インスタント・HERO ~180秒で世界を救え!~   作:トクサン

21 / 24
苦い正義

 何て言うか、アイツは俺にとっての救いだったんだと思う。

 明るくて、生真面目で、真っ直ぐで、人一倍正義感に溢れる姿が眩しくて。どこかで俺はそれを羨んでいたのだろう。超能力なんてのは副産物みたいなモノで、そんなものがあったからと言って何が出来る訳でもない事を俺は知っている。だから本当の意味でアイツの隣に並ぶには、もっともっと頑張らないといけないのだと、そう思っていた。

 例え全てを焦がす熱を持っていたとしても、確実に、着実に―― 俺の手からは大切なモノが零れ落ちていたから。

 

「――さ、――きて、い――」

 

 声が聞こえる、どこから遠くから。

 それは必死で何かを訴えようと、叫んでいた。

 俺は今何をしているのだろう、とても心地よい空間に沈んでいる気がする。だからそう、もう少しだけ寝かせてくれないか?

 

「――い、か――さん、葛井(かつい)捜査官!」

「ッ!」

 

 覚醒した。

 微睡んでいた意識が一気に引き戻される、俺と言う肉体が息を吹き返した。

 意識が、同時に痛みも。目を開いた瞬間に胸部が強烈に痛んだ、思わず呻いて手で抑える。触れれば確かに感触があって、抉れている訳でも無い。口の中がやけに酸味で溢れていた、血の味もする。

 揺れる視界を頭上に向ければ、見知った顔が泣き出しそうな顔で俺を見下ろしていた。

 

「ふーッ、フッ、か、柏木、ふーっ、はっ、ぐッ」

「喋らないで下さい! フレイルチェスト(胸壁動揺)を起こしています! 肋骨が何本も折れているんです! 今治療出来る能力者を呼んでいますからッ」

「て、敵は……っ」

 

 記憶が逆流する、思い出した。俺が何をしていたのかも、何が起こったのかも。

 そうだ、俺はあの【振動】の能力者と対峙していた筈だ。あの能力は国家超能力研究所の脱走者リストにも載っていた女性、間違いない。恐ろしく強かった、強さは【Ⅱ】程度だと聞いていたが、あれは【Ⅳ】相当―― いや、下手すれば【Ⅴ】でもおかしくなかった。

 だから皆が無事かどうか、それだけが気になった。

 自分が気を失っている間に、皆は。

 

「班は、皆はッ―― ウぐッ」

「葛井さん、駄目です! お願いですから安静にしていて下さいッ!」

 

 少し息を吸っただけで胸に激痛が走る、最後に残っている記憶は【振動】の超能力者が襲い掛かる瞬間、目の前に現れた盾、体を突き抜ける衝撃。余波で俺は気を失ったのか、何と情けない。

 自分の姿を見下ろすと制服は擦り切れてボロボロ、見える肌からは血が滴っている。強い超能力を持つ犯罪者と対峙する為に強化線維で作られた高い防刃性、耐火性を誇る服がまるで紙切れの様だ。肩に張り付けたそのエンブレムも、既に半分吹き飛んでいる。

 

「遅くなりました、救護班です、すぐに治療を――」

「っ、お願いしますッ!」

 

 視界の向こう側で、柏木に代わって救護班の男性が現れる。マスクをして白い制服を纏った超能力救護班、既に何人もの負傷者を治療したのか額には汗を光らせている。男は俺の胸に手を翳して能力を行使した。何かつっかえた様に鋭い痛みと違和を感じさせたソレが段々と弱まっていく。それと同時に僅かに残っていた体力がごっそりと持っていかれた。

 やっと開いた瞼が徐々に閉じていく、ダメだと自分に言い聞かせても体は休息を求める。沼へと沈み行く様に、再び俺の意識は暗転した。

 その最後の瞬間、俺は自分の拳を打ち付けた相手を思い出す。

 白い仮面を血で染め、俺よりも少しだけ小柄だった男。彼を殴り倒した時、何か、俺は大きな痛みを感じた。それは自分の手で、大切なものを壊している様な。

 

―― いや、そんな筈はない。

 

 沈みゆく意識の中、俺の脳裏に浮かんだ人物は一人。

 幼い頃より正義を交わし、互いに認め合った唯一無二の親友。

 彼は俺の想像の中で、静かに笑っていた。

 

 あぁ、逢いたいな……とー君。

 

 何故か無性に、俺は親友(とも)(こい)しかった。

 

 

 

 

 

 

「葛井仁司(まさじ)次警(じけい)捜査官、貴殿を本警(ほんけい)捜査官へと任命する」

 

 負傷から三日、超能力救護課の持つ医療施設にて治療を終えた俺は、自分の右腕を包帯に巻いてぶら下げ超能力捜査課本部長室にて昇進通達を受けていた。首で支える右腕は残り一週間絶対安静で、正直立って歩くのでもかなり辛い。

 しかしそうも言っていられる状況では無く、万年人手不足の超能力捜査官が先の戦闘で多くの欠員を出してしまった。中には四肢切断にまで至った者もいる、五体満足で立っていられる自分はまだマシな方、だからこそベッドの上で休んでなどいられなかった。

「おめでとう」と言う言葉と共に送られる小さな箱、その中には【本警】を現わすルドベキアを模した階級章が入っている。

 ―― 花言葉は【正義】

 

「しかし、十九という若さで【本警】に昇進ですか、まだ創立されて間もない組織ではありますが、この最年少記録を塗り替える人材が今後現れる気がしませんねぇ……」

 

 そう言って笑う目の前の男性は超能力捜査官、その総本山である超能力捜査本部長、『柄同(がらどう)友禅(ゆうぜん)

 年齢は既に五十を超え、現在六十に届きつつあると言う。顔に刻まれた皴や威厳に反し温厚そうな見た目が老人然とした印象を見る者に与える。会話すると緊張と同時にどこか落ち着く、そんな矛盾した雰囲気を持つ人物だった。ピンと張った背筋や立ち振る舞いは紳士のソレだが、パッと見は品の良いご老人。

 現在日本で確認できる超能力者で、最も高齢の能力者である。

 

「いえ、私などまだまだ……」

「向上心に溢れる事は良いですが、君はもう少し足元を見た方が良い」

「……はっ」

 

 どこか窘める様な口調で話しかける友禅本部長に、返事だけは勢い良く返す。「良い返事だ、若人はそうでなくては」と頷く上司に俺は気付かれぬよう、静かに吐息を漏らした。

 

「はいはいはーい」

 

 待ち侘びたとばかりに俺の隣から先程の返事よりも大きな声が響く、どこか子供らしく無邪気で、それでいて場違いな声だ。

 

「葛井サンの次はワタシですよね! 昇進、昇進ですかぁ?」

 

 ワタシもまだまだ若人ですし、そう叫ぶ小柄な人物。俺の隣で騒がしく飛び跳ねる女性、いや少女と言った方が正しいかもしれない、その姿をゆっくり視界に収めた。

俺の肩より更に低い身長、支給された制服もかなり小さくオーダーメイドと聞く。髪は肩口でバラバラに切られ色は白、白髪を見れば高齢者かと思うが肌の艶は良い。その髪から覗く顔は童顔で、それだけ見ればランドセルを背負っていてもおかしくない歳に見えた。

 

「はいはい、大丈夫ですよ(かがり)捜査官、貴女にもご褒美は用意してあります」

「おぉふぅ! 待ってましたァ!」

 

 妙に高いテンションで喜びを表現する藤堂(とうどう)(かがり)本警捜査官。一応と言って良いか分からないが、俺と同期の人間である。ただし年齢は向こうの方が三つ上で、ちょっとワケ有の人間だ。首に括りつけてある鎖に着崩した制服、特徴はそれで十分、規律の厳しいこの場所でこれほど不真面目そうな人間は他に居ない。

 本部長はデスクの中からゴソゴソと袋を取り出すと、四角い木箱をデスクの上に置いた。

 

「はいコレ、京都の美味しいお菓子ですよ、京都支部の豪暫支部長に頂いた物ですが、美味しく食べて貰えるなら篝捜査官に差し上げましょう」

「おぉ、京都……響きが既に素晴らしい」

 

 篝捜査官はぴょんぴょん跳ねながらデスクの上に置かれた木箱を掻っ攫う、本部長はそれをニコニコと笑いながら見守っていた。昇進を望んでいる様に見えたのに、食い物で釣られてしまうところなど子供のソレだ。手のひらより大分大きいそれを開くと、篝捜査官はぴたりと動きを止める。そして首を少し捻った。

 

「……友禅サン、この、茶色の物体は何ですか」

「それは羊羹(ようかん)と言うのです、篝捜査官」

 

 ヨーカン、どこか音のズレた発音をしてから、「美味しいのですか、これ」と本部長に尋ねる。彼はずっと笑ったまま「えぇ、えぇ、程よい甘味が実に美味しいですよ、お茶と一緒に食べると尚良いです」と答えた。

 

「そうなンですか、じゃあお茶用意して食べてきます!」

 

 それだけ言って篝捜査官は退室礼も無しに部屋を飛び出してしまう、流石に礼儀に反すると呼び止めようと口を開くが、言葉を発する前に篝捜査官は退室してしまった。まるで風の様に速い、もしや能力を使ったのだろうか、いやそんな馬鹿な。

 

「ははは、篝捜査官は相変わらずですねぇ」

 

 笑い声を上げながら本部長はそんな事を言う。俺は二度目の溜息をそっと吐きながら、「本部長、流石にアレは」と言葉を濁した。

 

「良いんですよ、他の支部長や政府高官に対してはマズいですが、私相手ならばあれ位で丁度良いのです」

「しかし、本部長――」

「君もお堅いですねぇ」

 

 ニコニコと笑みを崩さない本部長に、俺はぐっと言葉を堪える。この人はいつもそうだ、確かな威厳を持ちながらもどこか気の抜けた遊び人の様な風格も持ち合わせる。そんな人に俺が何を言っても無駄だろう、「失礼しました」とだけ言って口を閉じた。

 本部長はそんな俺に困ったような顔をする。

 

「ふぅむ、元々私は形式ばかり気にした会話が苦手でしてね、本当ならここで雑談の一つや二つ入れたかったのだけれど、まぁ葛井捜査官なら構わないですか」

 

 本部長はそう言って椅子に深く腰掛け息を零す、それから何枚かの書類を広げ「さて」と俺を見上げた。その表情からは既に笑みが消え去っている。

 

「先の作戦で交戦した【仮面の男(マスクマン)】、研究所の方でも既に何人か殺されていると報告がありました、国家超能力研究所の出した予測能力値はランク『Ⅳ』、それも基礎能力値です、それに予測だから確定ではなく、最悪それ以上の可能性があります」

 

 面倒ですねぇ、そう言って頭を掻く本部長に俺は告げた。

 

「一応、生身の状態で一撃入れる事に成功しました、上手くいけば今頃は……」

「えぇ、その件は篝捜査官に聞きましたよ、戦闘不能にまで追い込んだと、ただ完全に殺害出来たかは不明ですね、その後回収されたと聞きますし……ただ、もう一人の能力者、篝捜査官の交戦した研究所の脱走者の名前、えぇと確か、そう、『幸奈』でしたか、彼女は死亡が確定しました、さすがに半分体が千切れれば回復は無理でしょう、ランク『Ⅴ』でもない限りは、一応県内の病院は全て監視していますし」

 

 仮面の男は生きている、本部長はそう考えているらしい。俺自身、完全に殺したとは思っていなかった。今回の昇進は仮面の男を一時的とは言え無力化した事と、欠員が多く出た事が理由だろう。

 

「また戦う羽目になるでしょうか……?」

「向こうも多くの命を奪いました、今更無罪放免とはいきません」

 

 良くて超能力者拘束施設(パノプティコン)送り、最悪は即刻死罪。

 

「それに能力は不明ですが、恐ろしく強い、君も含め交戦して生き残った捜査官からは【強化系】であると聞いています、であれば生け捕りは難しいでしょう」

「そう……ですか」

 

 本部長は憮然とした態度でそう話す、そこには事務的な会話を淡々と(こな)す上官の姿があった。

 話としては理解できる、当然だ、それだけの事をあの仮面はやった。そして重傷を負わせたのも、俺自身。けれど何か胸を叩く感情があった、自分の足を引っ張って呼びかける声があった。

 あの仮面の男は俺の仲間を殺したというのに。

幸いにして俺の班員は戦闘区域に到着していなかった、故に全員無事だ。けれど殺害された捜査官の中には顔見知りや友人が数人含まれていた。彼らを殺されて何一つ思わないほど俺は冷徹漢ではない。実際俺は現場で激高し仮面の男に殴りかかっているのだから。

 けれどそのシーンを思い浮かべると、いつも脳裏を過る――

 俺を見て動きを止める仮面の男、その見えない口からは聞き覚えのある呼び名が吐き出されるのだ。俺を呼ぶ、親友の――

 

「葛井捜査官」

 

 本部長の声にハッと意識を取り戻す、どうやらいつの間にか考え込んでいたらしい。俯いていた顔を慌てて上げると、本部長が俺に向かって木箱を突き出していた。確か篝捜査官が受け取ったモノと同じだ、どこか高級感溢れる梱包。

 

「実は幾らか同じ羊羹を頂いていてね、どうせなら篝捜査官と一緒に食べてくれませんか?」

「えっ、あの、自分は」

 

 突然の事に面食らう、というか脈拍が無さ過ぎる。何と答えたら良いかと考えていれば、「まぁまぁ、良いではありませんか、友好を深めると思って一つ、さぁさぁ動いた動いた」とグイグイ本部長が詰め寄って来た。

 

「ちょ、本部長!?」

 

 手に無理矢理羊羹入りの木箱を持たされ、そのまま肩を押され室外へと放り出される。俺が一歩本部長室から出ると、あっという間に扉が閉まってしまった。それからガチャンと鍵を閉めた様な音が辺りに響く、そこまでするのですか本部長、残されたのは茫然とする俺と木箱が一つ。俺は暫くぼうっと本部長室の扉を見つめ、それから羊羹に目線を落とす。これは上官命令になるのだろうか、それともただのお節介という奴だろうか。

 今の俺に急務はなく、本部内勤務という事で外回りのパトロールや戦闘行為は禁止されている。怪我が完治するまではデスクワークをしていろとお達しだ、幸いなことに時間は有り余っている。

 分かっていて、あんな事を言ったのだろう。

溜息を吐き出した。

 溜息はこれで、三度目だった。

 

 

 

「ンあ、どうしたんですか葛井サン?」

 

 篝捜査官はすぐに見つかった。

 本部内にある休憩エリアの一つ、余り人の寄り付かない第三棟の四階、ズラリと並んだ自販機から『彪鷹』というペットボトルのお茶を購入し、羊羹を片手に齧っていた。

 

「いえ……本部長から自分も羊羹を頂まして、篝捜査官と一緒に食べて来いと」

「ふぉう、それは良いですねぇ、どーぞドーゾ、あ、お茶いります?」

 

 お茶の苦みとヨーカンの甘さが丁度良いですねぇ~、何て言ってお茶をがぶ飲みする同僚。俺はその対面に座りながらも、周囲に他の捜査官が居ない事を確かめていた。飲み物は先ほど既に買ってきた、生憎と茶ではなくスポーツ飲料水だが。それから目の前で羊羹を頬張る見た目少女な同僚を何とも言えない目で眺める。

 この篝捜査官を一言で表現するのならば、『変人』である。

 いや、狂人と表現しても良いかもしれない。

 異質な見た目、頭の螺子が吹き飛んでいる言動、平気で人間を殺す精神、穴だらけの常識、強い超能力、etc…..

 俺と同時期に配属された篝捜査官だが、俺よりも半年前に本警捜査官に昇進していた。恐らく近い内に準特警捜査官に上がるだろう、早ければ今月にも。能力を含め捜査官としての力は凄まじい、だから本部長からは評価されている。しかし本部内の同僚、上官、後輩からの評価は余り高くない。

 人の命を軽く見る言動、行き過ぎた正義感、敵を屠る為なら味方すら顧みない行動。それらの積み重ねが篝という一人の人間を孤立させ、今では殆ど単独で行動する唯一の捜査官と言われている。捜査官はその職務上常に危険と隣り合わせの為、最低二人組(ツーマンセル)、本部からは四人組(フォーマンセル)が推奨されていた。その中で単独行動を行い続ける篝捜査官は異常だ、その任務の実績も含めて。

 

「……篝捜査官は、何故超能力犯罪捜査官になったのですか」

「んン~?」

 

 ぺリぺリと羊羹の梱包を剝がしながら、俺はそんな事を聞いていた。単に静寂を紛らわす為、特に他愛もない雑談のつもりで。

 羊羹を頬張りながら声を上げた篝捜査官は、俺をまんまるな瞳で見つめた後、「むん~」と唸りながら天井を見上げる。それから片手でペットボトルのキャップを弄り、口を開いた。

 

「何故と言われてもですね、それしか方法が無かったと言いますかァ、選択肢が用意されていなかったと言いますか~……」

「は、選択肢、ですか?」

「えぇ、はい、そうなンですよ」

 

 そう言って葛井捜査官は自分の首に嵌められた鎖を引っ張る。カチャカチャと音を鳴らす細いソレを見せびらかす様に指差し、「ワタシ、元々研究所のニンゲンでして」と屈託のない笑みを浮かべた。

「えぇ、それは存じています」そう言って俺は勝井捜査官に頷いて見せる、一応同期として仕事をする際に、一通りのことは聞いている。

 

「何でも能力の有用性を認められて捜査官配属になったとか、本人の強い希望もあると聞きました、ですから何故この仕事を希望したのかを――」

「ェは」

 

 再び問いかける声を前に、勝井捜査官が不気味な声をあげ、それから突然笑い出した。

 俺の言葉は途中で遮られ、目の前の少女が信じられない事を聞いたとばかりに吹き出し、笑う笑う。その半ば狂気じみた姿に言葉が引っ込み、俺は黙った。「いひ、はッ、はははは」と引き攣った笑いを続ける篝捜査官は、笑いを顔に浮かべたまま手をブンブンと横に振った。

 

「希望してない、希望なんてしてませンよぉワタシ、捜査官向きの能力なンて嘘ですし、もしかしてソレ、真に受けていたンですか?」

 

 あー、おかしい。

 そう言って腹を抱える篝捜査官に俺は困惑した。真に受けたも何も、上官から直々に伝えられた言葉である。初めて顔を見合わせた日に、目の前で。

 

「厄介払いですよ、厄介払い、ワタシあの場所が嫌いだったンです、一応アレコレ一通りは虐められたンですけどね、存外ワタシって頑丈に出来ているみたいで、日替わりで来る白衣の人に薬漬けにされて、暴れてを繰り返していたら、いい加減無理だと思われたみたいで、此処に飛ばされました」

 

 愕然とした。

 それは彼女の待遇についてもだが、何よりその事実に衝撃を隠せなかった。虐められ、薬漬けにされ……? 目の前の人物は確かに元々国家超能力研究所の人間だと知っていた。けれど、それでは余りにも――

 俺の表情を見た篝捜査官が、どこかキョトンとした顔をして、「あぁ」と何かに納得したように頷いた。

 

「勘違いして欲しくないンですけど、別にあの場所に恨みとかは持ってないですよ? 嫌いですけど、ワタシは納得してあの場所に居ましたし」

 

 羊羹を頬張りながらそんな事を口にする。俺に葉想像する事しか出来ないが、彼女の話が本当ならば恨みの一つや二つ抱いていてもおかしくない。篝捜査官の言葉を呑み込むのに時間が掛かった、受け止める心の準備も。それから唾を呑み込み、少しだけ乾いた舌で「何故……?」と言葉を紡いだ。

 すると、目の前の彼女はどこか懐かしそうに眼を細めて語る。

 

「……ワタシの家、結構貧乏だったンですよ、正直食べていくのも一杯一杯で、兄妹も沢山居ました、それでワタシに超能力が発現して、両親は喜んで国家超能力研究所にワタシを入所させました」

 

 その頃、ワタシは高校生だったンですけどね、正直高校辞めて働こうかと思っていました。

 そう言って篝捜査官は笑う、その笑みには屈託が無くて、何か出そうとした言葉が引っ込んでしまった。

 

「高校生ですから、ある程度の事は理解(わか)っていたンですよぉ、自分が何処に行くのか、何の為に行くのか、だから、マァ、何て言いますか、別に良いかなぁって」

 

 両手をテーブルの上に置いて、篝捜査官は少しだけ寂しそうに笑う。その表情は年相応に思える程穏やかで、けれど確かに哀愁が漂っていた。全てを諦めている様な、けれど諦めきれずに手を伸ばし、恋い焦がれている姿だった。

 

「国家超能力研究所が入所した超能力者に支払う金額、知っていますか?」

 

 篝捜査官が俺の目を見て問いかける。そこにはもう皆が「狂人」と呼ぶ彼女の姿は存在してなかった。俺は静かに首を横に振る。

 

「一人につき最低五千万、ランク『Ⅰ』でこの値段ですからぁ、人間一人に支払う金額としては十分でしょう?」

 

 人を買って、五千万。

 それが安いのか高いのか俺には分からない。臓器の値段だとか、生涯賃金だとか、そういう倫理観だとか道徳だとか殴り捨てて、客観的に見れば安いのか高いのかも判断がつくかもしれない。けれど俺はそれをしようとは思わなかった。

 

「ワタシは元々ランク『Ⅳ』でシたから、マァ、強化系は数が少ないですし、多分希少性とかも含めてこのランクだったンです、結果家族には一億円が支払われました、一億ですよ? 一億、一億円あれば何でも出来ます、あの貧乏だった生活ともオサラバです」

 

 随分と人並みの生活が許されて、家も買って、兄妹はちゃんと三食食べられて、学校にもちゃんと行けて、大学だって――

 

「ワタシが研究所に入所して、家族が幸せになりました、莫大なお金も貰いました、だからワタシはちゃんと義務は果たします、お金を貰って、ワタシは研究所で義務を果たす、当たり前です、だって研究所はワタシを買ったンですから」

 

―― だから、逃げ出す奴は殺されて当然です

 

 抑揚無く、篝捜査官はそう言い放つ。その眼には確かな意思と覚悟が存在していた。彼女の矜持と言うべきか、恐らく譲れない一線があるのだ。身を乗り出して俺を覗き込む瞳は黒く染まりながらも、確かな光を帯びている。

 

「どんな境遇でも、どんな人間でも、優位能力者で研究所に来た奴らは、皆金で買われて来たんです、そのお金は家族に、親族に、或は恋人でも良い、超能力者自身が指定して渡せます、誰もいないなら自分で持っていても良い、だと言うのに逃げ出す奴らがいる、確かに実験は辛いですし、痛いですし、気持ち悪いです、ケド、そういうのを全てひっくるめてのお金です、お金だけ貰って逃げるなんて、そんなの『平等』じゃないです」

 

 彼女なりの価値観、或は正義。平等という言葉に彼女は固執している様な気がした。けれどソレを指摘できる程、俺は肝が据わっていない。歪んでいる、そう思った。けれど安い同情も慰めの言葉も彼女は欲していない。

 椅子に深く座り直した篝捜査官は、黙って顔を強張らせる俺に笑い掛けながら言う。

 

「ワタシは自分が正しいとは思っていません、この仕事が正義だとも、けれどワタシの家族はどんな形であれ研究所に救われました、だからワタシは此処に居ます、研究所の件が信じられないのなら自分で調べてみると良いでしょう」

 

 最も、簡単に尻尾を出すとは思いませんが。

 そう言って再び羊羹に手を付ける、俺はその様子を見ながら何とも言えない感情に襲われた。それは自身の励んだ善行が全て報われていないと知らされ、正義の根本が崩れていく感覚だった。無論、目の前の篝捜査官が嘘を吐いているという可能性だってある、けれど彼女が嘘を吐いて得られるメリットは何だ? 変人だが、この人は悪戯で人をからかったり嘘を吐いて惑わせる様な真似はしない、それくらいの人となりは知っている。

 仮にその話が本当だとして、彼女自身は研究所を肯定していて、けれど他の超能力者はどうだ?

 まだ自己判断も出来ない年齢で入所した超能力者だって居るんじゃないか?

 研究所の脱走者が超能力犯罪を起こす事は頻繁にある、研究所側も脱走者を減らせる様対策を講じていると聞いたが、超能力には未知の部分が多々ある。超能力を打ち消す装置も、物理的な拘束も能力によっては意味を成さない。そうそう簡単に脱走を防ぐ事は出来ないのだろう。

 

 仮に。

 仮に彼女の話が本当だとして―― 

 

「……」

「うン? どうしたンですか、葛井サン」

 

 テーブルに両肘を着いて項垂れる俺に、篝捜査官は軽い口調で問う。俺の心境などまるで理解できないとばかりに、その表情に笑みさえ浮かべて。俺は血を吐く思いで口を開いた。

 

「……最近、どうにも分からなくなります」

 

 ぐるぐると回る思考、反して心は死んだよう。あの仮面の男もそうだ、あの【振動】を操る能力者だって、少しだけこの話を聞かなければ良かったと思った。

自分が此処に居る理由、隣に立つ親友、自身が積み重ねて来た全て、この手に握る力全て、それが全部偽物に見えて――

 

 正義って、何なんですかね。

 

 辛うじて呑み込んだ言葉は、まるで鉛の様に腹へと溜まった。

 

 

 

 

 





最近リアルがとても切羽詰まっております。
ヤンデレと攻防を繰り広げたり、人間関係でドロドロしたり、考査が近いので勉強したり、payなdayで銀行強盗したり………。
 一日40時間くらい欲しいです(´・ω・`)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。