インスタント・HERO ~180秒で世界を救え!~ 作:トクサン
「正直ね、もうそろそろ、諦めても良いんじゃないかなぁって、私は思うの」
目の前の女が語る。
神に愛された容姿を持ち、雪の様な白を全身に持つ少女が、さながら友人に語り掛ける様に。世界は不変で、自身もまた変わらず、ただ少女だけが生きていた。見えないテーブルに肘を着き、少女はフラフラと頭部を揺らしながら自分を見ている。
「【予定調和】は正史に辿り着くまで、何度でも、何度でも時間を巻き戻す、その正史を決めるのは他でも無い、私、だから君が私を選んでくれないと、先には進めないの、いい加減さ、何回も何回も何回も何回も何回も何回も、痛い思いするのも嫌でしょう? 辛い思いするのも嫌でしょう? そろそろ、他の子にさ、目移りするのも、やめようよ」
少女は言う、自分は何度も同じ場面を見てきたからと、未来を見通して尚、貴方は『間違った方向』に進み続けていると。そろそろ、正史に戻っても良いのではないかと。自分は何度も同じ道を逝ったのかと問いたくなった。けれどその問いの答えを既に自分は得ている。
「未来の恋人が、私以外の異性とイチャイチャするのもさ、見ていられないし」
そう言って少女は屈託なく笑い、俺の目に指を突きつけた。本当なら死ぬのも見たくない、苦しんでいる姿も見たくない、けれどこれも、全て貴方が【選んだ】事。
「この台詞(セリフ)を言うのも、何回目か、もう私も覚えていないの、だからホラ、そろそろさ――」
諦めようよ。
☆
真夜中。
時計は既に二時を回っていた。虫の声で少しの風音、それと隣から聞こえて来る澪奈の寝息。既に慣れたもので、澪奈を隣にしても俺は心乱される事無く安眠出来た。香る甘い匂いも吐息も、既に安眠を得る要素の一つに過ぎない。
だから夜中に目を覚ますのは、本当に久しぶりだった。
瞼を開けば暗闇にうっすらと浮かび上がる木目、月明かりだけが頼りの部屋は静謐に満ちている。隣から感じる体温、少しの寝汗。窓の外には明るい満月が闇夜を照らし、うっすらと自身の手を翳す。今日はやけに月明かりが明るく見えた。
「……何だ」
特に何をしたわけでもないのに、やけに目が冴えた。まるで見えない何かに引っ張られる様に、俺は隣の澪奈を起こさない様細心の注意を払ってベッドを抜け出す。ギシリとベッドのスプリングが鳴って、足が冷たい床に引っ付く。それがまた俺の神経を――
既視感。
何かが俺の思考を刺激する、俺では無い何かが、この光景を見た様な気がした。勢い良く振り返り、澪奈の姿を視界に収める。ゆっくりとした呼吸に、安らいだ表情。いつもと変わらない安寧、子供らしさの残る可愛い顔。
それが、無残にも散る姿を俺は知っている。
首を捩じ切られ、澪奈は死ぬ―― その未来を俺は知っている気がした。
夢だろうか? いや、夢にしては酷く現実的だった。既に澪奈が死んだと言う事実、その世界を見て来た、その死に顔も、死ぬ過程も、全て。それは夢と断言するには余りにも脳裏にびったりとこびり付いている。
途端、あらゆる既視感が自分の中に雪崩れ込んだ。これから起こる事、未来の出来事、自身の結末。そして、俺は訳も分からぬまま駆け出す。ただ一つ分かる事は、このまま進めば自分達は――
階段を駆け下り、リビングへと飛び出す。扉を開け放った先には、秋が驚いた顔で自分を見ていた。その姿はいつも通りで、決して物言わぬ屍などでは無い。緩い寝間着を身に纏いながら、秋が表情を崩す。突然リビングに飛び込んで来たから驚いたのだろう。
「どうしたんだ、そんなに慌てて、夢見でも悪かったのか……?」
手にしたコップを握りしめながら、秋はそんな風に笑う。だから俺は無言で秋の手を掴み、リビングを後にした。手にしたコップが零れ落ち、そのままフローリングに重い音を立てて転がる。中の白湯がゆっくりとカーペットに染みを作った。
「ちょ、何? どうしたの!?」
秋が騒ぐが、今の俺に余裕は欠片も存在しなかった。階段の前まで来たところで、俺は振り返り秋の両肩を強く握る。当の秋は困惑と、若干の恐怖を瞳に宿していた。
「上に澪奈が寝ているから、裏の車まで運んでほしい、出来れば
真剣な表情で秋に言い伝える。秋は一瞬驚きに目を見開いて、次にすっと表情を変えた。静かに「敵?」と聞いて来る、俺は一も無く頷いた。こういう時、彼女の闘争心は素晴らしいの一言だ、取り乱す事も無く、ただ淡々と事実を受け入れ行動する。後は流れるままに、「任せて」と呟いた秋が姿を消す。能力を使ったのだ、粒子を可視化できない俺は彼女を見つける事が出来ない。
俺は彼女を信頼し、背を向け走り出した。
俺は弥生を探していた、彼女に割り当てた寝室は一階だが、そこに居るとは微塵も思っていない。自分が最後に彼女を見た時、既に致命傷を負っていた、あくまで記憶の話ではあるが。
であるなら、『あの女』が弥生と一緒に居る可能性が高い。嫌な記憶だが、確かに存在した『ナニカ』、そして俺は家の裏側へと飛び出す。
「っ、雪那!?」
裏口の扉を蹴り破って外に転がり出た俺は、弥生を見つけた。暗がりの中で、月明かりが彼女の存在を照らしている。周囲で騒めく木々が「此処に居るぞ」と伝えてくるようだ。ついでに、あの悍ましい怨敵の姿も。
弥生は手に消音付の拳銃を持ち、能力者と対峙していた。その能力者は、小柄で、髪が白く、童顔で、
女は俺を見つけて、少し驚いた顔をした後、再び満面の笑みを浮かべた。
「おぉぉオ!? これは、これは、藤ど――」
「変身」
口を開く前に、能力を行使した。理由は無かった、躊躇いも無かった、情も無かった。
女の姿を見た瞬間、俺の脳にあるかも分からない記憶が叫んだ、正確に言うのであれば記憶に含まれている俺の感情とでも言うべきか、それが凄まじい勢いで身体中を駆け巡った。ソレは【僕】の感情でもあった。
純粋な憤怒と憎悪。
黒く、黒く、余りにもどす黒い感情が世界を染める。
指先から爪先まで、一片たりとも漏れ出す事の無い感情の爆発。それは精神に左右される能力に多大な影響を与え、俺は知り得る限りの最速を以て変身し、女に殴りかかった。
女には何が起こったかも理解させない、女が見た光景は、俺が現れ、地面が爆発し、拳が己の顔面を撃ち抜く
怒りと言う燃料をぶち込んだ両足は凄まじい力で地面を踏み砕き、音速の壁すら突き破った。
「ォあァあアアッ!」
ミシリ、と肩から腕にかけての筋肉が軋む。変身状態ですら体が悲鳴を上げる一撃、それは正に渾身、自身の耐久値を上回る攻撃。
今、俺の姿はただの黒色でしか無かった。外見を形作る力でさえ、たった一発、殴るだけの力に込められていた。拳が女の頬に突き刺さった瞬間、凄まじい衝撃と共に周囲の木々が捻じ曲がる。体ごとぶつかる様な拳は女を文字通り『ぶっ飛ばした』
ボッ! という音がして、女の体が首を中心に吹き飛ぶ。何度も縦回転を繰り返し、打ち上げた女の体はあっと言う間に夜空の向こう側へと消えた。そして二つ隣の山頂辺りで、ドンッ、と小さな音。夜の蚊帳では土煙まで確認する事は出来ないが、確実に殺した手ごたえがあった。ゆっくりと月明かりで確認すれば、山の山頂が僅かに消えている。
殺した。
確かに殺した、俺が。
殴り殺してやった。
「ッ、くっ、はッ」
脳裏にこびりつく死の記憶、殴り掛かった右腕には女を殴り殺した感触が残っている。けれど内側の俺が言うのだ、まだ足りないと、記憶の中の俺が叫ぶのだ、こんなものじゃないと。
充嗣の能力が解除される気配はない、月明かりでも分かる程、今の自分は真っ黒だった。
最早、【何に変身しているかすら分からない】
「雪那、何で――」
「弥生、澪奈と秋を連れて逃げてくれ、場所は前に話した物件だ、頼む」
何か口にしようとした弥生に俺は言葉を叩きつけ、そのままトンと突き放す。肩を押された弥生はそのまま踏鞴を踏み、数歩下がるが、それでも尚、俺に何かを伝えようとした。
「けれど、相手はッ――」
「
俺の視界に青白い粒子が光り、その場から素早く跳び上がる。瞬間その場所だけが全ての息を止め、時間を失った。空間を固定する能力、俺はこの異能を知っている。
「うっそ、マジで?」
「下手くそね」
俺の背後からそんな呑気な声が聞こえて来る、見れば男と女が一人ずつ。それ以外の特徴など、知るに及ばず。手を突き出しているのは男、空間固定は男の異能らしい。
「げっ、あの火傷痕、仮面の男じゃないか?」
「バカ、ほら、だから一撃で仕留めた方が良いって――」
「死ねよクソが」
一足飛びで間合いを潰した俺は、そのまま男の方に拳を振るう。ソイツは俺が目前に来た事を理解もせず、棒立ちで突っ立っていた。鋼鉄を容易く穿つ一撃が男の顔面を抉る、しかし
風圧で背後の地面が抉られ、木々が捩じれる。
「うっぉ!? あっぶ――」
男が俺の攻撃に気付き、慌てて後退る瞬間、隣の女の顔面がノータイムで弾けた。女の額を強かに打った裏拳。頭蓋を粉砕し、頬骨を抉り、上半身がまるで獣に食い荒らされたかのように千切れ飛ぶ。女の能力、
「はッ!?」
仲間が突然爆散した事に、男は呆気にとられる。そして再度拳を振り上げた時、慌てて異能を使用した。そして次の瞬間、全身に圧し掛かる無形の重力。まるで水の中で動いている様に、拳の動きが鈍る。
けれど――
パンッ! と乾いた音と共に、男の首がグリンと捻じ曲がった。振り抜いた拳は男の頬を捉え、首を折り曲げた。この無形の圧力が自分を止められない事を、俺は知っている。例え異能を受けている状態でも、人間一人を殺す事は造作も無かった。
首が折れ曲がった男は、そのままブリッジをする様に倒れる、何度か体が痙攣し、そのままジワリと地面に赤色が広がった。
「弥生、行ってくれ、ここは俺が
「…………分かったわ」
男の頭を踏み潰し、俺はゆっくりと弥生を見る。彼女は一瞬、何か言いたげな表情をした後、長い沈黙を守り、拳銃をベルトの間に挟んで背を向けた。走り出そうとした弥生は、数歩進んだところで声を上げる。
「……雪那、貴方は正しい、だから、きっと大丈夫」
それだけ言って弥生は夜の蚊帳に溶ける。恐らく秋と澪奈を回収し、車で遠方まで逃げてくれるだろう。後は俺が精々派手に暴れて、敵を引きつければ良い。そこまで考えて、俺はゆっくりと口を開いた。
「……正しいもんか」
自分は常に誤っている。
何らかの選択を、或は己の全てを。
もっと早くこの場所から逃げるべきだった。研究所が本腰を上げれば自分達を見つける事など造作も無いと、もっと早く気付くべきだった。あらゆる能力が存在するのであれば、予知能力や人探しに適した能力を持つ能力者が居る事だって、予想出来た筈なのに。
「そう、貴方は間違っていないわ、雪那」
声が聞こえた、透き通る様な声だ。見上げれば白色が視界を彩る、まだ暑さは残るというのに雪の様に真っ白なそれ。彼女は二階のベランダに腰かけ、自分を見下ろしていた。全身を白色で包んだ神に愛されし女、【Ⅴ】の能力者。
風が彼女の髪を遊ばせ、白い着物は死に装束を彷彿させた。けれど彼女が着ればそれは、女神を想像させる美しさに昇華される。美しいその姿からは【Ⅴ】の超能力者だなんて微塵も考えられない。その首には、
「だって、貴方のこの行動ですら――」
上から自分を見下ろす女は、ゆっくりと、ゆっくりと笑みを浮かべ、その口元は三日月を象った。
【予定調和】 だもの。
「調和、調和調和調和、煩い、黙れよ、この意味不明な記憶も、全部全部、お前のせいか、【予定調和】?」
俺は力強く地面を踏み締めながら、ぐっと腰を落とす。いつでも飛び掛かれるように、その綺麗な顔面を粉砕出来る様に。両の拳を固めて飛び掛かる機会を伺った。踏み締めた大地が僅かに軋み、殺意が周囲に充満する。女は上から上機嫌に笑い、「うんうん」と何度も頷いた。
「勿論、そうだよ、貴方のその記憶は全て『前の世界』のモノ、良い加減ね、私も疲れちゃって、そろそろ正史に進んで欲しいなぁって思って、本当なら雪那一人に頑張って欲しかったのだけれど、正史に辿り着く確率って0.0000001%らしいから、少しだけサービス、ね、嬉しい?」
女がこてんと首を傾げ、三日月の笑みを浮かべたまま俺を見る。
そこまでが限界だった、待つよりも殺意が勝った。
「死ね」
だから俺は全力で地面を蹴り上げ、女の目の前に接近。有無を言わさず全力の拳を叩きつけた。拳は何にも拒まれる事無く女の頬に抉り込む。ゴリュッ、と生々しい音が響き、女の生首が血飛沫をあげ吹き飛――
「勿論、貴方のその記憶は全て『前の世界』のモノ、良い加減ね、私も疲れちゃって、そろそろ正史に進んで欲しいなぁって思って、本当なら雪那一人に頑張って欲しかったのだけれど、正史に辿り着く確率って0.0000001%らしいから、少しだけサービス、ね、嬉しい?」
女がこてんと首を傾げ、三日月の笑みを浮かべたまま俺を見る。
「……は?」
俺は愕然とした。
自分を見下ろせば、未だ変身したまま黒に塗れている。この状態で女を殴った、殴った筈だ、変身した、俺が。しかし見上げれば女は依然として生きており、その台詞は一度耳に届いたもの。殺した筈だ、確かに、けれど女は生きている、それがどうしても理解出来なかった。見下ろした拳に、血はこびり付いていない。
「ん~? どうしたの、そんな死人が生き返ったみたいな顔をして、そんな顔、雪那には似合わないな」
「……お前、何で」
再度拳を構え、飛び掛かろうとした俺に、女が手を翳す。
「【予定調和】」
その言葉が俺の両足を地面に縫い付けた。何か物理的な作用が働いたのではない、言葉に異様な威圧が籠っていたのだ。今また、この女を殴り殺しても無駄だと、自分の中の誰かが叫ぶのだ。
女はそんな俺を見下ろしながら、出来の悪い生徒に言い聞かせる様に、ゆっくりと口を開いた。
「あのね雪那、ここで貴方が私を【殺す】って未来は、正史ではないの、だから何度ここで私を殺したって、何をしたって、それは【現実にならない】、私が望んでいないもの、だからその未来は受け入れられない、時間が私が死んだという事実を無かった事にしてくれる、巻き戻るの―― それに愛し合う人同士が争うなんて、不毛よ、そうでしょう?」
殺しても、現実にならない。
その事実は俺の意の中に、まるで鉛の様に重く沈んだ。
つまりそれは、女を殺した瞬間に時間が巻き戻ったという事なのだろうか。何度殺しても、何度繰り返しても、女が望まなければそれは現実になり得ない。
そんなの反則だろう。
重力を操る超能力、火炎を操る超能力、物質を転異させる超能力、様々な超能力が存在しているが、まさか時間を操る事が出来る超能力が存在するなんて。未来を予知する事が可能で、更に時間が巻き戻せる。それはつまり――
自分が納得する結末が得られるまで、世界を
俺が女を信じられない目で見れば、笑みを深くした女は深く何度も頷く。その表情は歓喜に満ち満ちていた。三日月が深く、深くなる、ただただ歓喜の沼に嵌っていく様だ。
「良いよ、良いよ、やっぱり新鮮で良いね、今まで見た事が無い雪那だよ、こんな事なら、あと100,000,000くらい前に記憶の転写をすべきだったよ、ごめんなさい雪那、とても無駄な時間を過ごさせちゃったね」
「……無駄?」
女は笑う、そして嬉しそうな表情を浮かべたまま「そうだ!」と声を上げた。その声は素晴らしい名案を思い付いたと、活力に溢れている。
「今なら忘れられない、ずっと覚えてくれる、だからそう、自己紹介、自己紹介をしましょう!」
ベランダの手すりの上に立ち、女は月を背負って俺を見下ろす。白の髪が夜空に広がり、女の目が一際強く光った。とても綺麗なブルー、この星空にだって負けていない輝き、その色が俺を、夜の世界を射抜いた。
「小雪――
一万年と二千年前から愛してる~(真顔)