とある宮古芳香の悪戦苦闘   作:ゆっくり霊沙

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西暦800年~

〔西暦800年夏〕

農北の整備が完了した頃には9世紀に突入した。

 

「さて・・・そろそろ隣国の情報を仕入れるとするかのー。」

文屋改め新聞社達は私の意見に賛成した。

それは自分達のご先祖は今どのような生活や政治、文化をしているのか民衆は気になっていたのだ。

 

「ではどのようにすべきか・・・。」

7代目にあたる議長が私の提案に悩んでいた。

議長経験者は議長を辞めたあとも一定の権限を持っていた。

 

「私としては対岸地域に一定の生活できる環境を整え、その後は各地を巡って情報を集めてもらうのが一番安全と思うのじゃ。」

 

「では全て人間の方が良いですね。」

 

「よーし!!うまるも久々に頑張りますよ!!」

こうして7人で話し合われ纏められた提案は議会で5/4の賛成を受けて成立した。

・・・で、誰が行くか話し合われたが、政府が雇う者の他に新聞社は各社50人以下なら自由にと決められた。

後に新聞社と政府の人材からスパイ網が形成されることになるが、どんな厳重な警戒をされていても機密情報を盗んでしまうと言われるようになるのだった。

 

〔西暦850年冬〕

蒙古野馬の頭数を増やし終わり駅ができるようになった。

ここで近代的な馬車を量産したはかせと雛苺の先見性には舌を巻いた。

 

「まさにこんなこともあろうかと・・・じゃな。」

これにより今までよりも食料を各地に送ることができた。

 

「・・・さて、余ってしまった食料をどうするべきか・・・。」

私はそこでたまにやって来る騎馬民族のモンゴル人と関係を強化した。

彼らは食料を貰う代わりに駅馬の御者として活躍してくれた。

数十年で何個もの部族と婚姻を通じて同化し、北海道に初めて戦闘技能が入ってきた瞬間であった。

 

〔西暦900年夏〕

私は約100年で日本と韓国に築いた情報網を有効活用して後百済の王と条約を結ぶことに成功した。

後百済は領土は広かったものの、食料不足に悩んでおり、それに売り込んだ形となった。

後百済の王は感謝し、代表として来ていた私にこう呟いた

 

「北は蛮族しかいないと言い伝えがありましたが、良き国があるのですね。」

 

「そうじゃ。・・・私達は自国を北海道と呼んでおる。お主らの国は・・・後百済じゃったかの?」

 

「えぇそうです。」

 

「もっと後とかは過去の遺産を引きずって縁起が悪いぞ。大韓帝国と名乗れば良いのじゃ。」

 

「大韓・・・帝国・・・。」

 

「食料はこちらが送る・・・夢を見なければ進まんぞ。」

後の言葉により後百済の王は国名を大韓帝国として諸国を一気に統一した。

それから約400年間北海道は大韓帝国と良好な関係を築いていった。


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