イレギュラーゲート門騒動は終息し、彼は漸く特別防衛任務から解放されることとなった。これで市民からの冷たい視線に晒されることもなくなる。
ちなみに、今回の給料は『特別』という言葉が入るからか、通帳に刻まれた数字の桁が変動するというちょっとしたサプライズが起きた。しばらく防衛任務に出なくても良いくらいには。
終わり良ければ総て良し、とはよく言ったものだと彼は思いつつ、部屋でダラッと寛いでいた。今日明日は防衛任務の無い彼は、久しぶりに祖父に顔を見せようと考えていた。
しかし今の時刻は10時。彼が乗る予定の電車は11時なため、それまで時間はたっぷりとある。完全に思考が休日の社畜だ。
しかし、そんな彼に客が訪れる。
インターホンが鳴り、彼はまるで猫のように音も無く素早く立ち上がる。ボーダーで養われた危機察知能力を日常で使う彼にはため息も出ない。
初めて鳴ったインターホンに、トリオン兵相手にも見せない臨戦態勢を取る彼の耳に、今度は鈍いノック音が響く。
「おーい。シュウイチ、居るか」
空閑の声が聞こえた彼は急いで着替えた。トリオン体じゃあないのかと思うほどに。
わずか一分で外行きの服に着替えた彼は、サイドエフェクトで自分を落ち着かせて、ゆっくりと扉を開く。
「おっ、良かった。家に居ないかと思った」
空閑はそう言うと彼に頼みたいことがあると言った。
何でも、最近自転車を買ったのだが、乗り方が良く分からない。そこで隣人である彼に教えて欲しいらしい。
彼は
このイベントを通して親睦を深めれば友人(願望)から友人(予定)になれるかもしれない。分かりやすく言うと、挨拶をするかしないか微妙な関係の人から、顔を合わせれば世間話をすることができる関係の人くらいにはランクアップする。
分かりにくい上に彼は混乱していた。
とにかく、彼は空閑の頼みを快く引き受けた。
「おお、ありがとうございます。でも、今日どっか行くんじゃないの? 荷物纏めているっぽいけど」
空閑にそう言われ、彼は一時間後の電車に乗らなければいけないことを思い出した。
まさかの時間制限付きである。
彼は泣く泣くそのことを空閑に言い、一時間だけ付き合うことになった。
彼は鞄を持つと空閑と共に弓手町に向かった。
◆
空閑にとって、最上秀一という人間はよく分からない人間だった。
彼がこの世界に住んでいるマンションの隣人で、偶然にも同い年で同じ学校に行く少年――それだけの人間のはずだった。
しかし、初めて彼と出会った時、その認識は改めることとなる。
(常に嘘を吐く人間なんて初めて見たな)
空閑には嘘を見抜くサイドエフェクトがある。
だが、最上秀一に対してはほとんど機能していないと言える。
彼はこちらの問いにほとんど返さないし、かと言って応えたと思えば嘘を吐く……いや、嘘を吐くというよりも、答えの上に『嘘』という殻によって分からないようにさせられている、という方が正しいか。
正直、空閑は彼のことが苦手だった。……そう、苦手
思い出すのは第三三門市中学校で起きたイレギュラーゲート門の一件。
あの時、訓練生である三雲の行いはボーダーにおいては間違いであり、そのことを木虎は強く指摘していた。空閑はそのことに納得できず、サイドエフェクトを使ってまで彼女を追い込んだ。
タジタジとなった彼女は、現場にいた最上にも同意を求めたが……彼は三雲を庇った。後から空閑は三雲に聞いたが、彼を知る人間からすれば予想外の発言だったらしい。だからこそ、その場に居た空閑以外の人間は驚いていたらしいし、彼の忠言は上層部の面々を唸らせていたとのこと。
そして、彼のその言葉に空閑のサイドエフェクトは発動しなかった。
彼は他人に対して興味が無いのでは? と思っていた空閑は『苦手な人間』から『良く分からない奴』となった。
だが、それらすら吹き飛ぶような情報を空閑は手に入れていた。
最初、空閑は最上のことを『サイジョウ』だと勘違いしていた。しかし、実際は『モガミ』であり……空閑の探す『モガミソウイチ』と同じ姓を持つボーダー隊員だった。
彼がこの世界に来た目的の人物に連なる少年を前に、しかし彼はそのことを聞くことができなかった。
――最上秀一は
三雲から聞かされたその言葉は、空閑の行動を制限させた。もし空閑が
「いやー……難しいね」
自転車の練習に四苦八苦している空閑に、最上はいつの間にか買っていたであろうスポーツ飲料を手渡してくる。彼は礼を言いつつ受け取るも、内心は複雑だった。そして考えてしまう。
最上は
そして、その彼はボーダーに入り、噂になるほどトリオン兵を狩り続け、現在はマンションで一人暮らし……。
こちらの世界での
そしてそれは、隣の少年も――。
「……なあ、シュウイチ。お前はさ、
空閑は彼に問いかけてみた。そろそろ彼はこの場を去らなければならない。その前に確認したかった。
それに対して最上は迷いなく『敵』だと言い、その言葉に空閑のサイドエフェクトは反応しなかった。
最上はそれがどうかしたか? と聞いて来るが、空閑は何でもないと答える。
「それともう一つ。
……シュウイチのお父さんって、元気?」
初めは聞くか迷ったこの問い掛け。
しかし、空閑は聞かなければならない。己の目的のためにも。
最上は空閑の問いにしばらく黙っていたが――しっかりと答えた。
もう、この世には居ない……と。
「……そっか」
三雲から聞いた話から推測していた空閑に衝撃は無かった。ただ、自分の思い浮かべた可能性が高くなっただけだ。
そんな空閑に気を遣ったのか最上は言う。
自分は気にしていないと。父の死は己の知らないところで起きたのだから。
だから、彼の死については全く何とも思っていない、と。
最上は時間だと言ってこの場を去って行った。
空閑は、その遠ざかる背中を見ながらポツリと呟く。
「……つまんないウソつくね、シュウイチ」
◆
上げて落とすとはこのことを言うのか。
「何故お前が此処に居る、最上」
目の前には怖い先輩こと三輪秀次が、同じ隊員である米屋陽介を連れ立って歩いていた。
偶然鉢合わせた彼らだったが、どういうわけかいつもよりも三輪の機嫌は悪く、彼と出会った途端にこの言いようである。
もう少し余裕を持ってくださいよ、と友人(願望)の手伝いをしていたと彼は思う。が、やっぱり目の前の男の鋭い視線は怖いのか、すぐにそんな考えは霧散した。
彼はビビりながらも、これから実家に帰るのだと言うが、何故か三輪にガッとされた。解せぬ。
「違う。何故お前がみく……弓手町に居たのか、ということだ」
質問の意味が分からない。でも答えが分からなかったらもっと意味の分からないことになりそうだ。
そう思った彼は簡単に先ほどまでの出来事を三輪に言った。
自転車の乗り方を知らない友人に、さっきまで乗り方を教えていたと。
彼は外国育ちのようで日本のことに疎いと。
見栄を張って『友人』と言った彼は内心やっちまったと思うが、何故か目の前の二人は固まっている。どうしたのだろうか?
「モガミンに友達だと……!」
それは酷くないですかね米屋先輩(泣)。
優しいと思っていた先輩のあんまりな態度に内心泣いていると、三輪が再起動して凄んできた。
そいつの名前は三雲か?と。
外国の人なんですが、この人は聞いていなかったのか?
と思いつつも彼は友人の名は『空閑遊真』だと教える。
すると三輪は落ち着いたのか、彼の頭から手を放した。それを
しばらくして後ろを見るも、とくに何かされる気配も無い。
彼はさっさと祖父の元に行こう、と少し歩く速度を早くした。
空閑のことを『友達』と言ってしまったことに、どうしようと頭を抱えながら。
さあ、盛り上がってきました(愉悦)