアップデータがどこかに存在し、それを狙う者が、在り処を知るユーリアを狙ってきた。
そう考えれば、一応の辻褄は合う。
「話は分かった」
話を聞き終えたカガリは、ユーリアを見て頷く。
「ではユーリア姫。あなたの身柄は、今後とも責任持ってオーブ政府が保護します。昨夜のような事は今後絶対に無いようにします」
護衛を強化する事で、敵がユーリアに手出しできないようにする。特に騎士団が全滅してしまったため、その穴埋めも必要だった。
それらを見越したうえで、カガリは申し出たのだ。
だが、
「いいえ、アスハ大臣、それには及びません」
ユーリアはきっぱりした口調で言った。
「わたくしの存在が戦いを呼ぶならば、わたくしがこのオーブにいる事で、この国の方々に再び迷惑が掛かる事になります。ならば、もはや逃げる事に意味はありません。こちらから打って出るべきです」
確かに、ユーリアがここにいる事が知られれば、敵はまたオーブに攻めてくるだろう。そして、この次もまた、防ぎきれると言う保証は無かった。
そうなれば、ユーリア達のみならず、オーブの民間人にも被害が出る事は間違いなかった。
「取るべき手は一つです。こちらが、敵よりも先に『デュランダルの遺産』を入手し、破壊するか、あるいは公表する事によって、敵の機先を制しましょう」
ユーリアの主張は、一見すると暴論のようにも聞こえるが、その実、しっかりとした生産があっての主張である。
全ての元凶は「デュランダルの遺産」である。ならば、その遺産を破壊してしまうか、あるいはマスコミ等を通じて世界に公表してしまえば、価値は大幅に減じる事になる」
遺産その物の価値が減じれば、敵がユーリアを狙う理由も無くなる。と言う訳である。
「良いの? それじゃあ、敵の攻撃がますます殿下に集まる事になりますが?」
「構いません」
危惧の声を発するキラを、ユーリアは制する。
ユーリアはもう、逃げないと決めた。自分と、そして自分を取り巻く人々を守る為に、あえて「攻め」に転じると決めたのだ。
そんなユーリアを見て、キラは苦笑交じりに嘆息する。どうやら、彼女の決意の固さは、もはや揺るぎそうも無かった。
「判った」
キラは頷きを返す。
ユーリアがそのような決断をしたなら、彼女を守るのが自分達の役割だった。
「それで、その遺産がある場所は?」
「それは・・・・・・・・・・・・」
ユーリアは告げた。
運命が幕を開けた、始まりの地を。
「L4コロニー群『メンデル』です」
PHASE-08「覇王の遺した物」 終わり。