ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ/ドクタークレフ

58 / 63
筆を置くと言ったのに、一週間もたたずに筆を執ったあげく、ほとんど一日で完成してしまった後日談を勢いで投稿です。後日談というか、後片付けの意味合いもありますが……

夏、それぞれの日々が続いていく。

それでは、どうぞ。


SEQUEL / AUGUST RUSH
AUGUST RUSH / NATURAL TONE


 

 

 

 

 

 蝉の声が街に響く。入道雲がもくもくと盛り上がる中でそれを聞いていると夏の只中に居ることを嫌でも実感する。8月も半ばになればそれはそうだろう。

 

「暑いー……」

「もう少しですから頑張ってください、艦長」

 

 横須賀の本土――――フロート都市部ではなく、本当の陸地を歩く二人だったが、その夏の洗礼を受けてすでに汗だくだった。

 

「常在戦場といいますし、少しはシャキッと……は、無理ですか。はい」

 

 宗谷ましろは連れの背中をぐいぐいと押すようにして坂を上っているのだが、既に連れはぐったりだった。

 

「だって……。さっき長野から戻ったばっかりだし……。こっち来たらここまで暑いとは思ってなかったんだもん。というより、なんで同じだけ動いててしろちゃんは大丈夫なの?」

「日ごろの鍛え方ですかね。ヘトヘトになってるのは艦長が無理な日程でギチギチに予定を詰めるからでしょう。もっと余裕をもって計画してればこんなことになってないですよ。それに関東の夏の暑さは中学からずっとこっちに暮らしてたんですから知ってるはずですし」

「それはそうだけど……」

 

 艦での威厳は何処へやら……とましろが呟けば、彼女の連れ――――横須賀女子海洋学校学生艦隊所属航洋艦『晴風』艦長、岬明乃はぷくっと頬を膨らませた。

 

「艦に乗ってないんだからいいよね。今はしろちゃんと二人きりなんだし」

「でも制服でそう言われましても」

「一年次の外出時は制服を着用すべしってことなんだし仕方ないんだけど。でも、公務ってわけでもないんだしもっとラフでいいんだよ? 長野の時みたいでいいんだしリラックスリラックス!」

「艦長案外元気ですね」

「でもヘトヘトだよ?」

「笑える余裕があるならまだ大丈夫です」

 

 ましろはそう言って明乃の背中をぐいぐいと押していく。

 

「もう少しで我が家ですから、頑張ってください」

「はぁい」

 

 素直に返事をする明乃、蝉の大合唱に、その声の余韻が溶けていく。

 

 

 今日、明乃は宗谷家にお呼ばれしているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

 

「暑い中お疲れ様」

「いえ、ありがとうございます」

 

 開け放たれた窓から風鈴の涼やかな音が流れてくる。氷入りの麦茶が入ったガラスのコップが涼やかだ。ローファーを脱いで青畳の上に居られるだけでかなり楽だ。

 

「ごめんなさいね、暑くないかしら? 私が冷房苦手だから窓を開けることにしているのだけど」

「いえいえ、大丈夫です」

「外では思いっきりへばってましたけどね」

「もうしろちゃん!」

 

 明乃が隣に座ったましろにそう抗議をするが、ましろはどこ吹く風だ。そのやり取りを見て、宗谷真雪はクスリと笑った。

 

「仲の良い子ができてほんとうに良かったわ。お母さんもこれで安心ね」

 

 それに少し顔を赤くしながら目を伏せる明乃。ついと目線を逸らしたのはましろだ。

 

「母さんもからかわないでください」

「しろちゃんはそんなに拗ねないの。いいじゃない、今は公務じゃないんだし。お母さんだって今はただのおばさんだしね」

 

 ましろにそう言い返した真雪だが、その言葉に明乃がわずかに申し訳なさそうな顔をした。その機微を敏感に感じ取った真雪が優しく微笑む。

 

「そろそろ引退の時期だったし、宗谷派の独占体制も崩さないといけない時期だったから、きっぱりやめられて良かったと思ってるのよ。だからそんな顔しなくても大丈夫」

「はい……」

「今は時間もゆっくりできて、優雅に専業主婦できて助かるわ」

「専業主婦ならちゃんと部屋の掃除とかしてください。掃除も洗濯も庭の手入れも家政婦さん頼みじゃないですか」

「あら、料理はしてるでしょ?」

 

 その切り替えしにましろが溜息。ストレス発散で前から料理をしていた真雪は実際かなりの腕前である。

 

「それに、この庭の手入れはプロの業者さんじゃないと……」

 

 真雪の視線の先を追って窓の外を見た明乃。確かに苔むした石灯篭や松の木が立派な和風庭園は業者じゃないと無理だろうと素人目に見てもわかる。真っ白な砂敷には雑草一つ生えてないことを見ても手間がかかっているのは明らかだった。

 

「……綺麗なお庭ですね」

「私の祖母、ましろのひぃおばあちゃんの趣味でね。代々受け継いでいるのよ」

「そうなんですね……広いお庭で遊べそう」

「昔ビニールプール出して、しろちゃんたちと遊んだこともあったわねぇ」

 

 そう言えばその写真がどこかに……と真雪が腰を上げようとしたが、明乃が庭を見ている間にましろがそれを無言の圧力で阻止。真雪はそれを笑って流した後、表情を引き締めた。

 

「……お昼ごはんに御素麺を用意しているけど、その前に少しだけお話しましょうか」

「はい……?」

 

 明乃が首を傾げる。

 

「……RATt連続テロ事件の後、あなたの周りで変なことが起こってたりはしないかしら? 大丈夫?」

「えっと……? はい。何事もなく平和そのものですけど……何かあったんですか?」

「起こってないなら大丈夫で……とりあえずのことだけ言っておくわね。現在、晴風のクルーは公安からマークされているのは知ってる?」

「公安、ですか?」

「犯罪者としてと言うわけじゃなくて、あなたたちの身の安全を守るためと言うのが一つ、あとは、RATt連続テロ事件の真相をあなたたちが漏らさないかの監視というのが一つ。そんなわけであなたたちは、政府から監視されているの」

「……知らなかったです」

「知ってたら大問題なの。高校生に察知されるような監視網じゃなくて安心したわ」

 

 真雪はそう言って笑う。

 

「一連のRATt連続テロ事件は今もまだ終わっていない。先月にはヘファイストス計画の一環の実験衛星が軌道上に乗せられたこともあって、事態はまだ流動的なまま……どうなるかは正直まだ分からないと言うべきね」

 

 真雪の声に明乃は僅かに考え込む。

 

「それを私に話したという事は、私に何か……やることが?」

「……柳君の言う通りね。聡明すぎるぐらいに頭の回転が速い。……単刀直入に言うとね、貴女、海上安全整備大学校に進学する気はないかしら?」

「海安大……ですか?」

 

 海上安全整備大学校――――海安大と言えば、国土交通省の施設等機関として設置されたブルーマーメイド養成校のなかで最上位に位置する学校だ。幹部候補生学校としての役割が強く、卒業と同時に三等海上安全整備正として着任することになる。

 

「わ、私はそんな頭良くないですし……倍率だって高いですし」

「倍率なんて高々40倍の試験だから大丈夫よ」

「そ、それ高々って言いますか……?」

 

 明乃はその辺りの感覚がわからず混乱したままそう返した。海安大の試験はそこらの有名私大よりも難易度が高い正真正銘のエリートコースだ。明乃にはどうも自分にそこまでの実力があるとは思えないのだ。

 

「おそらくあなたなら問題なく試験は突破できるわよ。それに、老松教官から聞いた話なんだけど、明乃さんには早期錬成プログラム――――飛び級制度の適応も検討されているらしいわ」

「私が……ですか?」

「えぇ」

「あの、みなみちゃんとかがやってたやつですよね」

「鏑木美波さんね。文科省管轄とは少し制度が違うから厳密には一緒ではないんだけど、一緒って言ってしまっていいと思うわ」

「私が……ですか……」

 

 どこかしゅんとする明乃に怪訝な顔をしたのはましろだ。

 

「いいことじゃないですか」

「それは……そうなんだけど……なんというか、晴風のみんなの方がよっぽどすごいのに……」

「その『みんな』の立場からすると艦長の方がすごいんです。というより艦長はもっと自分に自信をもって下さい!」

 

 ましろが半ば叱るように言うと真雪がコロコロと笑った。

 

「本人の希望なしに適用されることはないわ。だから断ってもいいのよ」

「わかりました。……でも、海安大、かぁ」

「えぇ、そこに行くことがあなたの身を守ることにもなると思う」

「というと……?」

「少なくとも政府は、あなたを野放しにするわけにはいかないと考えている。おそらく任官拒否をしたら、あの手この手であなたを政府機関の関係者に押しとどめようとしてくるでしょうね」

「それは……私はブルーマーメイドになりたくて海洋学校に来ていますし、それは問題ないんですけど……どうしてそれが大学に行くって話になるんですか?」

 

 明乃が素直に疑問を投げると、真雪はゆっくりと頷く。

 

「あなたと関わりのある大人は『原則派』の人間、元『宗谷派』ともいわれる人間が多い。私も真霜も、真冬もそうだし、古庄教官もそう。柳君ぐらいよ、あなたの周りの大人で原則派じゃなかったのって。あなたの経験や考え方はある意味偏っていると、いろんな人から見られているの」

「柳教官って違ったんですか?」

 

 会話に割り込んだのはましろだ。真雪が頷く。

 

「柳君は元々『行政派』の人間よ。出身が官僚っていうのもあるんでしょうけど、国土交通省や外務省等の中央省庁とのコネクションを密にして、実働は最大限抑え込む。平時の維持に特化したような運用スタンスを理想とする派閥ね」

「柳教官にそんなイメージ全くないです……」

 

 明乃の声にましろも頷く。なんだかんだで攻めてばっかりの人物だった印象しかない。

 

「現場での彼の仕事は行政の命令を受けて動く端末としての役割って言うのも大きかったんじゃないかしら。……ともかく、外から見てあなたの人脈はすごく偏っている。このままマーメイドになってもいいんだけど、その前にいろんな人のいろんな考えにもっと触れておくことも大切だと思うの」

 

 真雪はそう言って笑って見せた。明乃は僅かに引っかかりを覚えながらも頷いた。

 

「横須賀女子海洋学校からすぐに現場配属でもあなたにはたくさんの活躍の場があるとは思う。だけど岬さんもしろちゃんも大学へ進んで3正からスタートするのがいいと思うの。あなたたちの適正は艇長や艦長クラスになって発揮されるタイプのものよ。だからこそ、早いうちからそこを目指してみるのはどうかなって思うの」

 

 真雪の声に明乃は考え込む。

 

「……しろちゃんは?」

「私は元々そのつもりだが……艦長が来てくれるなら、そりゃあ……嬉しいですが……」

 

 明乃にとって横須賀女子海洋学校はブルーマーメイドになる最短ルートとしての選択だった。今のところは最短ルートを驀進中なのもあり、その先をしっかり考えていられたかと言うと、少しばかり嘘が混じる。

 

「……少し、考えさせてもらっていいですか?」

「もちろん。これから時間をかけて考えてみなさい。実技に関しては全く心配ないから、座学さえしっかりやれば大丈夫だと思うしね」

 

 そう言って真雪はニコリと笑った。柱時計が12時ちょうどを告げた。

 

「難しい話はおしまい。お昼にしましょう。御素麵用意するわね」

「あ、手伝います」

「お客さんは座ってて、……ふゆにも見習わせたいわね、これ」

 

 そう言いながら真雪が部屋を出ていく。「ふゆ」はほぼ間違いなく宗谷真冬のことだろう。偏見甚だしいのは十分承知だが、明乃には真冬が甲斐甲斐しく配膳などを手伝う図はあまり思い浮かばない。

 

「大学校、かぁ……」

 

 明乃にはまだ遠い話だと思っていたのだが、案外近い物なのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぅ、ミケも来てたのか」

「ご無沙汰してます」

 

 夕凪の時間帯に制服姿の宗谷真冬が現れた。

 

「おう、元気そうで何よりだ。上々、上々」

「ふゆ、すぐに御飯にするから着替えてきなさい」

「へーい」

 

 そう言うと男性もののようなブリーフケースを抱えたまま真冬がどこかに消えていく。そしてあっという間にジャージに着替えて下りてきた。

 

「お客さんが来てるのにほかに服はなかったんですか……」

「いーじゃねーか、しろ。晴風ではあられもない姿を見せあった仲だし、家族みたいなもんだろう」

「私は気にしないのでいいですよ。肩肘張ってるのは苦手なので……」

「ミケもこういっていることだし、な。しろがかっちりしすぎなんだよ」

 

 ましろはそれに溜息で返す。真冬は眼帯で隠れていない右目を細めて笑った。

 

「霜姉が帰ってこれないのは残念だが、まぁ仕方ないか」

「お盆だと海難事故も増えるから、丁度正念場でしょう」

 

 少し寂しそうな声でそう言った真雪。その彼女を元気づけようとしたのか、真冬が務めて元気な声を出した。

 

「それで、今日の晩御飯は何なんだ? 水曜だから洋食か?」

「スコッチエッグを作ったからそれがメインの洋食でーす」

 

 真雪がそう言ってそれぞれに料理の乗った皿が置かれていく。

 

「水曜日だから……っていうのは?」

「あぁ、商船だと金曜カレーの代わりに水曜に洋食ってところも多いんだ。曜日感覚を失わないようにっていうのも一緒だな」

 

 真冬が解説を入れながら早速テーブルの中央に置かれたバケットに手を伸ばしていく。生ハムとマカロニのサラダやコンソメスープも鮮やかだ。ナイフとフォークの他に箸が置いてあるのは心配りだろう。真冬や真雪の席には置かれていなかった。

 

「それじゃ、食べましょうか」

「だな。それじゃ、両手を合わせて。……いただきます」

「いただきまーす!」

 

 真冬の音頭に合わせて食事が始まる。明乃にとっては懐かしいような、新鮮なような夕食だ。皆で一緒にや、一人ではたくさんあったが、こぢんまりとしたテーブルを囲ってというのはいつぶりだろう。

 

「おいしいです」

「ありがとう。お口に合ったようでうれしいわ。スコッチエッグのお代わりもあるから遠慮せずに食べてね」

 

 そう言いながら真雪はナイフとフォークで上手に食べていく。会話はあまりないが、それでも寂しい気持ちはない。どこか暖かい静けさが続く。

 

「……皆さん、ナイフとフォーク使うの上手なんですね」

「まぁ、家にいるときは週一回ペースで洋食が出るからな。各艦の科長クラス以上の管理職になると国際会議や懇親会に出ることもある。本局(かすみがせき)勤務になんてなれば、それがメインの仕事になるしな。テーブルマナーやパーティーマナーみたいな教養は必須だ。知らないと外国のお偉いさんの前で恥をかくこともある」

 

 真冬はそう言ってスープを口に運んだ。飲み込んでから続ける。

 

「二年次の世界一周長距離演習航海の前にはそういう受業も一通りやるだろう。……そうだ、ミケ。土日とか暇ならそういうのとかあたしが教えてやろうか?」

「えっと……?」

「今の所あたしは陸上勤務だ。広報部だから毎週とはいかないが土日は基本暇でさ。やることなくて落ち着かないんだわ。ミケが良ければだが、国際教養やテーブルマナーとかは見てやれる。なんなら宿題の添削もしてやれるぞー」

 

 真冬はウィンクをしながらそう言った。

 

「まぁさすがに茶道とか華道とか日本文化教養は母さんのほうが詳しいだろうから、そういうのやりたかったら、絶賛無職で暇を持て余してる母さんに言ってくれ。海上職を基本にキャリアを考えるなら、文化交流目的で披露することもあるだろうしな」

「そ、そんなことも必要なんですか……?」

 

 明乃はそう言われ驚いてしまう。

 

「海外派遣の時は日本の看板を背負っていくんだ。文化交流も立派な任務。特に艦長は外国の船員を自艦に招いた時はホスト代表としてもてなす必要がある。文化教養は必要だぞ。日本の文化だと茶道や華道、書道とかの文化教養は必須。武術だと剣道や柔道とかも海外では人気だから語れた方がいいな。西洋絵画、音楽への理解もあるに越したことはない。それらについて英語は当然としてフランス語とかでも説明できないといけない訳だ。日本語でまず深く理解してないといけないぞ」

 

 それを聞いて内心焦る明乃。言われてみればその辺りはかなりすっ飛ばしてきた。美術の受業なんて評価は2か3の低空飛行だ。この絵の作者は誰でしょうなど言われても答えられる気がしない。

 

「まぁミケは仮にも貴族な訳だし、覚えておくに越したことはない。航海の途中でドイツに寄ったら貴族コミュニティに呼び出されることも考えられるわけだし」

「……なら、お言葉に甘えても、いいですか?」

「全然オッケー。なんならしろもやろうな」

 

 ましろはそれに「うげ」と言いたげな顔をした。それを見て笑うのは真雪だ。

 

「その為に海洋学校の課外活動で茶道部や剣道部を設けてるわけなんだけどね。宗谷式は結構厳しいわよ?」

「そう言えばミケは課外活動なにかやってるのか? 一つは部活に入らなきゃいけなかったはずだが」

「はい、えっと……競技射撃部に入りました。まだ、いろいろダメダメですけど」

 

 それを聞いて真雪が「実践的ね」と言って笑ったが、真冬の目が一瞬曇った。

 

「……姉さん?」

「ミケ、もしかして柳の旦那の影響か? それ」

 

 声のテンションの変わり方に少しばかり面食らう明乃。答える前に真冬が口を開いた。

 

「いや、それはそれでいいんだが……あんたが旦那の代わりになる必要はないし、そのために無理をする必要はないぞ」

「……頭では、わかってるんですけど」

 

 明乃がぽつりとそう言った。それを聞いてましろは思い出す。――――柳昂三は大学射撃部のエースだったらしい。晴風に彼がいたころ、彼は何度も拳銃やショットガンを片手に鉄火場を駆け抜けていたのだ。

 

「柳教官は……自分で言うのも恥ずかしいんですけど……なんというか、憧れなんです。艦長としてというか、リーダーとしてというか。ああいう艦長になりたいなって思ったんです。柳教官がどんな世界を見ていたのかなって……気になって」

「それで射撃、か」

 

 真冬の声にこくりと頷く明乃。ましろがそんな二人をどこか心配そうに見ている。

 

「まぁ、無理しないことだ。ミケまで柳の旦那みたいになったら破天荒な奴が多すぎて、それはそれで大変だ」

「それを姉さんが言いますか……」

 

 ましろがどこか呆れたようにそう言う。

 

「いいじゃねぇか。有事の人材は平時に歪なんだ。だからそれはそれで仕方ない。平時に優秀な人材には比較的余裕があるが、有事に動ける人材は少ない。その典型例が柳の旦那なんだろうが……あそこまで極端になる必要はないからな。息急ぎすぎる必要はない」

 

 そう言った真冬が優しく笑った。

 

「それにしても旦那は今頃何をしてるやら」

「みなみちゃんが言うには東京で就職してるみたいですけど……」

「そうなのか。ならいつかすれ違うかもな。……というより、もう就職? 旦那はあの体でまだ働く気なのか。というより、リハビリ終わってたのか」

「みなみちゃんも嘆いてました。退職金に障害年金で、普通に生活できるのに無理してあっという間に働き始めたって……」

「しかもアレだろ、旦那、RATt連続テロ事件の受勲式で任務負傷勲章(パープルハート)受勲してるし、名誉退官だから退職金も年金もダブルで割り増しだろう。そもそもが2監なんて高官で退職だ。働かなくても普通に毎月30万近くもらえるんじゃないか?」

「なんですけど……」

「もはやそれビョーキだビョーキ。ワーカホリック」

 

 呆れたように真冬が言う。落ちた沈黙を埋めるようにおずおずとましろが口を開いた。

 

「でも……柳教官が優雅に花でも愛でたり、写経したりしながら隠遁生活してる図って、思い浮かばないですよね……」

「……プッ!」

 

 その図を想像する間が空いたあと、皆が一斉に噴き出す。

 

「似合わねぇ! 絶ッッッ対似合わねぇ!」

「そうなると柳君、和服着て『いい茶器ですな』とか言ったりするのかしら……?」

「ないっ! 母さんそれはさすがにないっ!」

「甚平とか浴衣とか、和服とか絶対に似合わないですって柳教官……!」

「憧れとか言いながら艦長も容赦ないですね」

「隠遁生活にしても、旦那の場合、普通に仕込みショットガンとか作ってそうだよな!」

「ふゆ姉さんそれ密造銃ですし、そもそも論で銃器を作る隠遁生活って何なんですか!」

 

 当人がいないせいか言われたい放題である。

 

「あー、笑った。確かに家でゴロゴロしてる図が一切浮かばないわ。柳の旦那」

「で、ですね……」

「まぁ、彼には彼の生き方があるのでしょう。今は幸あれと願いましょう」

 

 そう言って真雪は水の入ったグラスを掲げた。

 

「愉快でワーカホリックな柳2監に」

「乾杯」

 

 ガラスのぶつかる音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「しろちゃんの部屋って和室なんだ。ちょっと意外だったな」

 

 電気を消した部屋で枕を並べ、横になる二人。タオルケット一枚だが、それでも十分に暖かかった。

 

「洋間でぬいぐるみとかが沢山並んでるのかと思った」

「家自体が古いですからね」

 

 板張りの天井を見上げてましろが答える。月明りが窓の薄いカーテンから射しこむ。どこか遠くで風鈴が小さく鳴った。

 

「……しろちゃん」

「なんですか?」

「ありがとね、呼んでくれて」

「いきなりなんですか?」

 

 そう言って笑うましろ。その手をそっと握る。薄いパジャマの袖が揺れた。寝返りをうつようにして明乃は体ごとましろの方を向いた。

 

「……私ね、やっぱり大学校、目指してみようと思った。まだまだ、知らないことがたくさんあるなって、知らなきゃいけないことがいっぱいあるなって……」

「……そうですね。私もそう思います」

 

 ましろは天井を見上げたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「艦長はやっぱり強いです」

「しろちゃん?」

「……最短経路で行くんでしょう? 飛び級の話が来たら、受けるんですよね?」

「え? 受けるつもりはないんだけど……」

 

 驚いたようにましろが明乃を見る。

 

「ブルーマーメイドになるなら、早く駆け上がったほうがいいでしょう。あなたの夢なんでしょう? もえかさんとの大切な約束なんでしょう?」

「うん、私の大切な夢だし、大切な約束。だけど私は……家族ともっと一緒にいたい」

 

 明乃の言葉に、ましろは目を見開く。

 

「晴風は私の家族……本当に大きな大きな家族だから、たった三年間しか一緒にいれないけど、それでも私の大切な家族だから。みんなと一緒に入学して、みんなで一緒に卒業したい、これが今の本当の気持ちかなぁ」

 

 明乃は笑って続ける。

 

「初めて、なんだ。家族だって言いたいって思えるのって。ここに居たいって思えるのって、晴風が本当に初めてなの。家族っていうのか、居場所っていうのかわからないけど……晴風が今は本当に大切で、守りたいって思うの」

 

 カーテン越しの月明りが彼女を仄明るく照らす。彼女の声はとても澄んでいて、ましろの耳朶をくすぐった。

 

「お父さんたちがいなくなってから、みんな優しくしてくれたし、みんな大切なだし、嫌なこともあったけど、それよりたくさん楽しいことがあった。だけど、そこに私がいる必要はなかったと思ってた。中学からはもかちゃんとも別々だったしね」

「きっとそんなことは……」

「うん。そんなことはなかったんだと、今なら思う。だけど、そのころの私はそう思ってて。ほんとはね、それが嫌で飛び出してきたんだ。みんな優しいし、おしゃべりもできるし、笑えるけど、私の居場所なんてどこにもない。施設も、家も、私がいてもいなくても変わらない。空気みたいな自分が嫌で、だけどそれを楽しいよってみんなに言っちゃう自分が嫌で、全部捨てて、逃げてきた」

 

 乾いた、寂しそうな笑み。繋いだ手に、少しだけ力が入った。

 

「私はみんなが言うほど強くない。みんなが思うほどやさしくない。みんなが思うほどいい子じゃない。それが嫌だ嫌いだって思ってた……でも、それでもいいんだって、そうじゃないんだって言ってくれたから、かな。晴風はやっぱり私にとって大切な場所なんだ」

「艦長……」

「私の夢も約束も大切にしたいし、大切にしてる。だけどみんなと一緒の時間も同じくらい大切なんだ」

 

 ましろはそれを聞いて、くすりと笑った。

 

「……変な人」

「へっ?」

「あなたはブルーマーメイドになるって夢を諦めないでここまで来て、今でも頑張っていられる。途中で怪我したり、捕まったり、貴族になったりいろいろあったのに、それでも誰とも壁を作らずに頑張っている。夢に向かって一直線に頑張るあなたを、私は尊敬してるんですよ?」

 

 ましろは空いていた右手をゆっくりと持ち上げた。月明りの中で天井にむけて手を伸ばす。

 

「私は夢らしい夢はないんです」

「そうなの?」

「はい」

 

 月明りでも眩しいように、ましろは目を細める。

 

「実は私は、人魚の血筋だから当然だと思って、横須賀女子海洋学校に入学したんです。晴風に乗って、それがどれだけ浅はかか思い知ったんです。投げ出してしまいたくなったことだってあるんです。それでもここまで諦めないでいられたのは、あなたが私を信じてくれたからだと思っています」

「しろちゃん……」

 

 ましろは空中で光を掴むように握りこぶしを作った。

 

「私はもっと強くならなきゃいけない。あなたの副長でいたい。あなたの隣で胸を張っていたい。背中を預けてもらえる副長でいたい。だから、あなたに負けないぐらい強い副長にならなきゃいけないと思っています。……あなたが夢を追う時に、私が重しにならないように。晴風が重しにならないように」

 

 ましろはそう言ってどこか自嘲が混じる笑みを浮かべた。

 

「あなたはあなたの思うように進んでください。私のわがままが許されるなら、私はそれを追いかけていたい」

 

 それを聞いた明乃はクスクスと笑った。

 

「な、何がおかしいんですか」

「おかしくなんてないよ。……なら私はしろちゃんが胸を張れるような艦長にならなきゃね」

 

 明乃はそう言って拳を作り、ましろの手にこつんとぶつけた。自然に体の距離が近づき、至近距離で見つめ合うような姿勢になる。

 

 

 

「一緒に強くなろう。もっと強く、誰にも負けないぐらいに。みんなで」

「はい。艦長」

 

 

 

 

 夜がゆっくりと更けていく。夜風は僅かに秋の気配を感じさせ始めていた。

 

 

 

 

 






……いかがでしたでしょうか。

こんな感じで時々投稿するかもしれませんがどうぞよろしくお願いいたします。


――――――
「君も名乗る必要はない。とりあえずこう呼ぼう、ようこそ、バロット。我々は君を歓迎しよう」

Next Screen >>> AUGUST RUSH / DISTORTION

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。