「え…」
茅野の攻撃が殺せんせーの心臓に突き刺さろうとしたその時、閃光が辺りを包んだ。
そして残ったのは、あの夏休みの時と同じ。オレンジ色の球体だった。
「完全防御形態…」
すると、茅野はその球体を拾い上げ、触手の力を利用して飛び上がった。
「完全防御形態か。まさかあの手を使うなんてね。ま、それだけ追い詰めたって事かな。」
倉庫の屋根に立つ茅野。
「殺せんせー!なんで完全防御形態?今の音は?って…」
そして物音を聞きつけて皆が集まった。
その場の光景に皆は驚きを隠せない。
「…茅野さん…?」
「何?その触手…」
茅野が生やしている触手に、皆は驚愕している。
「あーあ失敗しちゃった。完全防御形態になる前にとどめ刺せなかった。
甘すぎだね、私。」
「…茅野さん、君は一体…」
「ごめんね、茅野カエデは本名じゃないの。
雪村あぐりの妹、そう言ったら分かるでしょ、人殺し。」
雪村あぐり…、雪村先生の事か。
そこにいた茅野は、今までとは別人のようだった。
雰囲気も、口調も、何より外見が。
そして、演技をやめた彼女の表情は、きつく険しいものだった。
「まあいい、失敗したものは仕方がない、どのみち後24時間は手出し出来ないんだし。
でも触手を合わせて確信した。今の私なら必ず殺せる。
明日また、殺しに来るよ殺せんせー。場所は後で連絡する。」
そうやってスマホを突き出す茅野。
そして、触手の反動を利用して、どこかへ飛び立っていった。
「茅野…、嘘だろ、ずっと生やしてたのか、あの触手。」
岡島は信じられないといった様子で呟く。その言葉を否定するイトナ。
「…そんな事、出来るはずがない。メンテナンスもせず触手を生やし続ければ、
地獄の苦しみが襲うはずだ。例えるなら、脳内で棘だらけの虫を飼っている気分だ。」
「でも、現に茅野は触手を生やしてる。どういう事なんだよ一体…」
岡島の問いに答えるものはいなかった。
「しかも、雪村あぐりの、雪村先生の妹?」
「俺らの、殺せんせーが来る前の担任の…」
ますます深まる彼女の謎。すると、俺はある事を思い出した。
そうだ、これが正しければ全てのつじつまが合う!
「…なるほどね。そういう事だったのか。」
俺は呟く。
「…?」
「前から思っていたんだ。磨瀬榛名って知ってるか?昔、どんな役でも軽々こなした天才子役。
茅野の雰囲気とか印象とか、どことなく彼女に似ているって。」
「…確かに、」
三村も同意した。
「髪型も違うし、休業してからだいぶ時間が経つ。だから最初は気付かなかったけど。
1年間演技で正体を隠し通したのも、元天才子役だからと考えれば納得がいく。」
皆は理解出来なかった。
(…どれが、彼女の本当の顔なんだ?)
その問いに答えはなかった。
一方シロはとある場所で語る。
「雪村あぐりの妹、雪村あかりが、あの学校に潜り込んでいた。
ピンと来て私生活を調べさせたら、案の定触手を隠し持っていた。
触手のシステムを理解し、自力で使いこなす知能も大した物だが、
1番凄いのはその執念だよ。発狂ものの触手の激痛にも汗ひとつかかず、笑って過ごした精神力。
いくつもの顔と名前を使い分け、それでいて本心を一切悟らせなかった演技力。
殺し屋の素質はE組の中でダントツだよ。」
***
その事実を検証するため、律の画面で磨瀬榛名主演のドラマを観る。
「殺してやる!あんたみたいな人でなし!」
そのドラマは、親を殺されて、怒りのあまり悪役に掴みかかる主人公の話。
偶然にもその境遇は、姉を殺されたという彼女本人にも共通していた。
「言われてみれば確かに茅野だ。けど、顔つきも雰囲気も全然違う。
この演技力じゃ、1年近く正体を隠していられる訳だ。」
俺は思い出す、茅野の今までの姿を、行動を。
泳げない。考えてみれば、触手保持者は全員水には弱かった。
そして茅野は大の甘党だ、これも触手持ちには共通していた。
あの時は、ただの嗜好だと思っていたが。
俺とよく一緒にいたのは、俺の異質で鋭く、強い殺気なら、殺意を隠しきれる。
時々自分の物じゃない暗い殺意を微かに感じた事があった。
あまりに薄かったので気のせいかと思ったが、今でははっきり言える。
あれは茅野の復讐心だ。
今思えば、巨大プリンもダミーの暗殺。何もしなければこのクラスでは怪しまれる。
彼女は、演じていた。明るく、ほとんど危険のない茅野カエデを。
全て、偽物だった。茅野カエデという少女は。
南の島で、殺意に呑まれ危うく人を殺しかけた俺を止めてくれたのも。
一緒に過ごした日々が全部。そう考えると、俺の心を虚脱感が襲った。
球体となり、渚に抱えられた殺せんせーに、岡島が質問する。
「茅野、殺せんせーの事人殺しって言ってたよ。過去に、何があったんだ?」
殺せんせーは黙っていた。
***
その頃、茅野は裏山に1人で立っていた。
あの黒崎との外出で買った、黒いワンピース。この季節には寒すぎる代物だが、
彼女は平然としていた。首元にはマフラー、その格好はアンバランスだ。
彼女が思い出したのは、忘れもしないあの日の事。
…
積もる話をする約束で、ただ迎えに行くだけだった。
姉が、夜に手伝っているという研究所まで。色々あってやたら警備が厳重だ。
街行く人も、皆私に気がつかなくなった。
「なんか、成績も良かったし、普通に就職目指そうかな〜。」
そう思っていた時。
突然、研究所で大爆発が起きた。
「…え、」
壁は吹き飛び、警備の人は右往左往。じっとしていられる訳がない。
小さな身体は、大人より早く潜り込むことが出来た。
そこで目にした光景。
息絶えた姉と、血を弄ぶ見たこともない触手の怪物。
その怪物は音より速く去っていった。
「…お姉ちゃん、お姉ちゃんたら、目を開けてよ…」
茅野は涙目で姉を呼び続ける、しかしその答えは返ってくるはずもなかった。
そこにあったのは、あの怪物が残した書き置き。
「担当者へ。椚ヶ丘中学3年E組の担任なら引き受けてもいい。
後日交渉へ伺いたいと思う。」
そして、辺りに散らかっていた容器。触手の種だと後で知った。
何故それを持ち帰ったのか、それを説明することはできない。
ただ、あの見たこともない怪物に対抗するための手段は、これしかないと直感した。
葬式はほとんど彼女1人で手配した。母はとうの昔に死別した。
だからそれ以来、姉が母親代わりだったのだ。
役者になると決めた時も応援してくれた。ただ励ますだけじゃない。
私の弁当をいつも作ってくれた。洗濯も炊事も、姉がやってくれていた。
自分だって、教師を目指すために忙しい筈だったのに。
世間から見れば、変わった姉だった。そのダサいインナーもそうだ。
それに一流大学出身の優秀な才女で、製薬会社の社長の娘なのに、教師を目指していた。
けれど、茅野に、雪村あかりにとっては、唯一の、最愛の家族だった。
そんな姉を殺したあの怪物は、絶対許せなかった。
姉の遺影の前、pcで説明書を読む。
「試作人体移植用触手兵器。強大なパワーを得る反面、メンテナンスを怠れば地獄の苦痛?
…どうでもいいよ。」
役者になると決めた時もそう、私はそうと決めたら一直線だ。
「素晴らしい、こんなに良い成績で編入試験に合格した生徒は初めてだよ!
茅野カエデさん。」
「…ありがとうございます。ところで、この学校って、…
素行不良の生徒が入れられる組があったんですよね?」
そう言って私は理事長室の私物を壊す。
…あの書き置き通りなら、怪物は椚ヶ丘中学のE組に必ず来る。
住民票を偽造。演じよう、完璧に。
あの怪物が、お姉ちゃんの受け持っていたクラスへ行く理由は分からない。
でも、私がすることは一つ、復讐の色を悟られぬよう、演じ切るだけ。
…
まさかその数日後に、不良に絡まれるとは思いもしなかった。
「…は、離して下さい!」
うざったい、触手でも使おうか、そう考えた。すると1人の生徒が来た。
「そこの不良共。そんな事して楽しいか?」
おそらく椚ヶ丘の生徒だ。
その生徒は一瞬で不良を倒した。
その殺気、戦闘能力、私の殺気を隠すには丁度良い。だから彼がE組に来た時、
私は内心喜んだ。
「この前はありがとう、助けてくれて。」
これほど目立つ主役の陰にいれば、私は目立たない。
彼は最初の暗殺からして皆に衝撃を与えた。これなら、完璧だ。
触手が私に聞いて来た。どうなりたいかを。
私は答えた、殺し屋になりたいと。
決行の時まで、痛みも苦しみも恨みも、全ての本心を押し殺し、
演じ切れる暗殺者に。たとえ自分が死んでも良い、仇さえ討てるのなら。
…
すると、後ろからシロが現れた。
「やっぱり君は人の言う事聞かないなあ。私は忠告したのに。」
「あんたの言葉なんて誰が信用するの。イトナ君の面倒も見られずに逃げ出した癖に。」
「…その様子だと、代謝バランスも不安定だね、野良の触手を使い続ける者の運命は…」
すると茅野は触手をシロに振るう。シロは間一髪で避ける。
「消えて、私1人で殺るんだから。」
「…水臭い事言うなよ、たった1人の兄さんに。」
兄さん、そう言ったシロの真意はいかに…