「えーと、馬鹿じゃないですか?」
……おっと、つい本音が漏れてしまった。
オシュトルの切りだした相談というのは右近衛大将とは思えないほど情けないものだった。
……「上から仕事をもらったけど、それを任せられる部下がいないから自分でやろうと思う」って、仮にもこの国で上から数えた方が速いくらいの出世頭が今更何を言っているんですかねー。
「普通にそんなことしたら大問題でしょう。オシュトル様は帝都から兵士を消すおつもりですか?」
「いや、そんな事は考えてはいない。しかし、現実問題。某が動く他ないのだ」
……それが問題だって言ってんでしょうが!
この男は本当にこの帝都での自分の立場を理解しているのだろうか。
仮にも軍事における最高責任者が平時とは言え、護衛任務に就くというのは大事だ。それがよりにもよって八柱将の親族ともあればその任に対する注目度は自ずと跳ね上がる。
これがもう一人の将軍であるミカヅチ様ならばまだ、周囲からの視線もマシなものになるだろうが、オシュトルは駄目だ。
地方の中級貴族出身でありながら、数々の武勲と帝からの信頼により右近衛大将という地位に就いた彼はその清廉潔白さもあり、民衆からの支持も篤く、その仮面の上からでもわかる優れた容姿も合わさり帝都中の婦女子から正に
同時に彼の躍進を妬むものも少なくなく、帝のお膝元とは思えないほどドロドロとした権力争いが彼を中心に日々繰り広げられていると言っても過言では無い。
本人にそんな意思が無くとも、今回の件は八柱将の一人に取り入るように周囲に見えるだろうに、よりにもよって本人が行くともなれば肯定しているようなものである。
……ま、眼の敵にしている中心人物は私の上司なわけだけどね。本当なら、私もこんな風に話していると立場的に危ういんだけどなー。
「まぁ、貴方に上に取り入ろうって気が無いのは知っていますけど、他に任せられる人はいないんですか?」
「先程貴公が言ったように、某が動けば大事になるだろう。しかし、今回は事が事だ。こちらを信頼してくれているものを危険には晒す事は出来ない」
「危険、ですか」
どうやら本格的にドロドロ案件のようだ。
右近衛大将と呼ばれるほどの人物が危険とはっきりと断言する以上、何者かの襲撃が予想されていると言う事だろう。そして、それはオシュトル本人以外でも発生する。いや、むしろ彼が信頼を寄せる人物を狙っているという方が近いか。
「心当たりは有るんですか? 仮にも八柱将の愛娘。帝都へ向かう際に傷一つでもつけようものなら即外交問題です。すぐに対処する事をおおすめしますよ」
「当てはある。しかし、某がどういったところでぬらりくらりと交わされてはどうする事も出来ん」
「ああ、そっち関係ですか。……面倒な」
右近衛大将という役職はヤマト内でも相当上位に位置するものであり、戦争になれば帝の承認を得てヤマト全軍を指揮する立場にも成れるし、八柱将を除く貴族達よりも肩書き上は上だ。
そう、肩書き上は。
武官としての最上位に位置する将軍の役職はヤマトでは通例として帝都内の上級貴族から選ばれることになっていた。しかし、オシュトルは地方出身の貴族でありながら帝の目に留まり、異例の出世でその肩書きを得た。
しかし、それはあくまで肩書きだけだ。帝の命である為誰も表だって文句は言わないが、地方出身の若造の言葉など帝都の貴族は聞く事は無い。寧ろ、本来は自分たちの中から選ばれるはずだった役職を余所者に奪われたことによって今まで帝都内で派閥争いをしていた連中が連携してオシュトルに対抗しようとしている。
簡単に言ってしまえば昨日まで喧嘩していた連中がみんなオシュトル憎しで互いを庇いあうのである。仮にオシュトルが権力を振りかざして検挙したところで帝都内のルールを持ち出して「これだから地方貴族は…………」と陰口をたたきながら躱してしまうだろう。
「その点、アトリ殿は信用できる」
「信用? なにいってるんですか? 私がこの世で一番信じていない言葉は信用ですよ。書面でも口約束でも、ヒトっていうのは旗向きが悪くなるとすぐに裏切る」
「そんな貴殿だからこそ、某は信用に値すると思いここへ来たのだ」
「?」
はて、どういうことだろう。
私はいつでもこの男を裏切る準備が出来ている。隙さえ見せればすぐにでも上司に報告し、褒美として金銭をタンマリ貰うのだ。そういう意味では私は彼を信用している。金の生る木という意味で。
「…………先日、とある噂を耳にしてな」
私が相手の言葉の真意を読もうとしていると、オシュトルは計ったかのようにワザとらしく言葉を濁しながらそれを口にした。
「我が国と協定を結んでいない他国の貿易船がこのヤマトの近海をうろついていたらしい。幸い、何事も無かったようだが部下からの報告によると以前にも何度か目撃証言があったらしくてな。その国の品にはどこかに必ず焼き印が押されているそうだ」
「へ、へえ。そうなんですかー。怖い話ですネー。協定というのは物の価値をきっちり定めるうえで欠かせないものですからねー」
「うむ、もし我が国の者がそれらから法外な値段で物を売りつけられれば最悪ヤマトの威信にかかわる由々しき事態に発展しかねん」
……すみません。格安というかただ同然で買い取りました。
恐らく目撃された輸送船には目ぼしい品物は何一つ乗せられていないだろう。
あの日、検非違使隊から商人達を逃がし了解を出るまで部下に護衛をさせた後、私はかねてより準備していた策を実行した。我が国近海を根城にしていた海賊達に
『困っていると思うので食料や国へ帰るための物資を
そんな命令をしっかりと聞き届けた彼らは親切にも持ち歩いていた補給物資を自分たちが帰るために必要な分だけ残して売り渡し、代わりに協定を結んでいない為我が国では何の価値も無い
因みにその現物の数々はこの来客用の奥にある私の自室に全て保管されている。
背筋にヒヤリ、と冷たい汗が流れる。
(先の書状から全部ばれている可能性が高い。領海付近で目撃したと言う事はその後の動向についても掴まれている? もし、これが上にばれれば完全に私はトカゲの尻尾斬りに遭い、折角手に入れたお宝は全部差し押さえ? 冗談じゃない! 私にはこれから贅沢三昧の面白可笑しい生活が待っているんだ! こんなところで終われない)
結論。
「話を聞きましょう。私でよければいくらでもお力になりますよ?」
私は脅しに屈した。
オシュトルは行った。
行ってしまった。
私に大量の仕事を残して。
「……だから、言う事聞きたくなかったんですよ! 清廉潔白な好人物? どこがだ! あれは私にとっての
久々の出勤日。
折角取れた休暇が上司による突然の無茶ぶりと腹黒将軍による尋問という名のお願いごとのせいで丸つぶれだったので大して休んだ気がしない。それでも仕事というのは待ってはくれないものだ。私はこんなにも休日を望んでいるというのに、私の職場には休みという文字が無い。
「…………おはようございます」
「あ、文官長。おはようございます!」
「文官長、今日は遅かったですね。また仕事ですか?」
室内に入ると先に机についていた部下達が私の周りにワラワラと集まってきた。
……そういうの良いので、仕事に戻って下さい。ほら、机の上にはあんなに書類の山が…………。あ、私の机だ。
部屋の中の一番奥。
『検非違使隊長官』として与えられた私の机には天井に届きそうなほどのタワーが三つ。器用に積み上げられていた。
「こ、これはどういう―――」
絶句。
その一言である。
休日を取る為に命懸けで終わらせた仕事がもうあんなにも。絶望しかない。
「あ、あれですか? 文官長の為に全員で集めておきました。この一月で帝都内で起こった揉め事や夫婦喧嘩、物損と泥棒についての報告書です」
「みんな心配していたんですよ? 文官長が帰って来た時に仕事が無いと大変だって。だから、頑張りました!」
純度一〇〇%。
混じりけの無い笑顔で答える部下達に軽い狂気を感じるのは気のせいだろうか?
……嫌がらせ、という線は無いだろうし。もしかして、もしかするかもなんだけど、私仕事大好き人間に思われてる?
「さあ、文官長!」
「今日も元気にお仕事しましょう!」
『帝都検非違使隊長官』。
私がこの御大層な役職に就いたのは丁度半年前に遡る。この役職は元々その名の通り帝都全体を守護する検非違使隊の全体を管理するために作られた位であり、その位に付くのは代々武官の中でも一番の出世頭達だった。設立当初は肩書き通りの権力で検非違使隊という一大組織をまとめていたと記録が辛うじて残っている。
しかし、ある時代から将軍達の権力の増大や八柱将と呼ばれる権力者達の出現により、元々『長官職』の持っていた権限が切り崩される形で彼らに渡されていき、百年程前にはもう殆ど形骸化してしまっていた。嘗ては軍を率いるほどの権力を持っていたこの役職も今では検非違使隊に所属する隊士達の健康管理と給金の分配位しか仕事が無く、有事の際は基本的に検非違使隊を率いるのは将軍達を言う事で検非違使隊引き渡し役という不名誉なあだ名まで付けられてしまった。
その結果、瞬く間にこの役職は戦場で負傷した武官や一応武官としての教育を受けていた上級貴族達の老後の天下り先としてすっかり有名になってしまっていた。何せ、基本的な職務はそれぞれの担当上官や会計役、御付きの側近達にやらせればよく、何か手違いがあっても全て「部下のせいで……」と言えば丸く収まるほどの権力が彼らに有ったからだ。
そんな役職に何の因果か、歴史上恐らく初めてであろう文官畑の私が就いた。
元々形骸化していた役職だが、現場も知らない文官の小娘に当時の検非違使隊の面々はとうとうここまで腐ったか、と落胆したらしい。
何せ、一応は貴族の天下り先とはいえ、平民出身の隊士達にとっては出世の最終到達点だ。例え、長官になれなくても今まではその下や周囲の部下として取り立てられる機会も少なくは無かった。しかし、武官では無く文官である私が就いた事でこれからは周囲の人間も文官で固められると思ったらしい。
まぁ、その考えはあながち間違ってはいない。ただ、彼らは少し考えが甘かった。
「今いる人員を文官に切り替える? そんな事はしないですよ。勿体ない。武官が文官の仕事をやればいいじゃないですか」
私は使えるものは何でも使う。使えなくても将来的に私が楽をする為なら使えるようにするために努力と投資は惜しまない。何、金は(上司のモノが)いっぱい有った。後は私の努力次第だ。
試しにこの仕事に就く前に部下達にやらせていた半分の仕事を当時長官の周囲にいた人間にやらせてみた。
…………三日で殆ど逃げられた。
まぁ、最初は色々あるものだと、あの上司の元で培われた精神を元に逃げた人員をその下の者達から補充し、残った者達と過去の長官達の仕事に対して下調べをすることにした。何せ、何の引継ぎも無く決まった人事だ。ハッキリ言って何をすればいいのか全く分からない。
…………結果。役に立つ情報は殆ど無かった。
彼ら、全く仕事してなかった。
本当に部下に全部丸投げして、失敗したら切り捨てて有耶無耶にして、残っていたのは揉み消しや事後処理ばかりが得意な連中でその殆どが先日夜逃げ同然私の前から逃げ出していた。
なんだろうこの状況。私は苛められているのかと想像して、その可能性がある事を容易に想像してしまいそこで考えるのを止めた。
そして、気付いたのだ。
何もやっていなかったのなら、やればいいのだと。
元々長官が居なくても回っていたのだ。私に火の粉が降りかからないように、部下を尻尾斬りで切り離さなくてもいいように、何より最終的に私が何もしなくてもお金が入ってくるようにシステムを根本から作り替えることにしたのだ。
当然、その前途は多難を極めた。
軽く教えただけなのに部下は逃げ、一応私も検非違使なので訓練に参加しようとすると断られ、仕事がしやすいだろうと新しい武器を開発・量産し各人員に配布すると『使えない』と罵られ。
そこそこ心に傷を負いながらも先月そのシステムが完成し、よし休むぞと溜まっていた仕事を片付けて休暇についたと思ったらこの有様だ。
「本当になんでこうなった…………」
「お嬢様が帝主催の御前試合で優勝なんかするからですよ。あの時帝から褒美は何が良いと聞かれたときに迷う事無く『お金』と答えようとしたお嬢様を私達がどんな気持ちで止めたと思いますか? その時に比べればこの程度問題は有りません」
「イリーチャ…………。そんな事言われても、あの時は仕方なかったんですよ」
私よりも年下なのに間違いなく私より落ち着いている少女に指摘され、全くその通り且つ納得いかない言葉に私は唇を尖らせながら反論する。
イリーチャは情報収集や文官にたけた部族の出身で前の職場からの部下。もっと言えば私が貴族の娘として甘やかされていた時からの付き合いだ。そんな彼女に私は頭が上がらない。……かと言って、自重する気も無いが。
「いきなり文官なのにあんな正式な大会に出され、手加減も出来ず半ば出来レース同然の組み合わせなら決勝までは行けますし、相手は準決勝で優勝候補同士で消耗している状態。それでも勝ち目がないと通常刀一本だったところを二本持たせてくれと懇願したら要求が通ったんです。私だって二本使えれば手負いの相手位倒せますよ。単純に考えて攻撃力二倍ですからね、あれ。みんな使わないのはきっと反則過ぎて禁止されているからですよね、きっと」
逆に言えば、手負いの状態で二刀流を使わなければ勝てない私の
帝の手前、手加減や八百長をする訳にもいかないし、多少卑怯だと思いながらも二本使わせてもらいましたよ。ええ。呪法も使用不可能なので、剣術で打ち合っているうちに呪法が飛んでくる事態も無かったので何とか勝てたという体たらくだったが。
「…………その頭の悪い理論を実践できるのはお嬢様だけですよ。仕事が溜まっているのです。文句を言わずに働いて下さい」
「うぅ、褒美として貰った筈の役職なのにこんな苦労しないといけないなんてぇぇぇぇぇ!!!」
奮戦空しくオシュトルは旅立ってしまいました。
休暇を終えた後に待っていたのは仕事の山です。責任者じゃないと処理できない案件とかあるから仕方ないね! 因みに長官室の面々はアトリが直々に鍛えた精鋭(仕事ジャンキー)達です。
次回は同じく置いてけぼりを喰らったネコネと一緒にお留守番です。
仕事が増えるよ! やったね、アトリちゃん!