〔5月22日〕
イタリアの宣戦布告でドイツはバルカン半島にいた軍を引き上げ、戦力を抽出し、足が遅いことで黄色作戦に投入されなかったⅤ号試作戦車(パンター)とⅥ号試作戦車(ティーガー)をイタリア国境に展開し、空軍の全面的な協力と、海軍の潜水艦による陽動作戦で最悪の事態は避けることに成功する。
資源が史実よりゆとりがあるドイツはこれを期にⅤ、Ⅵ両車両の量産と、2つの戦車の良いとこ取りをした戦車を造ろうとヒトラーは考え、総統命令第38号で計画を命じる。
一方アメリカでは、滷獲されたチルの優秀な車体を北邦戦車の傾斜装甲を取り入れた新型車重戦車T29とM4シャーマンの想像以上に使えなかったことからこれに代わるM4の最終形態であるイージーエイトを量産する。
イージーエイトが早く作れた理由は北邦戦車の技術革新の影響である。
これらの車両によりパートナー4以外の戦車を破壊できるだけの性能であり、アメリカはついに北邦戦車に対する矛を手にいれたのだ。
〔6月2日〕
北邦海軍にてようやく600の潜水艦が完成する。
しかし、計画していた独自の潜水艦計画は日本軍の攻撃で頓挫し、ドイツ海軍の旧世代潜水艦のⅦC型をライセンス生産した形となった。
しかし、それでも何かしらの特徴をつけたかった海軍は日本の潜水艦の特徴的な高性能ワルター機関を搭載することで性能の引き上げをはかり、表面を特殊ゴムコーティングでソナーに反応しにくくなっていた。
残りの主力海上戦力は泣く泣く日本と大韓、駆逐艦はタイにまで製造を依頼して揃え、アラスカ防衛に向かわせた。
日本は高性能で、技術の継承と莫大な予算もらったこと島風型駆逐艦を大量に製造(終戦までに80隻)し、大韓は量産性からアレン・M・サムナー級駆逐艦に似た駆逐艦(金級 キム級)を製造し、既に50隻(終戦までに200隻)が造られた。
金級の良いところは航続距離が6200海里と十分な距離を移動できるところだった。
タイは神風型駆逐艦 (2代)と同性能の駆逐艦を輸入した。
また、日本からは大鳳型空母を、大韓からは戦艦(長門級)をそれぞれ8隻輸入し、軽空母、軽巡洋艦も大量に輸入することとなり、大戦中に北邦は潜水艦と輸送艦以外は自国生産の水上戦力が両手で数えられるほどしかなく、戦後日本の艦隊〇レクションにて輸出された艦は全て日本や韓国の特徴的な姿で、ある大鳳型空母セリフが
「北邦海軍は泣いていい。」
というもので、北邦海軍がどれだけ閑職だったかを現していた。