ガンダム ビルドファイターズS(シャドウ)   作:高機動型棒人間

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気が付けば『ビルドダイバーズ』の放送がはじまり、ビルドファイターズのメディア展開は終了しそうになっていました。

いやあ、ダイバーズいいですね


Lost-03 「wimp」

Lost-03「wimp」

 

Side ALEX

 

第七回世界大会以降、中高生を対象にした大会は急速に増加した。

『ガンプラバトルは金銭や技術的アドバンテージのある大人の娯楽』という観念が、新世代の台頭によって壊されたからだろう。

もっと刺激的なバトルを求めて、あるいは大人たちが盗める技術の持ち主を探して、世界の門戸は開かれた。

今日、オレとユージが参戦している試合も、そういった催しのひとつだった。

『第三回 東京ガンプラバトルジュニアカップ』。

都内のビル街を再現したフィールドで、地区における最強のビルドファイターを決めようという次第らしい。

オレたちの機体『AGE-1 エトワール』は都庁のヘリポートに片膝をつき、ビルドカリバーを杖がわりに待機姿勢をとっていた。

真下では見覚えのある一つ目の騎士が、槍を片手に周囲を見回している。

まだこちらには気づいていない。

 

「ユージ、奴らのスペックはどの程度だ」

「前回と同じギャン改だけど、関節や装甲のディテールアップが見える。大型ビームソードもヒート・ランスに交換しているみたいだから、取り回しの観点なら、ビルドカリバーより上だね」

「つまり?」

「性能は間違いなく向上しているよ」

「それなりに気合は入れてきたという訳か」

「『それなり』って……これがジュニアカップの決勝ってこと、忘れてないよね?」

「当たり前だろう」

 

対戦相手はホソカワとナエダ。

オレたちがはじめて組んだバトルでの対戦相手だった同級生たちである。

あの戦いからもう一年以上が経過していると思うと、時間の流れの速さというものを実感する。

 

「仕掛けるぞ」

「わかった」

 

ヘリポートを蹴ると、ビルドカリバーを壁面に突き立てて減速しながら降下する。

音に気づいたギャン改と目があった。

 

そのピンク色のモノアイが拍動する。

ラウンドシールドから無数のミサイルが放出され、寸分の狂いなくエトワールに殺到する。

カリバーをビルから引き抜き、その刃で防ぐ。

ビルドカリバーはビームに圧倒的な優位性を誇るが、実体攻撃には鈍重な盾としかならない。

弾着と同時に、けたたましいアラート音が操作空間内にこだまする。

 

「ウォーゼス・アブソーブが壊れた!」

「どうせ相手もビームは使わん!」

 

たしかに積層材の半分以上が抉れ焦げていたが無視し、ギャン改の足元へ投擲。

相手はシールドで正面をカバーした体勢で後退を選んだ。

その隙に脚部スラスターで急減速をかけ、太さ一センチほどに見える街頭の柱へ足裏を乗せる。

街頭は重量に耐えきれず、ミシミシと音を立てながら首をたれた。

それが折れる寸前で再び跳躍。ちょうどギャン改の右側頭部へ蹴りを入れる。

ギャン改はおおきく吹き飛び、ビルの壁面へめりこんだ。

 

「!ランスが来る!」

 

ユージの声より一拍後れてアラート音が鳴る。

友の観察眼は、槍の穂先が煙をかきわけるときの微かな揺れを捉えていた。

すかさず拳で槍の側面を殴り、切っ先を反らす。

 

「ビーム兵器をなくしたのが仇になったな!」

 

続けざまに膝を狙ったローキックを二発、シールドの周縁を掴んで膝蹴りを一発。

そして衝撃でがら空きになった上半身めがけて、回し蹴りを叩きこむ。

長い間AGE-1を操縦する内に、その機体特色にあわせてオレ自身の戦闘スタイルも変化していた。

ビルドカリバーを除けば、エトワールには徒手空拳しか残らない。

そこで周囲のオブジェクトやカリバーそのものを物理的な始点に定め、キックを主体にした格闘戦に偏ったのである。

ギャン改がシールドの裏側に手を伸ばす。

 

「ライフル!」

「隠し持っていたか!」

 

動きが止まった時点で勝敗は決まった。

真後ろに突き刺さったままのビルドカリバーを片手で引き抜くと、ギャン改の頭頂部から人間の脊椎に相当するあたりまで貫く。

 

「ユージ!」

「エネルギーサプライ、正常稼働!いけるよ!」

 

オレはその言葉を聞き、ウェポンスロットの二番目を選択する。

本来ビームを吸収しなければ開くことのない、カリバーの刃が爆砕ボルトで上下に割れる。

一年前のバトル以来、改修を続けていたのはギャン改だけではない。

ユージも、ビルドカリバーの弱点を克服するために地道な改良を行っているのだ。

ジェネレーターから直接エネルギーを供給され、シグマシスライフルの銃口から閃光が炸裂する。

その一撃で、ギャン改は内側から構造を完全に破壊された。

 

『BATTLE ENDED』

『決着――!第三回東京ジュニアカップの優勝者は、ツガミ・ユウジくんとアレックス・メルフォールくん組の優勝です!』

 

粒子が収束し、アナウンスが流れる。心地いい拍手喝采を浴びる。

肩の力を抜いたとたんにユージが真横から飛びついてきた。

飯屋を手伝っているくせに食が細いので、疲労したオレでも簡単に受け止めることができた。

 

「やったね、アレックス!」

「ああ」

「はじめて大会で優勝できた!」

「今まで出ていなかっただけだろう?」

「ボク一人じゃ絶対無理だった!キミのおかげだよ!」

「……まあな」

 

早口でまくしたてて、ユージはふと正面を見た。

オレたちの反対側、ホソカワとナエダが悔しそうにこちらを見つめている。

特にホソカワの視線には明確な憎悪が籠っていた。

ユージはそんな相手の前で、無邪気に喜ぶ行為に気が引けているようだった。

 

「敗者を気にかけるな」

「でも……」

「そういう感情は相手がみじめになるだけだ。特に今のような場合はな」

 

そもそも両者は日常的にユージに嫌がらせを行っている連中だ。

オレが側にいるようになってから機会と回数は激減しているが、決して和解したわけでもない。

同情はおろか、いい気味であるとすら思うのが普通のはずである。

とにかくオレの友は優しすぎる性格が短所のひとつだった。

 

「それと、いい加減オレから離れろ。観客に笑われるぞ」

「あっ、ごめん」

 

ユージはオレの肩口から泡を食って離れ、赤面した。

さすがに正面から密着したことは未だにないが、このスキンシップは体裁のいいものでもないだろう。

 

Side Yuji

 

ボクたちはオザワさんの車で帰途についていた。

優勝トロフィーが入ったケースは後部の荷物入れで厳重すぎるほどの処置を受けて輸送されている。

さすがに一日での連続戦闘は気力も体力も使うようで、アレックスはうたたねをしていた。

 

「むー……」

 

ボクはといえば、アイデアノートを兼ねているスケッチブックを両手に持って悩んでいた。

エトワールの改良案が頭打ちになってしまったのだ。

これまで、様々なプランを立案してはアレックスにプレゼンし、同意が得られたら形にしてきた。

しかし、それはエトワールの弱点を埋めていく地道なものばかりで、戦術を根本から変更する『ウェアシステム』や『ビルドカリバー』をのぞく大型武装などは悉く却下されてきた。

そうなるとボクの想像力も限界を迎えてしまう。

いかにしてエトワールの汎用性を崩さず、アレックスのバトルスタイルに影響しないままのカスタマイズを行うか。

何か師匠からヒントをもらう必要があると痛感していた。

 

「到着しました」

「ありがとうございます。オザワさん」

「いえ……」

「アレックス。ほら起きて」

「ん……」

 

車は静かに停車し、ミラーごしにオザワさんがこちらの様子をうかがっていた。

ボクは素早く一礼すると、隣で眠っているアレックスを揺り起こす。

彼はひどく不服そうにゆっくりと瞼を持ち上げた。

 

「着いたか」

 

後部ドアがオザワさんの操作でゆっくりと開き、先にアレックスが下りる。

ボクはそれに続こうとして、彼の意外と華奢な背中にぶつかった。

 

「いてっ」

「わざわざお出迎えとは、珍しいじゃないか」

 

アレックスは車のほど近くで、腕を組んで仁王立ちしていた。

彼の陰からその方向を覗き込むと、店の前にちんまりとした人の姿があった。

ナガイ・トウコ師匠だ。

桜色の着物に身をつつみ、皺だらけの顔をくしゃくしゃに綻ばせていた。

 

「ほほ。お主たちがジュニアカップを制した祝いを送ろうと思ってな」

「祝い?」

「そうじゃ」

 

そう言うと袂から何かを取り出して、それを入れた拳を逆さにして止めた。

視線でボクらに受けるように促している。

ボクはアレックスの隣をすり抜けると、掌を差し出した。

ポトリ、と冷たい物体が二つ落ちた。

セルリアンブルーの水晶だ。まるで、プラフスキー粒子を冷やして固めたかのような色彩である。

 

「これは?」

「粒子の結晶体だな。ヤジマが筐体に収納している、ガンプラバトルの中枢だ」

 

先に答えを出したのはアレックスだった。

彼はボクの手にある結晶体の内、ひとつをひったくる。黒い革の保護グローブの上で、結晶体はキラリと輝いた。

 

「たかが一地方大会の優勝祝いにしては豪勢じゃないか。これを所持できるのは現代ではごく少数のはず」

「現代ではないから、ワシが持っているんじゃよ」

「どういう意味だ」

「これは十数年前の研究途上に偶然生まれたものじゃ。あの実験場でな」

「山の中にあった、例のみすぼらしい旅館か」

 

アレックスが言及したのは去年の夏に行った合宿場のことだろう。

はじめてビルドカリバーを使った部屋には無数の設計図やメモが残されていたし、実験場だったと言われても納得はできる。

それ以上に奥深い事情を二人は知っているようだけど、ボクだけは蚊帳の外だった。

 

「これはお主たちの成長が一定の段階に至ったとわかった時点で渡すと決めていた」

「一定の?修行が終わった、とかじゃなくてですか?」

「ユウジ、お主そろそろ、ガンダムの改修に限界を感じていたじゃろう」

 

ボクはぎくりとする。

とっくに師匠はお見通しだったのだ。それが顔に出ていたようで、師匠はにっこりと笑うと骨ばった指で、ボクたちの手の中にある結晶をさした。

 

「二人ほどのレベルのビルダーとファイターが成長を続けた場合、どこかで個人の限界値を迎える。それを突破させるには、己の価値観を根本的に覆すほどの大きなイベントが必要になる」

「それが、この粒子結晶」

「お主たちがそれをどう使おうが自由じゃ。せいぜい自分の限界を突破してみせい」

 

師匠はしわしわの喉の奥で、コロコロと笑った。

 

Side ALEX

 

ツガミ食堂での優勝祝いを終えたあと、オレは一人でカウンター席に伏せていた。

さすがに疲労が限界を超えて、身体を動かす気力を失っていたのだ。

背後のテーブルでもツガミ商事の社員が何人も、酒盛りの挙句に酔いつぶれている。

ときどき、上の階からユージの笑い声が聞こえてきた。

両親と三人で談笑しているようだ。

あの家族はオレと違って、当たり前のように身内で笑いあうことができている。

それに対して、オレは羨望とも寂寞ともつかぬものを覚えていた。

 

「アレックス。しばしいいかの」

「……明日にしろ」

「ユウジがお主の側にいないときは貴重だからのう。今が望ましい」

 

いつの間にか、隣に老婆が腰を下ろしていた。カウンター席の丸椅子はかなりの高さがあるのに、器用に脚をぶらつかせている。

オレは仕方なしに寝返りを打った。

ナガイは一升瓶を開けているところを見たはずだが、呂律もしっかり回っているし顔つきは涼しげである。

 

「お主だけに、話がある」

「手短に言え」

「ワシの得意技を、お主に伝授しようと思う」

 

それを聞いて、にわかに眠気は吹き飛んだ。

心剣流の奥義たる『居合斬り』の伝授。

それは酒の勢いにしてはあまりに重大すぎる話題だった。

思わずナガイの方へ身を乗り出す。

 

「本当か」

「酔ってはおらん。もしも知らぬふりをしたら、いつでも問い詰めていい」

「……詳しく聞かせろ」

「お主、自分が成長の限界を迎えた自覚はなかろう?」

 

オレは素直に頷いた。

ナガイも指摘していたが、ユージの機体改造は袋小路に入り込んでいる。

原因はオレがあいつのアイデアを却下しているからだが、それは単純につまらなかったからだ。

ビルドカリバーという『神器』になりうる武器を造り出した男が、タイタスやスパローのマイナーチェンジ程度にとどまっていいはずがない、という期待からだった。

この結晶体という種火を与えられたからには、いつかあいつはカリバー以上のものを生み出すに違いない。

一方で、オレの戦闘技術はブレイクスルーすら到達していない。

進歩の速度で友に劣っていた。

 

「誤るなよ。ユージと同じ速度で成長しているにもかかわらず、スキルアップが留まることを知らぬだけじゃ。スランプへの助け舟ではない」

「どういう風の吹きまわしか、話の先行きが見えない」

「ユージのように薪を間断なくくべる成長方法では足りん。お主には、ひとつのゴールを示していく方針にした」

「……」

「落ち着け。そんなに力んでも、『居合斬り』の方法をすぐに伝える訳でもないのだ」

 

グローブに汗がにじみ、腕の鳥肌が止まらない。

ともすればメルフォール家半世紀の妄念を断ち切るかもしれない一大事だ。

この一年で感情が理性に先立ちやすくなっていたので、とても平静を保ってはいられなかった。

 

「無論、手取り足取り教える訳ではない。お主が自ら、同じ技を放てるように促すだけじゃ」

「技を見様見真似で覚えろということか」

「そう簡単にはいかんよ。これまで通り、ワシは基本的に『居合斬り』を使わずにいる」

「つじつまが合わないぞ」

「だから『ワシをその気にさせろ』。それだけでいい」

「……自分で言っていて詐欺じみていると思わんのか」

 

要するに、普段から多忙なナガイを捕まえた上で戦いのフィールドに引きずり出し、なおかつ『居合斬り』を出すぐらいまで追い込めというのである。

ナガイ本人が明言した以上、伝授の可能性がゼロではなくなった程度で、ハードルの高さはむしろ高くなったとさえ思う。

唸るオレに、ナガイは追い打ちをかけた。

 

「そして、ワシがその気になる相手はお主とは限らん」

「!」

 

うかうかしていると、ナガイはオレの眼前で、オレ以外のファイターに技を使うと示唆した。

どこの誰とも知らぬ相手に、自分のこだわりが先を越される屈辱など想像したくもない。

それはオレがこれまで見下してきた凡百の相手よりも、オレは無価値であるという意味ではないか。

祖父の妄念以前に、オレのプライドが賭けられていた。

 

「一番危険な相手はユージかもしれんのう。ワシの技の原理は簡単じゃからのう。案外、観察眼で見抜いてお主より先に身に着けるやもしれん」

 

ツガミ家の談笑が、また耳に届いた。

オレの動揺など知る由もなく、友は幸福を謳歌している。

うつむくと、カウンターの磨き上げられた机にオレの顔が映りこんでいた。

いつものように自信を発露させた笑みも、はっきりとした憎悪を燃やすこともできない。

焦燥と混乱で感情が飽和して、オレの表情筋は機能を停止していた。

 

Side Yuji

 

アレックスと迎える、二度目の夏休みがやってきた。

身体が溶けそうなほどに照りつける陽光。

屋台やイベントブースが互いをアピールするための音楽。

そしてそこに集う人々の熱気。

様々な要素が一つにまじりあうと、週末のお台場で巨大な陽炎になって立ちのぼっていく。

ボクとアレックスも、そのただ中をゆだっていた。

 

「まだ立像の写真を……」

「この間も撮っただろう。待機させているオザワに連絡して撮影してもらえ」

「そ、そこまで必死でもないけど」

 

親友が人込みを強引に押し分けていく後ろを、よたよたと追従する。

ボクとあいつの距離はほんの少ししか離れていないのに、その隙間をすぐに他人が埋めてしまう。気がつけば写真撮影のことは頭の片隅へ消えて、時々のぞく茶髪と、意外と小さな背中を追うのに必死になっていた。

 

「まだ時間はたっぷりあるから急がなくても大丈夫だよ」

「エキシビションマッチは時間が前後すると聞いた」

「それでも五分くらいでしょ。まだ一時間前じゃないか」

 

建物に入ってから十数分かけて、ようやく最上階へ続くエスカレーターにたどり着いた。

周囲はぱっくりと無人の空白があって、そこで一息つく。

視界の端にはシャアの深紅に塗装された自動車の展示があるが、それをまじまじと見ている暇も与えられないだろう。

アレックスの言う通りエキシビションがあるのだ。

この真上に位置するアミューズメント施設『Gミューズ』に、師匠が向かうと言い出したのは一昨日のことであった。

そこで開催されるガンプラ初心者向けイベントに、特別ゲストとして招致されたらしい。

警備担当のトップであり、普段は広報の仕事を断る師匠だったが、なぜか今回は重い腰を上げた。

 

「ユージ。下を見てみろ」

 

二人してエスカレーターに乗ると、アレックスに促されるまま、ボクは階下を見下ろす。

黒や茶、白、ほんの少しの金。

多種多様な色や長さの人の頭が、フロアを蠢いていた。

あれを通り抜けてきたと思うと、ちょっとした冒険をくぐり抜けてきた気分になる。

 

「あそこにいる人間の内、ナガイ・トウコのバトルという出来事の価値がわかる人間は、どのくらいいるんだろうな」

「……?」

 

彼の声からただならぬものをかぎ取って、ボクは顔を上げた。

いつもはすぐに喜怒哀楽を表に出すアレックスであったが、その時は、ボクの予想に反してのっぺりとした無表情だった。

そこには銃身の鉄のような重く、無機質な雰囲気が宿っている。

東京ジュニアカップを制した日以降、たまに彼はこういう陰りのある顔をすることがあった。

それはアレックス個人の感傷というよりは、彼のフランスの実家だとか、そういう複雑なしがらみに端を発しているように思われた。

そしてそういう深刻な兆候を垣間見せたとき、ボクは彼のデリケートな部分に触れてしまうのではないかと不安になって、つい目をそらしてしまうのである。

 

「あ、アレックス。あの店いいよね」

「どれだ」

 

強引に話を変えようと、ちょうどエスカレーターの先にある肉まんの店を指さす。

ハロの看板が掲げられていて、お台場に来るガンダムファンをねらった商品だと一目でわかる。

するとアレックスは口角を吊り上げて、いつもの自信満々な顔に戻った。

 

「ああ、うまそうだな。買ってくるから、お前は先にスペースを確保しておけ」

「え」

「さっき時間に余裕があると言ったのはユージだろう。任せたぞ」

 

相変わらずボクの同意は求めずに、勝手に途中で降りてしまう。

水をむけたのは自分なので、仕方なく最上階まで一人で行くことにした。

師匠のバトルを見た回数は、片手の指で数え切れるほどしかない。どんなバトルを見せてもらえるのか、いやおうなしに胸が高鳴る。

腰のホルスターに収めたガンプラ、AGE-1エトワールがカチャリと鳴った。

 

Side ALEX

 

肝心なところで目をつむりがちなのは、ユージの悪い癖だ。

人のデリケートな側面を抜群の観察眼でとらえたとしても、その対処には及び腰になるようである。おそらく、客と店員という線引きに厳しい家庭環境が、無意識の内にそうした性格を醸成したのだろう。

赤の他人と体よく接する上では必須のスキルなのかもしれないが、その対象に自分が含まれていると感じると、心の隅に黒いモヤがかかった。

 

「待たせたな」

「本当に時間がかかったね。並んでた?」

「いや。持ち帰りでは三個までしか買えないのが不満でな。店内の食事スペースで色々とつまんできた」

「あんまり食べ過ぎると、お昼ご飯が入らなくなるよ?」

「この程度なら間食にもならん」

 

Gミューズの中央に、このイベントのためにマルチスタックの筐体が運び込まれている。

せいぜい3on3が開催できる程度の規模だ。

その周りをぐるりと取り囲むように、立方体のクッションが設置されて、簡易的な観客席とされていた。

オレはその最前列にユージの後ろ姿を見出して、隣に座った。

戦利品の紙袋から、ハロの肉まんを新たに取り出すと頬張る。熱くジューシーな肉汁がしみだしてきて、なかなか美味だ。

 

「あ、もう始まるみたいだね」

 

天井の灯りが絞られて、筐体からプラフスキー粒子がほとばしる。

耳に痛いほどのBGMが鳴り響き、正面の巨大モニターにバトルの様子が映し出された。

オレはナガイの機体『ザ・パーフェクト』を目で探す。

フィールドは宇宙空間。特に月面を主戦場にしていた。

アクトザクなどの一般的な規格のガンプラから、ディープストライカーという全長数十メートルの巨大なものまで、千差万別の機体が飛び交っている。

その中で、カメラがとらえているのは月面の中央、ちょうど地球が顔を出して、強烈にその灰色の大地を照らし出している宙域だった。

オレはそこで、見覚えのあるガンダムに目をむいた。

両脚に増加装甲、両腕はレイザーをベースとした高機動用ウェア。

そして、日本語の「ヘ」の字型スリットのない顔パーツ。

 

「『AGE-1エトワール』だと!?」

「ボク渡してないよ!」

 

友の言葉は嘘ではなかろう。

ユージが腰のホルスターに愛機をしまい込んでいるのを、出かける前にオレも確認している。しかし、事実としてあそこに友のオリジナル・カスタムは存在して、同作品を原典とする『ギラーガ』と向かい合っている。

トリコロールの騎士と紅の竜人の対決カードは、オレたちの周囲の観客をおおいに熱狂させていた。

 

「なんのつもりだ」

 

十中八九、操縦者はナガイで間違いない。

ここからはセルリアンブルーの光が強烈すぎて、実際の位置を確認できないのが歯がゆかった。

ギラーガはあいさつ代わりとばかりに、胸部中央からビーム・バスターを発射した。

対艦クラスのエネルギーを、エトワールは側方へ体をひねるだけで回避。

その間に相手が跳躍し、必殺の距離まで詰めていることにも何の反応も示さなかった。

ギラーガの双頭の槍が突き出される。

対するガンダムの手に、ユージが作り上げた必殺の大剣『ビルドカリバー』は握られていない。

まったくの諸手だ。

観衆のほとんどがガンダムの敗北を確信しただろう。

 

「わぁっ!?」

「なっ」

 

果たして、切り裂かれたのはギラーガだった。

エトワールはマニュピレーターをまっすぐに伸ばして手刀をつくると、そのまま相手の腰から肩口にかけてを、斜に斬ったのだ。

剣を使わなくとも、ナガイ・トウコが発動したのはまごうことなき『居合斬り』であった。

歓声が上がる。

その一瞬の逆転劇は、フィールドのあちこちで行われている、他のやりとりの中へ埋没していく。

半世紀ぶりの奇跡に気づいているのは、世界でただ一人、オレだけだった。

 

「なぜだ」

 

それはわずか数秒の現象で、ガンプラバトルの常識を凌駕していた。

実際にプラモデルを操縦する絶対法則の下、バグやタイムラグは皆無にもかかわらず、あの模造エトワールは『後から出した攻撃を先に命中させている』。

原理不明。

理解不能。

かつての祖父のみならず、オレ自身が眼にしてもなお理解できない、人知を超えた一撃だった。

メルフォール家が固執するだけの価値がある、美しい技だった。

 

「アレックス!見て、あそこのファイターすごいよ!」

 

ユージがオレの肩を揺さぶる。

こいつの観察眼でさえ、その価値には気づけていない。

オレの一族の妄執は、大衆の娯楽としてあっけなく消化されていった。

 

『……あなたも、いつかそれを経験するかもしれませんよ』

 

来日したばかりの頃の記憶がフラッシュバックする。

オザワは自分の限界値の先を、当たり前に消費する人間に絶望した。

 

『そして、ワシがその気になる相手はお主とは限らん』

 

ナガイは最初から、奥義をオレに見せる気はなかったと言外に示していた。

二つの言葉はオレの内側でやり場のない怒りに還元されて、ついさっきエレベーターから見下ろした無辜の群衆へ重なっていく。

オレのすべては、あの観客にすら及ばない。

右手に持っていた紙袋が、音をたててひしゃげた。

 

Side Yuji

 

会場を出るとき、アレックスは非常に機嫌が悪かった。

空になった紙袋が小さいクズになるまできつく握りしめ、大股で歩いている。眉間には深いしわが刻まれて、細い唇は引き結ばれていた。

ボクは流石に理由を尋ねようと、彼の隣や正面をグルグルとしていた。

 

「ねえ、ボクなにかまずいこと言っちゃった?」

「お前のせいじゃない。気にするな」

「じゃあ何でそんなに怒ってるの」

「……」

 

あまりにしつこいからか、彼はようやく足を止めてくれた。

ボクの方へ向き直ると、腕を組んで答える。

また、あの無表情に変わっていた。

 

「お前は気づかなかったようだが、ナガイが心剣流の奥義を使った」

「師匠が?」

「封印して五十年。オレたちにさえ、さんざん勿体ぶって使わなかった技だ。それをあんな、どこのとも知れぬファイターに使うなど」

「それだけ強い相手だったんだよ」

「強い相手だと?」

 

アレックスの口元に、かすかに侮蔑と嘲笑が浮かんだ。

よほど気がたっているようで、大仰に肩をすくめる。

 

「あれのどこが、ナガイ・トウコの『居合切り』を使うに値するファイターだったのだ。ビーム・バスターとスピア程度で世界クラスになるなら、オレはとっくに世界チャンピオンだ」

「戦ったこともない人の実力を、勝手にバカにしちゃいけないよ」

 

師匠の考えは師匠本人にしかわからない。

それまでの動きでギラーガの実力を見定めた可能性だってある。

何より、対戦経験のない相手を他の試合の動きだけで裁量するなんてアレックスらしくもない言動だ。

いくら自信過剰で王様気取りだからって、彼はそんな迂闊な真似をしてこなかった。

ボクの戸惑いをよそにアレックスは語気を荒げる。

 

「お前だって見ていて気付いただろう。あの技の違和感を」

「ボクはガンプラバトルを楽しく見ることを優先したいんだ。全部を注意して観察、分析している訳じゃない」

「オレが楽しんでいないって言いたいのか!?」

「そうじゃなくて……」

 

言葉尻を捕らえられて、すっかり萎縮してしまう。

彼がここまで怒り、当たり散らすこと自体が珍しく、ボクは完全に参ってしまっていた。

 

「……いったんオザワさんのところに戻って落ち着こうよ。師匠とはゆっくり話をすればいいじゃないか」

「いや。オレは少しバトルをしていくつもりだ。ナガイの本物の『居合斬り』を見た以上は、すぐにでも再現できるようにならなければ」

「アレックス!」

 

自暴自棄に陥っている。

服の裾を掴んで引き留めると。彼は口角を吊り上げた。

 

「なに、オレとお前のことなら大丈夫だ」

 

同世代にしては高めの、鈴を鳴らすような声が震えている。

いつもの自信満々の態度に思えて、その実、取り繕ったことが明らかだった。

もろく崩れさりかけた表情を見て、ボクは心臓を締め付けられる。

親友の暴走を止めなければならない使命感に襲われた。

 

「今のキミじゃ師匠には追いつけない!」

 

だからつい、そんな讒言が口から飛び出してしまったのだ。

言ってすぐに発言をひどく後悔したが、遅かった。

あのアレックスの頬を、透明な水滴がつぅと伝って、整ったおとがいを滴った。

 

「お前なら、付いてきてくれると思ったのに」

「え?」

「……いいや違うな。『一族』の執着も、ナガイとの確執も知らない一般人に、期待したオレがバカだったのか」

「ちが……ボクは」

「貸せ。オレは、弱い奴は嫌いだ」

 

ボクの手からAGE-1をひったくるなり、踵を返して親友は雑踏へと突き進む。

その間をたくさんの人が埋めていった。

何人かは言い争いを聞いていたらしく、不審な顔つきでボクを見やってから通り過ぎる。

ボクらには途方もない距離が開いていた。

彼の言い捨てて行った言葉は、ボクに深く刺さって、追いかけるための足を縫い留めてしまっていた。

 

 

Side ALEX

 

台場のゲームセンターで数十回のバトルをこなして、屋敷に戻ってきた頃には日がとっぷりと暮れていた。

オレはだだっ広い食卓の中央に一人で座らされている。

当主に連なる者のみが着席を許され、故に無駄な空間があまりに多い。

頬杖をついて待っていると、料理長が清潔な白服に身を包み、金属製のトレイを片手にやってきた。

 

「お待たせいたしました」

 

差し出されたのは、故郷でも豪勢とされる料理の数々だ。

最高級の食材と調味料、器具を総動員して作られ、世界ではありつけない者がほとんどだろう。

 

「……」

 

ほんの少しだけ口に入れる。

美味いはずなのだが、砂を噛んでいるようだ。

黙って皿を押し出すと、料理長は困惑した素振りを見せた。

 

「お口に合いませんでしたか」

「いや……悪いが、今日は食欲がない。お前たちで始末してくれ」

「……はい」

 

きらびやかな皿はほとんど手つかずのまま下げられる。

その様子を横目に、オレはズボンのポケットに手を入れて、AGE-1を取り出そうとした。

すると何かが絨毯の上に柔らかく零れ落ちた気配がした。

人差し指と中指でそれをつまむ。

空色の結晶体。

オレとユージに渡された、あの石だった。

 

「アレックス様」

 

入口にオザワが立っていた。

おそらく料理長の報告を受けて、世話役としてオレの様子を見に来たのだろう。

 

「ユウジ様から話は伺いました。心剣流の奥義を、伝授されなかったと」

「そうじゃない。勝手にオレが期待して、裏切られただけだ」

 

いつか、ナガイが技を使うにふさわしい強さまで上り詰めてみせるという意志があった。

だが、そもそも奴にとってオレの野望など唾棄すべきものだったに違いない。

考えるだけでバカバカしい気分になる。

結晶体を彼女めがけて放った。

オザワはそれを片手で受け止めた。

 

「捨てておけ。今のオレには無意味なものだ」

「本当にそうでしょうか」

「何がだ」

この国に来てから久しぶりに、オザワは教師の顔になった。

 

「プラフスキー粒子の結晶体の効果は未知数です。あなたが期待したように、自分の限界をこえ、居合斬りを体得できるようになるかもしれません」

「ユージならうまく使っているさ」

「ですが、ただの粒子結晶体なら、ナガイ氏が秘蔵していたものを渡す必要はあったのでしょうか?」

「どういうことだ」

「ただ結晶体によるブレイクスルーを狙うなら、ヤジマ製の粒子でも構わないのです。公式審判員であるナガイ氏なら、入手も容易いでしょう」

 

オザワはオレのすぐ側までやってくると、結晶体を返してきた。

これはヤジマ製の粒子結晶体ではなく、三年前の暴走事故を生き残った旧来の粒子でできている。

世界でたった二つしかない宝物を、オレと友に託した理由を考えろというのだ。

 

「あの方はあなたに、メルフォール家の目的は関係なく、自分で意味を見出してほしいのではないのでしょうか」

 

心剣流の技を極めるための、踏み石以外の使い道を探す。

それは随分と難題であるように思った。

 

「オザワ、当主への定期報告は何日ごまかせる」

「私だけの代理通信が許可されているのは、最長三日です」

「十分だ。三日間、ジジイにも部下にもオレの行動に一切手出しをさせるな。いいな?」

 

そう言うと、オレは食卓から立ち上がった。

 

Side Yuji

 

お台場でアレックスに怒鳴られてから、二日が経過した。

二年間ではじめて、彼が食堂に来ない日が続いた。

ボクの対応は、彼にとってどうしても腹に据えかねていたのだ。

申し訳なさに泣きたくなるが、クヨクヨしていたらそれこそアレックスに叱られる。

彼からの信頼を取り戻し、仲直りするには、一度信頼してもらったものを使うのが一番だ。

 

「流石に一気に用意しすぎたかな……」

 

叔父さんの模型店『ビシディアン』。

作業用のカッターマットの上には二枚の設計図が広げられていた。

アレックスと友達になる前から、彼は料理とガンプラの腕は評価してくれた。

それならばガンプラでアプローチするべきというのが、ボクの出した結論だった。

一枚目は、エトワールへ搭載する予定の支援プログラムだ。

第七回世界大会で使用された伝説の機構『RG』システムをベースに、師匠からもらったプラフスキー粒子の結晶体を有効活用できるものを考案中である。

要するにボクがいなくても、ちょっとだけ手伝いができるような代物だ。

二枚目は、アレックスお気に入りの武器である『ビルドカリバー』の発展型、いわばバージョン2と呼ぶべき剣。

一枚目と連動した色々を詰め込んだから、アレックスはきっと気に入ってくれる。

 

「でも、これ作るのに何年かかるかなあ」

 

支援システムとビルドカリバーはアイデアこそあっても、具体的な実現手段は白紙だ。

システムはガンプラバトル用のプログラム知識を勉強しなければならないし、途方にくれている状態であった。

 

「限界値の突破はできそうか?」

 

手元に夢中になっている間に、師匠が作業部屋へ入ってきていた。

彼女は無遠慮にボクの設計図をのぞきこむ。

 

「む……これは」

「それなりに自信作なんですけど、かかる工程が想像つかなくて」

「これを、アレックスに渡すのか?」

「当然ですよ」

 

普段は察しがいい人に変な質問をされた。

親友へのお詫びを兼ねているのだから、渡さなければ意味がないのだ。

ファイターではないボクが使ったところで持ち腐れになってしまう。

 

「……少し昔話をさせてくれ」

「ええ。気分転換にもなります」

 

問いかけの意味を教えてくれるというのでもなく、師匠は話題を転換する。

顔つきは深刻で有無を言わせぬ迫力があった。ボクは丸椅子を回転させて向き合うと、もう一つ椅子を引き出して勧めた。

師匠が座ると、目線の高さはこちらが上になってしまう。

その節くれだった指先が、木製の杖の先端をなぞった。

 

「おぬしが貿易商と食堂の一人息子であるように、ワシは没落した武家の末裔でな。幼い頃から『誇り高き現代のサムライであれ』と毎日のように言い聞かせられた」

「かっこいいですね!」

 

現代のサムライという響きにボクはときめいたが、師匠にとっては苦々しいらしい。

 

「所詮は古い言い伝えにすがりつく一般家庭にすぎん。しかしそんな家で、どういう訳かワシは相手を倒す才能を持って生まれてしまった。自分の背丈の倍はある師範を倒せ、とか山に入ってクマを鉈で斬り殺せ、とか無理難題を喜々として親に命じられたよ」

 

殺意を察知する嗅覚。

急所を見抜く観察眼。

あらゆる防御を貫くためのパワー。

戦争がとっくに終わり、平和が当たり前になっている日本で、師匠は戦える才能を、戦うためだけに磨かれた。

その在り方は、ボクにはどこかの誰かさんによく似ていると感じられた。

 

「他の活かし方があったのではないかと気づいた頃には、ワシは自分の才能を忌避するようになっていた」

「でも、師匠はバトルシステムを開発してたんですよね」

「戦いを遊びとして楽しめる可能性に、夢を見ていたのかもしれん。レオ・メルフォールに出会ったのもその頃じゃ」

「メルフォールって、アレックスの?」

「祖父にあたる。互いの技術や知識を交換し、切磋琢磨しあう関係は悪くなかった」

 

師匠が語る五十年前の思い出も、ちょうどボクたちのようだ。

これまでの楽しかった記憶が蘇り、今抱えているアレックスへの気まずさが少しだけ溶けた気がして、頬が緩む。

 

「……だが、レオの本性はワシの想像をはるかに超えておぞましかった」

「えっ」

「出会ってからずいぶん経った後、故郷で身内だけの研究に引きこもったはずのレオが、ワシの前へいきなり現れた。奴はこう言った。『最強の血が欲しい。お前のすべてをオレによこせ』と」

 

師匠の仲間であったレオ・メルフォールという人物が要求したのは、天才だった師匠の血を引く何か。

そして恐らくは、彼自身の血も引いた何か。

文言だけ聞けば、映画で流れるような愛の告白のようにも思えるそれは、師匠がなによりも忌み嫌う戦闘の天才というラベルに惑わされた、人の狂気の発露だった。

師匠は吐き気をこらえるように口を手で覆いながら、ボクへ問いかける。

 

「ユウジ。それから長き時が経って、レオによく似た、孫と名乗る子供が現れた時のワシの気持ちがわかるか」

「…………?」

「この二年間、見守ってきた。アレックスはお主を友と呼んでも、まだレオと同じ目で見ている」

「師匠、あの、何が言いたいんですか?」

 

そんな話の運び方ではまるで、ボクの友だちがそんな恐ろしい人物と同類であると言いたいようだ。

 

「お台場で心剣流の技を披露したのは、アレックスの真意を試すためじゃ」

「わ、わざとやったんですか!?」

「もしもレオの孫が、怨念から生まれた怪物だとしたら。ワシの気づかぬ内にユウジを傷つけるかもしれない。たとえ、アレックス本人から恨みを買おうとも、悲劇はなんとしても避けたかった」

 

カッと眉間に血が上った。

二年間も一緒にいて、弟子として技を教え込んでおいて、師匠はアレックスを信じられなかった。

彼の尊敬と憧憬を一身に浴びながら、その気持ちをわざと突き放した。

人にスペックで品定めされることを何よりも嫌いながら、自分こそがアレックスを、レオ・メルフォールの後継者という色眼鏡で睨み続けていた。

なんと、ロクでもない人だ。

 

「あいつだってあなたの弟子ですよ!」

「弟子として愛情はあった。だからこそ、最後の最後に信じたかった」

「そんなの、おかしいのはアレックスじゃなくて、師匠の方じゃないですか!」

「ユウジ……」

「あなたなら、もっと優しく伝える方法だっていくらでも選べたはずなのに」

 

師匠も自分の選択を後悔して懺悔しに来たのだろう。

だからこそ卑怯だと感じる。

ここにおいてなお、アレックスと向き合うことができず、中途半端な赦しを願っていたのだとしたら。

ボクは親友の代わりに怒るべきだ。

 

「……すまない。ワシは、お主たちの期待するような聖人君子ではないのだ……」

 

師匠の体は小刻みに震えていて、本来の背格好以上に小さくみえた。

 

 

Side ALEX

 

祖父への定期報告をごまかして三日目を迎えた。

今日中にオレは自分自身の感情に決着をつけなければならない。

その間、身体を動かしていないと落ち着かないのもあって、バトルも欠かさずに続けていた。

 

『よそ見してんじゃねえ!』

 

正面から中華風の意匠をもつアルトロンガンダムが挑んでくる。

アプローチこそ違うが、『龍』『槍』という構成要素がいつかのギラーガを連想させ、オレの神経をかき乱す。

 

「冷静になれ……」

 

自分に言い聞かせて、三つに分かれた槍の切っ先をかわす。

反撃のスキを直感するも、次の攻撃を感知した脊髄の反射がその判断をねじ伏せる。

ドラゴンハング。

龍の頭部を模した長大なクローが、本命としてAGE-1に襲いかかった。

直前に跳躍したが、爪が脚部のプラスチックをちぎり飛ばす。

視界いっぱいに空が広がった。

スラスターで方向転換。しかし空中では思うようには身動きが取れない。

既に三叉槍の切っ先が、こちらを捉えている。

 

「ちいっ」

 

オレは操縦桿を強引にかなぐった。

モニター右半分がバツン、と音を立てて破裂する。

槍が側方を通過していく轟音がスピーカーを震わせる。

隻眼となったエトワールのカメラアイが、ぎょろり、とトライデントを睨んだ。

槍は今まさに虚空へと放り出されようとしており、その最後尾を掴む。

瞬間負荷は計り知れず、右腕装甲の隙間からスパークが散った。

 

「あいつのガンプラならば、持ちこたえてみせろ!」

 

オレの気合へ呼応するように、火花はオレンジから、鮮烈な紫色へと変貌する。

 

『なにっ!?』

 

アルトロンのファイターが動揺で動きを停めた。

がら空きの胸部めがけて槍を投擲する。

アルトロンは地上に縫い留められて、ぐったりと四肢から力を失った。

 

『BATTLE END』

 

集まった野次馬からまばらな拍手が送られる。

オレは両肩の筋肉をほぐし、ガンプラを回収した。

 

「今の観たか!?」

「最近ウワサされている『紫電』ってアイツのことか……」

「てっきり紫色の機体に乗っているからだと」

 

野次馬がオレや対戦相手の後ろで、やいのやいのと騒いでいる。

短期間に苛烈に戦い続けたせいで『紫電のアレックス』という通り名がどこともなく湧き出てきたらしい。

ファイターにとって固有の二つ名を戴くというのは至上の名誉だが、個人的には気に食わなかった。

せっかく故郷の色を背負った機体なのにその要素がまったく伝わらないし、なにより、そこにオレの相棒の要素が加味されていない。

孤独な模擬戦をしておいて、そういう我儘がオレに渦巻いていた。

 

「アレックス様。聞いておられますか」

 

我に返るとオレはオザワが運転する車の後部座席に収まっていた。

ほとんど無意識にゲームセンターの外まで出て送迎を受けていたようだ。

 

「ご当主が火急の命令があるため、なんとしても繋げと」

「そうか……」

 

掌に結晶を転がす。

結局、オザワの言うような『自分で意味を見出す』ことは三日間がむしゃらに戦いつづけてもできなかった。

得られたのは不要な渾名と技量だけ。親友との仲は修復できず、ナガイの技の領域へ届くきっかけも見いだせず、オレはただウダウダとしていただけだった。

無為な気分でタブレット端末を開き、故郷の祖父へ繋ぐ。

数コールののちに、あの人工灯で甘ったるく染められた部屋が映し出された。

 

「ジジイ、何の用だ」

『……ナガイの奥義を伝授されそこねたそうだな。』

「あんたができていれば、こうして悩む必要もなかった」

『そうだな。お前たちはこの世に生を受けてすらいなかったろう』

 

堂々と言ってのける神経は最早人間のそれではない。

病床に臥せったまま、執念だけがくすぶっていると人の情など腐り果てる。

その腐敗したミイラもどきがどんよりとオレを見据えていた。

 

「緊急の命令とはなんだ」

『我が孫よ。お前をフランスに帰す』

 

耳を疑った。

このタイミングでオレを本国へ帰還させるとは、それこそ日本へやってきた意味がない。

バックミラーごしのオザワは鉄面皮を保っていた。先に聞かされていたらしい。

 

「とうとう脳の随まで耄碌したか?数秒前に、自分が何を確認したと思っている」

『たしかに、ナガイの技の伝授というミッションは未達成だ』

 

モニターに別のスクリーンが表れて、何らかの折れ線グラフを示す。

下端にある時系列を辿ると、地区大会を境に、平坦を保っていた線はみるみる下降し、台場のイベントで地に堕ちていた。

まるでオレの気分の浮き沈みを図像化したかのようだ。

 

『出国前にお前に埋め込んでいたナノマシンから逐一送信しているバイタルデータだ』

「聞いていないぞ」

『知らせていない。お前が私の管轄を外れるほど情に流される場合を想定して、極秘裏に埋め込んでいた』

 

自分の身体を見下ろす。機械が内側にあるように違和感は一切ない。

ヤジマの技術解放による恩恵が、こんなところでも発揮されているのだろうか。

老爺は下卑た笑みを浮かべた。黄ばんだ歯の奥からしわがれた哄笑がのぼってきた。

 

『その目だ』

「なに」

『その獣のように憎悪をたぎらせた目、なんと醜い。私が欲しいのは、感情を理解し、なお切り捨てられる王者の資質である。お前のような感情に躍らされる失敗作ではない』

「貴様がこうしたのだろうが!」

『いやはや、貴様の蓄積したデータ自体は有効だったな。それは訂正しよう』

 

もはや寿命の灯も尽き果てんとしていたはずの男が、今日は饒舌だった。

オレのバイタルグラフの上に、今度は二体のガンプラの設計図が覆いかぶさる。

ムラサメでオレたち兄妹が使う予定の専用機のものだった。

 

『ツガミ・ユウジのアイデアと、AGE-1の戦闘データは『暁 雷光』と『ドミナンスザクウォーリア』の設計へ大きく寄与した』

「……」

『そしてお前が過度に摂取した感情の浮き沈みは、バックアップ用に『調整』する予定だ』

 

脳裏にオレと瓜二つの人間の姿がよぎる。

オレのきょうだいは、万が一のバックアップとしてフランスで待機しているはずだ。

そこへ定期報告や戦闘データ、バイタルグラフに刻まれたオレの心象を基礎に、ジジイによって手が加えられるということだろう。

まるでビルダーがガンプラに理想を託して、手を加えるように。

半世紀をかけた狂気はそれを可能にすると、オレはメルフォール一族としての感覚でわかっていた。

では、そのデータを集めきり、最重要の目的を果たせなかったオレはどうなるのか。

答えは明白だった。

 

『本国に帰還しだい、お前の記憶は消去して『再調整』を加える。既にオザワを通して、日本支部のメンバーが渡航準備を整えているはずだ』

「もしもオレが脱走を図ったらどうするつもりだ」

『そうだな……お前が憩う場所など数が限られている。それを片端から潰していこう。例えば、どこぞの大衆食堂とかどうだ?』

 

血の気が引く。

あの家族だけは絶対に巻き込んではならない。

 

「クソジジイめ」

『せいぜいほざくがいい。期限は夏季休暇が終了する明日までだ。それを過ぎれば、お前はただの傲慢な人間へと逆戻りする』

 

一方的に通信は切断された。

オレは茫然と、座席へ深く身を沈める。

明日、ユージと和解をするかどうかにかかわらず帰還させられるときた。外堀から埋められた絶対命令。オレが逆らうかどうかではなく、既に手が回されている。

このままではオレは祖父と同じだ

届かない才能に絶望し、執着し、かけがえのない友人と永遠に決別することになる。

 

「アレックス様。申し訳ございません。あなたを裏切るような真似を」

「いい。お前がジジイの命令に反抗して、味方がいなくなっても困る」

 

車はとっくに屋敷の前に停まっていた。

庭の周囲を部下の何名かが段ボールを抱えて右往左往している。

祖父の言葉は真実であった。

 

「……アレックス様。前を」

 

オレは上半身を乗り出して、オザワの肩越しにフロントミラーを見た。

情けないことにその姿を目にするだけで心臓が跳ねる。

ツガミ・ユウジが歩いてきていた。

相変わらずふにゃふにゃとした笑みをたたえて、まるでこちらの煩悶など意に介していないようだ。

すぐさま車を降りるとあいつの前に立ちふさがる。

屋敷の異変をあいつに悟らせたくなかった。

 

「話がある」

「うん。ボクも」

 

オレはようやく腹をきめた。

観念した、という方が正しいかもしれない。

ここまで尻に火が点いてようやく、あの石の使い道を思いついたのだ。

 

「ここでは人が多い。いつもの河川敷でいいか」

「そうだね。歩いて行こう」

 

三日ぶりの会話は、予想よりもすんなりと進んだ。

 

Side Yuji

 

アレックスの屋敷までの道中には河川敷がある。

広いなだらかな傾斜で、週末には家族連れがピクニックを楽しむような場所だ。

ボクたちはバトルの反省会場として利用していて、次の改造プランだとか、よもやま話をして過ごしていた。

二人で草の上に腰かけて、西の空へ目をやれば、夕日がバターのようにとろけて地平線で波打っていた。

 

「ん」

 

彼はこちらには目もくれないまま何かを突き出してきた。

AGE-1エトワールだ。

四肢はあらぬ方向へ湾曲しV字アンテナが中央からボッキリと折れている。

彼はホルスターを持っていないから、ポケットに無造作にしまって歩いていたのだろう。

ボクはそれを黙って受け取る。

今は取り扱い方について議論するべき時ではなく、話を切り出すべき時だ。

 

「師匠から、キミのおじいさんについて聞いたよ」

「あの女、余計なことを」

「うん。だから怒った。キミとちゃんと向き合わないのはおかしいって」

 

アレックスは目を丸くした。

ボクが怒ったというのが心外だったのだろう。

 

「お前まで、あの女と気まずくなることはなかろうに」

「もとはと言えばボクがキミの気持ちに気づかなかったのがいけないんだ。二年間ずっと一緒にいて、友達なのに」

「……」

「ごめんね」

 

ボクが頭を下げると、彼はなぜかひどくうろたえたように見えた。

しばらく落ち着かなそうに視線をさまよわせると、両の手を額に当ててうつむいた。

気まずい沈黙が二人の間を通り抜けていく。

またしても地雷を踏んでしまったかと思って、ボクは取り繕おうと試みた。

 

「本当はおわびに、とっておきの改造ガンプラを持ってくるつもりだったんだけど……」

「ユージ」

 

彼の凛とした声にさえぎられて、口を閉ざす。

その口調からは怒りとは違うような、それでいて非常に切羽詰まったものを感じ取っていた。

アレックスはやにわに立ち上がると、ポケットから空色の宝石を取り出した。

師匠からボクたちがもらった、プラフスキー粒子の貴重な結晶だった。

彼はそれに視線を落としていた。

 

「オレはこいつを渡されたとき、正直なところ、お前に劣等感を抱いていた」

「まさかぁ」

「いいから聞け」

 

ボクの驚きを掌で遮って、親友は話を続けた。

 

「あのとき、オレは突き当たるような限界すら見えていなかったんだ。霧中をさまよっていて、いきなりゴールの先に行くためのカギを渡された気分だったよ。お前はとっくに、そんな所を超えていたというのに」

「ボクは能天気なだけだよ」

「オレがそう思っただけの話だ。とにかく、オレはそんな自分に我慢がならなくて、お前に当たり散らした。みっともない話だ」

 

夕日がいよいよ沈みかかる。

夜のとばりが訪れる直前に日の光はいっとう強くなり、アレックスの横顔と結晶体を染め上げる。

 

「……こんな石も意味がないと思っていたが、今、お前を前にして思いついたことがある」

 

アレックスが振り返り、茶髪がなびく。

太陽光線がぱっと散りはねて親友の姿を背後から鮮烈に照らしだした。

それはさながら一枚の絵画のようで、ボクの記憶に一瞬で焼き付けられた。

 

「ユージ。もしもオレたちの間に何かあったら、この石のことを思い出せ。どんな時でも、どんな状況でも、オレはお前の友であり続ける」

「……」

「例えオレがすべてを忘れて、人間のクズに成り下がったとしてもだ。これは約束であり、オレの宣誓だ」

 

アレックスは笑った。

そこに普段のような誰かを見下す眼差しや、軽蔑の思惟は欠片もなかった。

夕日の眩しさに負けない、まばゆい純粋な輝きがそこにあった。

ボクはその大げさな宣言にしばし呆気に取られて、それから、つい噴き出してしまった。

 

「まるでヒーロー映画だね。キミが言うと」

「……よせ。そう言われると、今更ながら恥ずかしくなってきた」

 

彼は右手で顔を覆っている。グローブの指の隙間から見える頬は、真っ赤になっていた。

 

Side ALEX

 

翌日の早朝。

唐突に宣告された、日本からの帰還の期日がやってきた。

夏でも空気は冷ややかで、屋敷内でも肌が粟立つほどだった。

屋敷の内装は多くが片付けられ、人の気配も減っている。ほとんどの部下は先行して空港に向かっているはずだった。

オレは広間に居残って、オザワを呼びつけていた。

出発十五分前というギリギリの時間帯だからか、彼女は少し焦れている様子だった。

 

「しつこいようだが、撤退に際してツガミ商事には手を出さんのだな?証拠隠滅だとか、一族郎党抹消だとかは、ないな?」

「ええ。そう聞いています」

「ならいい。金輪際、こんな一族と関わるべきではないさ」

 

ユージは『暁 雷光』などの改良に関わっているし、次期当主であるオレについて仔細に把握してもいる。

ジジイが何かをしでかす予感を振り払いたくて、オレは何度もオザワに確認していた。

冷静に考えれば、メルフォールの関与を発覚させるリスクを冒してまで、零細企業ひとつを潰すような愚はさすがのジジイでも冒さない。

だが、万が一、億が一、友の平穏無事を祈らずにはいられなかった。

 

「それと、お前に一つ頼みがある」

「なんでしょう」

「お前はしばらく居残って、この拠点の後始末を監督すると聞いた。その間に、ユージにこれを渡してほしい」

 

取り出したるは古式ゆかしい紙の封筒だ。

電子データはジジイの息のかかった部下にもチェックされるので、アナログな方法に頼った。

中身には便せんで十数枚にも及ぶ長々とした手紙が入っている。

 

「これは?」

「たいした内容じゃない。オレの生まれについての下らない話題から、日本に来てからの所感まで、色々だ」

「機密に触れかねます」

「ユージにとってはSFまじりの日記にしか見えんよ。機密は、バレたらまずい人間に渡るから機密なんだ」

 

オレはユージに一切の事前連絡もなしに姿を消す。

あいつのことだ。オレの失踪に気づいたら三日は泣き暮らすに違いない。

その慰めに手書きのメッセージくらい残しても、罰は当たるまいと考えた。

それに、オレの出生だとか幼少期の話は、ごく普通の日本人であるユージには荒唐無稽にすぎる。

信じる人間がいるとすれば、せいぜいナガイが舌打ちをする程度だろう。

 

「オザワにしか託せない。組織の中で、ジジイよりオレを優先できる人間はお前しかいない」

「アレックス様……」

「頼む。オレがすべてを忘れたら、あいつにはこの手紙と結晶体しか残らないんだ」

 

オザワは周囲をうかがうようにして手紙を手に取り、懐深くに仕舞いこんだ。

 

「礼を言う」

「らしくありませんね」

「あいつとの友情がかかっている」

「……出発の時間です。行きましょう」

「ああ」

 

オレはオザワと二人で屋敷を出た。

生家ではないとはいえ、二年間も住んでいれば後ろ髪を引かれる気分にも陥った。

振り返ると、空の果てからどんよりとした灰色の雲が迫っていた。

オレが発つ頃には、日本は雨に降られている。

 

Side Yuji

 

あの河川敷で親友と『約束』を交わしたあと、ボクは叔父さんの模型店に引き返した。

本当はアレックスも呼びたかったけど、彼は家の用事に追われているらしい。

明日ツガミ食堂で昼ご飯を一緒に食べる予定を立てて、その場は別れた。

そして『ビシディアン』の工作室にこもること数時間。

工作用マットの上には完成したばかりのアデルが立っていた。

 

「にへへ」

 

自分でわかるほどに頬の筋肉が緩み切っていたが、次の瞬間、激しい雷鳴で我に返った。

外は土砂降りだった。

この天気では塗装は無理だろう。

ボクはデジタル時計の表示を確認して、思わず目をこすった。

 

「10時……?」

 

電波受信式の時計はきわめて正確に時を刻み、朝の10時と示している。

ボクとしたことが両親に連絡もなしに、一晩中我を忘れて作業し通していたのである。

食堂の準備時間はとっくに過ぎていて、母さんから大目玉を食らうのは確実だった。

ひとまずアデル作業机に立たせると、工作室の外へ飛び出す。

もう叔父さんは店を開けてレジに立っているはずだ。

果たしてその後ろ姿を認めて、ボクは声をかけた。

 

「叔父さん!母さんに電話しておいてくれた!?」

「ユウジ……」

 

広い背中で気が付かなかったけれど、叔父さんは何人かのお客さんに応対していた。

そんなときに大声を出したら迷惑だ。

ボクが縮こまっていると、思いのほか柔らかな口調が降ってきた。

 

「いいか。落ち着いて聞いてくれ。実は……」

「この子がツガミ・ユウジくんですね」

「おい。ちょっと待ってくれ」

 

レジカウンターの向こう側から、お客さんが叔父さんを押しのけてきた。

黒髪をオールバックに固めて、上下も黒のスーツにびっちり身を包み、神経質そうな面持ちでボクを見ている。右手の端末には見覚えがあった。

師匠も使っていた、国際ガンプラバトル公式審判員のライセンスである。

 

「公式審判員のホンゴウです。ツガミ・ユウジくんで間違いないね?」

「はい。そうですが……」

 

喉がごくり、と音を立てた。

やましい覚えはないのに、この人に射すくめられると前世の罪まで遡って吐き出しそうだ。

ホンゴウと名乗った審判員さんは、ボクにこう告げた。

 

「単刀直入に言おう。つい先刻、キミの父親であるツガミ・ソウイチ氏に、プラフスキー粒子関係施設の違法使用の疑いで逮捕状が出た」

「……えっ?」

 

突然横合いからトラックにぶつけられたような、あまりにも前触れのないショックが、ボクの頭頂部からつま先までを突き抜けていった。

父さんが、犯罪者になった。

その言葉を咀嚼し飲み込んだとたんに、心臓が早鐘を打ち、呼吸が勝手に浅くなってきた。

 

「あ。あの、それは」

「先刻、内部告発をうけて我々はキミの実家であるツガミ商事へ家宅捜索に入った。しかし、キミの両親は姿を消し、残された施設や筐体の内部データはすべて破壊されていた。完全な蒸発だ」

「……」

「逃走を図ったなら、息子であるキミも連れていくと考えたのだが、どうやら見込み違いだったらしい」

 

叔父さんが、審判員さんに掴みかかる。

襟元を締め上げられてなお、彼は顔色一つ変えなかった。

 

「姉さんとお義兄さんが違法行為などするはずがないだろう!」

「アシハラさん。それは身内だからこその、あなたの先入観にすぎないんですよ。現に告発者はいくつかの証拠を揃えて通報してきている」

「その、内部告発者っていうのは、誰なんですか」

 

ボクが乾いた喉から絞り出したのは、両親の質問ですらなかった。

告発者の正体。

それだけは尋ねてはいけなかったと、本能が警鐘を鳴らす。

手が自然と持ち上がり、両耳を塞ごうとするが、間に合わなかった。

「告発者はメルフォール財団。そういえば、キミはそこの御曹司と親しかったと聞いているよ」

「あっ」

 

瞬間、昨日の約束と夕焼けが強烈にフラッシュバックした。

焼き印を押し付けるように、脳髄へと強烈な熱さと痛みを与えながら、二度と忘れまいと悲鳴を上げる。

 

「……あ。ああ……」

 

ボクのたった一人の親友が、ボクのかけがえのない両親を、犯罪者であると告発した。

あの美しい約束を告げた次の日に、家族を奪った。

ありえない。

すぐに否定しようとして、ボクは舌が口腔に張り付き二の句を告げなくなる。

なんて答えればいいのだろう。

 

『親友との二年間はすべて嘘だった。彼は大ウソつきだ』

『親友は嘘をついていない。ボクの両親は犯罪者で、しかもボクを見捨てて逃げた』

 

この話はつまり、親友と両親のどちらかが裏切り者だと、選ぶということだ。

そしていずれを選んだにしろ、ボクは今、すべてを失っている。

最悪の事実は黒く、黒く大きな影法師となって、ボクの前へ迫ってきていた。

 

「ユウジ!?」

 

叔父さんの呼び声が急速に遠ざかっていく。

腰の下あたりで何かが砕け散る音が聞こえた。ボクの全身が床に叩きつけられる直前、ホルスターにしっかり仕舞っていたAGE-1がずり落ちて、粉々になったと感じ取れた。

―――どうしてだろう。

何に向けたのかもわからない、そんな疑問を抱えたまま、ボクの視界は影に沈んでいった。

 

Side アレックス

 

「おはようございます」

「……」

 

薄緑色の薬品をたゆたいながら、うすぼんやりと瞼を上げた。

オレが入れられているカプセルの丸窓を、オザワが覗き込んでいる。エアロックが解除されると、外気が入り込んで、さらけ出されている皮膚に突き刺さった。

ゆっくりと体を起こす。

ヘッドギアが頭部を重く拘束するので、取り外した。

ここはムラサメによる『再調整処置』を行うための部屋だ。

十メートル四方を壁で囲い、薬液で満たされたカプセルが二つ設置されているだけの殺風景な場所だった。

 

「お加減のほどは」

「それを聞くか?」

「いえ……」

 

今朝の『再調整処置』も最悪の感触だった。

薬液による疑似的な催眠導入と、ヘッドギアに搭載された音声や光パターンで記憶を書き換えているそうだが、脳に焼けた鉄棒を突っ込んでかきまぜられているようだ。

こうして安静にしている間も、視界の端を羽虫が飛び交っているような幻視に悩まされて、暴れだしたくなる衝動に駆られる。

 

「わざわざ起こしに来た理由は」

「財団がツガミ・ソウイチ氏を告発しました。なぜ反対なさらなかったのです」

「ん?」

 

そこでようやく、オザワが事務的な理由で来たのではないと気づいた。

処置の直後は判断が鈍っていけない。

オレはカプセルのサイドテーブルからバスタオルを取り、体を清めながら、その問に答えた。

 

「『オレたちに金輪際関わるべきじゃない』。日本にいたアレックス・メルフォールはそう言っただろう?」

 

オレの調整段階に入ったとなれば、メルフォール家にとってツガミ商事は目障りな証人だ。

日本にいた頃のアレックス・メルフォールは、ツガミ・ユウジに本意を忘れるほどに入れ込んだ。

もしもユージが敵対陣営に人質に取られたともあれば、あっけなく弱体化しただろう。

故にジジイは、ツガミ商事を社会的に抹殺することにした。

ツガミ・ソウイチの犯罪を通報し、ユージもろとも社会の表舞台を堂々と歩けないようにする。組織だった犯罪行為を許すほど、日本の社会正義は寛容ではない。

 

「それに、ツガミ・ソウイチが粒子発生筐体の違法な改造や調整を行っていたことはまぎれもない事実だ」

「メルフォール財団が、出資打ち切りをちらつかせたからでしょう」

「確かに脅迫に近い指示だったろうさ。それでも、従うことを決めたのはソウイチ自身だ。社員と、妻と息子の生活のために、犯罪に手を染めた」

 

証拠に偽造はなく、正真正銘のクロ。潔白を叫ぶことはできない。

オザワは唇を震わせ、拳を握りしめている。彼女らしからぬ激情が、その瞳の中で燃えていた。

 

「そこまで『再調整』で歪められてしまったのですか?」

「他人事のように言うじゃないか。お前が日本に残ったのは、主を失ったツガミ商事からデータを回収するためだろうに」

 

メルフォール財団とて、自分の指示の証拠を残すようなへまはしない。

公式審判員の捜査が及ぶ前に、日本に残留したメンバーによって二年間の戦闘データをはじめとした証拠は拐取、隠滅された。ユージが自宅に置き忘れていたGPベースも拾得したという報告が上がっていたが、さすがに解析は難しかろう。

己の行為を指摘されてなお、不満やるかたない様子のオザワに、オレはとどめの一言を放った。

 

「いいか。オレをあのアレックスと同一視するな。今のオレに友はいないし、裏切った罪悪感など欠片も生まれていない。良心の呵責に賭けているなら、一ミクロンもありえないと断言してやる」

「……はい」

 

結局、オザワは従属するだけの人間だ。

ジジイに反抗する度胸もなければ、日本でのツガミ家の破滅を阻止する努力さえしなかった。

もしもオレを正面きって断罪できる存在があるとすれば、それはいつの日か、オレの前に復讐に現れるツガミ・ユウジしかいない。

 

「兄さん」

 

そこでオレは口を噤んだ。

スズランの爽やかな香りが鼻先をくすぐったかと思うと、白いレース地が翻るのを見た。

茶髪に灰色の瞳。

鏡を覗き込んだような錯覚を覚えるほどに、瓜二つの顔がやってくる。

オレの双子の兄妹にしてバックアップである存在、アレクシアが調整室に入ってきていた。

金属のトレイを両手に持ち、コップ一杯分の水と三粒の錠剤を運んでいる

 

「安定剤をどうぞ」

「わざわざお前がやらんでもいいだろう」

「いえ。私、何故だか最近、気分がいいんです。だからこれぐらいは」

 

妹は笑顔を浮かべている、

しかしそれはしょせん、目を三日月型に細め、口角を持ち上げているだけだ。人間にもかかわらず『不気味の谷』を超えていない、人造の笑顔だった。

これは二年間でアレックス・メルフォールが集積した『感情のマッピングデータ』が、うまく反映されていないことに起因するのだろう。

 

「私、おじい様に呼ばれているので、お見舞いに行ってきます」

「……」

「兄さん?」

「好きにしろ」

「はい。では、兄さんもお大事に」

 

アレクシアは傍らの小さな机にトレイを置くと、スカートの裾を持って優雅に一礼し、去っていく。

オレはそれを横目で見送り、露出したままの二の腕をさすった。鳥肌がぶつぶつと立っていた。はじめての経験だ。

自分の感情を肯定する。オレはあの『妹』がバックアップであると思うと、怖いのだ。

人間の真似事をする機械などと、共に生まれ落ちた覚えはない。

だというのにアレクシアはああやって、オレの知らない表情を作ってみせる。

人懐こい、初めて会う誰もが好印象を抱くような、計算された笑顔を。

もう少しだけ猶予を与えられたら、妹の表情の調整は終わるだろう。

そうすれば人間の喜怒哀楽を理性で操り、計算で掌握する人間が一体、できあがりだ。

安定剤を口に放り込み、水で一気にあおった。

誤魔化しきれない苦みが口に広がり、オレは顔をしかめる。

 

「余計なモノを作ったな、ジジイ……」

 

病床の老爺は気づいていないのだろう。

自分の枕元に、自らの判断が作り上げた怪物を呼び寄せていることに。

 




という訳で、ユウジとアレックスの過去、決別の事件でした。
実のところ、この設定こそ決まっていても至るまでの道筋に悩んで、半年も空いてしまいました。

『人間って仲のいい人間を前フリなく裏切ったりするよな』とクソ真面目に考えた結果、ユウジ視点だと本当に唐突に訪れた別離になっていると思います。

『どうして』と疑問を抱えたままの彼の未来は、これから先に書いていきますので、よろしくお願いいたします。

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