平塚先生に調理実習レポートでのありがた~いお小言を頂いた後、嫌々部室に向かう。
部室では、いつものように雪ノ下が読書をしていた。そして珍しく――と言ってもまだ入部して三日目なのだが――泉も読書をしていた。
軽く挨拶だけ交わして自分の席に着く。どうやら本当に集中しているらしく「八幡くん、やっほー」とだけ告げるとすぐに読書に戻り、それ以降一言も口を開いていない。ちなみに雪ノ下は視線を上げることもなく「こんにちは」とだけ言った。お変わりないようでよろしいですね。
昨日のことで学んだ俺は、文庫を二冊持ってくるようにした。一冊は授業中や休み時間に読むため。もう一冊は奉仕部で読むためだ。
昨日は読書をしたまでは良かったが、一冊しか持ってきてなかったためすぐに読み終わり、暇を持て余してしまった。そこで今日は二冊体制で登校してきたわけだ。
早速読書を開始しようと文庫本に手を掛けると、その行動を阻害するかのようにコンコン、とノックの音が響いた。
「どうぞー」
泉は惜しむようにしながらも栞を丁寧に挟み、扉に向かって声を掛けた。
「し、失礼しまーす……」
緊張したかのような返事をして、来訪者はそろそろと入室してくる。
適当に着崩した制服に煌びやかなアクセサリー、明るめに脱色させた茶髪といかにも今風の女子高生といった生徒だ。
女子生徒は高校生の中ではでかいと思われる胸部をゆさゆさと揺らしながら、視線をふらふらと彷徨わせる。
と、そこで胸元のリボンが二年生を示す赤色をしていることに気が付いた。別に胸を凝視していたから気が付いたわけではない。対話するにはまず学年から知ろうという考えの下での行動だ。ホントホント。
女子生徒――長いからビッチ(仮)とする――の動向を窺っていると、物珍しそうに部室を見渡す視線と俺の目線がぶつかる。ビッチ(仮)は悪霊でも見たかのようにピタッと動きと表情を止めると、呆けたように目をぱちくりさせる。
……何?また俺の後ろで幽霊でも見ちゃったの?雪ノ下の時といい、やはり俺には背後霊が憑いてるらしいな。
はっ!もしかして俺の目が腐ってるのはその背後霊が原因なのでは!?なんだ、そういうことか。なら今度除霊してもらえば幽霊もろとも成仏できちゃうな。俺まで成仏しちゃったよ……。
「……あのー、もしもーし」
「はっ!へっ?あっ、な、なんでヒッキーがここにいるの!?」
泉の呼びかけで再起動を果たしたビッチ(仮)は百面相のようにころころと表情を変えながら叫び出した。
てかヒッキーって誰ですか?
「呼ばれてるわよ、引きこもり谷君」
「おい、なんで俺って決めつける。俺は専業主夫志望だが別に引きこもってはいないだろ」
「いやいや、八幡くんはある意味引きこもってるね。心の殻に!」
「ほら見なさい。引きこもってるじゃない」
「泉ドヤ顔すんな。たいしてうまくねえからな?てか二人して俺を引きこもりに貶めるとか何が目的だよ。『見てみてお母さん、あそこに引きこもりがいるよ!』『そうね。あなたはあんな風になっちゃ駄目よ?』とでも言わせるつもりかよ」
「裏声が気持ち悪いわ」
「擁護のしようがないほど気持ち悪かったね」
「お前ら容赦ねえな……」
「なんか……楽しそうな部活だね!」
なんか瞳輝かせてこっち見てるけど、マジかお前。こんな棘だらけの言葉の応酬が楽しそうに見えるとか、頭の中ハッピーセットかよ。一度脳外科と眼下に行くことをお勧めするレベル。
「えっとね、さっきの質問に答えるけど、八幡くんはここの部員なんですよ」
「へ~、ヒッキー教室だといつも喋んないのにここだとちゃんと喋るんだね」
「そりゃ喋るわ…………おい、何でこいつ俺のクラスでの様子知ってんだよ。俺のファン?」
「………………」
「冗談だ。忘れてくれ」
そんなおぞましい物を見てしまったみたいな顔を向けてから無視しないでくれ。ぼっちは無視されるのとキモがられるのは慣れているが、意思をもって話しかけたのにキモがられた挙句に無視されるのはさすがにダメージがでかいんだよ。
「はあ……彼女は由比ヶ浜結衣さん。あなたと同じF組よ」
「え、嘘だろ」
「ヒッキー覚えてなかったんだ……」
ただクラスのぼっちに名前と顔を覚えられてなかった程度だが、由比ヶ浜は酷く悲しそうに目を伏せた。
あとそこの奉仕部女陣。まるで俺が女子を泣かしたかのように勝手に引いたりしないで。……え、これ俺が悪いの?
「大丈夫よ由比ヶ浜さん。そこの男は世間から逃げ続けたおかげで現実を直視できなくなってしまっただけなの。覚えられていないことを気に病むことはないわ」
「そんなことはないぞ。俺なんて世の中の過酷さを知って専業主夫を目指すほどの超現実主義者だからな」
「そもそもあなたを養ってくれる女性が存在しないことから目を背けてる時点で直視してないじゃない」
「何言っちゃってんのお前。この世の中にはダメ男の方が好きと言う物好きがいてだな」
「一応ダメ男の自覚あるんだね、八幡くん」
そりゃそうだ。もし自分が女性だったらと考えるとこんな奴、まず相手にしないと思うからな。目が濁ってて捻くれてる性格の男性とか面倒くさいだけだし。
そう考えると俺の妹はこんな兄の世話をしているし、何よりこんな性格でも理解を示してくれるから最高の女性なんじゃなかろうか。まあ誰にも嫁にはやらんし、何なら俺が一生養われるまである。
……どこからか『ごみいちゃん、それはないよ……』と幻聴が聞こえてきたけど、きっと気のせいだろう。うん、そういうことにしておく。
「それで由比ヶ浜さん。あなたはここがどんな部活なのか知っているのかしら?」
「あっ、うん。奉仕部って言って生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?」
「それは少し違うかしら。あくまでも奉仕部は手助けをするだけでお願いを叶えるわけではないわ」
「それって願いを叶えるのと違うの?」
「飢えた人に魚を与えるか、魚の獲り方を教えるかの違いよ」
「「へ~、そうだったんだ」」
「ってなんでヒッキーまで感心してるの!?」
「いや、俺入部したばっかで部活の詳しい理念なんか知らんかったし」
『持たざる者に慈悲を持ってそれを与える』とかなんとか言うからてっきりなんでもかんでもこっちで引き受けて解決するもんだとばかり思ってた。
しかしまあ考えてみればそんな便利な部活動があれば利用しない手はないからな。手助けの範疇に収めるのが正解なのだろう。
「それで由比ヶ浜さんは何の依頼があって来たのかな?」
「あ、えっとね……そのー……」
由比ヶ浜は口ごもりながらちらちらと俺を見てくる。
……なるほど。
「長くなりそうだから飲み物買ってくるわ」
おそらく女子同士でしか話せない内容なのだろう。それを瞬時に察してさり気なく気を遣える俺ってばマジ紳士。なぜモテないのか分からないレベルだ。……まあ目だろうな。
そんな俺の態度に思うところがあったのか、珍しく「比企谷くん」と雪ノ下が声をかけてきた。
「私は『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』でいいわ」
「あっ、じゃあ私も同じので!」
……ナチュラルにパシらせるとかさすがとしか言えないわ。でもそこに痺れる憧れるぅ!……はあ、面倒だな。
「りょーかい。で、由比ヶ浜は?」
「へ?あ、あたしもいいの?」
「ジュース買いに行くなら一人も二人も四人も別に変わんねーしな」
「あ、ありがと……あたしも同じのでお願いします」
「あいよ」
さて、だいたい十五分くらいしたら帰ってきますか。
× × ×
携帯で十五分経ったことを確認し、ジュース四つを手に部室に戻ると帰り支度をしている三人を目撃した。
……え、なにこれもしかして虐めの現場に遭遇しちゃった?てかこの場合虐められてんのって俺じゃん。やだ気まずい!
「あっ、ちょうど良かった。これから家庭科室に移動するから八幡くんも荷物持って、さあ行きますよ!」
「えっ、なぜに。ちょ、理由くらい」
「それは移動中に説明するから、さあさあ」
「分かったから背中を押すな!」
抗議も虚しく無理矢理追い出されてしまう。
おのれ泉め。俺が女子に耐性がないことを知りながらもボディタッチなんてことを軽々行うとは……。恥ずかしいやらなんやらで勘違いしてしまいそうになるから是非止めていただきたい所存でございます。いや、マジで。俺の中学時代の黒歴史の大半はこのせいだと言っても過言じゃないくらいだ。
ともあれ、愚痴を言っても始まらないわけで、渋々歩きながら理由を尋ねる。
聞けば、誰かしらにお礼のためのクッキーを作りたいそうだ。そんなん友達に頼めよと言いたいところだが、ビッチにはビッチなりの事情があるそうで。
そんなわけで、家庭科室である。
「じゃあまずは……どうしよっか?」
「そうね……由比ヶ浜さんがどれくらいできるのか確認する意味でも一人でやらせてみましょう。それでいいかしら、由比ヶ浜さん?」
「わ、分かった!頑張る!」
勢い込んで返事をした由比ヶ浜は、苦戦しながらエプロンを身に着ける。……料理が始まる前から不安に襲われる光景だが、完璧超人たる雪ノ下がいるのだからそこまで酷いことにはならないだろうと腹をくくっていた。
「ところで奉仕部組は料理できるのか?俺はカレーを作れる程度の能力しかないが」
「愚問ね。私は大抵のことならこなせるわ。当然、料理もね」
「私はそんなに誇れるわけじゃないけど、まあまあできると思うよ」
雪ノ下はいいとして泉も思ったよりかはできるようだ。
……あれ?じゃあ俺って必要ないんじゃないですかね?何すればいいの?味見?
俺が一人自分の存在意義について悩んでいる間に、由比ヶ浜は調理を開始する。
まず手に取ったのは卵。それを豪快にボウルの縁で割り、殻ごと入ったままかき混ぜるってちょっと待て!
「ストップだ由比ヶ浜!ちょっと待て。いや、かなり待て。いいか、動くなよ?」
「そんなに!?あたし凶悪犯罪でも犯したの!?」
いや、ある意味凶悪犯罪で間違いないだろうな。まだ卵しか見てないが、おそらくこれは酷いことになる。最悪、味見係の俺が死んじゃう。まさか味見係が役に立つとは……。
由比ヶ浜の暴挙に呆然としている二人に声をかけ、再起動を促す。
「さて、初っ端から恐ろしいものを見ちゃったんだが……どうする」
「どうするって言われましても……どうしましょうか雪ノ下さん」
「私に押し付けないでちょうだい…………みんなで全力でフェローしながら少しずつ進めるしかないでしょう」
「分かった」
「了解!」
素早く作戦会議を済ませる。
そこからの行動は早かった。
ダマになりそうなほどの小麦粉を入れようとしたら必要な分量を量って用意する。
バターを固形のまま入れようとしたら本来のバターにすり替える。
砂糖と塩を間違えるなんて古典的なドジをさせないためにそもそも塩を用意しない。
細心の注意を払ってサポートしようにも、それ以上に由比ヶ浜はミスを重ねてくる。
バニラエッセンスも牛乳も必要以上に詰め込み、食を進めるための飲み物だと思えば隠し味にインスタントコーヒーをこれでもかと投入し、さすがにやりすぎたと感じたのか、黒い山の上から砂糖の白い山を築きあげる。
……結論から言ってしまえば、由比ヶ浜には料理スキルという物が存在していなかった。足りないどころの騒ぎではない。もはや錬金術って言ってもいいレベル。
出来上がったものは暗黒物質Xとでも名付けられるほど、クッキーとはほど遠いものだった。
「な、なんで?」
「ああも失敗を続けられたのだから当たり前でしょう……」
愕然とする由比ヶ浜に額を抑えながら小声で呟く雪ノ下。一応、聞こえないようにという配慮をしているらしい。その優しさの半分でもいいから、俺に対する態度を改めて欲しいものである。
「ま、まあ一応食べてはみよっか!味見係さん、お願いね!」
「お、おい。まさかこれを食べろと?こんなの味見じゃなくて毒見だろ」
「どこが毒だし!…………やっぱ毒かなぁ?」
「お前も不安になってるじゃねえか」
勢い込んで否定したはいいものの、自分で作った物体を見て不安に襲われたようだ。まあそりゃあそうだろう。クッキーの材料からジョイフル本田で売ってるような木炭を目の当たりにしたら誰でもそうなってしまうというものだ。
子犬のような潤んだ瞳で「どう思う?」とばかりに見てくる由比ヶ浜をスルーして泉に視線を向ける。
「なあ、本当にこれ食うのかよ」
「食べます。さあぱくっと。どくっといってください!」
どくっとってどんな擬音だよ。てか毒って言っちゃってるじゃん。
「なあ雪ノ下」
「頑張って」
やだ、超いい笑顔で応援されちゃった。こんな場面でなかったなら喜びで踊り狂うだろうに、今はただの死刑宣告にしか聞こえないんだが。
「食べられない材料は使ってないし、それに私も食べるから大丈夫よ」
「マジで?気でも狂ったか」
「やっぱりあなたが全部食べてくたばりなさい」
「ごめんなさい、気がくるっていたのは俺でした」
「まったく……それで、泉さん?」
「な、なにかな?」
視界の隅でこそこそと逃げようとしていた泉に対し、雪ノ下は先ほど同様、にっこり笑顔で対応する。
「あなたも食べるわよね?」
「はい、ぜひともいただきます……」
ようするに強制である。
雪ノ下、恐ろしい子……!あと逃げようとした泉に同情とかはありません。俺も食べるし。
奉仕部の連帯感を目の前に、犯人由比ヶ浜は仲間になりたそうにこちらを見ていた。ちょうどいい。お前も一緒に食べて被害者の苦しみを味わらせよう。
オリジナルに力入れるために原作はさくっと終わらせようと思ってるのになかなか進まない。