あの出来事から数日。
お互いに家族として認識したけれど、何かが大きく変わる事もなく、平和な日々を過ごしていた。
少し変わったことと言えば、響が心を少しだけ開いてくれた……気がするくらいだ。
「司令官、疲れてないかい? 肩叩いてあげる」
「おう、ありがとう。頼むわ」
頼れと言った俺に気を遣っているのか、響からも何かしようと動くようになった。
響なりの感謝の示し方なんだろう。
本当、良く出来た奴だ。
「ありがとう。だいぶ良くなったよ。ほら、お駄賃だ」
「ありがとう」
これ目当てなのかもしれないけれどな。
「響~、風呂開いたぞ」
返事はない。
寝てしまったのか。
「響?」
「ひー……ふー……みー……」
居間を覗くと、響が小銭を数えていた。
あれは毎週やってる小遣いとお駄賃か。
「大分貯まったか?」
「わ! 司令官……」
響は恥ずかしそうに小銭を隠した。
「そんなに貯めて、何か買うのか?」
「うん……。でも、足りなくて……」
「結構やってるつもりなんだが、それでも足りないのか。一体、何を買おうってんだ?」
「実は……今度、学校で遠足があるんだ。だから、お弁当箱とか、リュックとか必要で……それで……」
「お前、それを全部自分で買おうとしてたのか?」
「うん……」
なんて奴だ。
俺ですら、駄々をこねてまでして、高いリュックを親に買わせたもんだ。
そうでないにしろ、普通、相談するだろう。
まだ、俺を頼る事に抵抗があるのか。
「響、すまん!」
「え?」
「いいか、そう言うのは普通、俺が買うもんなんだよ。確かに連絡帳に遠足と書いてあったが、そこまでは見抜けなかった……」
「し、司令官が悪いんじゃないよ。相談しなかった私が悪かったし……それに……お金がかかるから……。あの、お小遣い貯めてたのを使ってくれないか? 少しは足しになると思う……」
「馬鹿、全部俺が出すんだよ」
「でも……」
「前にも言ったろ。俺らは家族。そんなこと言ってたら、ご飯代も色々と出してもらうことになっちゃうぞ」
「そ、そうだ……」
響の顔が青くなっていくのを感じた。
そんな表情を見せてくれるようになったのに、まだこういうところは駄目か。
「とにかく、そう言うのが発生した場合は言え。その小遣いはお前の為に使うよう渡してるものだ。学校の為じゃない」
「司令官……」
「よし、今度の休日に、リュックとか諸々を買いに行くか! お出かけだ!」
「お出かけ……! いいのかい!?」
「ああ!」
そう言えば、ここ最近はどこにも行けてなかったな。
こんなに喜んでくれるなら、もっと色々連れてやればよかったな。
お出かけの前日。
響は学校から帰ってくるなり、自室から出てこなかった。
宿題はすぐに終わらせるだろうし、何かあったのだろうか。
「響、飯だぞ」
「うん、今行くよ」
夕食の時間。
いつもなら何か話してくれるのに、今日はいそいそと、黙々と飯を食う響。
「な、なあ。学校で何かあったのか?」
「何かって?」
「いや、その……嫌なこととかさ」
「別に」
「そ、そうか……」
「ごちそうさま」
食器を片すなり、また自室に篭ってしまった。
俺にも言えない事があるのだろうか……。
明日はお出かけなのに。
いつもならテレビを居間で一緒に見るのだが、今日は一人だ。
響の好きな番組の時間でも、響はずっと部屋から出てこない。
「流石に心配になってきたぞ……」
「響」
扉をノックしてみたが、返事がない。
「響、どうした? 何か心配事でもあるのか? 様子がおかしいぞ」
返事はない。
「……入るぞ」
響は何でも隠してしまう癖がある。
それは、家族になっても変わらなかったという訳か。
自分が情けない。
俺はそんなに頼りがいの無い人間なのか、はたまた――。
「響――……なっ!?」
部屋を埋め尽くさんばかりのティッシュの束。。
その中心で、響は倒れていた。
「響!」
「ん……司令官……?」
「ど、どうしたんだ!? これは一体……」
「あぁ……寝ちゃったのか……。実は、テルテル坊主を作ってたんだ」
「テルテル坊主?」
よく見ると、ティッシュの束だと思ってたものは、一つ一つがテルテル坊主の形をしていた。
「お前、なんでまた……」
「明日……晴れて欲しいから……。司令官とのお出かけ……楽しみだったから……」
響は恥ずかしそうに顔を背けた。
俺はそれを見て、なんだか安心して、腰が抜けてしまった。
「し、司令官!? どうしたんだい?」
「いや、すっごい心配しちゃってさ……。響になにかあったのかとか、俺を頼ってくれなかったとか……色々さ……」
「司令官……。私は大丈夫だよ。それに、何かあったら司令官を頼るって決めてるから。私たち、家族でしょ?」
「ああ、俺が心配し過ぎていただけみたいだ。そうだよな、悪かった」
「ううん。心配かけてごめんなさい」
「それにしても、明日は普通に晴れだぞ。天気予報見なかったのか?」
「それでも、何かあったら困るし……。せっかくのお出かけだから……絶対に晴れて貰わなきゃ困る……」
「珍しくはしゃいでるな」
「う……恥ずかしいよ……。司令官は楽しみじゃなかったかい?」
「楽しみだよ。ほれ」
そう言って、出かけ先の情報誌を見せた。
「俺だって色々考えてるんだぞ。色んな奴に電話して聞いたりもしたんだ」
「良かった……」
「さて」
「司令官?」
「俺も作るよ。テルテル坊主」
「ハラショー!」
俺たちは夢中になってテルテル坊主を作った。
なんだか嬉しいよ。
こんなに喜んでくれるなんて。
でも、同時に悲しくもある。
いつか、お前の親が見つかったら、もう――。
「ん……」
みそ汁の香りで目が覚めた。
窓の外はまだ明るみ始めた頃であったが、空は澄んでいて、快晴を思わせる。
「あ、司令官、おはよう」
「おはよう。何やってるんだ?」
「お味噌汁だよ。目が覚めると思って。お湯くらいなら沸かせるから、インスタントだけれど、どうぞ」
「……ありがとう」
本当、想像以上にはしゃいでるな。
こりゃ、今日のお出かけは相当いいものにしないと、逆にがっかりさせちゃうかもしれないな。
だが、今日のお出かけには秘密兵器――いや、もう兵器ではないのか。
響がそいつを喜んでくれるかは分からないが、俺よりも女の子の気持ちが分かるだろうし、いいのかもしれない。
「美味しいかい?」
「ああ、最高だよ」
「インスタントなのに?」
「響が作ったというなら、何でも美味しいよ」
「ハラショーだね」
「ハラショーだ」
そう言って、笑いあった。
駅までの道のりを響は小走りで駆けていた。
「おーい、そんなに急がなくても、逃げやしないぞ」
「少しでも早く行って、長い時間を過ごしたいんだ。司令官、早く」
「分かったよ。そら、競争だ」
大人の走りを見せてやる。
そら、追い抜いたぞ。
「そんなにはしゃいで、みっともないよ」
「おい」
駅に着くと、響が立ち止まった。
「鳳翔さん……?」
「響ちゃん!」
「司令官、鳳翔さんが!」
「ああ、知ってるよ。待たせたか?」
「いえ、今来たところです」
「どういうことだい?」
「俺が誘ったんだ。リュックとかを買うついでに、服も買おうかと思ってな。俺は女の子の服とか分からないから、鳳翔に頼んだのだ」
「そうだったんだ」
「響ちゃんに言ってなかったんですか? そうだったら、私が来ちゃまずかったかもしれませんね……。響ちゃん、楽しみにしてるって聞いてたから……」
「そんなことないよ。鳳翔さんが一緒なら、私も嬉しいよ」
「本当? ありがとう。もう、提督!」
「スマンスマン。サプライズだよ、サプライズ」
「もう……」
「楽しみがもう一つ増えたよ。ありがとう、司令官」
「おう」
「行こう、鳳翔さん」
「うん!」
ああしてみると、まるで親子だな。
なんて、言ったら失礼か。
そのまま電車で街へ繰り出した俺たちは、目的の物を買って、遊んで、食べて――とにかく、日が暮れるまで遊びつくした。
響も鳳翔も、何をするにも楽しそうだったし、笑顔も見れて良かった。
戦争中には決して見せないような顔が、そこにはあった。
俺を含めて。
改めて、この国は平和になったのだなと感じた。
「今日は疲れたな……」
「お疲れ様です」
帰りの電車には、俺たち以外に人はいなかった。
「響も楽しかったか?」
顔を覗くと、寝ていた。
「こいつ」
「あんなにはしゃいだ響ちゃん、初めて見ました。流石、提督ですね」
「お前のお陰だよ。今日はありがとう。鳳翔」
「いえ」
しばらくの静寂が続く。
信号の関係で電車は止まっていた。
「家族、なんですね」
「ん?」
「響ちゃんと。そう聞きました」
「ああ、その方がこいつも色々と俺を頼れると思ってさ」
「羨ましいです。私にも家族はいますけれど、響ちゃんと提督は……なんというか、もっと強いものを感じました」
「共に戦って来たって言うのもあるんだろうな」
「仲間以上の存在……ですね」
鳳翔は手を揉んでいた。
左手の指輪が、蛍光灯に反射して光っていた。
「私も……いつか……」
「え?」
その時、電車が動き出した。
遠くで遮断機の鳴る音がしている。
「……私、次の駅ですので。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。途中まで送っていこうか?」
「いえ、駅から近いので」
「そうか。気をつけてな」
しばらくして、駅に電車が止まった。
ドアの近くまで見送る。
「響ちゃんによろしくお伝えください」
「ああ、分かった。また連絡する」
「えぇ」
発車ベルが駅に響き渡る。
鳳翔は、悲しそうな顔をした。
「楽しいのは……あっという間ですね」
「なに、また一緒に出掛けよう」
「提督……」
「じゃあ、またな」
電車のドアが閉まりかけた時、鳳翔が小さく何かを言っていた。
しかし、それはとても小さくて、何かは分からなかった。
電車が発車し、どんどん鳳翔が小さくなってゆく。
それでも、鳳翔はずっとそこに立っていた。
今度は手を振らずに、胸に手を当てて。
大荷物を持ち、響をおぶって家へと歩いた。
車でも買えばよかった。
今度、見にでも行ってこようか。
「司令官……?」
「おう、起きたか」
「鳳翔さんは?」
「もう別れたよ。今から家に帰るところだ」
「そうか……。降りるよ」
「大丈夫か?」
「うん。荷物も持つよ」
「じゃあ、これ頼む」
水銀灯の照らす道を二人して歩く。
ここいらは本当に暗い。
学校が遅くなったり、遊びで遅くなった日にゃ、迎えに行ってやらないとな。
「今日は楽しかったよ。ありがとう、司令官」
「なに、俺も楽しかったさ」
「でも、ちょっと――」
そう言って、響は言葉を切った。
「ちょっとなんだ?」
「何でもないよ。帰ったら、ファッションショーでもやろうかな。遠足用の洋服も買ったんだよ」
「そうだったのか。流石に女ものの服売り場には行けなかったから、鳳翔がいてよかった」
「鳳翔さんも楽しかったのかな?」
「楽しかったって言ってたぞ」
「また、一緒に遊びに行けたらいいね」
「そうだな」
楽しかった後の、この何とも言えない雰囲気。
寂しさのような。
鳳翔のあの表情も、響のその言葉も、きっと――。
家に帰ってからは、響のファッションショーに少し付き合ってやった。
「買った時は、鳳翔さんに褒められるがまま、私もノリノリで買ったけれど、ちょっと恥ずかしいな」
「そうか? 可愛いぞ」
「本当? 暁たちにも見せたいな」
「真のレディーを見せつけられて、暁もアワアワするだろうな」
「レディーだなんて、照れるな」
そんなことをやっている内に、もう夜も遅くなって、風呂に入って寝るように言い、俺は自室へ向かった。
「疲れたな~……」
だが、こういうのもたまにはいいな。
鳳翔も響も、あんなに喜んでくれるのなら、もっと遠くへ連れていってやりたい。
今度は泊まりで旅行なんかもいいかもしれないな。
だが、鳳翔は大丈夫だろうか。
響がいるとは言え、俺のような男と遊びに行って。
俺としてはいてくれるとありがたい。
料理は上手だし、響も鳳翔を信頼しているし、まるで母親のように女の子の事分かってるし。
もし、鳳翔と響と俺が家族だったら――。
「なんてな……」
考えるだけで、胸が痛くなる。
鳳翔もいつかはいい人を見つけるし、響は親と再開して離れてしまう。
「…………」
俺は、今が一番幸せなんだと気が付いた。
失いたくないと思ったのだ。
「家族……か……」
そうつぶやいた時、扉がノックされた。
「司令官、ちょっといいかい?」
「おう、いいぞ」
寝巻き姿に枕を持って、響はやって来た。
「どうした? なんか困ったことでもあったか?」
「その……一緒に寝ちゃダメかな……?」
「え?」
響は枕をぎゅっと抱きしめた。
不安そうな顔もしている。
「虫でもいたか? それとも、怖くなったか?」
「うん……怖いんだ……。不安なんだ……」
「不安?」
「私、今が一番幸せだと思うんだ……。だから、この幸せが無くなっちゃうと思うと……不安になっちゃって……」
「響……」
「いつか、親が見つかって、私と司令官は離れ離れになっちゃうのかな……。もし、親が見つかっても……そんなのは嫌だよ……」
俺と同じことを考えていたのか。
俺ですらも、そんなことを考えたら、心が押しつぶされそうになるのに、響、お前は――。
「もし親が見つかっても、俺はどこにも行かないよ。もう会えなくなるわけでもないしな」
「本当……?」
「ああ。だから、安心していいぞ」
「うん……」
「そろそろ寝るぞ。ほら、電気消すからな」
「オレンジのは残してほしい」
「分かった」
オレンジ色の弱い光が部屋を照らす。
「今日が終わっちゃうね……」
響が寂しそうに零した。
「何もこれが最後じゃないだろう。これからたくさんの思い出をつくろう。今日以上に楽しい思い出をさ」
「でも……これが最後になっちゃうかもしれない……。親が見つかったら……」
静寂。
遠くで犬が吠える声がした。
「私……もう親が見つからなくてもいい……」
「おい」
「だって……」
「もう二度とそんなこと言うな。確かに、俺はお前に家族だと言った。お前の親が見つかるまでだ」
「…………」
「……俺はな、響、お前と居るのが楽しくてしょうがない」
「!」
「俺だって、本音を言えば、これからだってずっと家族でいたいと思ってる。でも、それは無理なんだ」
「うん……」
「でも、家族じゃなく無くなったって、俺とお前が疎遠になるか? ならないだろう。家族じゃなくても、俺はお前といるし、お前もそうすればいい。それだけの話だ。家族だとかなんだとか言って、変に別れを意識させちまったけれど、それだけは確かなことだから、安心しろ」
「司令官……ありがとう……」
「俺も救われたよ。お前の気持ちが、俺と一緒で良かった。ありがとう……」
そうか。
俺が感じていた不安は、これだったんだ。
家族という言葉で、大きく意識した別れ。
だけれど、俺も響も同じだった。
家族で無くなるということは、別れではないんだ。
「安心したら眠くなってきたな。もう寝よう。お休み、響」
「うん、お休み、司令官」
そう言うと、響は手を握って来た。
俺も優しく握り返してやる。
その手には、別れなどないという事を意識させるような、安心するものがあった。
オレンジの光が少しだけ眩しかったけれど、いつもよりも安心して眠れた気がした。
――続く。