ルート2 ~インフィニット・ストラトス~   作:葉月乃継

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44、星に願いを

 

 

 

 大事なことは、全部置き去りにしてきた。

 二瀬野鷹は、何故か前回の人生の記憶を持って生まれた。本人ですらそう思い込んでいた。

 前回の人生というのは悪夢そのもので、怠惰に回る糸車のように、何度も何度も同じ場所を繰り返していた。

 そんな記憶を持っていて、人よりちょっとだけ優れていたからこそ、彼は優越感と劣等感を抱いて、失敗を繰り返した。

 失敗は失敗を呼び、全部を諦めようとしても、心に焼き付いたインフィニット・ストラトスだけは求めてしまった。

 触れるという当たり前の動作ですら、誰かの焼き直しだった。

 本当に偶然だが、知らないうちに徐々に取り戻していた力が間に合った。

 そして勘違いした努力を重ねて、自分は強くなったと思い込んで、彼はただひたすら走り続ける。

 時には大きく曲がった。

 道が断たれたこともある。

 だがその度に立ち上がり、貫き通す信念すら無くとも、彼は長い戦いに身を投じた。

 化け物だとわかって、それでも化け物は化け物らしく他人を欺いて、時には過去の自分すらも欺いた。

 頑張れたのは、彼が持っていた一つの気持ちのせいだ。

 彼は、その世界を愛していた。

 二瀬野鷹として生まれる前から知っていた。

 二瀬野鷹として生まれてから再び出会った。

 そして二瀬野鷹が死んだ後でも、見守り続けた。

 だから、彼はその世界を蹂躙し続ける二つを敵と定めた。

 一つは、ジン・アカツバキ。

 もう一つは、自分自身。

 結果、二瀬野鷹の道とは、真っ直ぐに滅ぶためだけのものとなっていた。

 

 

 

 

 

「ディアブロォォォォ!」

 色を失った世界の空で、敵となった黒い機体の腕を掴んだまま、大きな二枚の翼を立てて空中に押し返そうとする。

 だが玲美も全力でオレをねじ伏せようとしていた。

 結果、オレのホークと玲美のディアブロが、地面に空いた大穴の真ん中で力比べを始める形になる。

「腐っても四枚翼かよ!」

「そんな、ディアブロの翼は全力なのに、ホークに負けるなんて!」

 二人ともがお互いの推進装置から大量の粒子を噴出させながら、相手を吹き飛ばそうと力を込める。

「お願い、ディアブロ!」

 玲美の背後に浮かんだ八つのビットが、オレに向けて一斉に砲門を開く。そこから放たれるのは、一撃でISを消滅させるほどの破壊力を持った光だ。

 ここで後ろに引けば回避は出来るだろう。しかしそれじゃあ、力負けを認めるだけだ。

 最初に力負けをしないことが、戦闘では重要だ。オレに勝てる要素は存在しないが、負けるつもりも一切ない。

「押し切ってやらぁ!」

 腰から生えた尾翼に意識を集中させる。

 相手の胸部に向けて肩を入れ、体を押しつける。自分の翼に力を込めた。

「なっ!?」

 発射されるギリギリでオレは玲美の体を浮かせ、わずか数十メートルばかり相手の後方へと押し込んだ。

 寸前まで立っていた場所に八つの光が突き立てられ、瓦礫が舞い上がる。

「玲美!」

 オレはここで彼女に負けてやるわけにはいかない。

 例え彼女が、オレの失敗によって生まれ出た埒外の同類だとしてもだ。

「離して!」

 玲美が腕をねじり、オレの右手を振りほどく。同時に鋭いミドルキックでオレを弾き飛ばした。

 距離が離れたオレと玲美は、そのまま相手の隙を窺うように睨み合う。

「どうして、ヨウ君とホークがこんな力を……」

 彼女が小さく信じられないと呟く。

 国津玲美がオレを殺した後に過去へと飛び、再びやり直そうとしている。ジン・アカツバキと国津三弥子の戦いは、いつ勝負がつくかもわからない危ない綱渡りだ。

 それでも彼女は何度でも繰り返すと言った。

 だとしたら、二瀬野鷹が諦めても、四十院総司がそんな不確実なものを許さない。

「さあ玲美ちゃん、ここからはIS業界のトリックスター、この四十院総司がお相手仕ろうか!」

 もったいぶった言い回し、人を食ったような笑み、掴めない本心。

 それが三度目の人生の真骨頂。オレによって作り出された、四十院総司という男の表情だった。

「今更、オジサンの振りをしても!」

「甘いよ」

 いきなりの百八十度ターンで、背中を見せる。

「え?」

 戸惑っている間に、今度は縦に回転しながら落下していった。

「さあお立ち会い、これから始まる世紀の壮絶騙し合い」

 足が下を向いた瞬間に、テンペスタ・ホークのスピードを殺すための脚部スラスターを全開で開いた。もちろん、瞬時加速モードでの六基同時点火だ。

 飛び跳ねるように空中を蹴って、ディアブロへと襲いかかる。

「それぐらい……くっ」

 玲美が咄嗟に大剣を握って、急上昇してこようとするオレへ振り下ろそうとした。

 だが、狙いはここからの無軌道瞬時加速だ。

「本邦初公開の、鋭角旋回瞬時加速はどうだい!?」

 尾翼を合わせた三枚の推進翼と脚部の六基の推進装置を交互に使うことで、弧を描かずに鋭角で稲妻のように折れ曲がる。

 これは、脚部と背部という離れた場所に推進装置を備えるホークならではの技だ。二瀬野鷹であったときにはわからなかったが、ホークとディアブロでは、推進装置の使い方が異なるのだ。

 ディアブロの左後部から、マッハ3で衝突する。

 相手を撥ね飛ばし、さらに脚部六基のイグニッション・ブーストで追いかけた。

 右手に呼び出したのは、ホークのスピードを最大限に生かすようにと理子が発案した最硬の武装。

 一瞬だけ翼を寝かし、脚部から推進力ではなくエネルギーだけを放出する。即座に翼を立て、空中に撒き散らされたエネルギーを取り込み、ISコアから繋がるバイパス以上の力で加速を始めた。

 端から見れば、雄々しく猛禽類が羽ばたくように見えただろう。

 推進装置六基分プラスHAWCシステム三枚分の加速がオレを押し出していく。

 一瞬だけでも、悪魔の最高速を超えれば良い。

「この子より速い!?」

 体勢を立て直し、回避しようとした玲美が驚きの声を上げた。

 オレはこの機体を信じている。

 何せこいつは、篠ノ之束が開発したISに、小さな天才が設計した推進装置を乗せ、国津幹久と三弥子により完成され、四十院総司(みらい)から二瀬野鷹(かこ)へと渡された、究極のアサルト機なんだ。

 世界最高速に次ぐ加速で最短距離を曲がり続ける。

 例えディアブロにだって、負けてやらねえ。病とまで呼ばれたこの翼、伊達じゃねえってところは、お前も知ってんだろ、玲美。

「ディアブロごときに、負けてやるホーク様じゃねえ!」

 鷹が、悪魔を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

「二瀬野が、この先の空間で生きているだと?」

「ええ、生きているわ」

 白衣を着たエスツーと名乗る女性が縁に腰をかけ、驚きの表情を浮かべるラウラへと肯定の意を示した。

 今現在の彼女たちは、織斑千冬の作った次元の穴を通り、ジン・アカツバキのいる時の彼方へ方舟で向かっている。

 その甲板から見える景色は、まるで走馬燈を映し出すホログラムウインドウの洪水にも感じられるで、その光景に少女たちが目を奪われていた。

 そこへ、エスツーが全員に向けて、二瀬野鷹が生きていると言い放ったのだった。

「ど、どういうこと!?」

 国津玲美という名の、十五歳の少女が白衣の女性へと詰め寄る。

「そのままの意味よ。二瀬野鷹は、間違いなく生きている」

「ほ、本当に? ヨウ君が、生きてるの!?」

 目を見開き、真剣な眼差しで問いかける少女へ、エスツーは小さく頷いた。

「待ちなさいよ、いきなり何言ってんの、アンタ」

 鋭い声で二人の間に割って入ったのは、ファン・リンインだった。

「そのままの意味よ。ヨウは生きてるわ」

「テキトーなこと言うんじゃないわよ? アイツは死んだのよ。葬式だって盛大にやっちゃって、あのバカの死体だって何人も見てる。それで生きてるなんて、ありえるわけないじゃない」

 殺意すら込められた鈴の怒りを眼前にしても、エスツーは動じることなく、

「それが死というのなら、貴方たちの中では死んでるわね」

 と冷たく言い放った。

「抽象的なことを言って、誤魔化してんじゃないわよ!」

 それでも食ってかかろうとする鈴の肩を、少年の手が掴む。

「まあ、待てよ鈴」

「一夏?」

「ヨウは生きてるんだ。それは間違いない」

 真剣な眼差しで告げる一夏の顔を鈴は一瞬見つめたが、すぐに乗せられた手を払いのけ、人差し指を相手へと突きつけた。

「だいたい、アンタも何で生きてんのよ! 確かに死んだはずじゃない! もう、何が何だかわかんないところに、アタシたちを混乱させないでよ!」

「いや、そう言われても、生きてるもんは仕方ねえだろ……」

 苦笑いを浮かべる一夏の顔を一睨みした後、鈴は腕を組みそっぽを向いて、それ以上喋らなくなる。

 その様子を見て、呆れたように、だがどこか懐かしげにため息を吐いた一夏が、甲板にいる全員を見回した。

 玲美や鈴だけでなく、他の少女たちも、困惑した表情を浮かべていた。

 その中で、更識楯無が一歩前に出て、

「根拠を聞かせてもらえるかしら。今なら、たいていのことを信じられる気もするし」

 と疲れたような笑みで一夏に尋ねる。

「うーん、何から話したもんか。まずヨウってのが誰なのかって話からだ。あー、えっと、エスツー、頼む」

 少し困ったように目を細め、頬をかいた一夏は、結局エスツーに話を丸投げした。

「まあ仕方ないわね。ヨウという少年は、私と同じ時代に生きていた少年ISパイロットよ。未来でのジン・アカツバキとの戦闘で敗れはしたけれど、自力でその後を追いかけたわ」

 エスツーが話した言葉を、方舟の内部にいた千冬やナターシャ、オータムと悠美も船内通信回線を通して聞いていた。

 二瀬野鷹。本来の姿は、二百年の未来に生きていた少年ISパイロット、ヨウである。彼はジン・アカツバキを追いかけて、この時代にやってきた。

 やってきたと言っても、心だけの存在となり、二瀬野鷹として生まれ、記憶は曖昧になっていた。

 そして、二瀬野鷹はジン・アカツバキに殺され、十二年前へと戻り、四十院総司の体に乗り移る。

 二瀬野鷹は未来を知るというアドバンテージと、四十院財閥の財力を用い、IS業界を掌握し、ジン・アカツバキへと再び戦いを挑んだ。

 今はジン・アカツバキによって時の彼方に送り込まれ、戦っているはずだ。

「ヨウさんが……お父様?」

 その事実を知り、四十院神楽がフラリと倒れそうになる。そこへ慌てて支えに入った理子が、

「え? う、ウソ、でしょ、エスツーさん。嫌だなぁーここで冗談なんて、タチが悪いにも程があるよー?」」

 と真っ青な笑顔で問いかけた。

「私もそこは千冬に聞いた話よ。でもあの青年が四十院総司だと言うのなら、その中にある心は間違いなくヨウだわ。ディアブロを身にまとっていたのだから尚更ね」

「突拍子もないにも、程があるけれど」

 理子は少し思い出してしまった。なぜ、自分たちがあんなに早く二瀬野鷹と馴染んでしまったのか。昔から見知っていたオジサンと似ていたからではないのか、と。

「オジサンが、二瀬野君……」

 四十院総司と縁のある更識姉妹が顔を見合わせる。

「そんな……オジサン、が?」

 玲美の膝が崩れ墜ちる。その顔は力のない笑みを浮かべていた。

 彼女は先の戦闘で、二瀬野鷹の振りをしていた四十院総司の姿を思い出していた。自分ですら完璧に二瀬野鷹だと思い込んでいた。疑っていた人物など誰もいなかった。

「先を見通す眼力を持ったIS業界の麒麟児と呼ばれる四十院総司、それと未来人を名乗った二瀬野君……未来から来たっていうジン・アカツバキ」

 シャルロットがぶつぶつと自らの記憶と情報を反芻する。その呟きを聞いて、セシリアがハッとした顔を浮かべた。

 リア・エルメラインヒが何かに気づいて、手元にいくつもの文字情報を表示したウインドウを立ち上げる。

「隊長……二瀬野鷹の両親の護衛を手配したのは……」

「そうだ、四十院、総司……だ」

 次々と紐付けられていく情報にラウラが渋い顔で舌打ちをした。

 二瀬野鷹の両親の死因は事故と自殺。護衛の落ち度はあれど故意である様子はなかった。逆に言えば、四十院総司は死を知っていて、何とか逃れようとして護衛をつけたのではないか。そこまで考えて、自分たちが鷹に告げた二瀬野夫妻の情報が、本当に断片的でしかないことに気づいた。ゆえに、四十院総司は失敗したのではないか、と気づいてしまう。

 動揺しきった彼女たちの様子に、エスツーが少し困ったように眉をしかめ、先ほどとは逆に一夏へと助けを求めた。

 その視線を受けて小さく頷いた後、

「俺が断言するよ」

 と一夏が真剣な表情で言葉を続ける。

「二瀬野鷹ってのは四十院総司で、その大元はここから二百年後に生きていた少年だ。証言者は俺とエスツー、それに千冬姉と束さんだ。俺たちはともかく、あの二人に不服はないだろ?」

 世界で最も有名な二人の名前を出されては、甲板にいる少女たちは黙り込むしかない。ISに関してなら、これ以上の証言はこの世に存在しないからだ。

 全員が何も喋らなくなったのを見て、一夏が再び口を開く。

「信じて欲しい。ヨウはこの先にある時の彼方で生きている。俺はジン・アカツバキを倒したいのと同じくらい、アイツを幸せにしてやらなきゃいけないんだ。とは言っても、簡単に信じられないだろ。目的に辿り着くまで、体感時間でもう少しある」

 それぞれがそれぞれの感情を浮かべたまま、一夏の顔を見つめた。

 少年は、全員の気持ちを受け止めてもなお、呑気な笑顔で、

「ま、みんな、楽にしててくれ」

 と気楽に言い放った。

 

 

 

 

 

「二瀬野鷹の生存、ですか」

 クロエ・クロニクルが不思議そうに呟いた。

 全長二百メートル級の方舟、その一層を丸ごと占める空間には、棺桶を金属製にしたような銀色の物体で埋め尽くされていた。

 棺の中から漏れる僅かな光が薄暗さを演出している。

 フロアの中央には柱のように配置された円筒形の物体があった。間近で見れば、それがISを固定するスタンドの役目をしていることがわかる。その中には銀髪の少女と黒鍵という名のISが設置されており、そこから数十を超えるケーブルが天井と床へ伸びていた。

 そのISと少女の目の前で、篠ノ之束は数十ものホログラムウインドウから情報を読み取りながら、十センチほど空中に浮かび多数の球形キーボードに触れている。

「ルート2で精神抽出された意思、それを心と呼ぶなら、生きてるってことになるかなぁ。そもそも心ってなんぞやみたいな議論をし始めれば、それこそ脳内における神経なんたらとかいうつまんない結論に達するわけであって、さてはて、じゃあその電気信号のやり取りを行うだけの器官を持つぐらいで『生きている』を名乗れるのか、他人の考えることはさっぱりさっぱりわかりませーん」

 調子の外れたセリフを口から告げながらも、彼女がキーボードとウインドウを操作する手は止まることがなかった。

「それが、この時の彼方にいるということですか」

「そうだと思うかなぁ。ジン・アカツバキがゲートを開き、どこかに連れ去ったのは間違いない。あれだけ傍目に見えて弱ってたものを逃がしたのは、一生の不覚っ、と言いたいけれど、結局あの端末だけ倒しても仕方ないっちゃー仕方ないわけだし、ああやってゲートを開けてくれたのは大変ありがたかったっていうか。那由多の数を超える時の彼方の一つと接続出来たわけだし」

「それで、あのジン・アカツバキとやらを、束様が倒されるわけですね」

 絶対の自信を持って断言するクロエの言葉に、篠ノ之束は初めて手を止めた。

「うーん、どうしようかなぁって」

「え?」

「倒せるのかな、あれ」

 小首を傾げて、珍しく困ったように笑い、束は止めていた手を再開させる。

「束様?」

「残念だけど、負ける」

「しかし、束様はアレの配下にある千機のISの攻撃ですら、一切効きませんでした」

「負けるよ。私たちは、ジン・アカツバキに勝てない。時の彼方という先の見えないフィールドであっても、あれには勝てないことだけは見える」

「束様が? そんなことは起こり得ません」

 きっぱりと断言するクロエに対し、

「んー、そう言い切りたいけれどね。単純に全世界のISを集めたぐらいなら、私も負ける気がしないけど」

 と動かしていた手を止め、人差し指を頬に当てて首を傾げる。

「でしたら、どうして?」

「あれが怖いのは、相手を倒せば強くなること。自身のエネルギーを全て武装に転換出来ることの二点。ルート1ってのは、元々がエネルギーバイパスの進化形だからねぇ。その巨大なエネルギー搬入路を生かす術を知ってる。今までは時間を超えるために使っていなかっただけだし」

「ですが束様なら」

「簡単に戦力を分析しようか。まずこちらの戦力は私、ちーちゃん、いっくん、エスツー。以上だね」

「はい」

 クロエは束が最初から、他の人間を戦力として扱っていないことぐらい理解していた。もちろん、自分もこの方舟を操縦するだけで、何ら役に立たない存在であることも、最初から認識している。

「敵の戦力は、この空間に存在していた本体と合流し、本来の力を取り戻したインフィニット・ストラトス。その性能は折り紙付き。その上、まともなISでは近づくこともままならないルート1・絢爛舞踏を操る。他にもくーちゃんの持ってた映像から分析して想像するに、今じゃざっと白騎士三機以上のレベル」

「三倍以上? そのようなことはあり得ません」

「いやいや、くーちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいけどねー。もちもち三倍って言っても単純な比較じゃなくて、兵装を予想出来るレベルで使えばって推測だけどさぁ。まあ秘密兵器は持ってきたわけだけど」

「秘密兵器?」

「もちろん、この方舟だよん。そうでなきゃ、こんな入れ物持ってこないし。不思議に思わなかった? こんな意味の無い物を持ち込んでくるなんて」

「私は束様の行動に疑問を持つことがありません」

「ふっふっふっ。信頼ありがっとー。さて、ルート2という機能、それを何とか発現させようとした機体も一緒に持ってきたわけだし、あとはまあ、ヨウちん次第だねえ。さてさて、凶と出るか明日と出るか」

 そこまで喋った後、急に黙り込んだ束の様子に、ぶら下げれたISの中でクロエが不安げに小首を傾げた。

「束様?」

「ああ、気づいちゃったなぁ。どうなるか、本当に楽しみにしてる私がいることに。あの流れ星を見たときから、きっと、この結末を見たかったんだ」

 世紀の大天才が口角を吊り上げて目を細め、本当に楽しそうに破顔する。

「私にすら手の届かない物が、私によって産み出されたなんて、ああ、意外に本当に、この世は楽しいね」

 

 

 

 

 

 束たちが話している場所と同じフロア内の少し離れた場所で、千冬にナターシャ、オータムと悠美は一つの画面を囲んでいた。それは二瀬野鷹が生きているという甲板でのやりとりを船内通信で覗き見していたものだった。

「なるほどねえ。さすが織斑隊長だ。こんな馬鹿げた話を端っから信じてるなんて、頭がおかしいにもほどがある」

「何とでも言え。だが事実だ」

「しっかしなぁ、四十院の旦那が二瀬野? バカな話にもほどがあるぜ?」

 腕を組んだまま、呆れたように後ろから覗き込んでいたナターシャに同意を求める。

「まあ色んな符号を合わせていけば、そういう可能性も得られないわけじゃないけれど、本当なの?」

 豊かな金髪の毛先をいじりながら、半信半疑の眼差しを千冬に向けた。

「本当だ。よく見ればわかる話だ。大げさなジェスチャーで隠しているつもりだったのだろうが、細かな動作は全て二瀬野のものだ。私が尋ねたとき、本人も否定はしなかった」

「本当に信じがたい事態だけれど、ブリュンヒルデがそんな荒唐無稽なウソを吐くとも思えないわね」

「どちらにしろ、ここにいる二瀬野か四十院総司を捕まえればはっきりするだろう?」

 織斑千冬は悪戯をして逃げた生徒を見つけたかのように、不敵に笑う。その様子を見て、オータムとナターシャは顔を見合わせ肩を竦めた。

「……オジサンが、ヨウ君?」

 彼女たちの一歩後ろで、沙良色悠美が信じられないとばかりに小刻みに首を横に振っていた。

「だってだって、オジサンは、私に良くしてくれて、それにアイドル活動の援助までしてくれて……」

「言いたいことはわかる。信じられなくても構わん。信じろとも言わない」

 悠美のいる方向を振り向きながら、千冬が少し突き放すような言葉を口にした。

「で、ですけど、何が、本当でウソなのか」

「お前がどう思っていたかは知らんが、四十院総司であろうが、二瀬野鷹であろうが、お前が助けたいと思うことに変わりがあるのか?」

 挑発するような言い草だったが、悠美は目を見開いて少し驚いた後、

「あ、いえ、そうですね……」

 と呆けたような顔で呟いた。

「誰がどうであろうと、何がどうだろうと、我々のすることは変らん。束の言うことを信じるなら、篠ノ之箒を救い出し、二瀬野鷹を見つけ、ジン・アカツバキを倒す。目的はこの三つだけだ」

「私にゃ最後の一つだけだな」

 言葉尻を食い気味にオータムが笑い飛ばした。

「それが一番難しそうだがな」

「はっ、もうやられるかよ。ヤツの底は見えたからな。てめえらを囮にして、このバアル・ゼブルでぶっ壊せば充分だろ」

「そう上手く行くか。相手も最後の力を振り絞って、挑んでくると思うが」

「最後の力っつっても、アイツは押されてたじゃねえかよ。あの篠ノ之束も盾ぐらいにゃなるだろ」

「だといいがな。油断はするなよ、お前たちはIS学園の人間より上の立場だ。真っ先に墜ちて恥をかくなよ」

「はっ、そっくり言葉を返すぜ、織斑センセ」

 オータムと千冬の二人が、お互いに半分本気を込めたジョークを交わし合う。それを呆れたようにナターシャが後ろから眺めていた。

「ったく、血の気の多いのは困りものね、悠美」

「……ヨウ君が、生きてる」

 独り言を何度も呟いていた悠美を見て、ナターシャが訝しげにその顔を覗き込んだ。

「悠美?」

「え、あ、はい!」

「大丈夫?」

「あ、はい。なんていうか、ちょっと考えがまとまらなくて」

「ま、私もちょっと混乱してるわね。四十院総司がヨウ君だなんて」

「い、いえ、それは何となく、えーっと、わかる気もするんです。確かに昔からオジサンは不思議なところもあったけど、身内にはどこまでも優しくて、なんか雰囲気が似てる気もします」

「ああ、四十院総司とは付き合いが長かったのよね」

「はい、十年以上前からです。それがヨウ君だっていうのも、仕方なさそうに笑ったときとかヨウ君に似てるかもしれないなぁって。そうじゃなくて、その」

 いつのまにかじゃれ合っていたオータムと千冬までもが自分を見ていることに気づき、悠美は視線を落とし、二つの親指を交差させ始めた。

「言ってみたら? 言葉に出来るのは、これが最後かもしれないのだし」

「……そうですね」

 ナターシャの言葉の真意がすぐに理解出来た悠美は、少し悲しげに、

「ヨウ君の、幸せって、どこにあるのかなぁって」

 と呟いた。

「そうね……おそらくジン・アカツバキを倒すためにずっと動いていたのだと思うけれど。凄い執念だと思うわ」

 ナターシャも悠美と同じように悲しげにうつむいた。

 その二人を見て、オータムがバカにしたような笑みを浮かべた。

「そんなことは本人に聞けや。生きてりゃ、そのうち幸せとやらが来る、なんて言わねえがな。そもそも、それは生きてるっていうのかよ」

 亡国機業のIS乗りが発した言葉で、沙良色悠美があからさまなほどに不機嫌な顔つきへと変わる。

「どういう意味でしょうか、隊長」

「二瀬野の野郎は死んで十二年前に戻り、四十院総司の体を乗っ取って。もしその話が本当だとしてだ」

 チラリと千冬の顔を一瞥した後、オータムは顔を逸らしながら、

「ぜーんぶ信じるなら、心だけの存在ってわけだろ? そんなアイツを生きてるって定義して良いのかって話だ」

 と感情を見せない呟きを漏らした。

 呆れたようなポーズを取ってはいるが、オータムの目は真剣そのものだった。その雰囲気を読み取ってか、悠美が息を飲み喉を鳴らす。

「で、でも本当に、それが二瀬野君だって言うなら」

「生きてるって定義はそれぞれだがな。そもそも今の二瀬野鷹は、どう思っているのやら。私は過去に戻って、未来を変えたことなんかねえからな」

「でも……変えたい過去があるのは、今の私にはわかります。その、心が抽出された存在だって言うなら、それは生きてるって、嬉しいとか楽しいとか感じられるなら」

「んじゃ聞くがよ、沙良色。心だけの存在になって、てめえは幸せなのかよ?」

「そ、それは!」

「ま、本人に聞けばわかることだけどなぁ。でもまあ、あのバカ」

 オータムは頭の後ろで手を組んで、だるそうに歩き出す。

「隊長?」

「全てが本当だとして、そこまでして、何のために戦ってやがるんだよ、全く」

 今度こそ、心底呆れたように、だがどこか暖かみのある調子で呟いた。

 

 

 

 

 

 ラウラやシャルロット、それにセシリアといった面々は、エスツーから少し距離を置き、それぞれのISを展開しながら細かい動作をチェックし始めていた。リア・エルメラインヒもそこへ参加し、上官であるラウラの新機体ルシファーの様子を見ていた。

 ISは操縦出来ないながらも同行した国津幹久と岸原大輔は、それぞれの端末から多数の仮想ウインドウを展開させ、HAWCシステムを搭載した機体の補佐をする用意を進めていた。

 しかし、その彼ら彼女らの動作がどれも緩慢なのは、先ほど告げられた真実が原因だろう。

 そして国津玲美を初めとする三人は、甲板の舳先側でエスツーと円を囲んでいた。

「信じられません、お父様が……」

「そうね。おそらく妙な記憶を持っていたはずよ。ヨウ……二瀬野鷹という少年は、妙なことを言ってなかったかしら?」

 エスツーが問いかけると、理子と神楽を過去を見合わせる。

「未来人……かな、やっぱり」

 理子が他の二人の様子を窺いながら、恐る恐る返答する。その言葉に、隣で黙っていた玲美が肩をビクリと振るわせた。だが、何も言葉を発さずに膝を抱える腕に力を込める。

 回答を聞いたエスツーは考え込むように少しだけ頷いた後、手元に小さなウインドウを呼び出した

 そこにあるのは、人間の頭部をCTスキャンしたものであった。

「本来は脳という器官が心を司るわけだから、齟齬が生まれて、整合性を取るために自分の記憶さえ書き換えてしまう、そういう可能性だって否めない。察するに大脳皮質が厚く成長する七歳から九歳ぐらいには、何らかの自己解決的な記憶をねつ造した可能性もあるわね」

 神楽は震える幼馴染みの頭を軽く撫でながら、

「でも、ヨウさんは本当は未来人は比喩表現で、実際は違うと」

 と、エスツーに教える。

「それこそ、本来の記憶と他の物が混ざってるのね。もしくはISかと思ったけれど、二瀬野鷹はいつ頃からISに触れたのかしら?」

「確か、何度かIS適正試験を受けています。それでも動かすことが出来たのは、入学試験のときだったかと」

「なら違うわね。ISのせいかと思ったのだけど」

 独り言のような反証と否定を耳にして、カーキ色の連隊訓練校の制服を着ていた理子が、不思議そうに小首を傾げる。

「ISが? 何で?」

「インフィニット・ストラトスは元々、人の精神を蝕むものだから。貴方たちのいた時代なら、おそらくIWSという病で認識されていたはず」

「IWSは知ってるけれど、それが何で関係あるの?」

「あの病は元々、イメージインターフェースからのフィードバック過多によって起こるのよ。貴方たちより少し先の時代に、ISは元々から人の心に干渉する機能を持っていたと判明するわ。織斑一夏も後々に、知らないはずの情報を、ISに教えてもらったことがあると証言しているわ」

「へぇー。あ、ひょっとして、ジン・アカツバキのISに乗った夜竹さんたちが、意識を失ってずっと本を読んでいる夢を見てたってのも」

「アカツバキが作った機体は、そういう機能が強化されてたってことよ。強制IWSとでも呼べば良いのかしら」

「なるほどねえー。じゃあ篠ノ之さんは?」

「篠ノ之箒は、その機能によって時の彼方に送り込まれていたわ。そのときは助ける手段がなかったから、置いてきたのだけど」

「それはルート2とは違うの?」

「違うわね。似て非なる物。IWSの場合は肉体が死ねば精神も死ぬ。だけど、ルート2は完全に肉体から解き放たれてしまう。心の紐付け先が肉体になるか、ISコアになるかという大きな違いがあるわね」

「はー。なるほど。全然関係ないんだけど、エスツーさんって説明好き? 先生とかしてた?」

 悪気のない理子の質問に、エスツーが目を丸くした後、呆れたように笑った。

「教職についたことはないけれど、上の堅物たちを説き伏せる必要があったから、自然にね。それと小さな子供の相手をする仕事も多かったわ」

「ふーん。ねえ、逆に質問だけどさ、そっちの知ってるヨウ君ってどんな子だったの?」

「ヨウ……か。あの子、そう、あの子は少しボーッとした子で、どこにでもいる、普通の男の子だった。いつも……年上のお姉さんたちの話を聞いてたわ、楽しそうに嬉しそうに。目をキラキラとさせながら」

 目線を下へと落としたエスツーが、話を続ける。

「年上のお姉さん? ああ、その頃から年上好きだったんだ」

「年上好き?」

「んー、外人のお姉さんとかそういうのに弱かったかな」

 笑いながら理子が言うと、それまで黙って膝を抱えていた玲美が、ポツリと、

「悠美さんにもデレデレしてた」

 とほんの少しだけ楽しそうに呟いた。

「心に刷り込まれてたのかしらね……周りは年上の女性ばかりだったから」

 困ったわ、と言わんばかりに手を頬に当てて、エスツーが目尻を下げる。

「ねえ、エスツーさん」

 玲美が少しだけ光の戻った瞳を見せた。

「何かしら?」

「ヨウ君は、生きてるの?」

「生きてるわ」

「じゃあ、また、お話出来る?」

「彼にその気があれば、大丈夫だと思うわ」

 力強いエスツーの言葉を聞いて、玲美は数秒の間、目を閉じる。

「かぐちゃん」

「何かしら?」

「もう、良いと思うの」

「そうね。ヨウさんがお父様だとしたら、私には感謝の言葉がいくらあっても足りないぐらいだわ」

 周囲より大人びた十五歳の神楽が、目を細めて頷く。

「理子」

「言わずもがなって感じだね。オジサンは充分、頑張ったし」

 子供っぽさの抜けない理子が、ガッツポーズを作って気合いを入れる仕草を取る。

 二人の幼馴染みの言葉を受けて、玲美はゆっくりと立ち上がった。

「エスツーさん、ヨウ君を元の体に戻す方法は、ありませんか?」

 力強い光を取り戻した瞳が、白衣の女性に決意の輝きを見せる。それを受け取ったエスツーは、

「残念だけど、貴方たちの知る二瀬野鷹の体に戻す方法は、理論すら存在しない。だけど」

「ほ、他に何かあるんですか!?」

「ここにある十歳の男の子の体に戻すことは、可能かもしれない」

「そ、それって、彼の本当の?」

「ええ。IWSはISから肉体へのフィードバックを過剰に起こす病。紅椿はISの身で、それを可能にした。そしてヨウの心はISと紐付けられた意識。だから、強制的にISから肉体へフィードバックを過剰に起こすことで、元の体に戻すことが可能だわ」

「つまり……それって」

「彼は彼本来の体に戻ることが出来るわ。貴方たちは二度と『二瀬野鷹』に会うことが出来ないけれど……」

 エスツーが申し訳なさそうに言った内容に対し、玲美は一瞬だけ悲しげに目を閉じた後、すぐに目線を上げた。

「本人に会うよ。それで聞いてみる。何が、彼にとっての幸せなのか。今通ってる空間を超えた先、時の彼方にいるんだよね?」

「いるわ、間違いなく」

「まだ、何が本当かも信じ切れてないかもしれないけど、それでも、ヨウ君に会えるなら会って、その先の幸せを聞いてみたい」

 小さく呟いて、彼女は船の前方を見つめた。

 そのとき、仮想ウインドウのような走馬燈が途切れ、灰色で描かれた空が現れる。

 眼下に見えるのも、同じように灰色の濃淡だけで描かれたグレイスケールの世界だった。

「着いたわね」

 エスツーが立ち上がり、白衣を脱ぎ捨てる。その下から、青い装甲の紅椿とでも言うべきISが現れた。

「ここが……」

 縁に駆け寄り、玲美たち三人は、空中に浮いた船から眼下に広がる風景に目を懲らす。甲板にいる他のメンバーもまた、同じようにその風景に目を奪われていた。

 どこまでも陸地と海が続き、地平線も水平線もない。

 広がり続ける無限の世界が、そこにはあった。

「着いたか」

 いつのまにか甲板に出てきた織斑千冬も、白式を展開させる。その後ろにいたナターシャ、オータム、悠美も同様だった。

「ふん、物理法則のようなものはあるか。なら結構だ。では」

「千冬、私と玲美は、ヨウを探すわ。いいわね?」

 青い装甲を身につけたエスツーが、隣でアスタロトというディアブロに似た機体を展開させた玲美をチラリと視線を送る。

「織斑先生、ヨウ君を探しに、行ってきます」

「好きにしろ。見つけ次第、首に縄でもつけて引っ張って来い。いいな?」

「は、はい!」

 元気に返事をした玲美が、甲板から飛び立とうとしたとき、

「玲美」

 と優しく呼びかける男性がいた。

「パパ、行ってくる」

「ああ、気をつけて、無茶はしないようにね。アスタロト二機のHAWCシステム制御は、私と岸原、それに神楽ちゃんと理子ちゃんでやるから」

「うん、ありがとう」

「……もし」

「もし?」

「ママがいたら、伝えて欲しい」

「ママが? 何でここに?」

「……もし、会えたらだよ」

「パパ?」

「こう伝えて欲しい。ありがとうって」

「えっと、それだけ?」

「ああ、それだけで良いよ。それじゃあ玲美、頑張っておいで。無茶はしないようにね」

「うん、きっと連れて帰るよ」

 軽く手を振って、玲美が空中に身を投げ出す。数十メートル落下した後、推進翼を広げて、一機に加速して見えなくなっていった。

「それじゃあ私も行くわね。束、頼むわよ」

「あいあい、まーテキトーにやっておいでー」

「ったく、貴方という人は」

 呆れたように言いながら、エスツーもまた玲美を追いかけて青い機体を加速させていった。

 それを数秒だけ見送った後、全員が自然と千冬へと視線を向ける。

「ふっ、では我々は世界を破壊した敵ジン・アカツバキの捜索、見つけ次第、破壊する」

「ちーちゃん、箒ちゃんのことも忘れないでよぉー」

「当たり前だ。では国津博士、岸原指令、留守を頼みます」

 千冬が声をかけると、岸原大輔が一歩前に出て、軍人らしく敬礼をした。

「織斑千冬殿、少年少女たちを頼みます」

 その気合いの込められた祈願に、千冬は同じような敬礼を返し、

「勝って、帰ってきますよ。全員、無事に」

 と少しだけ頬を緩めた。

「千冬姉、行こう」

 姉と同じ機体を展開した一夏が、声をかける。

 彼女が振り向けば、弟がやや緊張した面持ちで立っていた。

 その彼と目線を交わす。

 それだけで何か通じ合ったのか、お互いが同じタイミングで似たような顔の笑みを浮かべた。

「では」

 顔を前方へと戻し、織斑千冬が右手に雪片弐型を出現させる。

「あえて名乗ろう。四十院総司に捧げる、亡命政府IS連合軍、出陣!」

 十機を超える世界最強のIS乗りたちが、時の彼方という色のない世界へと飛び立った。

 

 

 

 

 

「さて、キミはどうするんだい? 織斑マドカ」

 ISのいなくなった方舟の甲板で、束は端っこに座っていた少女に問いかける。

「……ふん」

「まだ決めかねているなら、私が良いものを上げよう。見て驚け聞いて驚け」

 束が千冬に良く似た顔の鼻先で、手の平を上に向けて広げた。

「IS?」

「そう。これは良い物だよ。キミにはぴったりの機体だ。これで憂さ晴らしをしてくれば良いさ。鬱憤が貯まっているんでしょう?」

 マドカに向けてニコニコと敵意のない笑みを向けてはいるが、その雰囲気にかわいらしさはない。

「何だ、これは。ISコアか?」

 少女がまじまじと見つめるそれは、淡い緑色に光る、四角い立方体だった。

「暮桜」

「は?」

 あまりの衝撃的な発言を前に、彼女は何度もそのISコアと束の顔を見比べる。

 暮桜と言えば、織斑千冬の使っていた白騎士の後継機であり、彼女の伝説とともに語られることが多い有名な機体だった。

「どっかの誰かが置いていったISコア。くーちゃんが拾っておいたこれを、キミに上げよう。さあ行きたまへ生きたまへ。何もかもをしっちゃかめっちゃかにかき回し、思う物全てを切り裂いてくれば良いんだよ、キミは」

「私に、アイツらを助けろと言いたいのか?」

「いいや、空っぽのキミに、役目を与えてあげよう、これと交換だよん」

「役目?」

「ディアブロという機体を見つけ次第、止めてくれないかなぁ? この暮桜に搭載された零落白夜でね」

 

 

 

 

 

「くっ、ヨウ君がここまで……!」

 半径三メートル以内で曲がり続けるオレの動きは、もはや残像を残して襲いかかるように見えるだろう。

 段々と理解してきた。

 前回のやり直しの果てに生まれた『玲美』、仮に『三弥子』と呼称しよう。三弥子は、国津玲美本来のアクロバティックな動きと、今のディアブロが持つ武装で構成された兵器だ。しかしリベラーレやアスタロトと違い、その動きが噛み合っているとは言い難い。

 怖いのは、あくまで各々の強さであって、組み合わせにより相乗効果が生み出されてるわけじゃない。攻撃モードを切り替えるような形でしか発揮出来ないんだろう。

 先ほどから狙っているのは、そういう隙だ。

 背後を取った瞬間に、ホークでミドルキックをかまし、大きく相手を吹き飛ばした。

 玲美との距離が離れる。

 そこからは追撃せずに、悠々とした態度で腕を組み、相手を見つめる。

「どうしたんだい、玲美ちゃん」

「……だから、オジサンの真似しないで」

「何を言ってるんだい、玲美ちゃん。私は四十院総司だった。だから、君たちをずっと見守ってきたんだよ。お父さんたちに内緒でお小遣いも上げただろう?」

「だからって! 何もヨウ君が、オジサンの振りをして苦しむ必要なんてないの!」

 そうか。お前はどうあってもオレの心配をするのか。

 自らの無様さを鼻で笑い、オレはオレの表情へと戻る。

「じゃあ次はオレを生かしたまま、ストーリーを続けるのか?」

「次はそれを試してみる」

 震える声に悲しげな響きを覚えた。

 ああ、だけどな、もっと簡単な思いを忘れてるだろ。

「それじゃあダメだ。神楽が寂しがるだろ」

「私たちは三歳だった! 覚えてなければ!」

「そういうのが出来たら良いよなぁ。全部が全部、やり直して」

 そしてジン・アカツバキとオレの存在を消し去って。

 何事もないように、世の中が回って。オレは生まれもしない。オレとは別の人間が、オヤジと母さんの子供として、普通の人生を歩んでいく。

 そういう幸せな世界が一番良い。

「だから私がやり直すの。キミを幸せにするために、最初から全部」

「それでもダメだな」

「え?」

「母親がいなけりゃ、お前が悲しむ」

 玲美は自分自身を育てた。玲美自身は未来の自分が母親の体を使っているだけと知らずにだ。

「……そんなの」

「苦しかったか? そうだろ。オレだって四十院総司を偽って、神楽を育ててきた。気持ちはわかるよ。ありゃ苦しいな」

「私の、ことなんて、この際、どうでも」

「良くねえよ。全然、どうでも良くねえよ。オレはな玲美。こう見えても十二年間、父親やってきたんだ。だから娘の悲しむ顔ってのは苦手なんだ」

 四十院総司の娘である神楽は、控えめで優しくて、責任感が強く、財閥のご令嬢に相応しい風格を持って女の子だ。

 そうは言っても年頃の女の子で、泣いたり怒ったり、父親に甘えてきたりと、可愛らしい子だった。

「正直、オレは二瀬野鷹をぶん殴ってやろうと思ったことが何度も何度もある」

 四十院総司として見てきた頼りない十五歳の、身勝手なガキは、本当にどうしようもない男だった。

「心ない言葉であの子を悲しませたことだってある。IS学園を出て行ったのだって、てめえで決めた話だってのに、八つ当たりか? バカじゃねえのか。妙な記憶を持って生まれたせいで何も喋れなかったことだって、てめえの心の問題だ」

 偽物でもせめて父親らしくと、あの子の母親と約束した。

 二瀬野夫妻がそうであったように、オレも娘に愛情を注いで生きてきた。

「だからオレは自分が憎たらしかった。もううんざりだ。それとあと一つお前に、てめえに、キミに言っておきたいことがある」

 言っておかなければならないことが、一つだけ残っている。

「……何?」

「オレを、この二瀬野鷹の生き様を、不幸だなんて決めつけるなよ」

 

 

 

 

 

 土地の開けた小さな山の頂で、ジン・アカツバキは篠ノ之箒と刃を交えていた。

「……来たか」

 自分の広げた空間に起きた違和感を、彼女はすぐさま感知出来る。

 敵が現れたのだ、と一瞬で理解した。

「どこを見ている!?」

 裂帛の気合いとともに振り下ろされた日本刀を、ジン・アカツバキはたたらを踏みながら回避し、相手との距離を取る。

「来たか」

 ジン・アカツバキが空を見上げる。

 そこからISたちが舞い降りてきた。

 織斑一夏の白式を初めとした総勢十二機のインフィニット・ストラトスだ。

 神を名乗る自立思考型ISに対し、距離を取って囲み、それぞれの武装を向けていた。

「さあ、年貢の納め時だ、神様」

 雪片弐型をぶら下げた織斑一夏がゆっくりと構えを取る。

「一夏?」

 箒は自分の前に立ち塞がった少年の背中を、呆然とした眼差しで見つめていた。

「よく頑張ったな、箒。お前がこいつを見つけて戦っていてくれたおかげで、すぐに辿り着くことが出来たんだ」

 彼の言葉に、箒は胸の中が熱くなる気がした。刀を握っていた手に、自然と力が込められる。

「そうか、私は何か出来たのか?」

「ああ、充分だ。お前は、お前自身を守れたんだ。俺なんかより、よっぽどマシだ」

 頬を緩ませて、一夏は箒に掛け値無しの賞賛を送る。

「……相変わらず、お前はお前のままだな。だが、これからなのだろう?」

「ああ、アイツを倒すことがマストオーダーだ。ISはないけど、やれるか?」

「意思はここにある。ならば、やれる」

 箒は姉から預かっていた刀を構え、一夏の横に並び立った。

 目を丸くしたのは一瞬で、一夏は気合い充分の箒の顔を見て頷き、それから自らも目線を最後の敵へと向けた。

「貴様も貴様で、本当にしつこいな。まさか追ってこれるとは思わなかったぞ」

 他人の体を持ったままの自立思考型インフィニット・ストラトスは、呆れた様子で周囲にいる人間のパイロットたちを見回す。

 紅椿という機体は、ジン・アカツバキとなる遥か以前に、篠ノ之箒の愛機として世界中で長く活躍した。ゆえに自分を取り囲む機体たちが、いわゆる最初の物語の行く末でどういう活躍をするかをよく知っている。

 後世でノーブル・ブルーと呼ばれイギリスを代表する機体となるブルーティアーズが、青白い光を漏らすライフルを構えていた。

 世界中に同型機を持つラファールのカスタム機が、最後に残る第二世代機であることも、第三世代が主流となっても輝きを失わなかったことも覚えていた。

 赤い高機動機アスタロトを装着したファン・リンインは、黎明期にあったIS界でも天才と呼ばれるようになる。独特の動きで多くのパイロットを驚かせ、二度もIS世界大会部門優勝(ヴァルキリー)の称号を得た新世代のエースパイロットとして名高く、また奔放な彼女の性格は多くの人間に愛された。

 隣に立つ赤毛の少女が身につけているのは、ラウラ・ボーデヴィッヒがIS世界大会で部門優勝を得たときに身につけていた、ドイツのフラッグシップ機になるシュヴァルツェア・レーゲンだ。

 多数の実弾兵器を構えた打鉄二式は、後に自衛隊の正式採用機となり、日の丸を代表するISとして長く就役することになる。そのバージョンアップには、更識家の妹姫が多く携わっていた。また、本人も長く日本代表パイロットとして、母国に貢献し続けた。

 長い金髪に優しげな顔のナターシャ・ファイルスは愛機を長らく封印されるという憂き目に遭いながらも、多くの後進を育て、IS界で最も貢献した女性という称号を得る。

 くすんだ金髪に鋭い目つきをしたオータムと呼ばれる亡国機業のパイロットは、世界で最も人を殺したISパイロットとして、ISの教本には必ず出てくる名前となった。

 そして白式を装着した織斑千冬と一夏の伝説は、いわずもがなだ。

 つまるところ、彼女を囲んでいるのは、彼女が潰した『最初の物語』の未来で、世界最強クラスとなる機体とパイロットばかりなのである。

 他にも、二百年近く後に設計図が発掘され、自らに立ち向かった機体たちが再び立ち塞がっている。バアル・ゼブル、ルシファー、アスタロトは、まるで彼女が神を名乗ることを予期していたかのように、悪魔の名前を持ってジン・アカツバキへと立ち向かった。

 彼女が本体と連結されてもなお未知数の機体も現れていた。

 国津幹久によって作られたミステリアス・レイディ・バビロンと呼ばれる新機体と、四十院と倉持のハイブリッドISである打鉄飛翔式。いずれもその機体が恐れるに値するスペックを持っていることは理解出来た。

「人類が未来に戦いを挑んでいる、というわけか」

「どんな解釈もいらねえぞ、ジン・アカツバキ。俺たちと、お前の戦いだ」

 相手の言い放つ比喩を、ただ一人の男性パイロットである少年が一言でぶった切る。

「ふっ、織斑一夏らしい言い草だ。では、良いことを教えてやろう」

「なんだ、命乞いか?」

「私はここに置いてあった本体との連結が完了した。ゆえにわかったことがある」

 ジン・アカツバキが一つの大きなホログラム・ウインドウを呼び出した。

「お前たちの世界は、すでに十億人以上の死者と行方不明者を出している。また国連常任理事国の全ての首脳部が壊滅した。さらに資源となる油田や鉱山なども、私によって破壊され、国際宇宙ステーションは墜ち、その破片によって大きなデブリベルトが構成され、今後数十年は宇宙に出ることは叶わん」

 語り出された情報は、この場に集った彼女たちにとって、予想がつくレベルの話だった。

「何を今更、てめえの犯罪自慢かよ。SNSにでも上げるんだな」

「神たる私が、お前たちの世界を試してやろう」

 両手を広げ、雨を待ちわびる祈祷師のように、ジン・アカツバキは灰色の空を仰いだ。

 そこから告げられる神託は、

「お前たちは、これら全てを無かったことに出来る」

 というものだった。

「どういう意味だ?」

 怪訝な様子で織斑千冬が問いかける。

「簡単だ。歴史を振り返れば良い。お前なら知っているだろう、織斑千冬。ISという存在が篠ノ之束の中で生まれた瞬間を」

 不敵に、相手をからかいながら試すように笑うジン・アカツバキに、千冬が目を見開いた。

「……そういうことか」

 それまで無表情で戦いに備えていた千冬の顔が、沈痛な面持ちへと変わる。

「思い出したか。篠ノ之束は、十二年前に空を流れる隕石を見て、ルート系機能を実現するための手段を思いついたのだ。それは後にインフィニット・ストラトスと呼ばれるマルチフォーム・スーツとして世間に発表された。後世では有名な話だ」

 楽しそうに語る相手の態度に、業を煮やしたラウラが一歩、前に出る。

「それがどうした? 今更キサマに歴史を語ってもらわずとも!」

「良いのか、ラウラ・ボーデヴィッヒ、そしてリア・エルメラインヒ。お前たちの部隊の人間も生き返るかもしれないのだぞ」

「なんだと?」

「それはおろか、二百年後の世界すらも救う奇跡の手段が残されているのだ」

 意味ありげな視線で織斑一夏を一瞥した後、ジン・アカツバキが手元にあったホログラム・ウインドウを上空へと放り投げる。

「メテオ・ブレイカーとは良く言ったものだ」

 

 

 

 

 

 戦闘中に突然、巨大なホログラム・ウインドウが上空に現れた。

「何だ、あのでけえウインドウは? これはジン・アカツバキの声か?」

 先ほどからオープン・チャンネルで届けられる声は、篠ノ之箒の声帯を震わせて出されたものだ。

『お前たちの認識している時間から十二年前、地上からも肉眼で見える大きな帚星が見えた。これは、約二百年の周期で地球に近づく大彗星群だった』

 空に映し出された映像は、当時撮影されたものだろうか。地上からも観測されたというだけあって、大きな尾を引いた、明るい流れ星のようだ。

 ……十二年前? 何の符合だ?

「ヨウ君、聞いちゃダメ!」

 オレと対峙していた『三弥子』が、金切り声を上げて叫ぶ。

「どういうことだ?」

 戸惑っている間にも、ジン・アカツバキからの声が周囲に響き渡っていった。

『二百年後では、宇宙の彼方にある星々の重力の影響で、その周回軌道が大きく曲がり、太陽系第三惑星である地球への激突コースへと変った。これが未来の滅んだ原因の一つだ』

 つまりはジン・アカツバキという存在が生まれた要因の一つなんだろうが……。

「っと!?」

 巨大な爪を開いて迫ってきたディアブロを、咄嗟に回避する。

「これ以上、それを聞いちゃダメだよ、ヨウ君!」

「んなこと言われてもな」

 距離を取りながらも、オレはジン・アカツバキの話に耳を奪われていた。

『この彗星にまつわる、小さな事故の話を教えてやろう。とある田舎の、中央分離帯すらない高速道路で、一つの事故が起きた』

 それは、本物の四十院総司と国津三弥子が死んだ事件のことだろう。

 今更の情報を、アイツがあんな巨大な画面と、この空間に響き渡る声で話している意味は何だ?

『事故の要因は、運転手のよそ見だった。つまり、空に走った流れ星に目を奪われた結果なのだ』

 まさ、か。

『気づいただろう、人類たちよ。全ては十二年前に観測された隕石によって始まったのだ。ルート系機能を持つISも、二百年後の悲劇も、そして四十院総司が死んだのも、たった一つの要因によるものだったのだ』

 聞いた情報を整理しなければならないというのに、脳内が真っ白になって何も考えられなくなる。

「おい、玲美……?」

 すぐ近くで頭を垂れてうつむいている少女に、お前はこれを知っていたのかと問いかける。

「……アイツ、許さない」

 彼女が怨嗟の込められた歯軋りを立てた。

『さあ、この時の彼方に集った人類たちよ。聞け。過去に戻ってやり直すことが出来る存在の名前を、その心に刻み、自らの行動を決めるが良い』

 浪々と謡い続ける声が、オレの意識を掴んで話さない。

 ああ、早く、その名を教えてくれよ。

『ISコア2237、そしてルート2という機能を持ち、私と同等の力を持つ可能性を秘めたインフィニット・ストラトス「ディアブロ」だけが、全てを無かったことに出来るのだ』

 来た。

 これが国津玲美が三弥子となって、未来を変えようとした原因だ。

 いわゆる前回の物語で、二瀬野鷹はこれを知り、隕石を破壊しに向かうことを決めたんだろう。

 十二年前に飛ぶことが出来て、なおかつ巨大隕石を破壊したならば、全ての悲劇を止めることが出来るのだ。

『ただし、ディアブロといえど、無傷で破壊することは出来ないだろう。私であっても、存在の停止と引き替えだ。付け加えて、言えることが一つある』

 息を飲む。

 喉が渇いた。

 これほどまでに、敵の言葉が待ち遠しいと思ったことはない。

『そしてお前たちが全てを無かったことにすれば、何があろうともお前たちがヨウ、そして二瀬野鷹と呼ぶ存在が、この世に残ることがないということだ』

 

 

 

 

 

 彼は、その世界を愛していた。

 二瀬野鷹として生まれる前から知っていた。

 二瀬野鷹として生まれてから再び出会った。

 そして二瀬野鷹が死んだ後でも、見守り続けた。

 だから、彼はその世界を蹂躙し続ける二つを敵と定めた。

 一つは、ジン・アカツバキ。

 もう一つは、自分自身。

 結果、二瀬野鷹の道とは、真っ直ぐに滅ぶためだけのものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 









最終章の始まりです。

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