【完結】アストルフォルート   作:冬月之雪猫

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Act.afterⅡ-① 《桜とアーチャーの結婚前夜》

 畳の床を足でなぞる。懐かしさも、大分薄らいで来た。

 

「……もう、二度と帰る事はないと思っていたのだがな」

 

 アーチャーと呼ばれた男はしみじみと呟いた。

 

 Act.afterⅡ-① 《桜とアーチャーの結婚前夜》

 

 この世界の衛宮士郎は相棒であり、恋人であるライダーのサーヴァント・アストルフォと共に世界を巡っている。

 その間、この屋敷はアーチャーが管理する事となった。

 主が不在の中で主のように振る舞うなど、あまり気が乗らなかった。

 けれど、一年が過ぎ、二年が過ぎ、いつしか違和感を覚えなくなって来た。

 歳よりも幼く見られる事を気にして逆立てていた髪を降ろし、義父が着ていた着物に袖を通し、嘗てのような日々を送っている。

 

「おい」

 

 縁側で物思いに耽っていると、無遠慮な声を掛けられた。

 振り返らなくても分かる。

 

「慎二、チャイムくらい鳴らしたらどうだ?」

「うるさいな。一々細かいんだよ、お前は」

 

 アーチャーはやれやれと肩を竦めた。

 

「ったく、ほんと似てるよな」

「ん?」

 

 振り返ると、慎二は一枚の写真を持っていた。

 

「それは?」

「衛宮からのエアメールだよ。今夜には到着するってよ。ほら、見てみろよ」

 

 慎二が写真をひっくり返すと、アーチャーは「ああ」と納得した声を発した。

 それは衛宮士郎とアストルフォ、そして、何故かギルガメッシュがシンガポールらしき場所で撮影したらしいものだった。

 その写真の衛宮士郎はアーチャーとそっくりだった。

 

「衛宮が日焼けでもしたら、もう僕にはお前らの見分けが付きそうにないね」

「そうか? 髪の色とか、瞳の色とか……」

「そういう事を言ってるんじゃないんだよ。まったく、これだからエミヤは……」

 

 やれやれとバカにしたような態度を取る慎二。

 彼は衛宮士郎を衛宮と呼び、アーチャーをエミヤと呼ぶ。

 音にしてみれば同じ響きだ。けれど、誰に紛らわしいと言われても彼は呼び方を変えなかった。

 

「それより、明日だぞ。お前、準備は出来てるのか?」

「うっ……」

「うっ……って、お前! まさか、まだなのか!? おい、巫山戯るなよ!」

 

 慎二は語気を荒げた。

 

「お前が普段どんなにみすぼらしい生活を送っていても構わないけどな! 明日だけは完璧じゃないとダメだ! 分かってんのかよ!? お前の為に言ってんじゃないんだぞ!!」

「……ああ、分かっている。分かっているんだ……」

 

 分かっている。

 そう言いながら、アーチャーは表情に暗い影を落とした。

 

「おい……」

 

 慎二は表情を歪めた。

 

「なんだよ、その顔は!! 明日はお前と桜の結婚式なんだぞ!! ドレスだって、指輪だって、もう殆ど準備は終わってる! あとは……、あとは! もう、桜が幸せになるだけなんだぞ! それなのに、なんだよ、その顔は!」

「……すまない」

「すまない!? なんだよ、すまないって!!」

 

 慎二はアーチャーの着物の襟を掴んだ。

 人と英霊では力の差があり過ぎる。どんなに怒っていても、どんなに力を込めても、アーチャーは微動だにしない。

 それでも、慎二は腕に力を込めて叫ぶ。

 

「お前、まさか、結婚を止めるとか言わないよな!?」

 

 それは悲鳴にも近かった。

 彼にとって、明日は待ち望んでいた日だった。

 傷つけてしまった妹が幸せを掴む日だ。それなのに、妹を幸せにする筈の男がしかめっ面を浮かべている。

 その事に絶望と恐怖が沸き起こる。

 

「……違う。違うんだ、慎二」

「なにが違うんだよ!? なんなんだよ、その顔は! お前だって……、お前だって、幸せになるんだぞ! そうじゃなきゃ……、そうじゃなくちゃ……、桜は……」

 

 慎二の眼から涙がこぼれ落ちた。

 その雫を見て、アーチャーは呟くように言った。

 

「夢を見るんだ」

「……夢?」

 

 戸惑い、手を離す慎二。

 そんな彼にアーチャーは言う。

 

「桜の夢だ。最近、前にも増して、彼女の記憶が鮮明に映るようになった」

「桜の……、それって……」

 

 桜とアーチャーは恋人だ。けれど、その前にマスターとサーヴァントだ。

 マスターはサーヴァントの記憶を夢で見る。

 そして、サーヴァントもマスターの記憶を夢で見る。

 互いの心の壁が崩れれば崩れる程、夢は隠された記憶を映し出す。

 

「……彼女の幼い頃の記憶を見た」

 

 遠坂家で暮らしていた日々の光景を見た。

 姉である遠坂凛とトランプで遊んでいる桜を見た。

 二人はポーカーをしていて、彼女は9のワンペアが出来た事を喜んでいた。

 その無邪気な笑顔が、次の瞬間、悲しみに彩られた。

 彼女が間桐の養子になった日へ移り変わったのだ。

 帰りたいと願う桜を冷たい目が見下ろしていた。

 

「……知ったつもりになっていた」

 

 彼女は間桐の屋敷に連れて来られた日に蟲蔵に入れられた。

 気味の悪い蟲に集られて、泣き叫んでいた。助けを呼んでいた。許しを求めていた。

 助けに行きたかった。だけど、それは夢だ。過去の記憶だ。もう、終わってしまった出来事だ。

 

 彼女は食事に毒を盛られていた。

 苦痛を訴えれば、更なる苦痛を与えられた。

 体を弄られ、助けが来ない事に絶望し、生きる事を苦痛だと感じるようになっていく。

 

 彼女のその時々の感情がダイレクトに伝わってきた。

 

「助けを求めていた……」

 

 アーチャーは顔を歪めながら呟いている。

 

「それなのに……、それなのに……、オレは……」

 

 アーチャーは英霊だ。死後の存在であり、そして、彼にも生きていた時代があった。

 その時の彼は桜を殺した。救えぬ者として、世に仇為す悪として、自分の正義を貫く為に彼女を殺した。

 

「……オレは」

 

 あの世界の桜と同じだけの時間をこの世界の桜と過ごした。

 

 ―――― 私はあなたに何度も救われました! あなたがいたから、私はここにいるんです!

 ―――― 一度もあなたに苦しめられた事なんてない!!

 ―――― あなたがいるから、私は笑顔になれるんです。

 ―――― どんなに苦しくても、辛くても、あなたに会えるだけで私は幸せになれるんです。

 ―――― あなたが斬った時、私は嬉しかった筈です。だって、他の誰でもない、あなたが私を終わらせてくれたから!

 

 彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。一字一句鮮明に覚えている。

 それは、彼が彼女に救われた言葉だからだ。

 

「救ったのは、オレじゃない……。オレが救われたんだ……」

 

 アーチャーを召喚した時、桜は既にアストルフォの宝具で臓硯から解放されていた。

 その後も彼女は自分の意思で歩いていた。

 

 ―――― 姉さんを助けに行きます。力を貸してください!

 

 彼女の力には成れたかもしれない。

 けれど、彼女を救ったわけではない。

 

「……だから、自分に資格があるのか悩んでるのか?」

 

 慎二は彼の心を正確に見抜いていた。

 頷く事もなく、無言となるアーチャー。

 そんな彼に慎二は何度も口を開きかける。

 けれど、出てきたのは嗚咽ばかりだ。

 

「じゃあ……」

 

 ようやく口に出せた言葉は一言だった。

 

「僕はどうしたらいいんだよ……」

 

 彼は涙を流しながら問いかける。

 

「救えなかった……? お前が? 僕なんて……、アイツを傷つけて……、それだけなんだぞ。お前は……、おま、え……、あいつを笑顔に出来るのに……お前は!!」

 

 慎二はアーチャーを殴った。

 何度も何度も殴った。

 アーチャーに痛みなどなく、殴った方の慎二の手が赤くなっていく。

 それでも殴るのをやめない。

 

「……慎二」

「アイツを……、桜を笑顔に出来るのはお前だけなんだよ!!」

 

 慎二はアーチャーに背中を向けると走り去っていった。

 咄嗟に伸ばした手は空を切り、アーチャーはその手をゆっくりと握り締めた。

 

「オレは……」

 

 桜を幸せにしたい。

 けれど、今の自分にそれが出来るとは思えなかった……。


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