プロローグ(1):絶望の中で
Side 一夏
「私の弟だからな。これくらい当然だろう」
頭の中にこびりつく、一言。
あの日、いろんなものがどうでもよくなり始めたのは多分この一言からだったと思う。
いや、実際にはその前から似たようなことを何度も言われていた。
この一言が決定打になっただけだった。
「クソッ!! どうして織斑千冬が出場してるのよ!」
「家族想いって話じゃなかったの!?」
だからか。この展開も特に驚くことはなかった。
何の事も無い。『本命』のために『付属品』を捨てることもないと、ただそれだけ。
控え目な叫び声でテレビを見ながら誘拐犯たちが混乱しているのを、大した感慨もなくどこか場違いな気持ちを持ってその光景を眺めていた。
「……要求には応じないってこと? ろくに何の交渉も無しに?」
主犯格と思しきISを纏った女性が首をひねりながらつぶやくけど、心底どうでもいい。
「ま、だったらコイツを生かしておく理由もないわね」
主犯格だろう女性が動けない俺の首に向けてナイフを突きつけてくる。
「まあ、姉か政府かは知らないけど。恨むんだったらそっちを恨みなさいね。
私たちとしても、店子は店主の言うことを断れないわけだし」
銃を使わないのは音によって居場所がばれるのを防ぐためだろうか。あるいは、そもそも銃弾を使うような相手でもないと思われているのか。
「サヨナラ」
口を塞ぎながら、ナイフを首に当ててくる。
(ああ、ここで俺死ぬのか……)
首にあたるナイフの冷たい感触に、死を予感する。
「……嫌に静かね。アナタ」
主犯格と思われる女が不気味がるような、だがどこか警戒するような声で話しかけてくる。幸いなことに日本語なので何を言っているのかはわかるが、生憎とただの一中学生にそんな大それた仕掛けはできない。
「……まあ、いいわ。
アナタを殺して、私たちは早いとこここを離れればいいだけだしね」
頭の中に浮かぶのは、それまで出会ってきた友人や大切な人たち。
(箒、鈴、弾、蘭、数馬、厳さん、蓮さん……)
走馬燈を見た気がした。
自分がこんなにもはっきりと経験することになるとは、思わなかった。
―――――――――――――――――――――
最初は親に捨てられた、らしい。
らしい、というのは単に俺が親のことを覚えていないから。それくらい俺が小さい時の話だった。
その次は姉が色々と頑張り始めた。
端的に言って、姉は優秀だった。優秀すぎるほど、優秀だった。
周りからはよく「お姉さんを見習って頑張りなさい」みたいなことを言われた。
最初はそうした。
姉は自分にとっても唯一の家族であり、尊敬もしていたから。
だけど、どれだけ努力しても、どれだけ結果を出しても、最後の言葉はいつも同じだった。
「さすが織斑千冬の弟だ」
言葉の節々は違うけど、意訳してしまえば大体そんな内容だった。
最初はよかった。姉のことは尊敬していたから。
だが、徐々に徐々に、その期待に応えられなくなるたびに、その言葉は形を変えていった。
「お姉さんを見習って、もっと頑張りなさい」
「あの姉の弟だ。きっとできるだろう」
こんな言葉が増えていった。
だが、この頃はまだよかった。
決定的になったのは、アレが出てきてからだった。
IS、正式名称『インフィニット・ストラトス』。
一応、最初は宇宙開発を目指して作られたらしいパワード・スーツ。
今現在では、飛行能力、絶対防御などの能力を有した極めて強力な兵器。
既存の兵器の中で見れば特出して強力だが、『女性しか使えない』というまっとうな技術者か科学者なら『欠陥』としか言いようのない原因不明の難点を抱えた奇妙な機械。
『女尊男卑』という風潮を生み出した元凶と言ってもいいだろう。
そんな風潮の中、『優秀すぎる』姉を持てばどうなるか。
「織斑千冬の弟だ。できて当然だろう」
「このくらい、まさかできないはず無いだろう」
「なんでできないんだ? 手を抜いてるのか?」
勝手に期待され、期待に応えれば、それが当然と言わんばかりの言葉。応えられなければ、勝手に失望される。下手すると、「女に生まれれば良かったのに」なんて事さえ言われた。
そんな事の繰り返し。
次第に周囲の期待が、鬱陶しくなっていった。
だけど、それでもまだ頑張れた。
たった一人から、たった一言さえ言ってもらえれば。そんな淡い期待だけが、俺を支えていた。
だが間も無く、それさえも無くなることになる。
あれは……確か、剣道の大会で優勝した時だった。
ささやかな期待を持って、珍しく自分から電話をかけて、姉に優勝を報告した。
だけど返ってきた言葉は
「私の弟だからな。これくらい当然だろう」
この瞬間だったと思う。色んな事がどうでもよくなり始めたのは。
どんなに頑張ったところで、どれほど結果を出したところで、結局は姉の名誉になるだけ。その癖、出せなかったら自分のせいになる。
さらに言えば、これらを素で言っているぶん余計に嫌になった。悪意ではなく、姉に対する尊敬とそれに伴う期待で言っている。
そして何より、唯一の家族であった姉ですら、それを肯定していた。
もう、努力する意義も理由も目的も見失っていた。
それからはずいぶんと生活が変わっていった。
まず剣道をきっぱりと辞めた。もう、同じことをしている限り、どう頑張ったところで姉の付属品扱いは変えられないだろうと考えたから。
それからは当時の数少ない友人の家でバイトさせてもらっていた。
元より決して楽では無かった家計だったし、特にこれと言っておかしなことでもない。
もっとも。最大の目的は独立する準備を早々に始めることだったわけだけど。
そんな生活になってから少しして姉が「何で剣道やめたんだ」という旨のことを聞いてきたけど、適当なことを言ってごまかしておいた。
その理由を理解してくれたのと言えば、箒や鈴、弾、蘭、数馬達と言った、友達だと心の底から言える間柄だった数名の人と、ごくわずかな大人たちだけだった。箒だけは色々あってろくに会うことができなかったから電話だけだったけど。
だから、この大会も半ば形式的に来ていた。
ひたすら一撃で相手を屠るだけの試合を、一体どうやって応援しろというのか。
姉のことは尊敬しているし、養ってくれたことには感謝している。
でも、それだけだ。
―――――――――――――――――――――
走馬燈の中にいた意識は、首に突きつけられていたナイフの冷たい感触が無くなったことで現実に戻された。
いったいどうしたのかと思ったら、何やら通路の奥から騒ぎ声が聞こえてくる。
「ば、バケモ……!!」
「く、来るなぁ……来るなぁぁぁあ!!」
悲鳴とも絶叫ともとれる叫び声が聞こえた次の瞬間だった。
ISを纏った女性が命からがらと言った様子で通路から出てきた。しかも、その身には決して浅くはない傷を負っている。
ナイフを突きつけてきていた女も、さすがに異常事態だと気づいたらしい。すぐにISを展開し、怪我した女性に近づこうとして――
「ギィェェアァッ!!」
――異形の、バケモノの姿を見た。