ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
ハイスクール・フリート
そよ風がゆるゆるとカーテンを揺らす。窓の外――6階のせいで窓の下と言う方が正しいのだが――に一列に並んだ並木の梢がサラサラ音を立てた。
『では、海上安全整備局本部前の田所記者と中継が繋がっています。田所さん、今回のRATt連続テロ事件についてですが、海上安全整備局はどのように考えているのでしょうか』
『ハイ、先ほど海上安全整備局の報道官の発表によると、今回死亡した北条沙苗こと、北条更紗容疑者の犯行として調査を進めています。しかしながら使用されたRATtウィルスと呼ばれる薬剤を製造した鏑木製薬等との接点は今の所見つかっていないため、彼女を支援した人物または組織がある可能性も含め、慎重に捜査を進めていくとしています。また北条容疑者は先日発生した新橋商店街船事故への関与も疑われており……』
梢の音に重なるように、小さく響くテレビの音、その音に彼女はゆっくりと目を開ける。
「うん……?」
「おはよう、ミケちゃん。時間的には、おそよう?」
そう声をかけられ、明乃はカーテンが開けられていたことに気が付く。ゆっくりと体を起こせば、5月のさわやかな風がわずかな寝汗も吹き去っていく。心地よい。
「おはよう、もかちゃん。今何時……?」
「
「ごめーん……」
明乃は寝ぼけ眼をこする。それの動きでまだ中途半端にしか直っていない額の傷口が引っ張られ、チクリと軽く痛んだ。起きたらナースコールをかけろという書置きがベッドサイドにあった。たぶん朝の包帯等の交換を遅らせてもらったのだろう。ナースコールボタンを押してから、ベッドを並べている知名もえかの方をみる。照れ隠しに右手で頬を掻いた。テレビを消しながら、もえかは笑った。
「艦でも頑張り屋さんだって聞いたのに、お寝坊さんは変わらないんだね」
「聞いたって、だれから?」
「ましろさん」
「しろちゃん来てたんだ……悪いことしちゃったな。他になにか言ってた?」
「いろいろお話したよー? 夜中にしろちゃんにぎゅーって抱きつかないと寝れないミケちゃんとかー。髪をポフポフすると猫さんみたいに顔をふにゃんとさせるミケちゃんとかー」
「わー! わーっ!」
予想外の言葉が出てきて眠気が吹き飛んだ。彼女の口を塞ぎに行きたいが、ベッドから起き上がって点滴台を引きずって彼女のベッドサイドまでいく前に看護師の女性が部屋に入ってきた。
「岬さん、おはようございます。朝から元気いっぱいで何よりです」
暗に静かにしなさいと言われ、恥ずかしいやら何やらで、明乃は真っ赤になって撃沈する。その様子を見てもえかはクスクスと笑った。
「はい、採血と傷の確認をしますから。そこに腰掛けていてください」
「は、はい……」
しょんぼりとしながらも素直に従う明乃。女性の医官も入ってきて、されるがままに浅黄色の病院着の上を脱いだ。
明乃の怪我は額の切り傷と左胸の肋骨にひびが入る不全骨折。拳銃で撃たれたわりに軽い負傷と言える。弾丸が懐中時計を破壊する時に運動エネルギーをうばわれたこと。防弾ベストがその衝撃を胸部全体に分散させたことが功を奏した。北条が使った弾丸が22口径という小口径であったことも大きい。海面に落ちた時の衝撃で軽いむち打ちのような症状が出ていたが、柳が彼女を庇うように抱き込むような形で落水したためか、怪我は軽かった。
「はい、経過も順調です。この調子ならあと二日ぐらいで退院して通院に切り替えても大丈夫なんだけど……しばらくここにいてもらうことになりそうね」
骨折部の触診を終えた医官がそう告げる。明乃は首を傾げた。
「えっと……? テレビとか新聞からの隔離、ということですか?」
「メディアの有名人になっちゃうからね」
女性の医官は苦笑いだ。海上安全整備局の階級章とは違うものを胸に光らせるその人は続ける。
「まぁ、警察病院なら警備もしやすいから、安全も確保しやすい。ほとぼりが冷めるまでは入院してますって体裁を整えておいてって、ブルーマーメイドから連絡があったわ。だからしばらくは入院ね。リハビリでダンベルとか必要なら持ってこれるとは思うけど、この階からは出してあげられそうもないわ。ごめんね」
「仕方ないですから。大丈夫です」
明乃はそういって笑って見せる。カーテンの隙間から親友の姿を見る。
「もかちゃんは大丈夫そう?」
「うん。血液量が足りないだけだし。ウィルスの副作用の経過観察だけ、あとはミケちゃんと同じ理由でしばらく病院暮らしかな」
「そっか。じゃぁしばらく一緒だね」
「……うん」
「もかちゃん?」
歯切れの悪い返事に、明乃は首を傾げる。何かを察した医官が、お大事にと言って部屋を出ていく。看護師も一緒に出ていって、部屋は二人きりだ。
「……私ね、ブルーマーメイドになれないかもしれないって」
「え……っ? どういう、こと?」
もえかの突然の話に、明乃はついて行けない。
「あの武蔵に乗っていて、北条教官のテロに加担した。……そういう見方をする人もいるって」
「そんな……、もかちゃんは全然悪くないよ。脅されて、騙されて……!」
「うん、そう言ってくれる人はたくさんいるし、裁判になったらほぼ間違いなく無罪になるんだって。心神喪失状態であって適法行動の期待可能性がなかったっていう証明は可能らしいから。でも、心神喪失状態に陥ったことを証明すれば……」
「ブルーマーメイドとしての適正を疑われる……?」
もえかはゆっくりと頷いた。
「この先どうなるかはわからないし、任官資格は十分にあるはず。だからなるだけならなれる。でもそのあとは退官まで針の筵だろうって」
寂しそうな笑顔を見せるもえか。それを見て明乃はゆっくりと立ちあがる。点滴台を引きずってもえかの隣に腰掛けた。
「武蔵は被害甚大で1年はドック入りだし、クルーは晴風とか所属艦に分散配置されることになるって、校長先生が言ってた。……何やってるんだろうね、私、武蔵の艦長になれたのに、やっとミケちゃんといっしょに働けるって思ったのに」
明乃はそう言ったもえかの肩を抱いた。そのまま彼女を胸に抱き込んだ。胸の傷が少しばかり痛いが、気にせずに抱き込んだ。
「もかちゃんは悪くない。大丈夫、きっと大丈夫だよ。私もついてるから……大丈夫」
抱き込んだまま彼女の頭を撫ぜる。噛み殺したような嗚咽が聞こえるまで時間はかからなかった。
「なんとかなるよ。何があっても絶対になんとかなる。だから、大丈夫」
武蔵の奪還から、5日。初めて、少女に戻れた瞬間だった。
……どれくらいの時間が経っただろうか、もえかがひとしきり泣いたタイミングで入ってきた影に、明乃が驚く。
「よっ! 無事でなにより!」
「ま、真冬艦長!? 何してるんですかっ? というより! もうベッドから起きて大丈夫なんですか!?」
「まー、大丈夫だろう。しろを代わりに簀巻きにしてベッドに投げてきたし、バレないバレない」
「ほんとに何してるんですか!?」
明乃が素で突っ込めば、左目に眼帯を嵌めた『弁天』艦長の宗谷真冬三等海上安全整備監が豪快に笑う。車椅子を使って自力でやってくる様は頼もしいことこの上ないが、一昨日あたりまで昏倒していた人と同一人物だとは到底思えない。さすが、弁天から部下を全員脱出させ、左目を失いながらも沈みゆく弁天から奇跡の生還を果たした人物と言うべきか。
「まぁ、生き汚いだけさ」
明乃にそう言って右目でウィンクをして見せる真冬。それに明乃は小さくため息をつき、簀巻きにされているらしい副長が無事であることを願った。
「そうそう、ここに来たのはほかでもない」
真冬はそう言ってごそごそとタブレット端末を車椅子のポケットから取り出し、明乃に差し出した。
「今後は眼帯生活になるからな、特注のものをオーダーしようと思うんだが、どれがいいと思う?」
「そ、そんなことの為にわざわざベッド抜け出して車椅子でやってきたんですか!?」
「しろが『どれでもいいじゃないですか!』ってキレて参考意見をもらえなかったから。やむなくだ。私はこの髑髏付きの海賊眼帯がいいと思うんだが……」
「いつもの外套と合わせるとどう見ても海賊になっちゃいますからさすがにやめましょうよ……じゃなくて! 早く戻って下さい! ナースコール鳴らしますよ!?」
漫才の体裁を成してきた掛け合いにもえかが笑う。
「脅されては仕方ない……、まぁ海賊眼帯はやめた方がいいという意見も得られたことだし、それでよしとしよう。……あ、そうだ。今日の午後、海上安全整備局のお偉いさんとかきて受勲式をやるから用意しとけよ」
「へっ!?」
去り際にとんでもない爆弾を投下して真冬が去っていく。外ではすでに看護師が待ち構えていたらしく、思いっきり怒られている声が聞こえてくる。それを聞きながら、明乃はぽかんとした表情のまま、もえかを見た。
「えっと……大丈夫?」
「じゅ、受勲式って言った?」
「言ってたね」
「用意しとけってどういうこと……?」
「ミケちゃんも受勲されるんじゃない?」
状況が飲み込めたのか明乃は真っ青になる。
「ど、どうしよう……!」
「ミケちゃんならいつも通りで大丈夫だよ?」
「そ、そんな。制服だってないし」
「入院中だし病院着で大丈夫だと思うよ。この病院着も海上安全整備局の制服の一つだし」
「で、でも……っ!」
「大丈夫大丈夫。ミケちゃんならなんとかなるっ!」
おろおろしっぱなしの明乃にもえかがそういう。結局二人は受勲式の直前まで似たような会話を繰り返すことになるのだが、現実は非情であり、明乃の不安は全くもって解消されないまま、受勲式を迎えることになったのである。
†
「おつかれさん」
柳が小声ながらも確かに明乃に聞こえるようにそう言った。ベッドの背を軽く起こしているため、柳からも部屋の様子はくまなく見渡せる。明乃はベッドサイドの椅子に座って、疲れ切った様子で手元に五つの小箱を抱えている。部屋には晴風クルーが勢ぞろいしているせいか騒がしい。
「勲一等警備功労褒章とは……大盤振る舞いだったな。ドイツとオランダがこぞって高いレベルの勲章を贈るもんだから、慌てて褒章のレベルを引上げたんだろうが……」
「にしても、五つって多くないですか?」
「多いな」
枕から頭を起こさずに柳は苦笑いを浮かべたようだった。鼻につけられた酸素吸入用の透明なチューブが光る。
明乃を待っていたのはまさに怒濤の叙勲式だ。褒章を渡しに来た面々も豪華絢爛と言うほかない。
そんな面々が当然のように渡してきた褒章だったが、内容は異例尽くしだ。
晴風クルー全員に対して贈られた第五級警備活動参加章に第五級救難活動参加章、国際治安維持貢献褒章、
それにくわえて、ドイツから勲四等ドイツ功労騎士十字章、オランダ王国から勲四等ネーデルラント獅子褒章が授与されているのだ。多すぎると嘆きたくなるのもわかるのである。
「学生のうちから略綬が8つに
「一代限りじゃがな」
柳とヴィルヘルミーナが茶化すように言えば頭を抱える明乃。
「言わないでよぉ、まだ混乱してるんだから……」
明乃が頭を抱える最大の理由が、ドイツが持ってきた勲四等ドイツ功労騎士十字章である。授与された人物はドイツ国の騎士としての扱いを受けることになるのだ。
明乃が叙勲された勲四等の場合、『男爵』を名乗ることが許され、それなりの待遇が保証される。この「それなりの待遇」とは「ドイツ国の政府行事に優先的に参加できる」であったり「ドイツ国の国営施設への入場料が無料になる」であったりするため、ドイツに渡航予定がない明乃にとっては無用の長物甚だしい。明乃専用の紋章を作るからモチーフは何がいいかとか、それを象った旗を教会に奉納していいかとか聞かれたところでチンプンカンプン過ぎてどうすればいいか分からなかったのである。
「これでいつかは大金持ちかな? 貴族様?」
柳のどこか茶化すような声を咳払いで咎めたのは宗谷ましろ副長だ。
「……でも、これは」
「恐らく金鵄友愛塾の差し金だろうさ。呪い付きだ。岬艦長を英雄に祀り上げる気だろう。止める手立てはないだろうが、歯痒いもんだ」
柳はそう言ってゆっくりと瞬きをした。
「副長、晴風はどうなった?」
「現在修復中です。完全な修復には1月半ほどかかるそうです。任務中は応急処置でだましだましでしたし、仕方ないかと」
「そうか、なら7月の演習から復帰か。それまでは座学中心だし、カリキュラムの遅れはギリギリ取り戻せるか」
柳は教官らしくそんなことを気にしているらしい。溜息をついたのはベッドサイドに陣取った鏑木美波だった。
「まずは自分の体を心配する。治すの先決なんだから」
「……わかってるよ」
どこかバツが悪そうにそう言った仕草はどこか子供っぽくて明乃は笑ってしまった。少し肋骨が痛い。
「そうですよ、しっかり治して、早く教官も晴風に戻ってください」
「あー……その事なんだが」
柳が言いにくそうな顔をした。
「悪いが、俺は戻れない」
「えぇ!?」
皆の驚いた声が揃った。それが大きく響いたせいで、柳が顔をしかめる。
「ど、どういうことですか!? 金鵄友愛塾の差し金とかですか!?」
「腹に響くから静かにしてくれ。……俺の右足、感覚がないんだ」
柳がそう言うと、病室がしんと静まり返った。
「失血状態で海中に転落した時に酸欠になった。その副作用じゃないかって言われているが……現職復帰を前提にした回復は絶望的らしい。もっとも、北条の弾丸で右肺を一部傷つけているし、元からの左手の麻痺もある。一階級昇進で2監にしてもらえるそうだ。……すまない。ここでリタイアだ」
柳の言葉におずおずと言葉を上げたのは柳原麻侖機関長だった。
「な、なんとかならないんでい……? 漫画みたいに義足にするとか……」
「脳の機能障害だ。足自体は正常だから、義足にしても動かない」
「それでも、他に手段が……!」
半泣きの知床鈴航海長がそれでも食い下がる。柳は嬉しそうに笑った。
「使えない駒は海上安全整備局には必要ない、それだけだ」
「柳教官は!」
耐え切れずに、明乃が叫んだ。
「柳教官は、使えない駒なんかじゃないです! 柳教官がいてくれたから、晴風に乗っていてくれたから、私たちは、生きのこることができた!」
その目からポロポロと涙が流れ落ちるのを見ながら、柳は笑う。これまでで一番優しい笑みだった。
「ありがとうな。そう言ってもらえて、本当にうれしいよ」
「……これから、どうするんですか?」
ましろがおずおずと切り出すと柳が首を軽く振ってましろと視線を合わせる。
「就活するさ。俺の実家は北北海道島で農家を経営していてな、最悪そこで事務方で転がりこめばいい。電話番ぐらいはできるだろう」
柳の声はどこか晴れ晴れしい。それでも、その目にはどこか反するような大きな感情が宿っているように見えた。
「柳教官、夢は、叶いましたか?」
「夢?」
明乃の声に柳は怪訝な声を出した。
「どうして教官が海上安全整備局に入ったかって前に聞いたじゃないですか」
「あぁ……正義の味方になりたかった、ってやつか」
明乃はそれに頷いて返す。柳は笑った。
「少なくとも、自分が信じた正義には殉じてきたつもりだ」
その言葉を聞いて、明乃はゆっくりと頷いた。ゆっくりと立ちあがり、手に持っていた勲章を椅子に置いた。
「総員傾注!」
明乃が、そう号令をかけた。それを受けて晴風クルーが一斉に踵を鳴らして姿勢を正した。
「柳教官、本当にお世話になりました。あなたがいたから、晴風は無事に母港に戻ることができた」
柳はそれを聞いてそっと目を伏せる。
「美波さん、指し棒を取ってくれ」
美波が柳にサイドテーブルに置いた指し棒を差し出した。それを受けとって柳は口を開く。
「……アンデルセン童話の一つに『人魚姫』というものがある。とても悲しい話だ」
ゆっくりと柳は語り始めた。
「ある日人魚姫は難破した船から人間の王子を助ける。その王子に恋をした人魚姫は、魔女に頼んで歌を謳うための舌と引き換えに人間の脚をもらい、王子のいる陸を目指した。王子との恋を叶えなければ海の泡となって消えてしまう人魚姫だったが、無事に王子のお城に住まうことができた。話せない人魚姫は自分があの時の人魚だと伝えられないまま日々を過ごし、王子は別の娘との結婚を決める」
彼は手の中で指し棒を転がしながら続けた。
「王子と娘との結婚前夜、人魚姫は姉たちが自らの髪と引き換えに持ってきた魔法の短剣を受けとる。それで王子を指し殺せば、人魚姫は人魚として生き永らえることができる。……なのに、人魚姫は王子を刺し殺せなかった。そして夜明け前の海に身を投げ、海の泡となって消えた……絵本とかだとここで終わる」
柳は指し棒を伸ばした。
「実は、人魚姫の物語には続きがある」
柳は笑って皆を見回した。
「泡となって消えた人魚姫は、泡が弾けて空へと浮かぶ。空気の精霊となり、天へと上る。人魚には来世などないと言われていたはずなのに、ないはずの来世で空気の精霊となり、風を吹かせ、その風で子供をあやしてやり、人を笑顔にする役割を得た。そしていつかは人間と同じように、終わることのない永遠の命を得る日が来る。人魚姫の物語はそう語って終わる」
柳は声を少しばかり張った。それでも小さな声だった。
「海に生き、海を守り、海を征く。口で言うだけならば簡単だ。だが、この世界は決してやさしくない。報われるとは限らない。だからこそ、我々がいるのだと、私は思う」
柳はそう言って表情を引き締める。
「我々は安全な海を生み出し、守り、誰も死なずに済む海を目指してきた。我々はたとえ朝日に照らされ泡と消えようと、それを目指して進む人魚だ。それが報われなくとも、それで果てることとなっても、前に進み続けなければならない。皆、その思いを胸に、前に進んできたそうしてこの世界を守ってきたのだろう。そして、君達もその役割を今、担っている。今君達の左胸に光る略綬がその証左だ。そして君達はそれを受くに足る、強い精神と技術を示して見せた」
柳はそう言って指し棒を右手で持ち、手首を捻るようにして自分の眉の位置に当てた。それは、両腕が不自由な時に行う敬礼だった。
「たった、1ヶ月だが、君達と海を往けたこと、心から光栄に思う。今後とも、君達が優秀な海上安全整備局員であることを期待する」
総員、敬礼。赤い夕陽が射していた。
5月10日、RATt連続テロ事件終息から5日。この日をもって第三管区第一特務艦艇群は正式に解散した。これにより、晴風は第三管区海上安全整備本部から国土交通省横須賀女子海洋学校に管理を戻され、乗組員の臨時安全監督官権限も停止されることになる。柳昂三 二等海上安全整備監は同日に任務中の負傷を名目に名誉退官し、海上安全整備局を去った。
――――――2か月後
「岬明乃、入ります」
校長室に入り、敬礼。
「よく来たね、待っていたよ。岬明乃君」
禾生校長はそう言って笑った。言葉は軽いがその裏にはいくつもの意思が渦巻いているのだろう。それでも明乃は気にせずに答える。
「晴風のメンバーは優秀ですので、問題ありません」
「出航前の呼び出してしまって済まなかったね。実は君に一つ確認しておきたいことがある」
「何でしょうか」
落ち着いた雰囲気の部屋の中、禾生校長は目を細めた。
「RATt連続テロ事件は様々な禍根を残した。一大勢力だった『宗谷派』が学生の成績改竄のスキャンダルでバラバラになったことも痛手だったな。今は海上安全整備局内部の引き締めに乗じて、派閥争いが始まっている」
「全部、あなたたちが仕組んだことでしょう?」
「君の言う全部がどの範囲かわからないから回答できない上に答える必要は感じないな。……さて、本題だ。今回の引き締めでかなりの数、上の席が空くだろう。順繰りに上に皆詰めて座ることになるから末端の席が空くことになる。」
「私にそこに就けという事でしょうか?」
「将来的には、だがね。……どうだね、我々が正義ではないというのなら、その正義を内側から変質させてみないかね?」
明乃は禾生校長を見据え、答える。
「……何が守るに値するか、何を正義と信じて行動するか。それは一人ひとりが自分の意思で決めるものです」
そう言って踵を返す。
「私もあなたたちも、本質的には変わらない。正義を叫んで、押し付けて、誰かを犠牲にしてきた。だからこそ今の自分がある。それを私は否定しない。だけど私の独善を、あなたたちの独善を、必ず誰かが糾しに来る」
「ほう」
心底楽しそうな禾生校長の声。明乃は校長室のドアを開け、半身だけ振り返った。
「その時は、私も一緒に地獄の底へ降りてあげますよ」
「つまり今はこちらに来るつもりはないと?」
「まだ私には、ここでできることがありますから」
「なるほど、君が何を成すか楽しみにしているよ、岬明乃君。……武運長久を祈る」
「失礼いたします」
校長室を出て、管理棟の外へ。梅雨の季節の間隙を縫うような晴れ間は既に夏の匂いを潜ませていた。制帽を被り、日差しを避ける。水色の表彰飾緒が右肩に揺れ、海面からの光をちかりと反射させた。目当ての船に近寄る。
艦番号Y467、艦名『晴風』。
ラッタルを駆け上って、門番をしていた砲雷科の日置順子に敬礼。
「お疲れ! みんな大丈夫そう?」
「バッチリです! 艦長だけ乗っちゃえばもう出発できますよ」
「わかった!」
それだけ交わして艦橋へ向かう。
「ごめんみんな! 遅くなった!」
明乃が艦橋に駆け込むとすぐに書記の納紗幸子が駆け寄った。
「
「ありがとう。しろちゃん、艦内レポートを口頭で」
「はい、現在乗員33名、事故員なし、艦長の乗艦をもって全員の乗艦が確認されました。破損報告なし。特記事項として、先のドック入りの際に火器照準系のシステムがアップデートされています。その習熟には時間がかかりますが、それ以外は訓練も滞りなく経過。特に航行科に関しては他の艦と比べても先行するペースで進んでいます」
宗谷ましろ副長の声を聞いて、明乃が頷く。そこには笑みがあった。
「うん。オッケーだね。ココちゃん、はいっ、ロードリスト承認。ラッタルも上げていいよ」
「わかりました」
「しゅうちゃん、まゆちゃん、周囲の安全確認を念にお願い」
「わかりましたー!」
「まっかせてください!」
「機関室マロンちゃん。缶の具合は?」
《いつでもバッチコイでぃ!》
「そのまま待機。すぐに出航になるから」
《合点!》
明乃がテキパキ指示を出しているとふふっと笑った声がした。振り返る。
「ミケちゃん、いきいきしてる」
「2か月ぶりの船だからね。やっぱり楽しみだもん。あ、それと、晴風へようこそ、知名もえか艦隊作戦参謀」
「もう、くすぐったいよその呼び方。船がないから司令部担当をしているだけだしね。いつも通り『もか』でいいよ」
「わかった。もかちゃんもよろしくね! 万が一のときはいろいろお願いするかもだけど」
「任せて!」
もえかの返事に明乃は頷く。その時にゆっくりと艦橋に人が入ってくる。
「どうも、恐縮です! 柳2監の後釜を仰せつかりました、高峰青葉教官です! 以後お見知りおきを」
「晴風航洋艦艦長、岬明乃です」
「噂はかねがね聞いてますよぉ。ぜひ今度お聞かせくださいな」
新しい教官がそう言って笑う。どうやら今回もなんだかキャラの濃い教官らしい。
「高峰教官、これより出航準備にかかりますが、よろしいですか?」
「どうぞー。なんなら一番乗りで宿毛の演習海域に付きたいですしね。実戦経験済ですし、自由にやってもらって大丈夫ですよー。どうしてもってときだけ口出すんで」
「わかりました」
明乃は教官に返し、無線電話を取った。
「達する! 出航配置!」
一気に艦内が騒がしくなる。万里小路のラッパが鳴った。少なくとも4月よりは上手になったが、新教官は苦笑いだ。それ以外は万事順調に進んでいく。そして、もやいも解かれ全ての用意が整った。
「両舷前進微速! 真方位1-5-0! 晴風、出航!」
晴風が再び出航した。それは海を駆け、征く。
晴風――――――晴れた海を渡り吉報を運ぶ風、晴風。
……いかがでしたでしょうか。
これにて本編完結とさせていただきます。本当に長いことありがとうございました。最初は30万字ぐらいで終わるかなーとか思ってたのですが、ふたを開けたら比叡戦と機雷啓開、赤道祭を大胆カットして50万字を越える字数に達しました。ここまでオリジナル要素の強い作品にここまでついてきてくださったこと、心から感謝申し上げます。
最後になりますので徒然と書いてみようと思います。
アニメで描かれた「はいふり」の世界はとても奇妙なバランスを保って存在していたように思います。アニメを拝見した時、私は「はいふり」を「シリアスな要素を大量に含んでいるのにどうして底抜けに明るいんだろう」と言う風に思いながら見ていました。考えてみれば当然で「高校生から見た世界」だからこそ明るかったのだと思います。
日露戦争後の世界大戦が回避された世界、地盤沈下による領土の減少、メタンハイドレート問題等々、大量の要素をばら撒いて、それを足場にするように晴風が駆けていく。
高校生の視点だからこそ見えなかった要素がたくさんきっとあって、それを拾ってみたいと思い、この『プラスワン・アンド・アザー』を執筆しました。
アニメが完結する前から執筆を開始していることもあるのですが、ストーリーも見切り発車でした。懺悔いたしますと金鵄友愛塾と北条さんすら投稿開始時には存在していません。その状況でうまくまとまったのは、ミケちゃんたちがぐいぐい引っ張ってくれたことと、皆さまの感想等に支えらえたことによるものだと思っています。
鬼畜ハード展開の連続に作者も毎回血反吐を吐きながら(時々大興奮しながら)文章を紡いでいました。ハイスクール・フリートの二次創作としてはかなり異色とも言える作品になったと思います。それを少しでも面白いと思っていただけたのなら、文字書きとしてこれほどうれしいことはありません。
最後になりますが、この場をお借りして謝辞を。
まずは、執筆に際して御協力を頂いた執筆仲間の皆さん。
Vergil先生(代表策『ハイスクール・フリート-No one knows the cluster amaryllis-』URL: https://novel.syosetu.org/99887/)。
探照灯要員先生(艦隊これくしょん等のジャンルで活躍中)。
プレリュード先生(代表作『はいふりっ! 今日の晴風クッキング!』(URL: https://novel.syosetu.org/111839/)。
ヘル先生(代表作『目一杯の幸せを』URL:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7075569)
アイデアや設定のブラッシュアップはあなた方がいなければできませんでした。ありがとうございます。
感想や評価で、心温まる応援や叱咤激励を頂いた皆様。一つ一つ読ませていただき、糧とさせていただいております。本当にありがとうございます。
そして、ここまで読んでいただいたすべての皆様に、最大級の感謝を。
本当にありがとうございました!
何とかここまでこぎつけた奇跡に感謝しつつ、
皆様の中に少しでも長く記憶に残ってくれることを作者のわがままとして願いながら、
このあたりで一度筆をおかせていただきます。
なお、しばらく「はいふり」小説の筆は置きますが、実は第二部のストーリー展開や設定ができつつあります(カリブ海で違法武装勢力退治になりそうな予感……)。機会を見て投稿するかもしれません。それに、赤道祭等のやり損ねたイベントやりたいですし……。柳さんの実家で農作業するみなみさんとか、『突撃!となりの宗谷家』なミケちゃんとかネタはたんまりありますので……。
なので、『さよなら』ではなく『次の機会に』ということで、何時ものように示させていただきます。本当にありがとうございました。
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。
2017年2月16日 キュムラス