人影が、段々と近づいてくる。その人影は、誰かは分からぬものの、
ただならぬ殺気を纏い近づいてくる。相当な手練れだ。皆顔に緊張と不安を浮かべながら臨戦態勢に入る。
その人影は、次第にはっきりし、ついにその正体が明らかになる。
「嘘でしょ…」
真っ先に声をあげたのは茅野だ。彼女の顔は青ざめている。
それもそのはず。そこにいたのは黒崎翔太だったのだ。
だが、明らかに様子がおかしい。右手には普段使わない金属製のナイフ、
目からは眼光は消え、普段とは比べ物にならないほどの殺気が滲み出ている。
「黒崎……？様子がおかしいぞ。一体何があった？」
1人が問う。だが黒崎はその問いに答えない。ただ、ゆっくりと、ゆっくりと皆に近づく。
その動きは、明らかに味方の元に帰還するものではない。敵を襲う為に接近しているよう。
その明らかにおかしい様子に、皆は警戒の色を強める。
まさか…
皆がそう思った瞬間、そのまさかが的中した。黒崎がナイフを振るう。
それは一番前にいた前原の腕を掠める。
「うわっ！」
前原は避けきれなかった。幸いにして超体育着のお陰で傷はほとんどないが、それでも腕が痛い。
すると、どこからともなく、仮面の男の声がする。
「わかっただろう。彼はもう、普段の黒崎翔太じゃない。明確な障害として、君達の前に立ちはだかる。
ここで尻尾を巻いて逃げ出してもいいんだよ？その場合、黒崎君は永久に助からないがね。」
男はそう言って嘲り笑う。それに対し、寺坂は真っ向から歯向かう。
「そんなダサい真似誰がすっかバーカ。こちとら最初から助けるつもりで来てるんだよ！」
「そうかい。じゃあやってみれば？さあ黒崎翔太。倒すんだ。1人残らず。」
するとブツッと音がして、声が消える。
そして、黒崎はまたナイフを振るう。無差別に、躊躇なく。まるで何かに取り憑かれたように。
その眼は暗く死んだ魚のようで、その姿は底知れぬ恐怖を感じさせた。
これが、黒崎なのか、と。
慌てて避けていくE組の皆。相手は黒崎。傷つけることはできない。
どうすれば…
だが、悩んでいる暇はない。黒崎は絶え間なく攻撃を続ける。
このまま避けているだけでは、いつか全員がやられてしまう。
それほどまでに、今の彼は強かった。
「僕が、やる。」
渚が前に出た。渚は今回の事件について、少しだけ責任を感じていた。
もしかすると、あんな諍いさえ起こさなければ、この事態を招くこともなかったのかもしれないと。
そんなことはあるわけ無いと頭では分かっていたが、心の底にはどこか罪悪感があった。
そんな罪悪感を打ち消す為にも、彼は前に出て、黒崎へと挑む。
「…！」
黒崎は渚の気配をすかさず察知し、攻撃のためナイフを振るう。
普段、訓練の時よりもそのスピードは速い。ただでさえ速いスピードに磨きがかかっている。
だが、渚とて負ける訳にはいかない。攻撃を避け、交わしながら、黒崎の意識の波長を読む。
彼の波長は、驚くほど乱れがなく、整っていた。
(好都合だ、これならいける！)
そう渚は予感する。その時。黒崎の蹴りが渚を直撃する。そこで倒れる渚。
黒崎は渚に近づき、仕留めようとする。そして、黒崎との距離が肉薄した瞬間、
すかさず、黒崎の意識の波長の山を狙い、全力で両手を叩く！
彼のクラップスタナーは黒崎を直撃した。
……だが、彼は一瞬よろけただけで、ほとんど身体への影響はなさそうだった。
何故か。黒崎は舌を噛んでその痛みに耐えていたのだ。
でも、それだけじゃ身体への影響はゼロにはならない。
(じゃあなんで全く効いていないんだ！)
その答えは渚には分からなかった。
動揺する渚に対し、黒崎は躊躇なく攻撃する。
足で、強烈な飛び蹴りを繰り出す。
だが、そこで諦める渚ではなかった。渚は、身体を大きく反らしてその攻撃を避ける。
それを見逃さず、ナイフで態勢が崩れたところを狙う黒崎。
だが、そこで素早く態勢を切り替え、身体を反転させて蹴りを顔面に放つ。
それは黒崎に直撃し、黒崎は後ずさる。
そしてすかさず、ナイフを一直線に突き出す。全ての殺気を凝縮させて。
だが、その攻撃を黒崎は見切り、避ける。
しかし、ナイフは別方向に飛んでいく。渚の狙いは、ナイフではなかった。
素早く黒崎に飛びつき、肩固めを試みる。
意表を突かれた黒崎、その肩固めは成功する。それも、万全の態勢で。
このまま頸動脈を押さえつければ、黒崎を気絶させ、安全に確保できる。
黒崎はそれに抵抗出来ずに、そのまま勝負は終わる、かに思えた。
だが。気付けば渚の首元には、黒崎のスタンガンが当てられていた。
黒崎は攻撃の前に持っていたスタンガンを、すかさず突きつけたのだ。
彼はその肩固めで、致命的なダメージを受けなかったのだ。
渚に避けるほどの余裕はなかった。そこに強烈な電流が流れる。
「ぐはあっ！」
渚は、なすすべなくその場に倒れる。
彼が、電流で動かない身体と薄れゆく意識の中で最後に見た光景。
それは、黒崎が自分に容赦なく、トドメにナイフを凄まじい速さで振るう瞬間だった。
血こそ流れなかったものの、強烈な痛みを渚が襲う。
彼は痛みのショックで、そのまま意識を失い、その場に倒れた。
「渚！」
皆が駆け寄り、慌てて安全な場所へと彼を運ぶ。そんな中、茅野は彼がナイフで切られた箇所を発見する。
彼女は驚きの声を上げる。
「え……？」
「どうしたの？」
「いや、何でもないよ。」
一体、彼女の驚きの原因とは？
＊＊＊
さて、次はどうするか。今の黒崎は、普段と比べ物にならない程強い。
彼に対抗できるのは、渚の他には、1人しかいない。
赤羽業だ。
「俺が、やるよ。昨日のケンカだって、発端は俺だ。」
カルマは立ち上がり、ハンドガン型の麻酔銃を取り出す。
黒崎を止めなければいけない。そんな使命感が、彼を突き動かす理由だった。
昔の彼からは考えられない程、カルマは仲間のことを思うようになった。
黒崎はカルマの方へと走り出す。
それに対して、カルマはすかさず麻酔弾を数発、黒崎の顔めがけて撃ち込む。
それは正確に黒崎の方へと流れる。
しかし、黒崎はそのナイフで、弾丸を弾き飛ばす。
もともと威力の低い麻酔銃だ。金属のナイフで、簡単に弾丸は止められてしまう。
そのまま黒崎はカルマの方へと突撃する。カルマの銃はハイスピードでの連射はできない。
彼はもう片方の手に握ったナイフを構え、臨戦態勢に入る。
黒崎はカルマとの距離を詰め、ナイフを振るう。
だが、そこに乾いた銃声が鳴り響く。カルマが黒崎をゼロ距離で撃ったのだ。
黒崎の身体に麻酔弾が直撃し、彼はその場に倒れ伏す…
…はすだった。
カルマの銃は、宙を舞い、やがて地面に落ちた。
そう、黒崎がふるったナイフは、カルマ本人を狙ったものではない。
カルマが手に持っていた銃に対して振るい、弾き飛ばしたのだ。
「なるほどね。銃なんて使わずに勝負しろってこと？
いいねえ。お互いの得意分野だ。全力で戦おうよ。」
「…」
黒崎は答えない。それが無言の了承なのかは分からない。しかし、黒崎は自らのナイフを
カルマに向けて振るう。それをカルマは自分のナイフで受ける。
カルマのナイフに傷が付く。明らかに、素材の硬さも、刃の鋭さも黒崎のそれの方が上だ。
さらに、黒崎の攻撃は、一撃一撃が「重い」。
ナイフ自体の重量もあるが、それ以上に、黒崎のナイフを振るうパワーが強い。
(正直、一番正面から戦いたくない相手なんだよね。
背後から迫る時の怖さは渚君の方が上だけど、真っ向から戦う時、一番怖いのは黒崎。
その上、今はいつも以上に強い。こりゃ正攻法では勝てないな。)
カルマは素早く攻撃を仕掛ける。あらゆる角度、方向。
黒崎が正攻法で攻めるタイプなら、カルマの本領は奇をてらった戦闘スタイルだ。
互いのナイフが火花を散らす。激しく、何度も。
すると、黒崎がその足をカルマの腹部めがけて伸ばす。カルマはそれを避けきれず、後ろへ後ずさる。
しかし負けじと、黒崎の顔面に拳を叩き込むカルマ。
それをまともに食らう黒崎。だが、彼は微動だにしなかった。
(おいおい、これじゃあ勝ちようがないんじゃ…)
さすがのカルマも冷や汗をかく。だが、ここで諦めては何もかも台無しだ。
負けじと反撃する。
2人はまた、火花を散らし合う。
……
そして五分が経った。
お互いに少しずつ傷が増えていく。だが、カルマが肩で息をしているのに対し、
黒崎は眉ひとつ動かさない。
(なんでだ？相当黒崎だって傷が付いてるはず、しかも、激しく動き回ってる。
平然としていられるはずがない。何かが、おかしい。)
黒崎は、息の上がりそうなカルマ相手に、容赦無くナイフを振るう。
それはカルマの顔を直撃…
…したかに見えた。
カルマはスタンガンでそれを受け止める。
ナイフの金属部分に直接電流が流れる部分を当てる。つまり、
ナイフを通して黒崎の身体にも電流が流れる。
黒崎は電流を浴び、痺れたような感触を受ける。だが、それだけだった。
黒崎はスタンガンを食らっても気絶せず、衝撃を受けただけ。
スタンガンをものともせず、返す刀でカルマの身体を容赦無く連続で切り裂く。
(はは、こりゃあ、無理だ…)
カルマは痛みのあまりうずくまる。そこに、黒崎はカルマのスタンガンを奪い、首に突きつける。
だが、その前に、カルマが最後の力を振り絞り、黒崎の腹に一撃を加える。
これが、最後のあがきだ。
カルマの全身に電流が流れる。そのまま、カルマは地面に倒れた。
黒崎はSAOのナーヴギアのような機械で体感覚をキャンセルされ、暗闇を彷徨っていたんだと思います。
そこであまりにショッキングな映像を見せられ自我が崩壊したのです。