ガンダム ビルドファイターズS(シャドウ)   作:高機動型棒人間

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これまでの話でさんざん仄めかしてきた(つもりの)ユウジとアレックスのパートナー関係。
その過去編のはじまりです。


過去編「Lost parts」
Lost-01「ニブンノイチ」


Prologue-Side Yuji

 

胸をしめつけるような痛みで、ボクの意識は突然覚醒した。

皮膚を突き抜け、直接心臓を鷲掴みにされるようだ。息を荒げてのたうち回りたくなるが、身体の自由がきかない。

ボクは助けを求めようと目を開き、辺りを探ろうとした。驚くべきことにそこは見慣れた寝室などではなく、指先さえ見えぬ真っ暗闇だった。

その光景を知覚した途端に今度は浮遊感に襲われる。

今しがた何も見えないと認識したはずであるが、足元からあぶくのようなものが上がってくる、とはっきりわかった。

 

『ようやく思い出せる』

 

腹の底から足の裏まで震わせられるような、低い声が聞こえる。

小心者のボクは背筋が寒くなったが、不思議と他人の気がしなかった。

まるでわが事のように、心を達成感が満たす。

前後不覚の暗闇の中で手足をばたつかせ、手がかりを掴もうとあぶくに触れる。

グチャリ、と生肉を手に取ったような感覚があった。

その気持ち悪さに、ボクが思わず顔をしかめたその時だった。

 

「ユウジ!朝よ!起きなさい!」

「えっ!?」

 

ボクは今度こそ目を覚ました。

悪夢から引きずり上げてくれたのは、聞きなれた母さんの声だった。

茫然と上半身を起こし、辺りを見回す。

いつも通りの自分の部屋であった。

朝早くのまじりっけない陽光が斜めにさして、明かりの消えた室内を照らしていた。

部屋の壁にはガンダムのポスターが貼られ、グッズを並べた棚も取りつけられている。

すっかり作業台としてしか役目を果たさなくなった勉強机の上には、一つの写真立てがおかれていた。

 

「こらユウジ!まだなの?」

「今行きます!」

 

母の催促に、ボクは慌ててベッドから抜け出る。

さっさと着替えて、顔を洗わなければ叱られてしまうだろう。

半そでのシャツとジーパンに袖を通し、つい伸ばしてしまう前髪をヘアピンで留める。

そしてクローゼットからエプロンを取り出して着用する。

これがボクの仕事服だ。

悪夢のことなどすっかり忘れて、ボクは部屋を飛び出すと、一階へ通じる階段を駆け下りた。

 

Prologue -Side ALEX

 

「アレックス様。聞いておられますか?」

「……む?」

 

気が付けば懐かしい場所にいた。

殺風景な部屋の中央に、整然と机とイスが二人分並べられている。

オレはその左側に座ってうたた寝をしていたらしい。

壁には出入りの為の扉以外に存在せず、天井の明かりさえ、機能を果たす以上の装飾は許されていないようだ。

この吐き気を催す場所こそ、フランス本国で、オレがムラサメという組織について教育を受けていたときの部屋だ。

 

「アレックス様」

 

顔を上げると、オザワの不機嫌な顔があった。

化粧が薄く、今より幾分若い。

そう気づいたとき、オレは、己が昔の夢を見ているのだと悟った。

人間の脳は休息中に記憶の整理を行い、その断片を夢として見せるという。

今更こんな記憶を掘り当てたのは、ツガミ・ユウジに対して全力をふるった影響だろうか。

 

「話は聞いている。続けろ」

「承知しました。……ご当主であるメルフォール会長は半世紀前、アーキタイプのバトルシステムの開発者として参加しておられました」

 

過去のオザワは淡々と組織の軌跡を語っている。

夢の中では未来人であるオレは、その内容すべてをそらんじることもできるだろう。

半世紀前の初代メイジンの時代、オレたちの祖父はガンプラバトルを生み出そうとする人間の一人だった。

まだコンピューターグラフィックスのデータにすぎないが、個人の作るガンプラを認識し、再現するところまでこぎつけていた。

ガンダム作品では『ビギニングG』の形式に近い、この今とは異なる形式のシステムを、現代の技術者は『アーキタイプ』と呼んでいる。

しかし、数十年もの間、日進月歩の改良を続けていたアーキタイプは、プラフスキー粒子の誕生によって一瞬で踏みにじられた。

 

「自らの研究成果をことごとく凌駕する現在のガンプラバトルシステムを、会長はこう評されました」

「「弱肉強食。この未知の粒子は、ヒトの数十年など食らいつくすほどの、栄光ある強者である」」

 

オレの暗唱とオザワの授業が声の重なり合いになって、教場に響く。

 

「ジジイらしい、ふざけた言い回しだ。そして今度は、その強者であるプラフスキー粒子にすり寄って、その関連技術を、見境なく集めて回っている」

「かなり不適切な表現があるように思われますが、流れとしては誤っておりません」

 

オレは大きくあくびをする。

自分の生い立ちなぞ当時のオレでも自覚していたことだ。

祖父が抱いた、『強くありたい』という単純にして、傲慢な野望。

オレたちはその願いを成就するための道具にすぎない。

 

「……そういえば、あいつはどうした」

「先ほど席を外されましたが、まだ帰ってこられませんね」

「どうせオレと同じことを知っているさ。問題はあるまい」

 

隣に空いた空席に主が戻ってくる気配はない。

オザワは右手を閉じたまぶたの上にあてがって、やれやれと首を振っている。

かつての彼女は、現在よりずいぶんと感情表現が豊かだ。

 

「では、趣向を変えてガンプラバトルの訓練をいたしましょう」

「いいだろう」

「今日も機体はボールを使われるのですか?」

「ああ。ここにいる連中は、そうでないと張り合うことすらできんからな」

 

オレは音を立てて椅子から立ち上がった。

仮想空間にも満たない、朧気なものの中ではあるが、イメージトレーニングというものもある。

あえて未来を忘れ、過去に身を委ねるというのも悪くない。

 

Side Yuji

 

ボクの家は、『ツガミ商事』という会社を営んでいる。

海外へのバトルシステムの輸出や、広告に必要な資材の輸送を仲介している、らしい。

今日も営業で炎天下を歩き回った社員の人たちが、ボクと母さんの仕事場にやってきた。

母さんの考案した定食や家庭料理で空腹を満たし、つかの間の休息をえる場所。

『ツガミ商事』の社員食堂である。

木製のカウンターの奥できびきびと働いている女性がボクの母さんだ。

ひっつめた髪と割烹着がよく似合う人で、実の弟であるリョウタロウ叔父さんには、生まれてくる世代が一つ遅かったとまで言われている始末だ。

ボクは料理の仕込みの他には配膳や案内など、接客を手伝っていた。

 

「いらっしゃいませ!」

「おう、ユウちゃん。今日もかわいいね」

「ユウジはもう14歳だぞ。茶化すのはよせよ」

「ははは、それは悪かった」

 

ボクをからかう痩せたスーツ姿の中年男性は、オムロさんという。

それをたしなめる大柄な人が、アシハラ・リョウタロウさんだ。

模型店の店主を勤める傍ら、こうして父さんの仕事も手伝っている。

ボクが小柄なこともあって、二人を迎えるときはいつも見上げなければならなかった。

 

「そういえばユウジ。まだ券売機は直らないのか?」

「うん。さすがにボクでもあれはどうしようもないかな」

 

叔父さんが指さしたのは、入口にある券売機だった。

ある時期を境に、お金を呑み込んでしまうだけになったポンコツである。

すっかり直すタイミングを逸してしまい、代わりにボクが注文を取るように切り替えていた。

 

「ユウちゃんのオススメ頼んだ後は調子いいから、俺はずっと壊れたままでも構わんのだけどな」

「それは困るよ」

「冗談さ。それで、今日は何がいいかな」

 

オムロさんにそう聞かれると、ボクはいつものように、二人の様子をしげしげと観察し始めた。

お客さんにオススメを尋ねられたとき、ボクはできるだけその人に合ったものが出せるように考える。

顔色、かいている汗の量、なんとなくている視線の方向などの要素から体調を推測するのだ。

最初はうまくいかなかったが、最近は正解を引き当てる確率の方が大きく上回るようになっていきていた。

 

「……オムロさん。最近、おへその上あたりずっと冷えてない?」

「ん?ああ、そうかもな」

 

他のお客さんもいるのに、オムロさんは恥ずかしげもなく手をシャツの下に突っ込んで頷く。叔父さんが横目で睨んでやめさせる。

やり方がみっともないことはともかく、オムロさんの内蔵が冷えていることはわかった。

 

「二人とも脈拍見せて」

「ほいよ」

「ああ」

 

ボクは二人の手首に指先をあてがう。

叔父さんの脈拍に違和感がある。

歩きで中に入ってきて、涼しい店内にしばらくとどまっているにしては早い。汗をかきすぎたのかもしれない。

ボクは観察結果を二人に告げた。

 

「叔父さんはたぶん塩分とミネラル不足。今日はA定食がサバの塩焼きだから、それにするといいかも」

「ユウちゃん。俺はどうだい?」

「オムロさんは夏野菜カレーかな。最近冷たいものばっかり食べているでしょ。バテるよ」

「あちゃあ。なんでもお見通しだ。さすがだねえ」

 

ボクは照れ臭くなって頬をゆるめる。

母さん曰く、ボクの笑顔はふにゃふにゃとして男子らしい覇気がないそうだ。

それでも身についてしまった反射というのは直しがたい。

 

「じゃあユウジ。俺たちは二人ともオススメのやつで頼む」

「うん」

 

叔父さんたちの注文を受けつけたボクは、エプロンの胸ポケットからメモを取り出すと、注文内容を書きながらカウンターの奥へ入った。

そこでは母さんがいくつかの料理を同時進行で盛りつけていた。

メモを冷蔵庫の扉にマグネットで固定しながら、口頭でも伝えた。

 

「母さん。A定食と夏野菜カレー。あと麦茶持っていくね」

「じゃあついでに、これ持って行って。スギヤマさんのところよ」

 

母さんはボクには目もくれずに、指先だけでかつ丼をさした。

右手に麦茶のボトル、左手にトレーを持って慎重に移動する。カウンターの奥で待っている社員の人に料理を出して、帰りに叔父さんたちの机へ麦茶を出した。

二人はなにか大事なことを話し込んでいるらしく、叔父さんが目線だけでお礼を言ってくれる。

軽く一礼を返したとき、視界の端で人影がちらついたことに気づいた。

新しいお客さんが入ってきたようだ。

 

「いらっしゃいませ」

 

ボクは振り向いて声をかける。

入口に立っていたのは和服姿のおばあさんだった。

背はボクよりも小さく、古木からくりぬいたような、節くれだった杖で身体を支えている。

この社員食堂は一般のお客さんにも開放しているので、ボクとは面識がない人がやってくるのはおかしくない。

しかし、ボクは初めて出会うおばあさんに、なぜか親近感を覚えていた。

つい癖で観察をしている間に、おばあさんが壊れた券売機に向かってサイフを開けていた。

中からしわくちゃの手で取りだしたのは、よりにもよって一万円札である。

ボクは慌てておばあさんを引き留めた。

 

「すみません。その券売機壊れていまして」

「おや。そうかい」

「注文でしたら、ボクがお受けします」

 

カウンター席は位置が高くて座りにくいので、入口に最も近いテーブル席に案内する。

ちんまりと席に収まったおばあさんは顔をほころばせた。

メニューには目もくれず、ボクをにこにこと見つめている。

思わず、メモを片手に首をかしげてしまう。

するとおばあさんはいたずらっぽく尋ねてきた。

 

「では、オススメはあるかの?」

「……ひょっとして、見られていました?」

「うむ。あれはなかなか良き観察眼であった。ぜひとも、この老婆にも見繕ってもらいたい」

 

あの観察を細部にまで行うのは、身体に触れることもあるので常連さんに限っている。

しかし、おばあさんがボクに向けてくる好奇の目線から逃れることはできそうにもなかった。

躊躇しつつも、おばあさんの体調の推理をはじめる。

目元に深く刻まれた皺の奥に、青白い隈が見て取れる。

寝不足やストレスが原因だ。加齢で体力が衰えているうえに、この炎天下で何か作業をしていたのかもしれない。

 

「脈をみていいですか」

「うむ」

 

おばあさんの手首の皮膚は薄く、血管が浮き出ている。それでも脈拍は非常に弱かった。

外見と体調がまるで一致していない。

結論としては、この人は非常に無理を重ねているようだ。高齢の人の胃腸にきつすぎず、体力を回復できるものが望まれるところか。

 

「うどん入り茶わん蒸しとかどうですか?」

「ほう。ではそうしようか」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

台所に入って、母さんに伝達をして、メモを冷蔵庫に貼り付ける。

すっかり身にしみついた動きを終えたところで背後からおばあさんの声がかけられた

 

「少年、すこしいいかの」

 

振り向けば、そこには先ほどとは打って変わった真剣な表情があって、どきりとした。

なにか粗相を働いてしまっただろうか。

 

「なんでしょう……?」

「あそこに飾ってあるガンプラ、おぬしのか?」

 

おばあさんが指さしたのは、ちょうどここから対角線上にあたる位置、天井の角にそなえつけられたテレビ用の棚だった。

そこでは他の食事処と同じように、ニュースやバラエティ番組がつけっぱなしにされて、お客さんが料理を待つ間ぼんやりと眺めているのが日常的だ。

よそと違うのは、テレビの左右に一体ずつ、ガンダムのプラモデル、ガンプラが置かれていることだろう。

今は『スタービルドストライクガンダム』と『ベアッガイⅢ』という機体が並べられている。

 

「そうです。ボクが作りました」

「あんなところにわざわざ飾るとは……よほど好きなんじゃなあ?」

「はい!去年の第七回世界大会は最高でした!……あっ」

 

そこで母さんのたしなめるような視線を感じて我に返る。

ガンプラの話題を振られると、見ず知らずの相手にも暴走してしまうのがボクの悪い癖だ。

顔がかっと熱くなってうつむいてしまうが、おばあさんはまるでわが事かのようにニコニコと笑顔を浮かべていた。

 

「遠目でもわかる。レプリカキットをあそこまで高精度に作るには、元の機体への並々ならぬ愛情が必要だ」

「ありがとうございます。でも、あれはレプリカじゃないですよ」

「む?」

 

おばあさんが首をかしげる。

インターネット上で限定生産という代物だった、高精度のレプリカキットはボクには入手できなかった。

尊敬するビルダーによる渾身の改造が、成型機で生み出されたパーツでいいのだろうかという自問自答もあった。

だから、きちんと同じ道筋を踏んだのである。

 

「ちゃんとストライクガンダムとベアッガイⅡから改造しました。スクラッチで」

「なんと!?」

 

おばあさんが大声を上げたので、今度は店内中の視線が一斉にボクらに集まる。

幸いにもみんな顔なじみだったので、ボクが苦笑いを返すと、すぐに視線は散っていった。

おばあさんが手で小さな輪をつくりながらささやく。

 

「作ったのはあの世界大会優勝者のイオリ・セイじゃぞ?」

「もちろん知っています。大ファンです」

「内部にフルスクラッチのフレームが仕込まれていただろう?」

「フレームは頑張りましたけど、肝心のシステムはちょっと無理がありました」

「……おぬし、歳は」

「14歳です」

 

おばあさんは腕組みをして、すっかり口を閉ざしてしまった。なにか考えこんでいる様子である。

そこへ母さんがうどんを乗せたトレーをカウンターに置くが、気づいた素振りもない。

ボクは受け取った料理を、おばあさんの眼前にまでそっと運んだ。

温かいうどんの湯気が皺だらけの顔の前まで、つう、と漂う。

 

「あの、うどんがのびちゃいますよ?」

「……決めた」

 

恐る恐る尋ねると、上の空だったおばあさんが、バネでも仕込んであるかのような速さで顔を上げた。

ぎょっとして身じろぎすると、おもむろにボクの手を取り、強く握ってくる。

さっき体調を診たときとは比較にならない力強さだった。

 

「おぬし、ワシの弟子にならんか」

「え?」

 

そこでボクははじめて、おばあさんの爪の間に、見覚えのある色が入り込んでいることに気づいた。

ユウキ塗料独特の発色をもつ青色だ。

茫然として目の前の人の顔を見つめてしまう。

おばあさんもまた、ボクと同じ人間、ガンプラビルダーであるとようやく悟った。

 

Side ALEX

 

あのナガイ・トウコが弟子を取ったらしい。

『国際ガンプラバトル公式審判員』の最初期メンバーであり、世界最強のファイターとも噂される女傑だ。

ガンプラバトル心剣流という造形術を生み出しておきながら、現在に至るまで彼女の眼鏡にかなうビルダーは現れなかったとされていた。

そんな人物が、突然自らの技を伝える人間を見出したとなれば騒ぎにもなる。

 

「事件がオレたちの傘下で起こったとなれば、ジジイは大喜びだったろう」

「ええ。決定を下されるまで一時間も待ちませんでした」

 

オレは今、オザワを含めた数名と共に、日本へ向かう飛行機に乗っていた。

『メルフォール輸送』という社名を機体に刻んだプライベートジェットだ。

ムラサメの表の顔は、ひねりもなく一族の名を冠しているのである。

この輸送会社の取引先に『ツガミ商事』という小企業があるらしい。

件の弟子はそこの一人息子、という情報だった。

 

「ターゲットの名前はツガミ・ユウジ。詳細なプロフィールはこちらの端末に……」

「いらん。会えばわかる」

「そうですか」

 

隣に座る部下の一人から、タブレット端末が差し出されたが突っぱねる。

連中に漂う空気がやや険悪になった。

オザワだけがすました顔で、オレの向かいに座っている。

その表情が気に食わなかったので、オレは彼女に話題をふった。

 

「オレが行くということは、およそ同年代のビルダー専門で、そいつに取り入れという話なのだろう?」

「ご明察です。しかし、一つ訂正しますと、取り入るのではありません」

「ほう」

「アレックス様には、ツガミ・ユウジ氏と本当の友人同士になっていただきます」

 

流石にオレは自分の耳を疑った。

偽りの関係ではなく、真に友情を築けとはどういう了見であろうか。

オザワの表情からは何も読み取れない。

深く考えずとも、オレの祖父からの命令を伝達しただけであろう。

そこに彼女自身の感慨が、一ミリたりとも含まれているはずがなかった。

 

「友人の定義なぞは知らんが、人選ミスにも程がある」

「そうでしょうか」

「無論だ。オレに友人はできん。そうだろう?」

 

周囲を見回すと部下たちは一斉に下を向いた。

さっきまでオレに反感を抱いていた者たちが、白々しいものだ。

まさか察知されていないとでも思ったのだろうか。

静まり返った機内を、突然大きな振動がひとつだけ襲った。

機体の車輪が、日本の大地に接したのである。

 

『到着しました。降機の準備が整うまで、もうしばらくお待ちください』

 

操縦席からの声を聴いて、オレたちはてんでばらばらに荷物をまとめはじめる。

オレは手荷物さえ持つ必要がないという。

会長の孫という待遇だけではなく、オレの体質に起因する配慮だった。

なんせ、掌の感覚神経が異常なまでに鋭敏なのだ。

一般人には温かいという程度のものが、オレには溶けた鉄塊のように熱く感じる。

重い荷物を手にすれば、過重による痛みで涙腺がゆるむほどだ。

故にオレは常日頃から掌にグローブを嵌めていなければならなかった。

手持ち無沙汰に、座席に用意されていたチョコレートを口に放り込む。

グローブは指先が露出しているものなので、革部分は汚れない。

過剰な甘みがこの優遇の皮肉にさえ思えて、かえって不愉快になった。

 

『準備ができました。お気をつけて』

「アレックス様」

「ああ」

 

座席から立ち上がり、扉を開けてタラップを下りる。

現地時刻は正午を回った。太陽は中天にあって極東の大地を熱している。

この空港は海に近いそうで、ほのかに潮の香が鼻腔をつく。

フランスで何度か海に行ったが、こんな極東の島国でもその香りは変わらないらしい。

コンクリートで舗装された道路に足を着けると、目前にリムジンが停車していた。

オザワが後方からオレを追い抜かすと、率先して後部ドアを開ける。

今度はこれで『ツガミ商事』まで向かうらしい。

行くのはオレとオザワだけで、他の部下たちは別の車両にて、日本に確保した拠点へ向かうとも聞いていた。

オレがリムジンに乗り込むと、運転席にオザワが座る。

彼女がエンジンに火を入れ、アクセルを踏むと、窓の外から見える航空機の姿はみるみる離れていった。

 

「一通り、娯楽は用意させました。移動は長くなりますからご活用ください」

「空よりマシだろう」

 

目の前にある棚を開けると、車内のテレビモニターで鑑賞できるように、いくつか映像ディスクが並べられていた。

第七回世界大会の録画映像を選びとり、プレイヤーに滑り込ませる。

再生された音声から内容に察しがついたらしい。

バックミラー越しに、オザワの黒曜石のような瞳がオレを見る。

 

「お好きですね」

「好悪ではない。歴史上類をみない混乱と変革を巻き起こした大会だ。注目に値する」

「……私もそう思います。祖国へのこだわりを失ったとしても、あの時の熱気は、忘れられませんから」

「そういえば、貴様、この時の静岡にいたんだったな」

 

オザワがムラサメにやってきたのは去年の夏、この世界大会の直後だった。

ガンプラバトルの本場の出身、しかも第七回の一部始終を目撃した人間だ。

祖父は目の色を変えて彼女をスカウトし、古参を差し置いて、オレの世話役にあてがった。

こうしてオレに、あの大会のことを語り聞かせることが、彼女に本来期待された役割である。

 

「今まで何度か話は聞いた。大会の名勝負といわれた激闘、PPSEによる大会運営の私物化、そして、ニュージェネレーションと騒がれた、オレの同世代たちの話もだ。」

 

だが、それはムラサメが、ガンプラバトル自警団として公に姿を現し始めた言い訳として、かつて学習した事項である。

肝心なオザワ自身の所感は聞いたことがなかった。

 

「せっかく日本に帰ってきたなら、私情を入れてもバチは当たるまい」

 

そう言ってやると、オザワはしばし沈黙し、慎重に言葉を選ぶように語りはじめた。

 

「強いて言えば、ひどい仕打ちだ、と思いました」

「ほう」

「私が現役だった六年前は、地区予選すら突破できませんでした。基本工作だけのRX-78に負けたんです」

「自暴自棄にでもなったか?」

「いいえ。ファイターとしての自分に落胆はしましたが、ビルダーとしてはまだ自信がありました。第七回大会で、アレを目にするまでは」

 

ちょうど、オレが流している記録映像の中で、一機のガンプラが飛翔する。

仮初の星々を身にまとって、ビームの嵐をいなす白い閃光。

新世代の到来をすべてのビルドファイターに実感させ、驚嘆と熱気、そして絶望さえもたらしたガンプラ。

『スタービルドストライクガンダム』である。

 

「作ったのは、私を倒したファイターのご子息でした」

 

数年の研鑽もむなしく、ビルダーとしても敗北感を与えられた。

自分をファイターとして超えた人間の、息子にさえ届かない。

その事実を我慢できるほどオザワの心は強くなかったらしい。

半ば衝動的に日本を飛び出して、辿り着いたのがフランスだったという訳である。

 

「ジジイがお前に目をつけたのは必然だったな」

「はい?」

「自分の努力を、軽々と超越していく天才に我慢がならなかった。その点で、お前とジジイはよく似ている」

「……あなたも、いつかそれを経験するかもしれませんよ」

 

彼女の、ほんのわずかな反抗心をオレは鼻で笑い飛ばす。

諦めた者の嫉妬心など聞くはともかく道連れにされるいわれはない。

 

「ありえんよ。オレは、天才の側だからな」

 

Side Yuji

 

日曜日は社員食堂も会社も休みだ。

ボクは人気のなくなった食堂で、ひとり昼食をとっていた。

炊き込みご飯のおむすびだ。

おばあさんこと、ナガイ・トウコ師匠は、上の階にある居間で母さんと食事中である。

ボクはたまに、こうして家族と離れて食事をする。

考え事や悩み事を整理したいときもあれば、特に理由なく行うときもあった。

今回は後者だ。

心外なことに、師匠にこの習慣のことを話したら変な顔をされた。

 

「あれから二週間ほど経ちますが、ユウジはどうですか?」

 

母さんのそんな言葉が階段の上から降ってくる。

職業柄か、普段から声は大きく、居間の扉が開けっぱなしだと、ここまで届くのだ。

 

「いやはや、なかなか磨き甲斐のある子ですよ。お母さまが弟子入りを快諾してくださって、本当に感謝しております」

「いえいえ。ユウジには年頃の子供らしい、彩りのある日々を送ってほしかったですから」

 

母さんが店をボクに手伝わせていることに、少なからず負い目があることは感じ取っていた。

父さんの会社は人員が少ない割に、社員食堂には多くの人がやってくる。

猫の手も借りたい現状は、小さいころからわかっているつもりだし、だいいち手伝いを願い出たのはボクの方からだ。

母さんが申し訳なく思う必要はないはずであった。

 

「余計な心配させたかな……」

 

おむすびをもう一口ほおばる。

炊きたてのご飯を使ったので、湯気が立っているほど熱い。

口からほくほくと息を吐いて、冷ましながら食べ進めていると、突然正面入り口の引き戸が音を立てた。

今日は休みだから、もちろん鍵は閉まっている。

引き戸にはめこまれているすりガラスごしにのぞきこむと、高身長の女性らしき人影がすけて見える。

強盗、という文字が頭に浮かんだ。

大声で二階の師匠と母さんを呼ぼうとも考えたが、女性がそれを聞いて強引に入口を押し破ってきたらどうしようもない。

物音だけで異変を察してくれまいか、と震えていると、すりガラスの向こうから声が届いた。

 

「すみません。ツガミさんはご在宅でしょうか」

「あ……はい!少しお待ち下さい!」

 

ボクはようやく上の階へ声を張り上げた。

 

「母さん!お客さま!」

「あら?お父さんの知り合いかしら?」

 

母と、なぜか師匠もついて下りてくる。

引き戸の鍵を開けると、黒いビジネススーツにぴっちりと身を包んだ女の人が姿を現した。

能面のように白いつるりとした肌に、切れ長の目が冷たい雰囲気を与えている。

いかにも仕事ができそうな人だ。

父さんの商談相手に違いない。

 

「突然の訪問申し訳ありません」

 

女性は母さんに深々とおじぎをすると、一枚の名刺を取り出した。

 

「私は、『メルフォール輸送』人事部のオザワ・リサと申します。」

「ああ。夫がいつもお世話になっています」

 

母さんもおじぎを返す。

ボクは皿をカウンターに置いたまま、師匠とそのやり取りを見守っていた。

オザワさんというらしいスーツの女性は、『メルフォール輸送』からきたと名乗った。

その会社名なら、父さんがたびたび口にしているのを聞いたことがある。

フランスにあるというウチの一番のお得意先のはずだ。

 

「申し訳ありませんが、夫は外出しておりまして……」

「いえ。今日は会社というよりは、個人的なツテの話でして」

「ツテ?」

「はい。アレックス様。こちらへ」

 

彼女は店の外にいる誰かを呼ぶ。

親の仕事の話とはいえ、その場に居合わせているし、つい視線をそちらへ走らせてしまう。

そしてボクは、驚くほどの美少年が、堂々とした足取りで入ってくるのを見た。

背丈はボクよりも頭一つ分ほど大きい。同年代、もしくは年上だろう。

その次には、鮮やかな茶髪が目を引く。

太陽光線を受けて、一本一本がキラキラと輝いているようだ。

その下に収まる灰色の瞳からは、自信と尊大さがこぼれている。身長差も相まって、こちらが見下されているような錯覚に陥ってしまう。

そもそも全体的な顔のパーツ配置がボクなんかとは完成度が違う。

美術館の彫刻や絵画に並び立って、この人の顔写真が並んでも遜色はあるまい。

結論として、ボクはこの少年に見惚れてしまったのである。

 

「こちら、『メルフォール輸送』会長のお孫さんにあたる、アレックス・メルフォール様です」

「まあ。御曹司様ですか」

「メルフォールだと?フランスのビルドファイターのか?」

 

口を挟んだのは師匠だ。

その表情はここ数日ではじめて見るほど、険しい。

ボクはといえば、突然飛び出した『ビルドファイター』という言葉に目を丸くしていた。

ここに突然やってきた美少年も、ビルドファイターなのだろうか。

そうだとすれば、話をしてみたい。

腰を浮かせたボクの頭に、師匠がしわだらけの掌を乗せる。

まだ動くなと言外に伝えていた。

 

「あいにく、弟子はこのユウジだけで間に合っておる。わざわざフランスからご苦労だとは思うが、帰ってもらおう」

「そうはいきません。我々も切迫していましてね。手段を選んではいられないのです」

「ほう?半世紀前から、家名をかけて腕を磨いていた、貴族のような連中が?」

 

怪訝な顔をする師匠をよそに、オザワさんが、今度はボクをまっすぐに見すえる。

ただ瞳を向けられただけなのに、ボクはその迫力に圧倒された。

明らかに一般人じゃない。

マフィアとかヤクザとかそういう、関わってはいけない人の雰囲気がそこにあった。

 

「詳しい事情の説明は大人だけでしましょう。ここで立ち話をするには、少々込み合った話です」

「……よかろう」

 

師匠とオザワさん、そして母さんは上の階にある居間へと上っていく。

後には、未だ事態をのみこみきれていないボクと、つまらなそうに口をへの字に曲げた茶髪の少年が残された。

食堂全体が、気まずい静寂に包まれる。

先に口を開いたのは、相手の方だった。

 

「貴様が、ツガミ・ユウジか」

 

灰色の瞳がボクを見据える。

はじめて聞いたその声は蜜のように甘く、ボクの耳へと入り込んでいった。

 

Side ALEX

 

正直なところ、オレはがっかりしていた。

あのナガイ・トウコが直々にとった弟子である。

どんな逸材が現れるものかと期待してみれば、みすぼらしい食堂のカウンターで、こうも間抜け面をさらしているときた。

日本人の付和雷同な精神性が露わになったような、無個性な黒髪と黒い瞳。

男なのか女なのかわからない、なよなよとした顔つき。

その第一印象として与えられる、こいつの外見的特徴すべてがオレの癪に障った。

とはいえ、人間を外見だけで断定することは愚か者のすることだ。

オザワがいらぬ気遣いを働かせている間に、ナガイの弟子とコミュニケーションをとるとした。

 

「貴様が、ツガミ・ユウジか」

「は、はい」

「貴様はビルダーとしての才覚を認められたと聞いた。作品をオレにも見せてみろ」

「もちろん!じゃあキミも……」

「妙な期待はするな。オレはファイターだ。ニッパーは握らん」

 

そう言ってやると、一瞬だけ目を輝かせたツガミは、ひどく残念そうに肩を落とした。

よほど同好の士に飢えているとみえる。

奴はすごすごとカウンターの奥へ引っ込んだかと思うと、やがて何かを両手で支えて戻ってきた。

見れば、米と数種類の具を混ぜ込んだらしい塊を、皿にのせて運んできているではないか。

 

「おい。オレはガンプラを持ってこいといったんだ」

「でも、お腹すいているでしょ?顔色悪いよ」

 

ツガミは小首をかしげる。

確かに空腹であることは事実だ。

意思で拒否しようにも、胃は何かを放り込めと悲鳴をあげている。

さっき、チョコレートで半端な補給をしたのは逆効果だった。

一瞬自分のグローブに目を落とす。

手でつかめば、オレの軟弱な皮膚は確実に大やけどを負うだろう。

 

「いや、こんなものは食えん」

「そうだよね……ごめん。アレルギーとか聞いてなかったよ」

「そういうことじゃない。胃には収まるが、体質が受け付けないのだ」

「それってつまり……ああ、そういうことか」

 

ツガミは何やら合点がいったらしい。

ぽん、と手を打つと、皿を持って姿を消す。

オレはその間に食堂を見回し、空間の右上の隅に古いテレビがあるのを見出した。

テレビの左右にガンプラが置いてある。

その内の一方は、つい一時間ほど前まで、液晶の中で動き回っていた『スタービルドストライクガンダム』のレプリカだ。

オレはそちらまで歩み寄ると、テレビの真下の壁を、ごく弱い力で足蹴にする。

予想通り、足元を固定されていないガンプラはあっという間に落下してきた。

それをグローブで受け止める。

 

「それ、ボクが作ったんだ。好きに見ていいよ」

 

背後から、また皿を持ったツガミが顔を出していた。

皿の上の料理は、相変わらず米と具のままだった。だが、一点異なるものがある。

なぜか塊どうしを、一本の木串が貫いていたのだ。

 

「何をしてきた」

「これだったら、食べられるでしょう?」

「なに?」

「団子みたいにすれば、直接触らないから火傷せずに済む。しかも木製の串だから、熱伝導もすごく遅いし」

「待て。貴様、オレの体質を知っているのか?」

 

あっけないことに、オレの冷静さはもろく崩れてしまった。

今の会話だけで、オレの体質を瞬時に見破り、対処をしてきたとは考えにくい。

奴の父親経由で話を聞いていたと推測する方が妥当だ。

しかし、ツガミはその予想をたやすく裏切ってみせた。

 

「その、キミが着けているグローブ、指が出ているだろう?その皮膚との隙間に、ガーゼみたいな素材がちらっと見えたんだ。きっと、怪我をしていて、そのせいで熱いものが触れないんじゃないかって」

「……」

「ごめんなさい。気づかないまま勧めちゃって」

 

そう言うと、ツガミは頭を下げてきた。

奴の推理は厳密には異なる。

オレの過敏な感覚の原因は怪我ではなく、生まれつきの体質だ。

熱さのみならずすべての感覚が、オレの痛みに変わる。

しかし、その些細な違いが、ツガミがこの場で観察し、組み立てた推論であることを示しているかのようだった。

 

「よこせ」

「うん。フランスの人むけに料理はしたことないから、口に合うといいけど」

 

ツガミが「オムスビ」と呼んだものをひったくり、口に入れる。

わざわざ温めなおしたらしく、熱さにやや面食らったが、すぐに魚介や肉のうまみが舌の上に広がった。

使われている調味料からして、確かにフランス人には合わない味かもしれない。

だが、空腹のオレには十分すぎるほど染み渡った。

腹立たしいことに、ツガミは満面の笑みでそれを見守っている。

 

「それで、どう?」

「どっちの話だ。ガンプラか。飯か」

「両方聞きたいかな」

 

ふにゃふにゃと溶けた笑顔を見ると、夢見がちな女を相手にしている気分におちいる。

オレは渋々答えた。

 

「……この米については悪くない」

「ガンプラの方は?」

 

空いていた手に持った『スタービルドストライクガンダム』を精査する。

このガンプラが制覇した第七回世界大会は、オレにとっての教材であった。

繰り返し鑑賞を強いられている。

だからこそ、このガンプラのおそろしさがわかった。

すべて同一なのだ。

それは装甲の基本的な表面処理から、合わせ目の消し方だけでは済まない。

オリジナルの部位を加工する際のプラ板の切断のクセ、塗膜の厚さやその噴き方に至るまで、映像から読み取れる情報と完璧に一致する。

まるで、日の下に立つ人間の足元に、まったく同じ形状の『影』ができるように。

 

「要するに貴様は観察に長けた人間らしいな」

「結構頑張ったんだ。映像に巻き戻しや一時停止かけすぎて、リモコンのボタンが壊れちゃったほどで」

「そうかい」

 

奴のひそかな自慢は右から左へ抜けていく。

オレはこれを見たときのナガイ・トウコの心理を想像していた。

映像だけで、『ビルドファイター個人』を自らに投影しうる男。

そんな奴を野放しにしておくなど、公式審判員としては無理な相談である。

 

「化け物だな」

「何か言った?」

「独り言だ。ついでに言っておくが、余計な詮索はいずれ身を亡ぼすぞ。間違いなくな」

「……ごめん」

 

ツガミはオレの言葉にいちいち身を縮こませている。

オレにない才能を持ちうるにも拘わらず、小動物のようにふるまうのがまた癪だった。

その時、オザワたちが階段を下る音が聞こえた。

オレたちは同時にそちらを見上げる。

オザワは交渉にひどく神経を擦り減らしたらしい。憔悴していた。

一方で、ナガイはなぜかオレに憐れむような視線を投げかけてきた。

睨み返しても、当然ひるまない。

彼女はおもむろに口を開いた。

 

「アレックス・メルフォール」

「なんだ」

「おぬしの事情は聞いた。そこまでの理由があるならば、弟子として認めてやらんこともない」

 

ナガイは表情を険しくしたままで、オレの弟子入りの可能性を認めた。

彼女の情に訴えるように、オザワが虚構を織り交ぜて、お涙ちょうだいの裏事情を語り聞かせたのだろう。

公式審判員にも拘わらず感情に流されやすい。

事前情報で得た、ナガイ・トウコの弱点であった。

そして彼女は、オレの前でその骨ばった指を二本立てる。

 

「ただし条件が二つある」

「聞こう」

「一つは、弟子入りしたならば、そこのユウジとコンビを組んでもらうことじゃ」

「え。ボクですか!?」

 

傍らにいたツガミが、目を丸くして自身を指さす。

ナガイは一番弟子の反応に厳かにうなずいた。

 

「そうじゃ。ユウジはビルダーで、そこのアレックスはファイターだ。役割分担に問題はない」

「いいだろう」

 

オレはその要求を呑む。

あくまで造形術の師範であるナガイが、弟子を取ったという時点で、こいつがビルダー専門である可能性は考慮していた。

あれほどの完成度を誇るならば、まず異存はない。

 

「次に、弟子入りに値する技量があるかを見極めるために、これに出てもらう」

 

ナガイは着物のたもとから一枚のチラシを取り出して、カウンターの上を滑らせた。

ちょうど紙面が回転して、オレとツガミ・ユウジの間で止まる。

表題には『明日野中学校 学事予定表』とあった。

 

「これって、ボクの学校のプリントじゃないですか」

「そうだ。ユウジのお母さまから借りた。この学校では、試験的に『ガンプラバトル』の授業を導入している」

「ちょうど明日がそうだね」

 

第七回世界大会の後に起こった変革は、ビルダー新世代の到来を告げた。

『スタービルドストライクガンダム』とその製作者、イオリ・セイの存在など、その最たるものだろう。

たかが中学生でも、世界を獲りうる。

そう認識した各界は、ようやく『ビルドファイター』をサッカーや野球の選手と同列に、つまり、本腰を入れて養成すべき存在だと認識したのである。

このツガミ・ユウジの母校だという、『明日野中学』も、その潮流に乗ったのだ。

 

「ユウジ、明日の授業は、クラス内で生徒たちのトーナメント戦をやると言っておったな?」

「え?あ、はい」

 

みなまで言わずとも、オレはナガイの二つ目の条件がわかった。

 

「オレにその頂点をもぎとってこいと言うつもりだな」

「左様」

「待ってくださいよ、師匠。トーナメント戦は、あくまで学校の授業です。彼は、アレックスくんは生徒じゃないから、参加できない」

「問題ない。オザワに転入手続きをさせれば、明日から通えるだろう」

「ええ!?」

「バカだと思うか?その女に弟子入りするためなら、オレはどこにでも行くぞ」

 

そう言うと、ツガミは首を左右に振った。

むしろ、同胞をみるキラキラとした視線が向けられている。

奴の非常識な観察眼と相まって、こちらの内心を見透かしてくるようですらある。

オレの苦手なものの一つになりそうだ。

 

「びっくりはしたけど、そんなにバトルをしたいなんて、よっぽど好きなんだなあって」

「オレにとって、バトル自体が存在意義だ、すべてに優先する」

 

ナガイがオレたち二人の手を取る。

グローブ越しに伝わる老女の体温は、不気味なほど冷たかった。

 

「決まりだな。つかの間の関係かもしれぬが、仲良くすることだ」

「はい。師匠!」

 

ツガミは無邪気に、喜色満面で応えた。

そしてオレのグローブの革の部分だけを、己の生白い手で包む。

ビルドファイターは短いスパンでの修理や再塗装のせいで、どうしても指先の汚れが残りやすい。

しかし、衛生を死活問題とする食堂の人間だからか、ツガミの指には塗料の欠片すらなかった。

 

「じゃあ、あらためてよろしく。アレックスくん」

「半端な敬称などいらん。アレックスでいい」

「わかった。ボクもユウジでいいよ」

「ああ」

 

オレはわざと強く力を込めて握り返す。

嫌がらせのつもりだったが、奴はぴくりともその反応を表に出さない。

鈍感なのか、純粋すぎるのか。

いずれにしてもオレの気に入らない態度だ。

 

「せいぜいオレをがっかりさせるなよ。『ユージ』」

「頑張るよ」

 

やや発音しづらく、クセのかかったアクセントで名を呼ぶ。

くすぐったそうに笑うユージを前にして、ふとオザワの言葉を思い出した。

 

『アレックス様には本当の友人になっていただきます』

 

もしも、その条件がナガイの方から提示されていたら、オレは弟子入りなど不可能だったに違いない。

 

side Yuji

 

翌日になってアレックスは本当に転入してきた。

担任であるヤマザキ・サクラコ先生の隣に立っている間も、彼はじっとりとした視線を隠そうともしなかった。

 

「転入生のアレックス・メルフォールくんです。なんと、フランスからやって来たそうです」

 

教室中がざわめく。

身目麗しい転入生、しかも外国人となれば大騒ぎだ。

ボクに話しかけてくる人はいない。

みんな、ボクよりもその話題を共有すべき友人が他にいるからだ。

普段は何とも思わないことだが、アレックスを前にすると、急にそれが恥ずかしいことのように思えてきた。

 

「フランスかあ」

「すごいイケメン……」

 

クラスの女の子の間でそんなつぶやきが漏れる。

ボクも心の中でこっそりうなずいた。

 

「では、アレックスくん。自己紹介を」

 

ヤマザキ先生はにこやかに、教卓の正面の空間を明け渡した。アレックスはその空間へ、昨日と同じ堂々とした歩みで陣どった。品定めをするように、教室全体をぐるりと見回すと、口を開く。

みんながその第一声に注目する。

 

「Bonjour」

「ボンジュール!」

 

本場のフランス語に、調子のいい男子が、日本語発音の挨拶を返す。

声からしてホソカワくんだ。

アレックスはそちらに一瞥すら向けない。

ただ自分の真正面にある、教室の壁に向かって、堂々と言葉を発した。

 

「Je m'appelle ALEX Melfort. Je vien du Paris」

「……」

「Je resterai pendant un an. Je pense……」

 

早口でまくしたてられているのは、英語ですらない。たぶんフランス語だ。

ボクらに理解のできない内容をアレックスは話している。

 

「Enchante」

 

一通り話し終えたらしく、アレックスは小さく息をついた。

クラス中が凍り付いていた。

氷河期のようなそれではなく、メモリいっぱいに情報を入力されたコンピューターのような思考停止である。

さっきの男子も、口をあけて呆然としている。

ボク一人だけが、滝のような汗をかいていた。

アレックスが日本語を流ちょうに話せることはとっくに知っているのだ。

にも関わらず、こんなことをしでかすのはコミュニケーションの拒否に他ならない。

そちらに歩み寄るつもりはないし、こちらに迂闊に話しかけても理解はしない。

そういう意思表示だった。

 

「え、えっと。アレックスくんはまだ日本語に慣れていないようだけど、みなさんよろしくね」

 

ヤマザキ先生がどうにか場をとりつくろうと、まばらに拍手が起こった。

 

「では、座席は右列のはじ、ツガミくんの後ろに空けておいたから、そこに座ってください」

 

およそ四十ある座席の合間を、アレックスは突っ切っていく。

周囲のひそひそ話など気にも留めていない。そしてボクの横を通り過ぎる瞬間、わずかに、にやり、と笑ってみせた。

思わず振り返ったときには、すっかり澄まし顔で席についていた。

 

「では、朝礼はここまで。一時間目は国語ですから、教材を準備しておいてくださいね」

 

みんなアレックスの話題に夢中で返事はない。

去り際、ボクはヤマザキ先生が不思議そうな顔で、小首をかしげるのを見逃さなかった。

やはり事前に聞いていた情報と食い違いがあったのだ。

冷静に考えれば、先生の指示をすんなり理解しているのだから、日本語がまったくわからないはずはない。

 

「アレックス。どうしてあんなことしたのさ?」

 

正面を向いたまま、椅子ごと全身を後ろへ傾けて、アレックスへ問う。

アレックスの革のグローブが、後頭部を抑える感触があった。

 

「面倒だった」

 

その上手な日本語は、クラスの喧噪にかき消えて、誰も注目しなかった。

 

side ALEX

 

日本の中学校での教育は、フランスと大差ない。

教材をまだ所持していなかったのは、やや不便ではあったが、内容自体そう難しいものでもない。

オレがもっとも気を張るべきであったのは、昼休みだった。この時間帯に生徒たちはコンビを結成、あるいは再確認して、次の授業である「ガンプラバトル」に備えるのである。

とはいえ、その前に腹ごなしだ。食堂ならば、他の生徒の中に、ビルドファイターがいる情報も盗み聞きできるかもしれない。

 

「はい、アレックス」

「あ?」

 

席を立つ直前、ユージは一つの包みをオレの机上に置いた。

怪訝な視線を向けると、相手は何かおかしいことをしたか、とでも言うようにとぼけた表情をしていた。

 

「キミの分のお弁当だよ。今度は余り物じゃなくて、ちゃんと作った」

「……オレが自分で用意していたらどうするつもりだったんだ」

「そりゃあ、もったいないから自分で食べるよ」

 

やれやれと席に戻り、包みをほどく。

こいつのガンプラと食事の技量については、昨日認めたばかりだ。特に異議はない。

ふたを開けると、薄く切った豚肉を、黄金に焼いたものがあった。

小さく巻かれた卵焼きと野菜が、箱のすみにちんまりと収まっていた。

 

「昨日の炊き込みご飯が平気なら、和食は食べられるのかなって」

「食ってみなくてはわからん」

 

食器はフォークと箸が用意されていたが、オレは箸を選んだ。使い方は、フランスでオザワに教わっている。

一口サイズに切り分け、口に運ぶ。

甘辛いタレの味付けが、やけにオレの舌にマッチした。

ユージは不安そうにこちらの顔色をうかがっている。うっとうしいので、肉を飲み込んでから感想を言ってやった。

 

「うまい」

「本当!?」

「そうやってすぐにはしゃぐから、お前は賞賛したくないんだ」

「ごめん」

 

オレは小さく舌打ちをした。

案の定、周囲の視線が突き刺さっている。驚きと困惑の入り混じったものがほとんどだ。

どういう経緯をたどれば転入初日の人間が、クラスメートにあらかじめ弁当を用意されるのか。

 

「ユージ。これから弁当を持ってくる時は学校に来る前にしろ」

「そうは行っても、キミの通学路知らないんだけど」

「明日になればわかる。いいな?」

「わかった」

 

ちょうどその会話が終わったとき、オレはユージの背後に男が二人いることに気づいた。

左は体育会系のがっしりとした体つきの、坊主頭の男だ。

オレの自己紹介にへたくそなフランス語で返してきた生徒である。

その傍らに、腰が曲がって、眼鏡の鼻あてをしきりに直す男がいる。

ユージの体格は華奢と言えるが、こいつのそれはガリガリで不健康にすら思える。

オレがユージにあごをしゃくって報せてやるのと、そいつらが声をかけるのは同時だった。

 

「おい。ツガミ」

「ホソカワくんに、ナエダくん。どうしたの」

「俺たちのガンプラ、まだ直ってないんだけどよ」

「え、また?」

「ナエダもガンプラは弄れるけどさあ、やっぱりお前の修理する機体が一番動かしやすいんだよ」

 

どうやらガタイのいい生徒の方が、ホソカワというらしい。

字から受ける印象とは異なるので、日本語というものはまだわからない。

ホソカワとやらは、己の制服のズボンのポケットから、ガンプラを取り出した。

ギャン改。

ジオン軍の量産型コンペに負けた試作機、ギャンをベースに大剣とラウンドシールドで武装した豪快なコンセプトの機体だ。

関節がすっかりくたびれて、左肩にいたっては完全に外れてしまっている。

ビルドファイターならば専用のホルスターを腰に帯び、そこへ機体を収納しているが、それをやっていないからだ。

これにはユージも苦い顔をしている。

 

「悪いけど、組んでいるメンバー以外の手を借りたらルール違反だよ」

「細かいことは気にするなよ。どうせお前、今日も一人でやるんだろ?」

「ツガミくんには、友達少ないからね」

 

ナエダという男が、かすれた声でつぶやく。

ホソカワはそれに同調するようにへへ、と笑いをこぼした。

少なくとも、ビルダーに依頼する態度ではない。

 

「ほら、休み時間終わっちまうだろ。早く直してくれよ」

 

ギャン改がユージの机へ乱雑に放られた。

ともすればビルダーの逆鱗に触れるであろうに、ユージはただ、悲しそうにそれを手に取った。

ゆっくりとギャン改の全体を回し、装甲に入ったヒビを撫でる。

 

「こんなことしちゃ、ガンプラがかわいそうだ」

「そんなの俺たちの勝手だろう?」

「ガンプラは『自由』。先生が言っていた」

 

ナエダの言葉に、ガンプラの状態を検分していた手が止まった。

その指先に、かすかに力がこもっている。

ガンプラは『自由』。

オレたちの世代のビルドファイターならば、誰もが心に刻んだ言葉だ。

三代目メイジンによって広められた、その思想は単純ながら実に難解だ。

ガンプラにとって多くの可能性を認める。

原作のままに作るもよし、思想を込めて手を加えるもよし。

簡単にいえばそれだけの題目を、多くのビルダーたちが曲解してきた。

そういう邪な解釈は、メイジンの言葉を素直に受け取ったユージのような人間にとって、爆弾以外の何でもない。

つまるところこのナエダは、奴の地雷原でタップダンスを踊ったようなものである。

ユージの頬を汗が伝う。

その薄い、色の青ざめた唇が開く。

その直前にオレはユージの肩を叩いて身を乗り出した。

 

「いやはや、ユージ。オレは一つ謝らなければならんな」

「転校生?」

「日本語喋れるの?」

 

ホソカワとナエダが驚愕に目を開く。

ユージは口を半開きにして、言葉のあてを失っていた。

 

「世の中、下には下がいる。お前以外の日本人がここまでバカだとは思わなかったぞ」

「テメエ、おちょくってんのか」

「その通りだ。規則にのっとった闘争もこなせない男が『自由』を語るとは笑わせる。路傍の売れないコメディアンでも、もう少し面白い冗談を言うぞ」

 

ホソカワの額に青筋が入った。

その太い腕がオレの胸倉へ迫るが、軽く左手で払いのける。

バランスを崩した相手は、情けなくナエダへと身を預けた。

 

「このツガミ・ユウジはオレと組む。それ以上バカな要求をするならば、オレに勝ってからにするんだな。バカめ」

「に、二回も言いやがった……」

「もういいよ。ホソカワ。ツガミくんなんて放っておいて、ガンプラは僕が何とかしよう」

 

ホソカワは歯をむき出しにしてオレを威嚇したが、ナエダに羽交い絞めにされるように引き下がっていく。

オレは茫然とするユージの手からガンプラをひったくると、ホソカワに向かって投げる。

それはナエダが手を伸ばして受け取った。

 

「忘れ物だ」

 

ナエダは鼻あてを再度直すと、オレを一睨みして去っていった。

それを合図に、遠巻きに見守っていた野次馬連中も己の領分へと戻っていく。

いくらオレが日本語を話せると理解したところで、今から話しかけてくる猛者はおるまい。

また教室に騒がしさが戻ってくると、オレは弁当の前へ戻った。

冷えても豚肉は美味かった。

ユージがおずおずとオレの下へ顔を出す。

どういう訳か目元には涙がたまっていた。そんなに相手が怖かったのか。

 

「ありがとう。代わりに文句言ってくれて」

「お前のためじゃない。所有権の侵害を見逃せなかっただけだ」

「……つまり、ボクがキミの所有物だって?」

「そんなものだろう。それよりも、お前もさっさと昼飯を食え」

 

ユージは細い指で涙を拭うと、頬杖をついて、そこにあの鬱陶しい笑顔を乗せた。

 

「アレックスって素直じゃないね」

「は?」

 

言うだけ言って、ユージは背中を向けて昼食を用意しはじめる。

オレにはユージの言葉が心底理解できなかった。

 

Side Yuji

 

昼休みが終わり『ガンプラバトル』の授業がはじまった。

これはいくつか選択できる技術科目の一環として用意されており、参加している生徒のほとんどは男子だ。

内容としては、彼ら自身が製作したガンプラを持ち寄って、体育館に設置したバトルシステムで競わせている。

今日はその中でも大きなイベントである、全生徒対抗トーナメント戦が開催されていた。

人数は結構多いので、ともすれば規模は世界大会地方予選にすら匹敵する。

 

「じゃあアレックス。ボクは表に名前書いてくるけど、アルファベットで書いた方がいい?」

「くだらんことを聞くな。カタカナでいい」

「わかった」

 

トーナメント表には早いもの勝ちでタッグ、あるいは個人の名前が書きこめる。

ボクがサインペンを持って表の前に行くと、ナエダくんが待っていた。

いつものように前傾の体勢で、鼻あてを直している。

彼の手にも同じサインペンが握られていた。

ボクと一回戦で勝負するために、わざわざ空欄を確保していたらしい。

 

「ツガミくん。転入生と随分仲がいいみたいじゃないか」

「アレックスのこと?ボクが構ってもらっているだけだよ」

「彼は自分でも思っている以上に、キミにご執心のようじゃないか。よかったね」

「師匠に組むように言われたからね。本当はボクでなくても、きっといいパートナーを見つけていた」

 

表の中央あたり、空白となっている欄に名前を書き込む。

ナエダくんもボクと同時にペンを動かしはじめた。

『津上 遊治』

『アレックス・メルフォール』

ボクの名前の横に、誰かの名前が一緒に並ぶことは初めてだ。

それがうれしくって、つい口元がにやけてしまう。

ナエダくんもボクらの横に、名前を書き終えたようだった。

 

「第一試合で、完膚なきまでに叩き潰す。ホソカワくんは執念深いよ」

「うん。知ってる。だから、負けないようにするよ」

 

ボクらはバトル前の最後の言葉の応酬を終えて、逆方向に分かれた。

ナエダくんはホソカワくんのいる場所へ、ボクはアレックスのいる場所へと帰る。

アレックスは腕組みをして待っていた。

 

「遅い」

「ごめん。ちょっとした雑談を」

「迂闊に口を滑らせて、手の内を読まれていたら殴り飛ばすぞ」

「本当に大丈夫だから。心配しないで」

「ふん」

 

ボクは腰のホルスターからガンプラたちを出した。

趣味で作ったはいいものの、ボクには扱いきれなかったものを二体、選んできたのだ。

一つは、『ガンダムAGE-1をウルフ・エニアクルが使っていたら』という空想の下、全身を白一色に塗ってきたもの。

もう一つは、ボクのとっておきだった。ベースは同じガンダムAGE-1だが、全身にかなり改修を加えている。

まず『顔』が違った。

フェイス部分はヘの字型のスリットがなくなり、後継機である『ガンダムAGE-3』のものに代わっている。手に取った人が受ける第一印象は大きく異なるだろう。

両腕は叔父さんの模型店『ビシディアン』に朝から並んで手に入れた『レイザー』ウェアと、『スパロー』のニコイチ。

腰まわりはやはり『ガンダムAGE-3』のパーツと交換し、スラスターがついたことで機動力が向上している。

最後に両脚はAGE-1の強化仕様『グランサ』の装甲を纏わせていた。

これで重心が下に沈んでいるので、AGE-3の高出力スラスターに機体が振り回されることを防いでいる。

 

「さあ。どっちがいい?」

「白い方は却下だ。昨日慌てて作っただろう。塗装が甘い」

 

果たして、アレックスはとっておきの方をセレクトしてくれた。

彼に対してはボクの事情は筒抜けである。

とっておきばかり見ていたのも多少は影響したかもしれない。

 

「こちらはトリコロールというのも気に入った」

「そういえばフランスの国旗の色だよね」

「そうだ。オレたちフランス人は、この色に『友愛』『平等』、そして『自由』を祈った」

 

アレックスがボクを見る。

気迫と威厳、自信に満ちた灰色の瞳だ。

ボクもいつか、彼のような目つきができるのだろうか。

 

「そして『自由』を手に入れるために、闘争を繰り返した国民でもある」

「自由のために、戦いを」

「覚えておけ。すべての『自由』は闘争で勝ちとる。それがフランス人の、オレの流儀だ」

 

授業を担当するイワナガ先生が、ボクたちの名を呼んだのが聞こえた。

ガンプラを手に持ったまま、アレックスが先に行く。

ボクは彼の後ろをひな鳥のようについて歩いた。

早足で追いかけながら、その広い背中へ、半ば独り言の言葉を紡ぐ。

彼の流儀を聞いたからこそ、ボクのこだわりも耳に入れておいてほしかった。

例えそれが、アレックスにとってどうでもいいことだとしても、だ。

 

「アレックス。ガンダムAGE-1がどのくらい長い間使われたか知っている?」

「……」

「およそ半世紀だよ。これは全ガンダム作品を比べても、類を見ないほど長いんだ」

「…………」

「このガンダムは『諦めなかった』機体だと、ボクは思う。その目的が敵のせん滅だろうと、救世主になることだろうと、とにかく、戦争が終わるその日まで何度も何度も直されて、改良されたガンダムなんだよ」

「………………」

「だから、ボクはAGE-1が一番好きだ。どんなに無様になっても、立ち上がり続ける。それがボクの流儀になった」

「……………………」

「……」

 

気まずい沈黙の後に、アレックスの採点が返ってきた。

 

「……なかなかの演説だった。人間が好きなものを語るというのは、それだけで耳を傾けるに値する」

 

彼は決してこちらを向きはしなかったけど、声音はほんの少しだけ、柔らかかった。

そしてボクらは、バトルシステムの前にたどり着いた。

向かいには不機嫌ここに極まった様子のホソカワくんと、ナエダくんがいる。

ホソカワくんの右手に握られているギャン改の様子を見るに、どうにか修復は間に合ったらしい。

 

『Please set your GP-Base』

 

すっかり聞きなれたシステム音声が体育館に響く。

ガンプラ操縦の要であるGPベースもボクが持っている。

ついさっきまで、アレックスがどの機体を使うかは未定だったので、機体名の登録はされていなかった。

 

『Field2 desert』

『Please set your Gun-Pla』

 

アレックスがボクのAGE-1をセットする。

粒子がプラスチックの五体に浸透し、ツインアイを緑に輝かせる。

アレックスの前にはコンソールが、ボクの前にはセコンド用のモニターパネルが展開された。

空色の障壁ごしに、パートナーの端正な横顔をみつめる。

もしも彼がいなければ、ボクのAGE-1がこうして日の目を見ることは永遠になかったに違いない。

 

「ユウジ。このガンダムの名前は」

 

アレックスに尋ねられて、ボクは自分のとっておきに、名前を与えていないとようやく気が付いた。

画竜点睛を欠くとはこのことだ。

ボクはやや思案する。アレックスの視線が刺さっているので長く時間は取れない。

脳内のネーミング辞典を必死にめくって、ぴったりな名前を考案できた。

フランス語の名詞だけなら『SEED』の改造機を作るときにちょっとだけ調べている。

これならフランス人のパートナーにもぴったりだろう

 

「『エトワール』。いつか、あの星に手が届きますようにって」

「星か。よほど、『スター』ビルドストライクが好きなんだな」

「AGE-1と同じくらいには、ね」

「そうかい」

 

アレックスが右手を前に突き出すと、そこへもう片方の手を伸ばす。

あのガーゼが挟んであるグローブを取っているのだ。

外気に触れた彼の素手は皮膚が薄く、血管まで透けてわかるほど病的な様相だった。

とても脆いガラス細工のようで、触れると壊れてしまうとさえ思う。

ガーゼの正体は怪我ではなく掌を防護するためのクッションだったのだ。

 

「掛け声は『Sally Forth』だ。オレがずっと使っているもので、これがないと本調子にならん」

「了解」

 

いよいよボクらの初陣だ。

早鐘を打つ心臓を深呼吸で抑え、ただ、開始の号令を待つ。

問題ない。

二人で使うガンプラの出撃タイミングは、第七回大会で覚えた。

モニターに手をつき、アレックスと同じ体制になる。

すべてのコンディションを、ギリギリまで彼に合致させる。

そして、イワナガ先生が、開始の合図のホイッスルを吹いた。

 

『BATTLE START!』

「ツガミ・ユウジ!」

「アレックス・メルフォール!」

「『ガンダムAGE-1 エトワール』!」

「「Sally forth!!」」

 

リニアカタパルトで、ボクらのガンプラが射出される。

『エトワール』が初めて躍り出た戦場は、仮初の灼熱地獄だった。

 

Side ALEX

 

学校内のバトルシステムは最小規模の1ユニット級なので、敵は最初からカメラに捉えられていた。

ギャン改だ。先に砂漠へ降り立つと、巨大なビームソードとバスターシールドで、攻防一体の構えをとっている。

一方こちらに手持ちの武装はない。

ビーム・サーベルはおろか頭部バルカンさえない。

元々AGE-1の固定装備は少ないのに、わざわざ腰部を『AGE-3』に変えたからだ。

スラスターだけではダメだったのか、と問い詰めてやりたいが、ビルダー特有のこだわりなのだろう。

オレには理解不能な代物である。

 

「ごめん。アレックス。すっかり武器のことを忘れてた」

「問題ない。だからいちいち青ざめるな。血の気がいくらあっても足りんぞ」

 

さっきまでユージの流儀を聞いてやっていたせいで、その点について指摘することを怠っていた。

これはオレのミスだ。ユージは責められない。

 

『へへ。転入生。不運だったな。はずれを掴まされたみたいじゃないか』

『言っておくけど、このバトルに降参はないよ』

 

相手の日本人二人の、からかうような通信が入ってくる。

オレはそれを一切聞かぬふりをして、操縦桿の具合を確かめた。

両腕、両脚、首をはじめとした全可動範囲をチェックする。

AGE-1エトワールはオレの試運転を真に受けて、奇妙な踊りをはじめてしまった。

両手脚をあらぬ方向へ曲げ、ややもすると地面にくずおれるなど、おどけた道化師を連想させる。

困惑したユージの声がこちらに届く。

 

「あ、アレックス?」

『ははは!こいつ操作方法も怪しいのかよ!』

 

嘲笑と共に、ギャン改が突進をはじめる。

大型ビームソードは砂漠の表面を焼きながら、まっすぐAGE-1エトワールへ迫った。

この動きには覚えがある。

昼休みに、オレに掴みかかってきたときの動きだ。

ガンプラバトルはアニメ『機動戦士ガンダム』の操縦系統より、操縦者の動きをトレースして伝えやすい。

だからこそ、ガンプラでさえ似通った動きを強いられるのであった。

オレはのんびりと、ユージに通信をつないだ。

 

「ユージ。武装についての打ち合わせを逃したのは、オレの油断だ」

「え?」

「詫びになるかわからんが、手品を見せてやる」

 

全身の点検を終えたAGE-1は突如として正気に戻る。

当然ギャン改は速度をゆるめず、必殺の間合いにまで距離を詰める。

それを緊張感のない、自然体の直立不動で迎え撃つ。

そして、ぱん、と左手でビームの切っ先を払った。

 

「え?」

『は?』

 

一切の予備動作なしの、ただの平手打ち。

ギャン改の全体が左へかしぐ。

その時、オレには敵機の腰関節に亀裂が残っているのが垣間見えた。

エトワールの右脚だけで跳躍し、左大腿のスラスターを一瞬間だけ噴射する。

グランサの追加装甲を上乗せした重量と、スラスター出力に裏打ちされたスピードを掛け合わせ、一撃必殺の物理エネルギーがギャン改の腰部を襲った。

赤い足先が突き刺さり、残心をたたえてクルクルと下半身が回転する。

憐れにもギャン改は上下泣き別れになって、そのまま完全に沈黙した。

 

『BATTLE ENDED』

 

粒子は収束し、顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けた、ホソカワとナエダが残された。

かくしてAGE=1エトワールの初陣は終了である。

試合時間、総計55秒。

1分を切るというのは久しぶりの記録だった。

 

「ま、まさか。ビームを払いのけるなんて」

 

驚愕を発声で表現できたのは、製作者であるユージだけだった。

オレは役目を終えたエトワールを手にとって、奴へ渡す。

自分の創造物のくせに、ユージはAGE-1を様々な角度から検証している。

手品という言葉から種や仕掛けがあると踏んだのか。

 

「え?ん?どうなって……?」

「昼にお前も見ただろう。あれをそのままやっただけだ」

 

オレにはそれをガンプラで再現可能とする技量があった。

だが技量だけでは足りないことも認めざるをえない。

実のところビームソードに『エトワール』の指先が触れた数秒は、オレも心臓が止まるかと思ったのである。

それでもこの『手品』をなしえたのは、ユージが作ったガンプラの性能のおかげだった。

まず、準備運動を終えてから直立不動へ移行、平手打ちと、オレの操作タイミングをギャップなしで伝達する反射速度。

そして、ほんのわずかでも、高出力ビームに耐えきる強度。

いずれにしろ、このガンプラの完成度による圧倒的な性能補正を受けている。

相手との実力が雲泥の差であるからこそ、昼休みの再現は完成したのである。

 

「ユージ」

「な、なに」

 

奴は我に返ると畏れと驚嘆、なにより歓喜の入り混じった黒い瞳でオレを見つめた。

 

「一度しか言わないからよく聞け。お前、飯とガンプラだけは一流だ」

 

オレははじめて、100パーセントの称賛をパートナーに送る。

ユージはパチパチと目をまたたかせて、それからひどく赤面した。

 




あと数回で彼等の過去は「ほぼ」明かされます。
彼等のようなはっきりした『ビルダーとファイター』の組み合わせも、なかなか楽しいものですね。
つかの間の最強タッグの快進撃にお付き合いください

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