――終戦宣言。
艦娘たちは人間に戻り、それぞれの家族の元へと帰っていった。
今でも覚えている。
大勢の艦娘が、それぞれの家族と抱き合い、涙し、歓喜に沸いている姿。
そして、その中で一人、ただ茫然と、それを見ている一人の女の子の背中。
「響?」
「司令官……」
「どうした? 家族はまだ来てないのか?」
「……うん」
「なに、じきに来るさ。一緒に待っていよう」
しかし、待てど待てど、響の親――親戚すらも、迎えに来ることはなかった。
「そうですか……はい……えぇ、また何か分かったら連絡ください……失礼します」
あれから一年。
未だに響の親と連絡が付かない。
探偵を雇ってみたが、無駄だったようだ。
「司令官」
「響。おはよう」
「電話、誰から……?」
「ん……昔の知人だ」
「そうか……」
きっと、親からの連絡を期待しているのだろう。
「朝ごはん出来ているぞ。顔洗ってこい」
「うん」
「…………」
響の親が見つかるまで、俺は響を引き取る事にした。
施設へ送る選択肢もあったが、そうはさせたくなかった。
何よりも、響が一人ぼっちになってしまうのを放ってはおけなかった。
「いただきます」
「いただきます」
朝食は鮭を焼いたものと、インスタントのみそ汁、サラダとヨーグルト。
どうしても簡単なものになってしまう。
「すまないな響。もっと料理が出来りゃいいんだが……」
「ううん……司令官には感謝してる。私の為にわざわざ料理してくれて……。あの、コンビニのお弁当とかでも大丈夫だから……」
「そういう訳にはいかないだろう。いつか、響の両親が来た時に、怒られちゃうからな」
「司令官……」
「今日は鳳翔に会ってくるんだ。何か料理の一つでも覚えてこようかと思う」
「鳳翔さん、今なにしてるの?」
「定食屋で働いているそうだ。その内、お店を持ちたいんだってさ」
「そっか……。立派だね」
「ああ。さて、そろそろ暁たちが来る頃だろう。あんまりのんびりしている時間はないぞ」
「うん」
「ハンカチ持ったか?」
「大丈夫。それじゃあ、行ってきます」
「ああ」
外で暁たちのあいさつする声が聞こえる。
元艦娘も人間と一緒で学校へ通うのだが、その学校に普通の人間はいない。
全員が元艦娘である。
勉強のレベルの問題もあるが、心のケアと言う部分でも、やはり普通の学校では難しいようだった。
「さて、俺も準備しないとな」
電車で二駅ほど。
そこに、小さな定食屋はあった。
「こんなところに定食屋なんてあったのか」
引き戸を開けると、中から油の跳ねる音と、まな板を叩く音がした。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」
「どうも」
店には、新聞を読んでいる爺さんや、作業服を着た若い兄ちゃん、老夫婦の三組しかいなかった。
と言うよりも、俺を含めて四組もあれば、この店は満席になってしまうほどの広さしかないのだ。
「コロッケ定食ください」
「はいよ。コロッケ一つ!」
鳳翔は厨房だろうか。
どちらかと言うと、こういう店よりも、一人店主の居酒屋の方が、あいつには合いそうだけれど。
「あ、やっぱり」
厨房の暖簾から鳳翔が顔を出した。
「ごめんなさい。ちょっと忙しいので、後で向かいの喫茶店で待ち合わせしましょう」
「ああ」と、返事を聞く前に、鳳翔は厨房へと戻っていった。
コロッケ定食は大変美味であった。
揚げ物が美味しいお店にハズレはない。
だから、ああいった店に行った時には、必ず揚げ物を食べてみるのだ。
「お待たせしました」
喫茶店のドア鈴が鳴ると同時に、鳳翔はいそいそとこちらへ向かってきた。
「すまないな。忙しいときに」
「いえ、お誘いしたのは私ですから。お久しぶりです、提督」
「本当に久しぶりだな、鳳翔」
艦娘であった頃の着物と違い、少し華やかな着物に身を包んだ鳳翔は、美人であった。
「そうか。じゃあ、しばらくあの定食屋で修業して、自分の店を?」
「はい。まだまだ勉強することはたくさんあります。お店を出すのだって、お金が必要ですし……」
鳳翔はハッとして、話題を変えた。
暗い話題を避けようとしたのかもしれない。
「それにしても、提督はやっぱりコロッケ定食なんですね。すぐに分かりました。コロッケ定食なんて、頼む人いないので」
「あれ、お前だろ、作ったの」
「え? どうして分かるんですか?」
「いつだったか、俺がコロッケ好きだって言った時、作ってくれただろ。それと同じ味がしたんだ」
「そんな事、覚えてくださっていたんですね」
鳳翔は照れくさそうに笑った。
「忘れられないさ。あんなに美味しいコロッケ」
「なんだか恥ずかしいです」
そう言って、恥ずかしそうに頬を抑えた左手がキラリと光った。
「鳳翔、お前、結婚したのか?」
「え? ああ、違います。これ、ケッコンカッコカリの指輪です」
「まだ持っていたのか。しかし、何故左手に」
「私にとって、大切な物ですし……それに……」
そこで言葉を切ると、鳳翔は窓の外に目をやった。
俺も同じように窓の外を見た。
空は雲一つなく、無限に広がるような青の中に、白い飛行船が浮かんでいた。
「いい天気ですね」
「ああ」
窓から零れた日差しが、鳳翔の顔を照らす。
白い肌が、ほんのりと赤くなっていた。
俺たちは時間を忘れ、昔話に花を咲かせた。
一年とは言え、忘れてしまった事も多々ある。
あの頃は、生きるのに必死だった。
思い出したくない事もある。
それでも、大切な思い出一つ一つは、決して忘れてはいなかった。
それは、鳳翔も同じだったようだ。
「また、みんなで集まれればいいですね」
「そうだな」
「そう言えば、提督は今、何をしてらっしゃるのですか?」
「まだ海軍だ。とは言っても、たまに顔を出して、若い連中を指導したりするだけだけどな。今は戦争の功績で、飯は食わしてもらっているよ」
「そうだったのですか。あの……その……提督はまだ……独身ですか?」
「ああ。響の親が見つかるまでは、独身でいようと思っていてな。見合いの話もあるのだが……」
「響……? 響って……響ちゃんのことですか?」
「そうだ。ああ、そうか。お前は知らなかったか。響と俺は一緒に住んでいるんだ」
「えぇ!? ど、どうして……」
「実は――」
俺が説明している間、鳳翔はずっと口を押えていた。
驚きを隠せないでいるようだ。
「そんな事が……」
「親が見つからなくても、俺は響が独り立ち出来るようになるまで、面倒を見てやろうと思う。共に戦った仲間でもあるし、何よりも、あいつには頼れる人が必要だと思った。一人で抱え込んじゃうような奴だからな……」
「提督……」
「こっちに引っ越してきたのも、暁たちがいるからなんだ。出来る事なら、一緒の学校の方がいいと思ってな」
「そうだったのですか……」
「ま、あいつも楽しそうだし、暗い話でもないんだ。そんな顔しないでくれ」
「あ、あの!」
「ん?」
「私に……出来る事はありませんか……?」
「え?」
「私も協力したいのです! 響ちゃんのご両親を見つける為に!」
「……ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいよ」
「気持ちだけじゃありません!」
「!」
「私も共に戦った仲間です。辛いときも、悲しいときも、みんなで乗り越えてきたじゃないですか!」
「……そうだったな。分かった。じゃあ、一つお願いを聞いてもらってもいいか?」
「はい!」
空はすっかり夕焼けに染まっていた。
「じゃあ、ここで」
「はい。では、また連絡しますね」
「ああ、待ってる。仕事、無理するなよ」
「提督も」
「じゃあな」
そう言って駅の方へと向かった。
途中、振り向くと、鳳翔がずっと手を振っていた。
曲がり角で見えなくなるまで、ずっと。
家に帰ると、家の前で響が立っていた。
「あ、お帰り、司令官」
「ただいま。どうした? こんなところに突っ立って。カギでも忘れたか?」
「待ってたんだ。司令官が帰るのを」
「家で待っていればよかっただろう」
「…………」
響は家をちらりと見た。
俺も同じように家の方を見た。
明かりのついていない家は、とても暗く感じた。
空も藍色に染まりかけていて、水銀灯の電灯がヂヂヂと音を立てているのが聞こえるほど、静かであった。
「怖かったのか?」
響は静かに首を横に振った。
「じゃあ、なんだ?」
「…………」
昔から、本心を口に出す子ではなかった。
迷惑をかけちゃいけない。
自分は艦娘だから、しっかりしないといけない。
弱い自分を見せてはいけないと、思っていたからであろう。
「響」
「…………」
「俺は頼りないか?」
「え?」
「俺は、お前の気持ちを受け止められないほど、頼りない男か?」
「そ、そんな事ない! 司令官は立派で……」
「なら、もっと頼れ」
「!」
しゃがみ込み、響の手を握った。
小さくて、冷たい手だった。
「お前はもう普通の人間だ。艦娘などではないし、気を張る必要もないんだ」
「司令官……」
「それに、俺はもうお前の司令官じゃない。俺はお前の家族だ」
「家族……?」
「駄目か?」
「……いいの?」
「?」
「司令官の事……家族だと思っていいの?」
その時の響の顔は、今まで見たどの表情よりも、純粋で、子供らしいと思えた。
「馬鹿、俺はそう思って一年間過ごしてきたんだぞ。逆にショックだよ」
それを聞いた響は、俺の胸に飛び込んできた。
「私……ずっと寂しくて……我慢できてたんだけれど……家に帰ったら司令官がいなくて……急に寂しさが込み上げて来て……それで……それで……」
響は泣いていた。
艦娘の時ですら、一度も涙を見せなかった。
「もう我慢するな。一人で泣くな。誰にも涙を見せなくても、俺の前ではちゃんと泣いてくれ。俺はそれを受け止めてやる。俺とお前は、家族なんだから」
抱きしめてやると、響の体はとても小さかった。
艦娘だったとは言え、こんなにも小さな体のどこに、大きな不安を隠せたのだろう。
「ほら、家に入ろう。もう寂しくはないだろう?」
「――うん」
「それじゃあ……」
立ち上がろうとした時、響が俺の袖を掴んだ。
「響?」
「その……抱っこ……してもらってもいいかい……?」
「ああ、いいよ」
「誰も見ていない?」
「見てないよ。ほら、よっと!」
空はもうすっかり夜だった。
電車の中で見た一番星は、もうどれだか分からなくなっていた。
「司令官の胸の中は、あたたかいな」
「そうか」
水銀灯の光が、響の笑顔をより一層明るく照らした。
――続く。