【津軽城】〔夏〕
秋田家との紛争?で5000人を動員した戦だったが、秋田家と和解してすぐに不可侵が結ばれた。
さらに秋田家の伝で伊達家とも不可侵が結ばれることとなった。
殿様だが、北邦の人達は日本式の礼儀作法に偏りがあるので相手の顔を立てる意味でも龍興が外交官として様々な場所に挨拶に行っていた。
そんな殿様が居ないときに評議会は人口統計と検地をおこなった。
どちらも国の基礎を固める意味で大切だったのだ。
しかし、どちらも農村から反対がおこった。
税金が増えると思われたのだ。
強行するのも不味いので、瓦版でしっかりとした内容を伝えることと、水の利権争いを終結させるために水路を公共事業としておこなうと伝えた。
ちなみにだが、豪族は龍興に忠誠を誓っている。
歴史ある豪族は津軽城攻略と南部家進行でほとんどいなくなり、反抗する豪族は農民ごと流通をストップした。(塩などの絶対に必要なのは止めなかったが)
これによる対応は3つに別れた。
諦めて抵抗をやめて服従を誓う、農民の決起による豪族の排除、反乱である。
1つ目と2つ目は問題がなかった。
3つ目はこちらも軍を出して鉄砲の空砲をした。
空砲でも豪族の兵が職業軍人ではなく農民なので逃げ出していき、一気に捕縛からの処刑で鎮圧。
ただ、武力だけで抑えるのも限界があるので実利も与えた。
豪族の息子等の一族を北邦に送り、今よりもよい生活と外国だが高等学校に進学させたのだ。
息子や一族の者が頑張れば自分も斎藤家の重役になれるという幻影を与えた。
北邦で学べば自分達の考えがいかに古いかよくわかるので豪族等になる前に北邦に住み着くか、帰っても親族と縁切りである。
そんなことを知らない豪族達は表向きの忠誠を誓って自分達の影響力が低下していった。
そんなトラブルがあったものの、検地と人口統計は進み、表向きの石高が20万石(実際は140万石)、人口は50万人が生活していた。(3万人の常備兵は最初から人口的にマックスの人数である)
どちらも終わったため、農民達に迷惑料として裏作の徴収(もとから取ってないが)を放棄する旨を発表した。
また、曖昧だった税金については目標徴収制とした。
まず目標値を決め、それは前年の半分の収穫予定量とし、目標値分だけ斎藤家は農家から直接作物を少し安めで買い取りに行く。
その作物を北邦や商人に売ることで金にして斎藤家は利益を出す。
残った半分の作物は農家の自由に使ってよいことにした。
農家からすれば多少買い叩かれてしまうが、徴収されて何も残らなかった今までとは違い現金を手にすることができ、さらに収穫量を増やせばさらに豊かになれる希望を持たせることができた。
斎藤家の主税は商人からの売上高による税金と貿易による利益なので農民も金を使ってもらわなければならなかった。
「ただ、これだけでは豊かとは言えないな。」
財政管理課の課長は自分の収入が増えるためと領民を豊かにするために次なる手を打とうとする。