『私には昔からの悪友が居てね、そいつと組んでイタズラをしては先生や両親によく怒られたんだ』
懐かしい言葉が聞こえた。
これは確か、私がベルリネッタ家に引き取られてすぐの頃に言われた発言だった覚えがある。
『イタズラ、ですか』
『想像できないって顔をしてるね。……私は今でこそこうして落ち着いてるけど、昔はそりゃもう、とんでもない悪ガキだったのさ。
盗んだバイクで走り出すとか、特に意味もなく徹夜で街に遊びに出たりとか、その場のノリで真冬の川に全裸で飛び込みとかな。
……そんな事ばっかしてたから、帰ったらいつも親父のキッツイお叱りが待ってた』
『想像できないでしょう?』
母さんの言葉に私は頷いた。私の中で悪ガキという言葉は、私やフーちゃんを虐めてくるような男の子達に向けられるような言葉だったから、それが目の前で優しく微笑む父さんとは合わないと感じた。
そんな父さんは困ったような顔をしながら、後ろ手で頭を掻いて続けた。
『この話をするといつもそう言われるんだよな……まあとにかく、私にはそういう事を一緒にできる仲の友人が居るんだ。そいつは落ち着いたかと思うと私より早く家庭持って、しかも1人息子が居る。…………あいつめ、悪ガキレベルでいえば俺より上なのに、気付いたら先に幸せそうな家庭持ちやがって……』
『お父さん?話が脱線しちゃってるわ。あと口調』
『……ん"ん"っ。その子の歳は同じくらいだし、性格もあのバカと違って大人しいからリンネも仲良くなれると思うよ』
あの口調って作ってたんだ。
ふとした拍子に飛び出してくる雑な言葉からそう思いつつ、それでも嬉しそうなお父さんを見ていると脳裏にふとフーちゃんの姿が現れた。その横には孤児院のみんなが居る。
全く似ていない筈なのに、何故かフーちゃんの笑った顔と父さんの嬉しそうな顔が重なった。
なんだか妙に泣きたくなった。
00-R
…………随分と懐かしい夢を見た、ような気がする。
「ん、んん……ん?」
何故か全身が痛い。起き上がろうとすると全身の関節が悲鳴を上げているような感じがする。
「起きたかい」
「……父さん?」
ベッド脇に父さんが座っていた。珍しい光景に目を瞬かせていると、父さんはおもむろに私のおでこに手を当て、しばらくそのままで居たかと思うと1人で頷いた。父さんのひんやりとした手が気持ちいい。
「……やはりか」
なにが"やはり"なのか分からない。
私が黙っていると父さんのひんやりした手が離れて、代わりに凄く冷えっとした物がおでこに乗っかった。これは……
「冷え冷えピタっと……?父さん、これって」
「リンネ、今日は学校を休みなさい。酷い熱だ」
「えっ……?」
酷い熱、と父さんに言われて初めて私は自分の様子を意識した。吐き出す息は熱を帯びていて、身体中に倦怠感が満ちている。
「でも、なんで……」
でも私には心当たりがなかった。父さん達はもちろん、ジルコーチやお兄ちゃん、そしてフーちゃんからも"身体を大事にするように"って口酸っぱく言われていたから、それなりに気を使ってたつもりなんだけど……。
「今朝、起きてこないリンネを心配して部屋を見に行ったらもぬけの殻だった。
…………こんな事は言いたくないが、リンネには過去に家から抜け出した前例があるからね。急いで家中を探したよ。それでパジャマ姿のリンネを見つけたのは離れのトレーニングルームだった。
最近は暖かくなったとはいっても、まだ夜は冷える。そんな場所で毛布1枚すらかけずに寝てしまったことと、日頃の練習の疲れが合わさったのだろうさ」
そう言われて、私はようやく昨日の夜の記憶を思い出した。 確か昨日は寝るまでに余裕があったから、シャマルさんに教えてもらった術式の練習をしていたはず。
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。勉強熱心なのは親としてはとても嬉しい事だからね。……だが、自分の身体の事はもう少し省みて欲しい。リンネになにかあったら、私達だけでなく、ジルコーチやシュウ君やフーカちゃんも心配するのだから」
「…………うん」
「ところで水は飲めそうかな?昨日から水分の補給はしてないんじゃないかと思って、今用意させているんだけど」
「飲む」
身体を起き上がらせようとした。けれど、私の身体は鉛か何かで作られたみたいに重く、動かない。
「んしょ、よいしょ。……あれ?」
「ああ、身体が動かないのか。ちょっと待ってくれ、今起こすから」
そんな私を見かねたのか、父さんが私を起こしてくれた。ずっと寝ていたからなのか頭の中がガンガンと鈍く痛む。
「失礼します。旦那様、お水をお持ちしました」
「ありがとう、手間をかけたね。ほらリンネ。むせないように、ゆっくりとね」
程なくしてメイドさんが持ってきてくれた水を、私はかなりゆっくり飲み干した。一口ずつ水を含むのも今の私にはかなりの重労働に思えた。
「しっかし、この調子だとロクに物も食べられなさそうだな……食欲は?」
「ぷはっ。ううん、今は別に……」
食欲は無かった。昨日の夕食を最後に間食もしていない筈なのに、何も食べられる気がしない。
でも、その代わりって訳でもないだろうけど、なんだか凄く眠い。今こうして上半身を起こしているだけなのに凄い疲れた。
「眠いのか?」
「ぅん……」
「なら寝るといい。学校とジルコーチへは私の方から連絡しておこう」
父さんの大きくて優しい手が私を再び横にして、肩までしっかりと布団を掛けなおしてくれた。
ありがとう。と言おうとした。けれど口は動かなくて、私の瞼は自然に重くなっていって、そして、そして──
01-R
『のうリンネ。どうしてじゃ?』
『なにが?』
『どうしてお前は、そうまでして力にこだわった?』
殴り合いの果てに、フーちゃんとの蟠りが全てとはいわなくても大体解けた日の夜。私はベランダでフーちゃんと二人っきりだった。
『いや、大切な何かを守るためっていうんは分かっとる。けど、わしから見たリンネは、なんというか……』
フーちゃんは言葉を探しているようだった。でも納得のいう言葉が出てこなかったのか、両手で頭をガシガシしたかと思うと私に向き直った。
『……ああもう、まどろっこしい。単刀直入に言うぞ。リンネ、それは自分を傷付けてまで得るような力なのか?』
『…………』
傷付ける、というのが何を示すのかは分からない。ジルコーチの胃の中身を戻すような特訓の事かもしれないし、それ以外の事かもしれない。
ともかく、フーちゃんはそれをやめて欲しいんだろう。フーちゃんは優しいから、私が傷付く事に良くない思いを抱いている筈だ。
『力を得る事については否定せん。この世界を生き抜くには、どんな形にしろ、やっぱり力は必要じゃからな。世間に出て、わしはその事を痛感した……』
フーちゃんが何に思いを馳せているのかは分からない。でもそれは、私とフーちゃんが別れてからの期間に起こった事なのは簡単に想像できた。
忘れがちだけど、フーちゃんはもう、れっきとした社会人だ。まだ私の想像もできないような嫌な目に会ったりもしただろう。
フーちゃんは私に目線を戻した。
『けど、もう充分じゃろう。それだけの力があれば、守りたいものだって十分に守れる筈じゃ。何故リンネはそうまでして力を求める?』
何故か。そんなのは決まってる。
『足りないから』
『足りないって、力がか?そんな、まさか』
『足りないんだよフーちゃん。まだ全然』
足りない。あと数メートル、あと数秒、あと1歩、あと一瞬。あそこに辿り着くだけの力が、私にはまだ足りない。
フーちゃんとの意地の張り合いの果てに、おじいちゃんは振り向いてくれた。私に笑いかけてくれた。それだけで私が頑張った理由の半分は報われた。心残りの半分は消え去った。
『それは……それが、お前が自分を痛めつける理由か!?』
フーちゃんは叫んだ。その声からは抑えきれない焦燥を感じる事ができる。
『リンネ。わしはさっき、ジルコーチにお前のプライベートでの練習風景を見させてもらった。
『……見たんだ』
できればフーちゃんには見られたくなかった。だって、間違いなくこうなるであろう事が分かっていたから。
『ああ、見た。素手のまま、サンドバッグじゃなくて木や大きな岩を殴っている光景を見た時は、わしの頭がおかしくなったかと思った』
フーちゃんは私の片腕を掴むと、勢いよく長い袖を捲って地肌を露出させる。
『その力は、お前の綺麗な肌をこんなにしてまで得る価値のある物か!』
小さいのから大きいのまで、私が練習の最中に付けた傷がそこにはあった。砕けた刃が私に残していった傷だ。一番新しい傷は、ちょうど昨日のものになる。
『──アインハルトさんが、どうやって強くなったのか。フーちゃんは知ってる?』
『今は関係のない事じゃろう』
『アインハルトさんはね、小さい頃からサンドバッグじゃなくて近所の林に生えてた木や、その近くにあった岩で打撃練習をしてたんだって』
お兄ちゃんから聞いた。「昔は俺とアインハルトもやんちゃしてたんだー」なんて懐かしむように話してくれた昔話の一つ。
でも、お兄ちゃんには悪いけど注目するのはそこじゃない。私が注目したのは、アインハルトさんが近所の木や岩でトレーニングしていたという点。
『……それと、この傷と、なんの関係があるんじゃ』
当たり前だけどサンドバッグになる為に木や岩は成長しない。やってみて分かったことだけど、殴る為に最適化されたサンドバッグと違って、力任せに殴れば手は痛いし最悪の場合は骨にクる。
そんな木や岩に効率良く攻撃の威力と衝撃を伝えて叩き潰すということは、与えたい威力に比例する力を、最も威力が高くなる場所に正確に当てる技術が要求される事だと気がついた。
しかも木や岩にも個体差があって、どこを殴れば効率良く叩き潰せるかが微妙に異なるから、それを見抜く観察眼も必要だ。
そして、これは全てがリングの上に転用できる。
無造作に殴るだけではあまり効果が無いのもそうだし、対戦相手に個体差があるのも同じ。手早く殴り倒すためには、木や岩を殴る経験が最も活きる。ついでに打撃力も相応に鍛えられる。
有り体に言えば効率が良い。少なくとも私は、これより効率の良い鍛錬法を知らない。温故知新とは良く言ったものだと思う。
『全ての経験を無駄なく活かせる。鍛錬の理想形でしょ』
肌についた傷は、その過程で砕けた木や岩の破片が付けた傷だけど、それがどうしたというんだ。
『そのために自分の身体を犠牲にするのか……っ!!』
『それで強くなれるならね』
私には越えなきゃいけない目標があり、その目標は全てにおいて私より遥かな高みにいる。知識、経験、才能、全てにおいて劣る私がそこに辿り着きたいなら、常識的な範囲内で手段を選んでなんかいられない。
……幼い頃からこんなトンデモな鍛錬をずっとしていたのなら、アインハルトさんの輝かしい経歴の数々も納得がいく。もちろん才能もあるんだろうけど、それだけで勝てない事は私自身が身を以て知っている。
『アインハルトさんはやった。お兄ちゃんも出来た。なら私ができない道理はない』
『そんな無茶苦茶な!シュウさんは兎も角、ハルさんが出来るからって、リンネが出来る保証なんてどこにも──』
『やれるとかやれないの問題じゃない、やらなきゃいけないんだよ。これはそういう話なの』
フーちゃんは何も言わなかった。私が被せた言葉に何を思ったかは分からないけど、その目は何処か悲しげだった。
『そうか。そうなのか………………ならリンネは、まだ格闘技を続けるって事じゃな』
『そうなるね』
少なくとも、今のところは。
私は心の中でそう付け足した。
こう言うと数多の格闘技選手から怒られるだろうけど、そもそも私にとっての格闘技とは、大事なものを守るための力を手っ取り早く得るツールでしかない。
力を得られさえすれば良かったから、私はお昼に食べた物をバケツに戻す事になったとしても耐えられた。力を得る代わりに痛みを差し出しているだけなんだから、それくらいなら別にいい。等価交換……とは違うかな。
とにかく今以上に、かつ効率良く強くなる方法が見つからない以上は私が格闘技を辞めることは恐らく無い。
『色々言いたい事はまだまだある。けど今日のところは何も言わん。言わんが……それはそれとして次の試合もわしが勝たせてもらうぞ』
『……うん』
悲しさと嬉しさが綯い交ぜになって、言葉に出来ないような表情のフーちゃんに私は心の内を話すことも出来ず、ただ曖昧に笑う事しか出来なかった。
02-R
「……──も酷いな。起───?い──や、寝てる─人を起こすのは流石に……」
「…………フー……ちゃん?」
「あ、リンネ。目を覚ましたか」
父さんの居た場所に今度はフーちゃんがいた。普段見ているナカジマジムのジャージではなく、受付で仕事をしている時の制服だ。
「その、服……」
「ん?ああ、これか。着替える時間も惜しくて着替えんで来たんじゃ。ああ、一応言っておくが、仕事はキッチリこなして来たぞ?」
もしかしたらフーちゃんの仕事の邪魔をしたのではないか、という私の心を見透かしたような付け足しに驚いた。
「よく……言いたいこと、分かったね」
「リンネの性分なら聞くであろう事を答えただけじゃ」
そう言いながらフーちゃんは背負ってきたらしいリュックからペットボトルを2本取り出す。スポーツドリンク"ポッカエリアス"だ。
「ポッカエリアス買ってきたんじゃ。飲むか?」
「うん」
どうしてだろう。ペットボトルを見たら急に喉が渇いてきた。フーちゃんと話している時は全く感じなかったのに。
「後はナカジマ会長から、リンゴとかバナナを渡してくれと言われたんで持ってきた」
「そこまで、してもらわなくて、いいのに……ぷはっ」
「飲むか喋るか、どっちかに専念せんとむせるぞ~」
そんなヘマはしない。と反論したかったけど、私の身体は反論に口を動かすよりポッカエリアスを飲む方向で口を……というか喉を?動かしたいらしかった。ペットボトル1本分をほぼ一気飲みした私は、身体中に水分が行き渡る感覚を覚えた。
私がペットボトルを傾けている間にフーちゃんは私に近寄ってきて、パジャマの内側に手を突っ込んだかと思うと汗まみれの背中に掌を付ける。
「んー、やっぱり寝汗が酷い。ちょっと待っとれ。いまタオルと着替えを持ってくる」
そう言って慌ただしく部屋を出ていったフーちゃんは、ものの5分もしない内に戻ってきた。
「ほらリンネ。汗拭き用のタオルと着替えじゃ。自分で脱げないなら代わりにわしがやるが、どうする?」
「自分で出来るよ……多分」
ボタンを外して、長袖のパジャマを脱ぐ。私がキャミソール1枚になるまでの間、フーちゃんの視線が私の腕に注がれているのがわかった。
「……フーちゃん、お願い」
「……ああ、任せろ」
私は何も言えなかった。私はフーちゃんの顔を見なくてもいいように俯く。
「とりあえずキャミソール脱がせるぞ」
寝汗で凄いことになっていたキャミソールを脱がされて、フーちゃんは濡れタオルで優しく、それでいて手早く拭いていく。
「そういえば、いま何時?」
「んー……今は1時を超えたくらいじゃな」
寝ている間に閉められていた、カーテンから漏れる光が朝に見た時より明るいような気がするのはそれが理由か。
「結構寝ちゃったんだ……」
「仕方ないじゃろ。最近……に限らず、お前は身体を酷使し過ぎる。休む時に休めるのも鍛錬の内じゃろ?」
「……返す言葉も無いです」
替えのキャミソールとパジャマを着ながら私は素直に反省した。風邪を引いたら大幅ロスなんだし、次はこうならないように頭の中のメモ帳にしっかり残しておこう。
「ところでリンネ、今までに何か食べたか?」
「えっ?ううん。食べてない、けど……」
「そうか。まったく困った奴じゃな」
フーちゃんは孤児院時代に良く見た困った子を見るような微笑みで私を見ながら手元でバナナの皮を半分ほど剥いて、こっちに向ける。
……まさかとは思うけど、これをどうしろと?
「ほれリンネ。口を開けろ」
「いや、あの、フーちゃん?いま私、食欲は……」
「風邪っていうんはな。食べて、飲んで、たっぷり寝れば後は気合いで治るもんじゃ」
なんて脳筋理論ーーっ?!
だから食え。と有無を言わさぬ口調と雰囲気でもって口元にバナナを押し付けてくるフーちゃんを、まだ本調子じゃない両手で弱々しく押し返す。
忘れてた。フーちゃんって基本スキルは高いけど、肝心な部分になるほど脳筋理論で答えを弾き出す悪癖があるんだった──!
「いや、それはフーちゃんだけで」
「大丈夫じゃ、問題ない」
何がだよ。問題大アリだよ。と叫びたい心を必死に抑えて、動かない頭脳をフル回転させて言い訳を探す。
「まあまあ、一本グイッと」
「ひっ……」
や、殺られる……!
気づいたら私はフーちゃんに押し倒されたような姿勢になっていた。昔に相対した時より遥かに強力な威圧感を放ちながら、口元にグイグイとバナナを押し付けてくる姿は紛うことなき変人のそれ。
そして動かない頭脳をフル回転させた結果、私は完全に積んだ事を理解した。してしまった。
助けを求めるだけの大声なんてまだ出せないし、退かせるだけの力も無い以上、私が出来ることは何も無い。
最早これまでと観念しかけた時、私達の横から露骨な咳払いが聞こえてきた。
「……何やってんだお前ら」
「「あ……」」
反射的にそっちへ顔を向けると、そこには息を切らし気味のお兄ちゃんが立っていた。
超今更☆簡易紹介
リンネ:おっぱい。
フーカ:実はリンネのおっぱいを見ていた
ダン・ベルリネッタ(父さん):心はまだ10代
シュウ(オリ主):徒歩で来た
おまけ
リンネ(腕の傷を見られてる。心配されてるのかな)
フーカ(なに食べたらそんなに大きくなるんじゃ)