響の母親が見つかった。
ロシアにいた祖父母に尋ねた所、同じくロシアにいる事が分かった。
その母親が、日本に来ると言う。
響を迎えに。
急な知らせに、俺は恐ろしいほど冷静だった。
いつか訪れるであろうこの日を思うと、あんなにも苦しかったはずなのに。
だから、響への報告も、あっさりしたものとなった。
「お前の母親、ロシアで見つかったよ」
「――え?」
「日本に迎えに来るってさ。良かったな」
「お母さんが……?」
「ああ」
俺と違って、響は取り乱しているように見えた。
口を半開きにしたまま、焦点の定まらない目で、何もないところを見ていた。
「来週には来るそうだ。まあ、すぐに向こうへ行くって事はないのだろうけれどな。準備もあるだろうし」
「…………」
それからずっと、響は動かなかった。
「響ちゃんの母親が……!?」
「ああ」
「じゃあ……響ちゃんはロシアへ……?」
「そうなるだろうな。だが、すぐという訳でもないだろう」
「そんな……」
鳳翔も響と同じように、茫然としていた。
「……提督は、どうしてそんなに冷静なんですか?」
「どうしてと言われてもな……」
俺にも分からない。
けれど、なんというか、悲しいとか、嬉しいとか、そう言うものがまるで湧いてこないのだ。
「とにかく、そう言う事だ。来週には来るそうだから、迎える準備をしてやらないとな」
「……はい」
響の親が見つかった件は、他の者の耳にも広がり、学校ではちょっとした事件になっているようだった。
特に、第六駆逐隊の皆は大騒ぎだ。
毎日のように家に来ては、響との時間を大切に過ごすようにしている。
時折、電が涙を流すと、それにつられて皆泣いていた。
日本ならまだしも、ロシアだもんな。
滅多に会うことは出来ないだろう。
共に戦い、姉妹のようにいつも一緒にいたあいつらが、今度は3人になるなんて、想像できなかった。
響の母親が来日する日が近づくにつれ、響の夜泣きが酷くなっていった。
本人は隠しているようだが、朝は目を腫らしてくるし、夜中に部屋へ近づくと、スンスン泣くのが聞こえた。
その時の俺の心は、まるで空っぽだった。
何も感じなかったのだ。
慰めようとも――関わろうとすらしなかった。
映画を見ている時のような、そんな心持ち。
自分がそこにいないかのような、まるで現実味を帯びない。
一体、俺はどうしてしまったのだろう。
「提督、大丈夫ですか?」
「何がだ?」
「……なんというか、無理をしている感じがしまして……」
「無理?」
「響ちゃんの事……意識しないようにしているのではないかと思って……」
意識しないように。
確かにそうかもしれない。
だが、そうであるならば、俺も響と同じで、夜泣きをしてもおかしくはないだろう。
一人の時に、たくさん泣くであろう。
「隠さなくても良いと思います……。少なくとも、私の前では――」
「大丈夫だ」
「でも……」
「それよりも、あいつがロシアに行けるように、何をしないといけないのか調べないとな。転校の手続きとか――」
「提督!」
鳳翔の目が厳しく俺を見ていた。
「どうしちゃったのですか……!? どうして……どうしてそんなに淡白なんですか……!?」
何故鳳翔が怒っているのか、俺には分からなかった。
それほどに、唐突に感じた。
少なくとも、この時は。
「鳳翔……?」
俺のキョトンとする顔に、鳳翔は一瞬不味い顔をした。
「……すみません。お買い物に行ってきますね……」
そう言えば、響の母親の件から、鳳翔の笑顔を見ていない事に気が付いた。
響もそうだ。
そして、俺も――。
「…………」
何かが、壊れてゆく。
見えない何かが。
それから、食事でも会話が少なくなった。
静かな食卓に、食器を叩く音だけが響いていた。
そして、そのまま時間だけが過ぎてゆき、ついにその時はやって来た。
学校には事情を説明し、響を休みにしてもらった。
鳳翔にも定食屋を休んでもらった。
「響ちゃんは、お母さんの事覚えているの?」
「ちょっとだけ。私がとても小さいころに離れ離れになったから……」
「そっか……」
俺はその会話を背中で聞いていた。
なんとなく、二人とは距離があるように感じた。
鳳翔の父親の気持ちが、今なら分かる。
どうしようもないこの気持ち。
「もうそろそろね……」
「うん……」
時計の針だけは、その音を絶やさなかった。
一台の車が、家の前に停まった。
響の母親が来たのだと、すぐに分かった。
「行こうか」
鳳翔に連れられ、響は玄関へ向かった。
俺も遅れて向かう。
「ごめんください」
その声に鳳翔は返事をし、ドアを開いた。
そこには、車いすに乗った若い女性と、それを押す中年の女性。
どちらも、ロシア人らしい顔立ちをしていた。
「響……?」
そう聞いたのは、車いすの女性だった。
「お母さん……?」
響の親は、響の顔を確認すると、目に涙を浮かべて、響が近づくのを静かに待っていた。
そして、手の届く距離まで来ると、そっと抱きしめた。
「響……。こんなに大きくなったのね……」
「お母さんの匂い……。お母さん……お母さんだ……」
「ごめんね……。遅くなって……ごめんね……」
二人は抱き合いながら、静かに泣いた。
それを見ていた鳳翔も、うっすら涙を浮かべていた。
中年の女性も同じく。
俺だけ。
俺だけだ。
何もせず、ただ茫然とその光景を見ていたのは。
玄関ではなんだと、そのまま家にあがってもらった。
響の親は足が悪いらしく、中年の女性と俺の二人で肩に抱き、居間へと案内した。
居間に着いて早々、響の親は頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました……」
「いえ……迷惑だなんて……」
「電話を頂いた時、驚きました。まさか、響が日本にいるなんて……」
「どういうことですか?」
「ロシアに行ったと聞いていたので、私も追ったのです。でも、そこで事故にあってしまって……」
そう言うと、響の母親は自分の足をさすった。
「意識が戻った頃には、既に戦争は終わっていました。私は響を探しました。でも、ロシアでは見つからなくて……」
「そうだったのですか……。失礼ですが、響の親父さんは……」
「夫は……亡くなりました……。響が艦娘として海軍へ行った一年後に……」
その言葉に、響は深く目を瞑った。
その背中を鳳翔は優しくさすってやった。
「戦後も育ててくださって、本当にありがとうございます。どうお礼をしたらよいか……」
「お礼なんて結構です。とにかく、見つかってよかった……」
「そういう訳には……。せめて、響にかかったお金だけでも……」
「いや、夫を亡くされては苦しいでしょう。その分を響に使ってやってください」
「そのことに関しましては大丈夫です。私の両親は不動産を営んでいまして、食べるには困っていません。私の後ろにいる彼女はメイドなのです。メイドを雇えるほどなのです」
裕福な家庭なのか。
最初は心配だったが、これなら響はひもじい思いをしなくて済みそうだ。
「それよりも、今後はどうなされるのですか?」
「響と一緒にロシアに帰ります。もちろん、準備もありますので、しばらくは日本にいるつもりですが……」
「そうですか……」
「なるべくご迷惑をおかけしないように、早めに対応するつもりです……。しばらくは響をよろしくお願いいたします……」
「分かりました」
しばらく話し込んでから、響の母親は家を後にした。
その日の夜は、とても蒸し暑くて眠れなかった。
涼もうと縁側に向かうと、途中、響と会った。
「眠れないのか?」
「うん……。蒸し暑くて……」
「そうか……」
そこからは会話はなかった。
ただ、二人して縁側に座り、時折吹く風を待っていた。
「司令官は……」
響が枯れた声で話し始めた。
「司令官は……私がロシアに帰る事……どう思う……?」
「母親と一緒にいれるのはいいことなんじゃないか? 向こうでは裕福に暮らせそうだし。ただ、第六駆逐隊と離れ離れになるのはな……」
「司令官はどうなの……?」
響の瞳が俺を見つめる。
潤んだ瞳の中に、淡白な顔をした俺の顔が映っていた。
その顔が、俺の冷たい部分を引き出す。
「二度と会えなくなるわけじゃないしな」
「もし……二度と会えなかったら……?」
「その時はその時だ……」
「司令官の事、忘れちゃうかもしれないよ……?」
「仕方のないことだ……」
そこまで言うと、響の顔が徐々に力みを帯びてきた。
「なんだか司令官……冷たいよ……」
「そうかな……」
月が雲に隠れて、少しだけ暗くなった。
「しかし、良かったな。母親が居て、裕福で……文句ないじゃないか。これからは好きなものをたくさん買ってもらって、何不自由なく暮らせるんだ。羨ましいよ。ここで住むのとは大違いだ」
「なんでそんな事言うの……?」
響の顔は、怒りと悲しみに包まれていた。
「響……?」
「確かに不自由ないかもしれない……。でも、それが幸せかどうかなんて分からないじゃないか……」
「幸せに決まってるだろ。母親も居て裕福で……」
「……司令官は、私がロシアで幸せになれると思っているの?」
「ああ」
「じゃあ……私がロシアに行っても構わないって……思っているの……?」
「――ああ」
その質問を答える時、一瞬ではあるが、俺の口は勝手に閉じた。
「……そうか。よく分かったよ……。司令官なら……止めてくれると思っていた……。ずっと一緒に住んでくれると思っていた……。例え、母親が見つかっても……」
「…………」
「……ごめんなさい。今まで迷惑かけて……。おやすみなさい……」
響は自室に戻っていった。
俺はそのまま縁側に座っていた。
これでいい。
これで、響の夜泣きは無くなるだろうし、母親の元へと後腐れなく帰ることが出来る。
そう思った。
いよいよもって、響との会話は無くなっていた。
目を合わせる事すらも。
そんな状況を鳳翔は心配そうに見つめていた。
しかし、その鳳翔ですら、俺に直接理由を聞いてくることは無くなった。
一人で町をふらふら歩いた。
必ず寄る雑貨屋も、あのカフェも、寄っていく気にはならない。
いつもは3人でワイワイ歩くこの道も、今日に限っては、とてもつまらなく感じる。
「提督さん……?」
声をかけてきたのは瑞鶴だった。
「どうしたの? そんな暗い顔をして……」
「いや……何でもない……」
「なんでもないわけないじゃん……。誰から見ても元気ないよ?」
「…………」
「……提督さん、これから時間ある? いつものカフェに行かない?」
「すまない……今は――」
瑞鶴は俺の言葉を遮るように、腕を強く引っ張った。
その顔は、見せたこともないくらいに真剣な顔をしていた。
「提督さん……」
「……分かったよ」
そのまま、引っ張られるようにカフェへと向かった。
カフェについて早々、質問攻めにあった。
響の事、鳳翔の事、何があったのかなど。
俺はやり過ごすように、淡々と答えた。
「なるほどね……」
「もういいか?」
「ダメ」
「なんなのだ……」
「提督さん、私に言ったよね。自分らしくって。じゃあ、今の提督さんは? 自分らしく出来ているの?」
「…………」
「私にそういうくらいなら、提督さんも自分らしくしないと、でしょ?」
「……俺は、自分らしくしているつもりなんだ。だけど、何かがおかしい……。何かが壊れてゆくんだ……」
「ちゃんと話してくれる? 私の力になってくれたように、私も提督さんの力になりたいから」
その優しさが、今の俺にはぐっと染みるものがあった。
「ああ、ありがとう……」
カフェは静寂に包まれた。
レコードの針が、盤を離れていた。
瑞鶴と話して分かった事がある。
「提督さんは、響ちゃんとの別れを覚悟していたから、いざ別れが来ても、辛くならないようにって、耐性がついちゃったんじゃない?」
「辛くないように……か……」
「聞いている限りだと、露骨すぎるくらいだけどね……」
確かに、別れを意識しすぎた感じはある。
辛くならなように、と。
其れゆえに、冷たいと言われるのも頷ける。
「だからと言って、別れを辛いという態度を取るのもって感じだよね」
「ああ。それに、「止めてくれると思っていた」と言われても、どうしようもないからな……」
「……提督さんはどうなの? 本当の気持ち……」
「…………」
俺が黙っていると、瑞鶴は優しく微笑んだ。
「そこに答えがあると私は思うんだけどなー。まあでも、提督さんの気持ちは凄く分かるよ。私も提督さんの立場だったら、同じこと考えるだろうし……」
「そうだよな……」
「でもね、提督さん。提督さんの立場じゃないからあえて言うけれど、私だったら――」
レコードが再び動き出し、静かな曲が流れ始めた。
「……なんてね、無神経だったかな。無理やり連れだしてごめんね。ここは私が払うからさ。じゃあね」
そう言うと、瑞鶴はカップの飲み物をズイッと飲み干し、店を出ていった。
家に帰り、自室に篭って考えていた。
これまでの事、これからの事。
響との一年間。
響との未来。
「俺は――」
「授業参観?」
「はい。響ちゃんのお母さんに参加してもらおうと思ってます」
「そうか……」
授業参観か。
そう言えば、響が学校で何しているのか、見たことなかったな。
「提督はお父さん役で行ってあげてください」
「俺がか? しかし……」
「行ってあげてください」
鳳翔の瞳が、強く訴えかけてきた。
「――分かったよ」
授業参観当日。
俺は響の母親を連れて、学校へ向かっていた。
「すみません。車いすを押していただいて……」
「いえ、これくらい。体調はいかがですか?」
「大丈夫です」
学校までの道のりは、車で行くには短すぎるし、歩くにはちょうどいい距離であった。
「……一年間、あの子はどうでしたか?」
「とてもいい子でしたよ。きっと、両親がいい人だったからなのだろうと思いました」
「いいえ、きっと、戦時中に成長したのだと思います。貴方が育てたようなものです」
「そんな事は……」
「あの子を家族として、育ててくださったんですってね。電話で鳳翔さんから聞きました」
「……えぇ」
「まるで本当の家族のように三人で幸せに暮らしていたのに、私が現れて、あの子も困惑した事でしょうね」
俺は何も言わなかった。
「あれからずっと考えていました。きっと、あの子には――」
「急ぎましょうか」
そう言って、響の母親の言葉を遮った。
教室は既に人で溢れていた。
それでも、車いすを見て気を遣ってくれたのか、真ん中を開けてくれた。
「起立! 礼!」
掛け声は暁だった。
聞けば委員長をやっているらしい。
立派だと思ったが、おそらく「レディーっぽい」という理由で引き受けたのだろう。
「響は……」
母親は車いすから身を乗り出して探した。
「真ん中の列の三番目ですよ」
響はちらりとこちらを見て、すぐに黒板へ視線を戻した。
俺が来たことにがっかりしているのかもしれない。
「はい、それではみなさん、宿題を出してくださいね」
先生がそう言うと、皆一斉に机の上に作文用紙を出した。
「作文のテーマは「私の家族」です。今日はみなさんのご両親が来てくださっているので、作文を発表して、ご両親に感想をいただきましょう」
親側がざわついた。
大人になっても、人前で何かを発表するのは恥ずかしいのか、困惑したような顔ばかりだった。
「それじゃあ、最初。朝潮さんから」
「はい!」
朝潮の発表が始まった。
流石は朝潮だ。
文章は硬いが、内容はしっかりしていて、親に感謝していることがしっかりと伝わる。
「以上です!」
拍手と共に、朝潮の両親が前に出てきた。
なんとまあ、きりっとしたお顔立ちをしてらっしゃる。
あの性格は親譲りという訳か。
それから皆の発表を聞いていた。
皆、それぞれが思い思い両親に感謝しているのが分かる。
幸せな生活をしているようで、安心した。
そして、響の番が回って来た。
「それじゃあ響さん、お願いします」
「はい……」
響が立ち上がると、第六駆逐隊たちが小さい声で声援を送った。
「私の家族……」
響の母は、それをじっと見守っていた。
「私には、二組の家族がいます。一つは本当の家族。お母さんと、亡くなったお父さんです」
親たちがざわつく。
事情を知る者、知らない者も。
「お静かにお願いします」
先生がそれを静め、響は続けた。
「もう一つは、司令官と鳳翔さんです。戦争が終わってから、私は――」
響は戦後からの事を話した。
俺に引き取られたこと。
一年間暮らしたこと。
鳳翔という新しい家族が出来たこと。
色々な事。
「――なので、私には家族が二組います。どちらも大切な家族には変わりありません。だから――」
響は読むのを止めてしまった。
再び親側がざわつく。
「響さん?」
「すみません……」
響は続けた。
「だから……離れ離れになるのは……辛いです……」
背中越しではあったが、響の表情が分かる気がした。
「私は本当の家族の元へ帰るために、ロシアに行かなければなりません。もう二度と、司令官たちに会うことが出来ないかもしれません……」
響の背中が小さく震えている。
「司令官は……私がロシアに帰っても問題ないと言ってました……。でも……それは……私が……私が……ロシアに行けるようにするための優しさだって……私は知っています……」
この気持ち。
無くなってしまったものだと思っていた気持ち。
それが、じわりじわりと、俺の中に戻ってきている。
「その気持ちに答えたくて……私も冷たくしてきたけれど……でも……でも……」
響の手から作文用紙が落ちた。
それに構わず、響はこちらを見た。
「やっぱり辛いよ……ずっと……一緒に居たいよ……」
その目からは涙が零れていた。
「やだよ……。離れたくないよ……。いい子にするから……。お小遣いもいらない……たくさんお手伝いもする……わがままも言わない……裕福じゃなくたっていいから……だから……」
この数日。
自分すらも騙して生きてきた。
悲しくなんてない。
響の両親を見つけるのが俺の仕事だ。
そう言い聞かせて、信じて、騙してきた。
けれど、本当の心はそうじゃない。
瑞鶴は言った。
「自分らしくと言うならば、自分こそ自分らしく」と。
俺らしく。
そうであるならば――そうでいて良いのならば――。
でも――。
「やっぱりそうなのね」
響の母親は、そう言って微笑んだ。
「ずっと考えていました。私以上に、貴女は、この人たちが好きなんだろうなって」
母親は俺の顔を見た。
「貴方もそうなんでしょう? 私に気を遣わなくてもいいわ。貴方の気持ちを、あの子に聞かせてあげて」
俺は響の顔を見た。
涙でぐしゃぐしゃになったその顔を見て、俺の頬にも涙が伝った。
「司令官……」
「響……」
答えは決まっている。
「俺だって……お前と一緒に居たいよ……。ずっと……ずっと一緒に居たい……。行くな……行くなよ……!」
響は俺の方へ走って、そのまま抱き着いた。
「司令官……司令官……」
「響……」
強く、とても強く抱きしめた。
離したくなかった。
一生このままでいい。
そうとまで思った。
「響」
響の母親が、響を優しく見つめた。
「お母さん……」
「それが、貴女たちの答えなのね」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいのよ。私もね、貴女の成長した姿を見て、「ああ、きっといい人に育てられたのね」って思った」
「…………」
「貴女には彼が必要で、彼も貴女を必要としている。ここに居る皆も、鳳翔さんもね」
そう言うと、母親は俺の顔を見た。
「貴方なら、響の本当の家族になれるって、そう思いました。どうか、響をよろしくお願いいたします」
母親に合わせるように、響も頭を下げた。
「はい……!」
力強く、そう返事をした。
響の授業参観が終わり、俺と母親は響の帰りを門の前で待っていた。
「良かったのですか……?」
「えぇ。それが、あの子にとって、一番いいことだと思います」
「…………」
「そんな顔しないで。さっきの返事は嘘だったの?」
「いえ……」
「なら、胸を張って。貴方は、響のお父さんなんですから」
「はい」
「たまに会いに来てもいいですか?」
「今度は俺たちから会いに行きます」
「あら、嬉しい」
その時、響が門の方へと走って来た。
「お母さん!」
「お帰りなさい響」
「私……」
「大丈夫よ。司令官さんに迷惑かけちゃだめよ?」
そう言って、響の頭を撫でた。
「……うん」
「今日はもう帰らせていただきます。ちょうど、お迎えも来たようですし」
そう言うと、一台の車が俺たちの前に停まった。
「あと数日、日本にいる予定です。響との思い出をいっぱい作らなきゃ。ね」
「うん!」
「じゃあ、失礼します」
響の母親を見送り、俺たちは家へと向かった。
「司令官……手、繋いでもいいかい?」
「ああ」
背中の夕日が、俺たち二人の影を伸ばしていた。
「良かったのか?」
「うん……」
「そうか……」
それ以上の理由は聞かなかった。
俺と一緒にいることを選んでくれただけで、俺は胸がいっぱいだった。
「嬉しかったよ……。行くなって……言ってくれた時……」
「俺だって嬉しかったさ……」
「ずっと……司令官との別れを考えると……苦しかった……。でも、もう苦しまなくていいんだよね……?」
「ああ……」
響が足を止めた。
「どうした?」
「司令官……」
「ん?」
「大好きだよ……」
遠く、一番星がきらりと光った。
それと同時に、その星がじわりと、紙の上に絵の具を垂らしたときのように、滲んだ。
「――ああ……ありがとう……」
俺は今日、響の父親になった。
それからしばらくして、響の母親は響との思い出をたくさん引っ提げて、ロシアへと帰っていった。
母親の乗った飛行機が空の彼方へ消えるまで、三人でじっと見守った。
「行っちゃいましたね……」
「ああ……」
「でも、これからは二人が私のお父さんとお母さんだから、寂しくないよ」
「そうだな」
「えぇ」
そう言うと、響はニッコリと笑った。
「そう言えばお前、俺と一緒に居れるならお小遣いいらないとか言ってたよな?」
「あら、そうなんですか?」
「い、いや……あれは……その……」
「お手伝いもするし、わがまま言わないとも言ったよな?」
「本当? 響ちゃん?」
「う……。司令官のいじわる……」
その拗ねたような顔を見て、俺も鳳翔も笑ってしまった。
「冗談だよ。ほら、帰るぞ」
「いじわる司令官なんて知らない! 鳳翔さん、行こう?」
「そうね。いじわるな提督は放っておきましょうね」
「お前はどっちの味方なんだよ鳳翔。分かったよ……俺が悪かった」
「お小遣いは?」
「……分かってるよ」
「……なんてね。帰ろう、司令官」
差し出された手を、しっかりと掴んだ。
「鳳翔さん、司令官」
「今度はなんだ?」
「これからも、ずっと一緒だよね?」
鳳翔も俺も、優しく微笑んだ。
「当然よ」
「愚問だな」
そう言ってやると、響は今まで見せたことないくらい、とびっきりの笑顔を見せた。
俺はこの笑顔を守ってやりたい、愛してやりたいと思った。
それが、俺がこいつの親父として出来る事の全てだった。
「ところで、「愚問」ってどういう意味だい?」
「お前、分からずに喜んでたのか……」
三人の影が、仲良く並んでいる。
小さい影は時折飛び跳ね、もう二つの影はそれを優しく見守っていた。
まぎれもない家族の形が、はっきりと、濃く、どこまでも伸びていた。
――続く。
お気に入り1000人になりました。
大変恐縮ですが、この場にてお礼を申し上げます。
いつも閲覧いただき、ありがとうございます!
これからも「艦娘達の戦後」並びに、雨守学をよろしくお願いいたします!
最終回っぽい雰囲気ですが、最終回ではありませんのでご注意を。