突然の不思議な少女の訪問からはや3日。トア達は目的地としていた帝都に到着した。すぐに宿屋へ向かい休んだ方がいいとアンフェールに提案された一行は、その言葉にうなづくはずだった。
が、ただ1人。それに異を唱える者がいた。
「あー…悪いがちょい止まっててくれないか?」
珍しく申し訳無さそうな顔をしながらトアが言う。こてんと首を傾げながらジルは「どうしたの?」と素直に疑問を発する。
「そんなに時間はかかんねーよ」
そう言いながら、旅の荷物が入っている道具袋を漁る。小さく軽いのに有り得ないほどアイテムが入るがこれは決してツッコンではいけないと誰もが思っている。そうこうしている間に、ふと見上げればトアは白いロングコートにつけられているフードを目深にかぶる。そのせいで彼の綺麗な顔は見えなくなってしまった。
「トア?なぜ顔を…」
アンフェールの言葉にトアは困ったように微笑んだのだろう。気配でそれか伝わる。しばらくトアのことを見つめていたが口を開こうとするうごきはない。この様子では何も語ってはくれないだろう。諦めたことをしめようにため息を吐いた。
「わぁ…すごい」
そうして尚も嫌がる素振りを見せるトアを半ば引きずるようにしながらなんとか帝都に入る。そうすれば広がる色鮮やかな物。建物。人。人。人…飲み込まれそうなほど溢れるそれらは、楽しげにその表情に花を咲かせる。
「いつ来ても騒がしいですね、ここは」
眩しそうに瞳を細めながらアンフェールは言った。ジルはその言葉に何度もうなづく。キラキラと光り輝くように彼女の瞳に映るその光景は、すぐに彼女の意識をすべて奪い取る。
だから彼女は気づかない。その光景をどこまでも冷たく見つめる少年の視線に。どちらにせよ、フードを深くかぶって瞳を隠しているので誰かが気づくことは無かったかもしれないが。
「なんなら散策してみますか?どっち道、晶破現象について聞き込みしなければならないですから」
「あ…そうだったね…旅の目的を失いそうになってたわ」
言葉を発することなどせず、ただ黙って視線を下げるトアに未だ気づかずにジルとアンフェールは楽しげにこれからの行動を決めていく。その楽しげな声に誘われるようにふっとトアは顔を上げてジルたちを見た。
フードの中の表情は今までになく苦しげで。しかし、花が咲くようにジルが微笑みをもらすと、その表情がほんの少しだけ柔らかいものとなった。
「トア!これから少し散策したいのだけれど…」
それで構わないかな?と続かれるはずだった言葉は、しかし突如響いた甲高い悲鳴に飲み込まれる。
「何事でしょうか?」
呑気に言葉を発するニコに答えることはせず、トアは迷うことなくその身を翻して走り出した。アンフェールとジルは一瞬遅れてそれに続く。それを、やはり呑気に見送りながらニコは3人とは対照的にゆったりと困惑した表情をしているように「みせている」であろう帝都に住む人々の中を歩き出した。
「…何度来ても、胸が張り裂けそうになるくらいに気持ち悪いところですね~ほーんと…嫌になりますわ」
突然走り出したトアを追いかけて走りついたのは、常ならば人々が楽しげに言葉を交わしている公園にも似た広場。なかなかに開けた場所だ。
しかし、そこは常にない緊迫した空気に飲まれている。視線を向ければそこにいたのは仰々しい黒い鎧に似た服を身につけた女性と彼女のものであるらしい剣を向けられて怯えきった表情でその場にうずくまる青年だ。
「自分がしたこと…わかっているな?」
厳かに告げられた言葉に青年はビクリと体を震わせながら壊れたオルゴールのように「お許しを…ご慈悲を…」と何度も呟いている。
状態がうまく飲み込めずにいるジルとアンフェールはやっとの思いでトアに追いつき、まるで立ちすくむようにそれを見つめる少年に声をかける。
「もう…急にどうしたの?」
「…」
しかしそれに応えることもせずに、トアはゆっくりと息を吐く。そして、人形のように動かなかったその体を動かし口元に指を持っていきそっと緩やかに唇を動かした。
「…え?」
その緩やかな動きに似合わないどこまでも優しい言葉に、次はジルが人形のように動けなくなった。それはアンフェールも同じようで人形のようにとまではいかないが、動きを封じられる。
それを見届けてトアはクルリと彼らに背を向けて歩き出す。コツコツとわざと大きく足音を立てながらその2人に近づいていく。
トアは、時々不思議な程にその場の全ての空気を簡単に支配してしまう。それは今回も例外ではないらしい。普通ならばかき消されてしまうだろうその足音だけで、彼はその場にいた全員の視線を奪った。
まるで犯してはならない領域に踏み込んだような錯覚をもたらすそのなんとも言えない空気を破ったのは、黒い鎧の女性だった。彼女は手にしていたその立派な剣を派手な音を立てて落としたのだ。
そうして瞬きも忘れたその瞳は真っ直ぐにトアを射抜き。震える唇がなんとか音を紡ぐ。
「ソラル…トリア?」
それは彼の長い本名だ。彼自身が馬鹿みたいに長いからトアでいいと言っていた、本名。それを彼女はまるで歓喜に震えるような声音で呼ぶのだ。
喉が絡まったように声が出ない。そう思いながらも口の動きだけでジルはトアを呼んだ。しかし、それが彼に聞こえるわけがない。代わりにトアはその黒い鎧を身にまとった女性に答えた。
「久しぶりだな…ディゼル」
ジルは心臓がドクンと大きく弾んだのを感じた。
その時。
喉が潰れようとも、彼に声をかけていれば。
その時間。
人形のように動かなくなったその足を動かせていれば。
その瞬間。
なんでもいいから彼の心を私に向けることさえできれば。
「私」はこんなに泣かなくても良かったのかな。
でももうわかってるよ。遅すぎたんだね。
もう遅いと何度も嘆くのは本当に本当にあとの事だけれど。