其の八極に   作:世嗣

9 / 28
雷帝邂逅

とあるホテルの一角の扉の前で自分とファビアは並び立っていた。

 

取り調べが終わりファビアが仮釈放となった後、案外時間があった。

そのため八神はやてが、ホテルで『エレミアの手記』のお披露目をしてるであろう『タカマチ・ヴィヴィオ』らに謝罪してきては?と提案したのだった。

 

「では、行ってこい」

 

隣のファビアの背を軽く押す。

自分に背中を押されたファビアは不安そうな表情を見せ、自分を仰ぎ見た。

 

「悪いことをしたのだから謝る。餓鬼の頃からやっていたであろう?」

 

軽く頭を小突くとファビアはわずかに頬を膨らませて不満を示す。

 

「ちゃんと、近くで待っててね」

「ああ、心得ている」

 

ファビアは深呼吸をすると、背筋をしゃんと伸ばして扉を開けて中に入っていった。

 

その背中を見送ると壁を背中にもたれ掛からせて、床に腰を下ろした。

廊下に座り込むとはあまり褒められた行為ではないが、近くに誰もいないため良いと判断する。

 

「疲れた……」

 

周りに人がいないことを確認して力が抜けたのか、思わず弱音がもれた。

 

そもそも自分はまだシャマルには安静を命じられていたのだった。

それが、今日ときたら、携帯端末にファビアの襲撃の連絡が入れられて飛んでいき、全力で戦闘を行なった後、ファビアと取調室の事だ。

精神的にも肉体的にも疲れたのだ。

 

八神はやては携帯端末の連絡先をルーテシア・アルピーノと間違えたと言っていたが、アレは絶対にわざとだ。

頰がひくついていた。

 

はー、と息を吐き出すと、それに従うように目蓋が重たくなってくる。

 

眠ってはならない、そう思うよりも速く睡魔がこの身を襲い、意識が闇に吸い込まれた。

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

その日もまた、彼女の呼び声で目をさます。

 

「おはよう」

 

目を開ければそこには、中性的な顔に微笑みを浮かべた彼女の姿。

おはよう、と返す。

 

「まったく、僕が起こしに来なくても自分で起きてほしいんだけど」

 

「あ、そんな顔したって許さないよ。明日という明日こそは本当に起こさないから」

 

「笑わないでよ。もう、本当なんだからね」

 

微笑んだり、怒ったり、拗ねたり、オレの前以外ではなかなか見せてくれない女性らしい彼女の姿だった。

 

「さあ、朝食の時間だよ。急ごう、クラウスもオリヴィエも待ってる」

 

ほら、と彼女がこちらに向かって手を伸ばす。

 

オレもまた、その手を取ろうと手を伸ばして──。

 

 

そこで世界に雑音(ノイズ)が走る。

 

 

目の前に広がったのは絶望だった。

 

オレの唯一の安らぎの場所であったはずの場所は、粉々に破壊され、見る影もない。

 

それでも、それでも中にいるはずの彼女の身は無事だと信じて、走る。

 

最早、瓦礫となってしまった家だったものを掻き分け、無我夢中で彼女の名を叫ぶ。

 

彼女は強い。それこそオレと殴り合っても決着がつかないほど。

 

でも、返答がない。

 

オレの声ばかりが辺りに響いて、不気味な静けさが最悪の事態を連想させる。

 

大丈夫だ。

聞こえていないだけだ。

だって、彼女がオレを置いていくはずが……。

 

「探し物はコレ?」

 

背後から声が聞こえた。

 

弾かれるように振り向けば、真っ白な女が立っていた。

顔を覆い隠すように白いフードを被り、身に纏う衣服も白で統一されている。

その姿はかつて『黒』と呼ばれた、彼女を反転させたようなものであった。

女は転がる瓦礫の一つに腰掛け、こちらへ向けて手の中のモノを掲げている。

 

手の中のモノを見た瞬間に頭が沸騰した。

気づけば驚くほど低い声で、ただ「返せ」とだけ言っていた。

 

「コレがそんなに大切なのか、ふーん」

 

女は手の中のモノをしげしげと見つめる。

 

「こんなの唯の髪でしょ、女々しいなぁ」

 

そう言って手の中のモノ──彼女の黒髪──を弄ぶ。

理性が持ったのはそこまでだった。

瞬間的に毛細魔力回路によって身体を強化し、一歩で己が最速に至る。

 

怒りの内包された拳が、かつて『无二打』と言われたその拳が、白の女へと振るわれる。

 

女は首を曲げるだけでオレの攻撃をかわした。しかし、完璧に避けきることはできずに、頭をすっぽりと覆い隠すフードに拳が当たる。

 

ひらり、とフードが破れ素顔が覗く。

 

どんなに麗しくとも、醜くとも容赦はしない。彼女を弄ぶこいつだけは何があっても許さない。

そんな覚悟を持って、相手の素顔を見た瞬間、絶句する。

 

「あーあ、見ちゃったか」

 

集中が乱され、毛細魔力回路によって体に満たされていた魔力が散っていくのがわかる。

 

あり得ない。

 

その素顔は──。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇

 

 

 

まどろみの世界に、誰かが呼びかける声が聞こえてくる。

 

「こんな所で寝ると風邪をひきますわ」

 

重い目蓋をあげれば、自分と同じ年頃の金髪の女子がこちらを覗き込んでいた。

 

「む、すまん」

「いえ、お気になさらず」

 

立ち上がり起こしてくれた女子に頭を下げて礼を言うと、相手は柔らかに微笑んで首を振った。

返答や身に纏う雰囲気から育ちの良さが伺える。

 

「貴方はどうしてここへ?」

 

女子が柔らかな笑みを浮かべたままそう問いかけてくる。

 

「まあ、引率といったところであろうか」

「クロゼルグ選手のですか?」

「そうだ。よくわかったな」

「私も先程までこの部屋でクロゼルグ選手とお話しさせていただいていたものですから」

 

そう言って再び柔らかな笑みを浮かべる。その笑みを見ると、自然と思わず相手を睨めるように目が細くなった。

 

「どうされました?そんなに目を鋭くして」

「いや、もともとこういう顔なのだ、すまぬ」

「申し訳ありません。それは悪いことを言いました」

 

そう言ってまたくすくすと笑う。

 

優しげで、如何にも淑女という感じなのだが、何処か自分への敵意がある、そんな気がしてならない。

あからさまに表に出していれば殴りかかってもよかったが、殆ど隠しきっているので、今ひとつ相手の考えが掴みづらい。

 

「すまんが、手洗い場の場所はわかるか?」

「そちらを真っ直ぐ言って、左手の方向ですわ」

「感謝する」

 

こういう場は逃げるに限る。この場にいてもあまりいいことが起こりそうな気はしない。前も言ったかもしれないが自分の勘は良く当たるのだ。

 

女子に背を向けその場を立ち去ろうとする。

 

「あっ、すみませんエデル。やっぱり反対の方向でしたわ」

 

女子の声に振り返る。

 

「いや、構わん、気に──」

 

──するな、そう続けようとしたところで、視界の端で雷が走った。

 

「──は」

 

毛細魔力回路(マジックサーキット)に魔力を流す暇すらなどあるはずも無い。音すら置き去りにする雷速でその雷が自分の胸を打った。

吹き飛び、体を壁にしたたかに打ち付ける。

そこまでいったところで、ようやく、目の前の女子に攻撃されたことに思考が追いついた。

 

「やっぱり、エデルでしたか」

 

女子の不気味なほどに低い声が耳朶を打つ。

 

「エデル、不意打ちをした事を謝るつもりはありませんわ。貴方もそうして数多の無辜の人々を虐殺してきたのですから」

 

ガシャン、と女子が踏み出すたびに鎧の揺れる音がする。先程まではゆったりとしたドレスを纏っていたのだから、大方武装したのであろう。

 

──毛細魔力回路(マジックサーキット)、起動。

 

体を魔力が走り、簡易的な身体の強化を完了する。

床に這いつくばった状態から腕の力だけで跳ね起きて、飛び起きた勢いでそのまま天井に足をついて足場にする。

 

狙うは脳天。踵落としによって一撃で戦闘不能にするべくその一点を狙う。

 

「──雷帝九十一式、破軍斬滅」

 

自分の思考ごと雷に吹き飛ばされる。

槍と斧が一体となった、俗に言う斧槍が振るわれると自分の視界を埋め尽くすほどの雷が迸る。

身体強化など関係ないと言わんばかりの、圧倒的な魔力量に裏付けされた広範囲攻撃。

 

体が焼け焦げたかと思うほどの衝撃の中、床に激突する寸前でなんとか受け身を取る。

 

「貴様、()だ」

 

激しくむせこみながら尋ねると鎧姿の女子は機械にでも対応するかの如く、事務的に返答した。

 

「ヴィクトーリア・ダールグリュン」

 

ヴィクトーリアはそう名乗ると再び斧槍を頭上でひと回しした。

 

「手前勝手で悪いですが、『魔拳』エデル、お覚悟を」

 

ばぢ、と斧槍が青みを帯びた雷を纏う。

 

──来る。

 

そう判断するや否や瞬時に魔法陣を構築する。

 

「武装形態!」

 

体が赤の光に包まれると、服を繊維まで戻し赤の苛烈な戦闘服へと作り変える。

 

自分は基本的に武装はしない。

魔力量が人並み以下の自分には、防護服をゼロから作り出すほどの魔力量もない。だから、普段着を作り変え魔法で強化する事で防護服とする。

だが、攻撃などは基本的には避ければいいのだから、自分の戦闘において防護服はあまり必要ない。

しかし、正式な戦闘の場や、相手が魔法と武術の総合格闘家の場合においては話は別だ。

今回のヴィクトーリアの場合は後者になる。

 

この僅かな間に、ヴィクトーリアの攻撃は避けきれないと判断した。

その理由は、第一に余りにも攻撃範囲が広すぎる事が挙げられる。

そして、一撃一撃が異常に重い。更に、雷のため速度も速すぎる。目測でも最速で音速の十数倍といったところだろう。

故に、被弾は覚悟し一撃で仕留める事に重きをおく。

 

──がしゃん。

 

心が、鋼と変わる。

 

ヴィクトーリアが虚空で槍を振るうと自分の視界を両断するように雷が走る。

それをスライディングをするように床を滑りながら避ける。

雷を潜り抜け、勢いを殺さぬまま転がるように立ち上がりヴィクトーリアへ照準をあわせた。

 

「ハァァァ!」

 

そんな事はさせぬとばかりにヴィクトーリアが槍の穂先で突き、斧の刃で斬り払う。

その数度の攻撃をかわす、または魔力を集め硬化した指先で僅かに逸らし回避していく。

 

「十二式、烈雷!」

 

ヴィクトーリアの叫びに呼応するように、槍に満たされた雷が細い線となって放電する。

地を軽く蹴り現在の間合いから少し間を置いた。

 

「時は経ても実力は変わりませんか」

 

ヴィクトーリアが感慨深そうにそういう。

 

「自分などまだまだ若輩者だ」

 

謙遜などではない。拳士としての実力は自分が高いとしても、八極拳の使い手としては自分の祖父の方が実力は上だ。更には、親父は八極拳を捨てているが、それでも自分より強い。

 

それに、()()は、自分のあこがれたあの極致は輝いていた。

自分などまだまだ道半ば。長い八極拳の道を歩き始めたばかりだ。

 

「虐殺者に若輩も老害も居ませんわ。いるのはただの犯罪者です」

 

バチ、とヴィクトーリアのこめかみあたりから青白い電弧(アーク)が走る。それはまるで感情に比例しているかのように、激しさを増していっている。

 

そんなヴィクトーリアの怒る姿を見て自分の中に一つの疑問が生じる。

 

「一つ、質問してもいいか」

「時間稼ぎのつもりならそんなくだらない事は辞める事をおお勧めします」

「いや、そうではないのだ」

 

ヴィクトーリアの殺気の混じる熱い視線を真っ向から受けながら、その疑問を口にする。

薄々、その質問がヴィクトーリアの怒りを尚いっそう激しくするものだと知りながらも。

 

「ダールグリュンとは()()

 

「────え」

 

ヴィクトーリアが、何を言っているのかわからないとでも言いたげな表情を浮かべる。

 

「いや、誤解がないように言っておくが、ダールグリュンが雷帝という事は知っている」

 

思わず左手で頭を掻く。相手は憎しみを抱いているのに此方が覚えてないというのは、些か罪悪感が湧く。

 

「だが、殺した人数が多くてな、どれなのかわからぬ」

 

ヴィクトーリアが呆気にとられたような表情を浮かべて斧槍を手から取りこぼした。斧槍が纏っていた雷が霧散し、青白い光となって消えていく。

 

「もし其方が良ければ、どういう状況だったか説明してくれぬか?そうすれば──」

「貴方はっ!」

 

自分の言葉が終わる前にヴィクトーリアが遮るように叫ぶ。

 

「城門から堂々と侵入し、86人の騎士と雷帝の妹を手にかけ、雷帝の目の前で煙のように消えました」

「ふむ……」

 

そしてヴィクトーリアは爆発しそうな怒りを必死に抑えながら、自分にそう教えてくれた。

それを受けて自分は────

 

「すまぬ。やはりわからん」

 

──雷帝が誰なのかがわからなかった。

 

もしかすれば、オレならわかった可能性はもう少し高かったが、自分にとっては暗殺相手など区別はつかない。

 

そもそもが無理な話なのだ。

『魔拳』としてのオレは、()()のために己を捨て、聖王連合に雇われるという道に進んだ。

殺めた人数は、史実の中()()でも53人。

その53人を殺すために副産物として殺された人数を含めればもっと増える。さらに、オレは最後には戦場にも出た。殺めた人数を全て数えようとすれば、おそらく人間が100人いても指が足りまい。

 

こう言い方は良くないが、今まで食べたパンの枚数など数えられないのだ。

 

「エ、エデルウウウウウウ!!」

 

ヴィクトーリアが吠えて床に転がっていた斧槍を拾い上げると再び雷を纏わせる。

 

「八十三式!電光一閃!」

 

ヴィクトーリアの槍は自分の喉に狙いを定め、刺し殺さんと迫る。それを体軸を僅かにずらして首の皮一枚でかわした。

 

「──向捶(こうすい)

 

左手で斧槍に添えてある右手を弾くとヴィクトーリアが斧槍を片手で支えている状態になる。そこで伸びきった左の腕の内側を掴み、此方へ強く引く。

 

ヴィクトーリアの体勢が此方へ傾いたの確認し、震脚の踏み込みで体の各部から左の拳へ力を伝達する。

そして、ガードの空いた腹部をめがけ全力で拳を放った。

 

めき、と拳がめり込む感覚を感じる。

 

ヴィクトーリアの体が僅かに揺らぐ。しかし、たたらを踏みながら堪えると続けて斧槍を此方へ振るう。

それを避けながらバックステップでほんの一瞬槍の間合いから逃げる。

 

通った感触はあったのだが、大部分は鎧で止められたようである。

 

手首から回転の力を逆に伝達、足へ流れた爆発的な勢いを使って再びヴィクトーリアの懐へと潜り込む。

 

拳を腰に構え、冲垂と川掌で様子見がてら数度ずつヴィクトーリアを打つ。単調にならぬよう、時折フェイントや震脚による踏み込みと威嚇を行うのも忘れない。

 

右を振るう。槍の柄の部分で僅かにそらされるが、相手の肩を捉える。

左を放つ。斧を盾のようにつかわれ受け止められる。

再び右。槍の穂先が弾く。左の拳撃。左手で軌道をずらされる。

 

その後拳と斧槍をぶつけ合うこと数合。遂に、ヴィクトーリアが自分の拳撃を躱した。

 

ヴィクトーリアがその好機に反撃に転じた。再び斧槍に雷をまとわせ此方を斬り払おうとする。

 

それを屈んで躱し、近くなった床に手をつき支点として変則的な水平回し蹴りを行う。

 

「はぁっ!」

 

ヴィクトーリアが膝を狙う低い蹴りを槍の柄で跳ねあげられる。体がふわりと宙を浮き自分の体に僅かの間の完璧に無防備な瞬間が生まれる。

 

「雷帝五十六式!」

 

そのチャンスを見逃してくれる相手ではない。ヴィクトーリアは斧槍全体にまとわせていた雷を斧の刃に集中させる。

 

「 大 切 断 ! 」

 

虚空の自分へ斧が振り下ろされた。

 

「クソったれが……」

 

現状の詰み方に、思わず自分にしては珍しい汚い恨み言が溢れた。

何時ぞやのヴィータとの死闘とで会得した、灰色の加速世界を発動する。

 

がしゃん、とナニかが切り替わり自分の視界が灰色に染まった。

思考速度が加速するのに呼応して、ヴィクトーリアの動きが著しく遅くなり、刹那の自分の敗北が遠い先へと引き伸ばされる。

 

回避は不可能。ならば、この灰色の世界が続く限界の刹那で勝利の方法を模索する。

 

──往くぞ、オレよ。

 

灰色の世界に色が戻り、ヴィクトーリアの斧が再び迫る。その攻撃へ自分は指をじゃんけんのチョキにして刃へと向けた。

チョキの間に刃が入り込む。それを確認したら指を勢い良く閉じ、刃を満身の力で受け止めた。

 

「──なっ、指で……!?」

 

二指真剣白刃取り。武道の奥義の一つ真剣白刃取り、その指版。これには才能は要らない。ただ腕力と刃を追う眼があればこの程度容易い。

 

斧の動きに追随するように地に足がつく。あまりの勢いと衝撃に足元に亀裂が走り、自分の足に痺れが伝わった。

 

「ヴィクトーリア・ダールグリュン、貴様は()()を虐殺者と、そう呼ぶな」

 

ギリギリと指で刃を挟んだまま、ヴィクトーリアに話しかける。

 

()()は、()()()だ」

 

そう言って、指を離して槍ごとヴィクトーリアを蹴飛ばす。相手が廊下の端まで飛ばされたのを確認して、バックステップで大きく距離をとる。

 

──あと一歩足りない。

 

有効打は入っているが、決定打を打つための僅か一歩がどうしても足りない。

加えて、少し厄介なことがある。

 

「雷帝、槍礫!」

 

ヴィクトーリアが手元で数個の魔力弾(スフィア)を展開し、此方に照準をつける。一瞬ヴィクトーリアの手の中で雷が輝く。

それを雷の属性を帯びた射撃魔法と看破すると、瞬時に灰色の加速世界に突入。1秒が百に区切られたような世界の中でもなおも素早く動く弾丸を躱した。

そして、眼を前に向けて自分に迫る雷の斬撃を目視したところで世界に色がついて、速度が元に戻る。

 

「──ッ」

 

長ば無理やり体を曲げて斬撃を回避するが、斬撃の端が頬を掠め血飛沫を舞わせた。

 

乱暴に傷口をこすり、仕切り直すため距離をとろうとする。

 

しかし、それを許さぬヴィクトーリアの攻撃。距離をとって仕切り直されれば厄介だと彼女もわかっているのか魔力を放出しながら踏み込み、槍にとって最適な間合いから突きを放ち続ける。

 

それを強化した両拳で弾きながら唇を噛む。

 

ヴィクトーリアが此方の動きに対応し始めている。今は自分の動きが初見のために対応しきれず、有効打が入ってはいるが、それもあと僅かのことだ。

 

天才たる彼女には初見であるかなど関係ない。どんなに未知の武術でも、天才というのは、()()()()()()()()。食らった攻撃から威力を図り、躱した攻撃で相手の手札を予想する。相手の切り札を感覚で感じ取り、相手の努力を己の実力で圧殺する。

 

()()が憧れ、諦めた、()()にとって目指すべきものとはまた違う、武の極致だ。

 

 

相手は天才。そして、()()を虐殺者だと言う。

 

ならば見せてやろう、真の魔拳を。それが至った武の極致を。

 

相手に反応することも許さぬ、不可視の一撃。防御すら意味を成さぬ、二の打ち要らず。ただ、其のために磨き上げられてきた一撃。

 

──圏境。

 

自分の存在感が揺らぎ、世界に自分がいないと誤認させる。そして、自分が()()のに、()()()という矛盾した状態へと変わる。

 

本来はそこで終わる。

 

自分にとってそれ以上の圏境は必要ないから。だが、暗殺者としての圏境ならばこの程度では足りない。

一撃を当てて消えるような、音がたてば解除されるような、感覚で感じとられるような、そんな甘いものでは足りない。

 

息を整える。心の揺らぎを何処までも減らし、世界と己との間に起こる摩擦を極限まで減らす。

この在るのに無い、そんな異常な状態すらも平常だと、書き換える。

 

普通ならば一対一の拳を交える闘いで、本気の圏境を使ったりはしない。

だが、オレを虐殺者だと言う彼女に、自分は怒りを覚えている。

 

その結果が、虐殺者だったとしても、オレは暗殺者だった。オレは暗殺者となるために全てを捨てたのだから、それ以外でオレを評すとは、侮辱以外の何物でも無い。

 

「姿がきえて……うっ!」

 

槍と打ち合っていた自分が唐突に消えて動揺し、ヴィクトーリアに明確な隙ができる。

それを見逃す自分ではない。素早く踏み込み腹に掌底を叩き込み、横に跳ねてヴィクトーリアの懐から出るとガラ空きの横腹へ蹴りを叩き込んだ。

 

ヴィクトーリアの鎧に包まれた体が壁にぶつかり、白く塗られた美しい壁を傷だらけにした。

 

「姿が消えて、攻撃だけが……」

「圏境だ。お前の御先祖は目にした事は有るはずだ」

 

聞こえた声にヴィクトーリアが辺りを見回し、困惑した表情を浮かべる。

それもそうだろう、声は聞こえるのに、それが()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

声はすれども何処からかはわからず、気配はあれど姿は見えない。攻撃はされども自分の反撃は当たらない。

 

それが圏境だ。資質が全てを決める戦闘において、そんなものを全て捩伏せる方法を求めた『魔拳』の集大成。

 

「雷帝九十六式────」

 

ヴィクトーリアがふらふらと立ち上がりながら斧槍を頭上で構えると体の端々から電光が走り斧槍へと集まっていく。

 

ヴィクトーリアが足元に逆三角形の真正古代ベルカ式の魔法陣を展開する。それは何時ぞやにうけたミウラの抜剣によく似ていた。

 

成る程。収束魔法か。

自分との戦いで舞った魔力素を集め再び攻撃へと使おうとしているのだろう。

確かにいい手だ。自分は簡単に言ってしまえば、見えていないだけなのだ。全方位を尽く破壊すれば自分にも当たるだろう。

 

──だが、ちと早さが足りぬ。

 

地を震脚で強く踏みしめると、地面に蜘蛛の巣のようなヒビが入った。踏みしめた力が消えてしまわぬうちに、力をさらに、足首、膝、股関節と捻りを加え増幅しながら次の踏み込みのために反対の脚へと送る。

その力を使い地を蹴り、半ば地を滑る様にして相手へと踏み込む、活歩の歩法でヴィクトーリアの懐へ一瞬で潜り込んだ。

 

「──っ」

 

ヴィクトーリアが自分が超至近距離にいるのを感じ取ったのか表情が僅かに陰った。

しかし、今頃気づいてももう遅い。

 

ヴィクトーリアの股の間に左足を入れて、内側から押して相手のバランスを崩す。

 

「──えっ?」

 

梱鎖歩

 

ヴィクトーリアが戸惑った様な声をあげて後ろへ倒れこんでいく。その時、空いた手で斧槍を弾き飛ばすのも忘れない。

斧槍は主人の手から離れると、今まで溜め込んでいた雷を魔力として再び大気に溶かした。

 

ヴィクトーリアを右足で反対返してうつ伏せに押し倒すとそのまま右腕をねじり上げ背中に乗った。

 

「わきゃっ!」

 

こけた拍子にヴィクトーリアが案外可愛い声を出す。

 

「勝負あったな」

 

自分がそういうとヴィクトーリアは体から力を抜いて武装を解除した。

体の触れ合う部分から女性特有の体の柔らかさが伝わる。役得。

 

「──くっ、殺しなさい……」

「阿呆。殺気の無い奴を殺すわけが無いであろう」

 

空いた片手で金髪(ブロンド)の頭を軽く手刀で叩く。

 

「貴様には怒気あれど、殺気はなかった。仕事でなければ人は殺さぬ」

 

此奴は自分に対して怒気を最初から出していたが、殺気は欠片たりともなかった。

もし自分が倒さなくとも大したことにはならなかっただろう。

ぴくり、とヴィクトーリアの体が震えた。

 

「ならば、仕事ならどんな人でも殺す、そういうことですか?」

「そうだな、それが()()だ」

 

雷帝が戦争によって祖国を守ろうとした様に、オレは暗殺者になるという方法で彼女を守ろうと、そう思ったのだ。

ヴィクトーリアの体から力が完璧に抜けてしまった。

 

「──悔しいですわ、私の力不足のために祖先の無念を晴らせなかった」

 

はあ、とヴィクトーリアからため息が聞こえる。

 

「そうだな。あと十歩くらい足りなかったな。残念」

「事実ですけど!事実ですけどその言い方癇に障ります!」

 

必死に顔を此方に向けて来いかかってくるヴィクトーリアに少し笑いが漏れる。

 

「笑いましたわね!く、覚えてなさいよ……!」

「はっはっはっは、頑張れ」

 

もう戦闘による緊張感は解けてしまった。

ヴィクトーリアがファビアほど拗らせていなかったことを感謝すべきだろう。

怒りはあるがそれが本人に結びついていない。ヴィクトーリアはあくまでも、先祖の願いの一部として自分に相対していた。

性別が違うからかは知らないが、雷帝と自分(ヴィクトーリア)との区別もついている。

 

毛細魔力回路に満たされて魔力を散らすと武装を解除。ヴィクトーリアの腕を解放する。

 

「次は私が勝って、あの時戦えなかった無念を晴らします」

 

ぎらり、と決意に燃える瞳が此方を見据えた。

 

「ふ、何時でもまた相手してやる」

 

そう再戦の約束を取り付けたところで、ぎい、と音を立てて扉が開いた。

 

「あ、エデルやん!どうしてここ、に…………」

 

エレミアがそこにいた。

部屋から出てきた彼女は自分に手を上げて挨拶すると、自分が体の下に敷いている相手を見て固まった。

 

「び、び……」

「び?」

「ヴィクターァァァァァァァァ?!」

 

エレミアが瞳をぐるぐると回して困惑する。

 

「なんなん?それどういう状況なん?!まさか、またエデル襲いかかったん?!」

()()……()()()……?」

 

ヴィクトーリアが底冷えのする声に、背中に冷たいものが伝っていくのを感じる。

何か自分とヴィクトーリアとの間に大きな誤解があるような気がする。

 

「貴方、まさかジークを襲ったの?」

「え、や、そのだな。襲ったのは襲ったが、其方の考えてる様な事でなくて」

「へえ」

 

バヂッ!と今までで最大の電光がヴィクトーリアから走った。

ダメだ、自分の言葉じゃどうにもならぬ。誰か、誰か第三者よ……。

 

「エレミア、廊下で叫んでどうしたの?」

 

そんな時扉からファビアが顔を覗かせた。そして、自分やエレミア、ヴィクトーリアとの間で視線を動かして、すっと目を細めた。

 

「エデル、またやったの」

「いや、今回は自分からではなくてだな……」

「私とも取調室でやったばっかなのに」

「その微妙に単語を伏せてしゃべるのをやめろ!」

 

ちらり、とヴィクトーリアは汚物を見る目で此方を見ている。

 

「ケダモノ。というか私の上から降りてください。ケダモノ。このケダモノ」

「……私を捨てないって言ったのにもう他の女の人と」

 

取り敢えずヴィクトーリアの上から降りる。

 

「エレミア、何とかしてくれぬか」

「ちょっと(ウチ)には無理やと思うんよ……ヴィクター襲ったんやろ?」

「それは、自分からではなくてな……」

 

自分がエレミアに事情を説明していると、ファビアがゆらりと此方に向けて手を伸ばした。

 

「節操なしは、頭冷やして」

 

ファビアの手から特大の悪魔が飛び出して自分の視界を塞ぐ。あまりの質量と速度に回避も迎撃も追いつかず、あっという間に意識を刈り取られた。

 

 

 

──言葉足らずは、よくないな。

 

 

消えそうな意識の中で少し、後悔した。

 

 

 




1分後に次話投稿。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。