私の上司はデコポンポ   作:fukayu

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文官育成計画発令です

 私がこの世で一番許せないモノは何の保証も無い綺麗事だ。

 

 「何も知らなくてもいい」、「こんな事はしなくてもいい」というのは簡単だ。言った本人達は本気かどうかは知らないが、相手を気遣ったつもりになって優越感に浸れる。言われた方だって、守られている内は何の心配もせずに自分が大切にされていると勘違いしてその甘い言葉に乗せられているだろう。

 

 しかし、そんなモノはまやかしだ。

 

「……有り得ないですね。あの仮面野郎許せないです」

 

 静かな怒りを込めて遠方で任務に就いている男に渾身の呪法を叩き込みたいと思いながら、目の前に幼い少女に視線を向ける。

 ネコネ嬢は敵対派閥の私から見ても優秀な人材だ。このままいけば将来的にはオシュトルを支える優秀な文官として私の前に立ちはだかるだろうと言う事は想像に難しくない。

 しかし、それはあくまで彼女の能力を最大限に生かすべく教育を施した場合である。

 

 オシュトルが妹可愛さに自分の受け持つ決して綺麗事とは言えない職務を経験させず、ネコネ嬢を守ろうとしているようならハッキリ言って私の敵にはなり得ない。

 陰謀渦巻く宮中で裏の仕事をせずに立ち回れるほど、私も他の連中も甘くない。寧ろ、そんな弱点を抱えているならその方面で狙い撃ちするのが我々文官のやり方と言えるだろう。

 

 だから、ここで見て見ぬふりをしておくのが本来私の取るべき選択肢なのだが…………。

 

「ネコネ嬢。一つ聞かせてくださいね。あなたはご自分のお兄様の役に立ちたいですか? オシュトル殿を支えるためにどんな事でもする覚悟はありますか?」

 

 いつの間にか口に出ていた質問は私がこの場で行うべき最適解とはかけ離れたものだった。

 

 …………全く何をやってるんでしょう。こんな事しても将来の強敵を増やすだけだというのに。と、いうかこの質問何の意味も無いですよねー。私、情報収集と分析にだけは自信があるので、それらから言うとこの質問に対するネコネ嬢の返答は十中八九―――。

 

 分析完了。

 まるで未来予知でもしたかのように私の前のネコネ嬢は予想通りの返答をすることになる。というか、少しは悩めよそこは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、ではやり方を教えるので私の隣に机を並べてくださいね」

 

「はいなのです!」

 

 出来れば断って欲しかった質問に「当然だろ? 何言ってんだ?」みたいな顔をして答えられた数分後、私は急きょ予定には無かった文官育成講座を始めることになった。

 一応この国にも教育機関のようなものはあるにはあるのだが、平民は日々の生活でそんなところに通っている暇もお金も無いし、貴族は貴族で最低限の読み書きと家柄があれば生活は出来るのでほとんど意味をなさない。そもそもあの場所は基本的な知識を学ぶための場所でしかないので実戦ではその部署に合った再教育を施さないと意味が無いのだ。

 結果的に文官志望の人間は同じ文官の元で仕事を覚えるというのがこの国の常識であり、その中にはネコネ嬢くらいの年齢の見習いもいなくはない。二足歩行出来て考える頭があればもう働ける立派な人的資源なのだ。

 

「まず、私は基本的に使えるものは何でも使う主義です。例え泣き言を言っても使える人材であれば働いてもらいますし、働けない事情が何かあるのならそれを排除してでも働いてもらいます。……以上の事に問題が無ければここにサインをお願いします」

 

 即席で注意事項をまとめた契約書を作り、書かれている事を手に持って音読しながら説明し終わる。これは私が自分の文官を鍛える際によくやる通過儀礼のようなものだ。ここにサインをした段階から私の文官育成コースは始まる。

 

「サインですか? これに一体何の意味があるというのですか?」

 

「ええ。まぁ、ただの確認です。結構辛くてやめてく人が多くてですねー、私のところを逃げ出した後に他の人たちの所に駆け込んでやれ人権無視だ! 悪魔だなんだと難癖を付けてくる人が多いんですよ。一応、貴女が私の教育に耐えられなくてお兄様に泣きつかれると立場的に私も厳しいので、一応こういうモノを作らせてもらいました」

 

「私が兄様に泣きつくですか? 有り得ないのです!」

 

 そう言って、私の軽い挑発に乗せられたネコネ嬢は何の迷いも無く目の前の契約書にサインをしてしまった。

 

「ふむ。不合格ですね」

 

「へ?」

 

「これで貴女は私に対して無期限の奴隷契約と情報提供の義務が発生します。ほら、三枚目に書いてあるでしょう? 駄目じゃないですかー、契約書はサインする前に熟読しないと!」

 

「な、な、な!」

 

 一体何が起こったのかわからないというようなネコネ嬢を余所に私は改めてこの通称「悪魔の契約書」について説明しておく。

 

「これはですね、以前我々文官の中で流行っていたモノでして。何も知らない文官見習いを自分の配下として成長後も留めて置くためのモノなんですよ。特殊な呪法が使われていて契約者の許可なくここに書いてある内容を破ると強力な呪いの一撃が相手を襲う代物です」

 

 文官にとっての情報の価値は最早言うに及ばず、その情報収集手段は日々高度化、えげつ無い方向に進化する。その中でも他の文官を自らの傀儡とし、情報源とするやり方は中々厄介で私の部下も何人か犠牲になった。

 幸い、契約主が破棄するか掛かっている呪法以上の術者がいれば解除できるので気付きさえすればそこまで問題は無く、逆に相手側にスパイとして送り込めるので敢えて色々な陣営と契約させて送り込んでみたりしてたらいつの間にか廃れていたのだが。

 

「はい、解呪っと。魔物退治などで使われる際は大規模なものが多いので誤解されがちですが、呪法は読んで字の如く元々誰かを呪うために発達した技術ですので応用すればこのような事も可能です。ネコネ嬢が使う回復も同様。健康な相手に必要以上にかけまくれば肉体が呪法に耐えきれず崩壊しだすので憶えておいてくださいね?」

 

「うぅ、そんな事憶えたくなかったのです……」

 

「アハハ、別に基本的な執務だけ教えるのは簡単ですが、今は有用な文官が少ないですからね。有能なだけの文官なんていつどこに引き抜かれるかわからないのでこうしていくつか自衛手段を教える事にしているのですよ」

 

 正直言って私がネコネ嬢に文官としての表向きのやり方を教え込むのにそんな時間は必要ない。基本的な処理の仕方や関係部署への引継ぎなどは教えた拍子に憶えていくので二度三度説明する手間はかからないし、別に私の下で働く訳では無いのでそこまで詰め込まなくていいというのも理由の一つだ。……最も、結構人見知りするみたいなので別部署との連携に関しては要練習と言ったところだが。

 

「それでは、オシュトル殿が帰ってくるまでに粗方右近衛大将としての事務仕事についてはマスターしておきましょうか」

 

「はいです!」

 

 ……ま、オシュトル亡き後ネコネ嬢の関係者で右近衛大将に就く者等いそうに無いのでこれについてはあまり意味無いですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネコネ嬢との文官育成講座も三日ほど過ぎ、ある程度形になった帰り道。

 

「…………よろしいのですか?」

 

 私の影として常に付いて回っていたイリーチャが突然に何もない空間から姿を現した。

 

「……相変わらずビックリしますね。いきなり現れるのは」

 

「アトリ様。そこはもう少し驚いた振りをしてから言ってくださいませ」

 

「失礼な。これでもついて来ている奴がいるなー。多分イリーチャだけど違ったら困るし流せる範囲で情報を提供しといて後で何処の陣営のモノだったのか調べないと、とか考えながら歩いていたんですよ?」

 

「斥候では無く、刺客だった場合はどうするつもりだったのですか?」

 

「それは―、まあ、ねぇ?」

 

 一応普段から武装していないのはそういう輩を誘き寄せるためだし、帝都中を警邏している検非違使隊の配置は全て記憶しているので初撃さえ凌げば助けを求める振りして彼らの武器を拝借。その後、刺客を撃退して彼らに引き渡す予定だ。

 

「検非違使達に引き渡しさえすれば私の直轄として合法的に尋問が出来るわけですし、それはそれでいいかなと思っていますが?」

 

 後で雇い主が引取りに来るなり口封じに来るなりしても検非違使隊が所有する牢は私のテリトリーだ。どうとでも出来る。

 と、説明するとイリーチャはまるで可哀想な子を見るような目で私を見つめ出した。

 

「お嬢様にはご自分の御価値がわかっていらっしゃらないようですね。もし、万が一お嬢様の身に何かあれば我々がどうなるかは想像に難くないでしょうに」

 

「いやー、刺客としてくると言う事は軽武装でしょうし。万が一毒を使われても帝都で使われる毒物には耐性があるのでそこまで問題が無いと思いますよ?」

 

 ……それに、武装していないとはいえ、別に武器が無い訳では無いし。極論、そこら辺の刺客なら道端に落ちてる木の棒でもあればいけると思うんですよね。

 

「何を考えているかはわかりませんし、わかりたくありませんが。本当によろしいのですか? ネコネ様の教育をすると言う事がどういう事なのか……」

 

「ま、大丈夫でしょう。これでも負い目は有りますしね。試験官として彼女の夢を蹴り飛ばしたのは私ですし、その代わりくらいはね?」

 

 学士の中でも最難関と呼ばれる殿士を突破した者は通称殿学士と呼ばれ、その名の通り帝の住む聖廟に自分の研究室を得られる。それはつまり無条件の聖廟への通行許可証が手に入る事と同義だ。私も以前、上司の不用意な発言を取り繕うためにどんな手段を使ってもお仕え出来る様に取った資格だが、私は後輩になる筈のネコネ嬢をその権限で突き落としたことがある。

 その時のお詫びと思えばこの程度は問題は無い。

 

「それに、別に敵対すると決まったわけでは無いですよ? その可能性が高いのは否定しませんがね。それより、例の件はどうなりました?」

 

「やはり、ウズールッシャ方面で動きがあるそうです。恐らくこちらに仕掛けてくるのも時間の問題かと」

 

「ふむ、どうしたもんですかね」

 

 ウズールッシャとはヤマトから北方に進んだ地域で元々は遊牧民を中心とする、数多くの少数部族が勢力争いを繰り広げていたが、近年、一代王グンドゥルアによって各部族が統一された事で一つの国として動き始めた大国である。

 彼らの行動原理は単純。大地の実りの少ない土地を離れ、より裕福な土地を武力を以て奪い取る。要は、国単位の蛮族達だ。

 

 そんな彼らが今自分達の領土を食い荒らし、帝の加護により栄えているヤマトにまで進攻しようとしているという情報が最近になって多くなってきた。

 

「一応、毎年難民の一定数の受け入れやこちらからの輸出なども行ってはいるんですがね。隣の芝生は青く見えるというか、そろそろ爆発限界ですか」

 

「単純な兵力だけなら多数の小国を取り入れたウズールッシャは我が国を上回ります。連中のやり方を考えると侵攻された地域の者達も兵力として加えられるでしょうし、苦戦は免れないかと」

 

「いや、それは問題ないんじゃないですかね」

 

「は? どういう意味でしょう?」

 

「言葉の通りですよ。そりゃあ、属国の内のいくつかは飲み込まれるでしょうが、我が国も長らく戦争していないので国力は有り余っていますし、手柄を立てる為八柱将の大半が出陣するでしょうから負けることは有りません。いざという時の切り札も四つほどあるでしょうし。寧ろ、やり過ぎないか心配です」

 

 戦争とはただ勝てばいいという訳では無い。

 勝つだけなら、おそらく相当簡単だがどの程度で見切りをつけるかというのがこれまた難しい。

 

 敵軍を全滅?

 確かに刃向う敵を皆殺しにすれば戦争は終わるが、決して少なくない犠牲の代わりに手に入るのは無駄に広大な領土位だ。土地の枯れ果てているウズールッシャは戦争する相手としては限りなく旨みの無い相手であり、多少なりとも疲弊するヤマトにかの地を統治する人材など出せる訳が無い。精々戦犯達の流刑地として利用されるのが落ちだろう。

 

 そして、私の所属する陣営は戦争になるとほぼ間違いなく手柄を得ようと先陣を切る筈なので、やる気満々なウズールッシャ軍と激突することになる。そこで万が一失態を重ねれば戦後の私の役職はウズールッシャ開拓団の隊長だ。

 

「一応、ウズールッシャ側にも話が分かる連中はいる筈なので彼らといつでもコンタクトを取れるようにしましょう。ある程度こちらの脅威を教え込んだら即和平が出来るように、ね」

 

「わかりました」

 

「それと。今回の収穫ですが、数か月後とある国から使節団が来るそうです。恐らく私は検非違使隊長官として彼らの護衛。そして、文官として話し合いにも参加するでしょうから情報を集めておいてください。こっちはウズールッシャなんかよりも優先でお願いしますね?」

 

「戦争よりも優先するのですか?」

 

「はい、相手は小さな島国ですが、おそらくこの会談次第で我が国の今後が決まりますから」

 

 右近衛大将としての職務の一環として届けられていた書簡の中に合った情報の中でも恐らく最重要項目と思われる。

 他国の使節団など長い目で見れば別に珍しくもなんともないが、今回は相手が悪い。

 

「ウズールッシャとの戦争と言い、今回の使節団と言い何かキナ臭いんですよねー。これまで行われたある一定周期での我が国の他国への進行と属国化による領土吸収。そして、他に領土などいくらでもあるにも拘らず、どこの誰が見てもヒトが住むに適さないクジュウリの開拓。我々に現人神様の御心を推し量れないにしても嫌な予感がしますね」

 

「その国とも戦争になると?」

 

「そこら辺は私たち文官の腕の見せ所ですが、どうにもならない時は有りますからね」

 

 我が国は良くも悪くも帝を中心に動いている。

 極端な話、帝が他国への侵攻を決めればだれにも止める権利などないのだ。それどころか、この国の人間はその名の為に喜んで命を投げ捨てるまである。

 

 これまではそれでも上手くいってきた。

 でも、今回は駄目かもしれない。

 

 もしも、あの国と…………トゥスクルと戦争になればヤマトは負ける。

 その確信があった。

 

 




 アトリによるネコネ育成計画が始まりました。

 次回はネコネとお出かけ。
 アトリの天敵の登場です。

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