これと言って自分に趣味はない。
何故ならばこれまでの人生の半分以上は鍛錬をしていたし、そうでないときは山の中でサバイバルであった。
だから近代社会の技術に詳しくなければ、時勢にも興味もない。
釣りなんかが趣味となれば良かったのだろうが、どうしても自分には「狩り」としか認識できず楽しむ、というところまで行けなかった。
ただ、一つ。一つだけ、最近そんな自分にも趣味と言える物事ができた。
それは、食事である。
いや、なに、自分が食すのは一食ウン万円の高級料理などではなく、ごく普通のレストランである。
山の上に店を構えるその店は鍛錬の時に偶然発見したものだった。
基本的にはミッドチルダの大衆食堂と変わらないのだが、その店は「地球」の料理を出していたのだ。
その「地球」の料理は自分の舌に合い、非常に美味しいと言えるものであった。
先日のエレミアと出会った時に作ってやった「焼きおにぎり」も「地球」の料理である。
「金は……まあ大丈夫だろう」
ポケットの中を確認しながら山道に入る。急勾配でカーブも多くあまり均されていないからいい鍛錬になるな、などということを考えながら足を進める。
自分の八極拳は拳を使ったものが多い。そのため自分は上半身、特に肩、広背筋の鍛錬をよくする。広背筋というのは拳撃の源とも言われる場所である。この筋肉が強ければ強いほど拳が生み出す威力は強くなっていく。もちろん広背筋だけを鍛えればいいというわけでもないし、それ以外のバランスが大事だ。
だが、それと同じくらい、いやそれ以上に鍛錬の時間を割いているものが、『足腰』である。
『オレ』の八極拳は足技はあまり多い方ではない。それは『拳での一撃必殺』を得意としていた『オレ』が、自己流のものをあまりあみ出さなかったせいだ。
それでも足腰を鍛えるのを怠らないのは、八極拳の拳は踏み込みから始まるからだ。
震脚で生じた踏み込みの力を定まった型を通して伝達する。拳を打つにしても踏み込みをしなければなにも始まらないのだ。
「──ん」
そこでコツン、と自分の履き潰した靴に真っ赤に熟れた果実が当たった。
「リンゴ?」
拾った果実を手の中で弄ぶ。
この辺りにリンゴの生えている木は無い。
「という事は此れは誰かの落し物なのだろうが……」
ひょいっと頭上に放って手の平で受け止める。持ち主がいないかと辺りを見回してみたが、誰かいる気配はない。
まあ、仕方ないかと自分の中で決着をつけ、赤く熟れた果実を見つめる。表面は僅かな光沢があり、手に触れる感触からみずみずしさがわかる。
一瞬浮かんだ食べてしまおうかという邪な考えに寸勁を叩き込んで黙らせると足早にレストランを目指す。
ここの辺りに民家はない。大方運搬の途中に落としたのだろう。
レストランが一度落としたものを再利用するかはわからないがそれなら自分が貰えばいいだけだ。
そう考えた所でほど近くに桃色の髪が揺れるのを見つけた。
「ほう」
あれは確かレストランのウェイトレスの子で店主の一人娘だったか。なんでも格闘技を始めたとかで生傷が絶えないのだと店主がボヤいていた。
思わず笑みがこぼれた。戯れに『圏境』を発動させて密かに彼女の背へと迫る。
それは名高きかの『紅の鉄騎』すらも欺いた奥義。いくら格闘技をしているからといって見破れるはずはあるまい。
彼女の姿が近づく。背中には大きな荷物を担いでいるところ見るとレストランで使う食材などを運んでいるのだろうか。
密かに彼女の肩へと手を伸ばす。この後の彼女の驚く姿を夢想し、わずかに頬が緩むのを感じた。
後数瞬、自分の手が彼女の肩へと置かれようとした。
「──っ、せあっ!」
紫電一閃。
手に広がるのは唐突に放たれた蹴りによって生じたしびれるような痛み。
「────は……?」
弾かれた。
自分が肩へと触れようとした刹那放たれた左後ろ回し蹴り。
弾かれた。
みえないはずなのに、感じ取れもしないはずなのに。
彼女はそれがわかったかのように当たり前に弾いて、彼女の目には虚空と見えるはずの此方を見据える。
「────────ぁ」
パツッ、と何かがきれた。
無意識に拳を握る。未だ理解の追い付かない頭で。その拍子にリンゴがぐしゃりと潰れる。
息をするよりも自然な動作で体の毛細魔力回路に魔力を流し込んで身体を強化。それが当然だとでも言うように。
僅か数秒。彼女が此方を振り向くのと同時に「寸勁」の構えが完成する。
その時に自分の心中を占めていたのは「圏境」を破られた悔しさか、それとも強敵と出逢えた悦びだったのか。
目が猛禽のように鋭くなり、感覚が通常時の数倍に研ぎ澄まされる。
後は握った拳を目の前の彼女へと放つ、それだけ。
「常連さん?」
こてん、と首を傾げて彼女が呟いた。
その瞬間、理解が追いつき自分が何をしようとしているかを理解する。
「──っ!」
毛細魔力回路を循環し簡易的な身体強化を構築していた魔力を無理やり散らす。そして放とうとしていた寸勁を空いていた左手でねじ伏せる。
寸勁が不発に終わった事に安堵すると、力が抜けて思わずぺたんと座り込んだ。
「じ、常連さん?!大丈夫ですか?!」
彼女が目をぐるぐる回して此方を覗き込む。
「大丈夫だ、問題ない」
「えぇ?で、でも……」
「問題ない」
握り潰してしまったリンゴの果汁が手に纏わりつく。べたべたした右手を少し舐めた。
よく熟れた果実の甘みに悔しさの伴った苦味が含まれている気がしたのはきっと勘違いではなかった。
歯を噛み締め爪が食い込むほど強く手を握る。痛みと共に己の記憶に今の出来事を刻みつける。
武の極致まではまだ遠い、と。
◇◆◇◆◇◆
ハシで口の中に食事を運ぶ。先ほどの悔しさも含め半ば自棄のように食事を続ける。
「えと、常連さん?」
自分を呼ぶ声に薄眼を開ける。
「如何した」
「えと、これどうしたら……」
戸惑う彼女の前に鎮座するのは巨大な足つきグラスにアイスクリーム、生クリーム、チョコクリーム、イチゴをこれでもかと言うほどトッピングした『ぱふぇ』という奴だ。とにかくクリーム尽くしで胸焼けがする。
「食べればいいだろう」
「いや、当たり前見たいに言われても……。それにココはボクのウチですし……」
おずおずと彼女はそう言うが視界の端でちらちらとパフェを伺っているのがわかる。大方、食べたいのだが遠慮しているのだろう。子どもらしくもない。
「自分が奢る、と言ったのだ。遠慮せずに存分に甘えればいいだろう」
「でも、ボクは特に何もしてませんし」
「どうしても嫌だという場合は仕方ないが、其方が食べないのであれば其れは唯溶けゆくのみだが?」
「え?!」
「当たり前だ。そも自分が食べるために注文したわけでは無い」
彼女が視線をゆらゆらと何度もパフェと自分の顔とを行き来させる。
「しつこい。早く食べろ」
彼女の手元のスプーンをひったくってゆっくりと溶けかかっているアイスクリームをすくい口に突っ込んだ。
「もがっ……ふにゅう……」
彼女が甘さに頬を緩め、幸せそうな笑みを見せる。
咥えていたスプーンを抜き取ると彼女の口から銀色の薄い糸が伸びていき、きれる。無駄に艶かしいそれに心を無にして次はイチゴとチョコの部分をすくって口に近づける。
「あーん、はむっ」
イチゴを与えるとなおさら幸せそうに頬を緩める。
「なあ」
「あーん……なんですか?」
「いや、食べる気になったのはいいし。別に自分が食べさせてやってもいいが、アレ、気にならぬか?」
「え?」
ひゅっと先ほどまで彼女の口の中にあったスプーンをふってカウンターの方へと向ける。そこには愛娘が馬の骨に「あーん」されるという腸の煮えくり返る光景を見せられ憎々しげに此方を睨んでいる店主が。
「ひゃあっ!じ、自分で食べます!」
彼女が自分からスプーンを受け取るとゆっくりとパフェを食べ進めていく。ちらりとカウンターを伺うと青筋を立てて皿を磨き続ける店主が此方を睨んでいる。
許せ店主。その分食事で金は落としていく。そう青筋立てるな。お前の娘は小動物のようで可愛らしかった。
ぱくぱくと二人で向かい合って食事を進める。量的には自分は彼女の約三倍ほどの量なのだが、彼女はちらちらとこちらを伺いながら食べるため食事の終わりは同じくらいの時間になるだろう。
まあ、他人に自分の食事を見られるというのは存外に恥ずかしいものだ。
「「ごちそうさまでした」」
二人で声を合わせて同時に食べ終わり、偶然にあった声に顔を見合わせて綻ぶよう微笑みを交わす。
「自分はエデルだ。お嬢さん」
「ボクはミウラ・リナルディです。常連さん」
ミウラが笑い自分も微笑む。
「さて、幾つか聞きたいことがあるのだ」
「さっきのはパフェはその賄賂ですか?」
「そうともいう」
片目をつむって戯けてみせコップの水を飲む。僅かにぬるくなった水が自分の喉を潤し気分を落ち着かせる。
「ミウラは格闘技をやっているそうだな」
「え?あ、はい……。ま、まさかさっき間違って蹴っちゃった事ですか?!す、すみません!悪気はなかったといいますか……、いえそれで許される事では無いと思うんですけど……」
「その事では無い」
目に見えてあたふたし始め、オモチャのようにペコペコと頭を下げるミウラの額に軽くデコピンをして止める。
自分の見立てよりも強めに入ったのかミウラが涙目になりこちらを睨んできた。
もし自分に妹がいたらこの様な感じなのかもしれん。
そう考えながらミウラをなだめる為に頭を撫でた。
「自分が尋ねたいのは師だ」
「──師?先生とか師匠って事ですか」
首を傾げて尋ね返してきたミウラに首肯で答える。
「ボクは『八神道場』っていうトコでストライクアーツを学んでいます。師匠は管理局の局員さんですよ」
ストライクアーツ。確か近代的な近接格闘技の流派の名前だ。昨今では様々な流派に分かれているそうだが。
「そうか局員か。ならば違うか」
あの蹴りを受けた時、頭が沸騰した。何故ならば、あの型は因縁深き守護獣のものと酷似していたから。
だが、よく考えてみればそもそも奴は人に物を教える様な奴でなかった。
「──?どうしたんですか」
「いや、君の型に少し覚えがあってね。知り合いでは、と疑ったまでだ」
ふーん、とミウラは興味ありげに此方を見たが特にそれ以上深くききかえしたりもしない。本当に聡明な子だと思う。
「質問に答えてくれた事感謝する、ミウラ。では、またな」
ジャージのポケットにあった数枚の札と小銭を掴んでテーブルに置いて立ち上がる。
「え、えぇ!ちょ、ちょっと!」
ミウラが机の向かい側から体を伸ばし離れていこうとする自分のパーカーの裾をつかんだ。
「そ、それだけですか?!」
困惑した様に瞳をぐるぐると渦巻きの様に回して自分にすがりついてきた。
その慌てた姿の理由がわからず首をかしげる。
「それだけ……?金は足りるはずだが?」
「お勘定が足りないって言ってるんじゃありません!」
ならば何だというのだ。
ミウラは自分のまるで何もわからない、といった表情をみてがっくりと肩を落としため息を吐いた。
「質問、それだけでいいんですか?」
一旦目線を足元に合わせてから上目遣いで自分を見上げる。
「常連さんは何か聞きたい事があったからわざわざパフェまで奢ったんですよね」
「だからしただろう、質問」
「それはしたことはしましたけど……でも!」
そこでミウラが目を見開いて此方にすがりつく。パーカーの首元あたりを持たれて少し息がしにくい。
「これじゃあ申し訳ないです。パフェの代金と質問の内容が釣り合ってないと思うんです、けど……」
急に心配になったのかちらと此方を心配そうに伺う小動物。その愛くるしさに撫で回したくなるような衝動が生まれたが、近くに親がいる事を考えて抑え込む。
「では、ミウラの愛らしい姿を見られた駄賃だとでも思えばよかろう」
「愛らっ──!」
瞬時にミウラの顔が茹でたタコより赤くなり、しゅーしゅーと湯気を立てた。
「はっはっはっはっ」
「そ、そんなに笑って!ボクをからかってたんですか」
むーとほっぺたを膨らませてミウラが手をぐーにしてポカポカと殴る。しかしその手つきはひどく優しく力が入っていないのが一目でわかる。
「効かんなぁ」
自分がそう言うと、ミウラの目がいきなり落ち着いた。据わった、と言えば良いのか。身に纏う空気を僅かに変化させ、腰を落とし右手を引く。
「ほう」
思わず声が漏れた。その、古代ベルカの拳撃の匂いを感じさせるその構えに。
「ふっ──!」
ミウラが拳を放つ。垂直に拳を縦にして正拳突き気味に自分の鳩尾を狙う一撃。
「いや、良い一撃であった」
「それなりに本気だったんですけど」
それを自分は右手で包み込むように受け止めていた。
悔しそうなミウラの顔を見て、ふと一つの案が思いつく。
「ミウラ、パフェの分で少しお願いがしたいのだが」
「お願い?」
「いや、なに。簡単な事だよ」
首をかしげるミウラに唇を吊り上げ、人からよく猛禽の様だと言われる瞳を細めて凶悪に微笑む。
「簡単な、な」
◇◆◇◆
「ルールを確認するぞ」
「はいっ!」
レストランの裏側。普段ミウラが自主練習を行うという野原で
「其方が三度打った後に此方が一度打ち返す。その後にミウラが立っていられれば其方の勝ちだ」
自分は両の腕を服の袖の中に入れたままそう言う。
「はい質問です!もしボクが三度のうちに常連さんを倒した時はどうなりますか?!」
「そんな事は断言してないから考えなくていい」
「──っ、ば、バッサリ言いますね……」
「事実だ」
他に、と問うとミウラが再び手を挙げる。
「ボクが勝ったら何でも言う事聞いてくれるんでしたっけ?」
「うむ」
「それって結果的に常連さんが損してませんか」
「自分は負けない。ミウラが負けて罰ゲーム。それだけだ」
自分がパフェの見返りとして求めたのはちょっとした
自分の圏境を
その為のルールだ。あんまり長い間殴り合うとオレの方が滾って戦いをやめなくなる可能性がある。相手を怪我させないためには手合わせを早めに終わらせるのは絶対条件なのだ。
「──じゃあ、行きます」
ミウラが大きく、大きく息を吐く。魔力が高まり身に纏う空気が一変する。優しげな陽だまりの様なものから、冷たくも熱い拳士のものへ。
「──ふっ!」
二メートルほどの距離を数歩で詰めて左拳を振るう。拳を縦にし自分の鳩尾を狙ってくる。
可愛らしい顔に似合わずなかなかエグい所を狙う。心の中で苦笑しながらミウラの拳が当たる寸前で体軸を僅かにズラし、右胸に当てる。
予想通り意外に重い一撃が胸を強打する。しかし、そんな物はハイディの剛拳に比べれば軽く、エレミアの卓越した技術からすればまだ甘い。
「か、硬い……!」
ミウラが驚いて目を見開く。
「もっと本気で来ねば自分は倒せんぞ」
僅かに微笑むとミウラは不機嫌な顔に磨きをかけて再び踏み込みの位置に戻っていく。
「スターセイバー、身体強化」
ミウラがそう言うと腕と脚の金属機甲が魔力を受けて低い音を立てて動く。
今度は先程とは比べものにならない精度の二撃目が放たれるだろう。一撃目で距離やインパクトの感触をつかんでいるのだ、当然とも言える。
心が震える。胸に湧き上がる熱情を冷たい理性で抑えつける。
嗚呼、矢張り戦闘は己の渇きを癒してくれる。
ミウラが構える。前傾姿勢で両腕を顔の前におく、まるでボクサーの様な構えだ。
「常連さん」
「──む」
その構えのままミウラは周囲に漂う魔力を一点に収束していく。
「制御できず怪我をさせたらごめんなさい」
言うや否や、脚の金属機甲が大きな音を上げた。見れば足についたそれは大きく形を変えて温かな桃色の光を湛えている。
「
辺りに桃色の光が薄く輝きミウラが爆発的に加速する。それは宣言通り火薬に発火したかと思う様な爆発じみた勢いだった。
「──っ、は」
魂が、震える。
ミウラが自分に迫る。二メートルあった距離は瞬き二回ほどで詰められ、三度目に目を開いたときには桃色の燐光は右脚の一点に収束していた。
その姿に、オレは。
魂が、震える。
地を踏みしめる。踏み込みとは思えぬ音が辺りに響き、粉塵を辺りに撒き散らす。
約束を破る形になってしまって申し訳ないが、自分ではどうしても此処まで高ぶったオレの激情を抑えきれない。自分は今、どうしてもコイツを──。
魂が、震えた。
「
鍛え上げた足から各部を通して力を腕まで伝達。これに要する時間およそ半秒。その間にもミウラの蹴りは自分に肉薄している。
寸勁を放つには時間が足りない。故にこの一撃は八極の技術ではなく唯の「自分」という拳士の唯の殴打である。
「──────!」
拳と蹴りが激突する。そしてそのまま押し返すため力を込めた。相手は唯の少女。一般的な両親に育てられ愛され生きてきたありふれた凡庸な少女。生きてきた時間の殆どをオレのために生きてきた自分とは全く違う。
──押し負けていいはずがない。
──押し負けるはずもない。
にも関わらずミウラの蹴りは容易く自分の拳を蹴り返した。
「──なん、と……」
そしてそのままミウラの蹴りが自分の腹部に突き刺さる。踏みしめた足が崩れる。ミウラの蹴りが自分の怠惰と慢心を諸共に蹴り壊され、足元の草むらに膝をつく。
「常連さん!怪我してませんか?!」
自分にミウラが駆け寄り体に触れようとする。
「触るなっ!」
ばちっ、と手を払う音が辺りに響いた。弾かれた手を呆然と握り込む少女が目に写り、湯だった頭が冷えていった。
「すまん。少し気が張っていた悪かった」
「あ、いえいいんです。そんな痛くなかったですし」
ふるふると頭を振るのに追随してミウラの桃色の髪が揺れて跳ねた。その髪の動きにつられる様に思わず手を伸ばす。
「ふぇ?どどど、どうしたんですか急に」
「ふふ、少し撫でたくなった」
ゆっくりとミウラの短く切り揃えられた髪を撫でていく。少しクセのあるらしい髪は軽く手を押し返す様であり手に心地よい。
ミウラは頬を朱に染めながらこちらを上目遣いで伺うが、自分と目があうと慌てて目を逸らした。
もしかすると嫌なのかもしれない。そも自分は顔見知りだがほとんど他人なのだから急に撫でられ嬉しいということはあるまい。寧ろ嫌悪が強いかもしれぬ。
「──ぁ」
「如何した」
「──別になんでもないです」
一瞬自分が手を離したときに残念そうにしていたが気のせいだと切って捨てる。
「ルール破って悪かったな」
「ルール……、ああアレですか」
「そうアレだ」
ミウラが三度打つ間にうんぬんかんぬんというあのルールだ。
アレはミウラの拳撃を受け、この回数なら大丈夫、と判断した上でのルールだった。
しかし、彼女は蹴りが主体の拳士であった。いや、蹴士とでも言ったものか。
それほどに彼女の蹴りは凄まじかった。
自分の予想など軽く飛び越え、凄まじいと表現するしかない一撃を放った。
「詰まる所この勝負其方の勝ち、という事だ。非常に遺憾ながらな」
はあ、とため息をつく。
「えーと、それってボクがなんでもお願いできるんですか?」
「うむ。だが、自分は見てわかる様に流浪の戦闘狂で素寒貧だ。そこのところご配慮いただけると嬉しくあるな」
「流浪の素寒貧……。家とかは……」
「野宿だ」
なんとも微妙な顔をされた。
自分にとってはこれが当たり前でいつもの事なのでそんな顔をされると反応に困る。
「じゃあ、お願いしたいんですけど」
ミウラが膝をついたままの自分を覗き込んで不安げに瞳をゆらゆらと揺らす。
「頭、もう一回撫でてくれませんか」
その余りにも質素で凡庸な願いに思わず目を丸くする。
「あ、だめ、ですか……」
捨てられた子犬の様に瞳をしっとりと濡らして目を落とす。その仕草に思わず笑みをこぼすと先程よりも少し強めに褒める様にくしゃくしゃと撫でた。
「いーや、構わんとも」
「あわわわわ、や、やめて下さい〜」
「はっはっはっはっは!」
自分に武の才はないのだ。人との関わりを絶ち、人生の殆どを鍛錬に費やし、鍛えて鍛えて鍛えて鍛えて鍛え続けて、一流の武芸者と漸く並び立つ。其れが『魔拳』の生き方だ。
何故、『魔拳』の拳技が『一撃必殺』を旨とし『圏境』の技術を極めたのか。
戦闘技術は足りていても、戦闘感覚が凡庸であったから、一撃で終わらせる
其の様な戦い方でなければ殺されていたのだ。
そう、この────、
「やめて下さい〜、常連さん〜!」
ミウラ・リナルディの様な天才たちに。
天才は、凡才たちの努力を悉く否定する。
残酷に、無邪気に、己の特異さなど気付きもせずに。
もし、其れが嫌ならば、折れぬように鍛え続けるしかない。
例え自らの全てを犠牲にしたとしても。
*最後の文微変更しました。