ガンダム ビルドファイターズS(シャドウ) 作:高機動型棒人間
審判員と特務ファイターは、アニメ本編で描写されていた仕事もこなすのです。
Side ユウジ
特務ファイターの仕事についてから二週間ほどの日数が経ち、高校生活二度目の夏休みが到来した。
それはすなわち、仕事が本格的に開始されることを意味する。
俺はハカドさんに呼びつけられ、その任務を命じられた。班長執務室は相変わらず殺風景で、彼は資料と称して、そのイベント概要を手渡してきた。
「今度ヤジマ商事がスポンサーをやっているショッピングモールで、ガンプラバトル普及のためにイベントを開催する。君たちには運営を手伝ってきてもらいたい」
「たち、というと」
「当然、ヒカワ・コウイチくんとさ」
あの人には期待に満ちた目でそう言われたが、たかが高校生になにができるというのか。
俺は審判員支部の建物を歩きながら、当然の疑問を浮かべた。
『広報部』の執務室を出ると経路は複雑に分岐し、他の部署へ連結する。
ガンプラバトルの振興を主とするこの『広報部』は、建物の最も入口付近に配置されていた。それより奥には大別して三つの部署がある。
違法行為の捜査、検挙を行う『警備部』。
ライセンスの改修やヤジマに技術提供を行っている『技術開発部』。
そしてすべての部署の活動を管轄する『執行部』だ。
そのほとんどが三年前のプラフスキー粒子暴走事故以降の組織再編で誕生したらしい。
「ヒカワくんは研究室にいる。預けていたGPベースを受け取りたまえ」
ハカドさんに言われたことを思い出し、ヒカワのいる場所へ向かう。
何人かの職員がすれ違いざまに眉をひそめた。何かをした覚えはないが俺という人間はあちこちで煙たがられているようだ。
たとえ迷惑こそかからずとも、これだけ不愛想な態度の新人がいればこうもなろう。
注がれる視線を感じないふりをしながら、よく磨かれた廊下を進む。
かなり速足で歩いているため、俺の左右を様々な部署の扉があっという間に通り過ぎていく。
普段は『広報部』の部屋に入る所だが、あいつが研究室を借り受けているのは『技術開発部』である。
廊下の突き当たり、電子ロックがかけられたいくつものドアの内、その一つから見覚えのある淡い水色の光が漏れ出していた。
たびたびヒントと共に変更されるパスコードを入力する。そのヒントが口頭でなく、あいつのデスクに飾ってある写真だから面倒くさい。
今週は『0083』の試作一号機と二号機の対決だった。シーンは核攻撃直後だからそこに関係する数字といったら、無線周波数の『582』か。
その通り入力すると、ずっしりと重い金属ドアは開いた。
他人が入ってきていることに気づいていないのか、ヒカワは俺に背を向けてバトルシステムを観察している。プラフスキー粒子の光は、あいつの顔の輪郭を浮かび上がらせるが、眼窩の下には大きなクマがあるのがわかった。
「仕事だ」
「ん?……ああ、お前か」
「パスワードは長めに設定しておけ。重要度の低い施設とはいえ、この程度なら俺でなくとも破れる」
「毎週考えるのが大変なんだよ……。一年戦争の日付のネタは使い切ったし」
ヒカワが無造作にシステムの電源を落とす。艶消しブラックで塗装されたジム・カスタムが墜落するが、それに気を回す余裕もないらしい。
白衣はよれよれで、かけている細いフレームの眼鏡もずれているし、いかにも疲れ切っている様子だった。
「ハカドさんは何と?」
「イベントの手伝い、だそうだ」
「そうか……。たいしたことじゃない。言葉は大仰だけど、要は子供たちに作り方や操作方法を教えるだけさ」
「そんなことは、スカウト時にとっくに聞いた。それを俺に任せるのか」
「ああ……。僕としては確かに不本意だけれど、これが特務の本業だよ」
珍しくムキにならずヒカワは眠そうに目をこする。
正確には、ムキになる気力を失っているらしい。
「世界大会前の一か月はガンプラに興味を持ち、とりあえず観戦しに行こうという人たちを集める重要な期間だ。僕らに夏休みはないよ」
「給料さえ出ればどうでもいい。それはそうと、GPベースを返せ」
俺はヒカワに右手を差し出す。
ここ数日は叔父の模型店にあるバトルシステムで稼働させていたが、レンタルのベースではどうしても反応が異なって不便だった。
「わかっている。ここに保管されている一年分のデータはだいたい解析し終えたから、そろそろ新鮮なものが欲しかったんだ」
筐体からベースを外すと、ヒカワはそれを俺の掌に載せようとして、わずかに躊躇した。
「なんだよ」
「……妙なことを聞くが、ガンプラを初めてどのくらいになる?」
「それを教えて俺に得はあるのか」
「……いや、そうだった。お前はそういう奴だったな。気にするな。忘れてくれ」
俺の返答にヒカワは呆気に取られていたようだが、やがてかぶりを振って俺にベースを返却した。念のため、各種データが書き換えられていないかを後でチェックしておこうと思う。
それからあいつは、あっ、と間の抜けた呟きを口にしてから、懐に手を入れた。
よれた白衣の内から着崩したスーツが垣間見えるのがみっともない。
「お前にもう一つ、渡すものがある」
ヒカワはそう言って更に、厚さ一センチほどの薄い電子媒体を探り当てた。
GPベースと違って、何かにはめこんで使用するという訳ではなさそうだった。どちらかというとスマートフォンに近い。
「それは何だ」
「『特務ファイター』用のライセンスだよ。身分証明に必要な個人情報と、逐次与えられるイベントの情報などを格納できる。公式審判員と最新情報のやり取りも可能なすぐれものさ」
「ハカドさんからそんなものの話は聞いていないぞ」
「認可降りたのが三日前だから、伝える暇がなかった。ここ数日忙しいのなんの」
そう言うと、尋ねてもいないのにヒカワは語り始めた。
パーツハンター事件で特務ファイター、というか俺の突発的な介入を目にしたヒカワは、すぐさま本部にこう上申した。
『特務ファイターが公式審判員に所属する正式な職務であることを証明できなければ、好き勝手な介入と混同されて、組織全体への風当たりが強くなるかもしれない』
その認可が下りたのが三日前。精査におよそ一週間あまりだから役所にしては迅速だ。
とはいえギリギリのスケジュールであることには変わりなく、おかげで寝不足でグロッキー状態だというのである。
俺に意図のわからない質問をしたのも、その体調が原因とみた。
「あんなこともあったし、ライセンスの必要性は上がるかもしれないな」
「俺には大した覚えはない」
「え?……ああ、ちょっと個人的に、変な因縁をつけられただけだよ。事件ですらない」
こんな調子だ。まだ意識は夢と現実の狭間を行ったり来たりしているのではないだろうか。
そんな奴が作った『ライセンス』を掴み、あらゆる箇所から眺める。
基本的な形状はヒカワが携帯している公式審判員のものに似通っている。しかし細かなシルエットなどが微妙に異なっていた。
「つまり、こいつはお前が改造したのか」
「『技術開発部』に公式審判員のライセンスの基幹テクノロジーを開示してもらって、わからない所はヤジマのノウハウで補完しただけの代物だよ。模型的にいえばニコイチだ」
GPベースを特務ファイター専用の半袖ジャケットにしまうと、明らかに起動用と思われる側面のスイッチを押す。すると緑色のレーザーが俺の目元を照らした。
思わず目を細めるが、それも一瞬の出来事だった。
「所有者の指紋と網膜パターンを記録、持ち主として認識するしかけだ。これでこいつは、お前の言うことしか聞かない」
「メンテナンスはどうする」
「そこはそれ、僕だけが知る起動パスがあるから問題ないさ」
やけに自信満々にヒカワは胸を張る。その所作もふらつきながらであるため、いささか病的ですらある。
俺はライセンスをGPベースと反対側のポケットに仕舞った。ヒカワが作ったものなど信頼度は皆無だが、受け取らなければ資源の無駄になる。
「とりあえず、今度のイベントとやらにも使えるだろう。受け取っておく」
「そうしてくれ。僕は寝る」
ヒカワはソファーに崩れるように座り込むと、ものの数秒で寝息が聞こえてきた。
用事は済んだので退散しようと考えたが、ふと引き返して研究室の中を物色する。
部屋の奥に用具入れがいくつか設置されていて、その一つから丁寧に畳まれたブランケットを取り出した。
きっとここの本来の主であるエンジニアたちが仮眠に使用するのだろう。
それをヒカワの全身を覆うようにかぶせる。生地は鼻にまでかかったらしく、やや息苦しそうになるが知ったことではない。
そしてようやく俺は部屋を出た。
この行為は風邪を引かれても後のスケジュールに差し障りが出るからで、決して親愛の情ではない。
side アレックス
スーツに身を固めた一人の女が宿泊先のホテルに到着した。
癖のない黒曜石のような輝きの長髪を頭頂部できつく結び、やや濃い化粧も理知的な雰囲気を助長させている。アレクシアがもう少し落ち着きを覚えればこう成長すると思わせた。
名前はオザワ・リサ。日本人でありながら、長年オレたち兄妹のサポートに就いているのである。
「空港での検査に時間を要しました。この国はセキュリティだけは強固ですから」
「ふん、仮にも生まれ故郷をそう卑下するものでもあるまいよ」
「いえ、わたくしはアレクサンダー様とアレクシア様に仕えてから、祖国への思いは捨て去っています」
他愛のない会話を交わすと、オザワは持っていたアタッシュケースを机上に置いた。
慣れた手つきで二重のロックが外される。
「こちらで間違いはないですね」
ケースは解放され、ガンプラが外気に晒される。オレは機体の外観をチェックしたが、原型機体、武装、改修箇所、すべて注文通りだ。そして部位ごとに特注の耐衝撃クッションに区分けされていたおかげで微瑕ひとつなかった。
「パーフェクトだ。マニューバの調整はこちらで行うとする」
「承知いたしました」
「ところでオザワよ、アレクシアには会ったか?」
妹は連絡もなしに朝からどこかへ出かけたらしい。それについて問うと、相手は首を横に振った。
これでこのホテルにいる部下は、誰もアレクシアの行方を知らないことになる。
言い含められたのか知らぬが、警備を強化することも一考すべきであろう。
「残念ながらお嬢様には、まだお渡しできていません」
「現在地は把握しているのだろうな」
「行動分析をしますに、こちらの可能性が高いかと」
彼女は懐から一枚のチラシを取り出して、オレの前に差し出した。
それは薄っぺらなもので、色彩が派手なのは表面のみ。裏にはろくな内容も記されていない簡素な紙切れだ。
『第10回世界大会記念!あやとショッピングモール ガンプラ製作教室!』
そう銘打たれている。
極端に頭身を縮めた規格『SD』のザクとガンダムが戯れる絵は、いかにも児童向けだった。
省みれば日本に来た当日、アレクシアが車中でこのショッピングモールと端末の画面の間で視線を右往左往させていた。おおかたオレの日本におけるバトルの候補地として、あのゲームセンターと共にリストアップされていたのか。
「製作教室、か」
「初心者向けのイベントで、お嬢様のビルダー能力には不要なものです。しかしながら、公式審判員が主催しています」
「ほう?」
その進行に公式審判員が関わっているなら、妹が首を突っ込むのもわかる。
なにせ審判員に宣戦布告したのはオレだ。手間を省くべく敵情視察にでも行ったのだろう。
かといって、あいつにどうとでもなるものでもない。審判員に比肩しうるのはオレのみである。
まさかアレクシアは本気で遊びに向かったのだろうか。
「はしゃぎすぎだ」
「連れ戻しましょうか?」
「否!渡したらあとは放っておくようにするがいい。どうせオレは機体のテストで一日を使うつもりだ。あいつの遅れた分は自力で取り戻させる」
そう命じるとオレは、チラシを丸めて屑籠に放った。小さな紙屑になったそれは、狂いなく吸い込まれていった。
Sideユウジ
俺たちは町内に点在するショッピングモールの内、町の中央にあるものにやって来ていた。
この地方は商店街などの独立した店舗の勢力と総合施設の勢力が拮抗し、顧客の流れも半々になっている。少しでもその天秤を傾けるべく、ショッピングモールの親会社はこうした企画を打ち出していて、俺たちもその片棒を担いでいる訳である。
「お前の、ひいては『特務ファイター』のイメージを改善するチャンスだ。少しは気張れ」
「ファーストッションのはずだ」
「誰の言動のせいだと思っているんだよ!?この前も技術開発部のチーフに、スタッフが研究用の試作機を壊されたと苦情を言われたんだ!」
「そもそも俺に興味本位で押し付けるのが悪い。そのクレーマーには、ガンダムフレームの研究レポートを読むより先に『鉄血のオルフェンズ』を全話見返すように勧めておくべきだ」
「あ、ああ、言っておく……?」
あれから泥のように眠ったヒカワは、いつもの調子を取り戻していた。
やかましいのは困るが、寝不足で足を引っ張られるよりはマシであった。
「イベント本部は五階のエレベーターを降りてすぐの所にある」
「玩具売り場を占有しているのか。たかが一玩具にしては厚かましいじゃないか」
「ここの構造に詳しいんだな」
「この地域に住んでいる人間なら、一度は来たことぐらいあるだろう」
まだ開店前のおもちゃ売り場に踏み込む。ショッピングモールそのものがまだ開いていないので、店内はがらんとしていた。
建物の規模が大きいおかげだろう。ガンプラのコーナーはかなり広大で、『ビシディアン』より広いのでは、とも思う。
「ヒカワさん。こっちです」
小柄でパーマのかかった長髪の男性が陳列棚の間から手を振っている。
律儀にスーツを着続けるヒカワと違い、そいつは緑と赤のチェック柄のシャツにデニムといった出で立ちだった。
公式審判員、特に子どもと密接に触れ合うメンバーには服務規定が緩いという話を聞いたことがある。
俺に面識はないが、おそらく支部にいるヒカワの知り合いなのだろう。
プラモデルの箱で形成された谷間を抜けてその男の下へ向かうと、開けた空間に出た。
通常の作業台を四つ、正方形に並べた大きさの所謂『ファミリーサイズ』が複数設置されていた。世界大会時の体験製作ブースと同様の形式といえる。
「お待たせして申し訳ない、カザミさん」
「いえいえ。今回は噂の特務ファイターも来てくれるからと、我々広報班の一部が勝手に張り切っているだけです」
この長髪の男はカザミというらしい。小柄で常に薄笑いを浮かべているのが不気味だ。
ヒカワが俺を仏頂面で表情が固定されていると評するなら、こいつは笑顔のまま顔の筋肉が固まっている。
カザミはその笑みを俺に向けて、やけに甘ったるい声で話しかけてきた。
「あなたが、特務ファイターですか?」
「ああ」
「カザミさん、気をつけてください。こいつ生意気な上にひねくれ者ですから」
隣でヒカワが余計なことを付け加えてくるので、隙だらけの脇腹に肘鉄をくらわす。
ヒカワがうめいて身をよじるが、カザミはそれをやはり笑って受け流していた。
随分肝のすわった男だ。
「ははは。この年頃ならそんなものでしょう。あなたの名前は?」
「アシハラ・ユウジ」
「アシハラくん。ハカドさんから伝わっていると思いますが、ここではバトルのアグレッサーと、私の製作講座の手伝いに入ってもらいます」
最初にブースで製作講座を開き、次に自分のガンプラで勝負をする相手として俺を当てるつもりらしい。いきなり個々に対戦すると子どもならではの諍いがそこかしこで発生するからだろう。
いつぞやの失敗をまたも思い出したのか、ヒカワが虫を嚙み潰したような顔をする。
よりにもよって俺と組む理由にされてしまった一件だ。ヒカワ・コウイチにとって、パーツハンター事件はトラウマに等しいだろう。
これからも長々と引きずるに違いない。
「相手の年齢層は?」
「基本的には小学生低学年から中学生までを想定していますが、趣味を開拓しに大人も来ます。重要なのは『特務ファイター』を見たユーザーが、ガンプラを作りたい、と思うことです」
「なるほど、それでアシハラ以外の特務が生まれれば万々歳だ」
それはますます無理難題だな、と心中で思う。
俺はファイターとして三流だ。たとえ初心者相手にも顔を真っ赤にして全力でぶつかる人種である。子どもがはじめて作ったガンプラの関節を捻じ切り、装甲を叩き潰す。
そしてつかみ取った勝利に一切の呵責なく悦に入る。
それがアシハラ・ユウジであり、正々堂々を期待されても困るというものだった。
とはいえヒカワの言う通り、少なくともこの支部に所属する『特務ファイター』は俺一人のままである。
人材確保のためなら、大会以降を見据えて藁にも縋らんばかりだろう。
カザミが狐のような細い目で確認を取って来る。
「アシハラくん。概略は理解できましたか?」
「善処する」
「よろしい」
そしてこの胡散臭い男はにこやかに頷いた。
sideコウイチ
開場十分前になった。
デパート自体はもう開店しているので、ブース前には多くのビルダー候補が並んでいるだろう。
僕自身のシフトは午前までだが、アシハラはその代わりがいない以上、ほぼ一日働くことになる。その支援が僕の本業となる。
なにか飲食物を差し入れておいてやろうと、僕はあいつのいる作業スペースへ向かった。
特務ファイターの作業スペースは、会場の真正面。例えるなら小学校の教室での、教壇にあたる位置にある。アシハラはそこで自分のガンプラのチューニングを続けていた。
なんだかんだで、準備はしっかりとしてきたらしい。
「アシハラ、一口で食べられるお菓子を置いておく。疲れたら食べろ。それとお茶だ。定期的に飲んでおけ」
台の隅に、袋にいれたチョコレートとペットボトルを置いてやる。
アシハラはボトルにちらりと視線を走らせたが、それ以上の反応はなかった。
そんな奴の態度を、なかなか懐かない犬のようだと感じる。余計な真似をすると噛みつかれそうだ。
ハカドさんに忠告されたから、僕なりに歩み寄っているつもりだが、アシハラのような読心じみた観察スキルはない。
未だにあいつの思考、思想は理解も共感もできていなかった。
「……また改造しているのか」
アシハラのガンプラである黒いアデルに目をやる。
酷評された僕のガンプラに対する審美眼だが、この機体が相当に作り込まれていることはわかった。HGがベースだが、ほとんどRGに近い。
機体は『ガンダムAGE』出典プラモ独特の構成、つまり頭部および胴体のコアパーツと、四肢に分解されていた。
アシハラは胴体と手に持った青い部位を見比べながら、400番の紙やすりで微妙な形状変更を施している。
「ウェアシステムだね」
「一目瞭然だろう」
「一からフルスクラッチを?」
「スパロー原型だ。それもわからないのか」
「悪かったな。僕はてっきりレイザーかと思った」
「あれは貴重なキットだ。換えが効きづらいからバトル用には向かない」
『ウェアシステム』はアデルが本来保有する換装機構である。四肢すべてを戦況に応じて交換することで、一機でがらりと戦闘スタイルを変更する。アシハラいわく、今は高機動ステルス型の『スパロー』を改造しているらしい。
「どうせノルマルだけじゃ物足りないと思っていたんだ。今日中の完成は見込めないが、進めるに越したことはない」
「ノルマル?」
「通常装備のことだ」
日本語の抑揚で発音されているから確証はないが、フランス語だろうか?
以前遭遇した『ムラサメ』のフランス人兄妹のことを想う。兄であるアレックス・メルフォールは高圧的な人物で、その立ち居振る舞いに、僕はどことなくアシハラと共通項を見出していた。
かろうじて続く話題の足しになるだろうと、アシハラに尋ねる。
「なあアシハラ、『ムラサメ』って聞いたことあるか?」
「Ζガンダムの研究所、あるいはSEED DESTINYの可変量産機だ」
「いや、そうではなくて、フランスの……」
「ヒカワさん。ブース開けます」
ちょうどやって来たカザミさんに会話を遮られてしまった。
アシハラはわずかにいぶかしげな様子を見せたが、すぐに興味を失ったようだった。
僕は誘導のため、カザミさんとフロアの外へ向かう。入り口には多くの人が詰めかけていた。
小学生ぐらいの子供が大半だが、中には高校生以上であろう人もいる。
既に何人かの職員が整理にいそしんでいるが、どう見ても人手が足りていない。
「こんなにたくさんの人が、ガンプラを作りたいと来てくれるのは、嬉しいですね」
「ええ」
カザミさんは顔をほころばせた。僕もつられて頬が緩む。
彼はほぼ同い年ながら、この支部の広報部広報班長、つまりは特務班長であるハカドさんと同格の上司にあたる。
誰に対しても笑顔を絶やさず、物腰は丁寧で、この組織には新入りである僕にもそう接してくれていた。
なんでも、他人にガンプラ製作を教えることに関しては抜群に上手だとの噂だ。今日はその腕前を拝めるのだろう。
「お配りした整理券の番号に従ってご案内します。みなさん、押し合わずに係員の指示に従ってください」
僕らの他にも、広報班のメンバーが応援で次々出てくる。混沌とした人の流れを分割、整理していくのは流石の一言だ。
僕も早速、しわの入った整理券を握りしめる男の子に声をかけた。
side ユウジ
「…………」
まだ年端のいかない子どもが、俺の作業台に身をのりだして目を輝かせている。
やがて俺の視線に恐れをなしたのか、遠慮がちに距離を取った。
もう慣れた光景だ。寂寞を感じる心はとうの昔に錆びついた。
「すごいガンプラだね……」
「うん、でも触っちゃダメだよ、きっと」
こそこそと子どもが言葉を交わしているのが耳に届いた。
特に要請された訳ではないが、俺は見本として二体のガンプラを用意している。
『ガンダムエクシア』と『ストライクガンダム』だ。
バトル向けではなく、直立の姿勢を前提とした観賞用だった。もし戦闘に持ち込んだとしても可動範囲はないに等しい。
チョイスしたのは初心者が最初に選ぶ機体の代表格だからだが、それだけでもない。
これらは俺なりに未練のある機体である。
『全世界のガンプラファンのみなさん!この映像が見えますか?もしそうなら、この一戦を見逃さないでください!』
やけに甲高い、誰かの声を思い出した。そういえば、三年前の夏に俺の人生を変えたのはその声がきっかけだった。
あれから様々なことがあったが、強くなってアレックス・メルフォールともう一度会う、という目標は変わっていないはずだ。
……本当にそうだろうか?
そんな疑念が頭をよぎる。
強くなるとは、具体的に誰のレベルまで上り詰めればいいのか?
そもそも俺とアレックスはどんな関係だったというのだ?
驚くべきことに今の俺には、それらさえ思い出すことができないのだ。
例の症状が、激しい吐き気とめまいが詮索を中断させてしまう。
現在のアシハラ・ユウジに残されているのは、アレックスという大馬鹿野郎に会わなければならない、という強迫観念とこうした無意識の記憶の断片のみである。
「……バカらしい」
過去がどうであれ、その時の俺はきっと前進すると決断したのだ。
子ども相手に戦え、と言われるのならばそれも引き受ける。片っ端から潰してやる。
とにかく、強くならなければ。
明確なゴールのわからない焦燥感は、叔父に指摘されてなお、俺の胸にくすぶり続けていた。
「アシハラ・ユウジくん。準備はいいですか」
「ああ」
我に返ると、例の審判員、カザミが相変わらず真偽不明の笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
どうやら所定の人数が集まったらしい。俺は別に用意していたガンプラの箱を開けた。
すると俺の周りに群がっていた子どもたちは、蜘蛛の子を散らすように各々のスペースに座る。
今回、俺が使うのは当然ながらHGのアデル。二種類あるうち、ライトブルーの一般機仕様だ。
普段使用しているものとは同一の機体だが、教導用として、審判員の予算から別に買いなおしたものだ。
作業台を軽く片付け、供与されたマイクをオンに、ブース全体に自分の声が届くように調整した。
自分の隣にカザミが座るとこちらに一層微笑みかけたが、あいにくそれに応える愛想はない。あいつも自分のマイクの電源を入れた。
「ガンプラ製作教室を担当する、カザミ・シロウです」
「同じくアシハラ・ユウジ」
「今回は144分の1スケールであるHGのプラモを使用して、基本的な工作とそのクオリティを上げる小技を教えます」
子どもの付き添いらしき大人たちは、俺の態度に困惑しているようだが構うものか。
そう考えて、最初のランナーに手を伸ばす。
ちなみに俺とカザミの手元は備え付けられたカメラが拡大し、数か所に展開されたスクリーンに映写されている。
「パーツのくっついた板をランナーと呼びます。ガンプラの場合、アルファベットで大きく区分されていますね。ざっと目を通し、不足がないかを確認してください」
「万が一そのパーツ不足があった場合は?」
「それは近くの職員に言ってくれれば、対応しますよ」
カザミは観客から上がる質問にもにこやかに対応する。
本来この程度の質問は自力でどうにかすべきなのだが、現場の最前線で働く審判員はだいたいが過保護ばかりらしい。
この男の場合裏があるともとれるが、こんな類のはヒカワだけかと思っていたので、頭が痛くなる。
「さて、説明書を確認したら次はニッパーでパーツを切断します。まずは対応するアルファベットのランナー、それから同じ番号のパーツを探し出してください」
なおニッパーは各自が店で購入、あるいは持参することになっている。
爪切りでも代用できるが、やはり専門の器具が望ましいのだ。
ニッパーの刃をランナーとパーツの間、ゲートと呼ばれる部分に差し込んで切断する。
「この時、パーツの側から離して切り離すのがポイントです。ね、アシハラくん」
「……近づきすぎると抉れるからな」
話題を無理にこちらに振らないでほしいものだ。
そう思った俺はわざと一つのパーツをランナー付近で切り出して、抉れたパーツを指さした。
この間、子どもは自分の購入したガンプラの組み立て作業を行っている。
俺の手元を見て慌ててニッパーの刃を調節する奴が何人か見受けられた。
「パーツに残ったランナーの残りは、当然組み立てる上で邪魔になります。今度は刃を密着させて切り落とせば綺麗になります」
客の中には、おおげさに頷く者もいる。
俺は黙々と別のパーツを切り出し、残存した部分をヤスリで削り取っていた。
「気になるようならアシハラくんのように、デザインナイフや紙ヤスリを使えばいいですね。ここまでとりあえずやってみましょう」
そう言うとカザミはいったんマイクの電源を切った。
一瞬奇妙な静寂に包まれた作業場が、今度は親子、あるいは友人といった者たちの談笑の場へと早変わりする。
「わざわざパーツを抉るなんて、勿体ないですよ?」
「どうせ使わない予備パーツだ。好きにさせろ」
そう答えた俺はわざと抉ったパーツを箱に放り込む。白いパーツは箱の隅に無造作に転がると、ランナーの網目の合間に消えた。
時間がわずかでも空けば、本来の自分用のガンプラ『アデル・シャドウ』を調整する。
パーツハンターの一件以降、ただのカラー違いだったアデルをかつて設計していた仕様に差し戻すべきだと結論付けていた。
とはいえ案の定手間と時間はかかる。ガンダム世界で言うところの『整備性』が劣悪なのだ。
装甲を取り外して内部に工作を施していると、こりずにカザミが話しかけてきた。
「アシハラくん。提案があるのですが」
「なんだ」
カザミはにこやかに手本用のガンプラ、『メッサーラ』のボックスイラストを見せた。
その意味するところを理解した俺は、大きくため息をついた。
side コウイチ
かれこれ二時間は人込みに揉まれただろうか。
秩序もなく動き回る少年たちを落ち着けて、ブースまで案内するのには骨が折れた。
ようやくシフトを終えた僕は後方の待機所にて椅子に座り込んでいた。
スーツの下は汗でぐっしょり濡れている。
カザミさんは途中で抜け出して、アシハラと一緒に教室を進行中のはずであった。
「あいつ、カザミさんに迷惑かけていないだろうな」
控室の陰から教室の方をこっそり覗き見る。
質問をしているのか、二人の周囲には人だかりができていた。しかし、その数がカザミさんとアシハラでは明確に差が生まれている。
本人の顔がチラチラとのぞく程度になるまで囲まれている『公式審判員』と、ぽつんと作業を続けている『特務ファイター』。
その光景は特務班にとっては非常にまずいものでもあった。
『ガンプラの普及活動、ならびに改良の協力』。そのうちの前者が機能しないとなれば、この役割の存在意義は大きく衰退する。
「どうしよう。アシハラに何かフォロー入れるべきか?」
そんなことを思案していると、カザミさんがおもむろに立ちあがった。そしてほとんどの観客の視線が彼の挙動に集まるただ中で、こんなことを宣言した。
「さて、そろそろ、予定していたエキシビションマッチを行おうと思います。ガンプラを作る楽しさを知ったみなさん、まずは先輩ファイターによるバトルを観戦してみたくはありませんか?」
にわかに湧き上がるブースに、僕は慌てた。
そんなもの予定にはない。アドリブでそういったものを差し挟んでしまうと、イベント全体の進行に支障をきたす。
カザミさんは大きく腕を振り、傍らに座る無表情のあいつを手で指す
「対戦相手は、我ら公式審判員期待の新人『特務ファイター』のアシハラ・ユウジくん!」
アシハラはまるで動じずに、顔を作業台に向けたままひらひらと左手を振っていた。
まばらな拍手が起こる。これだけで、この場に居合わせた人々がどのような印象を与えられたか容易に想像できる。
「条件は一つ、今この場で、基本工作のみを施した『素組み』のガンプラで勝負すること。それだけです。運用可能なら三個まで『素組み』した武装の変更、追加のみ許可されます」
今度はより大きな拍手。そのタイミングで僕は控室を抜け出し、カザミさんの肩を軽くたたいて、人々から遠ざけた。
至近距離にて小声で話しかける。
「おやヒカワさん。なにか緊急事態でしょうか?」
「これからバトルするなんて聞いていませんよ!」
「それはまあ、さっき決めましたから」
「そうじゃなくて!こう言っては何ですが、アシハラはそこまで強力なファイターではありません。もし広報のカザミさんに敗北すれば、いよいよ特務ファイターの面目が」
僕だけの恥ならどうでもいい、特務班長のハカドさんまでそれを負うことになる。
それはまずい。何より僕の心臓と胃に悪い。
しかし、僕の心配をカザミさんはどこ吹く風といった様子だ。広報に特務の窮状を伝えたところでどうにもならないのだから、予想できた反応ではある。
「大丈夫ですよ」
「でも、素組みでしょう?」
「ええ。彼の場合、原作の六割ぐらいになるでしょうね」
ガンプラバトルには完成度が性能として判定される。プロポーションの改修やディテールの追加も加算されるが、今回はそういったものは一切なしの『丸裸』のガンプラだ。
いかにアシハラとはいえ、改修したアデルの高い基本性能なしにカザミさんに勝てるとはやはり思えない。
「ヒカワさん。彼とあなたの関係は、ハカドさんからある程度は聞いています。それからあなたが、あなたなりに努力しているのも察しがつきました」
「は、はい」
カザミさんが急に話題を転換した。その内容に僕はどきり、とする。
「しかし、あなたは彼をいまだ信用できていない。それでは、あなた達は真のバディになることは永久に不可能でしょう」
「それがバトルとどんな関係が……」
「まあ、見ていてください。私が彼の信用の担保を引き出して見せますよ。我ら公式審判員が見初めた、『特務ファイター』の実力を」
そう言って、カザミさんはポケットから自らのGPベースを取り出した。
「ヒカワさんはデータサンプリング用の端末をお持ちですね。それと私のベースをリンクさせてください。バトルをリアルタイムで中継できるでしょう」
「僕が直接観戦してはいけないのですか」
「あなたがの目があると、できない話もありますから。なに、ビルドファイターの勘にすぎませんが、結構当たりますよ」
そういうとカザミさんはGPベースを差し出す。その背後で、アシハラやゲストたちが僕らを見つめているのがわかったので、僕は慌てて端末を起動した。両手に収まるサイズのやや大きいものだ。素早くカザミさんのベースと信号を接続し、その推移を観測可能にする。
「完了しました」
「よろしい。それでは、昼食でも取ってゆっくりしてください。私は、久々の本気のバトルにいそしみますから」
カザミさんは顔の彫りをますます深くして、くるりと僕に背を向けた。
「お待たせしました!準備は万端ですので、始めましょう!」
再び熱気に包まれるフロアを出ようとする最中、アシハラと目が合った。
死んだような黒い瞳はしばし僕の顔を刺すように見つめていたが、やがて関心を失い、逸らされた。
僕は端末を抱えてそそくさと模型売り場を離れ、レストラン街になっている上の階へ向かう。
暖色系のたたずまいを眺めると、自然と胃が空腹を告げた。
目下のところは、何を食べるか決めるとしよう。
「あれ、あなたは審判員の・・・・・・?」
その時、聞き覚えのある声を背中からかけられ、僕は振り向いた。
流れるような茶髪に、日本では見かけない灰色の瞳。絵画のように整えられた顔がある。
「あなたは、ムラサメの、えっと」
「アレクシア・メルフォールです。先日は兄が失礼しました」
日本式の綺麗な御辞儀をしたのは、ガンプラバトル自警団を名乗る少女だった。
side ユウジ
『Beginning Plavsky Particle Dispersal』
『Field 1 Space』
『Please Set Your Gun-Pla』
塗装もしていない、ライトブルーのアデルを設置する。こうして『素組み』のアデルを動かすのは、はじめてだと思う。ある期間の記憶は空白が多いので断言はできないが、たぶんそうだろう。
一つだけ余分なものを持ってきた以外には、装備の追加もほとんどない。相手の手の内もわからぬまま、無闇な装備変更は愚策と考えた。
『Battle Start!』
「『アデル』、アシハラ・ユウジ、Sally Forth……!」
「メッサーラ、行きましょう!」
ガンプラは戦場へとカタパルトで射出された。
「すっげえ!」
「本当に動いている!」
俺たちが戦うバトルユニットを360度囲むように、老若男女のビルダーたちが見守っている。子どもにとっては、映像とは異なる生のバトルだ。テンションは否が応でも上がるだろう。
俺が対峙する機体はメッサーラ。二つのスラスターユニットに手足が生えたようなデザインの、大型MSだ。アデルの倍はある。
『では拝ませてもらいます!君の実力を!』
メッサーラの背面、スラスターユニットの先端からメガ粒子砲が盛大に発射される。
俺はアデルのシールドを正面に向けて、コンソールに走る激震を耐えた。
想像よりも反動が大きい。やはり素組みの機体は性能が期待値を下回っている。
盾の陰からドッズライフルを構えるが、既にそこには影も形もなく、センサーは真上に警報音を鳴らしていた。
「ミサイルか」
誘導を切るほどの機動力はない。オートロックに合わせて、ライフルでミサイル群の中央を数発撃ちぬいた。
球状の爆炎がカメラいっぱいに広がるが、本命らしき反応は皆無である。俺はアデルに腰のビーム・サーベルへ手を伸ばさせて、背後に向けて振りかぶった。
ここは予測通り、メッサーラのサーベルと光刃が交錯する。
高速で離脱しようと試みるメッサーラの右脚を鷲掴みにする。そこへ複数回にわたり切りつけて、どうにかバーニアを沈黙させた。
『甘いですよ!』
ところが相手は自ら右脚を振りほどき、パージしてみせる。合わせ目消しをしていない分、強度が劣るのを利用したダメージコントロールであった。
巧い。この男、素組みのガンプラならではの戦法を確立しているとみた。
そしてメッサーラは静止し、俺のアデルを見下ろすポジションを取る。
『なるほど。二代目に似たファイター、ですか。確かにその手段を選ばない暴力性は、二代目に通じる要素はあるでしょう』
「丸パクリだからな」
サーベルを収納し、ライフルの銃身を向ける。似ているもなにも、俺の戦闘は二代目メイジンを意識して行っている。それが自分の性分に一番合致したやり方だからであった。
資料を観て動きを学んだのだ。伝説のファイターには遠く及ばないが、ままごとぐらいはできているだろう。
『丸パクリ?いいえ、それは間違っていますよ。アシハラくん』
「なに」
ところが、カザミはそれを否定した。メッサーラの人差し指が俺のアデルの胸部中央へ向けられる。
それは機体そのもののみならず、粒子の壁を通した俺にまで指されているような錯覚に陥らせた。
『あなたのそれは、二代目に近い思想の下に組み上げられたマニューバですが、厳密には異なります』
俺が引き金を引くよりも早く、あいつは横へ飛ぶ。その軌跡を塞ぐようにライフルを斉射するが、メッサーラはそのすべてを回避してみせた。
お返しとばかりにメガ粒子砲が飛んでくるのをこちらもかわす。仮想の宇宙空間を漂うデブリがいくつか火の玉に変じた。
機体性能差が如実に出ているのか、アデルのセンサーではこいつの動きを追うのがやっとである
『あなたの動きはメイジンであっても二代目ではない。三代目のものです』
「何を言い出すかと思えば。三代目の戦法は、俺のような出来損ないとは正反対だろう。審判員の目はどいつもこいつも錆びついているのか」
『ははは。きついですねえ。だからこそ、君のような存在が必要になってしまうのでしょう』
カザミの笑い声は、通信越しでも怪しさが満載だ。まるで戯れるような口調の一方で、熾烈な弾幕がアデルを圧迫する。
俺はグレネードランチャーの弾頭をシールドで防ぐと、左腕でサーベルを投擲し、敵機の右のスラスターユニットを黙らせる。もはやシールドは穴だらけで、使い物にならないと判断したので放棄した。
メッサーラはなおも距離を離した射撃戦を展開する。
苛立ちを抑えながら、俺は戦闘を続行した。
side コウイチ
僕とアレクシアさんはフードコートにいた。僕が注文したのは鉄火丼。彼女は生姜焼きをメインにしたランチ定食である。
「本場の和食は、はじめて食べるでしょう。どうですか?」
「なんだか、思っていたのと違います。でもおいしいです。エキゾチックジャパンです」
少女はこくこくと頷きながら生姜焼きを口に入れる。しなやかな箸づかいが実に優雅だ。
ちなみに、ご飯もおかずも大盛りである。
「どうしてここに?敵情視察というやつですか?」
「まさか。フランスでもそうですが、ムラサメはできることなら審判員と協力体制を築きたいと思っています。今日は、ただの観光です」
「へえ」
「…………」
「…………」
質問に彼女が答えるたび、会話がとぎれる。
この微妙な空気のまま十数分、彼女はこの間に定食三人前は平らげている。
恐るべき健啖家ぶりだが、こちらはともかく気まずい。
僕は丼にほとんど手をつけていなかった。なにせ目の前にいるのは、感覚の異なる外国人であり、僕とは相容れない可能性もある相手だ。
緊張と警戒心で、体がこわばるのである。
「そういえば、お兄さん、アレックス氏はいつもあんな調子なんですか?」
「私が年下ですから、敬語はいりませんよ。……ええ、兄はいつもそうです。カリスマといえば聞こえはいいですが、高圧的とか人を食ったような態度といわれても仕方ありません。私や部下のみんなも苦労させられています」
アレクシアさんが乾いた笑いを浮かべて、つい親近感を覚えてしまう。アシハラに似た人物なら、その傍には僕にベクトルが近い人間もいるということか。
もっとも、兄妹間ならそれなりの配慮もあるだろうし、少なくとも僕には二人が険悪には思われなかった
「アレックスは、最初に日本に来た時には親友がいたんです」
「最初に?すると彼は二度目の来日ということかな」
「そうなりますね」
アレクシアさんは僕の問いに頷いた。
親友ということは、アレックスが気を許す相手ということだ。どんな聖人君子なら、そんな立場に居座ることができるのだろう。僕はその相手に妙な尊敬さえ覚える。
彼女は最後の皿を平らげると、静かに両手を合わせた。
日本式の礼儀作法をどこで勉強してきたかは不明だが、ずいぶん様になっている。
「その親友は、ツガミ・ユウジというビルダーです。それなりに有名だと思うのですが、ご存知ですか?」
「ツガミ……ユウジ?」
脳裏に今しがた別れたバディの姿が浮かぶ。苗字は違うが、あの二人が出会えば相性は僕よりはいいに違いない。
数日前の話題にも上った、あいつの経歴の食い違いを想起する。その間隙に、アレックスとの何かがあったとして、何故あの男は思い出を消去したのか。
ますます謎が深まるだけで、僕は推理することの難しさを痛感した。
「とても穏やかな性格の人で、傍若無人なアレックスのいいストッパーになっていたと、そう聞いています」
「はあ。それはすごい」
続く彼女の言葉で、その拙い推理も吹き飛んだ。
あれを穏やかと言うなら、僕は仙人を自称できるだろう。
やはり他人の空似に違いない、と判断した。そもそも、僕の周囲で最近知り合った人間がつながっているなんて、いくらなんでもできすぎだ。
「あの、ヒカワさん?」
「たいしたことじゃないよ。僕の知り合いが、たまたま同じ名前だっただけでしてね。でも日本に『ユウジ』なんて名前は星の数ほどいるし、だいいち性格はその、アレックス寄りだから……」
「ああ……。ご苦労様です……」
アレクシアさんの同情と憐憫を含んだ視線がつらい。
そしてその前で積まれている食器を見て、きっとストレスで食べずにはいられないのであろう、彼女の気苦労に思いを馳せるのであった。
それにしても大盛りランチを四つは財布と健康に悪いのではないか。
「そうだ。カザミさんのバトル」
僕は『ユウジ』という名前でカザミさんとの会話を思い出し、端末を取り出した。
アレクシアさんの前でそれを広げるのにわずかに躊躇したが、言っている場合でもない。
ここで見逃したら、僕はアシハラとの関係に改善の手がかりを失うことになる。二つの可能性を天秤にかけ、後者に傾いたのだ。
彼女は興味深そうにその画面をのぞき込んできた。灰色の瞳が揺れる。
「それは?」
「ちょっと上司にバトルを見るように言われていて」
端末を起動すると、中継がデータは映像の形をとって表示されていた。下の階で行われているバトルは、カザミさんのベースを通して逐次こちらに送信されている。それを端末のコンピューターが第三者視点に再構成、わかりやすくこちらに転送しているのだ。
そのタイムラグ、ゼロコンマ二秒。ヤジマ脅威のメカニズムである。
「これは、今行われているのですか?」
「下の階の玩具売り場でやっているんだ」
「いいですね。私もこれから寄ろうと思っていたんですよ」
こうして二人して端末をのぞき込むと、ともすればカップルに見えなくもない。
あいにく僕はアレクシアさんのことを、綺麗だと思っても女性としての好意は抱いていない。向こうもそんなものだろう。
こんなにほのぼのとしていて、いいのだろうか。
『アシハラくん。私は多くのビルドファイターを教え導いてきました。その上で言います。あなたは二代目メイジンのコピーではない』
『しかし、三代目のそれでもあるまい』
カザミさんとアシハラは、なにか言い争いながら戦っている様子だった。
アデルの蹴りがメッサーラの胴体を捉えるが、メッサーラは衝撃の瞬間、胴体を伸縮させることで被害を軽減する。逆にアデルの右脚部は小脇に抱えられ、サーベルで貫かれた。
彼らの会話の内容は、音声として僕らの耳に届いている。アレクシアさんの反応に注意を向ける余裕もなく、僕は画面にくぎつけになっていた。
『三代目といっても、我々がよく知る三代目ではなく、三年前の彼です』
メイジンのデビュー戦である第七回世界大会のことを示しているらしい。僕の知る限り、あれからメイジンの方針に変更はないはずだ。
それにも拘わらず、アシハラは何やら納得した様子であった。
『ああ、お前の言わんとすることはだいたいわかった』
『そう。あなたのそれは第七回大会の決勝戦、『エクシアダークマター』を駆っていた時の三代目に瓜二つなのですよ』
「あれか!確かに、言われてみればそっくりかもしれない」
僕は膝を打った。
彼の言う通り、三年前の大会決勝戦にて三代目が豹変した事件が起こったことがある。
その際の型にはまらない暴力と、弱点や破損個所への集中攻撃は、勝利のために手段を選ばない暴君とも形容された。二代目と同様に。
第七回の記録映像は数えるほどしか見ていないので、正確な比較はできないが、アシハラの戦法とも共通点が多く認められることは確かだ。
アレクシアさんがひそひそと僕に尋ねる。
「ヒカワさん。エクシアダークマターって……」
「開発コードA5、えっと、『ガンダムアメイジングエクシア』を不正に改造したガンプラだよ。彼の狂乱には、PPSE社マシタ会長による介入があったと結論付けられていて……」
「その一件なら、私も記憶しています。当時の審判員がそれを一切阻止できなかったことで、私たちのような若いビルドファイターの間で、審判員への不信は高まりましたから」
彼女は合点がいったようだが、僕の苦い記憶は『公式審判員』としてではない。
まだヤジマに所属するよりも前にPPSE社のエンジニア見習いだった頃の話だ。
才能を評価してくれるワークチーム内で、まだ年若いアラン・アダムス氏の指揮の下、僕も末端として参画していたのである。
あのガンプラは僕にとっても愛着のある機体だったのだ。よって僕らの努力と研究の成果を汚されたようで、ダークマター自体への心証は悪い。
そんな機体とアシハラの戦闘スタイルが酷似しているのは、僕とあいつの相性の悪さを強調したにすぎないように思われた。
『ここまでの模倣は見事と言わざるを得ません。しかし、それはあなた本来のスタイルを覆うようにある、いわば影です』
『何を言っているのかさっぱりわからん。影だかなんだか知らないが、俺からこの戦法を除けば、ただのビルダーしか残らんぞ』
アデルが懐に飛び込んだ。横なぎに振るわれた刃をかいくぐり、メッサーラの胴体にタックルを仕掛けて強固に組み付くと、ブーストを噴射して直線状のデブリをもろとも貫通していく。
『いいえ。いいえ、それはあり得ません。ビルドファイター個人の強さが先達の投影のみで成立することは不可能だ。その隙間を埋める何かが存在しなければ、あなたの強さは成立しない!』
メッサーラのスラスターが細い火を噴いて軌道を強引に変更する。
二つのガンプラはもみくちゃになって、ひときわ巨大なデブリへと墜落していった。
side ユウジ
俺の強さ。
正直、その言葉に多少は精神を揺さぶられた。
今、この胸をしめつけるような焦燥感は強さの希求によるのは間違いない。
アレックス・メルフォールという人物に、強くなって出会う。
過去の空白に住まう過去の俺は、その命令を現在の俺に刻み付けたのだ。
そこに明確な指標はない。思い出すことが苦痛である以上、いつの誰を目指せばいいのかがわからない。
否、それ以前の問題かもしれぬ。
『わかりました。あなたは、自分が強いかどうか、それすら自覚していないのですね』
言葉を紡ぎ続ける相手を黙らせるように、俺のアデルは馬乗りになって拳を振るう。胴体に埋没したようなメッサーラの頭部が、ややへこんだ。
モノアイに向けてマニュピレーターを突き込もうとした時、相手の腕部のシルエットが膨らんだ。大型のクローが展開され、アデルの両肩に食い込んだのである。
抵抗するがびくともしない。
これで俺の機体は、メッサーラの上体に乗ったまま動けなくなった。
『自認できるほど、あなたは自分を好いていない。なによりも、あなたの修練を認める人間などいなかった』
「うるさい」
『それはそうでしょう。あなたの対戦にこれまで、具体的な強さのランクを備える人間はいなかったのですから!』
「知った風な口を、きくな」
極力語調を荒げず、蹴りを入れて敵を振りほどこうと試みる。惑わされたら相手の思うツボだ。ペースに飲まれず、目の前のこいつを屠ることに専念する。
すると今度はメッサーラの肩の機構が展開した。寸前でクローを引きはがし、アデルを飛びのかせる。直後に無数のミサイルがさく裂し、二機のガンプラの間を断絶させた。
『……もしも、私を倒せるというのなら、少しは助けになるでしょう』
煙の中を、メッサーラが進み出る。そのスラスターはどちらも大破して機能不全に陥っている。実弾もこれでほとんど弾切れのはずだ。
だが、まるで墜とせる気がしない。パーツの破損を適切に把握し、最小限に軽減され続けた結果、メッサーラ本体は致命的なダメージを一切負っていなかった。
対する自機は満身創痍である。今の爆発で前面装甲が吹き飛んで撃墜寸前の判定だった。あらゆる情報がレッドゾーンを示し、限界を伝えてくる。
ここではじめてモニターで、カザミの顔が映し出された。その笑顔は変わらないが、こいつがバトルを心の底から楽しんでいることはわかった。
奴がデニムのポケットに手を伸ばす。何の真似かと身構えたが、取り出したのは審判員のライセンスだった。
そして、どういう訳かその十字のシンボルを画面越しに突き付けてきたのだ。
『改めて、自己紹介を。私は公式審判員広報班長のカザミ・シロウ。そして二代目メイジンが開設した施設、今はなき『ガンプラ塾』一期生でもあります』
「『ガンプラ塾』か。それなら、俺と二代目が違うことにも気づくはずだ」
それは不思議と腑に落ちた。
次代のメイジン育成のために生み出したといわれる機関『ガンプラ塾』。その一期生なら、たしかイギリスの有名ビルドファイター、ジュリアン・マッケンジーと同級のはずである。
要は俺なんぞとくぐってきた修羅場の数が違うということだ。
この男は、俺が出会ったファイターの中でも一二を争うぐらいに強い。
カザミの自己紹介は、それをあえて俺に誇示するためのものであった。
『ではあなたは何者ですか。メイジンの影を纏うあなたは、誰ですか』
俺は相手に倣って、ジャケットに死蔵していたライセンスを緩慢な手つきで取り出した。審判員のそれよりも不格好で、ヒカワの手製で改修した、いかにも試作品といった野暮ったさの媒体。
一度手に持ったはずなのに、それはやけにずっしりときた。
スイッチを入れると公式審判員のマークが一瞬だけ表示され、続いて『アシハラ・ユウジ』の文字、俺の登録されたプロフィールが現れる。
GPベースから移植されたらしい俺の戦績が、カザミの問いへの何よりもの答えだった。
命中率、回避率、防御率はすべて低レベルでも、勝敗比率は勝ち越し。
過去の自分の求めに、今の自分がどれくらい応じることができていたのか。その解答は振り返ればあったのだ。
「……俺は無様で低俗なファイターだが、勝ちに拘ればそれなりに、強い」
『それが影による呪いの産物だとしても?』
現在では反面教師とされる人物の、負の側面を俺が背負っているとこいつは語る。
取り払う術を知らないだけ質が悪い。
だが、それでもいいさ、と俺は楽観することにした。
現在のビルドファイターたちがこぞって忌み嫌う『影』なんて、俺にはよく似合っているではないか。
何故なら俺は、地べたを這いずってでも勝利を求める出来損ないだから。
「構わない。俺はアシハラ・ユウジ。ただの三流ファイターだ」
『そうですか。その三流くんが私を超えれば、きっと面白いですね』
カザミが笑う。細い目が消えそうなほど細くなる。俺も自ら操縦桿から手を離していて、実に緊張感のない状況だった。空気が明らかに弛緩している。
だが、今の俺の胸には焦りとは異なる感覚が息づいていた。
それは高揚感だ。
カザミ・シロウを明確に強敵であると定義した時、俺の中でちりちりと燃え上る火種が存在したのである。
その事実に自分でも正直驚いた。
俺にはまだ、ガンプラバトルを楽しむ余裕があったらしい。
「ああ……それはきっと面白いな」
『では、決着をつけるとしましょう!』
メッサーラがビーム・サーベルを抜刀する。
こちらは左腕が死んでいる。センサーの範囲を最大まで拡大すると、表示されるデータの隅に、微弱な物体反応があった。大きさから推測して、ただのデブリでも破片でもない。
アデルのブースターの調子をチェックし、後退する準備をした。
今こそ賭けに出るべき時である。
Side コウイチ
「アシハラ・ユウジ。彼が、ヒカワさんの言う名前の同じお知り合いですか?」
「まあ、はい。そうだね」
アレクシアさんの静かな問いを僕は肯定する。画面に収まる小世界ではアデルとメッサーラの外観しかわからない。彼らの間にどんな表情が交わされたのかは不明である。
それでも僕は、アシハラの新たな一面を感じ取っていた。
『それはきっと面白い』
僕と出会ってから、はじめてアシハラから飛び出した言葉だと思う。
いかなる期待も楽観もなく、淡々と勝利を重ねていた少年。それが、これまで僕が抱いていたアシハラへのイメージである。
それは撤回するべきだった。
決して彼の戦い方に賛同できる訳ではない。それでも、アシハラ・ユウジもガンプラバトルの結果を夢想し、面白いと口にできるのならば、希望はある。
そんな一筋の光明が、カザミさんとあいつの会話に垣間見えた気がした。
バトルの情勢は先ほどと一転して、アデルにメッサーラが追いすがる形になっている。
アデルの射撃兵装はまだ残っているけれども、左腕にスパークが走っている状態では満足に撃てなかろう。
それでも右腕だけでライフルを発射している。ビームで牽制しながら、アデルは後退を続けた。
「どこかに誘い込むつもりでしょうか」
アレクシアさんが呟く。僕は端末を操作し、二機の位置をマップとして別画面に表示した。
「スタート地点にまで引き返している」
「仮想空間とはいえ、よく方向の見当がつきますね。射出されたゲートは自動的に消滅するはずでしょう」
そうなると、レーダー上に目印となるものを設置している可能性はあるが、今回のバトルのレギュレーションは、素組みであること。武装などの追加も加工は禁止だったはずだ。
とうとうライフルを投げ捨て、一点で停止した。メッサーラは残された推進器でまっすぐに突っ込んでくる。
サーベルが振り上げられ、決定的な一斬が放たれた。
『なっ!?』
「おお!?」
瞬間、僕とカザミさんは同時に驚愕の声を発した。サーベルが止められている。
シールドを放棄して、左腕を盾にする角度でもない。アデルの右手には何かが握られていた。
『AGE-1の脛!アデルを組んだ時の余りですか!』
『製作教室で抉れたパーツだ。カタパルトで一緒に放り出されただけだからゴミに等しいが、役には立ったな』
ガンプラのパーツなら、ただランナーから切り出しただけでも、プラフスキー粒子の恩恵はある。多少なりとも刃を受け止めることは理屈の上ではできる。
そうはいっても気休めだ。バターのように白いパーツは溶断され、両者に隙が生まれた。
『あと一手、足りませんでしたね!』
アデルが腰のサーベルに手を伸ばすが遅い。今度こそメッサーラの一撃がコックピットを正確にとらえようとしていた。
「アシハラ!」
僕は思わず声を上げていた。何の意味もない純粋な応援を、気に入らなかった相手に投げかける。
果たして、両断されたのはカザミさんのガンプラだった。
斜めに袈裟切りされたメッサーラのボディが断末魔の火を噴き上げる。アデルの右腕は上段に掲げられ、サーベルの光刃が揺らめいていた。
何が起こったかはわからんが、とにかくアシハラは勝っていた。
『一手足りないなら、先に出すだけだ』
『これは、メイジンの技ではない。なるほど、これがあなたの……』
さも戦死するような含みを残して、メッサーラは爆発四散した。端末には『BATTLE ENDED』と表れて、データ送信が打ち切られる。画面が暗転、僕とアレクシアさんにフードコートの喧噪が戻ってきた。
僕はアデルが引き起した時間跳躍に等しい現象に、独り言をこぼす
「なんだ、今の。特殊なシステムも、不正な操作も観測されていない」
「居合」
「居合?日本の武術の、居合かい?」
アレクシアさんは頤に細い指先を当てて考え込むような姿勢で押し黙ってしまった。返事がない。しばし沈思黙考したのちに、彼女は首を横に振ると愛想笑いを浮かべた。
「あくまで私の直感です。忘れてください」
「え、でも気になるよ」
「そういうことはお知り合いに直接聞いてください。私はもう、時間切れのようですから」
アレクシアさんの視線が僕の肩越しに誰かへ向けられているのを察知した僕はそちらへ頭を動かした。
そこには、長い黒髪を一つに束ねて、やや濃い化粧をした、スーツ姿の女性がいた。
誰だろう、と首をひねった結果、ムラサメのメンバーという推定に遅れて思い当たって身構えた。
アレクシアさんはそんな僕の様子が滑稽だったらしく、くすくす。と押し殺した声を発する。
「ヒカワさんは失念しているようですが、私はガンプラバトル自警団『ムラサメ』のメンバー、アレクシア・メルフォールですよ」
「僕としたことが、完全に友達感覚でいたよ」
「ふふ、私も楽しかったです。でも、次に会う時は敵ですから」
彼女があっけにとられる僕の横を素通りし、くるりと身を翻して優雅に一礼する。
そのまま流れるようにスーツの女性のところまで歩いていくと、こちらを一瞥もせず去っていった。
アレクシアさんにいいように弄ばれていたことを、僕はそこでようやく気付いた。
side アレックス
仮想空間の落雷が、機体のすぐ近辺に落ちた。その刹那の輝きが、オレの機体の堂々たる威容を浮かび上がらせる。
ベース機体は「ガンダムSEED DESTINY」に登場する機体、アカツキ。
メタリックパープルに塗装されたそれの背面には『ガンダム サンダーボルト』のフルアーマーガンダムをベースとした大型バックパック。
火力偏重と重量過多、そして選択肢の多すぎる故にオレでしか扱えぬ、文字通りの専用機である。
名付けて『暁 雷光』。
紫電の二つ名を持つ今のオレにふさわしい機体といえた。
直上に味方機の反応が発生し、オレはため息をついた。この模擬戦で味方になりうるのは一人のみだ。
「児戯に没頭する歳でもなし。一体なににかまけていた」
『ごめんなさい。兄さん』
設定した仮想フィールドであるギアナ高地で、オレは妹のガンプラと対峙した。
同じく『SEED DESTINY』出典であるザクウォーリアに、セイバーガンダムを模倣したオリジナルのウィザードシステムを装備した機体。機体色はパールホワイト。
普段からアレクシアが愛用しているガンプラ、『ソヴァール・ザクウォーリア』だった。
「世界大会まであと二週間強。貴様一人のためにオレを煩わせる気か?」
『兄さん。おわびと表現しては変ですが、目当ての人物に当たったかもしれません』
「なに?」
その報告を聞いて、オレの憤激も多少は冷める。アームレイカーのウェポンスロットに載せていた指を離し、続きを促した。
妹を迎えに行っていた、オレたちの世話役たる女、オザワは表情を崩さない。
あらかじめ妹に話を聞いているのだろう。
『ツガミ・ユウジと思われるビルドファイターに遭遇しました。あのゲームセンターにいた公式審判員、ヒカワ・コウイチと面識があるようです』
「ユージ、だと?……く、くくく、そうか。あの情けないもやし男の知人とは、人の運命は先がわからぬものよな!ははは。よくやった、アレクシア。此度の独断専行は放免する」
『ありがとうございます』
ザクに膝をつかせる妹を後目に、オレは歓喜に胸を躍らせた。
日本ならば、灯台下暗し、とでも言うべきか。それほどまでに近い場所にあの男がいる。
なんという僥倖だ。
「再会の時は近いな」
哄笑するオレを祝福するように、五つの落雷が連続でフィールドに叩きつけられた。
Side ユウジ
「いやあ、楽しかった。つい羽目を外してしまいましたよ」
フィールドが収束し、観客の歓声に包まれたところで、俺は自分が観戦されていることを思い出した。あの茶番のような会話も筒抜けだったかと考えると、さすがに気恥ずかしい。
「大丈夫、私たちの会話は外部にはシャットアウトされています。彼らには、メッサーラとアデルの死闘しか見えていません」
「余計な気遣いだな。まさかあんた、本物のお人よしなのか?」
言い返すとカザミはぽかん、としてからすぐに口をへの字に曲げた。
ようやく笑顔以外のバリエーションを見た気がするが、これも苦笑のようにもみなされる顔だった。
「そう、私はどうも第一印象が『黒幕みたい』だとか『胡散臭い』となってしまうのです。ガンプラ塾にいたころ、非常におそろしい先生がいましてね。その人となるべく波風立てずに接するよう努力した結果の、私なりの処世術なのですが」
「バカだな。怒られるようなことをしなければ、肩で風を切ればいいだけだろう」
「そうですねえ。私は『素組み』に強いこだわりを持っていましたから」
俺とカザミの下に、子どもが次々と駆け寄って来る。手には先刻組み上げたばかりのガンプラたちが握られていた。
「すべてのファイターたちが、道を見失った時に立ち返る場所。それがガンプラでは『素組み』であり、審判員としては私がそうありたかった」
「つまり、塾でも延々と素組みを作り続けたと。それは目を付けられるだろうな」
メイジンはたどり着くゴールであるべきで、スタート地点を望むこの男とは、あり方が真逆だ。どちらが正解と決まったのではないが、今回に限って言えば、俺に必要なのは後者だったらしい。
この男に勝てたならそれなりに自信がつく。
己の理想を追い求める、眩しい人間の強さを凌駕できたのならば、俺の鍛錬も決して無駄骨ではなかったといえよう。
「礼を言う。カザミ・シロウ。あんた、教育者としては傑作だよ」
「お安い御用ですよ。しかしあなた、お礼に一言多いですよ。それでは友達はできません」
カザミはからかうように笑う。俺は自分の行為をわずかに後悔し、顔を背けた。
「それに、あなたに自信を与えるきっかけが、ヒカワさんの作ったライセンスも一助になっているのも、お忘れなく」
「なに」
「さあ、次はみなさんのバトルです!ランダムに対戦表を作成しますから、一列に並んでください!」
自分の手にある、あのライセンスを見下ろす。カザミがわざわざ己のライセンスを提示したのは、この行為を誘発させる狙いもあったのだろう。
どこまでも食えない男だ。さすがにハカドさんと同格の立場、広報班長という位置は伊達ではない。
「アシハラくん。すみませんが、改造をしたい子どもたちがいるようです。応用知識を初歩から教えてあげてください!」
人いきれの果てから、カザミの救援要請が飛んでくる。俺は肩をすくめた後、作業用ブースに引き返して回答の代わりとした。
Side コウイチ
模型売り場に戻って来ると、カザミさんは子どもたちにガンプラの操縦方法を教授していた。
僕の姿を認めると、両腕を広げてにこやかに近寄ってきた。
「どうでした。彼のバトルから、何かを掴めましたか」
「はい。流石です、カザミさん。おみそれしました」
「彼に足りなかったのは強さではなく、自信と余裕ですよ。深呼吸して見渡せば、雄大な景色が広がっていることもあるのです。それより、今ならアシハラくんに尋ねられるでしょう?」
カザミさんが小声でささやくが、僕は疑問符を浮かべる。なにか、聞くべきことなどあったろうか。このイベントを始めてからの記憶をそうざらいしても見当たらない。
そんな僕を見かねてか、カザミさんはヒントをくれた。
幼子に諭すように、骨ばった人差し指をピンと立てて語りかけてくる。
「ヒカワさん。もしもガンプラに興味のなさそうな知り合いで、あなたが仲良くなりたい人物がいたとします。ある時、その人がガンプラに対し、好意的な反応をしてくれた場合は何と話しかけますか」
「あっ」
「あなたはアシハラくんのもっと根本的なところに焦点を当てるべきです。彼はまだ若い。第一印象で決めつけると、損をしますよ」
カザミさんはそういうと右目だけを強くつぶった。その行動をしばらく図りかねたが、ひょっとしてウィンクだろうか。だとしたら申し訳ないがハカドさんより下手くそである。
僕はごくり、と唾を飲み込むと、アシハラのいるブースの一角へ歩みを進めた。
「兄ちゃん、このストライクガンダムみたいのが作りたいよ!」
「それなら手始めにアンテナをシャープ化する作業からだ。ヤスリとニッパーを持て」
バトルの前と打って変わって、アシハラの周りにも子どもがたくさん集まっていた。
二人のバトルを見て感激した。それだけで、彼らがこいつに懐くには十分すぎる理由なのだ。
僕が来たことを感知したアシハラは、相変わらず生気のない目で僕を見上げた。
たとい彼の心理に変化が起こったとしても、僕にはさっぱりである。
「なんだ」
「アシハラ。その、お前は毎回ガンプラを滅茶苦茶にするけどさ」
僕はどもりながら、質問を切り出す。このままでは文句だ。案の定、アシハラは不機嫌そうに唇を曲げている。
落ち着け、と自分に言い聞かせ、軽く深呼吸をする。
この質問は、初歩的にして大切なものだ。一世一代の告白に等しい、最大限の思いを込めて投げかけるのである。
僕は、それを問う。
「ガンプラ、好きか?」
アシハラはそれに対して口を半開きにした。完全にバカにしているのがわかったが、今は我慢だ。やがて呆れたようにあいつは首を横へかしげて、答えた。
「当たり前だろ。だから壊れても直すんだろうが」
それを聞いて、僕は胸のつかえがとれた気がした。
勘違いしていたのだ。アシハラはガンプラを壊すことに躊躇しないから、愛情もないのだ、と。それは手前勝手な憶測だった。
アシハラには壊れても直せる、ガンプラという物体への信頼があったのである。
だからガンプラバトルを楽しむことができる。一般的なビルドファイターと同じだ。
思想の違いはあらぬ方向にあっても、まさしく根源で僕らは同好の士であった。
ところが、ささやかな感動にひたる僕に容赦なく水を差すのも、アシハラ・ユウジである。
「もう昼飯は済んだなら、この作業を俺の代わりにやれ。それくらいはできなければ無能だし、俺はもう腹が減った」
「……お前、やっぱむかつくな」
「なんとでも言え。もとより相性最悪だろう。俺たちは」
アシハラは鼻を鳴らして奥の控室へ引っ込んだ。僕は押し付けられた頭部アンテナとニッパー、ヤスリ、そして瞳を輝かせる生徒を見比べて、観念してうなだれる。
安全用のフラッグを切断し、手元が見えるように加減しながらヤスリで磨いていく。
ちらりと奥へ目をやれば、あいつは持参したらしい弁当を広げて、律儀に手を合わせていた。
「ふふ」
「メガネの兄ちゃん。どうしたの?」
「なんでもないよ。ちょっと、うれしいことがあったのさ」
アシハラ・ユウジは自分勝手で人とのかかわりを好まない。ガンプラを壊しまくる要注意人物、されどガンプラ愛は、確かに存在する。
すぐに関係を良好にすることは無理でも、道筋がわかったのである。僕はそれがありがたかった。
実の所、第一話で行われていた取り締まり業務はコウイチやユウジのコンビの管轄外です。
大会前の忙しい時期に代行したにすぎません。
それらを本業とする人たちは、次回に少しだけ登場予定です。
修正版執筆時追記
今回の素組みされたメッサーラは、クローが差し替えのはずですが、変形したかどうかはわかりません。塗装変えただけのエアマスターが可変する不思議粒子ですから、案外できるかもしれませんね。