ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
「……なるほど、面白い。行動を認めない、か」
「答えを聞いてしまったようなものだが、私がここにきた三つ目の目的について話しておこう。――――岬明乃君、君はこの世界が正しいと思うかね。本当にこの世界に生きる人々は幸せだと思うかね?」
「……何を幸せだと考えるかだと思います」
明乃はそう答える。舷側の小さな窓から差し込む陽の光が陰る。
「なるほど、聞き方が悪かったかな。君の価値観において、この世界は幸せだと思うかね」
禾生の声は余裕が滲む明るいトーン。その雰囲気に呑まれそうになる。
「全部が全部、幸せではないと思います。幸せな人もいるし、不幸せだと思っている人もいる。幸せな人だって幸せじゃないときもあるはずです。それを平らにならしてしまって、幸せか幸せじゃないかなんて考えることは、しちゃいけないと思います」
それでも、言葉を紡いでいく明乃。ここで黙ることは恐らく許されまい。
「幸せか不幸せかを論じることが間違っている、と?」
「いいえ。そうではなくて『あなたは幸せです』とか『幸せじゃなきゃいけない』とか、押し付けるのが間違ってるんです。平和は守らなきゃいけない。戦いはないほうがいい。それはきっと幸せにつながることだと思います。でもそれはきっと
明乃はそう言って、禾生の紫がちな瞳をじっと見据えた。
「結果は手段を正当化しちゃいけないはずです。ヘファイストス計画で世界は平和になるかもしれない。その可能性は認めますし、きっと素晴らしいことだと思います。だけど、そのために誰かを傷つけて、戦争みたいになるようなら、そこで傷つく人がいるようなら、私はそれに違うって言い続けます。そこで傷ついた人が生きていたいと願うなら、幸せでいたいと願うなら、私はその人を救い続けます」
明乃はそう言ってから立ち上がる。
「私はそうやって救われてきた。私はそうやって生きてきた。私は何人もの死体の上に、傷ついた人の上に立っています。沢山の人が私を守って、傷ついて、死んでしまって、今でも苦しんでいる人がいる。それでも私がここにいられるのはその人たちがいたからです」
「同じように君も、誰かを守って果てるのも本望だと?」
「それしか手がないなら、いくらでも」
即答する。そこに迷いはなかった。それだけは否定させてたまるか。
父親を、母親を、教官を、彼らが命がけで守ってくれた私を否定させてなるものか。
「無意味だとは言わせない。無駄な頑張りだとは言わせない。私一人じゃ何も変えられないかもしれない、それでも、誰かがそれを成さねば誰かが傷ついてしまうなら、私はそれを成す」
禾生はそれを聞いて僅かに溜息をついた。
「こちら側に来る気は、ないかね?」
「冗談でしょう?」
明乃は笑って即答。きっと、部下やクラスメイトには見せられないような笑い方になっているのだろうと、どこかぼんやりと考える。
「アンデスの神話に『ハチドリの一滴』というのがあるのを知っているかね」
明乃は黙る。禾生も答えを求めていないらしく、すぐに口を開いた。
「森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと
逃げて
いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
『そんなことをして
いったい何になるんだ』
といって笑います
クリキンディは
こう答えました
『私は、わたしにできることをしているだけ』」
朗々と諳んじられたのは17行の詩。禾生が笑う。
「私はこの詩が死ぬほど嫌いでね、嫌いだからこそ自らへの戒めとしてこの詩をいつも口ずさんでいる」
そう言って彼女は胸元に手を差し入れ、何かを取り出そうとしたらしかった。真冬がそれを許さず、拳銃を向け直した。それを見て禾生は苦笑いを浮かべた。
「君はクリキンディだ。山火事に向かって、正義の雫を一滴ずつ滴下するハチドリだ。それは尊いことだろう。その勇敢さと英雄性は評価するが、クリキンディがするべきことは違ったはずだ」
「クリキンディがやるべきこととは?」
「仲間を呼ぶことだ。クリキンディを笑う動物たちに消火法を教え、動物たちを率いて山火事を抑え込むことだ。嘴の一滴だけで火を消し止められないのは明らかである以上、消火できるに足る状況を整え、それに立ち向かうべきだった」
そう言って禾生は皮肉な笑みを深めた。
「その余裕がないと突き進んだ勇猛果敢なクリキンディは、このソネットが謳われた後、哀れにも炎に巻かれ焼け死んだだろう。そして英雄として祭り上げられ、崇拝の対象になっただろう。もしクリキンディが人間で今の社会に生きていたとしたら、大統領か誰かが哀悼の意をささげ、半旗が街に翻り、たくさんの勲章と、死を悼む手紙と共に葬られるだろう。……だが、それだけだ」
そう言って明乃を睨むようにして禾生が声のトーンを落とした。
「根本的な事態への対処と再発防止、その観点を失ったまま死に物狂いで火を防ぐより、より効果的なものがある。そして同時に山火事が絶対悪かどうか否かを問うていない時点でこの物語は正当性を欠いている。焼畑農業を考えれば、この山火事が土地を肥沃にし、長期的視点で見れば種の繁栄につながる可能性もある。それらについて考察すら加えず、ただ目の前のモノに拘泥する様は滑稽だとは思わないかね」
明乃を挑発するようにそう言って、禾生は立ち上がる。
「岬君、君には
明乃の方に向けて歩き出す。真冬がその間に割り込もうとしたのを、明乃が目で止めた。明乃の目の前で、禾生が足を止める。
「私は人魚ですよ、校長先生。空を飛ぶことはできませんから。それに私はあなたたちとは違う」
「我々と違う? 大変結構。我々の正義が君の正義と異なるならば、君は我々の正義に干渉し、それを変えることができる。外側からでも、内側からでもね。君には我々の
明乃を見下ろし、禾生がそういう。明乃は見上げるようにしながら、その目を睨み返した。
「そう言って、手駒として私が欲しいだけでしょう?」
「手段は違うが、我々の目的は合致している。平和の実現だ。その平和へのアプローチは異なるがね。アプローチの違いは些細な違いだ。互いに協力できると思っているよ」
そう言って笑ってから禾生は明乃に背を向けた。部屋の出口に向けて足を向ける。
「君は君の正義を貫きたまえ。それが君のためになり、我々のためになる。君のその精神が、我々金鵄友愛塾を存続させ続ける。日本という国に君たちが正義をもたらさんことを、心の底から願っているよ。そして、我々を本当に許せないと思うのならば、もしくは我々の正しさに気が付いたのならば、いつでも私の所に来たまえ。いつでも扉は開けておこう」
そう言い残して禾生は部屋を出ていった。明乃は敬礼もせず、ただ立って見送った。
「……ミケ艦長」
「大丈夫ですよ。これでいいんです」
なにか言いたげな真冬の言葉を押しとどめさせ、明乃は笑う。
「……私たちは金鵄友愛塾を追い詰めて、武蔵を救う。金鵄友愛塾は私たちを利用する。しばらくはそれで大丈夫なはずです……武蔵を救うまで、手のひらの上で踊っていれば一番効率が良さそうです」
「向こうの思う壷だぞ」
「ほかに方法がありますか?」
明乃の声に真冬は異を唱えられない。真冬は溜息をつく
「……ミケ艦長、あんた本当に高校生か?」
「高校生で人魚です」
そう言って笑う明乃。
「真冬さん。艦隊機能の回復状況を教えていただけますか?」
「……弁天は装甲の補修を完了してすでに展開可能な状況になった。晴風も武装のアップデートと補修を完了。船型の歪みから最高速度は30ノットに制限されるが……航行可能だろう」
「艦隊への今後の指示は?」
「第一特務艦艇群は一度補修のために横須賀へ回航するように指示が出ている。フィリピン海のどこかに武蔵が潜伏していることを想定している以上、後方配置とみるべきだが……」
「回航するために武装を強化するとは考え難い。このタイミングで拳銃弾を渡してきたってことは、金鵄友愛塾側は武蔵と晴風が接触させることを考えている。ですね?」
「あぁ」
真冬の同意に、彼女が何を考えているのか、ここまでくれば予想がついた。
「武蔵が突っ込もうとしているのは十中八九――――東京湾海上都市。日本の首都吶喊を計画しているとみていいだろう」
真冬の指摘に明乃が頷いた。
「整備局本局と
「進言を受諾した。艦艇群司令として正式に通告を入れる」
「お願いします。……晴風はこれより、出港用意にかかります。まだ私たちは、負けるわけにはいかないんです」
真冬はそれを聞いて、どこか複雑そうな表情で肩を竦めた。
「わかってるさ。弁天・晴風双方の出港用意が整い次第抜錨し、最短経路で横須賀を目指す。……勝つぞ、ミケ艦長。こんなクソッタレな状況はあたしらでこじ開ける」
「はい」
明乃、敬礼。
†
「これ以上会話を交わしても無駄でしょう。私はあなたたちの仲間となることはない。そしてあなたたちが言わずとも、私は私の意志に則って、武蔵を止める」
真雪はそう言って大山の方を見た。
「小娘、最後に一つ聞かせてくれんか」
「なにをです?」
「儂の正義を否定して、貴様は何を成す?」
その問を真冬は鼻で笑った。
「わが校の生徒を守るんですよ。未来を守るんですよ。正義のために誰かを切り捨てる世界は、いつか自らも切り捨てられる自滅の道です。私は強欲なんで、自分や仲間や生徒のいない平和な世界ではなく、我々全員が生き延びた平和な世界を成し遂げたい。そのために、切り捨てるのも切り捨てられるのもまっぴら御免なんですよ」
「その強欲はいつか身を亡ぼすぞ」
「えぇ、存じておりますとも。それでもなお、私はその可能性を信じている。平和のために誰かを諦めなければならないような世界などない。それは永遠に現れることのない桃源郷だとしても、それでも私たちは嵐の海を越え、払暁の時を迎えんと泳ぎ続ける。それがどれだけ無様でも私たちはその可能性をあきらめない」
大山はそれを聞いてため息をついた。
「……そうか。ではその夢想を抱いて溺死するがいい、人魚よ。可能性のない夢は希望になり得ない。ただ空虚な期待とその後に必ず来る絶望に押しつぶされるのみだ。その空虚な期待がいつまで保っていられるか、楽しみにしておこう」
「それはこちらの科白です」
そう言いきって真雪は背を向け、ドアを開けた。
「では、ごきげんよう」
そう言って部屋の外に出る。ドアを閉めた直後溜息。
「それで、呼び出しておいて面会が終わったとたん拳銃を突きつけるのは無礼にもほどがあるんじゃないかしら」
ドアの横の警邏が拳銃を突きつけてきたのを見て、横目で睨みつつ、真雪は両手をゆっくりと顔の横まで上げた。
「SIG SAUER P230JP自動拳銃……そういえば極左暴力集団からの襲撃がある可能性があるとして、大山敢議員には警視庁警備課に要請出動警備がついていたわね。もっとも、自宅の中まで上がりこんで警備しているとは初耳だけれど」
「大山さんを侮辱したな」
直後に飛んできたドスの効いたバリトンに真雪は眉を顰める。
「……その行為が当の大山議員を貶める可能性があることを知りなさい」
直後に銃声一発。血しぶきが壁に散る。真雪の顔の右半分が血で染まる。響く悲鳴。
その悲鳴を掻き分けるようにして男たちがわらわらと出てくる。それを見て真雪はにっこりと笑って見せた。
「万が一の時は踏み込んでくれると思ってましたからね。お勤めご苦労様です」
男たちが警邏に銃を突きつけながら接近していく。警邏は腕に残った弾痕を押さえながらそれを睨む。
「では、改めてごきげんよう。金鵄友愛塾さん」
真雪がそう言って立派な廊下を1人で歩いていく。その廊下の向こうから杖をついて歩く老紳士がやってくる。
「無茶をするなと言ったんだが、貴様はいつまでお転婆娘のつもりだ、人魚」
「こうなることを望んで野放しにしておいて、何をおっしゃいますか、チヨダさん」
老紳士はいつも通り鼻を鳴らす。渡されたハンカチに怪訝に思っていると老紳士が溜息をついた。
「返り血。そのまま外に出たら貴様が逮捕されるぞ」
「それはどうも……部下の方にももう少し配慮するようにおっしゃっていただけると助かるのですが」
「ほざけ、仏になっていないだけ感謝するんだな」
真っ赤になったハンカチを奪うようにして老紳士がそういう。その仕草に真雪は笑みを浮かべた。
「それにしても、直接足を運ばれるとは驚きましたよ。チヨダさん」
「貴様が勝手に飛び込むからだろうが馬鹿者。そこの警護官を殺人未遂で現行犯逮捕だ。本当ならば鏑木理彦惨殺事件の教唆容疑で大山議員の逮捕許諾決議に向けた根回しをしていたんだが、貴様のせいで全ておじゃんだ」
「あら、それは失礼しちゃったかしら?」
そう言って真雪は二つ折りの携帯を胸ポケットから取り出して、老紳士に渡した。老紳士はそれを片手で開くと通話ボタンを押して繋がっていた電話を切った。
「お返ししましたからね。……これで証拠になりますか?」
「証明力不足だろうがな。やれやれだ。
老紳士はそう言って横を過ぎようとゆっくりと歩き出す。
「次に会う時は裁判所だな。貴様が被告ではなく参考人として表れてくれることを切に願うぞ」
「えぇ、その時はよろしくお願いします」
すれ違ってから真雪は一瞬振り返った。
「そう言えば、あなたのお名前をお伺いしたことがなかったわね」
「チヨダはチヨダだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……そうですか、わかりました。ありがとうございました、チヨダさん」
「迎えの車が表にいる。拒否せずに乗りたまえ」
老紳士が廊下の角を抜けるのを見送って玄関に回り、外に出た。和風の前庭を抜ける飛び石を渡れば、門の外で黒塗りの公用車が待っていた。そのドアに寄り掛かるようにして腕を組んで立っている女性を見て、真雪は笑みを深めた。
「それで、家出にしてはかなり長期間かつドラマティックに動き回ったみたいだけど、これで満足した? 母さん」
「真霜……」
情報調査隊のトップを務める宗谷真霜一等観察監が制服姿で立っていた。
「乗ってください、宗谷真雪予備監、あなたにはまだ働いてもらいます」
「……貴女の下で働けるなら喜んで」
公用車の後部座席に取り込むと、その横に真霜が乗り込んでくる。
「出してください」
「はい」
運転手の声は男性。おそらく行先は海上安全整備局本局が立地する霞が関中央合同庁舎三号館だ。
「……継続的にチヨダが接触してきたのは、貴女のおかげかしらね、真霜」
「『私に監視をつけろ』って言ったのは母さんですよ」
そう言って真霜は大きな書類封筒を差し出した。
「辞令です、宗谷真雪予備海上安全整備監。あなたを一等海上安全整備監として臨時招集します。武蔵迎撃のためにあなたの力が必要です」
真雪は手に血がついてないことを確認してそれを受けとり、開く。電子ペーパーを起動し、浮かび上がった文字列を一瞥し、真雪は戻す。
「確かに確認しました。武蔵の
「えぇ、武蔵が向かう先は、十中八九東京湾海上都市です。我々は関東都市域を守らねばなりません」
それに僅かに眉を顰める真雪。
「こちらの体制は?」
「呉から福内が乗務する『御蔵』を旗艦に『三宅』『神津』『八丈』で
「最悪TU-01のみで迎撃になる可能性があるわけね」
改インディペンデンス級4隻で止める必要が出てくることも想定せねばならないというのはかなり骨が折れそうだった。
「最悪の場合、ですが。ただ、晴風が横須賀に戻るタイミングに合わせてくる可能性が高いと考えられます」
「その根拠は?」
「晴風に金鵄友愛塾が接触、岬明乃1士をリクルーティングしようとしたようです。その時の発言からです。信憑性は高いかと」
「……わかりました。それで、私は何を?」
真霜が頷く。
「武蔵迎撃作戦
車は滑らかに動いていき、一路霞が関を目指す。
†
「わたしは望まない
分断された祖国も 七つのナイフでめった突きにされた祖国も」
そう諳んじて、北条は舵輪を回した。武蔵はそれに従順に従い、外洋へとゆっくりと進んでいく。
「あたらしく建てられた家のうえに
この国の光が 高くかがやいてほしい」
星明りの下で、武蔵は悠々と海を進む。灯りを全て落として、真っ暗になった船は低いエンジンの唸りと白い波を後に残して進んでいく。
「わたしのふるさとの地に みんな入りきれるのだから」
北条は星明りの下で微笑んだ。あとは最後の仕上げをするだけだ。
時は満ちたのだ。
「さぁ、いこうか。わが愛する祖国に栄光があらんことを。我が正義に栄光があらんことを」
武蔵は征く。正義と狂気を乗せたまま。
……いかがでしたでしょうか?
やっと登場真霜さん。事態の解決のためにずーっと走り回ってた人なんですが完全に表に出てこなかった不運な人なんですが、やっとここで合流です。これで必要な人員は揃いましたかね……。
ちなみに最後の北条女史の引用はチリの詩人パブロ・ネルーダの詩集より『わたしはここにとどまる』より冒頭でした。ネルーダの詩はチェ・ゲバラがよく引用したことで有名ですが。これを引いてきた北条女史の心象はいかに……。
次回からいよいよ最終決戦であるヘーラーの栄光作戦へと話が収束していきます(……はずです。はい)
彼女たちの今回の航海の果てが見えてきました。どうぞ今しばらくお付き合いくださいませ。
――――
次回 暁が照らした 昨日と今日の境界にありて
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。