東方新抗禍 ~A new Fantasy destroys devious vice~ 作:ねっぷう
鈴奈庵の娘、本居新子は両親から、禍王の”四人の歌姫計画”を知らされる。新子は仲間の茨木華扇と共に、歌姫計画を打ち破るために旅立った。
元憲兵団のバンを仲間に加え、北の歌姫を目指して妖怪の山を上る一行。そしてついに、北の歌姫が隠されている天狗のアジトへとたどり着き、番人である鬼人正邪との戦いが始まった。
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第18話 「北の歌姫」
「うおおおおおお!!」
鬼人正邪の『リベリオントリガー』と、新子の全力を込めたパンチがぶつかり合う。
周囲には衝撃によって稲妻がほとばしり、大気そのものが震えているようだ。
「ははははは!!勝てるものか、人間如きが!!」
「く…!」
だが、やはり新子では押されてしまう。脚がズルズルと後ろへ滑り、床がバキリとひび割れる。もう片方の腕も使って押し返そうとするが、腕が痺れて来た。もうダメかと思ったその時…
後ろから、誰かが背中を押した。後ろを振り向くと、バンが自分の背中を両腕で支えていた。
さらに、自分の横から小さな竜巻が現れ、一緒に正邪の攻撃を受け止めてくれた。華扇だ、イバラが竜巻のように回転している腕をぶつけてともに突破しようとしている。
…バキン
「…ん?」
矢印の先端に大きなひびが入った。ひびは広がり、ついには矢印は砕け散ってしまう。砕ける矢印の中から姿を現したのは、拳を振り上げてまっすぐこちらに向かってくる新子だった。
正邪が避ける間もなく、新子の拳が仮面の顔に深くめり込んだ。仮面がひび割れ、燃える炎のような赤い目がチカチカと点滅し、頭部がカタカタと壊れたおもちゃのようにふるえだす。
「ふん、所詮禍王から貰った魔力もこの程度か」
化身の背中から長衣を突き破って鬼人正邪本体が出て来る。崩れかけの化身の身体を、バランスも崩すことなく悠々と歩いてくる。そして、息を切らしている新子の顔面を、仕返しと言わんばかりに思い切り殴り抜けた。
容赦のない殴打が間髪無く新子を襲う。赤と青のオーラを放つ正邪の屈強な肉体が、新子をねじ伏せては起き上がらせ、一方的に痛めつけている。
「ハハハハハ!!」
新子も抵抗しようと正邪を殴る。正邪の鼻から血が流れ出すが、それすらも楽しんでいるかのように、攻撃の手を休めることはない。
正邪の中にある、かつての妖怪としての本能、天邪鬼として奮戦した時の血が騒いでいる。長らく押し込めていた戦いの楽しみを忘れてはいないのだ。
「ハァ…ハァ…」
ついに、新子は膝をついて倒れ込んだ。だが正邪は倒れる新子の頭を掴み、自分の顔へ近づける。
「久々に楽しめたよ、小娘。では…さっさと人間の吐き溜めに戻れ!」
正邪がそう言った時、新子の鋭い目が睨んだ。一瞬の気迫に正邪は押され、ふと新子の頭を離してしまった。新子は少し後ろへフラフラと後ずさり、そこで真っすぐ立った。
「…それでどうするつもりだ?」
「さっき、お前の妖気を…アタシは吸い取った。覚えたぜ、お前の技…」
「何だと?」
「そして使えるんだぜ、テメェの技を…!!」
新子は身を掲げ、右腕の拳を後ろへ引く。左手でその右拳を覆い、気を溜める。
拳が青いオーラを纏い、周囲にあった小石が浮き上がり、土煙が舞う。
「人間の小娘如きが、まさか…!」
「アタシは鈴奈庵の本居新子ってんだ、覚えておけや…。『リベリオントリガー』…!!」
炸裂するエネルギーと共に新子は正邪の胸を渾身の力で殴り抜けた。まばゆいばかりの閃光が塔全体を覆い尽くす。
正邪の身体から紫色の光があふれ出し、やがて爆発を起こした。
閃光と爆発が収まった後には、新子と正邪は未だに向かう会うようにして立っていた。
しかし、正邪の胸元には大きな風穴が空き、その肉体は赤熱しながら粘土のように崩れかけている。
「ケケケ…私よりその技を上手く使いこなすとは。だがお前のその能力、知ってから後悔することになるぞ」
「鬼人正邪…」
「ふぅ。一つだけ予言してやろう。”4人の歌姫の声 止みし時 永久の安らぎ 大地を満たす”」
「どういうことなの…?」
華扇が瓦礫の中から起き上がり、正邪に尋ねた。
「クククク…。本居新子、何故お前は邪悪を前にして力が増す?何故お前は、私のような歌姫の番人のように、歌姫に近づけば近づくほど、強くなる?」
「何だと…?」
その時、正邪の肉体がジュワっと蒸発するように溶けだした。溶けた液体は砂と成り、風に舞って消えてしまった。
正邪の遺した言葉の意味は何だったのだろう?だが、今はそれを考える暇は無い。まだやるべきことが残っているのだ。
新子と華扇は今だ傷一つつかずに残っている、正邪が座っていた玉座に目を付けた。玉座に近づき、それを押してみる。玉座は移動し、その下には幅1メートルほどの窪みがあった。
窪みの穴の中には、生白くブヨブヨと太った物体が鎮座していた。毒々しい黄色の縞模様が走っている。それが、悪臭を放つじめじめした穴の壁に狂ったように体を打ち付けていた。
目も、舌も、牙もない。だが、まるで熱を発するように全体から邪悪な気を放っている。ぱっくりと空いた口から、ガヤガヤとした叫び声が轟いた。
─うるさい
あまりのうるささに、二人は耳を塞いで身をかがめた。やかましい叫び声がガンガン耳に入って来る。まるで、何年も前に憲兵団が自慢げに里の通りの真ん中で演奏してた、エレキギターとかいう楽器のギャンギャンした騒音にそっくりだ。しかもそれが耳元で鳴らされているような感覚。
─早く止めてくれ!
止むことのない、もはや歌とは言えない叫び声。聞いているだけで、焦りややり場のない怒りが煮えたぎるようにこみあげて来る。今までの歌姫が聞く者に絶望や恐怖、倦怠を与えていたとしたら、この歌姫の声を聞く者に与えられるのは激しい負の怒りだろう。
─動くんだ、拳を上げろ!このやかましい物体を叩き潰すんだ
そう自分に言い聞かせても、身体が言う事を聞かない。邪悪な力に命を吸い取られていく。横に居る華扇も同じだろう。いや、元マガノ憲兵団のバンならば平気かもしれない。だがバンは今頃瓦礫の中で気絶しているだろう。
叫び声だけが耳を占領し、新子はがくりと倒れ込んだ。
指が言う事を聞かない。新子は訳も分からず、自分の手を見た。手が緑色に輝いている。指の間から緑色の光が筋となって現れ、周囲の暗闇を明るく照らし出した。
暗闇?そういえば、なんでこんなに暗いんだ?今は昼で、天井は全部吹っ飛んだはずなのに。
何がどうなっているんだ?
新子の鼓動は早鐘のように鳴っている。新子は上を見上げた。その瞬間、緑と黄色の巨体が空気を震わす咆哮を上げて新子目がけて迫ってきた。
麒麟だ!
突然大きなカギ爪にすくわれて身体を持ち上げられる。赤子のように成す術もなく、新子は麒麟の爪のゆりかごの中で身体を丸めた。新子は今、空を飛んでいた。横を見ると、反対側の前足の爪の間に、新子と同じように華扇とバンが揺られていた。
見下ろすと、例の窪みが見える。
麒麟は何も言わない。緑の炎のように燃える目で、穴の中でのたうち回る物体を見つめている。
だが、何も話す必要はなかった。新子には麒麟の鼓動が聞こえていた。雷のように力強い鼓動が耳の中に響き渡り、淀んだ北の歌姫の歌声をかき消してくれる。新子は自分を包んでいるカギ爪に片手を置き、それを握りしめた。カミソリのような爪が手に食い込み、温かい血が流れだす。
それにもかまわずに、新子は握る力を強めた。
すると、麒麟が雄叫びを上げ、緑の炎を吐いた。穴の底で悍ましい物体が緑の炎に包まれ、のたうち回る。新子は歓びに震えた。
麒麟は何度も何度も炎を吐いた。塔のてっぺんは緑の炎渦巻くかまどと化した。ガラスが赤熱し、やがて溶け出すように壊れていく。焼け付くほどの熱が下から湧き上がってくる。新子は熱から逃れるために身体を丸めた。
それでも新子は、麒麟の爪を掴んで離さなかった。今この瞬間も、新子の力が麒麟の爪を通して流れこんでいく。麒麟はこれでもかと炎を吐き、穴が盛んに燃える。
その時だった。「北の歌姫」の叫び声が、諦めたようなむせび泣きに変わった。声はだんだん力を失い、ぴたっと止んだ。目もくらむような白い光が、緑色の炎の中で炸裂する。
一瞬、大地が息を呑んだように静まり返った。妖怪の山全体が、まるで目の上のたんこぶを取り去ってもらった歓びに打ちひしがれているようだ。
やがて、長く、低いうめき声が響き渡った。そして次の瞬間、辺りはもうもうたる埃に包まれた。粉塵が風に吹かれて宙を舞い、目も開けられない。新子はせき込み、息も絶え絶えになった。
麒麟が、満足げにシューと音を立てた。次の瞬間、後ろ脚だけで空中を駆け、その後突然地面に向かって急降下を始めた。
新子の両耳を風が勢いよく吹き抜けていく。
目を開けた新子は、自分がまだ夢を見ているようだった。靄のかかった青い空を背景に、二つのぼんやりとした影が見える。
優しい風が頬を撫で、誰かが自分の手を握っていた。
「新子!」
とつぜん名前を呼ばれて、新子は目をしばたたいた。ゆっくりと目の焦点が合ってくる。二つの影は人の顔だ。うれしそうに笑っている…。
華扇とバンが新子の顔を覗いている。その後ろでは竿打が心配そうに首をかしげていた。
「あの塔は塵となって消えたわ。跡には元の天狗のアジトの城だけが残った」
「私は気絶していてよくわからなかったのだが、本当に歌姫は倒せたのか…?」
バンがかすれた声で言った。
「ああ、北の歌姫は始末した。…そうだ、麒麟は何処へ行った…?」
「麒麟は私たちをここへ降ろした後、また遠くへ飛び去ったわよ。おそらく、もう二度と会う事はないでしょう。アレは、怒りに満ちた目をしてたから」
「恐ろしい顔になるのも無理ねぇさ。名誉と力の象徴のあの麒麟は、なわばりに入り込んだ邪悪を退治するためにここへ来たんだから。きっと、今だになわばりに入った竜の事で頭がいっぱいなんだよ」
「怒らせておけばいいのさ」
新子は心の中でゆっくりと頷いた。
「あ、そうそう、さっき城の中でこんなのを見つけたんだけど」
華扇が取り出したのは、黒くて四角い機械だった。
「何だそりゃ?」
「知らないの?これはカメラと言って、写真を撮れる機械なのよ」
「これがあのカメラって奴か」
「写真って何よ?」
「いいからそこに立って!記念写真を撮るのよ」
華扇に腕を引かれるがまま、新子とバンは並んで立たされる。華扇はカメラのレンズの前で片目を閉じ、手でピースサインをつくる。そしてシャッターを押した。
カシャ
「これで本当にアタシらの写真が出て来るのか?」
「確かこれでいいはずだけど…ほら、出た出た」
カメラの下の方から、写真が出て来る。その写真には、山から一望できる幻想郷の美しい大地をバックに、共に戦い北の歌姫を倒した3人と竿打が映っていた。
その日の夜、妖怪の山から邪悪が消え去ったのを感じた河童たちは、大急ぎで山へと向かい、新子たちを迎えに行った。
そして今、河童のアジトでは宴が開かれていた。育てた野菜や、釣った大量の魚を振る舞い、妖怪の山を救った新子たちを英雄として歓迎した。
「本当に良かったよ、無事に帰って来てくれてさ」
まず迎えてくれたのはにとりだった。
昨日、河童のアジトを出発した時に、新子たちを非難の眼差しで見ていた者たちも、今や完全に認めてくれている。ここまで多くの犠牲を払ってきた苦労が報われたと喜んでいた。
「貴方たちは山に帰らないの?」
「それはまだだね。北の大地を腐らせていた歌姫が倒されても、まだ妖怪の山は荒れているし、危険な怪物もはびこってる。それに準備もしなくちゃいけないし、まだ時間はかかるね」
「そうなのか」
「ケチャルコチルなんだけど、奴はさっき大急ぎで山に戻ったよ。いくらスラッグとか恐ろしい怪物が居たとしても、邪悪が消えただけで満足らしいわ」
「そうか」
「ところで、あの女憲兵はどこだい?彼女にも謝らなくちゃいけないし…」
「そういえばどこに行ったのかしら?」
河童のアジトの外、夢見の泉のほとり。そこにある岩の上にバンが座り、自身の仮面を見つめていた。
自分の隊の隊長が使っていた仮面。今は自分の手で補強ししっかりと機能するものに仕立てることができたが、これは憲兵団の仮面。だがもう自分は憲兵団ではない。さて、これはどうしようか…。
「どうしたの?」
バンの後ろから、新子と華扇が話しかけた。
「いや、この仮面をどうしようかと思ってね」
「好きにしたらいいんじゃねーか?お前が必要とするならその仮面は存在し続けるし、お前がいらないというならその仮面は自然と消えるさ。道具には魂みたいなモンが宿ってるんだと。それが、誰がどんな目的で作った物でもな」
「…そうか。お前たちにはいろいろと助けられるな。私は…消えては欲しくないな、しばらくは持っているとしよう」
「それが良いわ。私だって、こんな意味の分からないガラクタと旅を共にしてるんだから」
華扇は地面にしゃがむと、ポケットから例の小箱を取り出し、弄り始めた。箱からは2本のツルツルした棒が突き出している。一本は南の歌姫を倒した後に出て、もう一本は西の歌姫を倒した後に現れた。だとすれば…。
「おお」
華扇の指が小箱の秘密の仕掛けに触れ、カチッという音と共にもう一本棒が突き出した。3人が固唾を呑んで見守るが、箱はまだ何も起こらなかった。
「…もうこれ、ただ棒を出すだけの小箱なのでは…?」
「もうちょっと頑張ってみよう、まだ何かあるのかもしれないぞ」
新子はふと思った。次にこの小箱から棒が飛び出すときは来るのだろうか。残る歌姫は1人。もう一息という所だが、もう北の歌姫が倒されたことは既に禍王の耳にまで届いているはずだ。そうなれば、禍王は死に物狂いで最後の東の歌姫を守ろうとするだろう。
だが行く手にどんな危険が待ち受けていようとも、それから目を逸らしてはいけない。
考えなければいけないことも、山ほどある。今、人間の里の中はどうなっているのだろう?父さんは?母さんは?
これ程慎重に旅をしているのに、どうしてアタシ達の動きは北の番人に筒抜けだったのか。番人だった鬼人正邪は何者で、彼女が遺したあの意味深な言葉たちはどういう意味なのだろう?
考え出したらキリがない。でも今は、靄のかかった夜空の下では、先の事を心配するより、まずは喜ぼう。3人とも無事だったんだ。”北の歌姫”はもう二度と歌う事はない。ついに北の大地は死の仮面を投げ捨て、息を吹き返した。
残る歌姫はあと一人!ここまで来れば、誰が敵で誰が立ちふさがろうとも、負ける訳にはいかない。