艦娘達の戦後   作:雨守学

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響の母親が見つかった。

ロシアにいた祖父母に尋ねた所、同じくロシアにいる事が分かった。

その母親が、日本に来ると言う。

響を迎えに。

 

 

 

急な知らせに、俺は恐ろしいほど冷静だった。

いつか訪れるであろうこの日を思うと、あんなにも苦しかったはずなのに。

だから、響への報告も、あっさりしたものとなった。

 

「お前の母親、ロシアで見つかったよ」

 

「――え?」

 

「日本に迎えに来るってさ。良かったな」

 

「お母さんが……?」

 

「ああ」

 

俺と違って、響は取り乱しているように見えた。

口を半開きにしたまま、焦点の定まらない目で、何もないところを見ていた。

 

「来週には来るそうだ。まあ、すぐに向こうへ行くって事はないのだろうけれどな。準備もあるだろうし」

 

「…………」

 

それからずっと、響は動かなかった。

 

 

 

「響ちゃんの母親が……!?」

 

「ああ」

 

「じゃあ……響ちゃんはロシアへ……?」

 

「そうなるだろうな。だが、すぐという訳でもないだろう」

 

「そんな……」

 

鳳翔も響と同じように、茫然としていた。

 

「……提督は、どうしてそんなに冷静なんですか?」

 

「どうしてと言われてもな……」

 

俺にも分からない。

けれど、なんというか、悲しいとか、嬉しいとか、そう言うものがまるで湧いてこないのだ。

 

「とにかく、そう言う事だ。来週には来るそうだから、迎える準備をしてやらないとな」

 

「……はい」

 

 

 

響の親が見つかった件は、他の者の耳にも広がり、学校ではちょっとした事件になっているようだった。

特に、第六駆逐隊の皆は大騒ぎだ。

毎日のように家に来ては、響との時間を大切に過ごすようにしている。

時折、電が涙を流すと、それにつられて皆泣いていた。

日本ならまだしも、ロシアだもんな。

滅多に会うことは出来ないだろう。

共に戦い、姉妹のようにいつも一緒にいたあいつらが、今度は3人になるなんて、想像できなかった。

 

 

 

響の母親が来日する日が近づくにつれ、響の夜泣きが酷くなっていった。

本人は隠しているようだが、朝は目を腫らしてくるし、夜中に部屋へ近づくと、スンスン泣くのが聞こえた。

その時の俺の心は、まるで空っぽだった。

何も感じなかったのだ。

慰めようとも――関わろうとすらしなかった。

映画を見ている時のような、そんな心持ち。

自分がそこにいないかのような、まるで現実味を帯びない。

一体、俺はどうしてしまったのだろう。

 

 

 

「提督、大丈夫ですか?」

 

「何がだ?」

 

「……なんというか、無理をしている感じがしまして……」

 

「無理?」

 

「響ちゃんの事……意識しないようにしているのではないかと思って……」

 

意識しないように。

確かにそうかもしれない。

だが、そうであるならば、俺も響と同じで、夜泣きをしてもおかしくはないだろう。

一人の時に、たくさん泣くであろう。

 

「隠さなくても良いと思います……。少なくとも、私の前では――」

 

「大丈夫だ」

 

「でも……」

 

「それよりも、あいつがロシアに行けるように、何をしないといけないのか調べないとな。転校の手続きとか――」

 

「提督!」

 

鳳翔の目が厳しく俺を見ていた。

 

「どうしちゃったのですか……!? どうして……どうしてそんなに淡白なんですか……!?」

 

何故鳳翔が怒っているのか、俺には分からなかった。

それほどに、唐突に感じた。

少なくとも、この時は。

 

「鳳翔……?」

 

俺のキョトンとする顔に、鳳翔は一瞬不味い顔をした。

 

「……すみません。お買い物に行ってきますね……」

 

そう言えば、響の母親の件から、鳳翔の笑顔を見ていない事に気が付いた。

響もそうだ。

そして、俺も――。

 

「…………」

 

何かが、壊れてゆく。

見えない何かが。

 

 

 

それから、食事でも会話が少なくなった。

静かな食卓に、食器を叩く音だけが響いていた。

そして、そのまま時間だけが過ぎてゆき、ついにその時はやって来た。

 

 

 

学校には事情を説明し、響を休みにしてもらった。

鳳翔にも定食屋を休んでもらった。

 

「響ちゃんは、お母さんの事覚えているの?」

 

「ちょっとだけ。私がとても小さいころに離れ離れになったから……」

 

「そっか……」

 

俺はその会話を背中で聞いていた。

なんとなく、二人とは距離があるように感じた。

鳳翔の父親の気持ちが、今なら分かる。

どうしようもないこの気持ち。

 

「もうそろそろね……」

 

「うん……」

 

時計の針だけは、その音を絶やさなかった。

 

 

 

一台の車が、家の前に停まった。

響の母親が来たのだと、すぐに分かった。

 

「行こうか」

 

鳳翔に連れられ、響は玄関へ向かった。

俺も遅れて向かう。

 

「ごめんください」

 

その声に鳳翔は返事をし、ドアを開いた。

そこには、車いすに乗った若い女性と、それを押す中年の女性。

どちらも、ロシア人らしい顔立ちをしていた。

 

「響……?」

 

そう聞いたのは、車いすの女性だった。

 

「お母さん……?」

 

響の親は、響の顔を確認すると、目に涙を浮かべて、響が近づくのを静かに待っていた。

そして、手の届く距離まで来ると、そっと抱きしめた。

 

「響……。こんなに大きくなったのね……」

 

「お母さんの匂い……。お母さん……お母さんだ……」

 

「ごめんね……。遅くなって……ごめんね……」

 

二人は抱き合いながら、静かに泣いた。

それを見ていた鳳翔も、うっすら涙を浮かべていた。

中年の女性も同じく。

俺だけ。

俺だけだ。

何もせず、ただ茫然とその光景を見ていたのは。

 

 

 

玄関ではなんだと、そのまま家にあがってもらった。

響の親は足が悪いらしく、中年の女性と俺の二人で肩に抱き、居間へと案内した。

居間に着いて早々、響の親は頭を下げた。

 

「ご迷惑をおかけしました……」

 

「いえ……迷惑だなんて……」

 

「電話を頂いた時、驚きました。まさか、響が日本にいるなんて……」

 

「どういうことですか?」

 

「ロシアに行ったと聞いていたので、私も追ったのです。でも、そこで事故にあってしまって……」

 

そう言うと、響の母親は自分の足をさすった。

 

「意識が戻った頃には、既に戦争は終わっていました。私は響を探しました。でも、ロシアでは見つからなくて……」

 

「そうだったのですか……。失礼ですが、響の親父さんは……」

 

「夫は……亡くなりました……。響が艦娘として海軍へ行った一年後に……」

 

その言葉に、響は深く目を瞑った。

その背中を鳳翔は優しくさすってやった。

 

「戦後も育ててくださって、本当にありがとうございます。どうお礼をしたらよいか……」

 

「お礼なんて結構です。とにかく、見つかってよかった……」

 

「そういう訳には……。せめて、響にかかったお金だけでも……」

 

「いや、夫を亡くされては苦しいでしょう。その分を響に使ってやってください」

 

「そのことに関しましては大丈夫です。私の両親は不動産を営んでいまして、食べるには困っていません。私の後ろにいる彼女はメイドなのです。メイドを雇えるほどなのです」

 

裕福な家庭なのか。

最初は心配だったが、これなら響はひもじい思いをしなくて済みそうだ。

 

「それよりも、今後はどうなされるのですか?」

 

「響と一緒にロシアに帰ります。もちろん、準備もありますので、しばらくは日本にいるつもりですが……」

 

「そうですか……」

 

「なるべくご迷惑をおかけしないように、早めに対応するつもりです……。しばらくは響をよろしくお願いいたします……」

 

「分かりました」

 

しばらく話し込んでから、響の母親は家を後にした。

 

 

 

その日の夜は、とても蒸し暑くて眠れなかった。

涼もうと縁側に向かうと、途中、響と会った。

 

「眠れないのか?」

 

「うん……。蒸し暑くて……」

 

「そうか……」

 

そこからは会話はなかった。

ただ、二人して縁側に座り、時折吹く風を待っていた。

 

「司令官は……」

 

響が枯れた声で話し始めた。

 

「司令官は……私がロシアに帰る事……どう思う……?」

 

「母親と一緒にいれるのはいいことなんじゃないか? 向こうでは裕福に暮らせそうだし。ただ、第六駆逐隊と離れ離れになるのはな……」

 

「司令官はどうなの……?」

 

響の瞳が俺を見つめる。

潤んだ瞳の中に、淡白な顔をした俺の顔が映っていた。

その顔が、俺の冷たい部分を引き出す。

 

「二度と会えなくなるわけじゃないしな」

 

「もし……二度と会えなかったら……?」

 

「その時はその時だ……」

 

「司令官の事、忘れちゃうかもしれないよ……?」

 

「仕方のないことだ……」

 

そこまで言うと、響の顔が徐々に力みを帯びてきた。

 

「なんだか司令官……冷たいよ……」

 

「そうかな……」

 

月が雲に隠れて、少しだけ暗くなった。

 

「しかし、良かったな。母親が居て、裕福で……文句ないじゃないか。これからは好きなものをたくさん買ってもらって、何不自由なく暮らせるんだ。羨ましいよ。ここで住むのとは大違いだ」

 

「なんでそんな事言うの……?」

 

響の顔は、怒りと悲しみに包まれていた。

 

「響……?」

 

「確かに不自由ないかもしれない……。でも、それが幸せかどうかなんて分からないじゃないか……」

 

「幸せに決まってるだろ。母親も居て裕福で……」

 

「……司令官は、私がロシアで幸せになれると思っているの?」

 

「ああ」

 

「じゃあ……私がロシアに行っても構わないって……思っているの……?」

 

「――ああ」

 

その質問を答える時、一瞬ではあるが、俺の口は勝手に閉じた。

 

「……そうか。よく分かったよ……。司令官なら……止めてくれると思っていた……。ずっと一緒に住んでくれると思っていた……。例え、母親が見つかっても……」

 

「…………」

 

「……ごめんなさい。今まで迷惑かけて……。おやすみなさい……」

 

響は自室に戻っていった。

俺はそのまま縁側に座っていた。

これでいい。

これで、響の夜泣きは無くなるだろうし、母親の元へと後腐れなく帰ることが出来る。

そう思った。

 

 

 

いよいよもって、響との会話は無くなっていた。

目を合わせる事すらも。

そんな状況を鳳翔は心配そうに見つめていた。

しかし、その鳳翔ですら、俺に直接理由を聞いてくることは無くなった。

 

 

 

一人で町をふらふら歩いた。

必ず寄る雑貨屋も、あのカフェも、寄っていく気にはならない。

いつもは3人でワイワイ歩くこの道も、今日に限っては、とてもつまらなく感じる。

 

「提督さん……?」

 

声をかけてきたのは瑞鶴だった。

 

「どうしたの? そんな暗い顔をして……」

 

「いや……何でもない……」

 

「なんでもないわけないじゃん……。誰から見ても元気ないよ?」

 

「…………」

 

「……提督さん、これから時間ある? いつものカフェに行かない?」

 

「すまない……今は――」

 

瑞鶴は俺の言葉を遮るように、腕を強く引っ張った。

その顔は、見せたこともないくらいに真剣な顔をしていた。

 

「提督さん……」

 

「……分かったよ」

 

そのまま、引っ張られるようにカフェへと向かった。

 

 

 

カフェについて早々、質問攻めにあった。

響の事、鳳翔の事、何があったのかなど。

俺はやり過ごすように、淡々と答えた。

 

「なるほどね……」

 

「もういいか?」

 

「ダメ」

 

「なんなのだ……」

 

「提督さん、私に言ったよね。自分らしくって。じゃあ、今の提督さんは? 自分らしく出来ているの?」

 

「…………」

 

「私にそういうくらいなら、提督さんも自分らしくしないと、でしょ?」

 

「……俺は、自分らしくしているつもりなんだ。だけど、何かがおかしい……。何かが壊れてゆくんだ……」

 

「ちゃんと話してくれる? 私の力になってくれたように、私も提督さんの力になりたいから」

 

その優しさが、今の俺にはぐっと染みるものがあった。

 

「ああ、ありがとう……」

 

カフェは静寂に包まれた。

レコードの針が、盤を離れていた。

 

 

 

瑞鶴と話して分かった事がある。

 

「提督さんは、響ちゃんとの別れを覚悟していたから、いざ別れが来ても、辛くならないようにって、耐性がついちゃったんじゃない?」

 

「辛くないように……か……」

 

「聞いている限りだと、露骨すぎるくらいだけどね……」

 

確かに、別れを意識しすぎた感じはある。

辛くならなように、と。

其れゆえに、冷たいと言われるのも頷ける。

 

「だからと言って、別れを辛いという態度を取るのもって感じだよね」

 

「ああ。それに、「止めてくれると思っていた」と言われても、どうしようもないからな……」

 

「……提督さんはどうなの? 本当の気持ち……」

 

「…………」

 

俺が黙っていると、瑞鶴は優しく微笑んだ。

 

「そこに答えがあると私は思うんだけどなー。まあでも、提督さんの気持ちは凄く分かるよ。私も提督さんの立場だったら、同じこと考えるだろうし……」

 

「そうだよな……」

 

「でもね、提督さん。提督さんの立場じゃないからあえて言うけれど、私だったら――」

 

レコードが再び動き出し、静かな曲が流れ始めた。

 

「……なんてね、無神経だったかな。無理やり連れだしてごめんね。ここは私が払うからさ。じゃあね」

 

そう言うと、瑞鶴はカップの飲み物をズイッと飲み干し、店を出ていった。

 

 

 

家に帰り、自室に篭って考えていた。

これまでの事、これからの事。

響との一年間。

響との未来。

 

「俺は――」

 

 

 

「授業参観?」

 

「はい。響ちゃんのお母さんに参加してもらおうと思ってます」

 

「そうか……」

 

授業参観か。

そう言えば、響が学校で何しているのか、見たことなかったな。

 

「提督はお父さん役で行ってあげてください」

 

「俺がか? しかし……」

 

「行ってあげてください」

 

鳳翔の瞳が、強く訴えかけてきた。

 

「――分かったよ」

 

 

 

授業参観当日。

俺は響の母親を連れて、学校へ向かっていた。

 

「すみません。車いすを押していただいて……」

 

「いえ、これくらい。体調はいかがですか?」

 

「大丈夫です」

 

学校までの道のりは、車で行くには短すぎるし、歩くにはちょうどいい距離であった。

 

「……一年間、あの子はどうでしたか?」

 

「とてもいい子でしたよ。きっと、両親がいい人だったからなのだろうと思いました」

 

「いいえ、きっと、戦時中に成長したのだと思います。貴方が育てたようなものです」

 

「そんな事は……」

 

「あの子を家族として、育ててくださったんですってね。電話で鳳翔さんから聞きました」

 

「……えぇ」

 

「まるで本当の家族のように三人で幸せに暮らしていたのに、私が現れて、あの子も困惑した事でしょうね」

 

俺は何も言わなかった。

 

「あれからずっと考えていました。きっと、あの子には――」

 

「急ぎましょうか」

 

そう言って、響の母親の言葉を遮った。

 

 

 

教室は既に人で溢れていた。

それでも、車いすを見て気を遣ってくれたのか、真ん中を開けてくれた。

 

「起立! 礼!」

 

掛け声は暁だった。

聞けば委員長をやっているらしい。

立派だと思ったが、おそらく「レディーっぽい」という理由で引き受けたのだろう。

 

「響は……」

 

母親は車いすから身を乗り出して探した。

 

「真ん中の列の三番目ですよ」

 

響はちらりとこちらを見て、すぐに黒板へ視線を戻した。

俺が来たことにがっかりしているのかもしれない。

 

「はい、それではみなさん、宿題を出してくださいね」

 

先生がそう言うと、皆一斉に机の上に作文用紙を出した。

 

「作文のテーマは「私の家族」です。今日はみなさんのご両親が来てくださっているので、作文を発表して、ご両親に感想をいただきましょう」

 

親側がざわついた。

大人になっても、人前で何かを発表するのは恥ずかしいのか、困惑したような顔ばかりだった。

 

「それじゃあ、最初。朝潮さんから」

 

「はい!」

 

朝潮の発表が始まった。

流石は朝潮だ。

文章は硬いが、内容はしっかりしていて、親に感謝していることがしっかりと伝わる。

 

「以上です!」

 

拍手と共に、朝潮の両親が前に出てきた。

なんとまあ、きりっとしたお顔立ちをしてらっしゃる。

あの性格は親譲りという訳か。

 

 

 

それから皆の発表を聞いていた。

皆、それぞれが思い思い両親に感謝しているのが分かる。

幸せな生活をしているようで、安心した。

そして、響の番が回って来た。

 

「それじゃあ響さん、お願いします」

 

「はい……」

 

響が立ち上がると、第六駆逐隊たちが小さい声で声援を送った。

 

「私の家族……」

 

響の母は、それをじっと見守っていた。

 

「私には、二組の家族がいます。一つは本当の家族。お母さんと、亡くなったお父さんです」

 

親たちがざわつく。

事情を知る者、知らない者も。

 

「お静かにお願いします」

 

先生がそれを静め、響は続けた。

 

「もう一つは、司令官と鳳翔さんです。戦争が終わってから、私は――」

 

響は戦後からの事を話した。

俺に引き取られたこと。

一年間暮らしたこと。

鳳翔という新しい家族が出来たこと。

色々な事。

 

「――なので、私には家族が二組います。どちらも大切な家族には変わりありません。だから――」

 

響は読むのを止めてしまった。

再び親側がざわつく。

 

「響さん?」

 

「すみません……」

 

響は続けた。

 

「だから……離れ離れになるのは……辛いです……」

 

背中越しではあったが、響の表情が分かる気がした。

 

「私は本当の家族の元へ帰るために、ロシアに行かなければなりません。もう二度と、司令官たちに会うことが出来ないかもしれません……」

 

響の背中が小さく震えている。

 

「司令官は……私がロシアに帰っても問題ないと言ってました……。でも……それは……私が……私が……ロシアに行けるようにするための優しさだって……私は知っています……」

 

この気持ち。

無くなってしまったものだと思っていた気持ち。

それが、じわりじわりと、俺の中に戻ってきている。

 

「その気持ちに答えたくて……私も冷たくしてきたけれど……でも……でも……」

 

響の手から作文用紙が落ちた。

それに構わず、響はこちらを見た。

 

「やっぱり辛いよ……ずっと……一緒に居たいよ……」

 

その目からは涙が零れていた。

 

「やだよ……。離れたくないよ……。いい子にするから……。お小遣いもいらない……たくさんお手伝いもする……わがままも言わない……裕福じゃなくたっていいから……だから……」

 

この数日。

自分すらも騙して生きてきた。

悲しくなんてない。

響の両親を見つけるのが俺の仕事だ。

そう言い聞かせて、信じて、騙してきた。

けれど、本当の心はそうじゃない。

瑞鶴は言った。

「自分らしくと言うならば、自分こそ自分らしく」と。

俺らしく。

そうであるならば――そうでいて良いのならば――。

でも――。

 

「やっぱりそうなのね」

 

響の母親は、そう言って微笑んだ。

 

「ずっと考えていました。私以上に、貴女は、この人たちが好きなんだろうなって」

 

母親は俺の顔を見た。

 

「貴方もそうなんでしょう? 私に気を遣わなくてもいいわ。貴方の気持ちを、あの子に聞かせてあげて」

 

俺は響の顔を見た。

涙でぐしゃぐしゃになったその顔を見て、俺の頬にも涙が伝った。

 

「司令官……」

 

「響……」

 

答えは決まっている。

 

「俺だって……お前と一緒に居たいよ……。ずっと……ずっと一緒に居たい……。行くな……行くなよ……!」

 

響は俺の方へ走って、そのまま抱き着いた。

 

「司令官……司令官……」

 

「響……」

 

強く、とても強く抱きしめた。

離したくなかった。

一生このままでいい。

そうとまで思った。

 

「響」

 

響の母親が、響を優しく見つめた。

 

「お母さん……」

 

「それが、貴女たちの答えなのね」

 

「……ごめんなさい」

 

「謝らなくていいのよ。私もね、貴女の成長した姿を見て、「ああ、きっといい人に育てられたのね」って思った」

 

「…………」

 

「貴女には彼が必要で、彼も貴女を必要としている。ここに居る皆も、鳳翔さんもね」

 

そう言うと、母親は俺の顔を見た。

 

「貴方なら、響の本当の家族になれるって、そう思いました。どうか、響をよろしくお願いいたします」

 

母親に合わせるように、響も頭を下げた。

 

「はい……!」

 

力強く、そう返事をした。

 

 

 

響の授業参観が終わり、俺と母親は響の帰りを門の前で待っていた。

 

「良かったのですか……?」

 

「えぇ。それが、あの子にとって、一番いいことだと思います」

 

「…………」

 

「そんな顔しないで。さっきの返事は嘘だったの?」

 

「いえ……」

 

「なら、胸を張って。貴方は、響のお父さんなんですから」

 

「はい」

 

「たまに会いに来てもいいですか?」

 

「今度は俺たちから会いに行きます」

 

「あら、嬉しい」

 

その時、響が門の方へと走って来た。

 

「お母さん!」

 

「お帰りなさい響」

 

「私……」

 

「大丈夫よ。司令官さんに迷惑かけちゃだめよ?」

 

そう言って、響の頭を撫でた。

 

「……うん」

 

 

「今日はもう帰らせていただきます。ちょうど、お迎えも来たようですし」

 

そう言うと、一台の車が俺たちの前に停まった。

 

「あと数日、日本にいる予定です。響との思い出をいっぱい作らなきゃ。ね」

 

「うん!」

 

「じゃあ、失礼します」

 

 

 

響の母親を見送り、俺たちは家へと向かった。

 

「司令官……手、繋いでもいいかい?」

 

「ああ」

 

背中の夕日が、俺たち二人の影を伸ばしていた。

 

「良かったのか?」

 

「うん……」

 

「そうか……」

 

それ以上の理由は聞かなかった。

俺と一緒にいることを選んでくれただけで、俺は胸がいっぱいだった。

 

「嬉しかったよ……。行くなって……言ってくれた時……」

 

「俺だって嬉しかったさ……」

 

「ずっと……司令官との別れを考えると……苦しかった……。でも、もう苦しまなくていいんだよね……?」

 

「ああ……」

 

響が足を止めた。

 

「どうした?」

 

「司令官……」

 

「ん?」

 

「大好きだよ……」

 

遠く、一番星がきらりと光った。

それと同時に、その星がじわりと、紙の上に絵の具を垂らしたときのように、滲んだ。

 

「――ああ……ありがとう……」

 

俺は今日、響の父親になった。

 

 

 

それからしばらくして、響の母親は響との思い出をたくさん引っ提げて、ロシアへと帰っていった。

母親の乗った飛行機が空の彼方へ消えるまで、三人でじっと見守った。

 

「行っちゃいましたね……」

 

「ああ……」

 

「でも、これからは二人が私のお父さんとお母さんだから、寂しくないよ」

 

「そうだな」

 

「えぇ」

 

そう言うと、響はニッコリと笑った。

 

「そう言えばお前、俺と一緒に居れるならお小遣いいらないとか言ってたよな?」

 

「あら、そうなんですか?」

 

「い、いや……あれは……その……」

 

「お手伝いもするし、わがまま言わないとも言ったよな?」

 

「本当? 響ちゃん?」

 

「う……。司令官のいじわる……」

 

その拗ねたような顔を見て、俺も鳳翔も笑ってしまった。

 

「冗談だよ。ほら、帰るぞ」

 

「いじわる司令官なんて知らない! 鳳翔さん、行こう?」

 

「そうね。いじわるな提督は放っておきましょうね」

 

「お前はどっちの味方なんだよ鳳翔。分かったよ……俺が悪かった」

 

「お小遣いは?」

 

「……分かってるよ」

 

「……なんてね。帰ろう、司令官」

 

差し出された手を、しっかりと掴んだ。

 

「鳳翔さん、司令官」

 

「今度はなんだ?」

 

「これからも、ずっと一緒だよね?」

 

鳳翔も俺も、優しく微笑んだ。

 

「当然よ」

 

「愚問だな」

 

そう言ってやると、響は今まで見せたことないくらい、とびっきりの笑顔を見せた。

俺はこの笑顔を守ってやりたい、愛してやりたいと思った。

それが、俺がこいつの親父として出来る事の全てだった。

 

「ところで、「愚問」ってどういう意味だい?」

 

「お前、分からずに喜んでたのか……」

 

三人の影が、仲良く並んでいる。

小さい影は時折飛び跳ね、もう二つの影はそれを優しく見守っていた。

まぎれもない家族の形が、はっきりと、濃く、どこまでも伸びていた。

 

――続く。




お気に入り1000人になりました。
大変恐縮ですが、この場にてお礼を申し上げます。

いつも閲覧いただき、ありがとうございます!
これからも「艦娘達の戦後」並びに、雨守学をよろしくお願いいたします!

最終回っぽい雰囲気ですが、最終回ではありませんのでご注意を。

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