プロローグ
【プロローグ】
澄んだ鈴の音が耳に直接響く。
瞳を閉じたまま、その音を聞き続ける。
それ以外の音をすべて遮断するかのように。
小さいけれど、豪華な鳥籠の中で。赤色の長いヴェールで体全体を覆ったその人をはただ静かに。己の故郷の終わりから瞳をそらし続けていた。
遮断した音は、人々の絶叫。
瞳を逸らしたのは、炎に焼かれる人々の醜い姿。
しかし、そんな凄惨な状況のなか、その人を囚えている炎よりもなお赤い色をした鳥籠だけは燃えることがない。
そんな、静かな鳥籠がいっそ場違いに思えるほどにどんなに全てを遮断して遠ざけても燃え盛る炎はその勢いを殺すどころか増していくばかり。
ふと、瞳を閉じてその光景から瞳を逸らしていたその人は、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。それとともに澄んだ鈴の音が止まる。
赤い絨毯の上に直に座っていたその人は虚ろな瞳のまま立ち上がり、鳥籠の中から絨毯よりも濃い赤色の柵にそっと触れた。
すると、その柵は先ほどの様子が嘘であったように一瞬にして炎に包まれた。柵だけではない。鳥籠の中の絨毯までもが少しずつ炎に飲まれていく。
それをその人は、やはりどこか虚ろな瞳でただ見つめる。
そして、その炎がその人のことを覆っているヴェールに燃え移ろうとした。
その時だった。
まるで炎が意思を持ったかのようにその人の『避けて』燃え広がったのだ。
それを認め、その人は初めてその瞳に感情を浮かべた。
『諦め』という、どこまでも仄暗い感情を。
「どうやっても、俺は『まだ』死ねないのか…」
少年とも少女とも取れる声で呟いたその人は、ゆっくりと炎が飲み込んだその場所を歩いて行く。
その床に広がる炎でさえも、その人が歩を進めれば、炎がまるで恐れ慄いたように一瞬にして消える。
その人が鳥籠を囲むように作られた、祭壇にも似た部屋の扉の前に立つときにはその部屋から炎は完全に消えていた。
その人は、すっと腕を上げ体を覆っていたヴェールを脱いだ。
そこから現れたのは、炎よりも赤く。血よりも恐ろしい紅色の髪とマゼンタ色の瞳を持った一人の少年。着ている服は白いロングコート。
少年はコートを翻し、扉に手をかける。数秒何か迷うように瞳を閉じたけれどすぐにそれは消え、扉は開け放たれた。
少年が首から下げた青い石のついたペンダントが吹き込んだ熱い風に、揺れた。
「いらっしゃいませー!!」
よく響くアルトボイスが部屋中に心地よく届く。受付の横で酒場で酒を飲み明かしている常連の男達はその声を聞くたびに、楽しげに笑い合う。
「今日もいい声だなぁ!ジルよぉ!!」
「ああ!ホント元気が出らぁ!!」
「褒めてもなーんにも出ないよ!!でもありがとー!!!」
そんな男達からかけられた彼らなりの労いの言葉に『ジリィーナ・スエロ』は笑顔で答えた。
ここは、ティレニアの帝国がある大陸『アルージュ』の辺境の地にある小さな村に佇む酒場も兼ねた宿屋『ローゼス』。ジリィーナことジルは、その宿屋の看板娘だ。
「ジルはほんっとにいい声持ってるよなぁ」
「あぁ!この声を毎日聞ける俺達はほんと幸せ者だぁ〜」
「もぉ、しょうが無いなぁ…そこまで言われたらサービスしちゃう!!!」
「よ!待ってましたっ!!」
そんな和やかで活気のある会話にかき消されるくらいに静かにドアが開かれた。それにいち早く気づいたジルはアルトボイスを響かせる。
「いらっしゃいませっ!!」
しかし、来訪者はその声に応えることはせずゆっくりと建物内を見回す。来訪者は長いマントを着ている上に、フードを深くかぶっていたので顔が見えなかった。
その様子を見た一人の常連のは
「おーあんた!ここは初めてかい?」
と明るくその来訪者に声をかけた。
「…コクリ」
「そうかそうか!!…随分とボロボロな服装なようだが…旅人かい?」
「…コクリ」
「長旅だったんだろう?…このご時世、よくやったものだよ」
「…コクリ」
「あー…っと…」
「…まだ、言いたいことがあるのか?」
しかし、来訪者はそれにただ頷いて返すだけで会話を成り立たせようとしない。常連の男は困り果てたように苦笑いしていたが、暫くすると飲み仲間の一人に名前を呼ばれ、その場を去った。
その一連の動作を観察していたジルは、恐る恐る来訪者に尋ねた。
「えっと…ごめんなさい。気を悪くした?」
「なぜ?」
「あ、違うならいいの!!気にしないで」
いっそ冷たく映る反応に、気を悪くさせてしまったかと心配になったが幸いそう言うわけではなかったらしい。多分そういった性格なのだろう。
一安心したジルは、背筋をピシッと伸ばしスゥッと息を吸い込んでから明るい笑顔を作り言った。
「では改めまして…ようこそ!!宿屋ローゼスへ!今日はどういった御用でしょうか?」
「…取り敢えず一泊させて」
「お泊りですね?かしこまりました!!一泊200ガルドになりますが…」
「構わない。」
「ありがとうございます!それではお部屋までご案内いたします」
元気な声にもやはりどこか淡白に返す来訪者に嫌な顔ひとつもせずジルは応対をする。スムーズに接客は進みそのままジルが来訪者を部屋まで案内するために宿屋の中央付近にある階段を登ろうとしたその時だ。
バンッという音と共に宿屋の扉が乱雑に開けられる。それにはじかれたようにジルは顔を上げた。それはカウンターで酒を飲んでいる客達も同じだった。
「はぁぁあ???なぁんだよ…しけた酒場だなぁここはぁ」
間延びした声とともに現れたのは、三人組の男達だ。男達は他の客を押し退けるようにして店内に入り、並んでいる椅子を奪ってそこに座った。
「おぉい??酒は来ねぇのか!?客待たせんじゃねぇよ!!!」
その中でも一段と体が大きい男が耳を塞ぎたくなるようなねっとりとした声で叫ぶ。
「おいあんたら、そこは俺達が先に座ってたんだ!!そこをどけよ!!」
その態度と声に耐え切れなくなったのか、一人の若者がその男に言う。すると男はテーブルの上に置いてあった空になった酒瓶でその若者の頭を勢い良く殴った。若者はそのまま床に倒れた。そこに広がる赤色。
「あぁ〜???よぉく聞こえなかったからぁ〜殺しちゃいましたぁ〜」
「なぁにが『先に座ってました!』だ!」
「ほんと笑えるよなぁ?こんな無様に死んじまってよぉ」
三人組は倒れて血を流している若者のことを嘲る。
ジルは、我慢の限界だった。傲慢な態度も嫌いだったが『命』を軽んじるような発言は彼女にとって許しがたいことなのだ。
声を張り上げるために大きく息を吸い込んだ、
「『殺し』て…くれるのか?」
その、刹那の瞬間。彼女よりも透きとおった声がその場に響いた。
その場の雑音に交じることなく響いた声は少年とも少女とも取れる声。ジルはそんな声を初めて聞いた。
その声の主は、一歩…その男達に近寄り再び問いかける。
「あんたらは、頼めば人を殺してくれるのか?」
いっそ純粋にも聞こえる言葉は、どこまでも狂気的だ。それを聞いた男達も数秒目を見張っていたがすぐに声を上げ笑い始める。
「おいおいおいおい!!こいつ、殺してくれるかだってよぉ!?」
「頭イカれてんじゃねぇの?」
「あぁ、間違いねぇ」
来訪者の問に答えることもせず、ただ笑い転げるその男達に来訪者は言った。
「質問に答えろ、豚共…あぁ、そうか。お前たちは豚だから人語が理解できないのか…すまない、悪いことをしたな」
「…え?」
来訪者は先程までの静けさが嘘に思えるほどに饒舌に、そして辛辣に暴言を吐いた。それを聞いた男達は顔を怒りに染め上げ
「良い度胸じゃあねぇかぁ、あ?…そこまで言うならお望み通り、殺してやるよっ!!」
その中の一人が背中に背負っていた大きな大剣を来訪者に振り下ろした。息を呑み顔を逸らしたジルだったが、いつまでたっても悲鳴の声は聞こえない。勇気を奮い立たせ顔を上げ見た光景に彼女は目を疑った。
そこにいたのは、マントのフードがとれて素顔を晒している来訪者。その頭の真上には先ほどの振り下ろされた大剣が不自然にその動きを止めていた。来訪者はそれを冷めた目で見つめ、小さく何かを呟いた。
「ど、どうなってんだよこれ!?」
「てめぇ!?何しやがった!!!」
狼狽える男たちに言葉を返すことなく来訪者は右腕を大きく横に払った。
すると、突然男たちの一人、大男が姿を消した。正確には突然空中に現れた水柱に勢い良く横から突き飛ばされたのだ。大男はそのまま壁に激突し、気を失った。
驚き声も出ない男達に構わず来訪者は言い放った。
「お前たちにはもう用はない…さっさとその汚い面を俺の視界から消してくれ」
そういった来訪者は、マントを男達に叩きつけるように投げ視界を奪った。
ジルは、見た。来訪者が着ている白いロングコートの腰の部分にクロスするよう取り付けられた鞘があることに。
来訪者はその鞘から二振りの剣を取り出した。持ち手が少し歪なその剣を持ちながら、来訪者は二人組になった男達に一気に詰め寄りそのまま交差するように剣を振り下ろし、何が起こったかも理解できていない男達の顔にその剣の切っ先を向け、躊躇いなく『引き金を引いた』。
「「うわあああああっ!!!」」
叫ぶ男達。しかし、
「馬鹿が。お前たちみたいなのに無駄弾は撃たないって決めてんだ…わかったら、とっとと失せろ」
いわれた男達は初めに飛ばされた大男の事を必死に引きずって無様に逃げていった。
カチャリと音を立てその剣を鞘に来訪者がしまう。ジルは困惑した顔で、しかし問いかけた。
「貴方…何者?」
来訪者は、ゆっくりと振り向く。炎よりも赤く。血よりも恐ろしい紅色の髪をなびかせながら。そして、真っ直ぐに見つめてくるその瞳は、マゼンタ色。
「俺はソルトリア。ソルトリア・ディアント…」
そこで言葉を切った来訪者はほんの少し微笑んで続けた。
「俺を『殺してくれる人』を探している…よくいる旅人だ。」
この少年と少女の出会いが
運命というものだ言うことを
悲しき物語の始まりだということも
未だ、『彼女』は知らなかった