「撤退……?」
「はい。一部のトリオン兵……それも大型が門の向こうに消えています。そして、それを他のトリオン兵が庇っていました」
戦況は安定していると言って良い。このまま何事も無く進めば相手を抑え込むことが出来る。そう考えていた忍田の元に奇妙な情報が流れて来た。
どうも撤退しているトリオン兵が居るらしく、戦闘が開始してから起きた敵の行動に彼は言いようの無い不気味さを感じ取っていた。
(何が目的だ……)
敵の思考を読み取ろうと考え込む忍田の耳に、基地の警報音が鳴り響く。
「どうした!」
「大型のトリオン反応を二つ確認! これは……イルガーです! イルガーが基地本部に向かって突撃中!」
「砲台で撃ち落とせ!」
沢村は機器を操作してモニターに基地近くの上空を映し出す。そこに映ったのは、特攻状態となってこちらに向かって来る爆撃型トリオン兵イルガー。その身に宿すトリオンを暴走させながら、ボーダーの要である基地本部を落とそうとしている。
砲台によって一体のイルガーはトリオンの煙を吹き出しながら墜落、しかし、弾幕を掻い潜ったもう一体が基地に接触し――次の瞬間、大爆発。
「ぐ……!」
激しい振動に襲われながらも、基地の外壁が壊されることは無かった。
鬼怒田曰く、先日起きたとある訓練生の外壁撃ち抜き事件で、防壁を強化していたらしい。それが功を奏してこうして無事にいられるようだ。
しかし、それも後一度だけだ。
「第二波、来ます! 数は三!」
再び三体のイルガーが突撃してくる。
その光景に鬼怒田は顔を顰めて何が何でも撃ち落とせと叫び、隣の根付は青ざめて頭を抱えている。
「一体だけ確実に落とすんだ!」
「忍田本部長何を!?」
忍田の指示に根付は青い顔をさらに青くさせる。しかし、そんな彼の声を無視し忍田はただ真っ直ぐとモニターの向こうにいるイルガーを見据える。そんな彼を信じている沢村は忍田の指示通りに一体のイルガーに砲台を集中させ、確実に撃墜させる。
しかし、それでも後二体のイルガーが残っている。
「忍田本部長!」
「狼狽えないで頂きたい――もう、イルガーは居ない」
死を覚悟した根付の叫び声を、忍田はただ静かに返した。
一体何を……彼の妙な落ち着きように鬼怒田が眉を顰めたと同時に、一体のイルガーが十字に、もう一体は基地の外壁から伸びた巨大な斬撃で真っ二つに斬り裂かれた。
「太刀川!」
鬼怒田は、それを成した男――太刀川の名を喜び混じった声で叫んだ。
黒いロングコートをはためかせながら彼は近くのビルに降り立ち、自分が斬った方とは別の方向へと視線を向ける。
「もう一体のイルガーは……もしや風刃か!?」
「おお、流石はブラックトリガーだ」
イルガーを遠隔斬撃で斬った秀一はほっと一息吐いて、忍田に通信を送る。先ほど連絡しようとしたところ、何故か音声が乱れて繋がらなかったので少し心配したようだった。
「すまないな、秀一。どうやら南のトリオン兵は全て片付けたようだな」
「え!? あ、うそ!?」
忍田の言葉に沢村はモニターに映っていた映像からレーダーへと向ける。そこには確かに南のトリオン兵の反応が消失しており、北西もまたそこにあった住宅諸共綺麗さっぱり無くなっていた。
どうやら遠いトリオン兵は遠隔斬撃、近くの敵は手に持ったブレードで斬りまくっていたらいつの間にか居なくなっていたとか。その言葉に沢村は戦慄する。風刃はどちらかと言うと奇襲、または対人戦で力を発揮するトリガーで、天羽の使っているブラックトリガーほどの殲滅能力は無い。それだけ使いこなしているということだろうか。
忍田はその報告に苦笑しながら指示を出す。
「それなら、そのまま南西に向かってトリオン兵を片付けてくれ。
慶は東に向かってもらう」
『太刀川、了解。……さて、さっさと終わらせて昼飯の続きだ』
二つの通信が切れると同時に、忍田はため息を吐いた。
――妙だ、と感じた。
あと幾つかのイルガーを送り込めば、基地に大きなダメージを与えることが出来たはずだ。にも関わらず第三波、第四波は無く、それどころか各戦場の幾つかのトリオン兵を回収する始末。
その敵の不可解な行動に、忍田は言いようの無い不安感に駆られていた。
(敵は、何を考えているんだ……?)
◇
「くそ、何なんだ一体!」
修はレイガストで目の前を走るモールモッドを斬り裂く。しかしモールモッドはそんな斬撃は痛くも痒くもないと言わんばかりに無視し、ただひたすらに市街地に向かって走り続ける。まるで攻撃と防御をする暇があるなら走れと言わんばかりに。
加えて纏まらずに散り散りになって進行するのだから、一体を倒した時には他の個体がかなり進んでいる、という状況が何度も続いていた。
「なんだこいつら、メンドクサイな」
遊真も相手のその行動を不可解に思いながらも、しかしそれを詮索する時間が無い。
『どうやら東、西のトリオン兵も同様の動きをしているらしい』
「こいつらの動きもそうだけど、逃げてったトリオン兵も気になるな」
加えて先ほどのイルガーの爆撃。
遊真もまた忍田と同じく敵の行動に疑問を抱いていた。
確かに敵が散って形振り構わず市街地に向かうのは、こちらに対して有効な手だ。しかし、秀一、天羽によって二つのトリオン兵が殲滅された今、こちらは余裕を持って敵を殲滅することができる。
(……攻めて来たということは『勝てる』と判断しているからだ。それなのに、こんな雑魚を大量に送るだけというのも妙な話……)
何かが起きる。
『――ユーマ!』
「っ!」
ドゴンっ! と大きな音を立てて廃棄されたマンションの壁が崩れた。レプリカの警告でそれを察知した遊真はすぐに離れて、修の傍に降り立つ。
ガラガラと崩れ落ちる瓦礫から出てきたのは三メートル程の見たことも無いトリオン兵だった。腕が太く、ウサギのような耳を付けた、しかし何処か不気味なフォルムをしている。
『あれは――ラービット!』
「知っているのかレプリカ?」
『気を付けろ二人とも。ラービットは――』
足元のアスファルトが没落するほど強く踏み込んだラービットは、猛スピードで二人に襲い掛かる。
『トリガー使いを捕らえるトリオン兵だ!』
ラービットはその太い腕を振り下ろし、地面に穴を空ける。警戒していた二人は左右それぞれに避けて、修はアステロイド、遊真はスコーピオンで攻撃をする。
「硬っ」
「弾かれた!?」
しかし、硬質的な音が響くだけで全く効いていない。
今の攻撃でどちらが
修はそれをレイガストのシールドモードで受け止めようとするが、ラービットの体重、勢い、そして硬い腕によって吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
それを見た遊真は、このままでは下手にトリオンを削られると判断しトリガーを解除。そしてすかさず己のブラックトリガーを起動させる。
「
己のトリオン体を強化し、遊真は修に襲い掛かっているラービットの横っ面を思いっきりぶん殴った。事前に察知されたからか、ラービットは目を閉じて衝撃に備える。しかし、それは悪手で本来なら避けるべきだった。ラービットは予想外の威力の拳に装甲を粉砕されて致命傷を負う。遊真の拳はラービットの目に深々と突き刺さっていた。
沈黙したラービットを確認して、遊真は一息つく。
「空閑! お前、それ……」
「緊急事態だからな。出し惜しみをしていたらやられるのはこっちだ」
ブラックトリガーを使えば、自分と林藤支部長では庇えないと忠告をしようとした修だったが、遊真の言っていることも理解できるので思わず押し黙ってしまう。
『心配するなオサム。この近くに他のボーダーの隊員は居ない。敵だと誤射されることもないだろう』
「でも、逆に言うとそれだけ対応に追われているってことだ――戦況は傾きつつある」
『そう言うことだ。だが、その前に――シノダ本部長』
『どうした、レプリカ殿?』
レプリカは本部へと通信を繋げる。
忍田は突然現れた大きなトリオン反応に一瞬警戒していたが、レプリカが通信を繋げて来たことで、それが遊真だと悟る。彼の後ろで無許可でブッラクトリガーを使用した遊真に対して苦言を呈している者たちが居るが、忍田は緊急事態だと切って捨てる。
『今、こちらで新型トリオン兵を確認した』
『ああ。今、こちらでも他の部隊からその情報が入った』
『それならば、早急にB級部隊を下がらせてA級以上の部隊で対応させてもらいたい』
『……それだけの相手ということか?』
『ああ。あのトリオン兵の名はラービット。アフトクラトルが制作していた
『……! 了解した!』
忍田はレプリカの忠告を聞き届けると、すぐさま他の部隊に指示を出す。
現在合流が完了しているA級部隊は南西に嵐山隊と東に風間隊。この二つの部隊は率先して新型を叩くこととなった。また、秀一と太刀川もこれに当たり、B級は一度それぞれの区画で集合し、市街地に向かっているトリオン兵の討伐に赴くように、と。
『やはり妙だ』
「何がだ、レプリカ?」
しかし、レプリカは何か違和感を感じているようで、それに対して修が聞き返す。
レプリカはラービットを解析し終えると己の見解を述べる。
『調べた所、このラービットには他のトリオン兵とは比べものにならないほどのトリオンが使われている。加えてこのトリオン兵の数だ。これだけの戦力を投入すれば、本国の守りが手薄になるはずだ』
天羽と秀一によって数が減らされているが、初めに導入されたトリオン兵の量は脅威の一言。それに加えて新型を投入するということは、今回の襲撃にはそれだけの意味があるということだ。
「気を付けろよオサム。多分敵もそろそろ動くはずだ」
遊真は、長年戦場に居た経験から得た勘から、何かが起きると確信していた。
それも、特大のやばい奴が。
◆
――そして、その時はすぐに来た。
「――敵はこちらの目論見通りイルガーを撃墜しました」
「種を蒔けたな、兄……隊長」
「ああ。これでようやく準備が整った――ミラ」
「はい。転送を開始します」
ミラは己のブラックトリガー『窓の影』とラッドの開けた門を繋げる。
それと同時に、ボーダー本部基地の周りに幾つもの
その数約三十体。
「警告! 基地周辺に新型トリオン兵の反応が多数!」
「なんじゃと!?」
「くそ、何処から湧いて来た!」
何故ラービットが基地周辺に現れたのか。
それは、太刀川や秀一が斬ったイルガーに原因がある。彼らによって斬り裂かれたイルガーの内部には大量のラッドが潜んでいた。イルガーの膨大なトリオンによってラッドはボーダー側に勘付かれることなく、今のいままでトリオンを溜め込んでいたのだ。
ラービットは南西と東に向かって侵攻を開始した。
彼らの目的は挟み撃ちだ。市街地に向かうトリオン兵を追撃するボーダーの背後から襲い掛かり
「不味いぞ。このままでは――」
「――忍田本部長! 今度は南西部、東部から巨大なトリオン反応を確認!」
さらに戦況が動く。
ミラのトリガーにより東部にランバネインが、南西部にはヴィザ、ヒュース、エネドラが転送される。
「あ? どういうことだ? クロノスの鍵が居ねえじゃねえか」
『鍵周辺のラッドは全て壊されたのよ。仕方ないわ』
「ちっ。こっから歩きかよ」
「心配するな。蝶の楯ですぐに追いつく」
そう文句を言うエネドラの口が、突如銃音と共に歪んだ。
しかしすぐさま再生されていき、エネドラは己を撃った敵へと視線を向ける。
「こちら茶野隊! 人型
「俺たちが相手だ
「ふん、雑魚が」
こちらに向かって銃を向ける二人の少年を見たエネドラの目は、まるでゴミを見るかのように冷たかった。
彼は己のブラックトリガー『泥の王』を使い、身体の半分を相手に向かって解き放った。
「! シールド!」
「無駄だ雑魚ども!」
茶野隊の二人はシールドを張るも、泥の王によって硬質化されたブレードは防壁を紙のように突き破り、そのまま二人の心臓を突き刺した。
茶野隊二人のトリオン体は、その攻撃によって活動限界を迎えて
「はっ。準備運動にすらなりゃしねえ」
「行くぞ、エネドラ」
「ああん? 誰に向かって口聞いてんだクソ雑魚?」
「ほっほっほっほっほ。元気があってよろしいですなエネドラ殿。これからの戦いでは、頼りにしてますぞ」
「……ちっ」
先ほどまで粋がっていたエネドラは、ヴィザのその言葉に舌打ちをして押し黙る。
どうやら彼相手にふんぞり返ることはできないようだ。
ヒュースは己のトリガーを使って、己含めた三人の背に鉄の翼を作り、まるで線路のように基地南部に向けてレールを生成。
そして蝶の楯の能力を用いて空を高速で移動した。
ハイレインが最も警戒する男、最上秀一に向かって。
現在の戦況
基地北部
三輪、基地南部に向かって南下中。
香取隊、基地東部に向かっている。
二宮隊、間もなく到着。
基地東部
諏訪隊、キューブ化された諏訪隊長を抱えて撤退中。
風間隊、ラービット討伐中
柿崎隊、荒船隊、他の部隊と合流しつつ市街地に向かうトリオン兵殲滅中。
太刀川、基地周辺から出現したラービットを討伐するためにUターン。
影浦隊、間もなく到着。
ランバネイン転送終了
ラービットの群れが基地から東部に向かって進行中
基地南部
最上、トリオン兵を全て破壊。現在基地南西部に向かっている。
基地南西部
遊真、修トリオン兵を討伐中。ラービットを一体撃破。
鈴鳴第一、東隊、ラービットと交戦中。
嵐山隊、ラービットとトリオン兵を討伐中。
茶野隊、リタイア。
千佳、他のC級隊員たちと共に基地に向かって避難している。
ヴィザ、ヒュース、エネドラ、最上に向かって侵攻中。
玉狛第一、間もなく到着。
基地西部
迅、基地南部に向かっている。
天羽、トリオン兵を討伐中。
基地北西部
天羽によってトリオン兵事更地に。