ハリー・ポッターと幻想殺し(イマジンブレイカー) 作:冬野暖房器具
「………不幸だ」
暗い闇の中で、上条当麻はそう呟いた。口癖になってしまっているこのセリフとはもう長い付き合いである。
大抵の場合、この「不幸だ」という台詞が発せられるのは、自らの置かれた立場を明確に自覚した時である。これからやって来る、あるいは既に訪れた絶望を諦めながらも受け入れた時、自らを諌めるかのようにこの台詞は紡ぎ出される。それが口癖になってしまうくらいには、上条当麻は不幸な人間だった。
『新たな天地を望むか?』
上条の脳裏に蘇るのは、
(右手を潰されて、そしてアイツのこの言葉を聞いて……それから)
激痛の中、その言葉を聞いたのだ。理想送りの発動条件となる呪いの言葉。
(俺は………死んだ、のか?)
神をも消し去る右手、理想送り。その能力は上里曰く、『この世界に存在する使われていないフレームへと、他者を追放する力』。既存の世界を渇望する上条当麻の幻想殺しとは対をなす、新たな世界へと旅立たせる能力であり、そしてそれを喰らえばもう絶対に戻ってくることは出来ない、と。
(いいや、そんな事はない。上里に理想送りが宿ったのは1ヶ月ほど前だった。あの右手の能力は、アイツ自身がまだよく理解できていない代物なんだ。絶対に帰って来られないなんて、言い切れるはずがない)
パニックになることもなく、自身の置かれている状況を冷静に観察する。周囲に光源となるものはない。黒一色と言う点ではオティヌスに世界を滅ぼされた時に似ているが、あの時とは明確に違うようだ。床を踏んでみると、コツコツと固く継ぎ目のある大理石のような感触がある。
(………夜、なのか? それとも地下? ここが一体どこなのか、まずはそれを見極めねぇと)
そして、上条当麻が決意を新たにした瞬間―――
「はて、このような夜更けに、一体どちら様かのう?」
周囲に明かりが灯り、上条当麻は目を細めた。飄々とした口調の英語が、上条当麻の耳に届く。そして、その視界に入ってきた人物は―――半月形の眼鏡に長い白ひげを蓄えた、パジャマ姿の老人だった。
ホグワーツ魔法魔術学校。遠い昔……具体的には1000年ほど前に。四人の偉大なる魔法使い達によって創設されたこの学校は、創立当初から今日に至るまで、世界的に有名な学び舎として名を馳せている。
そして現在。いよいよ明後日には夏休みが明ける。夢を詰め込み頭を空っぽにしてきた在学生達や、空っぽの頭でホグワーツを夢想する新入生達を心待ちにする、一人の教員がいた。
ホグワーツの校長にして今世紀最も偉大なる魔法使い、アルバス=ダンブルドアその人である。
(フラッフィーもようやく到着……賢者の石の仕掛けは完成したのう。ウィーズリー兄弟がバナナに変えてしまったフクロウも、腐りかけのところをフィリウスが最後の一本を見つけたようじゃな)
準備は上々。はてさて、今年はどのような一年になるのか。魔法使いとしての深遠なる叡智や、卓越した技術を持ち合わせるダンブルドアにも、その行く末はわからない。夢と希望に満ちた若人達は、誰にも制御出来るものではないのだ。だからこそ、ダンブルドアはこの職を愛してやまないのである。
……それに今年は、特別な入学者がいる。その入学者の存在が、より一層ダンブルドアの期待を膨らませていた。
(ああ、ハリーよ。君はこのホグワーツが気にいるじゃろうか。おそらく君は良かれ悪しかれ、注目の的となることじゃろう……願わくば、輪の中心ではなく輪の中へと入って貰いたいものじゃな……儂とは違う道を、君には歩んで貰いたいのう)
少しくらいのお茶目なら、多目に見てあげたいものだ。自らの宿命に気づくその時まで、どうか幸せな学校生活を送ってもらいたい。
(生涯の友を見出だせる事を祈っておるよ……ハリー)
とある少年の未来を憂い、ついつい夜更かししてしまったダンブルドアであるが、そろそろ眠りにつく頃合いである。ふかふかの布団に入り、森番がクリスマスに送ってくれた焦げ茶色の枕に頭を乗せて、夢の世界へと旅立とうとしたその時―――ダンブルドアは異変に気づいた。
その瞬間のダンブルドアの行動は素早かった。一瞬にして布団から飛び起き、パジャマ姿も顧みずに寝室を飛び出し、ペットであり友である不死鳥、フォークスの元へと一直線に駆け寄ったのだ。
(ホグワーツの結界が軋んでおるな。一律に、しかも内側からとは……どういう事じゃ?)
長い時を生きてきたダンブルドアだが、このような現象は初見だった。その創設当初から、ホグワーツには様々な防護対策が施されている。マグル避けはもちろんの事、位置発見不可能呪文、姿あらわし封じ、その他現代の魔法使いでは解明不可能な魔法すら存在する。
世界一安全と評されるホグワーツの魔法結界の数々。それら全てが歪み、軋んでしまっているという事実に、ダンブルドアは眉を潜めていた。
(攻撃、と言うよりは一種の現象に近いのう。押されているのではなく吸い込まれて……いや、これは)
魔法というモノは痕跡を残す。その流れや性質を読み取る事に関しては、ダンブルドアは間違いなく超一流であった。そんな彼が、ホグワーツに突如として起こったこの現象について考察した結果。限りなく正答に近い推論を叩き出すのに、ほんの数分も掛からなかったのは言うまでもない。
(
とにかく現場に向かうしかない。ホグワーツの敷地内では姿あらわしは出来ないのだが。幸いにしてダンブルドアはそれ以外の移動方法を持ち合わせている。
「フォークス」
不死鳥の力を借りて、ダンブルドアは歪みの中心へと転移する。フォークスが老人の肩にひらりと舞い降りたその瞬間。紅蓮の炎と共に、偉大なる魔法使いが校長室から姿を消し、そしてとあるホグワーツの通路へと出現したのだ。
歪みの中心。そこには一人の東洋人が立っていた。ダンブルドアの杖先から出た明かりを前に、眩しそうに目を細めているのは、見慣れない服を着たツンツン頭の少年である。
今このホグワーツに、ダンブルドアの知らない人物がいるはずがない。そして、ダンブルドアの鋭い観察眼は、その少年の右手に注目していた。
「はて、このような夜更けに、一体どちら様かのう?」
胸のうちに秘める警戒を、切れ端も言葉に込めることもなく、ダンブルドアはそう尋ねた。
上条当麻がダンブルドアの姿を見て、まず最初に抱いた感想はこうだった。
(…………魔術師だ)
まさしく、上条当麻が今まで出会ってきたような人達とは、似ても似つかない様相ではあるものの。目の前の人物は絵に書いたような魔術師だった。長い白髭に、銀髪の頭の上にはサンタが被るような帽子。半月形の眼鏡に、右手に掲げられた杖先は光り輝いていて、足元には犬をモチーフとしたスリッパを履いている。極めつけは肩に止まった見たことも無い立派な鳥だ。
(どう見ても魔術師で、しかも優しそうなお爺ちゃんキャラとは……もしかしてここは、この爺さんの家か? ……となると上条さんは絶賛不法侵入中ってことじゃ!?)
だらだらと嫌な汗が吹き出してくる。弁解しようにも、先程相手が喋っていた言語はおそらく英語。今まで散々外国人と話す機会があったのにも関わらず、未だに日常会話のレベル2で躓く男。それが上条当麻という高校生である。
(ふ、フーアーユーは聞き取れたぞ……いや、万が一、億が一違ったとしても、まずは挨拶、そして自己紹介さえしておけば間違いはないはず……だよな?)
やってやる、と。右拳を握り締めて、上条当麻は目の前の老人の眼を見る。その瞬間に、老人が警戒して杖を構え直したのだが上条当麻はまったく気が付かなかった。
大天使に立ち向かった時や、神様と激闘を繰り広げた時と同じくらいの勇気を振り絞って、上条当麻渾身の英語がその口から紡ぎ出される―――
「は、ハロー! ナイストゥーミーチュー…… アイム、トーマ=カミジョー!」
……ひとまず、この英語は成功だった。
ダンブルドアの警戒レベルを最低にまで引き下げた上で、上条当麻の名前どころか出身まで伝えることに成功したのだから。
「日本語はあまり得意ではないんじゃがのう」
ズコー、と上条当麻はその場で伸びてしまった。まさしく気合の空回りである。
「に、日本語が通じるのは良かった……けどなんで俺が日本人だと?」
「うむ、発音の訛りや、にこにこと笑顔で乗り切ろうとするその気概からかのう」
蓄えたヒゲを撫で付けながら、ダンブルドアは答えた。この程度の洞察は、ダンブルドアの優秀な頭脳を一欠けらほどでも動員させればわかる簡単な事実だった。
「さて……ではひとまず上条君と呼んでもよいかのう?」
「ど、どうぞ……」
「ワシの名前はアルバス=ダンブルドアと言う。ホグワーツ魔法魔術学校の校長をしておる」
魔法魔術学校、と聞いて上条当麻は首を傾げた。
(魔術師専門の学校なんて初めて聞いたな。ステイルとかも通ってたのか?)
「という事はその、もしかしてここって……そのホグワーツって場所なのか?」
「……もしや君は、ここが何処かも知らずに迷い込んできたのかね?」
「まぁ、その。迷い込んだというより飛ばされて来たという方が近いんですけど」
飛ばされたという言葉を聞いて、ダンブルドアはさらに思考を巡らせた。
(何者かが彼を飛ばした……姿あらわしは不可能……移動キー、不死鳥、屋敷しもべ妖精等が考えられるが……一体何の目的で?)
だが問題はそこではない。このホグワーツへ現在進行形でダメージを与えているこの少年をどうするか。まずはそこから考えなければならない。
「上条君」
「は、はい」
「君が何者で、何処から来たのか。ワシは非常に興味がある……じゃが、今はそれどころではなくてな。可及的速やかに解決しなければならぬ事柄があるのじゃ」
「……お取り込み中です?」
「うむ。実はな、今このホグワーツの結界が非常にマズい事になっておるんじゃよ……この老いぼれの推測では、どうやら君の右手が作用しておるようじゃが……」
その言葉を聞いて、上条当麻は顔を歪めた。
「げっ!? 魔術学校って聞いて嫌な予感はしてたけど……畜生、不幸だー!!」
(……自覚はあるようじゃの。だが故意ではないと……極めて稀な呪いの一種かの? 魔法族ではないが繋がりはあるマグルというところか? 親戚に魔法使いがいる程度なのかもしれんのう)
「すいません、すぐ出ていきます!」
「いや、動かないでいてくれた方が助かる。今辛うじて結界は保たれている状態じゃからのう。下手に動かれると困るのじゃ」
ピタリと、上条当麻は動きを完全停止させた。上条を諌めたダンブルドアは、しげしげとその右手を観察していく。今なお進行形で、魔法を痕跡ごと残さずかき消していく、その不可思議な右手を。
(不思議じゃ。まっこと不思議じゃな。打ち消しているのは手首から上の部分……この少年に開心術が効かぬのも、おそらくはこの右手のせいか)
心というモノが何処に宿るかは不明だが、少なくとも開心術は対象の右手を僅かでも効果範囲に含めてしまうらしい。これだけでも、ダンブルドアにとっては新発見だった。
(……一見して無差別に魔法を消していると思うたが、どうやら違うようじゃな。極小ではあるが、消されずにいる魔法もあるようじゃ……流石にその識別は難しいがのう)
「上条君。君のその右手を止めることは出来ぬのかな?」
「す、すいません……無理なんです。この右手は生まれつきで……」
「……ふーむ」
嘘をついているようには見えない。開心術が通用しない現時点では、確実なことは言えないが。
(どうにかして、この右手の効力を封じ込める事は出来ぬものか)
「右手を前に出してくれるかのう?」
「……え? いや、あの……」
「ほっほ、悪いようにはせんよ。少なくとも、いきなり切り落としたりはせぬ」
にこにこと笑う老人の頼みを、断る術を上条は知らない。
(頼む……優しそうに見えて実はスプラッタジジイでしたなんてオチはやめてくれよ……?)
上条当麻の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、体感でほんの12時間前に自分にラブレターを出してきた
(手首から先の魔法消去機能はほぼ一律じゃな……どれ)
ダンブルドアは杖先から、ピンポン玉くらいの大きさの光を出した。ふわふわと浮かんでいるその球は、ゆっくりと上条の右手の人差し指へと軟着陸し、そして―――
バチンッ! と、触れるか否かという所で、弾けるように光球はかき消えてしまった。
「おお、なるほど。これは面白い」
楽しそうに自らの右手を弄ぶ老人を見て、上条当麻はこの短時間でダンブルドアの本質を理解した。
(魔術師で、温厚で、研究とかが好きなお爺ちゃんか……これまでに色々な魔術師を見たけどこんなタイプは初めてだ)
思い返してみれば碌な魔術師がいなかった。研究と温厚、という面で言えばオルソラが近いかもしれないが。とても目の前の老人と爆乳シスターを重ねて見る事は出来ない。
「あの、ダンブルドアさん?」
「うん? なんじゃ?」
光の球を、何度も右手にぶつけて遊ぶダンブルドアに、いい加減痺れを切らした上条は話しかけた。
「その、今まで色々な魔術師が俺の右手を見てきたけど……」
「うむ、その効力を抑えることが出来た者はいなかった、と?」
言葉尻を正確に引き継いだダンブルドアを見て、上条は頷いた。そして運悪く、魔術師と魔法使いという微妙なニュアンスの違いは、言語の壁に阻まれて伝わる事はなかった。
「たしかに、今の所完全に謎じゃ。見たところ全ての魔法を打ち消すというわけではないようじゃが。魔力の質、量を変えても、儂の魔法は尽く消去されておる。その消去速度は魔法自体の強さで多少の前後はあるがの」
(消されてない魔法がある?……いやその前に、"魔法"って?)
魔術という呼称ではない事に疑問を抱いたが、流派か何かの違いかと思い上条当麻は話を進める事にした。
「今俺が壊しかけてるっていう結界は張り直せないモノなんですか? 一度解除してからもう一度……」
「無理じゃな。失われた魔法も用いられておる」
「……八方塞がりかー」
だがそうなると、本格的に右腕を切り落とすか城の結界を粉々にするかの2択となる。
(切り落とされるのはゴメンだけど……失われた魔法が使われてる結界ってどれくらい価値があるんだ? やっぱり重要文化財並みに貴重なんだろうか)
弁償、の二文字が上条の頭をよぎる。
「畜生……これに似た事はイギリスでもあったけど……せっかくアレがきっかけで
といいつつも、結局その際に国宝級の聖剣を叩き折っている男。それが上条当麻である。
「『Imagine Breaker』……? その妙な呼称は、君の右手の事かね?」
「え? ああはい。改めて流暢な英語で言われると微妙な気分なんですが、まぁ」
「幻想、か。ほっほ、なるほど。ようやく糸口が掴めたのう」
しゅるりと、ダンブルドアは懐から淡い光を放つ羽を取り出した。
「……これはこの不死鳥の羽じゃ。これを右手に持ってくれるかの」
「不死鳥? ……まぁ、いいですけど」
ダンブルドアの肩で直立不動のフォークスを見て怪訝そうな顔をする上条だったが、特に断る理由もないので素直に羽を受け取った。
「……これがどうかしましたか?」
別段、なんの変哲もない普通の羽。人差し指と親指で根本を挟み、くるくると回しながら上条当麻は尋ねた。
「うむ、君の右手の性質をようやく理解出来た。なんとも不可思議なモノであることには変わりないがのう」
そう言ってダンブルドアは杖を振る。すると青白く光る一束の糸が現れた。
「君の右手はあらゆる魔法を打ち消しておる。じゃがほんの少しだけ、僅かに打ち消されない魔法力がある事が確認できた。それは何か」
鋭い手捌きで杖を振り、それに呼応するかのように宙で糸束が形を作る。どうやら魔法で縫い物をしているようだ。その光景を、上条は口を大きく開けて見つめていた。
「原初の魔法。我々魔法使いの意思を乗せていない、空間に宿る無色の魔法力じゃ。即ちその右手の例外とは、『ヒトの意思が含まれない魔法』……幻想殺しとはよく言ったものじゃ。それを名付けた者は、その本質を完全に理解しておるように思える」
「幻想殺しの、本質?」
「うむ。しかも魔法を幻想と断じておるからして、もしかすると相当の魔法嫌いであったのかもしれん」
圧倒的な速度で、ダンブルドアは縫い物を完成させた。手縫いならぬ杖縫いの一品。最近始めた編み物の趣味がこんなところで役に立つなんて、彼は夢にも思わなかった。
「これを着けてくれるかの? ワシの推論が正しければ……これで万事解決じゃ」
「はぁ……手袋?」
青白く発光する片手分の手袋。上条はそれを素直に受け取り、ごそごそと右手に付けてみた。
「えーと、特に何も起きる気配がないんですが……失敗?」
「……いや、何も起きぬからこそ成功じゃ。ホグワーツへのダメージはどうにか抑えられたようじゃな」
そう言われても上条にはピンと来ない。まぁダンブルドアが納得しているのであれば、それで問題はないのだろうが。
(いや、でもそれってかなり凄い事じゃないか? 俺の右手の特性を、この一瞬で……)
「さて、本題に……いや、その前にお茶にでもしようかの」
ズルッ、と上条当麻はずっこけた。どうにもいまいち目の前の老人の凄みが伝わってこない。この独特のペースはやっぱり、あのシスターオルソラに通じるものがある気がする。
「お茶って……いや、俺は早く帰らないと」
「急がば回れと言うじゃろう、君の国では。まぁワシたち魔法使いでは、
「ああそう……って、滅茶苦茶日本に詳しいじゃねーか! 日本語が得意じゃない設定はどこに行きやがりました!?」
特に返事もせず。ほっほ、と笑う老人はスタスタと歩いて行ってしまう。そんな老人の後を、上条当麻は追いかけるように着いていく。
(……まぁでも。優しそうな人で良かったな。こればっかりは幸運だった)
そんな感想を抱いた上条当麻が、自分の
不死鳥での移動は映画版。シャックボルトの「粋ですよ」のワンシーンです。