【
突然笑い出したその男の笑いが収まるまで数分たった頃、トアは改めて口を開いた。
「…で、一体あんたはなんだ?」
不躾にも思える言葉にジルは慌てるが、その男は奥することなく返した。
「それを聞きたいのなら、自分から名乗るのが礼儀ではないんですか?」
強きな返しに、トアが再び不躾な言葉を放つのではないかとジルが心配したが、
「それもそうだな…俺の名はソラルトリア・ディアント。長ったらしいからトアで構わない」
予想外なことには彼は素直にその質問に答えた。その様子に唖然として固まってしまったジルだが、トアに顎でさっさとしろとでも言うような仕草をされ、ようやく自身が失礼なことをしていることに気づき慌ててそれに続いた。
「私はジリィーナ・スエロです。私も呼びにくいと思うのでジルと読んでください」
ペコリと頭を下げてジルが言い終わると、その男は一つ頷き、二人の言葉に答えた。
「自己紹介ありがとうございます。トア、ジル…オレの名前はアンフェール。アンフェール・ロドリゲス…リリネルで職人をしているただの一般人です」
「え?…ロ、ロドリゲスっ!?」
「知り合いか?」
その名前を聞いた瞬間、ジルは叫び声を上げる。そして、信じられないようなものを見るように自身の目の前にいる男…アンフェールを見つめた。その様子にトアは怪訝そうに首をひねる。
「知り合いなんてとんでもないわ!彼はリリネルで最も美しい作品を創りだすと言われている、職人よ!!」
「ふーん…有名人?」
「普通なら合うことだって難しいくらいね!」
興味がなさそうな顔で答えるトアに、ジルは嬉しそうに話す。けれど、その喜びを打ち消すようなどこか切ない響きを持った声が放たれた。
「いえ…オレはもう職人なんてな乗れる立場のやつではないですね…だって、」
そこで言葉を切り、アンフェールは悲しげに細めていた瞳をそっと閉ざし
「だって、あの日から…オレは何も作れていないのですから」
その言葉を聞いて息を呑んだように言葉をなくしたジルを見て、アンフェールは困ったように微笑んだ。
「そんな深刻な顔をしないでください…俗に言う、『スランプ』と言うやつですから」
「そ、うなんですか…」
優しく微笑まれてもなお、気まずそうに視線を泳がせるジル。それを呆れたように見つめていたトアは、彼女に言葉をかけてやろうとして、ふとあるものに気づき軽く目を見張る。
そして、そっと己が首から下げている青い石のついたペンダントに触れ、小さい声で呟いた。
「湖の姫君の加護、か…」
その瞳はどこか冷ややかだったが、それに気づくものは誰もいなかった。
それからトアとジルは、アンフェールに再びリリネルまでの道案内を頼み。無事、とりあえずの目的の場所、物づくりの里リリネルまで辿り着くことができた。その上…
「そんな!道案内だけでもありがたいというのに泊まる場所まで用意してくれるなんて、悪いです!!」
「気にしないでください、ジル」
「で、でもっ!!」
その上、アンフェールは笑顔で宿屋の代わりに自宅の近くにあるアトリエとして使っている小屋を貸してくれるというのだ。慌てるジルを見て、アンフェールは「ただし、」と人差し指でおもむろにトアを指差した。そして、話の蚊帳の外にいた彼に言った。
「ただし…トア。君がオレの次の作品のモデルになってくれたらの話ですけど…ね?」
「はぁっ!?」
そんな爆弾発言をされて、トアは初めてアンフェールにきちんと視線を向けた。
「あんた、言っとくけど俺は男だぞ?」
「そうですね。少女にも見えますけど?」
「美意識とか全然無いから」
「そんなものは持ってなくてもどうとでもなりますって」
「そもそも頼むんならそっちの奴に頼め。縁起もいいだろ」
「それは、彼女が青く、君が…紅いからですか?」
「…」
怒涛の攻防戦を繰り広げていた二人。けれど、ふとトアが口を閉ざす。その瞳はどこか困ったように細められた。それを不思議に思ったジルは、コクリと首を傾げる。
「色なんて…関係あるんですか?」
ポツリと自然にこぼれた疑問に、アンフェールは一瞬ポカンとしたように目を見開いた。
「知らないんですか?短いですが、有名な古いお伽話ですよ?」
「お伽話?」
次はアンフェールがジルに質問するが、彼女はそれでも首を傾げるだけだ。
その時、まるで歌のように言葉を紡ぐ声が聞こえた。
『そして世界は救われるだろう
紅を纏いし少女を生け贄として
そして平和は訪れるだろう
青を纏いし少年が導きし大地に
世界は救われるだろう平和は訪れるだろう
血に染まったその手と引き換えに』
瞳をふせて、トアは厳かに告げた。
その声と内容にジルは体が無意識に冷えていくのを感じた。
「…怖い、内容なんですね」
「まぁ、そうですね…ですが、所詮お伽話です。気にすることはありませんよ」
それを感じ取ったのか、アンフェールはあえて明るくそう告げ「覚えましたか?」と確認するようにジルに言う。素直に彼女が頷くのを見た後、苦笑のような笑みを見せた。
「先程も言ったように、これは『所詮お伽話』なのですが…いかんせん、語られている月日が長い故か赤い色をしたものは不吉なもの。逆に青い色をしたものは縁起がいいものだという風習が世界中に広まってしまったんです」
「そうだったんですか…」
感心したように、けれどどこか悲しそうに瞳を伏せるジルにトアは溜息だけをつく。そして改めてアンフェールを見て、
「とりあえず、モデルのことだが…そもそもあんた俺がそんなことやって作品作れるわけ?」
と、疑いの色が交じる瞳を向ける。そのあからさまな話題の変え方とジルへの優しい気遣いにアンフェールは気づかないふりをして答えた。
「君ならできそうな気がするんだ」
「あっそ…なら、いいぜ」
そして、次は呆気無く告げられた了承の言葉に再びポカンするしかなくなる。彼女にとっては衝撃的な話を聞かされたジルも同様にだ。
そんな過剰とでも言っていい反応にトアは瞳に避難の色をのせた視線を二人に送った。
ふと感じた粘着くような視線。
その正体など、まだ誰も知りはしない。