それでは、続きをどうぞ。
第六章(1):買い物
Side 一夏
「臨海学校での水着?」
「うん……」
《イクス・ラファール》の発表式典から数日後。その日の授業と日課となった放課後の特訓を終え、一息ついた後の自室。
部屋割りはそれまでと同じように、簪との同室となっていた。理由は明白、以前と同じように自然な形で連絡をしあうためである。
その簪から、寝る前に意外と言えば意外な事を相談されていた。
「明日、土曜日だし買いに行こうと思ったんだけど……」
「それはいいが……なぜ男の俺を誘う?
言っておくが、俺はその手はさっぱりだぞ」
至極当然ともいえる疑問を口にしたところ、簪は何処か気まずそうだったが答えてはくれた。
「えっと……箒はいろいろあってそもそも水着を着る気が無くて、本音は明日倉持の方に箒と一緒の用事があるって。で、鈴とオルコットさんは本国から送られてきたパッケージの確認作業があって、デュノアさんはこの前の発表式典後の対応その他諸々の疲れが抜けてないから寝てるって言ってたし、ボーデヴィッヒさんは何か部下らしい人と会話していたんだけど……誘えるような雰囲気じゃなくて……」
「……その……すまない」
聞いてしまった事に若干ながら罪悪感を覚えたために謝ったところ、簪は少し困ったような顔で「気にしないで」とだけ答えてから話の続きを促してきた。
「それで……明日、大丈夫かな?
勿論、どうしても嫌だったり先約があったりするんならいいけど……」
「そこまで言う事は無いが……。
分かった、俺で良かったら付き合うよ」
ひとまず一緒に買い物に行くという事には同意しておいた。特別、拒否するような理由もない。
(ま、一人で行くのが嫌だったか、或いは普段のお礼程度か。
気にするほどの事でもない、な)
これがルクスさんとその他の師匠達だったりしたら
―――――――――
Side 簪
(エヘヘ……やった♪)
翌日に一緒に買い物に行く約束が成功した事に、内心かなり嬉しかった。
(少しでも影内君の事を知りたいし、それに……)
以前の『
(やっぱり……少しでも、いい思い出っていうのがあってほしいよね)
一度、影内君の想いを聞いている以上はおいそれと箒と鈴に言う事はできない。
だけど、せめてこの世界で影内君にとって友人だった箒や鈴とは、いい思い出を作ってほしかった。これから先どれだけ此方にいるかは分からないけれど、それでも全くないというのはあまりにも悲しいように思えた。
(本当は、鈴や箒に伝えた方がいいのかもしれないけど……)
箒や鈴が「織斑一夏」と呼ばれた人についてどう思っているかは以前に聞いたことがあるから知っていた。
けれど、影内君自身はそれを望んでいない。影内一夏として戦いの意味を自覚して、死ぬかもしれないというところまで考えて、結論を出している。それは多分、ちょっとやそっとの事で変えられるような決意じゃない。
(でも、それでも……)
出来るのであれば、何時かは本当の意味で互いに再会してほしいと思う。箒と鈴の今の友人としても、影内君にお世話になっている身としても。
今はまだ難しいというのはよく分かっている。でも、影内君がちゃんと生き残ってくれるのであれば、そして彼自身が歩んできたものをちゃんと認められるようになるのであれば、最後の最後は再会を望んでくれるのではないか。そんな、淡い希望を抱いていた。
でも、そんな希望を持っていても、私が知っているのはあくまで周囲の人から聞いた話。彼自身がどう思っていたのかまでは、まだ深くは知らない。
(それに……お姉ちゃんには悪いけど、私は影内君を信じたい。
そのためにも、信じれるだけの何か、が有るのかも調べたいし……)
お姉ちゃんが色々なことを警戒しているのは知っているし、影内君たちとの協力関係を維持しつつも同時にその背後関係を調べているのも知っている。
(だから、ごめんなさい。
これは、私の我儘。影内君たちを信じたいがための、我儘)
自分の我儘という事は十分に理解しつつも、この気持ちを変えることができなかった私は結局、明日のお出かけに対して淡い期待と希望を抱いてしまっていた。
―――――――――
Side 一夏
明くる日。土曜日という事もあってか学園から出ていく人もそれなり以上に見かけるが、そこまで混雑しているという印象は受けなかった。あるいは、ただ単にこの学園の設備の許容人数が多いのかもしれないが。
「お待たせ!」
そうして壁の花になりながら少々待っていたところ、昨日誘ってきた簪が小走りに此方にやってた。
用意してから行くというので、俺の方は朝の鍛錬を終えてから更衣室で簡易のシャワーだけ済ませてそのまま直行してきていた。そのため、今日は彼女と顔を合わせるのは起きた時以来となる。
「待ってはいない。
モノレールの時間も迫っているし、もうそろそろ行きたいところだが……」
「だ、大丈夫だよ」
少し息が上がっているために聞いたが、本人は大丈夫だと言っているし、モノレールに乗ってしまえばそれなりに休める目途もつく。
そういった事も加味し、早々にモノレールへと歩いて行った。
「で、今日は何処に行くつもりだ?」
「とりあえず、水着を買おうかなっていうのは決めてたんだけど……それ以外は、色々見て回りたいかな」
「分かった」
簡単に今日の予定について聞いておき、返事を返した。
別段、今日の予定と言えば精々鍛錬でもしようか程度にしかなかったので一日潰れるのは構わない。特に連絡の予定が入っているという事もないので、気にすることもない。
そんなことを考えてたところ、モノレールの切符を買い終え、ホームまで着く。まだ少しばかり時間が残っているため、適当に座って待つことにした。幸い、待合席も十分に空いている。
そのままモノレールが来るまでの間、適当な雑談を交わして待っていた。
「そういえば、簪」
「ん? 何?」
「その服、似合っている。
見違えた」
女性に対して服飾の話題が重要であることは
その経験自体はこの世界でも通用するらしい。簪が目に見えて笑みが深くなっていた。
(最低限の気遣いくらいはしないとな……。
まあ、お世辞を抜きにして良い意味で似合っているのは本心だが)
事実、今日の彼女はいつもの制服姿や寝間着姿とはずいぶんと異なった印象に見えた。元々、専用機や髪色の事もあり空色や薄い蒼といった印象を持ちがちではあったが、今日の出で立ちは薄い紅色のワンピースのような服の上にほんの少し赤みがかった上着を羽織っている。普段とは大きく印象が違うが、全体的に落ち着いた色調であり同時に可愛いといって差し支えないものだった。
そうしたそんなこんなはありつつ、モノレールに暫く揺られて行く。その後、予定時刻と同時に到着。問題なく降りていく。
その後暫く歩き、目的地に着いた。時節はちょうど夏に入ったころで天気は快晴、歩く分にはむしろ丁度良かった。
来た場所は駅前の大型ショッピングモール「レゾナンス」。大衆生活の必要品と大概の娯楽用品はここで揃うと言われるほどの大型ショッピングモール。今日はここで買い物するらしい。
(懐かしいな……記憶の中の姿とは大分と変わってはいるが)
少しばかり感じた懐かしさを表に出さないように、少し気を付ける事にする。機竜側に行く以前、鈴と五反田一家と数馬と一緒に繰り出したのを今でも鮮明に覚えていた。
(存外、未練なものだな)
そんな風に心の中だけで自嘲しながら、簪の少し後ろを歩いていく。機竜側での公的な場や
「とりあえず、水着を売っているお店に行こう。
本音がいいお店があるって紹介してくれたんだ」
「分かった」
こちら側に振り返った簪へと短く返事をし、そのまま付いて行く。
だが、簪は少しばかり不満だったらしく、僅かに頬を膨らませると同時に赤らめつつ、無言で手を引っ張られた。
「な、何を……」
「隣を歩いて」
「……分かった」
彼女にしては珍しい強めの口調で言われ、そのまま頷く。強く拒否する理由も無かったのでそのまま隣に並んだが、その時から目に見えて機嫌がよくなっているように感じた。
(そんなに特別な事か?)
機竜側に居た時もアイリさんに似たようなことを言われたときは何度かあったが、その度に疑問には思っていた。ルクスさんと他の師匠達だったらともかく。
そんな一幕がありつつ、目的の店に着いた。誘われるままに中に入ったが、目に飛び込んできたのは女性用の水着だけだった。男性用の売り場は全体の二割を切っているかもしれない。
(元々買う気も無かったから別に構わないが)
元より学校指定の物で済むものなので、特に何かを買おうとは思っていない。そんなふうに考えていたところ、簪が此方を振り向いて聞いてきた。
「影内君は買わないの?」
「元より学校指定の物で済ませるつもりだしな」
考えていたことをそのまま伝えた所、微妙な顔をされてしまった。
「折角来たんだし、何か買おうよ」
「とは言われてもな……」
何も考えていなかった手前、急に言われても直ぐには答えられない。
「こういう時くらいは、羽目を外してもいいんじゃない?」
結局、強い勧めに此方が折れる形になり、その足でそのまま男性用水着売り場へと向かった。
とはいっても、特にこれと言ったこだわりもない。サイズだけ確認した後はそのまま会計へと行こうとした。
が、ここである意味予想外の邪魔者が現れることになるとは思っていなかった。
ガシャン!
「ん?」
少し離れた水着売り場から、何かが倒れたような音が聞こえた。
反射的にそちらの方を見ると、言い争っている女性二人組が見える。何かのトラブルか何かだろうが、勢いあまって店のディスプレイを倒してしまったらしかった。
「ちょっと、そこのアンタ!」
が、そこで言い争っていたうちの片方が唐突に此方の方を向くと なぜか因縁を付けてきた。此方側に俺以外の人間がいない事から、必然的に俺相手の台詞だろうことがわかる。
が、付き合う義理もない。そのまま無視して立ち去ろうと考えたが――
「待てって言ってるでしょ!」
――意外なほどの脚力で片方が近づいてくると、そのまま胸倉を掴もうとしてきた。
そのまま掴まれる義理もないので軽く身を捻って避け、そのまま逃走しようとはする。だが、意外なことに、此方が身を捻った先にはディスプレイの類が数多く、逃走するにも苦労しそうだった。
(……誘導された?)
まさか、と言いたいところではあるが幾分不利な状況であるのには変わらない。しかも、掴もうとしてきた相手の、掴むために突き出してきた手とは別な方に
(厄介な……!)
ここでまさかコレ以上に派手な騒ぎを起こすわけにも行かず、ひとまずは回避に徹する。だが、考えていた以上に厄介な相手であることがわかった。
(一つ一つの動きが鋭い……しかも、身のこなしも……本職か!?)
割と本気で
「いい加減におとなしくしなさいよ!」
もう一人が掴もうと此方に近づいてきたが、此方は完全に素人であることが丸わかりの動き方だった。
(利用させてもらうか)
適当に避けてディスプレイの方へと紛れ込んでいく。
そして、何も考えずに更に掴もうとして動いたために、しっかりと脚を取られて転倒。しかも、ディスプレイも巻き込んでいたために中々派手になっている。
「ちょっと、何て事してんのよ!!」
勝手に転んだ女が何か言っているが、反面、もう一人は早々に其の場を立ち去っていた。あるいは、集中しだした周囲の目を嫌ったためかもしれない。
「いえ、すいませんね。
いかんせん、言われも無いとばっちりを受けそうだったものですから」
「フン……これだから男は使えないわね!
慰謝料くらいは」
「慰謝料?
失礼、先程も言った通りこちらは何もしていないのですが?」
セリフに先回りをして適当にあしらおうかと思ったが、予想以上に凝り固まった頭を持った相手のようだった。
「アンタ馬鹿なの!?
今時、ISを使える女性に男性が慰謝料を払うなんて当たり前でしょ!」
(……旧帝国の貴族でもあるまいに)
彼女の台詞に、旧帝国系の反乱軍と戦った時の事を思いだしていた。性別が逆転しても、正直あまり変わらない。しかも、この世界でもこの思想に苦い思い出があるだけに、余計に苛立った。
更に言うのであれば、彼女の場合は
「使った事もない奴が偉そうに。
というか、アンタの言っている『ISを使える女性』の知り合いが何人かいるが、お前のような奴を毛嫌いしているのが大半以上だが?」
「ハァ!?
そんな訳ないじゃ……」
「ありますよ」
横から聞こえてきた声は、普段から聞き慣れた簪の声だった。尤も、かなりしっかりとした口調であり、普段の気弱さは感じられないものだったが。
「アンタ誰よ!?」
「私ですか?
ISの日本代表候補生を務める者ですが」
それだけ言うと、簪は何かのバッジ――後で教えてもらったが、代表候補生に支給される証明バッジらしい――を見せた。ついでに、IS学園の生徒手帳も見せている。
それを見た瞬間、一気に相手の女性の顔色がアルカリ性の液体を垂らしたリトマス試験紙のように青くなった。
「そ……そんな立場があるのに、使えない男なんて庇うの!?」
喚くように言っているが、対する簪は静かだった。その瞳の奥には、明確な怒りの炎が見て取れる。
「少なくとも、自分の失敗を他人に全て押し付けるような人よりは出来た人だと確信しますが」
その一言を受けて思わずといった具合に怯んだが、すぐに気を取り直すと再び噛みついてきた。
「だ……だったら、少し位躾しておきなさいよ!
優れた女性に対してこんな態度をとるような……」
「へぇ……貴方の言う『優れた女性』というのは、他人に自分の行動の責任を全て押し付けるような人の事を言うのですか。
今まで会った代表候補生達は全員、そのような行動は取っていなかったので知りませんでした。大変勉強になりましたので、今後の参考にでもさせていただきますね」
あえて周囲にも聞こえるように言っておき、さらに周囲の視線を集める。
「お兄。私、ああいう人が同性であるのが恥ずかしいんだけど」
「ああ、全くだな。
小学生だってもう少し礼儀が出来てるぜ」
「だよねだよね!」
さらに、別な場所からもう一つの声が聞こえ始めた。しかも、それに同調するように其処彼処から似たような内容の声が聞こえ始める。
(今の声……まさか……)
聞き覚えがある声が、少しだけ気になった。
一方、因縁を付けてきた女性は顔を真っ赤にするとそのまま逃走しだした。其の場で崩れたディスプレイを放置して、である。
しかし、警備員が出てくると先程遠くから声を張り上げて周囲の雰囲気を決定的なものにした赤毛の二人組から事情を聞き、すぐに追いかけて行ったようだった。俺と簪の方にも来たが、其方は粗方の事情を把握していたためか比較的手短に済んでいた。
「あの……有り難うございました」
「いえ。ああいった人は私も嫌いでしたから。
でしょ、お兄?」
「ああ、そうだな。俺も嫌いだ」
そうして騒ぎが収まりかけたころ、赤毛の二人組へと簪が挨拶していた。
(そうか……お前たちか)
懐かしさに突き動かされるように、俺も少し歩み出るとそのまま挨拶することにした。尤も、あくまで今の名前でだが。
「いえ、本当に助かりましたよ。
厚くお礼申し上げます」
「いえ、本当に大丈……一夏さん!?」
「お前……一夏、なのか!?」
反射的に少し歯を食いしばって、衝動を堪えた。
(お前たちも……覚えててくれたんだな。弾、蘭)
胸中で溢れそうになった嬉しさと名乗らない申し訳なさを覆い隠すように、薄く笑みを浮かべながら続きを話していく。
更に、口調も意識して丁寧なものにした。初対面を装うのであれば、此方の方が都合がいいと思ったから。
「その反応は、二度目ですね」
「え……?」
「確かに一夏ではありますが、多分、ご想像の人物とは違いますよ。
自分は影内一夏と申します」
兄妹揃って一瞬呆けたような顔になると、すぐに少し慌てながら謝ってきた。
「す、すいませんでした!」
「に、似ていたので……」
「大丈夫です、気にしていませんよ」
実際問題、謝らなければならないのは本来は此方の方である。今の事にしても、嘗ての事にしても。
(すまない、二人とも……)
嘗ての親友であり恩人でもある二人への罪悪感も覚えたが、それを晒すわけにはいかない。
其の後は互いに軽い挨拶を交わして別れた。
(意外と言えば意外な収穫があった、か……)
嘗ての親友の元気な姿が見れた、それだけでもよかったと。
素直に、そう思えた。
―――――――――
Side セルラ
「ちょっとアンタ!
どうしてくれるのよ!」
這う這うの体で逃げてきた、先程まで喧嘩のフリをしていた相手役が噛みついてきましたが、至極どうでもいいです。
(新王国の
これは中々、難物そうですね。まあ、それでも別に構いません……いえ、違いますね。
今日、別な仕事の下見のために散策していたところ、偶然にも組織の
(まあ、
そうして私が報告内容とともに、今後の楽しみについても思案していたところに、無粋にも水を差す声が聞こえてきます。
「ちょっと!
聞いてんの!? 大損した分、どうしてくれんのよ!?」
「ああ……そうですねぇ……」
人が来にくく、さらに声が届きにくい裏路地の奥側に来たためか、未だに相手役を務めてもらった女性が喚き散らしています。
とは言っても、
ですが、このままこの事を誰かに話されたりしたら面倒です。
「いい方法がありますよ」
「フン……今度は大丈夫なんでしょうね?」
相も変わらず無意味に威張り散らしていますが、まあいいでしょう。どうせ、
「――来たれ、根源に至る幻想の竜。幾重にも瞬いて姿を為せ、〈エクス・ドレイク〉」
「……えっ?」
私の機竜を両手のみ召喚し、すぐさま
「《
成人男性を超えるほどの長さのわりに、最大の直径が女性の小指ほどもない特殊武装《竜髭棘槍》。行ってしまえば。極大の針ともいえるものでしょう。尤も、実際にはこれだけが《竜髭棘槍》の全てでもないのですが。
(やはり、痛みは鋭く、深く……そう、鋭利でないといけませんよね)
私の理想ともいえるこの装備を使うには少々どころではなく力不足な相手ですが、まあ、せめてもの労いという物です。
ドッ
軽く腕を突き出し、心臓の上を正確に貫きます。ついでに、空いていた口の中に《
「死ねば、お金も必要なくなるでしょう?」
「!……!!」
ドサッ
何か言おうとしたみたいですけど、何も言えずに事切れたみたいですね。
(興味も何もないので別にどうでもいいですけど)
《エクス・ドレイク》の機能の一部を起動し、迷彩を使用。隠れつつ《機竜爪牙》を回収、それからしばしの間《竜髭棘槍》を刺したままにしておいてある程度血流が落ち着くまで待ちます。派手な出血では見つかりやすくなってしまいますから。
「飛行ユニット、起動」
そのまま適度に落ち着いてきたころに、機竜由来ではない方の機能を起動。迷彩を用いたまま、飛び立ちます。ちょうど、先程の店の警備員もこの場所を嗅ぎつけてきたみたいですし、頃合いでしょう。
(さて、戻って報告と行きますか)
事務的な事を考えつつも、耐え難い渇きにも似た感情に胸中は占められていた。
(……多少は良かったけど、やっぱり全然足らない。
やっぱり、もっともっと、殺し甲斐のある相手じゃないと……)
殺した時特有の、あの、黒く、昏い悦びが薄い。
最初のころは別に今のような相手でもそれなりの悦びを味わえたけど、今はそれなりの相手じゃないと満足できない。
(嗚呼……早く、殺したい……)
だからこそ、あの新王国の機竜使いを手にかける瞬間が待ち遠しくて仕方が無かった。
―――――――――
Side ラウラ
「……それは、本当か?」
『はい、隊長……。
信じがたい事ですが、確かな記録です』
副官であるクラリッサから軍用の秘匿回線を介して告げられた内容に、思わず眉根を顰めそうになった。
「しかし、よりによってその線で繋がってしまうか……」
『私も同意です。
しかし、どうしようもありません』
「私も軍人だ、分かっている……。
しかし、監視するにしても師匠相手となると一筋縄ではいかないだろうがな」
伝えられた内容とそれに伴う任務に付きまとうだろう苦労と苦悩を思い、苦々しい思いで胸中が支配された。
『はい。ですが、私達も情報が不足しているのが現状です。だからこそ、少しでも得られる可能性のある場所から得なければいけません。
――旧『VTシステム』研究所職員の中で、今現在では唯一その足跡が掴めていない人物。「ウェイル・アーカディア」について』
副官でもあるクラリッサからの進言に、ため息が漏れそうになったのを何とかこらえた。部下の手前、そのような姿を見せたくはない。
「師匠の後援者と思われる人達の中には、同じ姓の人間がいたからな。
もしかしたら関わり合いが、という事か」
『そうなりますね。
それと、隊長。もう一つなのですが……』
「なんだ?」
今以上の悪い報告は聞きたくなかったが、聞かないわけにも行かない。どのような報告で有れ、それを知らない事には隊長職など務まるはずもないのだから。
『ウェイルなる人物についてなのですが……二つ、お伝えしておかなければならない事があるかと』
「二つ?」
『はい。
一つ目は、当該人物の経緯を洗った結果、我が軍の所持している資料にある経緯はほぼ虚偽であることが確定しました。名前のほうは確実であろうことが推測されますが……』
頭の痛い報告に、胃薬が欲しくなる気分になった。が、当然そんな泣き言を言っている暇はないので続きを促す。何より、それに対してどうするかを考える事こそが私の職務の一つなのだから。
「もう一つは?」
『それが……私達「
つまり……』
「……私達の足元も、盤石ではないという事か」
最悪の先手を打たれている可能性を示す報告に、先程までのような苦悩とはまた違った意味で緊張が走った。
「話は分かった。
此方は此方でしかるべき対応をしておく。お前たちは引き続き、留守を頼む」
『ハッ!』
威勢のいい返事を最後の会話として、私達は通信を終えた。
(《越界の瞳》を移植した張本人の一人。
つまり、それは……私達の体に、ナノマシンを注入した張本人の一人という事であり、その際にナノマシンを通して何か細工をした可能性も否定できないということ……)
体内への気付かない内の細工という最悪の先手。それを打たれた可能性を否定できない現状に、背中に氷のナイフでも突きつけられているような錯覚を覚えてしまった。
―――――――――
Side 楯無
「虚ちゃん、その情報は確かなのね?」
「はい。
混乱を避けるため、今は公表されていませんが……国際IS委員会を中心としたドイツへの合同調査の結果、不自然に足取りの掴めていない元『VTシステム』研究所職員が一人特定されました。
ですが、其の人の名前が……」
「『ウェイル・アーカディア』、ね……」
捜査線上に出てきた名前に、頭を抱えた。
それは、今現在、私達が協力関係を結んでいる人達と同じ苗字だったから。しかも、その苗字の人は兄妹で参加している。ここから推測を多分に交えるのであれば、兄妹以外の親族が参加している可能性も考えられた。
「今迄の事が全部、自作自演、何てことは無いと思いたいけれど……」
冗談めかして呟いては見たけど、わりと笑えない。何より、影内君が実は末端で上の方でそういう方向でやっている、なんて事も無いとは言い切れないからだ。
「影内さんに、この事は……」
「……知らせない方向で行きましょう。
今はまだ、ね」
まだ、の部分に僅かながらの希望を乗せつつ、その後の対応を思案していく。
「では、今後も影内さん達の身辺調査は」
「続けるしかないでしょう。
とにかく、今は早く彼らの情報を集めないといけない。下手すると、白騎士事件じゃきかなくなるかも知れないんだから」
先手を打てていない事に歯がゆさを覚えつつ、同時に強く感じる焦燥感に責め立てられるような感覚を抑えるのに必死になっている私がいた。
(一体……何が起こってるっていうの!?)
言い忘れていましたが、作者のメンタル強度は水に濡れた高野豆腐並みです。
温かく見守って下さると幸いです……。