久しぶり。
「ついたー!」
ミッドチルダの中央次元港から次元船にのり数時間、そしてルーフェンの道場に行くまで新幹線にのり数時間。最寄駅に着いてからは門下生に道案内を頼み、ようやくルーフェン武術の総本山の一つに到着した。
大きく息を吸う。
都会よりか澄んだ空気が胸を満たし、吐き出される。
「チャンピオンや雷帝んとこの執事さんが来るのはまだわかるけど……アンタ八神司令の所の居候だろ?何で来たんだ?」
「安心しろ、邪魔はせんさ……あー、ダンテ?」
「シャンテ!」
「すまん、微塵も興味がなくてな……」
「あたしこいつの事嫌いだ〜!」
「はっはっはっは、怒るな怒るな」
ムキになった様にポカポカと自分を殴ろうとしてくるシャンテの額を押さえて遠ざける。
必死に殴ろうとしているが悲しいかな、リーチが違い手だけがぐるぐると回る結果に止まっている。
まるで扇風機だ、と頭の隅で思う。
ふふ、と堪えきれずに笑いをこぼすとシャンテの肩にいる栗色の髪の人形ほどの大きさの少女が肩を揺らして笑っていた。
聞けば彼女は、ベルカ諸王時代に乱立した王の一人、『冥王』その本人の分体。意志はあるが喋れないらしいく、身振り手振りで此方に意思を伝えなければならないらしい。
しかし、『冥王』といえばベルカでも首位を争う程の危険さを持つ王の一人。その、本人が未だ生きていることも驚きだが、今この様にシャンテやエレミアやらに愛玩動物の様に可愛がられていることに更に驚く。
時代はすっかり流れたのだということを否応なく感じてしまう。
「皆様、お戯れの所申し訳有りませんが、
門下生がそう言って此方です、と案内を始めようとしたのでシャンテの額を弾いて、門下生の後をついていく。
後ろでキーキーとまたシャンテが文句を言っていたが無視をする。
そんな自分とシャンテの小競り合いを見て、自分の隣に来たエレミアがさも面白そうに笑う。
「随分シャンテと仲良くなったなぁ」
「此奴の様な
「あたしこれでもシスター!この前のインターミドルでも多重幻術魔法使ってるから!後多分年もそんなに離れてねぇよ!」
「成る程なぁ、納得やな」
「納得しないでチャンピオン!あたしシスターなの!」
またムキになって自分の背中をポカポカと殴ってくるが微塵も痛くないのでそのまま好きな様にさせておくことにした。
そんな阿呆な事をしながらしばらく歩くと、門下生が一つの扉の前で足を止めた。
「こちらで総師範がお待ちです」
そう言って自分たちに一礼して去っていった。
目の前にあるのは至って普通の木の扉。にも関わらずこの扉の向こうにいる人物が『拳聖』ともなれば、木は鉄に、扉は門にすら見える気がする。
ごくり、と隣のエレミアが息を飲むのが聞こえる。
エレミアが視線で「どっちが開ける?」と訴えかけてきたので、「任せる」と顎をしゃくる。
するとエレミアは若干不満げな表情を浮かべると、小さくため息をつき取っ手に手をかけた。
「開けるで」
エレミアが力を入れると、扉は案外小さな音と共に開き────────戦場が見えた。
「──は」
空が赤く染まっている。
地は灰と毒によって汚れ、止まぬ戦火が草木を焦がしていた。
右も、左も、前も後ろも、あらゆる所が血に濡れ、無数の死体が無造作に転がる。
そして、大気を埋め尽くす吐き気を催すような瘴気、肌に張り付く濃密な死の気配。
嗚呼、此処はまさしく
「──ッ!」
思わずその場から飛びのいた。
「何だ、今のは……!」
荒くなった息を整える。
もう一度目の前に広がる景色を見るが、其処は至って普通のルーフェン建築で、戦場など広がっていない。
「エデル、なしたん急に飛びのいて?」
「エレ、ミア……」
エレミアが壁際まで下がった自分を心配そうに覗き込む。
黒く濡れた宝石の様な瞳に、自分の情けない姿が映る。冷や汗を流し、すがる様にエレミアを見つめる自分。
「エレミア……!」
「え、わわっ!ちょ、エデル」
「何が見えた」
「へ?」
「何が見えたのかと聞いている!」
両肩を掴み此方に引き寄せると、エレミアとの顔の距離が一気に近づく。
エレミアは頰を赤くしながら、目をふらふらと泳がせ自分が怒鳴った質問に答えてくれた。
「えーと、綺麗な風と空と……後は海やったと思うんよ……」
「他には」
「たぶん、そんだけや……大丈夫?ひどい顔色やで?」
見た物が違う。
しかし、あれは見間違えなどではなかった。
幻術の類などでもない。あの地獄は確かにあの瞬間存在した。
「ほっほっほっ、どうやら一人だけ違う物を見た様じゃの」
こつ、こつ、と靴が床を叩く音が聞こえた。一歩一歩叩く音が大きくなっていくと共に感じる圧倒的な拳気。
隣のエレミアが体を震わせ、瞬時に臨戦態勢に入った。そして、全く同時に自分も。
「ほぅ、何方もなかなか優秀じゃの」
間違いない。いや、間違えようがない。
彼が、ルーフェン武術界に五人しかいない『拳聖』が一人。近接格闘及び魔法総合競技ですら無双無敗の、生ける伝説。
「おぬしが
──レイ・タンドラ。
「茶、飲むかの?」
「……貰う、ます」
「ほっほっほ、そう警戒しなさんな」
レイ老師が茶を淹れた陶器の器をこちらに差し出した。
緊張から喉がカラカラに乾いていたので息で少し冷ましながら口に運んだ。
「あ、美味い」
「じゃろ?ルーフェン特製の漢方茶じゃ」
レイ老師は少し嬉しそうに笑うと自分も茶を口に運んだ。
「あの……」
「ん?」
「どうして、自分だけ残したんだ、ですか?」
「敬語は結構じゃよ」
「でも」
「いい。彼奴の孫に敬語を使われる方が背中が痒くなるわい」
そのデタラメな敬語も聞いてられるもんじゃないしの、と付け加えるとレイ老師はまた茶を口に運んだ。
乱雑に切り揃えた赤髪を掻いて、もう一度レイ老師を伺う。自分の視線に気づいたレイ老師が片目をつぶって見せたのを見て、小さくため息をついた。
「言葉に甘えさせてもらう」
レイ老師が満足げに笑む。
「さて、お主だけ残した理由じゃったか?」
首だけを動かして肯定の意を示した。
「彼奴の孫と話したかっただけじゃよ。だから、そんなに警戒するでない。今日は拳を交える気はない」
「……はあ」
やはり調子が狂う。自分にとって強い人物とは抜き身の刃のような危うい雰囲気があるのが普通だと思っていた。
だが、レイ老師は違う。
明確に強いとわかるにも関わらず、纏うものは春の昼下がりのような優しげで暖かなもの。
爺さんのような人を想像していたためイマイチ釈然としない。
む、と小さく唸り頭を掻いた。
するとその様子を見てレイ老師はほっほっ、とさも面白そうに笑う。
「本当にお前さんの家系は人相悪いのう。ガレスの奴もなかなかじゃったがの」
「ガレス……?」
「ほう、知らんかったか?」
ガレス、ガレス……と頭の中でその単語を反芻し該当項目を探してみるがなかなか見つかる様子はない。
「あっちの名前じゃよ、エデルじゃない方の」
「ああ、成る程。爺さんの」
「本当に教えないんじゃのう。お主と彼奴は家族じゃろ?」
「其れだけ大切な物なのだ」
まあ、自分は爺さんの事をひたすら師匠か爺さんと呼んでいたので名前を知る必要が無かっただけなのも真実だが。
目の前のお茶に口をつけて、会話にひと段落置く。そこで、ルーフェンに来た理由をはたと思い出す。
「そう言えば、爺さんで思い出したが」
同じようにお茶に口をつけていた老師が目をこちらに向ける。
「爺さんから言伝を預かっている」
そう言うと老師が口の端を吊り上げた。
「まだ生きておるのか」
「ああ。今は何処かの次元世界をふらふらと流れていると思う」
爺さんは自分の修行が完了すると見るや否や修行の旅に出かけた。
何でもまだ好敵手との決着がついていないのでまだ鍛える必要がある、と。
その好敵手、というのが目の前の老師。今や伝説である公式戦無敗の老師に野良試合で勝ったことがあるのがウチの爺さんらしい。
「儂ももう少し鍛えねばならんなぁ」
視線を虚空に合わせ老師が顎髭をさすった。
「ま、それはいいじゃろ。で、ガレスの奴は何と?」
老師に尋ねられ記憶を探る。
思い出すのは修行の終わりを告げられた日。旅支度を整えた爺さんにかけられた言葉。
「確か『此奴が最後だ』、だったか……?」
「ほう…………」
聞いたときは意味がわからなかった。しかし、問い返しても爺さんは答えてくれることは無かったので、次第に考えるのをやめるようになったのだが……今その言葉の真意が聞けるのだろうか。
「最後、最後。彼奴はそう言ったんじゃな?」
老師の問いに記憶を確認すると、首肯した。
「最後。そうか、そう、か……」
老師は自分の言葉を口の中で何度も呟くとやがてゆっくりと目蓋を下ろした。
「老師?」
自分が呼びかければ、老師は今度はいきなり淡く微笑んだ。
「──老師?」
「エデル」
老師が自分の名を呼んだ。
「構えよ」
そして、身に纏う空気を一変させた。
其れを見て意識の下で戦闘経験が警鐘を鳴らし、自分に緊急回避にを行わせる。
椅子に座った状態のまま地面を蹴り上げ、椅子を吹き飛ばしながら離れた地面に着地、老師に問う。
「うむ、自分から戦いやすいところに行くとは気が利いておる」
「どういう、つもりだ……!」
ギリ、と歯の根を噛み締め、目を鋭くすると老師はゆっくりと椅子から立ち上がるところだった。
「奴との約束での。前から
老師が、手を開いて閉じる、と工程を繰り返し自分の調子を確かめている中、混乱した頭で現状を整理する。
老師は、爺さんからの伝言で自分と殴り合う事を決めた。
その決めた理由には爺さんが関係していて……。
「クソッタレが……!」
混乱した状況にイラつき、隠す気もなく舌打ちすると、
──がしゃん。
歯車が噛み合うような金属質な音。
頭から
「ふむ、
老師が左手開手、右手握手の構えをとった。
──来る。
老師が腰を落とし体勢を低くすると地面を蹴った。ズドン、という踏み込みらしからぬ爆発的な音がなると老師の体が弾丸の如く突っ込んでくる。
対し、自分は迎撃の構えで待ち構える。
老師が自分の間合いに入ると同時に震脚を行い、体を通す力を生んで左手を少し引いて構える。
拳が振るわれれば右で弾いて左で一撃、と考えていたが、老師の行動を見てその目論見は容易く崩れる。
「ほっ」
老師が
「な、に……ッ!」
体を限界まで捻り自分の首を薙ぐように水平に振るわれた踵。慌てて両腕を畳んで老師の蹴りを防御する。
ズッ、と腕に重い感触が伝わり骨が軋む音を聞いた。
「羅ッ!」
腕を振って脚を吹き飛ばすと老師が宙で一回転し、ゆっくりと地面に降り立った。
其処を追うように地を蹴り、老師に肉薄する。体勢を低く落とし腰だめに構えた左で沖垂を放つ。
老師が其れを右手で虫を払うように弾くとまたも左脚を振るい自分のこめかみを狙う。
瞬時に戻した右手を左手と揃えて老師の脚を弾き、そのままの勢いで両手を揃えたまま胸を打つ──
が、老師は大浙江で吹き飛ばされる脚の勢いに逆らわず、寧ろその勢いに乗るように反対の右脚で跳び、鞭のように振るう事で自分の大浙江を防いだ。
一旦、後ろに下がり息をついた。
「『
痺れる腕の状態を確認しながら皮肉を投げかける。
「何、『拳聖』と
其れはそうだ。『拳聖』も『魔拳』もあくまでも称号。自分の誇るのはこの身に宿る体術だ。
だが、だが、其れでも。
「……
「ほう…………」
ひたすら拳の使われぬこの戦いが我慢ならない。
例え実力が及んでいないとしても、相手にされないのは、嫌だ。
「拳を使わぬことで自分の優位を示したつもりか。其方から仕掛けてきたのだろうが。もしやる気がないのならば──」
────その腕、叩き折るぞ老骨。
ぎろり、と目を鋭くすると老師は目を見開いた。暫くの間自分を見つめ、やがて閉じる。
「────
そして叫んだ。
びり、と体を伝う圧迫感に皮膚が泡立つ。
「……そうじゃの、確かに舐めておったのかもしれん。儂も、いや────」
老師が袖を肩口まで捲り、両の拳を打ち合わせた。
「──
その言葉を合図にその両拳が紅蓮に包まれる。
「魔力変換資質……」
「如何にも」
轟々と音を立てる、大気中の酸素でなく、術者の魔力を吸い上げて燃える炎。
「さて、早く来るがいい。お主もそんなものではないじゃろ?」
静かに己に呼びかける。
「武装形態」
身を包む服の繊維が解け苛烈な赤の戦闘服へと作り変える。
「八極拳士、『魔拳』エデル」
「『拳聖』が一人、レイ・タンドラ」
自分の名乗りに老師が応じ、互いの間で名が交わされる。
「 「 ────参るッ! 」 」
地を蹴ったのは殆ど同時。だが、年の功か、老師の方が瞬き一つほどの差で早い。
「発破《炎》!」
拳と共に放たれた魔力の炎を戦闘服の対炎性を信じ、肘撃で弾く。
「──グッ」
炎が戦闘服を通り抜けて僅かに自分の肌を焼いた。大きな火傷になるほどでは無いが、鈍い痛みにほんの少し怯んだ。
「そらっ!」
その隙を研ぎ澄ますように放たれる炎の
は、と息を吐いて息を整えようとする。
「させんよ」
が、其れすらも許さぬ老師の連撃。
回避は不可能だった。仕方なく右腕を畳み筋肉を固めて即席の盾にした。
「──
指先が上腕部に食い込み骨が軋むと共に、炎が肌を焼き戦闘服に燃え移る。
広がる痛みを歯を食いしばって我慢する。
そのまま老師に向けて蹴りを放つが、老師は自分の足に自分の足を合わせて大きく後ろに跳んだ。
腕で燃える炎を消すのは諦め、戦闘服の袖口を引きちぎって投げ捨てる。
「はっ、はっ、は──」
荒く息を吐いて、老師を見つめる。
「どうした?」
老師が自分に問いかける。
そんなものでは無いだろう、とまだ本気では無いだろう、と呼びかけるように。
「上等──!」
一歩足を進める。
「ハァァァア!」
今までのようなものでは無理だ。
寸勁も、肘撃も、冲垂も、大浙江も、裡門も、双撞掌も、向垂も、威力が足りない。
放つは必殺。
『魔拳』の奥の手であり、奥義の一撃。否、
利き腕より把子拳、寸勁、頂肘を瞬時に繰り出す高速三連撃。
此れが現在自分が放てる最強。
震脚で地を踏みしめる。
「────
音を置き去りにするような拳と、無駄な音を立てない完璧な震脚。
此れまで此れを防げた者はおらず、此れからも居ないはずだ、とそう信じている、一撃。
「届けェ!」
斯くしてその拳は老師の胸を強力に打つ───────ことはなく、両の掌に受け止められた。
「な────あぐっ!」
必殺が受け止められた事に目を見開く。そして、次の瞬間には目の前に紅が走り、いつの間にか地面に転がっていた。
じり、と感じる皮膚の熱さに、殴られたのだと遅まきながら理解する。
「判断が遅い。回避が遅い。覚悟が遅い。防御が遅い。拳が遅い。遅い遅い遅い遅い────遅い」
老師が冷たい瞳で自分を見下ろす。
「
痛む体を抑え立ち上がる。
「雑念、など……ない、自分には」
「自分ではわからんだけじゃよ。お前さんたちは其れが普通だと思い込んどるんじゃから仕方ない」
雑念。そんなものが自分にあるとは思えない。
もう、自分は八極拳を鍛え始めて十年近くとなる。人を殴る事に躊躇は覚えないし、殴り合いの最中に考え事が出来るほど器用でもない。
雑念など、あってたまるか。
「履き違えるな、エデル。お主の
──■の、拳は■■た■の■■だ。
チリッ、と額の奥の方が痛む。
ぴしり、と抑えている蓋が割れるような音が聞こえる。
「──ッ!そんなこと、知らぬッ!」
ただ駆けた。
震脚などではない雑な歩法で、ただ頭に浮き上がる雑音を消すために。
闇雲に拳を振るう。
「勁が乱れておるぞ、エデル」
「煩いッ!」
自分の振るう右をかいくぐるように老師が体を沈めた。
「
胸骨を老師の右が強打する。
「──けほっ」
おまけのように火炎が自分の戦闘服を炭に変え、地肌をそのまま強く焼いた。
「────がァッ!」
ごろごろと地面を転がる。
口に鉄の味が広がるのを感じた。視界がチカチカと点滅している。
じくじくと胸部が痛む。この痛みは火傷なのだろうが、其れよりも痛むものがある。
其れは、背中。もっと言えば広背筋の部分。
其処が直に殴られた胸部よりも酷く痛む。
恐らく、突き抜けたのだ。拳で打った衝撃が。
完璧に拳まで力を伝える先ほどの一撃は、自分の胸部から衝撃を伝え広背筋で炸裂したのだろう。
──似ているな。
「似とるじゃろ?お前さんの无二打に」
そうだ、似ている。自分の无二打に。
「まあ、其れもそうじゃろ。儂が
何でもないように老師が言った。まるで、今日の夕飯に少し高い肉を食べた、とでも世間話をするように。
歯を噛み締める。
「……るな」
「──ん?」
「巫山戯るな、そう言っているッ」
ぎらりと目を一層鋭くする。
「其れは、オレのものだ。その程度で盗んだとほざくなッ!」
老師が自分を見つめ、再び構える。
「ならば来い。拳士ならば拳で語れ」
息を小さく吐くと、視界から色が一つ一つ抜け落ちていく。
「──────は」
──履き違えるな。
──オレに出来るのは、一撃だけだ。
──我が拳は一撃必殺。
──殴り合いではなく、必殺、ただ此れを極めろ。
嗚呼、わかっている。
そんな事は百も承知だ。一撃に魂を込めて、ただ目の前の敵を打ち砕く。
どんなに不利でも闘志は消えない。
己を叱咤し、ただ拳を握る。
負けられない、そう己に言い聞かせる。
「──ふっ」
自分が再び地を駆けるのと同時に老師も駆け出した。
「虎砲《炎》ッ!」
ごっ、と老師の拳と炎が自分を襲いかかる。
身を焦がすその一撃を目前にし、魔力を右腕に集めていく。
──耐えろ。
歯をくいしばる。
──研ぎ澄ませ。
集まる魔力を制御する。
──次は要らぬ。一つで決めろ。
地を強く踏みしめる。
足元から各関節を通して力を伝達していく。
──故に、其の八極に二の打要らず────
此れが、自分の
「 ────
『魔拳』の必殺が振るわれた。
自分の拳は右腕に集めていた魔力を放出しながら、老師の拳に向かっていく。
「ハアアァァァ!」
自分が叫ぶと右腕を覆う魔力が、更に紅く、紅く、紅く光る。
互いの拳がぶつかり合い、老師の炎を
「何っ?!」
老師が驚きの表情を浮かべる。
「喰らえェェ!」
未だ无二打の勢いが死んでいない右腕を振るい、叫んだ。
拳に確かな感触が伝わり、老師の体が吹き飛んだ。
満天の星が頭上に輝いていた。
屋根に腰かけたまま、ぼんやりと星を見つめ、老師から貰った酒を口の中で転がす。
普段はファビアがいるし、シャマルに咎められるから飲まないが、酒は嫌いではない。
「月見酒?」
聞こえた声に隣を向く。すると、いつの間にか隣にはエレミアが腰かけていた。
いつ来たのか全くわからなかったが、まあ其処はエレミアの事だ。何とかしたのだろう。
「屋根に座って一人で月見酒とか、洒落とるなぁ」
「考え事を少し、な」
また一口酒を口に運ぶ。腹の底の方が少しふわふわしてくるが、意識はまだまだはっきりしている。
酒の瓶を手の中で弄ぶ。
「エデルお酒飲むんやな」
「割と強い方ではある。普段はあまり飲まんが……」
其処まで言ってエレミアが少し物欲しそうに自分の手の中のものを見ているのに気づく。
「──飲むか?」
「えっ?いや、その……」
ちらり、とエレミアが自分を上目遣いで伺う。
「ええの?」
「元から自分のものでは無いしな」
「じゃあ、貰うわー」
瓶と一緒に渡されていた杯に酒を注ぐ。
「ほら」
「んー」
エレミアが受け取った杯を傾ける。中身の半分ほどを飲むと、小さくぷは、と息を吐き出した。
「結構くるんやね……」
「初めてか?」
「こういうのはな。ワインとかならヴィクターに付きおうて飲んどるんやけど」
そしてもう一度杯を傾けて中身を飲み干した。
「あ、そういや今日
「まあな」
「どうやったん?」
「……引き分け、だ。誠に遺憾な事にな」
「え、凄いやん」
「別に、凄くなんかない」
─────
『此処で終わりにしておこう、エデル』
『これ以上は何方も止まらなくなる』
『特にようやくエンジンがかかりだしたお主はな』
『そう不満げな顔をするでない。わしも歳じゃ、あまり暴れられないんじゃよ』
『エデル、お主はすでに入り口にいる』
『そこがどこにつながっているのか、それを理解するがいい』
──────
小さく舌打ちをして、また盃を傾ける。
「エデル」
横を向くとエレミアが、ん、とほんのり頰を上気させながらおかわりを求めてきたので苦笑いしながら次を注いでやる。
「なしたん?」
「いや、気にしないんだな、エレミアは」
エレミアが首をかしげる。
「──回し飲みだよ。其れ、さっきまで自分の口つけていたやつだ」
「ぶっ!けほっ、けほ……」
あ、此れは言わないほうが良かったのかもしれない。そう思っても後の祭り。エレミアは酒でほんのりと赤くしていた頰を更に赤くして、ぐるぐると目を回し始めた。
「あわわ、これっていわゆる間接キスになるんやろか」
「……はあ。なるんじゃ無いのか」
「ちょ、エデルはもう少し動揺してくれてもええと思うんよ……!」
「いちいちそんな事で騒いでいられるか」
そう言って瓶を傾けてまた一口酒を含んだ。
むう、とエレミアが頰をぱんぱんに膨らませて此方を半眼で見つめる。
「むー」
「はいはい、悪かった」
「むふー」
ぽんぽんとファビアにやるように雑に頭を撫でると満足げに息を吐いて、また酒を飲む。
何だか絡み方が面倒臭くなってきた。少し酒が回り始めてるのかもしれない。
「エデルのその服、よー似合っとるなー」
「そうか?老師の貰い物なんだが……」
「かっこええっちゅうか、違和感が無いと思うんよ〜」
「ほう……」
自分の服は老師に襤褸にされてしまったため、今は老師の若い頃の拳法着を着ている。
自分の姿を見下ろしてみるが、自分では似合っているかどうかはわからない。
まあただとても動きやすく、体に馴染むのは確かだ。どこか自分の戦闘服に似た形状のためかもしれない。
「んくっ」
「…………ふぅ」
服の話題が出たのでエレミアの体へと自然に目が動く。
月夜でもわかる淡い赤、燕脂の衣装に二つに結んだ黒髪がよく映えて普段より何割か増して美しく、可愛らしく見える。
更に太ももの付け根ギリギリまで入ったスリットが鍛え上げられた足を惜しげなく晒し、ぴっちりと体に張り付くような衣装が矢鱈とリアルに彼女の胸や腰の凹凸を浮かび上がらせていた。
何時もは黒一色のジャージのためわかりにくいが彼女は美少女。ちゃんとした衣装ならばすれ違う人皆が二度見するような容姿なのだ。
今ならば普段からヴィクトーリアがエレミアにお洒落をしろ、と言っていた理由がよくわかる気がした。
調子が狂う。
普段は鬼のように強い為、それ程エレミアに『女』を感じる事はない。
しかし、今彼女が着ているものは『拳法着』とはいえ、きっと魅せる為の物。
どうしようもなく自分にエレミアが『女』だという事を感じさせる。
守る必要が無いほど強いのに、其れでも守りたいとそう思わせるような、何かがあった。
不意にエレミアと目が合う。
エレミアは自分と目があうとすぐに目をそらして下を向いた。
「な、なんで
下を向いたまま尋ねてくる。自分の方が背が高いためその顔色は窺い知れないが、何となく戸惑っているような声色だ。
「別に、新鮮だと思ってな」
適切な言葉がみつからずそっぽを向いて頭を掻く。
「に、似合ってへんかな……」
視線を正面に戻すと、此方を目だけで見上げる赤い顔のエレミアが不安そうな表情を浮かべている。
「いや、似合っているのではないか……かなり」
ちらりとエレミアにバレないように彼女の胸を見て目を逸らす。
「えへへ、おおきになぁ、エデル」
「応……」
にへら、とエレミアが笑った。
だいぶ酒が回ってしまったのか頰が、というか顔全体が赤い。
「……あまり飲み過ぎるなよ」
自分が一応言っておくと、エレミアはとろんとしてきた瞳で自分を見つめる。
「何だ」
「エデル、何考えとるん」
「別に何も考えてないぞ」
「嘘やっ!エデルが人を気遣うなんてあらへんと思うんよっ!」
「お前なぁ……」
自分だって気遣う事くらいある。例えば…………ファビアとかにあるだろう、あるだろうか、きっとあるはず。
「──はっ!さてはおさけやろ!
「いや、貰ったのは自分だぞ?」
エレミアが自分の手から瓶をひったくる。
「あっ!おい、返せ」
「いややいややー、これは
「我が儘言うでない」
「いーやーやー!」
酔っ払って面倒くさくなってきたエレミアに小さくため息。
此奴これ程まで酒に弱かったのか。
いや、自分が強いだけなのかもしれない。それを証明するように自分は酒に酔った事はほとんど無い。
「ほら、早く──」
返せ、と続けようとして二の句が継げなくなる。
同年代に比べて大きいエレミアの胸が、瓶を抱き締めているせいで、むんにゅりと卑猥に形を変えている。
狙ってみた訳ではないが、何かやましい事をしたような気がして、思わず目を逸らした。
「あっ、何で目を逸らしたん?!」
「別に何でもない」
「嘘やっ!」
まさかお前の姿が卑猥だったからだとは言えない。
「ちゃんと
「はいはい、そうだな」
「もう、エデルぅ!」
「ちゃんと見てる、見てる」
酔っ払いの面倒臭い絡みに適当に返答していると、不意にエレミアが押し黙った。
「──エレミア?」
自分が彼女の名を呼んだ。
「嘘や」
エレミアがぽそりと小さな声で言葉を発する。
「エデルは
頭が真っ白になる。
そんなのわかっていることだ。
「──は、それ、は……」
辛うじて絞り出した声が頼りない。重さを伴っていなくて、風が吹けばふわふわと何処かに飛んでいきそうだ。
「なあ、エデル。
口の中がからからに乾く。
誰を見ているか、そんなの、決まっている。
「……オレ、は……」
此れは、恐らく酔っ払いの戯れ言などではない。きっと気づいていたのだ、エレミアは、最初から。
自分が、彼女をどういう目で見ているか。
発するべき言葉が見つからない。嘘を吐こうにも、何をどう吐けばいいのかわからない。
自分がどうしたいのかさえも上手く説明できない。
チリチリと額の奥が痛む。
「名前は、悪いと思っている」
思考を整理しながら言葉を紡いでいくが、酒を飲んでいるせいか、心なしか言葉のまとまりが悪い気がする。
「でも、其方に彼女を重ねずにはいられない。似ているわけじゃない。だが、
此れは説明になっているのだろうかと気になり、先ほどから急に押し黙っているエレミアに目を向ける。
「エレミア?」
自分が名を呼ぶが一向に反応しない事に首をかしげる。すると、こてん、とエレミアの手の中から杯が転がり落ちた。
「まさか」
やや下の方からエレミアの顔を覗き込むと、彼女は規則正しい呼気を漏らしながら目を瞑っていた。
間違いなく寝ている。
「……何時から、と聞くのは藪蛇になるだろうなぁ」
エレミアがどんな風に酔うのかは知らないが、目が覚めたら全てを忘れていることを願おう。
そのままにしていても転がり落ちそうだったのでエレミアの腹辺りに手を回りこませて支える事にする。ついでに酒の瓶を奪い返すことも忘れない。
薄い生地の先にエレミアのしっかり鍛えられた体の感触を感じる。
エレミアが寝てから取り返した瓶を口元に運んで、また一口酒を飲む。
──
また、酒を煽る。
「…………すまんな、エレミア」
また、酒を煽る。
酩酊感が頭をぼんやりと占拠し始める。
いっそ、酒に酔って全てを忘れて仕舞えば。
どんなに酒を飲んでも、自分が今日の事を忘れることは出来そうになかった。
その言葉は、果たして何方へ。
其れとも、