ナツキ・スバルはこの異世界に来てからというもの、落ち着く間も無く、文字通り死ぬほど忙しい日々を送っていた訳だが、二回目のループを経て遂に平和な日常を手に入れた。
とは言って見た目に目立った傷が無くても、この世界では生命に等しい価値を持つマナは涸竭、機能はしないがあるだけで悪影響を及ぼし兼ねない大量の呪いが身体の中を蝕んでいる。満身創痍かと聞かれたらはいそうですと答えるしかない。
自身の体の療養は当然ながら必須なのだが、事件が解決した次の日の夜に新たな事件が発生する。それはーー
「一日も何もしてないと暇すぎる!」
スバルの退屈が爆発するという大したことのない、本当に大したことのない事件だった。
「さて、この退屈な状況をどうするかだな」
スバルはラムから渡された本はほぼ読んでしまっており、イ文字の習得は順調に行われていた。
スバルの母国語である日本語とも、元いた世界のどの言語とも違う言語の習得には都合五日では足りない時間が必要だったのだが、それは今回のループの賜物だろう。
それを良かったととるかはともかく、ラッキー程度には思いながら過ごしている。
「まだそんなに遅くないしベアトリスの所に行ってあの髪の毛で遊ぶか?」
「良かったらレムの頭を撫でて貰ってもいいんですよ?」
「確かにレムの髪の毛はサラサラだしふんわりいい匂いするから触ってたいけどベアトリスのあのビヨーンって感じも癖になるんだよなぁ……え、レム?」
「はい、レムです」
キラキラと輝いた目でこちらを見てくるレムに許可も得ず、頭をわしゃわしゃとしてやる。レムは幸せそうな子犬のようだ。
「スバルくんは退屈なんですか?」
「退屈っていうとなんかそれっぽいけどぶっちゃけ暇だな」
「じゃあレムも一緒に居ます!一緒に暇潰ししましょう!」
「お、おう。ちなみにレムは普段暇な時は何してるんだ?」
するとしばらく考え込んだレムは絞り出したように答えを出した。
「部屋で次の日の予定とか立ててますね」
「思いの外社蓄メイドの鏡で俺の退屈よりかそっちの方が先に解決すべき問題だと思うんだが」
「レムはこの屋敷に仕えている事がこれ以上無い幸せなので。もちろんスバルくんのお世話をしている時も同じぐらい幸せですよ!」
お世辞でもなんでも無いことが純粋に伝わってきてしまう素直さと直球の好意を投げつけられるスバルは勢いに押されっぱなしだ。社蓄メイドにしても彼女の今の態度にしても、やはり改めなければならない点は沢山あるだろう。
「そういえばレムはなんでここに?」
「スバルくんの退屈だ!という心の叫びが聴こえたので。スバルくんお世話係として当然の事です」
「なにその恩恵!?その係になったら俺の感情読めるの?ナニソレ凄いいらねぇ!」
「本当の事を言うとたまたま通りかかった時にスバルくんの声が聴こえたもので様子を見に来たんですよ」
「なるほど……」
どうやら無意識に大きい声で退屈だと言ってしまっていたらしい。確かに普通の人間ならまだしも、静かにしていても何かと面倒ごとに巻き込まれがちなスバルが突然部屋で叫んでいたら気になるというものだろう。
「あとはレムがスバルくんに会いに来たかったので」
「そ、そうか、ありがとう」
えへへ、と笑うレムに心動かされそうにーー既に動き始めていることは分かってしまって居るのだが、俺はエミリアたん一筋なんだと心に言い聞かせる。
「じゃあせっかくだしナツキ・スバルプレゼンツ、第一回暇潰し会といこうか!」
「ぱちぱちぱち」
「ところでレム、この世界でポピュラーな暇潰しと言えばなんだ?」
「このお屋敷以外の一般的な事にはレムは疎いのであまり答えにならないかと思いますが……鉄球の手入れとか?」
「却下、却下。分かった暇潰しは俺が提供するから!そうだな、レムはトランプって知ってるか?」
レムから返ってきた答えは可愛らしいもので、「とらんぷ?」といった平仮名表記が似合いそうな答えだった。むしろ知ってるんじゃないかと問いただしたいスバルだったのだが、そこはぐっと思い留まって説明を始める。
「これがスペード、ダイヤ、ハート、そしてクローバーだ」
「なんだかくろーばーは葉っぱみたいですね」
「お、いいセンスだ。クローバーは確かに葉っぱだぞ、たぶん」
スバルはトランプについてそこまで詳しい訳では無い為、その知識は生半可なものなのだが。
「で、それぞれに一から十三までの数字が割り当てられてる」
「じゃあ……五十二枚のカードって事ですか?」
「それにジョーカーを二枚加えて五十四枚だ。ジョーカーはゲームによって扱いが変わるけどだいたい強いか邪魔かの二択だな」
「この束だけでいろんなゲームが出来るんですか?」
そうそう、と自作のトランプを手に取って軽くシャッフルする。そのまま扇形に広げてレムに差し出すような仕草をとる。
「一枚お好きな所からお引き下さいな」
「はい、見てもいいですか?」
どうやらマジックと言うものそのものには触れたことはなさそうだが、こちらからの指示が無ければ勝手な行動は取らないレムの献身的な態度がここで生きてきていた。
「こっちには見せずにそのカードを覚えて、覚えたら俺に見せずに渡してくれ」
「……覚えました」
裏は真っ黒な紙を使っているため当然透かすことはできない。つまりこの状況でスバルはそのカードが何なのかはわからない。そのままそのカードを山札の一番下におき、軽くシャッフルする。レムはその様子を見て小首をかしげてその様子を見守っている。
山札を裏返し、さっと並べてみせる。引きこもりの無限の時間を生かして習得した技術だ。
「レムが選んだカードは……これだな」
「え!?スバル君どうしてわかったんですか?」
「そこまで驚かれるとしょぼいマジックでもやった価値があるなぁ。じゃあ種明かししようか」
種はたいしたことの無いマジックともいえないただのシャッフルの見せ方だ。一番下のカードを覚えておき、その下に対象のカードを置くことで二枚が重なったままシャッフルして表にする。そうすれば対象のカードがわからずともそのカードは必然的に底のカードの隣にある。
そんな種が種らしくも無いという意味では種も仕掛けも無いマジックの種明かしをすると、レムはおもむろに山札を手に取り、見よう見まねでシャッフルを始める。
「スバル君もカードを一枚引いてください」
どうやら早速このマジックを実践してみたいらしく、その姿をほほえましく思う。
言われたとおり一枚カードを引き、覚えて差し出す。
一番下にカードを追いたレムはまたおぼつかないシャッフルをはじめ、山札を表にした。
「これですね!」
「おお……そうそう、うまいぞレム」
「これがこの『とらんぷ』の遊び方なんですか?」
「いや、これはトランプの使い方のひとつだよ。複数人で遊ぶ方法もある。ていうかこっちのほうがメインの使われ方じゃねえかな」
二人でできる遊びで思い付いたのはいくつかあるが、とりあえず初心者向けであろうばば抜きをすることにした。
「このロズワールみたいなのがジョーカーだ。今回のゲームではばばって呼ぶ」
「ばばはいらない子なんですよね?」
「そうだ。ばば抜きはそれ以外のカードの数字が揃ったら抜いていって最後に手札が残ったほう、つまりはこの場合ばばを手にしていたほうが負けってルールだ。結構簡単だろ?」
「なんだかジョーカーって可哀想ですね……」
「大丈夫、ほかのゲームだと違う意味でロズワールだから。そう考えるとロズっちってマジジョーカーじゃね?」
胸の中でロズワールのジョーカー説を秘めつつ、手の中の山札をシャッフルする。そしてそれを一枚ずつ二人に配っていく。
「これって二人でやるものなんですか?」
「いや、たぶん本来は複数人でやるものだけどもう夜も遅いしみんなも寝てるだろ」
「じゃあ二人きりの夜更かしですね!」
「その一言だけ聞くと想像が捗っていいけどあんまり変な事言ってラムにでも聞かれたら俺の首が無くなるからやめような?」
配り終わった所で先程のルールを軽く確認して初期手札からカードをどんどん切っていく。
「もう切れるカードは無いですスバルくん」
「じゃあその手札でスタートな。こっちも切り終わったし先攻決めようか」
レムは二枚、スバルは五枚という自分の運にもしくは神様に喧嘩を売られているのではないかという初期手札になったが、ババ抜き初心者のレムに熟練者のスバルが負けるわけが無い。
その経験値の多くはネットババ抜きだったのだが。
「じゃあ初心者のレムからで」
「一枚引けばいいんですよね?」
「そうそう」
レムはおぼつかない動きでどれにするか決めかねている。
レムが気付いているかどうかは分からないが、ここでスバルがレムに先攻を与えたのは勝ちにこだわっていれば絶対にやらない危険性がある。
ここでレムが二枚の内どちらか一方のカードを引き当てて手札が一枚になる場合。次の順目で必然的にスバルは残り一枚を引き、この異世界初ババ抜きは終幕を迎えることになるだろう。
流石に神様がそんなことをするほどスバルが日頃悪い事をしているつもりも無いので、その可能性には目を瞑っているのだが。
「こっちで!」
すっとカードを引き抜いたレムはそのカードを見てわかりやすく満面の笑みを浮かべ、優しくそのカードを捨札置き場に乗せた。
「スバルくん、これでレムの勝ちって事でいいんですか」
「ああ、俺が弱過ぎて勝負になって無かったけどレムの勝ちだ。勝敗はともかく、これがババ抜き。おーけー?」
「もう一回やりたいです!もう一回やりましょうスバルくん」
「お、おう。予想以上にお気に召したみたいで良かったよ……」
レムがこういった遊びにここまで好感を示してくれていることに、スバルは純粋な気持ちで嬉しいと思う。
あの夜の一連の出来事からスバルにべったりのレムだが、そのべったりはあくまでも上下関係のようなものがチラつくもので、こうして対等に楽しむ事を望んでいたスバルにとっては嬉しい限りだ。
その後、ババ抜きというある程度は運が絡むゲームで十戦十敗したスバルは泣く泣く新たなゲームを提案した。
「そろそろ新しいゲームをしようぜレム。お姉様も呼んで
複数人で出来るやつをやろう」
「はい!すぐにお姉様を呼んできます」
数分後、ラムがやってきた。
「こんな時間に何のようかしら、バルス。レムが凄い急いでたから事は一刻を争うとかそういうものだと思っていたんだけど」
「いや?遊び相手が足りないから呼んだだけだよ?ぶっちゃけ急ぎですらないよ?」
「バルスが何を考えているかは知らないけれど、これで呼ばれた理由が数合わせとかだったら躊躇無く窓から叩き落とすから。で、なに?バルス」
「すげぇ言いにくいけどその通りだよお姉様。せっかくやるなら人数は多い方が楽しいし、レムもお姉様と遊べるのは嬉しいだろ?」
こくこくと頷くレムを見て、どうよ?とラムに視線を向ける。ラムはレムを引き合いに出された時点で自身の分が悪い事に気付いた様で苦々しい顔を浮かべつつ、何処か緩んだ表情で了承の意を示す。
「仕方ないわね、バルスに明日の仕事を代わりにやるからお願いしますとまで言われたらやってあげてもいいわ」
「もう口上は何でもいいから早く始めるぞ姉様」
こんなやり取りを続けていても仕方ないので複数人で行うトランプゲーム、大富豪のルール説明を始める。
ローカルルールがとても多いゲームだが、その中身は切り詰めていくとシンプルなもので数字の大小さえ分かれば出来る比較的簡単なゲームだったと記憶している。
「ーー以上だ。質問あるか?」
「レムは無いです!」
「ラムもレムに同じく。強いて言うならこの『とらんぷ』という物の説明にロズワール様の名前を遊び感覚で使っていた事に言いたい事がないではないけれど」
「その忠誠心が普段サボる事しか考えてない奴の口から出てくる事の方が言いたい事しかねぇよ」
先程スバルが配った様に、レムがトランプを人数分に配り始める。今回教えたルールは大富豪の基本中の基本のルールだけで、スバルもそのルールに習う形で行うつもりでいる。
「じゃあ、じゃんけ……は無いからここはダイヤの三を持ってる人から始めるか。ダイヤの三、誰が持ってる?」
「レムですね!じゃあ始めましょう」
始まった大富豪はローカルルールが存在しない仕様上、かなり静かなものになると想像していたのだが、意外にもそうは成らず、主にラムがうるさいというよりかはリアクション芸人の様な振る舞いをしていた。
「なんでバルスはこうも邪魔を!!」
「レム!今の乗せたらラムが上がれないじゃない!」
「二人してラムを嵌めるなんて……バルス絶対許さない」
「なんで台詞の始めで二人って言ってるのに最後俺だけなんだよ。てかなんでお姉様はさっきから全く出せてないの?」
ゲーム終盤、序盤からゲームの流れを一方的に掴んでいた様に見えたラムは残りの手札を二枚とし、しばらくの間口だけが動いていた。
「あ、レムはこれであがりです!」
スバルの置いた九二枚に一を二枚重ねるレムがあがり宣言をする。ローカルルールがほぼ存在しないこの大富豪で唯一禁止しておいた二あがりを回避しつつほとんど勝ちを確定出来る最強の手だ。
「じゃあ順番的に俺の番か。ほい八」
ラムとスバルの一騎打ちとなった最終局面、スバルは自分の手札の中で一番強いカードを切る。
ラムは首を振る。
「良かったこれであっがりー。またレムに負けたなぁ」
レムの頭を撫でてやりながらスバルがふと気になった事をラムに問う。
「お姉様の最後の手札、何だったの?」
悔しそうにしているラムの手元に落ちているラムの最後の手札を見る。すると残っていた二枚はペアになっており、
「なんというかあれだよあれ、初心者あるある的な?だからそんな気に病む事は無いと思うぞお姉様」
「負けた上にバルス如きに慰められるなんてこれ以上の屈辱はないわ。もう一回!」
ふん、と捨札置き場に最後の手札、三のペアを叩きつけたラムはとても好戦的な目をしてそう宣言したのだった。
「バルスに勝てるのは当然として、レムに一度も勝てないのに納得いかないんだけれど」
「俺はお姉様の発言に納得いかねぇよ。それにしても本当にレムは強いよなぁ。日頃の行いってやつか」
「それに関しては全く同意だわ。この中で日頃の行いが良い人なんてレムしかいないのだから」
「さらっと普段仕事してません宣言しやがったぞこのメイド」
「日頃の行いならスバルくんもお姉様も凄いと思います!レムが勝てるのは多分たまたまですよ」
「レムの純粋無垢なフォローが俺には心痛いよ」
大富豪を五戦ほどした所で従者三人組は休憩がてらお茶を飲んでいた。なんとレムは大富豪中、カード交換ルールも無しで五連続トップだった。流石に日頃の行いの存在を疑うしかない。
「そろそろ次のゲームをやるか」
「まだ出来る事があるんですか?」
「トランプは無限の可能性を持ってるからな。出来ることも無限だぞ」
「バルスが言うと胡散臭く感じるから不思議だわ」
「自覚してるからわざわざ言わなくてもいいよお姉様。じゃあ次のゲームは七並べだ」
今までの二つに比べれば、七並べは運よりその人間の性格の悪さが出やすいゲームだ。そしてそれは悪ければ悪いほどこのゲームでは有利に事を進める事が出来る。
レムには無く、スバルやラムにこそ有りそうな長所をここで使わずしていつ使うのか。
「七並べっていうのはだな、簡潔にまとめてしまえば順番にカードを並べるゲームだ。七から順に飛ばさずに繋げていって手札がゼロになった人の勝ち。ジョーカーは今回は面倒だから無しでいこう」
説明しながら山札の中から七を探し、軽く見本を見せる。
飛ばさずに繋げるの意味が伝わった事を確認したところで三人分にカードを配り分ける。
「パスは三回まで。四回目のパスの時点でその人の負けだ」
「なるほど、バルスが好みそうなルールだわ」
「それにすぐ気付く辺りお姉様も大概だよ」
「さっきからお姉様とスバルくんがレムを除け者にして仲良くしてるように見えます……」
「気の所為だレム。お姉様と俺は基本的に常に敵対関係だからな」
「そうよレム。バルスはエミリア様についていく事しか脳に無い変態なのだからラムが仲良くする理由どころか人類がバルスと仲良くする理由すらないわ」
「余りの言われようにむしろ感動すら覚えるよ……じゃあ配り終わったし始めるか。順番は俺からレム、ラムの順番で」
それぞれが自分の手札を整理し終わった所で二人に声をかけ、高らかにゲームの開始を宣言する。
「じゃあ俺から。……パスだ!」
「スバルくん?」
「この男が何を考えているのかさっぱり分からないわ」
七並べにおいて邪道であり正攻法であり何度もやると友達に嫌われる必殺技を放ちつつ、メイド姉妹とスバルによる七並べがここに開催したのである。