【完結】アストルフォルート   作:冬月之雪猫

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Act.0 《Ignorance is bliss》

 人生とは選択肢の連続だ。中には人生を大きく変えてしまうものもある。

 大抵の場合、人は未来を知る術を持たない。それ故、そうとは知らずにそうした選択をしてしまうものだ。

 衛宮士郎にとってのそうした選択は実に些細なものだった。

 

「図書室に行こう」

 

 切っ掛けは同じクラスに在籍する後藤くん。彼は見たドラマによって性格(キャラ)を変える。今日の彼はフランスを舞台に活躍した英雄だった。

 普段の士郎なら彼の奇行を見慣れたものとスルーしていた事だろう。だが、今日の彼は違った。ちょっとだけ気になった。後藤くんの今日のキャラの元ネタを調べてみようと思う程度の好奇心が湧いた。

 

「三銃士の本は……っと」

 

 アレクサンドル・デュマ・ペールが書いた小説《三銃士》。《ダルタニアン物語》の第一部であり、物語の主人公ダルタニアンの最初の冒険を描いたものだ。

 大まかなあらすじは知っているけど、実際に読んだ事は無かった。

 

「うーん」

 

 図書室で本の背表紙を追う事三十分弱。士郎は本を発見する事が出来ずにいた。

 その姿を見兼ねたのか、少し離れた場所で読書に耽っていた少女が声を掛ける。

 

「何かをお探しか?」

「え?」

 

 少女の名前は氷室鐘。冬木市市長の娘であり、クラスは別だが士郎と同学年だ。

 

「ああ、氷室か。《三銃士》の本を探してたんだよ」

「三銃士? それならそこに……、無いな。貸出中なのではないか?」

「そっか……」

「衛宮もそういう本を読むのだな。少し意外だ」

「そうか? まあ、確かにあまり読まないな」

「ならばどうして急に?」

 

 氷室は人間観察を趣味としている。普段読まないジャンルの本を急に読もうとする士郎の行動に彼女の中の好奇心が疼いた。

 

「大した理由じゃないよ。うちのクラスのヤツが少し話してて気になっただけだ」

 

 本当に大した理由ではなかった。残念に思いながら、氷室は近くの本を手に取る。

 

「フランスの文学は中々奇抜で奇怪で奇矯で面白い。興味が湧いたのならこういう本も読んでみるといい。三銃士が返却されるまでの慰み程度にはなるだろう」

「《シャルルマーニュの伝説短篇集》? 短篇集の割に随分と分厚いな」

「有名なものだと《恋するオルランド》なども載っている。読み応えは十分だ」

「そっか。なら折角だし読んでみるよ。ありがとな」

「礼には及ばんよ。三十分に渡る君の奇行が気になったが故のお節介だ」

「……はは、どーも」

 

 奇行扱いされ密かに傷つく士郎。氷室から渡された本を手に図書委員の下へ向かう。

 

「あれ?」

 

 図書委員が取り出した貸し出しカードには見知った名前があった。

 

「慎二も借りたのか」

「間桐くんの事? 最近、こういう本をいっぱい借りて読んでるみたいだよ。この前もアーサー王関連のものとかギリシャ神話の本を借りてたし、ちょっと意外だったなー」

 

 士郎の言葉に図書委員は処理をしながら言った。

 

「アイツは趣味が多彩だからな」

「デート中の会話のネタ作りかもしれないけどね。はい、これでオーケーだよ」

「ありがとう」

 

 そのまま帰宅し、家に突撃してくる猛獣と可愛い後輩と団欒した後、士郎はいつもの日課をこなすために家の敷地内にある土蔵に潜った。

 いつものように座禅を組み、瞼を閉じる。意識を集中し、自らの内に新たなる擬似神経を生み出す。

 衛宮士郎は魔術師だ。今、彼は人でありながら人ではないナニカに変わろうとしている。

 それは一歩間違えれば命を落としかねない危険な行為。もし、この事をさっきまで共にテーブルを囲っていた二人が知ればすぐさま止めようとする筈だ。それでも、きっと士郎はこの行為を続ける事だろう。彼には夢がある。その夢の為にどうしても必要な事なのだ。

 その日課を終えると近くに置いたタオルで汗を拭い、士郎は持って来た本を開いた。明かりを灯し、脱力した体を壁に預け読書に耽る。

 面白かった。この短篇集に登場する人物達は誰も彼もが自由奔放。正義や悪を語る事などナンセンスと言わんばかりに全員が好き勝手暴れまわっている。

 

「奇抜で奇怪で奇矯か……」

 

 氷室の言葉を思い出す。まさにその通りだ。

 気付けば深夜になっていた。月明かりが灯の届かない土蔵の一画を照らしている。そこに奇妙な光が走る。

 士郎は気づいていない。訪れた眠気に誘われ、夢の世界に旅立った後だからだ。その間にも光は強さを増していく。

 やがて光が収まると、そこには一人の少女がいた。

 

「やっほー! ボクの名前は――――って、あれれ?」

 

 少女は名乗るべき相手がスヤスヤと寝息を立てている事に気付く。近寄り、その頬をツンツンつついてみるが起きそうにない。

 彼女と同じ立場の他の者なら問答無用で叩き起こした筈だ。だが、彼女は優しかった。

 

「うんうん。気持ちよさそうに寝ているね! 邪魔をしちゃーいけないね! というわけで、ボクも一緒に寝よ―っと!」

 

 士郎の隣に腰掛けると一緒になって寝息を立て始めた。 

 翌朝、健康的青少年の悲鳴が土蔵に轟いた。

 朝起きたら隣で女の子が眠っている。それもそんじょそこらにいるようなレベルではない。全世界を探し歩いても見つからないかもしれないレベルの超絶的美少女。

 

「むにゃ……あれ? あ、起きたんだ! おはよう、マスター!」

 

 鈴のような愛らしい声。咲き誇るような可愛らしい笑顔。マスターと呼ばれた事。

 衛宮士郎はその衝撃的起床体験を生涯忘れる事が出来なかった。何故なら、それは彼が恋に落ちた瞬間だったからだ。

 十年前に起きた大火災。そこで全てを失った少年。正義の味方という理想を義父から受け継ぎ、今日まで生きてきた。

 壊れた心を必死に取り繕い人間の振りをしている機械。そんな彼が人間らしく恋に落ちたのだ。それほど、彼女の笑顔は眩しかった。

 

 そして、それから数日以内に彼は知る。この世に奇跡や魔法はあるかもしれない。だが、希望など無いのだという事に……。


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