本編と直結して考えない方が良いです。
未来は無限に存在する。
何てことないきっかけで、未来は絶望にも希望にも染まり、それを変えることができるのは――もしかしたら居ないのかもしれない。当人たちからすれば、その未来が最高なのか、最悪なのか……実際のところ、分からないからだ。
しかし、とある未来視を持っている男は違う。
だからこそ、こぼれ落したモノに涙し、過去を想い――夢を見る。
この物語は、決して訪れない優しい未来。
とある男が必死に手を伸ばし、しかし掴むことができなかった一つのIF。
【迅の望んだ未来】
「――んあ?」
自宅のベットで寝ていた迅は唐突にその眼を開いた。
体を起こして、ボーっとしたままの頭を働かせて、今感じている違和感の正体を探し続ける。
――なにか、大事なことを忘れているような……。
まだ寝ぼけているのか、迅は太陽の光を遮っているカーテンを見て、次に自室の机に置いてある目覚まし時計を見て――一気に意識が覚醒した。
「――やっば、遅刻だ!」
迅は急いでクローゼットから服を取り出すと、パジャマを脱ぎ捨ててそれに着替える。
「ったく、母さんも起こしてくれても良いのに……!」
そして自室を出て階段を駆け下りながら、迅は思わず愚痴を零した。
リビングに出た迅は、そこに居るはずの母が居ないことに首を傾げ――昨夜のことを思い出した。
そういえば、今日の朝は早いと言われていたっけ。
良い機会だから自分で起きなさいとも言っていた。
机の上に置かれた朝食の作り置きを見つつ、全部自分のせいだと気付いた迅はため息を吐いた。
「はあ……こりゃあ参ったな」
なんて言い訳しよう……。
もう二時間も遅刻しているし、今から急いでも間に合わない。
とりあえず、これを食べてから――。
そう考えた所で、迅の耳にインターホンの音が響いた。
「……嫌な予感」
まるで、今考えた怠惰な思考を読まれたかのようにタイミング良く鳴らされた来客のベル。しかし迅には、これから訪れる地獄の時間の開始の合図にしか思えず、かと言ってこのまま居留守を決め込んでも火に油を注ぐ行為でしかない。
つまり、覚悟を決めるしかない。
迅は足取り重く玄関へと向かい、その扉を開いた。
そして、そこに居たのはやはりというべきか、迅が思い描いた予想通りの人が居た。
玉狛のエンブレムが刻まれた上着を着こんだ少年――最上秀一は、いかにも怒ってますといった風に、仁王立ちしていた。
その後ろには彼とチームメイトである三雲修、空閑遊真、雨取千佳も居り、それぞれ苦笑している。それは、目の前に居る秀一のご立腹ぶりか、またはボサボサの頭のままで明らかに寝起きな迅に対してだろうか。
迅は引き笑いをしながら、おそらく自分の迎えに来たであろう後輩たちに向かって言い放った。
「――おはよう諸君! 今日も良い朝だね!」
――次の瞬間、トリオンで作られたハリセンで叩かれた。
◇
「いや、おれから寝坊という特徴を取ったら何も残らないと思うぞ? あ、№1アタッカーっていう称号もあったっけ」
もぐもぐと遅めの朝食を食べながらそんなことをのたまう迅に向かって、秀一はセクハラエリートっていう濃すぎる特徴があるから大丈夫だと言い放った。
弟分のあまりにもあんまりな言い方に、迅は胸を抑えて後ろに体を倒した。自分、傷ついていますと言わんばりに。
ちなみに迅が遅れた用事とは、彼らとの訓練のことで、それをすっぽかされた秀一は割と怒っていた。
「ソウイチさんも呆れていたぞ、迅さん」
「げっ、師匠まだ三門市に居たの? 確か今日は県外に行く予定だったような」
出発時刻まで時間に余裕があった、と秀一は言った。それまで玉狛支部で時間を潰していた彼の父は、何時まで経っても来ない己の弟子に苦笑していたそうな。
そのことを告げて秀一は深くため息を吐いた。己の父が、迅に対して甘すぎることに思う所があるらしい。そのことを告げると、彼の隣に座っていた遊真が反応した。
「シュウイチ、お前つまんない嘘吐くね」
「――!」
「ジンさんに嫉妬しているなら、ソウイチさんにそう言えば――」
しかしそれ以上の言葉を遊真は告げることができなかった。
彼の白い頭を掴むと、そのまま抑え込んだからだ。その時の秀一の顔は赤く、照れていることが良く分かった。
こういう時、遊真の性格と彼のサイドエフェクトは最悪だと言えよう。
図星を突かれた秀一はそのことを言って欲しくなかったのか、遊真に制裁を加え続ける。
(……本当、仲直りできて良かったですね……師匠)
昔、秀一と宗一の仲は最悪と言っても良かった。
迅は、それを気にして秀一が幼いころから面倒を見てきたが、やはり父に対して良く思っていなかった。
だが――。
「最上、そこまでにしておけって!」
「秀一さん、遊真くんの背が縮んじゃう!」
初めは父をギャフンと言わせるためにボーダーに入っていた秀一。その時の彼はまさに抜き身の刀そのもので、近づいていく人間が居なかった。例外としては、同じ支部所属の玉狛第一の面々、陽太郎くらいだが……それでも、兄貴分としてはあまり良い気持ちではなかった。
しかし、それを変えたのは目の前に居る彼のチームメイトたちだ。
兄と友を救うために遠征部隊を目指す千佳。それを手伝いたい修。そして
彼らの存在が、秀一を変えたのだ。今ではしっかりと宗一と向き合うことができて、不器用ながらも家族として過ごす時間を増やしている。
わいわいと騒ぐ四人を見て、迅は思わず笑った。
――でも、何故か胸の奥に何か引っかかるものがあった。
◇
そもそも、何故今日迅は秀一たちと訓練の約束をしたのか。
それは、B級ランク戦まで残り僅かとなり、それぞれの仕上げに入ろうとしていたからだ。
そこで普段から実力派エリートを自称している迅に仮想敵になってもらい、訓練の成果を彼に見せようとしていたのだ。
「うん、この前よりも皆強くなっている。これならA級に上がるのも夢じゃないぞ」
正直な話、実戦経験が不足している修と千佳には若干の不安があるが、それを補うだけのスペックがある。
千佳は膨大なトリオン能力。
修は絡め手を主流にした戦術。
今は成長途中だが、もし彼らに仕える手札が出来れば、もっと強くなり、A級は確実だろう。
そして、そう言わせるだけの力をこの部隊は持っている。
ボーダーに入る前から自分が鍛えていた秀一。
この二人の力は既にA級相当の物で、迅は次のランク戦が楽しみになって来た。
「うーん。これでも迅さんを倒せないのか。やっぱ連携の練習が必要だと思うぞ、秀一?」
しかし、秀一は遊真のその発言に対して首を横に振った。
アタッカー同士の連携はシビアで、場合によっては互いに邪魔をして勝てる相手にも勝てない、と。
即興で練習しても付け焼刃でしかなく、こればかりは時間をかけてやるしかない。
それを聞いた遊真はなるほど、と納得して頷いた。戦場で戦ってきた遊真もその辺りのことは理解しているのだろう。
「じゃあ、いつもように模擬戦でもしようぜ」
――今日こそは勝ち越してやる。
そう言うと二人はトリガーを起動させて別室へと姿を消した。
ライバル相手に切磋琢磨していく姿は、やはり良い物だ。
迅がかつての太刀川と己のことを想い出していると、隣に居た修が息を吐いた。
「どうしたメガネくん? もしかしてまだ悩んでいるのか?」
「……はい。正直、ぼくはあいつらに助けられてばかりで」
どうやら己の実力不足を気にしているようだ。
理解はしているが、納得はしていない。そのように見える。
それも、同年代の秀一と遊真が強く、トリオンの力が高い千佳に囲まれているのがそれに拍車をかけているらしい。
割り切るには修は真面目すぎた。
「でも、メガネくんには千佳ちゃんや遊真、そしてあいつには無い物を持っている」
「え……?」
「それに気づいた時、多分メガネくんはもっと強くなれるよ」
そう。あの秀一を仲間にできた修なら――。
「自信を持てよ、メガネくん」
「――はい!」
気を取り直した修が元気に返事をし、それを見た迅もまた笑った。
――しかし、そんなことはあり得ない。
◇
「チームとしてかなり成長して来たと思うぞ」
「まあ、あんたたちならかなりまあまあな所まで行けるわよ」
秀一と遊真が十回ほど模擬戦をした後、丁度良い時間となり、玉狛の面々は昼食を摂る事にした。
今回の当番は小南だったようで、チキンカレーを人数分作って待っていた。
玉狛第二のメンバーは、玉狛第一のメンバーからそれぞれ師事を受けている。
修は烏丸から。遊真は小南から。千佳はレイジから。秀一は迅から。
ゆえに、彼らが玉狛第二の成長を喜ぶのは必然であった。
レイジも小南も先ほどの迅との訓練を見ていたのか、口々に弟子たちを褒める。
「と言っても、実際にチーム戦をしていない以上油断は禁物だ。修も千佳も実戦経験が皆無だし、遊真はボーダーのトリガーにまだ慣れていない。秀一にしても集団戦の経験があまり無いしな」
顔を輝かせていた修たちだったが、それを正すように烏丸が経験不足という欠点を彼らに突きつける。一転して難しい顔を浮かべる玉狛第二の面々だが、逆に言えば今言われたところを直せば、彼らは勝てるということだ。
「でも、本当意外よねー。あんたが修たちのチームに入るなんて」
修たちと一緒に悩む秀一の姿を見て、小南は思わずそう零した。
彼女の知る最上秀一という男は、誰かのチームに入り、切磋琢磨していくような人間ではない。コンプレックスである父の背中を目指して、何時かギャフンと言わせるのを目標としていた頑固な少年だった。
しかし、最近の彼はなんと言えば良いのだろうか。
そう、余裕がある。視野を広くし、己だけを見るのではなく、周りの人間にも目を向けている。
そのことを指摘された秀一は、ぶっきらぼうに言い放った。
このまま一人で腐るよりも良いと思った、と。
しかしその言葉が彼の本音ではないことに気付かない小南ではない。烏丸によく騙されるが、姉弟当然に育った彼の言葉は照れ隠しに包まれた虚言だと見抜き、自然と彼女は修を見た。
「あんた、この堅物をどうやって引き抜いたのよ……?」
「いや、ぼくは別に……」
タラリ、と冷や汗を流す修。何故なら、秘蔵通信を使って秀一に脅されているからだ。言ったら百回首を飛ばすと。
小南と秀一の板挟みになり、タジタジになる修。
相棒の遊真は目の前のカレーに夢中で、千佳はそもそも自分から何かを言う性格ではなく、レイジも烏丸も気になっているのか沈黙したままだ。
「こら修―! 教えなさいよー!」
「ちょ、小南先輩やめ!?」
それを見て迅は笑っていた。
少し前までは
それはとっても尊いもので――。
――決してあり得ないものだった。
◇
「じゃあ、ぼくたちはこれで」
「お先に失礼しまーす」
夕方になり、修たちは帰路に着いた。
小南たちは防衛任務に赴いており、今この支部に居るのは迅と秀一だけだ。
「……おれたちも帰るか」
迅がそう言うと、秀一は無言で頷いた。
戸締りを終えて、迅たちも自宅に向かって歩き始めた。
彼らの間に会話は無く、しかし決して気まずい空間ではなかった。
「――あ」
そんな時、迅と秀一は全く同じタイミングで同じ言葉を発した。
長く伸びた影の先には、二人の良く知る男が現れた。
すると、秀一は顔をしかめっ面にしてその男――最上宗一の元に行き、次々と己の父に対して言葉を発した。
今日は県外で仕事じゃなかったのか。
迅兄さんに用事を押し付けるほど大事なことだったのか。
帰って来るのなら、前もって言っておけ。
どれもが愚痴であり、皮肉の混じったものだった。
しかしもし遊真がこの場に居たら、彼は秀一のことを嘘つきと笑って言うだろう。
……いや、あれはサイドエフェクトがなくても分かることだ。
迅の目には、親子が仲良くしているように見え、日の光で隠れているが宗一の顔は恐らく笑っているだろう。
不器用な親子だ、と迅は柔らかい笑みを浮かべ――。
◆
――ふと、迅は目を覚ました。
「……夢か」
起き上がった迅の顔は――酷くやつれていた。
ここ最近真面に寝ていなかったせいか、彼の生活リズムは狂っていた。そしてふと力が抜けてこうして深い眠りに着くことがある。
そして決まって見るのは――訪れない未来。
秀一は、玉狛に入らない。
秀一は小南たちを知らない。
秀一は、修たちを知らない。
――秀一は、己の父を知らない。
彼のサイドエフェクトの暴走か、それとも疲労から来るものか、何れにしろ迅はこの夢を見続けていた。
まるで、お前が捨てたものだと言わんばかりに。
「……起きたのか? じん?」
「……陽太郎か?」
「すごい顔だな。はやくあらって来た方がいいぞ」
ギイ……と音を立てて部屋に入って来たのは林藤陽太郎だった。
彼は迅のことを心配していたのか、何処か声にいつもの自信にあふれた色が無い。
(――子供に心配されるなんて、らしくないな)
迅は立ち上がって、陽太郎の頭を優しく撫でる。
「――心配ご無用。なんせおれは、実力派エリートだからな!」
彼はそう言って、いつものように笑った。