一通りの報告を聞き終え、被害者のいる別室に向かうとそこには聞き取りの為に彼女についていたであろう隊士と共に一人の少女が居た。
マルルハのルハナ姫。
光に反射するように光り輝く水色の髪に碧い瞳、白く透き通った肌は以前マルルハの皇と会食した際に見た時よりもさらに美しく成長しているように感じられる。
しかし、一点だけ以前と違う言える点があるとするならば、その今にも泣きだしそうな眼元だろう。
そんな控えめに言って姫っていうのはこういう人を言うんだよ、と言える彼女は部屋に入ってきた私を見るなり沈んでいた表情を輝かせて飛び込むように駆け寄ってきた。
「アトリ様っ!」
眼に大粒の涙を溜めたルハナ姫は非常に保護欲を誘う。もしも私が忠義に厚い武士だったなら己の全てを掛けてでも守りたいと思うだろう。
だが、私がこの心に刻むのは忠や義と言った曖昧なものでは無く、金や銀と言った形のある物だった。
「えー、貴女が被害者の方ですね。初めまして、私の名前はアトリ。今回の事件の担当になりました。よろしくお願いします」
「あ、アトリ様?」
放っておけば抱き着いてきそうだったルハナ姫を制し、軽く自己紹介をする。何事もこういう事が大切だ。
「さて、今回被害に遭った物の中には帝都へ向かう際の献上品が積まれていたそうですが、間違いありませんか?」
「あ、あのアトリ様? 覚えたらっしゃいませんか? わたくし、ルハナです。以前マルルハでお会いしましたよね?」
「ええ、それは聞いていますよ。で、それが何か?」
大変申し訳ないとは思っているが、私に知り合いだから融通しろという脅しは通用しない。こちとら現在そういった輩を取締中の身。普段なら話くらいは聞くが、今は少々間が悪い。正門の隊士達の眼がある場所で露骨な融通は出来ないのだ。それに、彼女がマルルハの皇女だというのも問題だった。
「まずは何か身分を証明できるものを提出してもらえますか?」
「へ?」
突然そんな事を言われて理解できないという表情のルハナ姫に今現在彼女自身が置かれている状況を教える。
私の書いた報告書はマルルハの姫を連れた一団が襲撃に遭い、その積み荷を根こそぎ奪われたという物
「ルハナ姫、現在貴女の立場は少々マズい状況になっています。身元を確認できるものをお持ちでないのなら、貴女の身分を証明できる人物を当たらなければなりません。そうしなくては、被害届を提出しても我々は動けないんですよ」
今回報告する上で一番問題となっているのは被害者の身元である。
操作する上で被害者が平民と貴族では当然その重要度は違う。しかし、今回被害者であるルハナ姫だけが無事に保護され、護衛していたはずの者達やその積み荷はまだ見つかっていない。となると、彼女が本当にマルルハの姫であることを証明するものが無いことになる。
「あ、あの、わたくしの身分を証明と言われましても……」
「何かありませんか? マルルハの皇族の証だとか。帝都に身内が住んでいるだとか」
「わたくしの証明となりそうなものは全て積み荷の中に……。み、身内は現在帝都にはおりません」
答えながら段々と声が小さくなっていくルハナ姫。
間が悪いというか、運が悪いというか。彼女に身分を証明できるようなものは無いようだ。
「では、申し訳ないですが、マルルハに戻って素直に助けを求めるか、代わりの献上品を用意するしかないですね」
「そ、そんなぁ」
今にも泣き崩れそうだが、私だって意地悪で言っている訳では無い。
今回の件はそれだけ厄介なのだ。
古くからあるかの政策は元々有力者達の後継者を人質として帝都に集める目的だったが、何度も言うようにそれは年月とともに形骸化し別の意味合いが強くなってきている。現在帝都側が重要視しているのは人質として連れてこられる皇子達よりもそれと共に運ばれてくる各地の特産物や金品などを積み込んだ献上品の数々のほうだ。ヤマトは北方のウズールッシャほどではないが、甘い果実や豊かな農産物を育てるのに適した土地ではない。特に帝都は海洋国家であるシャッホロを筆頭とした豊かな土地からの輸入品が食物の大半を占めている。
マルルハは豊かな土地という訳では無いが、それでも固有の作物などが多く、献上品として挙げられたものの中から外交担当の文官がその年何を輸入するか決めるため、人質と共に来る献上品は非常に重要な役割を持つ。
それを盗まれました、では正直言って話にならない。
なので安易に上に報告をすればマルルハの立場は当然悪くなるし、そういった状況を巻き起こしたルハナ姫は――――
「私から提示できる条件は二つ。一つはこのままマルルハに帰り、助けを求める。ですが、本来の到着予定と大幅にずれますし、今のマルルハにそんな余裕はないでしょう。なので、お勧めは二つ目です」
「な、なんでしょう……」
ごくり、とルハナ姫の上品な喉が成るのが分かった。
これから私が提示するのはお嬢様には少々荷が重い案件だ。だが、もし断るなら私からこれ以上手を差し伸べるようなことはしない。私にとってもこの件に深く関わるのは色々と危険が多いのだ。
だから、これが最初で最後の問いかけ。
蜘蛛の糸でも縋る覚悟があるならこの手を取るといい。
「取り返すんですよ。私達でその積み荷を、ね」
面倒な拾いものをしたと嘆くのは間違っているだろうか。
マルルハというのは現在非常に厄介な立場に置かれた国である。ヤマトの帝都よりはるか北方、ウズールッシャとの国境に面する国であり、古来から交通の要諦であり、主要國に通ずる街道が中央を走る事で以前よりしばしばウズールッシャ側からの略奪を受けていた。一応、これまではヤマトの支援もあり、国境付近に設置された強固な防衛線より膠着状態を保っていたが、最近になって急激にウズールッシャの攻勢が強くなったことで押され気味になっている。
今回のルハナ姫の来訪も恐らくは帝都に対しさらなる支援を求めての事だと予想されるが、よりにもよってその一団が国内の盗賊の襲撃に遭ってしまうとは同情を禁じ得ない。
だが、同情ばかりしてはいられない。
交通の要諦であるマルルハが落ちれば食料の大半を輸入に頼っている帝都は少なくない打撃を受ける。何より、私の大好きな食べ物達が届きにくくなると言う事である。それだけは無視できない。
「一応、マルルハからの一団はまだ帝都に到着していないと言う事にしているので、精一杯働いて下さいね?」
「は、はいぃぃ!!」
現在ルハナ姫は我が屋敷で炊事洗濯専門の家政婦をやっている。
情報収集のため、すぐには動けなかった我々だが、そこで困ったのがルハナ姫の扱いだ。献上品には帝に文字通り献上する分と奉公先に渡す分があり、要するにこれが奉公先で融通を利かせるための賄賂になるわけだ。
そして、ルハナ姫にはそれが無い。
最低限帝への献上分を確保しなければマルルハは最悪支援を打ち切られて孤立無援の状況に陥ってしまうわけだが、それ以外の自分の生活環境を整えるための物資すらないルハナ姫は宿に泊まる事は疎か、どこかの屋敷に厄介になる事すらできない。いくら貴族とは言え、普段周りの世話を他の者にやってもらっていて、自分の事すら満足に出来ない極潰しを無償で受け入れてくれるところなど帝都広しといえどもほとんどないのだ。しかも、マルルハは現在ウズールッシャとの戦争という特大の爆弾を抱えている。繋がりを作ろうとして下手に受け入れればそれだけで援軍として最前線に行かされる建前が出来てしまう。
厄介なものを引き受けてしまったと頭を抱えながら、このまま物資が確保できなかった場合の事を考える。
「本当に困りましたねー。このまま献上品が見つからなければ最悪身分を隠して身売りするかいっそ国外に逃亡する手もありますがね。一応私の上司がそういう系列の商売にも手を広げていますので紹介する事は出来ますが……」
「ひぅ!」
……流石に無理ですよねー。最悪オシュトル辺りに押し付ける手はあるけど、あの偽善者に渡すと本当に戦争になった時に最前線で戦果を挙げる口実になりそうだしなあ。結果的に私達の立場が危うくなることはしたくないし。いっそ、このまま役に立たなければ水の殿学士辺りにでも素体として渡しちゃうかな?
先日捕まえた貴族に色々と使ってしまった事だし、それもよさそうだ。素材は悪くないので文字通りいい出汁が取れそうだ。
我ながら黒い考えを抱きながら、机に置いてあったお茶を口に含む。
「ん?」
「ど、どうしましたか?」
「いえ、このお茶いつもと味が……」
「も、もしかしてお口に合いませんでしたか!?」
やや怯えながらルハナ姫が問いかけてくる。
あってまだ一日も経っていないのだが、そんな怯えられることをしただろうか。ネコネ嬢といい、最近のお嬢様は少し打たれ弱いんじゃないだろうか。
そんな事よりも、こうして口に合わないか聞いてくると言う事はこのお茶はルハナ姫が淹れたのだろうか。
普段私の机にはイリーチャが喉が渇いたな、という絶妙な時間にお茶を淹れてくれるくらいで、最近はネコネ嬢の淹れてくれたものを味わったものの私はそこまでお茶の味など気にした事は無い。一応は来着が来ることも想定して、上司の屋敷に有ったものをこっそりと頂戴してきているので品質自体は最高級のものだとは思うが、俗物の私にはイマイチ良さがわからない。
だが、このお茶は――――ハッキリ言って美味い。
熱くも無く、ぬるくも無く、絶妙な温度で口に入れた瞬間に口内にじんわりとお茶の風味が溢れるほどだ。
「ルハナ姫。もう一杯いただけますか?」
「は、はい! ただいまお持ちします!」
慌ててお替りのお茶を淹れに走っていったルハナ姫にあまり屋敷では知らないように注意するのも忘れ、私は頭に浮かんだある疑念を解決するために屋敷の中を歩き回る事にした。
「ここにも、ない」
「お嬢様、何を……」
「ここにも、ここにも―――――埃一つ無い!」
広い屋敷内を探索する中、眼の付いたところに指を這わせてみるも何処も隅々まで清掃されていて汚れが見当たらなかった。
それだけではない。
ルハナ姫には屋敷の清掃だけでは無く、洗濯や炊事も任せていたのだが、私の普段使う文官服と色が落ちやすく何人もの使用人が失敗して使えなくなってしまうので基本的には一度着たら公の場では使えなくなってしまうような特殊な着物は分けられて洗濯されており、その一つたりとも色落ちどころか新品同然の出来になっているではないか。
「こ、これはまさかうわさに聞く女子力!?」
「お嬢様、一体何をしているのです。お仕事はどうされたのですか?」
「イリーチャ! これは全てルハナ姫が!?」
「ええ、そうですよ。随分手慣れている様子でしたので任せましたが何か不都合が?」
「不都合なんてもんじゃないですよ!」
何故か呆れたようについてくるイリーチャに私は大げさに身振り手振りを加え、先ほどから発見した事実の数々を説明する。
イリーチャは文官としては優秀だが、家事は割と雑で料理の腕はお世辞にもおいしいとは言えない。なので私は料理人を雇うか普段は外食で済ます。更には屋敷の清掃も普段は検非違使隊の長官室にいるか、上司の屋敷などで警備などの仕事をしているので殆ど使わないとして使用人も最低限で回しているため、来客の予定が無ければそこまで清掃は行き届いていない。
だが、今回発見したこの事実はそれらをすべて解決できる可能性を秘めている。
これでもう洗濯が面倒なので外の業者に頼んだり、ネコネ嬢に任せたりしなくていい。つまり、余計な出費が減ると言う事だ。
「あとは料理の腕だけですね。ですが、私の予想が正しければ―――」
その晩、夕飯の席でゆっくりと時間を掛けて食事を味わった私はルハナ姫を専属として雇う事を決めた。
戦争? 支援? そんな事よりおいしいご飯と女子力だ!
マルルハとはアニメでウズールッシャに真っ先に攻め落とされた国です。
ルハナ姫を抱え込むことによって戦争に参加する口実を手に入れてしまいました。以前、ヤマトは戦争した方がいいとか言ってた気がしますが、実際に自分が戦場に行こうとは考えない辺りはアトリはゲスですね。
でも、美味しいご飯と女子力には勝てなかったよ……。
そして、亡国の姫(予定)のルハナ姫は不憫属性。運と間が悪いせいで色々悲惨な目に遭ってます。
門でアトリを見かけた時に以前父と一緒に面識が有ったので安心して駆け寄りますが、その時はアトリが対貴族用の猫かぶりモードだったので本性は知らず、ぞんざいに扱われてフリーズしました。