インスタント・HERO ~180秒で世界を救え!~ 作:トクサン
彼を一言で表現するのならば、私は「仏が人間の皮を被って歩いている様な人」だと口にするだろう。いや、仏と呼ぶには少々俗に侵されている気もするが、兎に角それに近い表現で間違いない。
人を助けるのに理由は要らない、というのが彼の弁であるが今時そんな言葉を有言実行できる人間がどれだけ居るだろうか? 研究所を抜け出してからの、余りに人らしい生活に私は未だ信じられない気持ちでいたりする。
時たま頬を抓って、夢では無いと確認する癖まで付く程だ。
私を匿い、衣食住の面倒を見てくれるどころか、澪奈との合流まで実現させ、研究所の追手さえ退ける男性。
その余りの善人ぶりに、思わず「本当の目的は何だろう」と勘ぐってしまう、余りに自分の都合に良すぎる環境は何とも言えない疑念を生む。結果返ってきた答えは「一目惚れ」という、善人にしては少々俗に塗れた言葉ではあるが、彼は対価として何を要求する事無く日々を過ごしていた。
「あの、幸奈さん」
「ん?」
昼間の二時頃、幸せな
読んでいた本から目線を上げると、澪奈の顔が視界に入った。
「雪那さんって、その、どういう人なんでしょうか?」
どこか恥ずかしそうに突然問い掛けてくる澪奈、思わず私は面食らって「突然どうしたの?」と逆に問い返してしまう。澪奈は開いていた本をパタンと閉じ、嬉しさと悲しさが混じった様な声で答えた。
「私達が今こうしていられるのも、全部雪那さんのお蔭で、良い人なんだなぁって事は分かるんです、けれど、それが逆に怖くて」
「怖い……?」
私の言葉に澪奈は「はい」と頷いた。
「研究所では暖かいご飯なんて食べられませんし、こんなにのんびり過ごす事も出来ません、研究所の人は……正直に言うとあんまり好きではないんです、外の世界を知らなければ、もしかしたら諦めもついたかもしれませんが」
その言葉私は思わず身を硬くする。
太陽の光が雲に遮られ、一瞬部屋が陰った。
あの地獄の様な環境を好きになれる人間など、きっと存在しない。未だ脳裏に存在する牢獄を思い浮かべれば自然と表情が強張った。
「初めてなんです、同じ
ぎゅっと本を胸に抱いて、辛そうな表情をする澪奈。
それは研究所に閉じ込められ続け、初めて外の世界を知った彼女の見せる恐怖の感情だった。その感情に私も身に覚えがある、彼と出会ったばかりの時に抱いた感情だ。
純粋な善意は時に、私達の精神を病ませる。
「それを、一度知ってしまった【今】を取り上げられるのが、何よりも怖い」
そして、雪那さんが何を考えているのか、それが分からないんです。
そう言って澪奈は酷く申し訳無さそうに体を縮こませる、そこには自分を助けてくれた恩人を疑うと言う罪悪感が滲み出ていた。他人から厚意を受ける事自体、殆ど経験の無い事なのだろう。そういう私だって、研究所では自分と同じ境遇の超能力者しか信じられない。時にはその同じ超能力者でさえも、我が身可愛さに裏切る事だってある。純粋な厚意、善意とは信じる事さえ難しいモノなのだ。
それならば、まだ金銭や肉体を要求された方が安心できる、だってそれなら、それさえ差し出せば裏切られる事がないから――
私は読んでいた本に栞を挟み、静かに閉じる。
どんな事を言うべきか迷った、けれどそれは自然と思い浮かぶ。
それからゆっくりと詰めていた息を吐き出した。
「私もね、澪奈、貴女と同じ事を考えていたの」
「えっ?」
私の声は書斎にハッキリと響いた。
勢い良く澪奈が顔を上げて、私を見る。その驚いた様な表情に何となく笑ってしまって、漏れた吐息が虚空に混ざった。
「何でそんなに優しくしてくれるのか、こんなに良くしてくれるのか、同じ研究所に入れられた訳でもないのに、全く見知らぬ他人が、何でここまで助けれくれるんだって、聞いたの」
当然の疑問だった。
彼の厚意は、人の善意を感じる事のない環境に長い間押し込められていた私達にとって、余りにも眩しすぎる。
ソレを聞いた澪奈は「雪那さんに、ですか?」と恐る恐る訪ねた。
私はゆっくりと頷く、すると身を乗り出した澪奈が「何て、何て言ったんですか?」と食い付いて来た。それは自分達を何故助けてくれるのか、純粋な疑問と彼への純粋な好意が見え隠れしている。
一度息を吸い込み、けれど不意に言葉に詰まって。
二度目でやっと口にした。
―― 人を助けるのに、理由が必要なんですか?
「そんな風に言われちゃったわ」
私はそう言って笑う、当時の彼の様子が瞼の裏に焼き付いていた。
私に肩を貸しながら、真っ直ぐ前を見て言い放つ雪那。その姿は格好良くて、真剣で、迷いがない。善行を当たり前だと思っている様な、そんな目だった。
澪奈は最初目を大きく開いて、どこか感極まった様な、泣き笑いしそうな顔で。ゆっくり肩を上下させ本を強く抱き寄せる、それは何か大きな感情を我慢するような動きだった。
「やっぱり、雪那さんは……とても、とっても良い人です」
小さな声で、けれど力強く。
澪奈は笑って呟いた。
ソレは彼が裏切らないという確信を持ったからか。それとも、性根から信じられる善人だと思ったからか。
それとも ――
「えぇ、そうね」
澪奈の微笑みに、あぁ、この笑顔を守れて良かったと心底思う。
そして同時に、澪奈に対して半分嘘を
― ひ……一目惚れです
あの時とは違う、もう一つの顔。
凛々しくもどこか垢抜けない顔立ち、瑞々しい唇から紡がれたあの言葉。
今でも思い出すと顔が熱を帯びる、心臓が早鐘を打って嫌でも意識してしまう。何でも無い様に過ごしているし、彼と話すときも極力思い出さない様にしているが、今は無理だ。
彼のアレは本心からだったのか、それとも私を助ける為の方便だったのか、それは分からない。どちらにせよ、彼が私を助けたかったというのは事実で、例え方便でも理由を付けてまで助けようとした事に好感を抱く。
結局私は、あの時既にやられていたのだ。
「幸奈さん、どうかしたんですか?」
「……いえ、何でも無いわ」
俯き、思考を巡らせていた私に澪奈の声が届く。
私は慌てて顔を上げ、首を横に振った。
熱を帯びた吐息を隠す様に、口元を手で隠す。ついでにその想いも隠してしまう様に。
研究所では色恋沙汰
でも本当の自由って言うのは、恋愛も含め、何にも縛られない事。
「私は―」
呟きは誰にも聞こえない。
表情には笑みを浮かべ、喜色に染まった澪奈を見ながら思う。
けれどそれを口に出す事は出来ず。
そっと誰にも見られない様に、拳を握った。
澪奈と私、雪那が此処に住み始めて四日目の出来事だった。
★
―― 電話の向こう側の女は、
『突然の事で驚いていると思う、けれど、どうか聞いて欲しい、私達にも余裕がないんだ』
慌ただしい声色でそんな事を言う秋に僕は困惑する、思わず「ちょっと待ってくれ」と一拍置いた。高鳴っていた心臓を抑えつけ、冷静にと自分に言い聞かせながら口を開く。気付かぬ内に舌が乾いていた。
「何故僕の名前を知っている、そもそも、君は一体何だ?」
何であれ、相手の素性と何故僕の事を知っているか、それが問題だった。彼女の様子を見るに偶然という訳では無いだろう、どこかで僕の情報を聞いたのだ。それが表の顔か裏の顔かは知らないが。
その情報源がどこか、僕には知る必要があった。
そして覚悟を決めたのか、ゆっくりと含むように言い放つ
『……
「ッ!」
緊張は歓喜に変質する。
その言葉だけで十分だった。
【三月】は名前、【イーリオス】はトロイア戦争を指す。
それの意味は。
僕は賭けに勝った ――
「分かった」
未だ交わした言葉は十に満たない、しかし僕は寺島秋という人間の素性を理解する、そして何故こんなにも切羽詰まった声色なのかも。それは僕が望んでいた状況そのものだった、幾つかの段階をすっ飛ばし、携帯を握りしめながら「状況は?」と尋ねた。
すると電話の向こう側から『えっ』と間の抜けた声がする。
それは、まさか本当に相手にしてくれるとは思っていなかったという声だった。
『っ、本当に、助けてくれるのか……?』
おずおずと歯切れ悪く問う声には、驚愕と歓喜の念が感じられる。
「どうしようもなくなったから、僕に連絡を寄越したんだろう? 何とかする、だからそっちの状況を教えてくれ」
そう言って説明を促すと、「あ、あぁ」と嬉しそうな声を上げ、出来得る限りの情報を提供してくれた。電話の向こう側から、何か歓喜が成分として伝わってきそうなほどだ、余程切羽詰まっていたらしい。
『場所はS市N町、人数は三人、今は隠れて襲撃に備えている、道はカルタ通りって言えば分かるか?』
僕は秋の口から出た言葉に少し驚く、S市N町、大分近場だ。それにカルタ通りという名前にも聞き覚えがあった。そこそこ店の立ち並ぶ通り、平日の日中では流石にそれほど人は居ないだろうけど、休日は人通りもあって賑やかだった筈だ。
「あぁ……確か駅に近かったよな、というか僕の居る場所から存外近いぞ」
『そうなのか? だとすれば助かる!』
秋の声に張りが出て来る、どうやら近場である事が彼女に勇気を与えているらしい。
『カルタ通りのタックスビルっていう建物に今は身を隠しているんだ、けれど向こうの能力者に居場所が割られた、すぐ実働員がビルにやってくる』
僕は携帯を耳にあてながら腕時計に目をやる、時刻は朝八時五十分。
僕の記憶が正しければ秋の居る場所は此処から電車で四駅分ほど、徒歩なら近いとは言えないが今の僕にすれば十分近場、県を跨がないだけ僥倖だろう。
「そのビルから離れて、別の場所に身を隠すっていうのは?」
僕が時間稼ぎの為にそう提案すると、秋は少し黙り込み『それは駄目だ……』と弱々しく口にした。
『能力者探知の異能は能力再使用までの間隔が短いほど精度が高い、今回の能力者は三十秒に一度は能力を使用してくる、能力効果範囲は凡そ五百メートル……三十秒以内にその範囲から抜けるのは無理だ、こちらには怪我人がいる』
「怪我人? 何人だ」
『一人、懐能液を続けて二本使ったんだ、防壊液も摂取したけど、まだ歩ける様な状態じゃない』
懐能液、その単語に思わず口を噤んだ。
恐らく追手と戦闘になったのだろう、生きているという事は撃退したのだろうが、懐能液を続けて二本摂取したと言う。
実際に使っている場面を見た訳では無いので何とも言えないが、もしかしなくてもかなり拙いのではないだろうか。一本使っただけでも幸奈は半日歩けなくなったと言う、ならば二本なら丸一日? 足し算では無く掛け算、累乗だったら更に笑えない。
『それに追っ手は研究所の連中だけじゃない』
「……どういう事だ?」
研究所以外の追手?
その言葉に懐能液で一杯だった思考が止まる、けれど少し考えれば思い当る節があった。研究所と繋がりがあり、尚且つこの様な事態に出張ってくる組織。
「警察か」
超能力犯罪捜査官――
その言葉が頭に浮かんだ。
警察が持つ超能力者に対する対策班、超能力者には超能力者を。その理屈を体現した集団、詳細は知らないが凶悪な超能力犯罪者にも立ち向かえる精鋭が揃っていると聞いた事がある。優位能力者は根こそぎ国家超能力研究所が持っていくので、在籍しているのは【準・優位能力者】とも呼べる人員だが、対超能力者の経験豊富な連中が弱いハズなどない。
それが彼女達に迫っている。
彼女の焦燥感が、着実に現実へと変わっていた。
『追手と戦う時に、市民が巻き込まれたんだ、何人か、幸い死傷者は出なかった、けれど大勢の人間が目撃した、もう裏の事としては済まされない』
裏で処理出来なくなったから、警察も巻き込んで超能力犯罪として片を付けるつもりだろう、余程の超能力者ならば無理矢理揉み消すのだろうが、彼女達には当て嵌まらなかったらしい。
思わず携帯を握る手に力が入った。
研究所に続いて超能力犯罪捜査官まで動くとなると、救出は困難を極める。僕も一度に三人は運べない、能力の制限時間だってある。条件的にも、状況的にも良い事など一つもない、正に絶体絶命。
僕は大きく息を吸う、幾分か頭がスッキリして思考がクリアになった。
それから心苦しく思うも、ハッキリと告げる。
「率直に聞こう、何分耐えられる?」
『………』
返答は重苦しい雰囲気。
電話越しでも感じる、その絶望感。悲観的な空気が目に見えて僕らを包んでいく様だ、けれど見捨てるという選択肢は無かった、どれだけ絶望的な状況であっても諦める事など出来ない。それをしてしまったら、僕は僕である事を放棄してしまう
『向こう次第……仮に連中が攻めて来たら、死ぬ気で耐えて――』
五分
非常にも、その言葉は僕の耳に届いた。
ドクンと、心臓が一際大きく鳴り響く。
五分。
そうか、五分か。
「充分だ――」
僕の出来る精一杯の強がり。
電話の向こう側から驚きの声が上がった。
「守りを固めて、兎に角時間を稼ぐんだ、必ず助ける、だから待っていてくれ」
そう言って僕は通話を切った。真っ黒になった携帯をポケットに突っ込んで、すぐさま
今は一分、一秒が惜しい。
必要なモノは何だ、逃走経路は、警察と研究所の連中をどう相手取る?
問題は山済みで、対する僕の持ち札は絶望的に少ない。けれど逃げる事は許されない、これは僕の望んだ状況で自ら作った危機なのだ。
「……今度こそ」
僕の脳裏に浮かぶのは、あの廃工場での一件。
恐らく今回も研究所の超能力者が僕らの前に立ちはだかるだろう。連中に容赦は存在しない、強要された超能力者は容易く僕らの命を奪う。あの【圧縮】の様に、即死してしまう能力ならば尚更。そこに
可能ならばどちらも救いたい、けれど両方救えると豪語できる程僕は強くも、勇敢でも無い。
だからもし、選ぶ時が来たら ――
ぐっと拳を作る。
優先するモノを間違えてはいけない。
僕は自分にそう言い聞かせた。
ヤンデレを読む時は、独りで、静かで、豊かで……何て言うか、救われていなきゃダメなんだ‥‥。
Ps
皆様のお蔭で日間一位を頂きました!
ありがとうございますワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ