【完結】アストルフォルート   作:冬月之雪猫

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Act.8 《All's well that ends well》

 それは嫌な(モノ)だった。

 街を覆い尽くす業火。それは少年(シロウ)にとっての始まりの景色。

 歩く度、人々の苦悶の声が聞こえる。苦痛に歪める顔が見える。

 

『助けて』

『手を貸して』

『苦しいよ』

『生きたい』

 

 士郎は彼等の声を尻目に歩き続けた。幼子の力では彼等を救ける事など出来ない。だから、それは仕方のない事だ。

 やがて、彼も力尽きる。倒れ込み、曇天を見上げる。頬に水滴があたった。徐々に大きくなっていく。

 大火災によって発生した上昇気流が大気を掻き乱し、局所的な雨雲を造り出したのだろう。

 次第に炎が鎮まっていく。それでも、少年は動かない。動けない。既に死が間近まで迫って来ていた。

 

「――――生きている?」

 

 誰かの声が耳に届く。

 薄汚れた男が士郎を見下ろした。

 

「生きている……。ああ、生きている……」

 

 男は士郎を救った。その時の彼の表情ときたら、まるで救われたのは己の方だと言わんばかりの嬉しそうな笑顔だった。

 そして、少年は男の下で暮らし始める。

 

 地獄から救い出された少年は平穏な日常を取り戻した。

 辛い目にあったのだ。その分、幸せになるべきだ。

 士郎は健やかに成長していく。普通の子供とは少し違う所もあるが、普通の子供と同じように育っていく。

 いつしか、義父が家から姿を消した。どこか遠い国に出掛けているようだ。時折帰って来て、士郎にお土産を渡す。

 それはとても寂しい光景だった。この広い武家屋敷に士郎は一人だけ。時折、隣家に住む少女が様子を見に来るが、少年は孤独だった。

 漸く、家に留まるようになったかと思えば、義父は病床についた。起き上がる事さえ億劫に感じ、申し訳無さそうな表情を浮かべる。

 そして時を置かず、彼は帰らぬ人になった。士郎に己の理想(ユメ)を託し、どこか満足そうに頷きながら……。

 

 また、孤独になった。隣家の少女も大人になり、教職についた事で顔を出す頻度が下がり、一人ぼっちの時間が続いた。

 高校生になると、その孤独が少しだけ晴れる。一人の少女が士郎の家に通うようになった。

 間桐桜。初めは彼女の兄が士郎に負わせた怪我の償いの為だった。一人暮らしの士郎に代わり、家事をこなすためにやって来た。

 ところが、桜には何も出来なかった。料理も洗濯も掃除すら上手く出来ない。見兼ねた士郎が怪我をおして彼女に家事を教える事にした。

 築かれた師弟関係は二人の間に絆の種を植えつけた。徐々に成長していく絆と桜の家事の腕前。

 出会った時は死人のように表情が抜け落ちていた少女が笑顔を浮かべるようになり、たくさんの表情を作るようになった。士郎の怪我が癒えても彼女は士郎の下に通い、彼に教えられた料理を作る。

 それはとても幸せな光景だ。このまま、この光景が永遠につづいて欲しい。そう願わずにはいられない程、この光景は完成されている。

 

 運命とは残酷なものだ。甘酸っぱい青春を送り、平凡な人生を歩ませてあげればいいのに、運命は士郎を血に染めずにはいられないようだ。

 聖杯戦争が始まる。夜の学校で激突するサーヴァント。士郎はその内の一人に胸を刺し貫かれた。

 

――――こんなの知らない。

 

 士郎は誰かに命を救われ、朦朧とした意識の中で家に帰ってくる。そこに死神が追い掛けて来て、彼は土蔵に追い立てられる。

 召喚されたのはライダーではなく、蒼き衣と白銀の鎧を纏うセイバーのサーヴァント。

 平穏は崩れ、地獄が始まった。襲い来る敵を討ち倒し、血を流し、己の理想の限界を突きつけられる。

 

――――ああ、こんなのは嫌だ。

 

 平穏の象徴だった少女が変わり果てた姿で彼の前に立つ。

 世界を救うか、一人の家族を救うか。

 そんな、普通の人間ならしなくていい選択を迫られる。

 

 少年の慟哭に胸を締め付けられた。血に染まる家族。手を下したのは士郎自身。

 血の涙を流し、彼は修羅の道を歩き始める。

 体を剣に、心を鉄に……、奈落へ沈んでいく。

 

 地獄を見た――――。

 中東で起こった紛争。そこで傷つけられた人々。

 疫病で苦しむ幼子。その子を生かしておけば、多くの人命が失われる。

 魔術師が大勢の人間を使い実験を行った。死にたくないと涙を流す死徒をその手に掛けていく。

 

 これは(シロウ)が未だ至らぬ未来。

 これは(エミヤ)が経験した過去。

 

 より多くの人々を救うために何もかもを捨てて突き進んだ彼は数百人を救うために己の死後さえ得体の知れぬナニカに明け渡した。

 人を救って、救って、救って……救って、救い続けた彼に待ち受けていたものは死刑台。

 絞首刑台に立たされて尚、彼に後悔はない。彼は希望を持っている。死後も人々を救い続ける事が出来ると……。

 そして、裏切られる。

 

 地獄を見た――――。

 それは取り返しの付かない破滅的状況。

 人という種そのものが世界にとっての邪魔者となった時点で彼は召喚される。

 そして、殺し続ける。

 人々を救う筈だった彼に課せられた使命は人々を殺し尽くす事。

 慟哭を聞き届ける者はなく、永劫苦しみ続けるしかない。

 

―――――ああ、これは嫌なモノだ。

 

 報われず、苦しみだけが募り続ける永遠。

 そんなもの……、嫌だ。

 

 ◇

 

 悪夢を見た。

 

『今夜見る悪夢の内容は全て事実だ。そこから先は悩み続けろ。少しはマシになる筈だ』

 

 士郎は溜息をこぼした。

 

「ひゃん」

「……ったく、アイツ。こういう事かよ……」

 

 今見たもの。あれはアーチャーの過去だ。そして、いつか己が至る未来だ。

 

「あっ……、そこでそう動かれると……」

 

 アーチャーは後悔した。理想を追い求め、走り続けた果てに何の報いを得る事も出来ず。与えられたものは呪いに塗れた永遠。

 認めたくない。この理想が如何に歪か、そんな事は十年前から解っている。それでも突き進むと誓った。その果てに何が待ち受けていても後悔だけはしないと……。

 アーチャーは士郎だ。彼は未来だ。彼も昔は士郎と同じ思いを抱いていた筈だ。

 

「シロウ……、大丈夫?」

 

 体が震える。なのに、どうしてだろう……。

 柔らかくて、あたたかいものに包まれている。

 この絶望的な気分と裏腹に体はとてもあたたかい。

 

「……ん?」

 

 そこで違和感に気がついた。鼻孔を嗅いだ覚えのある甘い香りが擽る。それに、このぬくもりは決して布団に包まれているが故のものではない。

 瞼を開く。すると、目の前に白い布があった。

 

「なんだ、これ?」

「あひっ……、ちょっと、シロウ! そう動かれると困っちゃうよー」

「え?」

 

 さっきから聞き慣れた声が聞こえる。幻聴かと思っていたが……。

 

「……アストルフォ?」

「なーに?」

「なにをしてんだよ!?」

 

 漸く、士郎は今の状況を理解した。

 今、彼はアストルフォに抱きしめられている。目の前にある白い布地はアストルフォに貸した寝間着だ。

 士郎は思いっきりアストルフォのお腹に顔を押し付けていたらしい。

 

「エヘヘー、来ちゃった!」

「お、おお、おま、おま、来ちゃったじゃないだろ!?」

 

 絶望的な気分が一気に吹き飛んだ。その衝撃たるや、未来に待ち受ける絶望などどうでも良くなる程の破壊力だった。

 

「えー! シロウはボクの事嫌いなのー?」

「そんなわけないだろ!!」

 

 つい反射的に答えてしまった士郎。顔がみるみる内に赤くなっていく。

 

「あはは! 嬉しいな―!」

「だ、抱き締めるな! 当たる! 当たっちゃうから!」

 

 大慌ての士郎にアストルフォは一切容赦が無かった。

 散々暴れて、サーヴァントに力で勝つ事は出来ないのだと悟った士郎。しばらくすると大人しくなった。

 

「……シロウ」

「なんだ?」

 

 高鳴る心臓を必死に押さえる士郎。そんな彼にアストルフォは言った。

 

「怖い夢を見たの?」

 

 その声に顔が引き攣った。

 

「そっか……」

 

 ああ、そうか……。

 士郎はアストルフォの奇行の理由を悟った。彼女は士郎を慰める為に来てくれたのだ。

 桜の話によると、マスターとサーヴァントの間にはラインという繋がりが生まれるらしい。そこから感情が伝わったのかもしれない。

 

「ありがとう、アストルフォ。でも、俺は大丈夫だからさ」

 

 そう言って、アストルフォの拘束を解こうとするが、彼女は彼を解放しなかった。

 

「ダメだよ、シロウ」

「な、なんでさ……」

「だって、ボクも怖い夢を見たんだもん」

 

 その声はとても哀しい響きを含んでいた。

 

「アストルフォ……?」

「とても嫌な夢を見たんだ。ねえ、言ったよね? ボクはこの世界の大抵の物が大好きだって……」

「……ああ、嫌なこと以外全部って言ってたな」

「嫌なことは嫌いなんだよ、ボク」

 

 アストルフォは士郎の背中を優しく叩いた。

 

「だから、今はこのままでいさせてよ」

「……ああ」

 

 そのあまりにも深い優しさに士郎は抵抗する事が出来なかった。

 気付けば、瞼が重くなってきた。まだ、夜が明ける前なのだ。

 

「おやすみ、シロウ。今度は楽しい夢を見ようね」

「……ああ」

 

 今度の夢は楽しい夢だった。

 光差す森の中でヒポグリフと戯れる彼女の姿は永遠に見ていて飽きない光景だった。


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