ハイスクール・フリート・プラスワン・アンド・アザー   作:オーバードライヴ/ドクタークレフ

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正義の定義とそのありか

「この世界で独立した国というのがどれだけあるか、岬君は考えてみたことがあるかな」

 

 そう言った禾生(かせい)翠巒(すいらん)は宗谷真冬が向ける銃口を無視して口を開いた。

 

「ゲオルグ・イェリネックの『一般国家学(Allgemeine Staatslehre)』で唱えられた国家の三要素によれば、国家は『領域』『人民』『権力』の三つを不足なく満たす場合のみ、国家と承認される。現在でも有効な判断基準であり、これを満たしているか満たしていないかで、国家が国家として成立しているかが判断される」

 

 禾生の声に明乃はなにも言わずその顔をじっと見ていた。

 

「『領域』とは『主権が及ぶ範囲』であり、『人民』とは『領域に暮らす政治的権力を持たない民』を指す。即ち原義を顧みれば、人が既に住む地域において、国家の三要素は等価ではない。人民は領域に規定され、領域は主権に規定される。ここでいう主権は、統治権のことだ」

 

 そう言って禾生は笑って見せた。

 

「立法・司法・行政により統治体制を構築し、行政の傘下に置かれる警察や軍隊が国家権力を行使し、人民を国民に変え、その主権を保障する。それが日本をはじめとする近代国家のあり方だ」

「歴史の受業を聞きたいわけじゃねぇんだ。今度はマキアヴェッリでも引用する気か?」

 

 真冬が舌打ちと共にそう言えば、禾生は笑みを深める。

 

「『君主論(Il Principe)』だな。君主にとって軍備と法は必須である……理に適っている。話の腰を折るのはいただけないが、頭がいいことはだけでも美徳だ」

「そりゃどうも、テメェに褒められてもうれしくないがね」

「残念だが、残念がっていても仕方ないな。話を戻すとしよう。宗谷君がいい例を引いてくれて話が早くなった。国家が国家足りえるために真っ先に必要になるのは領域の内外問わず排他的に行使可能な権力だ。これを保有して初めて、領域を確保し、人民を保護することが可能になる。その最前線の駒として存在するのが治安維持組織だ。いわゆる軍隊や、警察、海上安全整備局もその治安維持の一角を担っている」

 

 目を細めた禾生はそこで一瞬間を置いた。

 

「ここまでが前提条件だ。話を本題に移そう。日本という国は国際的に認知された国家とされている。日本国籍を持つ国民は1億3,000万人、沈みかけているとはいえ日本固有の領土はある。メガフロートは船舶扱いだから領土とは言えないが、地上の領土は未だ残っている。政府と治安維持組織を持っていることもあり、国際社会から承認を得ていると言っていいだろう。先の国家の三要素を満たしているということができる。……だがそれは、権力の脆弱性に目を瞑れば、と言う話だ」

 

 その言葉に真冬が眉を顰めた。

 

「主権の脆弱性?」

「日本は未だ第二次アジア海上危機の『戦後』の中にいる。西欧列強支配下に置かれていた東南アジアの平和を乱したペナルティとしての国軍解体、樺太・台湾・朝鮮を中心にした海外領土の独立承認。未だに日本はその傷を引きずり、脱却できずにいる」

 

 そう言うと禾生は僅かに真冬の方を見た。

 

「宗谷君は知っているだろう。なぜ、国軍が解体されたにも関わらず、海上安全整備局が世界有数の戦力を誇る『軍艦』を『警備艇』として維持できたのか」

共産主義封じ込め政策(コンティメント・ポリシー)……」

「その通り。ソビエト連邦を中心とした共産主義を抑え込むために各国は協力しようとしたときの政策だ。もう撤回されたことになっているが、国際協調の定礎ともなった政策だ。不仲のイギリスとフランスすら手を組んだ」

 

 明乃もこの辺りは歴史の受業で少しばかりやったことがあって単語ぐらいは思いだせた。だがそれ以上の知識もどう現状に関係するかもわからなかった。

 

「これに同調せざるをえなくなった日本は極東の防波堤としての役割を押し付けられた。わかるだろう? 日本国は強大な力を有していながらも、西洋列強の使い捨ての駒として一方的に搾取され続けた。イギリスやドイツ、オランダにフランス。果てはアメリカにすら逆らえないまま」

 

 その声は至極楽しそうだ。真冬は不快感を隠そうともしない。

 

「イェリネックによれば『権力』はその国がその国の都合で行使できる独立性と排他性を持たなければならない。そして日本はその権力を持ち得なかった。領域を規定し、そこに住まう民を保護するための力を他国に牛耳られている今の日本は独立国家とは到底呼べまい」

 

 そう言いきって禾生は一度目を閉じ、そのまま言葉を継いだ。

 

「我々金鵄友愛塾は、正当な独立国たる日本の再構築を、世界各国への技術支援や雇用の創出を主軸とした国際貢献を通じて実現するため、活動を行っている」

「それが、テロリズムだという気か?」

「宗谷君、君はもう少し人の話を聞くことを覚えるべきだな。決めつけが過ぎるぞ」

 

 禾生の声が真冬の神経を逆なでする。真冬は舌打ち。

 

「そのメインプランとして計画し、現在実施しているのが、ヘファイストス計画だ。宇宙太陽光発電の実用化による世界規模の送電ネットワークを構築する。これを実用化し、10年後までに国内のフロート都市の予備発電を除いた全電力、世界中で使用されている工業用電力の75パーセントをこれに代替することを目標としている」

 

 明乃はそれを聞いて新橋商店街の時の北条の言葉を思い出していた。

 

「私の父さんは……」

「岬博士は計画実現のために不可欠な無線送電の高効率化、そのための光学レクテナ開発の権威だった。……我々に協力してはくれなかったがね。それでも彼の功績は我々の為となった。そしてそれは今後の日本を救い、世界を変えていく」

 

 そう言って禾生は指を顔の前で組んだ。

 

「都市部が海上フロートに集中するわが国に置いて電力エネルギーの無線化は急務だ。フロートに積載できる燃料が少なく、都市の機能維持を電力に依存せざるを得ない状況で宇宙太陽光発電はその切り札だ。わが国だけではない。このシステムは、受光施設を設置できるスペースさえあれば、いかなる場所でも十分な電力を供給することが可能だ。これにより、これまで見放されていた場所でも電灯が灯り、工場を設置できるようになるだろう。そして、そこに雇用を生み出すことになるだろう」

「外国に喧嘩を売りに行くようなものじゃねぇか」

 

 真冬が吐き捨てるようにそういう。電力会社はほとんどの国で国営に近い形で運営されている。そこに日本が殴り込みをかけるということは到底どこの国も許容できないだろう。

 

 暗にそう言いながら真冬が禾生を睨むが、禾生は涼しい顔だ。

 

「当然、このシステムを日本という一国のみで扱うことは間違っている。従って、正規運用が開始される前に国際組織を設立させる。電力や化石エネルギーの適正利用のためのエネルギー国際管理委員会の設置だ。宇宙太陽光発電衛星も、受光設備も、その管理下におかれ、適切に管理され、エネルギー問題に端を発する争いに終止符を打つ」

「戦争の根絶か、感動的で涙が出るね」

 

 馬鹿にしたような真冬の返し、禾生は楽しそうだ。

 

「そうだろう? 国家としての成り立ちに必要なのは権力とその国際的な承認だが、国家を維持させるために必要なのはエネルギーと雇用、そして、行き過ぎた格差の是正だ。競争社会の中で格差が生じるのは自明であり、そういうものとして認めるべきだが、セーフティーネット機能としての弱者救済は必須だ。即ち、生活のボトムアップ機能の充実化、要は公共インフラの整備と、それに係る雇用の創出であると我々は考える。これを宇宙太陽光発電で一挙に行う。社会の不満を戦争等で発散する必要がなくなるわけだからね」

「そんなうまく、いくんですか?」

 

 明乃呟くような声。

 

「もちろん、この通りにはいかないだろう。だからこそ、君たちが必要な訳だ」

 

 そう言って禾生は一度軽く腰を持ち上げ何かをケースごとテーブルに置いた。それを見て威嚇するように拳銃を鳴らす真冬。

 

「……何をする気だ?」

「安心したまえ、こんなところでドンパチをする気はない。私がガンアクションをするように見えるかね?」

 

 ポケットに収めるには多少大きいケースを開く禾生。中に入っていたのは弾丸、薬莢は緑色に塗装されており、それが特殊な何かであることがわかる。

 

「これだけで戦争が終わるならば、第二次アジア海上危機は起こらなかったはずだ。近江商人の三方よしではないがね、その状況に到達するまでには暴力沙汰になることもあるだろう。それを抑止し、発生してしまった時にそれを速やかに鎮圧せねばならない。だからこそ我々は武力を保持し続けなければならない。法治国家であっても、武力の保持と適切な使用は必要だ。法だけで人は守れない、この鉛玉が守る社会が今の社会だ」

 

 ケースの蓋を閉め、それを明乃の方に滑らせる。

 

「拳銃弾しか用意できなかったがね、持っていきたまえ。武蔵に持ち込まれたと思われるウィルスの特効薬が入ったアンプルだ。鏑木製薬への立ち入り捜査で押収したアンプルが詰めてある」

 

 嘘だと明乃は直感的に判断した。立ち入り捜査からのタイムラグが無さすぎる。事前に用意していなければこんな芸当ができるはずがないのだ。明乃は僅かに息を吐いて、懐中時計を取り出す。

 

「お芝居は止めませんか、校長先生」

 

 明乃はそう言う。禾生の片眉がピクリと上下した。

 

「晴風にこれを渡してくるということはまだ晴風を任務から外すつもりはない、そして、校長先生は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私を、武蔵から逃がしたくないだけですよね。だから、国家のあり方とか、社会について話した。私を、理屈で晴風に縛り付けるために」

 

 そう言って明乃はケースを自分の方に引き寄せる。

 

「校長先生たちが何を考えていても、第一特務艦艇群の任務は『武蔵の鎮圧と乗員の保護』であることには変わりない。だったら、私はそれから逃げない。晴風の任務は私の任務です」

 

 明乃はケースをテーブルから持ち上げ、ましろが座っていた座席の空白にそれを引き上げた。

 

「こちらはお預かりします。事態収束への御協力、感謝します」

「物分かりが良くて助かるよ。さすが、柳昂三仕込みということころかな」

 

 柳の名前が出て、刹那の間だけ明乃の瞳が揺れた。それを抑え込み、明乃が口を改めて開く。

 

「一つ、質問いいですか」

「なにかね?」

「アルジャーノン・ウィルスって、いったい何だったんですか?」

 

 それを聞いて口の端を吊り上げる禾生。

 

「本当ならばこんなところで使われるはずがなかった代物だ。()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()。テロの根源にしかならないものを日本が使うわけにはいかないからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「アルジャーノン・ウィルスは元々、米国に対して提供するために開発しておったものだ」

「アメリカに……?」

 

 予想外のことが出てきて、真雪は思わず面食らったような反応をしてしまう。その表情を見てどこか不機嫌そうに大山は鼻を鳴らした。

 

「アメリカとは一つの契約を交わしておる。『人員の戦術パッケージ化が可能な教育システムの開発。それの提供をする代わりに、日本に最新鋭の駆逐艦を低価格で供与する』……表沙汰にしてはおらんが」

「改インディペンデンス級の低価格購入……次期航洋艦導入に関する予算審議の議題はそれね」

「誰かがその速記版を持ちだしたと聞いておったが、君か、小娘」

「えぇ……だとすれば、西ノ島新島沖で沈んだ実験潜水艦はその薬剤の輸出用だったのかしらね。そして、それを絶対に引き上げられないであろう、深海に沈めた。それが再浮上することになるなんて予想もつかないまま、違うかしら?」

 

 そう言って微笑んで見せる。鼻を鳴らす大山。

 

「密約である以上、向こうも表沙汰にはできない上に()()は不可抗力だ。もっとも別の形で補填はしたがね」

「立派な悪人ですね」

「賢者100人より馬鹿1人の方がよっぽど働き者であろう。賢者が国を守れるならば、古代ギリシアの時代にすでに太平を成しておる」

 

 そう言って見せた大山は不機嫌そうなまま真雪を睨む。

 

「アメリカは同志だ。英国という大国からの独立を成し遂げ、植民地支配から脱した。多民族国家として、全ての民族に平等な権利を与え、州ごとの強い自治を認めた。……これからの統治の一つの礎を築いたと言っても過言ではなかろう」

 

 そう言って彼はベッドサイドのナイトテーブルから煙草のセットをトレーごと取り上げた。

 

「我々はその礎の上に安寧を築く。世界の安寧を築かねばならない。圧制に苦しむ東南アジアの解放、帝国主義の終焉を、我々の手で成し遂げなければならない。予想外ではあったが、アドミラル・グラーフ・シュペーはその起爆剤となってくれた。アメリカとフランスにも漁夫の利を与えることができ、イギリスへの義理も果たした」

 

 銀の雁首に刻んだ煙草の葉を丸めて詰める大山。その顔はどこか満足そうだ。

 

「アメリカは中立を貫くハワイ王国からフィリピンやその向こう仏領ベトナムへの最短航路の確保が至上命題でのう、フィリピン東側の制海権が欲しかった。あそこでごたついてくれればそれを名目に商船に護衛を付けて航行できる。大きい成果だ。英国側のパプア公国にとってもオランダとドイツの不仲はプラスにはなってもマイナスにはならん。教主国も警察を増員する口実を提供することになった」

「……完全にマッチポンプ状態だったわけね。おかげで今ニューギニア島の北側は蘭独英仏米の五か国がにらみ合う鉄火場になっている。……そこで日本は軍事衝突を防いだ晴風の功績を手土産に交渉テーブルをセッティングして、全てをかすめ取ろうという魂胆かしら?」

 

 使い込まれた煙管の管は深い飴色に変色している。真雪の挑発ともとれる発言に、煙管を左手に持ち変えながら大山が視線を上げる。

 

「海上治安維持組織を自称するブルーマーメイドの面目躍如の場だろう? 中立たる日本がやらないでどこの誰がやる」

「アルジャーノン・ウィルスの流出で化けの皮が剥がれた日本に本当にできるのかしら?」

「テロリストのやった意見を真に受けられても困る上、疑おうと思えばいくらでも疑える。疑心暗鬼は政に必須。しかし、信頼無くして和平もない。金鵄友愛塾の塾生の暴走を止められなかった儂の責任を事態の沈静化をもって果たす。筋は違えていないはずだ」

「……あなたたちは、そのためにどれだけの人間を犠牲にするつもり?」

 

 強く握り締めていた手を、真雪は解く。感情的になれば、負ける。

 

「では小娘、これまでに死んでいった者達の墓前に貴様は何を手向ける?」

 

 即座に返ってきた答えの裏に静かな怒りが混じる。決して荒げることのない怒り、空恐ろしいまでに抑制された怒りが滲む。

 

「儂は第二次アジア海上危機の時は陸軍の一兵卒として参加しておった。大規模戦闘は発生しなかった、結構。睨み合いだけで終わった、大いに結構。大国同士の戦争は回避された、大変結構だとも……しかしな、小娘。あの時隣にいた友は、二度と帰ってこなかったぞ。共産主義封じ込め政策に則った治安維持活動中に軍隊に襲われて、シベリアの極寒の地から二度と、帰ってこなかった。友の部下はそこで凍死した。わが国に武器があれば、軍があれば死なずに済んだ命が何十万の屍となってこの世界に転がっている。我々が守るべき命、守らねばならなかった命の抜け殻の上に、血の海の上に我々の今がある」

 

 大山はそう言ってマッチを擦り、煙管に火を入れた。

 

「……そんな簡単なことすら忘れたか、人魚。いいや、忘れてはいまい。見ないようにしているだけだろう? 海外派遣の先陣を切り続けたのは蒼き人魚、貴様らであろう。そして、貴様らは万をも超える負傷者、戦死者を出しながらそれを是として戦い続けた。『人魚姫』よろしく、哀歌を謳う舌を失い、ただ黙してそれに耐えてきた。そして、忘れた。貴様らは人であることを忘れた」

 

 煙草の煙がゆるゆると漂う。喉が痛くなるような、ストレートな苦い煙が天井で堰き止められ、横に広がった。

 

「人を救えるのは人だ。それ以下でもそれ以上でもない。神は人を作ったというが、手出しなどせん。悪魔も化け物もまた然り。化け物も目の前の命を(いたずら)に守ることはできるかもしれないが、守れはしても救えない。状況を覆し、根底にある聞きから救えるのは人のみだ。人であることを捨て、愛国だの救国だの危険に飛び込むことを是とするだけの人ならざるもの(にんぎょ)には、守れはしても救えない」

「救うために、あなたはテロを起こすと? 救うために、守るべき民に砲を向けるのが、人としての救い方だというのですか?」

 

 切り返せば、大山はやはり不機嫌そうに、また同時に馬鹿にしたように口の端を持ち上げた。

 

「貴様は何を言っているのかね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「ヘスペリデス計画、あなたが知らないとは言わせない」

「はて……そんな計画、あったかな?」

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「私はヘスペリデス計画なんて計画聞いたことがないんだがね、そうか……北条が()()()何かを進めていると思ったら、そんなことだったのか」

 

 禾生はわざとらしくそういう。真冬は舌打ちをした。

 

「いけしゃあしゃあと何を言うやら。北条容疑者の宣言は……」

「それが彼女の妄想である可能性を、君たちは考慮しないのかね?」

 

 禾生が背もたれに体重を預ける、ギシリと抗議するように椅子が啼いた。

 

「我々でも北条の取り扱いには苦慮していてね、塾生候補の勧誘(リクルーティング)を彼女に任せていたのだが、こんなことになるならば、もっと早く除名をしておくんだった。おかげで私もこうして海洋学校に派遣されることになってしまった訳だ」

 

 その笑みは軽薄で、真実を語っていないことをありありとにおわせた。だがそれを指摘しても白を切るだろうことは明白だった。

 

「金鵄友愛塾はすでに北条沙苗容疑者を除名処分としている。勿論、警察や安全監督隊の捜査には全面的に協力させていただく。これは大山塾長たっての希望であり、塾生全員に取り調べ等についてはしっかり協力するように通達をだしてある」

「ふざけるなっ!」

 

 真冬が吠えると、禾生は驚いたような演技をして見せた。

 

「ヘスペリデス計画なんて大それたものが個人で起こせるはずがねぇ! アルジャーノン・ウィルスを持ち出して、武蔵を乗っ取って、監視網をかいくぐって1ヶ月も見つからないなんてことが個人でできるなんて本気で思ってんのか!?」

「それは捕まえてから話を聞けばいいだけだろう? それを私に吠えてなんになるのかね?」

「こっちの要求は単純だ。塾生の通話記録の任意提出を要求する」

「よかろう。私から塾生に提出をさせよう。主要なメンバー、ヘファイストス計画の実施委員会メンバーのものは全員公開することを確約させていただくよ。あとはあるかね?」

 

 全面的に協力と言うのはあながち嘘ではないらしい。

 

「……よほどうまく隠蔽した自信がある気か」

「喧嘩腰は公務員としてよくないよ宗谷君。人魚の世界では通用しても人の世界では通用しない」

「……くそ」

「君の主観によって放たれた罵倒等なんの意味もないな、他に質問はあるかね?」

 

 相手を糾弾するための決定的な材料を出さないまま話を畳もうとしている。それでも明乃にはそれを止める材料はない。

 

「……だから、私達に武蔵を撃てということですか?」

「武蔵の艦長、知名もえか君と君が懇意であることは知っている。撃ちたくないという心情は十分に理解できる。本当ならば君を前線に出すことは好ましくない」

 

 だが、と禾生は続けた。

 

「君という切り札を出し惜しみできないほど状況は逼迫している。同時に諸外国からの迷惑な圧力もあってね。ドイツ=ヴァイマルブルーマーメイドの悲劇のヒロイン、テア・クロイツェル。彼女を救出した騎士(ナイト)たるヴィルヘルミーナ・フリーデブルクと英雄、岬明乃……話題性には事欠かない。世間は君たちの更なる英雄譚をご所望だ」

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「晴風をまるでテレビのスーパーヒーローかのように扱うのですね、あなたは」

 

 真雪の声に大山はゆっくりと煙を吐く。

 

「大規模テロリズムや治安維持のための警備力の強化、その名目を作った時点で武蔵は最初から切り捨てるつもりだった。どこかで適度なテロ活動に加担させて危機的状況を演出する形で武蔵をクルーごと抹消するつもりでしょう。武蔵と晴風を悲劇の艦として祭り上げ、その悲劇を起こさないための軍備拡張を主張する。そのための人工芝運動(アストロターフィング)に利用しようとした。晴風と武蔵の艦長は親友同士、メディアはこぞって取り上げるでしょうね。親友に銃を向けなければならなかった少女、ブルーマーメイドシステムの犠牲者という印象付け(キャラクタライズ)をされて」

 

 真雪は必至に声を抑える。怒りに声が震えそうだ。だが真雪はその怒りがなにも解決しないことを知っていた。だからこそそれを押し隠す。

 

「晴風を救国の為の犠牲として、消費し、潰す。それが貴方たちの目的。そのために、晴風を前線に留まらせ続けた。そのために、知名もえか艦長と岬明乃艦長の繋がりは有効だった。だから、晴風と武蔵を利用した。62名の生徒を犠牲にして、あなたたちは安いお涙頂戴の英雄譚を望んだ」

「――――――望んでいるのは君だろう、小娘」

 

 ゆるゆると登る煙が渦を描いて空気に溶ける。その渦の向こうで大山の目が光った。

 

「正義を振りかざしてはいるが、その正気を担保するものはない。君たちが望む正義が民のためであり、人魚の為のものではないことをだれが証明できる? その疑問に答えを見出せない以上、その正義は偽善と言わざるを得まい」

「では金鵄友愛塾はその正義が担保されていると?」

「儂ら金鵄友愛塾は国会議員を中心に発足した組織だ。国民の投票によって儂らは正当性を国民は認めている。権力の根拠を定め、国家権力の濫用を防ぎ、それらを監視する機構として国会は存続している。その任は愚直なまでに行っていると儂らは自負をしておる」

「その正義を国民に開示していない以上、フェアとは言えないわね」

 

 真雪はそう言って笑みを浮かべて見せた。

 

「あなたたちは、愛国者を気取っているだけね。人が人を救うと言い、人魚を否定しておきながら、利潤は全て自分たちのものにしようとしている。それが国民のためになると自らを騙し、国民を騙しているうちに、それを真実だと思い込んでしまった、哀れな子どもに過ぎないわ」

「ほう?」

「あなたたちの行為は国家権力の私物化です。民を守るための力を経済や雇用を言い訳にして、私財を増やすために使用しているに過ぎない。安全監督隊は民間軍事会社(P M C)ではない。私兵として飼われ、潰される未来を、ブルーマーメイドは許容するわけにはいかない」

「ハ!」

 

 それを聞いた大山は吹き出すように笑って、煙管をひっくり返し、灰を叩き落とした。

 

「人魚が何を吠えるかと思えば、陳腐なものじゃったな、小娘。自分の組織の過去を知らないのかね。国家組織としての前身は第二次アジア海上危機の後の女子機動警備艇群じゃが、組織自体は幕末の女子海援隊という民間の私兵組織じゃろう。その原義すら忘れたか、人魚」

「いいえ」

 

 真雪は端的にそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「たしかに、ブルーマーメイドは女子海援隊に端を発するのかもしません。それでも今やるべきことはそれじゃないはずです」

 

 明乃はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「誰だって幸せに生きたい。いろいろなものが欲しい。仕事を作って、電気をつくって、ヘファイストス計画は世界中を平和にするかもしれない。そのためにブルーマーメイドが協力するのが一番効率的な方法なのかもしれない」

 

 だけど、と明乃は語気を強めた。手にした懐中時計を繋ぎ止める鎖が揺れる。

 

「それは誰かから一方的に押し付けられて受け入れるものじゃないんだと思います。誰かに命令されたから、誰かにそれがいいと教えられたから、それを信じるだけじゃ、なにも変わらない」

 

 思い出すのは父親の顔。懐中時計の内蓋に入れてある、家族の写真。

 

「神様はサイコロを振らない。私たちがするべきは誰かにサイコロを振ってもらうことじゃない。ましてや他人のためにサイコロを振ることじゃない。人間は人間として、考えて、選んで、戦うことのはずです」

 

 瞼の裏に浮かぶ、男の背中。彼ならこの状況を前に何をいうだろうか。

 

「ブルーマーメイドは海に生き、海を守り、海を征く。ブルーマーメイドは海で生きる人たちの安全と自由を守るために、頑張ってきたはずです。私はそのためにマーメイドになりたくて、海洋学校に入学しました。私は、私の意志でこの海を守る。それは私のわがままです。世界の為になるかなんてわからない。誰かのためになるかなんてわからない。それでも私はここまで来ました。皆が笑って幸せで、そんな海が見てみたくて、私は人魚になったんです」

 

 血まみれの艦橋で、あの人は私の背中を押した。征け、と言った。

 

「誰だって幸せになれる。幸せになっていい。それは誰もが幸せについて考える権利があることだと思います。何が正しくて、何が間違っているか、自由とはなにで、正義とはなにか。それはみんなで考え、決めていくことです」

 

 あの子は私を抱きしめて、晴風が私を守ると言った。

 

「私はそれを信じていたい。そのための自由を奪いたくない」

 

 あの子は私をひとりにしないと、置いていかないと言った。

 

「その自由をブルーマーメイドは守ることができる。救うことができる。私はそれを信じています。誰もが平和に、自由に、頑張って、協力していける。その場を守るために、ブルーマーメイドがあって、私がある。それは、誰かに雇われているからじゃなくて、自分の意思でここにいるからです。自分の正義を信じていられるからです。仲間を、友達を、家族を信じていられるからです」

 

 

 だから、それを信じて私は征く。

 

 

「それを私は否定させない。私は―――――」

 

 

 

 

 

 

 

    †

 

 

 

 

 

 

 

「大山議員、あなたはこれをエゴだと言うかもしれない。自己満足に支えられた独善的な正義だと言うかもしれない。それでも私たちは海の安全を守るという使命を果たしてきた。達成不可能な目標を果たすべく、誰もが迷い、それでも海を拓いてきた」

 

 大山は静かにその声を聞いている。

 

「それでも私たちはそれをあきらめない。私たちは人魚、たとえ明日には泡になって消えてしまうとしても、それでも明日を信じて朝日に向かう怪物だ。誰もが自由に海を往来し、その場に安寧を築くべく進み続けた人間だ」

 

 真雪はそう言って大山に一歩、歩み寄る。

 

「私はあなたの理想を否定しない。あなたのヴィジョンを否定しない。だが、私はあなたの行為は否定する。その行為が誰かの自由を阻害するなら、誰かを傷つける可能性があるのなら、頑としてそれに否と言う。私は―――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――岬明乃は」

「――――宗谷真雪は」

 

 

 

 

 

 

 

『あなたたちの行動を認めるわけにはいかない』

 

 

 

 

 

 

 それが、答えだった。




……答え合わせ回その①でした。いかがでしたでしょうか。

筆が大暴走しているうえにかなりの難産でした。金鵄友愛塾も真雪さんもやたらと小難しく話してしまうので……はい。自分のせいなのですが、こんなことになってます。

ミケちゃん本当にしっかりしすぎて書いてる私も本当に心配です。しろちゃん早く戻ってきて……。

なんだかんだでこんな話がもう少しだけ続きます。お付き合いいただければ幸いです。

――――
次回 それでもこの世界を信じている
それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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