「遅いっ!」
金曜日の放課後である。体育の授業で延々と学校の外周をぐるぐる走らされた後の重たい足を引き摺る様に旧校舎の三階まで上がって、ぱんぱんに張った腿に喝を入れながら漸く辿り着き部室に入るなり、そう叫ばれた。
叫んだのは同学年の女子である。
あっ、まず先に説明か。
ここは県立清水総合高校の郷土研究部。
部員は総勢四名。その中のひとりは幽霊部員だ。
そしてさっき開口一番俺を怒鳴り散らした奴が部長の、
「この近野あり様の招集に遅れるなんて、傭兵として失格よっ」
──二年生、近野あり。
肩までの髪は艶のある少々猫っ毛な濡れ羽色。若干垂れ目で黙っていれば愛らしい。その下に続く首は細く、肩幅も狭い。
均整のとれたバディはちょっとだけ目のやり場に困る。スカートとか短か過ぎだし。
そんな同学年の女子が腕組み仁王立ちで俺を睨みつけている。
因みに俺は傭兵ではない。性格、性質ともに多少難ありだか、歴とした普通の高校二年生である。
名前は清水陽平。それをこいつは、音が同じって理由だけで「傭兵」などと呼びやがるのだ。
「人を金で動く軍人扱いするな。てかさ、竹中も来てないじゃんかよ」
「あの子はお使いに行ってるの。いわば作戦行動中ね」
もう一人の部員は、一年生の竹中伊織。こいつは非常に頭が良く、学年順位は常にトップ。
あと──
「遅れましたー」
噂をすれば、である。
秀才らしからぬ大きな胸を、たゆんぽよんと弾ませて、息を切らせて肩を上下させ、ついでに胸もたゆんぽよんと上下させ、郷土研究部に駆け込んで来たショートカットの黒縁メガネが、たゆんぽよんとさせる竹中伊織である。
まさにキャラの見本市みたいな一年生女子だ。
「おおっ、ご苦労であった。大儀である」
それ、意味重複してるよ。頭痛が痛い的なアレだよ。
そんな間違った言葉遣いしちゃうとまた始まるよ。アレが。
「お言葉ですが近野先輩、労いの言葉を二つ並べても同じ意味なので強調にはなりません。もしも仮に──」
きっと竹中の言い分は間違ってはいないのだが、矢鱈と説明が長くなる時がある。
しかも論点が少しずつズレていき、学校内のことを話していても最終的に「だからピーマンなんて食べなくていいんです」
なんて明後日の方向に着地するのだ。
「わ、わかった竹中。とりあえず座って落ち着け」
「──はしたない真似をしてしまいました」
ぺこりと頭を下げてるそこの巨……キミ。その「はしたない」の使い方も誤用じゃないのかね。
などと俺に突っ込める訳はない。
竹中は息を整えつつ、近野に何やら手渡す。ま、いつものアレだ。アレ。
「伊織ちゃん、ありがとー」
がさごそと紙の袋を広げる近野が手に持つ物。
案の定、紙袋の中味は「生どら」である。
生どらとは何ぞや、と思う方もいるかもしれない。
要は、どら焼きの餡子の代わりに生クリームを挟んだ和菓子だ。いや生クリームだから洋菓子なのか。
確かにあの店の「生どら」は美味い。斯く云う俺も大好物である。
美味いのだが、ひぃふぅみぃ……五つも食べるかね、普通の女子がさ。
いけね。こいつ普通じゃ無かったわ。
いつもより数が多いけど、きっとぺろりと平らげてしまうのだろう。
そしてその後泣くがいいさ。体重計の上で。
まあこいつは余計な事さえ云わなければ可愛く見えるし……って、どうでもいいか。
とにかくこの近野、それ以外の面でも普通ではない。
「今日の議題は、清水区の独立に必要なもの、よ」
ほらね。まったく普通じゃない。郷土研究部の範囲を逸脱し過ぎてる。
だいたい清水区は、元々「市」だったのが平成の大合併で隣の静岡市と合併して「区」になったんだぞ。
地方自治体のランクとしては下がったんだぞ。
それをこいつは「国家」として独立させることを本気で考えているのだから、そんな戯言に付き合わされる竹中や俺は堪ったものではない。
なあ、竹中よ。
「えーと、まずは税収の確保でしょうか。あとは、軍備ですね」
前言撤回。
被害者は俺ひとりだ。
よくある女子高生同士の会話、「今日どこ寄ってくー」くらいポップでライトな物言いで「軍備」とか云うな。
「げっ、戦闘機って百億円とかするんだ。あまり現実的では無いわね、これは」
まず清水区だけの独立国家が現実的じゃない件に関してじっくりと話し合いたい。
「確かに現実的ではありませんね。清水には三千メートル級の空港がありませんから」
いやまず空港が無えよ。あるのはセスナ用の飛行場だ。
ていうかさ──
ねえ。論点それでいいの?
ねえ。
「んー、じゃあ、潜水艦だねっ。清水は海あるし、潜れるし」
「いいですね。では早速調べてみましょう……あ、これいいですね」
「ホントだぁ、可愛いっ」
見てないけど、何となく分かるわ。それって潜水艦じゃなくて潜水艇だよな、多分。それ民間用だよ。魚雷とかミサイルとか撃てないからね。
「でも高いね……『おやしお』っていうので五百億円だよ?」
おおっと、本物でしたか。しかしそれはそれで怖いぞ。兵器を可愛いの一言で片付けるなよ。
「んー、じゃあ、軍備については保留ね。次は、清水の良いところをアピールしていこー!」
「おー!」
えーと、誰に?
まさか俺ですか。地元だからほとんど知ってますけども。
「ちび○子ちゃんっ!」
伏せ字の意味があんまり無いなぁ、それ。
確かに一時、正直者が走ったり、ポンポコリンが踊ったりする主題歌が有名になったけどさ。
「あとは、結構有名な芸能人がいるっ」
あー、あぶない二人の刑事がランニングしながらショットしてたドラマのあの人かな。
「春風亭○太ですね」
あ、そっちも有名か。日曜夕方のお茶の間では。
ねずみ色というか銀色というか、そんな色の着物の人だよね。
てか、いつもこんな感じだな。こいつらって。
仲が良いのはいいけれど、会話に入れない俺の身にもなってくれよ。
俺、すっかりスマホと友達じゃんかよ。
でも、時々不本意なことを言われてしまうのだ。
あいつは女子二人を侍らせる為に郷土研究部に入部しただの、あいつは一人じゃ満足出来ない性欲魔人だの、って。
ま、すべて陰口だからいいけど。全然良くねえな。
スマホを見る俺の目の前に、白い何かが現れた。
「……はいっ」
「なんだよ、これ」
「あ、余ったのよ。それに、もう帰る時間だし」
差し出された紙袋の中には三個の「生どら」が入っている。
あいつら、一個ずつしか食べなかったのか。
「……六時限目、体育だったんでしょ。長距離走の後は甘い物が必要系──」
「……ちょっと待て」
伏し目がちでごにょごにょと呟く近野を制止する。
「な、なによ」
「何で今日の六時限目が体育だったって知ってるんだよ。しかも内容まで」
「そんなの見てれば分か……んんっ、あんた傭兵なんだから報酬が必要でしょ」
なんだそりゃ。
てか見てたのかよ。授業中に他のクラスの男子の体育を。暇人だねぇ。
まあ、こいつにとっては授業はどうでもいいのかもな。基本、頭良い奴だし。
とにかく、俺にも生どらが支給されるらしい。
ま、五つも買えば余るわな。
「要するに、食べ切れなかったってことか」
「そ、そうなのよっ! だから後の処理はあんたに任せるわ」
「近野先輩、わかりにくいツンデレもグーです」
「そ、そんなんじゃ……ないもん」
ぽそっと云うな。何だ、難聴系の対応をご所望か?
「わかった、とりあえずありがとな」
「──うん」
袋から「生どら」をひとつ出して頬張る。
美味い。しかし甘い。
いつもより甘いな。
「さあ、帰るわよ。今日も寝るまで清水っ子である自覚を忘れない様にね」
「……お前、ホントは横浜出身だろうが」
「うっさいっ、生どら返せっ!」
清水区の独立は、まだまだ叶わぬ夢である。
お読み下さり、ありがとうございました。
また勢いで書いた短編でございます。
オリジナルということで、設定、キャラの容姿、性格など上手く書けておりませんが、ご意見ご感想などありましたら是非お寄せ下さい。