唯我はランク戦が初めてではない。
親のコネで無理矢理A級に上がり、上層部に放り込まれた太刀川隊でお荷物として扱われ続けた。
プライドの高い唯我は当然抗議しようとし、しかし口から紡がれるのは言い訳のみ。
どうしようもなく、結果が表れていた。
唯我はA級において最弱。むしろB級に対しても見劣りする。
何度も何度も、太刀川や出水のついでに倒される日々が続き、その事を指摘される度に涙を流して吠え続けた。
そんな彼に、初めて
唯我と違ってその少年は毎日一生懸命で、唯我と違って才能も実力もあって。
嫉妬はいつしか憧れとなり、いつのまにか彼の名が刻まれた部隊に入り──何もできず倒された。
今度こそ、彼には、今回は、絶対に。
そう思っていたのに、慣れない努力をしたのに。
しかし、それでも彼にこのステージは速かった。
チームに新しく入った隊員は狙われやすく、点を取られやすい。
それを東により体現された唯我は、ベッドの上で静かに涙を流した。いつものプライドで固められた涙ではなく、後悔し、無力感で流れた涙は……彼の頬を重く伝った。
「……」
そんな彼に月見は構うことなく、秀一たちの援護を続ける。
今の彼女に唯我を叱咤する厳しさも、フォローする優しさもない。
ただ……。
「……」
試合後に起きるであろう出来事を思い出し、そっと一人ため息を吐いた。
◆
唯我が落とされ、秀一の思考に空白が生まれる。弧月を持つ手にも力が入らず気を抜けば落としてしまいそうだ。戦いに置いて明確な隙な筈なその時間は──秀一のサイドエフェクトにより消え、むしろ彼を奮起させる時間へと変える。
現実時間で0.01秒。彼の意識の中では10分経てば、既に意識が切り替わり敵を殲滅する悪鬼は動く事ができる。
視界の隅で唯我の戦闘体が崩れ、緊急脱出の光が出ると同時に、生駒旋空の亜種進化型──最上旋空が解き放たれた。狙うのは、己の隊員を狙い撃った男、東春秋。
さらに牽制として二宮隊二人に生駒旋空が放たれた。
その動きは、弧月を最も強く使う男に酷似していた。
規格外の旋空が戦場を駆け抜け、二宮と辻は自分たちに放たれた旋空を防ぐべくシールドを張りつつ後退する。
そして、幾つもの家屋を真っ二つにする規格外の斬撃を放った男は──舌打ちをした。
緊急脱出の光が伸びない。つまり、東は秀一の攻撃を回避した……正確には予測して撃ってすぐに射線から逃れていたというのが正しい。
秀一はすぐさま二度三度と最上旋空を放ち、東が居る可能性のある地点に向かって放つが無駄撃ちに終わる。
逃げられた。
その事実に打ちのめされそうになり──通信で警告音が響き渡る。
『次の行動に移りなさい、最上君』
唯我が落とされて一秒後、月見は素早く秀一に指示を下していた。
音と目の前に現れた文字に、秀一は弧月を手に──離脱。
二宮たちに背を向けて、ヒュースと合流するべく動き出した。
だが──。
「──舐めるなよ、最上……!」
辻が前に出て、二宮はその後ろで両手をポケットから出す。
選ばれるトリガーは、メインサブ共にハウンド。
二宮の豊潤なトリオンを用いたボーダー随一のフルアタック。
その凶弾が背中を見せる秀一に牙を剥こうとし──転身。
「──!」
突如振り返った秀一は──既に攻撃態勢に入っていた。鞘に収まった弧月に手を添え、神速の抜刀術。
それが放たれる前に、二宮は叫んだ。
「辻、かわせ!」
「!!」
次の瞬間、甲高い音が響き、シールドの破片が宙に舞う。
しかし秀一は見届ける事無く離脱し、その場に残ったのは……火の粉のごとく振り払われてしまった二宮隊。
二宮の指示に従って回避した辻だったが、咄嗟のことで腕を斬り飛ばされてしまい、二宮もまた両防御するも完全に逸らす事ができずダメージを受けてしまった。
『……まさか、あそこで不意打ちだなんて。辻君、隊長大丈夫ですか?』
「俺は大丈夫、だけど……」
「……氷見。最上の反応は?」
部下の問いに答えず、逆に問いかける二宮。
それに氷見は簡潔に答えた。
『ハウンド対策でしょう。バッグワームを着てレーダーからはロストしています』
しかし、何処に向かったのかは分かる。このまま追えば追撃可能だと彼女は言う。
当然、二宮たちは彼を追う。
「ふん……」
脇からのトリオンの漏出は止まっている。二宮のトリオン量からすれば微々たるものだ。だが、漏れ出たトリオンよりも深いダメージを彼は受けていた。
視界から既に消えた秀一を睨みつけて──二宮は力強く言った。
「──逃がさん」
◆
「唯我隊員緊急脱出! ……からの、最上隊長の旋空大暴れ!」
「……今、生駒旋空と最上旋空ほぼ同時に使っていましたね」
「キレッキレなもがみんは時々頭おかしい事するからなぁ」
一瞬で起きた出来事だった為に、解説の二人も何とか起きたことを説明するので精いっぱいだった。観覧席のC級隊員たちは何が起きたのかする理解していない。
そこを解説しても仕方ないと判断したのか、三上は実況を進めた。
「二宮隊を振り切った最上隊長、バッグワーム起動後一直線で王子隊、犬飼隊員を狙う動きを見せる」
「反対からはヒュース隊員が来てますね。挟み撃ちするつもりでしょう」
「でも、その前に王子さんが合流するな」
このまま行けば、犬飼を王子隊が獲るだろう。
しかし──。
「そうは行かないんだろうな」
米屋の視線の先は、この試合で最も厄介な部隊に向けられていた。
突撃銃を上に向け、ハウンドを放つ。その後すぐに目の前の敵に向かって弾をアステロイドに切り替えた突撃銃の引き金を引く。
すると、上からの曲射攻撃と正面からの銃弾による二面攻撃により、樫尾、蔵内は無理矢理ガードの選択肢を取らされ、その間に犬飼は距離を取る。
「くそ……!」
「焦るな樫尾」
「しかし、このままだと最上隊が……!」
二人掛かりで落とせない事にやきもきし、さらに秀一たちがこの場にやって来ている事がどうしようもなく樫尾の思考に焦りを入れる。
(犬飼が巧いというのもあるが……)
思い出すのは先ほどの斬撃。アレにより、気を取られて動きを止めてしまい、犬飼を押し切る場面を逃してしまった。
樫尾が焦るのも無理はない。
しかし、この膠着状態も終わりだ。
「──!」
突如、犬飼が姿勢を低くし──突撃銃を持っていた彼の腕が宙を舞う。しかし彼の視線は自分の腕ではなく、背後から斬り掛かってきていた王子だった。
「待たせたね、二人とも」
飛び出した勢いのまま樫尾たちと合流し、犬飼と相対する王子。
「まずは一点、確実に取ろう」
その言葉と共に、王子隊三人によるハウンドが犬飼に放たれ──。
──ガキキキィイインッ!!
その中間地点に現れた二つの人影が、シールドでハウンドを打ち消した。それにより、犬飼も自分のシールドのみでハウンドを防ぎきる事ができ、しかし先ほどと違って薄ら笑いは引っ込んでいる。
乱入してきたのは。
「東隊!」
東隊攻撃手の小荒井と奥寺。
彼らは、展開していたバッグワームを解除しながら王子隊、犬飼の間に降り立つ。
それを見た犬飼は……。
(こいつらが出たって事は、東さんが狙撃位置に着いているって事かっ)
その事に気が付けたのは、王子と彼のみ。
すぐに東の狙撃方向を予測しシールド二枚で心臓と頭を守ると同時に──狙撃。
撃たれたのは、樫尾だった。
「……! しまった……!」
『戦闘体活動限界、緊急脱出』
東隊、二点目。
樫尾が落ちたのを確認するのと同時に、東が次に狙うのは蔵内。
スコープ越しに蔵内の頭を狙い──突然視界から消えた。
──違う。消えたのではない。遮られたのだ。
スコープから目を離し、移動しながら東は部下たちの声を聞く。
「さあ、どうする?」
最上隊が現れた。
「東隊に随分と点を取られてしまったが……」
王子と蔵内を目の前に、ヒュースはエスクード越しに話しかける。
……いや、独白に近いのかもしれない。
唯我が落とされてから、彼の隊長は随分と燃えている。周りの声が聞こえづらい程に。
だが、それで構わない。当初の予定と比べて遅れてしまったが──作戦通りに事を運ぶ事ができた。
もう一度、ヒュースが口を開く。しかし次は、壁の向こうの隊長とほぼ同時に、そして同じ言葉を紡いだ。
『──点を獲らせてもらう』
最上隊、始動。
◆
「エスクード」
戦場を二つに分断し、東からの射線を通さない壁を作り上げたヒュース。
それでも、彼がエスクードの展開を止めることなくさらに壁を作っていく。まだらに作った防御壁は、王子隊に接近するために作り上げたもの。エスクードで視線を遮りながら、二人に迫るヒュース。
それを王子と蔵内はハウンドで迎撃する。
エスクードにより視線誘導を切らされ、自然と探知誘導に切り替えなくてはならない。上に向けて放ち、雨のように弾丸を降り注がせる。
しかし……。
「羨ましいトリオン能力だな」
「だね」
片手のシールドを傘のように上に向けて展開するだけで、王子隊のハウンドは防がれる。
王子は思考する。
旋空を使えば、エスクードを切り払えるかもしれない。しかし、それが釣りで何か仕掛けていたら?
そう考えると下手な行動はできず、自ずと彼らの行動は決まる。
王子が内部通信で指示を出し、小さく頷いた蔵内の手にもう一つトリオンキューブが生成される。それを分割せず、腕を勢いよく振りかぶりまるで投げるかのようにヒュースに放ち──爆発。
「──!」
轟音と鳴り響き、爆煙がヒュースの視界を塞ぐ。
思わず足を止めたヒュースに、王子が駆け出し──。
「──エスクード」
四枚のバリケードが、蔵内を囲うように地面から生えた。
「っ!?」
四方を囲まれ、唯一外部から聞こえるのは王子とヒュースの剣戟の音のみ。
王子からも、蔵内の姿は見えない。
「エスクードをあんな風に使うのは、初めてだ。でも、意味がないね」
弧月でヒュースと斬り合いながら、挑発をする王子。
実際、トリオン体なら難なく脱出する事が可能だし、もし何か目的があるのならここで激高して口を滑らして貰おうというちょっとした算段だった。
それに乗っかった訳ではないが、王子の弧月、そして時折混ぜてくるスコーピオンを弾き返しながら短く一言。
「すぐに分かる」
そして、壁の中にいる蔵内は、すぐさまトリオン体の運動能力を使ってエスクードの箱から跳んで脱出し──。
「ダメだ、蔵内!」
王子の警告の声と共に、体に衝撃。
体中に風穴を空けられた蔵内が最後に見たのは……。
「……弾も使えたのか」
王子と切り結ぶ片手間に、こちらに向かって弾トリガーを放っていたヒュースの姿だった。
戦闘体が崩れ、ドンッとまた一つ光が戦場を後にする。
それを見届ける事無く、ヒュースは淡々と次の処理を開始する。
以前の個人ランク戦で王子に勝ったからこそ、彼はこのまま倒せると判断した。
そして、王子もまたこのままだと分が悪いと判断し……。
「悪いけど、これ以上は時間とトリオンの無駄だ」
ハウンドをバラまきながら後退し、離脱行動に移る。
当然、それを黙って見逃すほどヒュースは甘くも愚かでもない。
襲い掛かる弾をシールドで防ぎながらエスクードで逃走経路を潰そうとする──その直前!
『爆撃!』
「っ!」
南の方角から、嫌に速度の遅い弾が降り注ぎ──先ほどの蔵内のメテオラ以上の轟音。
二宮の誘導炸裂弾だ。
ヒュースが展開していたエスクードは吹き飛び、本人もシールドで身を守った為無傷だが爆風で吹き飛ばされる。
しかし、ヒュースの表情は厳しく思わず舌打ちをした。
視線は、爆撃をかました遠方の二宮ではなく──目の前に居たはずの王子。
その王子は、体の半分が抉られ、地面に倒れ伏せていた。
おそらく、二宮が狙いをヒュースと王子ではなく、王子一人に絞った為に起きたこと。
火力が集中した爆撃に、王子は成すすべなく蹂躙された。
しかし、王子は笑みを浮かべてヒュースに一言。
「──なるほど、君が最上隊に入れる訳だ」
「なんだと?」
しかしヒュースの問いに答えは返って来ず、王子は緊急脱出し──彼の置き土産であるハウンドがヒュースに襲い掛かった。
「──ふん。妙な事を言う」
だが、それをヒュースはシールドで防ぎ切り苦言を零すだけ。
王子の言葉が気になるが──それ以上考える事無く、思考を切り替える。
すぐ近くに、射手の王が来ているのだから。
一方、秀一の方は。
小荒井、奥寺の連携を前に……善戦していた。
所々切り傷がある二人に対して、秀一は無傷。ヒュースのエスクードにより東の射線を気にしなくて良くなった彼は、サイドエフェクトを思いっきり使い暴れ回っていた。
「くそ、やっぱコイツつえぇ!?」
「耐えろ! 東さんが撃てる場所に移動するまで!」
弱音を吐く小荒井を奥寺が叱咤する。
それを、秀一は旋空弧月を一息に二発放ち、二人の弧月が衝撃で震える。まるで、東が狙撃する前に殺すと言わんばかりに。
悪鬼の如き猛攻に二人は冷や汗をたらりと流し……犬飼は銃を耐えず構えて隙を伺っていた。
(コアデラコンビの連携をアテにしてたけど……不味い)
なるべく秀一の側面の位置に着き、間違っても旋空の巻き添えにならないようにする。それでようやく狙われないようにしてるが、コアデラコンビが押されてる以上、彼が犬飼に牙を剥くのは時間の問題だ。
かと言って離脱する動きを見せればすぐに襲い掛かってくるだろう。
そうなると、犬飼が狙うべきなのは──、
(東隊を利用してもがみんを獲る……いや、ダメージ与えるのが最適解かなっ!)
そうすれば、近くまで来ている二宮が獲ってくれるだろう。先ほどのように。
そして、その隙はすぐにやって来た。
東隊が秀一を挟み撃ちにするポジションに着き、二人同時に攻撃を仕掛ける。そこを犬飼が突撃銃を構えて──。
一瞬だけ、視線が合い……犬飼の背筋が凍った。
反射で引き金を引くよりも早く、秀一が動く。そしてそれを知覚できるのはサイドエフェクトを持つ彼のみ。
まず、サブのバイパーを展開すると同時に背後に回った小荒井に向かって疎らに放つ。なるべく顔面にいくように、視界を塞ぐように。そしてその後、とある一点に集結するように。
それと同時に、弧月を上から下に振り下ろそうとしている奥寺に急接近。それにより弧月の間合いの中に入ると同時に、犬飼の弾を避ける。そして、己の弧月を勢いよく上へと振り上げ、すれ違いざまに奥寺の腕を斬り飛ばす。
「ぬおっ!?」
「っ!」
「しまっ──」
そして、ダッシュの勢いを片足に乗せバネのように体を跳ねらせ、足を勢いよく回す。
すると、彼の足と宙に舞った奥寺の腕が吸い込まれるように接近し──秀一の足が弧月の柄を捉え、蹴りの勢いのまま弧月が犬飼に突き刺さる。
「──!」
ドスッ……と胸が弧月で貫かれ──犬飼の左方向から降り注ぐ弾丸が彼の体を穴だらけにした。
トリオン体が崩れる中、犬飼はチラリと左を見る。
(コアラに撃った弾をそのままこっちに来るように設定していたのか)
そして、弧月で無理矢理位置を修正して、バイパーで確実に仕留めた。
まんまと秀一の曲芸の餌食になった犬飼は──。
「ちょっとお返し!」
メインの突撃銃によるハウンド、サブのシュータートリガーによるハウンド。それらを全て秀一に向かって解き放ち、秀一に回避行動を取らせる。本来なら、足の一本や二本道連れにしたい所だが、彼相手にはそれができないと判断した犬飼は、徹底的に後ろに下がらせる撃ち方をした。
結果……。
「今のうちだ、逃げるぞ」
「ああ!」
バッグワームを展開し、離脱する小荒井と奥寺。
それに焦るのは秀一だ。このまま逃がせば、下手をしたら点が取れない。それも、唯我を撃った東隊に。
それを追うべく秀一は旋空で犬飼の首を斬り落とし……。
「バイバーイ」
『緊急脱出』
一瞬目を離しただけで、姿を消した東隊に舌打ちをする秀一。
しかし、まだ追走すれば見つけて殺す事ができる。
そうすれば、取られた点を取り返す事も可能だ。
地面を力強く踏み締め、駆けようとし……。
「待て! 最上!」
運良くサイドエフェクトを解除していた彼の耳に、ヒュースの声が響く。
さらに秀一の前に立ちふさがる様にして、降り立った。
彼の行動に疑問に思う秀一。このままだと東隊に逃げられる。
そう告げる秀一に、ヒュースは状況を理解していない隊長に焦りを感じつつ応えようとし──。
「東隊は後だ。今は──」
『警告。今すぐ防ぐか退がりなさい』
月見の警告と共に、空からハウンドの嵐が降り注いだ。
「……!」
「ちっ!」
二人はシールドを張りハウンドを防ぐ。両者共にトリオン量が常人の倍以上ある為、削り殺される事はない。むしろ、二人が揃っている為、迎撃の選択肢を取る事も可能だ。
しかし、二人はそれをせずにシールドを傘の様にしながら後ろへと跳んだ。それと同時に横薙ぎの旋空が空間を走り、巻き込まれた家屋や展開されたままのエスクードが切断される。
「二宮隊……!」
「っ……」
ここで初めて秀一の意識が東隊から二宮隊に移り、その事を感じ取ったヒュースが安堵の溜息を吐いた。
そして、油断なくこちらを見る二人の男を前に、大胆不敵に、傲慢に、決定事項かの様に己の隊長に言った。
「堕とすぞ、あの男を」
その言葉に秀一は静かに頷いた。
そして。
「小荒井、奥寺──踏ん張りどころだ」
『了解』
東は一人、この試合の終わりを感じ取っていた。