夢を見ていた。遠い昔の夢だ。まだ、私に妹がいた頃の記憶。
公園でお母様に見守られながら走り回った。時には取っ組み合いをした。宝石のような日々だった。
ある日、妹は赤の他人になった。お父様の決定だ。魔術師の家に後継者は二人も要らない。先に生まれたからという理由で私は残され、妹は捨てられた。
私はただ見ているだけだった……。
「……ここ、どこ?」
遠坂凛は見知らぬ場所で目を覚ました。
頭がボーっとする。体がダルい。
「えーっと……」
なんとか前後の記憶を取り戻そうと眉間に皺を寄せる。
寝起きは頭が働かない。もどかしく感じながら、唸り声を上げる。
「……あっ、そうだ! セイバー!」
五分掛けて漸く頭が冴えてきた。記憶はセイバーと共に円蔵山へ向かった所で途切れている。
山門で固まる三騎のサーヴァントに宝具を使った事までは覚えている。その後から現在に至るまでの記憶がない。
「……なるほど、負けたわけね」
瞼を閉じる。魔術回路を起動し、全身の状態を確認する。回路、刻印、共に問題なし。
「逆に怖いわね……」
周りを見回す。和風の部屋だ。
「柳洞寺……?」
ゆっくりと立ち上がる。すると立ち眩みを覚えた。足に上手く力が入らない。
「肉体に異常は無い筈……。どのくらい寝ていたのかしら……」
気合を入れなおして部屋を出る。すると、ここが柳洞寺ではない事が分かった。
明らかに住宅街の一画だ。
「ここは……」
何度か来たことがある。こっそりと中の様子を伺う為に……。
「桜が通っている……」
一つ下の後輩が足繁く通う男の家だ。
「どうして……」
分からない。どうして自分がここにいるのか、見当もつかない。
「……起きたか」
突然、目の前に赤い外套を纏う男が現れた。
「サーヴァント!?」
咄嗟に身構える。そして、漸く自分の身に起きた異変に気がついた。
目を見開き、腕にある筈の刻印を探した。
「セイバー……?」
「彼女は死んだ」
アッサリと男は言った。
セイバー。十年待った彼女の聖杯戦争のパートナー。
彼女が抱いていた理想を体現したような少女だった。最優のサーヴァントと呼ばれるに相応しい最高のサーヴァント。
「死んだ……? セイバーが……」
「私も詳しい事は知らない。故に推測が混じる事を許してくれ。君達は山門を宝具で消し飛ばした後にキャスターを討つべく柳洞寺に乗り込んだ。そこでキャスターと彼女のマスターである葛木宗一郎に反撃を受け、敗北した。あの男の拳法は少々特殊で、初見ではまず見切る事が出来ない。恐らくセイバーは彼に足止めを喰らい、その間にキャスターが君を拘束したのだろう。その後、奴の宝具によって君達の契約は断たれた。アレの宝具は《
淡々とした口調で埋められていく空白の時間。
嘘だ。そう叫びたかった。
だけど、彼の話は筋が通ってしまっている。
「……セイバーを殺したのはアンタ?」
「違う。彼女は自らの手で命を絶った。敵対し、戦った事は事実だがね……」
悔しい。セイバーが自害した。そんな結末を迎えさせてしまった事が腹立たしい。
国の為に戦い続けた少女。例え自分の存在が歴史から消え去る事になっても、故国の繁栄を聖杯に願おうとした王。
間違っていると思った。彼女は十分によくやった。なら、もう休んでいい筈だ。
絶対考え方を改めさせてやる。そう思っていた。
「……冗談じゃないわ」
サーヴァントの癖に食べる事が何より大好きな子だった。
凛が作る料理に毎回瞳を輝かせ、お代わりを何回もして、その時ばかりは仏頂面が崩れる。
その顔を見る事が何より楽しかった。
「冗談じゃないわよ!! なんで……、セイバー……」
「……ここは安全だし、その部屋は君の為に用意されたものだ。落ち着くまで休んでいるといい。必要なら食事を運ぶ」
その言葉に凛は困惑した。
「安全……? ねえ、私はどうしてここにいるの?」
「桜が君を助けると決めた。そして、助けた。それだけの事だ」
「……桜が?」
目を見開く凛にアーチャーが頷いた。
「桜が……、私を」
立っていられなくなった。
だって、それは理屈に合わない。
「あの子が……」
間桐の家に引き取られていく背中を私は見ているだけだった。
彼女と同じ学校に通うことになっても、私は彼女を見ているだけだった。
「どうして……?」
赤の他人として接してきた。姉として、彼女の為に何かしてあげた事など一度もない。
「……知りたいのなら彼女自身に聞くことだ。今は朝食を作っている最中だから、その後ならここに呼ぶ事も出来る」
「桜が……、ご飯を?」
「食べるか?」
凛はゆっくりと立ち上がった。
◇
桜はいつも通り起きて、いつも通り朝食の準備に励んでいた。
「うん! 会心の出来!」
スープの味見をしてガッツポーズを決める彼女の顔に悲壮の色は欠片も見えない。
一週間後に死ぬ。そう告げられた筈なのに……。
「桜……」
「アーチャー。姉さんはどう……、姉さん」
振り向くと、そこに姉がいた。不安そうな顔で桜を見つめている。
桜はニッコリと微笑んだ。
「おはようございます、姉さん」
「桜……。お、おはよう」
凛は泣きそうな顔で挨拶を返した。
姉さん。再びそう呼んでもらえる日を何度も夢に見た。
「座って待ってて下さい。もうすぐ支度が出来るので」
「う、うん。分かったわ」
素直に食卓の前で正座をする凛。何度も台所に視線を向けている。
「……手伝うよ」
「はい、お願いします」
アーチャーは彼女が手渡す食器を机に並べていく。今日は洋食のようだ。
「アーチャー……」
「ん?」
「ありがとうございます。姉さんの事……」
「君の決めた事だ。サーヴァントとして、マスターの選択を尊重したまでだよ」
「……そこは『君のために頑張ったよ』くらい言って欲しいです」
「さ、桜!?」
目を丸くするアーチャーに桜はクスクス笑った。
「抱きしめてくれましたね」
「……お、おう」
スープを手渡しながら、桜は言った。
「私の勘違いじゃないですよね?」
「……う、うん」
「じゃあ、恋人同士って事ですよね」
笑顔でとんでもない事を言い出す桜にアーチャーは咳き込んだ。
「違うんですか?」
「ち、ち、違わないぞ!」
哀しそうな顔をされて、アーチャーは咄嗟に否定してしまった。
「良かった」
途端に笑顔を浮かべる桜。
「……ず、ずるいぞ」
「だって、こうでもしないと誤魔化したり、無かった事にするでしょ?」
「そ、そんな事は……」
「だって、先輩だし」
唇を尖らせる桜にアーチャーは負けた。
こんなに可愛い顔をされたら、もう何も言えない。黙って従う以外の選択肢などない。
「……君のために頑張ってお姉さんを助けに行ったよ。これでいいか?」
「うーん。特別に合格点にしてあげます。でも、自分から言い出せなかったから赤点ギリギリですよ?」
「しょ、精進する」
スープを乗せた盆を持って凛の待つ食卓に向かうと彼女はジトーっとした目でアーチャーを睨んだ。
「今の会話は何かしら?」
「……き、聞こえていたのか?」
「なんで聞こえてないと思うのよ……」
凛は溜息を零した。
「……アナタ、サーヴァントよね?」
「そうだが?」
凛はしばらくアーチャーを見つめた後、再び溜息を零した。
「なんでもない。今の言葉は忘れてちょうだい」
「ん? あ、ああ」
凛はアーチャーが並べたスープを見つめながら思った。
何を言うつもりだったの? そんな資格があるとでも思っているのかしら……。
「おはよー!」
ドタドタと足音を立てて大河が現れた。
「やっほー、遠坂さん!」
「ふ、藤村先生!?」
凛は目を丸くしながらアーチャーを見た。
「彼女は一般人だが事情を知っている」
「せ、先生が……」
「おはようございます、先生」
驚く凛を尻目に台所から出て来た桜が大河に挨拶をする。
すると、士郎とアストルフォが縁側の方の障子を開いて入って来た。
「おはよー!」
「おはよう、みんな。遠坂! 本当に無事だったんだな」
揃って食卓に座る衛宮家の面々。凛は不思議な光景を見るような表情を浮かべた。
「どうした?」
士郎が尋ねる。
「えーっと、なんでもない」
まるで家族の団欒に紛れ込んでしまったような気分だ。
桜の料理に釣られて来てしまった事を少し後悔した。
「それじゃあ、いっただきまーす!」
大河の掛け声と共に食事が始まる。サーヴァントとマスターが当たり前の顔をして食事を取り、談笑している。
戸惑いながら、凛は桜の料理を口に運び、セイバーと過ごした日々を思い出した。
「美味しい……」
桜の料理は今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。
「……姉さん。ありがとうございます」
思わず漏れてしまった声を聞かれ、凛は顔を真っ赤に染め上げた。
そして、桜の笑顔に曖昧な笑顔を返す。
「料理……、上手なのね」
「えへへ、先輩に教えてもらったんです」
ドヤ顔を浮かべる桜に凛は目を丸くした。
学校ではこんな表情を浮かべる彼女を見た事が無かった。
「うーん。でも、完全に追い越されたな……。洋食に関しては完敗だ……」
へこむ士郎をアストルフォが「よしよし」と慰めている。
「世界中の料理を食べ歩いたものだが、桜の料理はまさしく絶品だ」
真剣な表情を浮かべ、まるで戦いに挑むように料理を食べるアーチャー。
その妙な迫力に凛は少し引いた。
「うんうん。サクラの料理は世界一!」
「桜ちゃんの料理が食べられるだけで私の世界は満天の青空よ!」
「照れちゃいます……。えへへ」
嬉しそうな笑顔を浮かべる桜。
「そうだ! 藤村先生。その……、少しお願いがあるんですけど」
「なになに? なんでも言ってごらん! 桜ちゃんの為なら不詳藤村大河! なんでもする所存だぞー!」
ドーンと胸を張る大河に桜は少し照れたような仕草をしながら言った。
「わ、私も……その、藤ねえって呼んでもいいですか?」
「……へ?」
目を点にする大河。士郎達も固まっている。
「駄目ですか……?」
哀しそうな表情を浮かべる桜。
まさに一撃必殺。誰も逆らえない。
「だ、駄目じゃないですよ! も、もちろんオーケーよ! 他ならぬ桜ちゃんだもん! た、試しに呼んでごらん」
「は、はい! じゃあ、藤ねえ!」
その瞬間、大河はよく分からない感情に襲われた。
感動とか、感激とか、そういう言葉が脳裏を過ぎる。
今まで彼女からは《先生》か《藤村先生》とばかり呼ばれていたから一気に距離が近づいたように感じた。
「も、もう一回」
「藤ねえ!」
「もう一声!」
「藤ねえ!」
「バイプッシュだ!」
「藤ねえ!」
「余は満足じゃー」
至福の笑みを浮かべながら寝転ぶ大河。
普段ならだらしないと叱る士郎も今回ばかりは目を瞑った。
「今日は元気だな、桜」
「……はい! 元気です、先輩」
その笑顔に士郎も釣られて笑った。
恐らく、後十二話前後です