絶叫からなんとか持ち直したアンフェールとジルは改めて新しく現れた存在をじっくりと観察した。
そんなあまり良くない視線にニコニコと、明るく笑って応じるのはオレンジ色の髪を持った女の子だ。
数分前、大胆にもトアの足を掴んで彼の気を引き付けたその女の子はトアの「とりあえず立て」という言葉に素直に従って立ち上がった。もちろん、トアの足は離した。
一息ついたトアはふと女の子の着たよくわからない服に土がついていることに気がついた。未だ不審そうに女の子に視線を送っている2人を他所に、トアは迷わず手を伸ばしその土を払ってやる。
「わわっ!!すみません、トア様!」
「格好については『あいつ』口うるさいだろ?」
その様子をみて、アンフェールは目を見開く。口調は荒いしめんどくさがりな彼は、案外面倒見がいいらしい。トアの隠された一面を見た気がしたアンフェールである。
「…ところで、その子は…」
と、黙って二人の様子を見ていたジルが声をかける。先程までの不審そうに向けられていた視線が無くなっているのを見ると、トアがかなり親しそうにしているからなのだろう。
「あぁ、こいつは『ニコ』俺の知り合いの…あーっと、メイド??」
「はい!私は我がお師匠さまに作り出されたにん」
「はーいっ、ストップッ!!!」
そのジルの素朴な疑問にトアが一瞬迷いながら答える。それに肯定するように引き継がれた少女…ニコの言葉は、しかしトア自身によって遮られた。
「トア?どうしたんです、そんなに焦って」
その行動の不審さにアンフェールは素直に疑問を投げかける。トアは瞳を細めると、ニコに何やら耳打ちした。アンフェールは「トア」と再び声をかけると、代わりにニコが応えた。
「ニコはお師匠さまとトア様のお願いならなんでも聞きます!なので、先ほどのニコの言葉は撤回します!」
「そうそう、それでいいんだぞー」
その名の通り、ニコニコと笑いながら元気よく応え女の子の頭をトアが優しい手つきで撫でる。
一見、かなり微笑ましい光景だが、肝心のことは決して口を割らない姿勢を貫き通すトアにジルが口を尖らせ、アンフェールは困ったように苦く笑う。
因みに、ジルとアンフェールがトアに煙に巻かれても文句は言わないようにしている。これまでも、何かと晶破現象に詳しい素振りを見せるトアに質問をぶつけてきたが、決して彼はその口を割ることはなく、スルリと会話をすり替えてしまうのだ。
「で…ニコ、お前何しに来たんだ」
フッと息を吐いて一瞬の間を作った後、トアはその瞳を細めながらニコに聞く。ジルはその問に同意するようにこくんと頷いた。
すると、ニコは今までの笑顔が嘘のように瞬き一つの間でその顔から感情を消した。
「…お師匠様からトア様へ、伝言を預かってきたのです」
別人のような声音で話すニコに、アンフェールが反射的にトアを引き寄せてそのまま背で庇う。
珍しくポカンとした顔をしたトアは、しかし警戒した様子でニコを睨みつけるアンフェールに何も言わなかった。
「『まどろみからは覚めたのか?』…だそうでございます」
「…微睡み…?」
ボソリとジルがつぶやく。何のことだろうかとニコから視線を外し、トアに視線を向ける。
未だアンフェールの後ろに立つ彼。その表情を見ようとするけれどぐっと俯き、長い髪でその顔を隠しているために一つもそれを探ることは出来ない。
結局、しばらくしてトアが呟いた「そうか」という短い言葉で、緊張感に満ちたその空間は消え失せたのだった。
自分から離れていく彼を見送りながら、アンフェールはトアの本当に小さな声を心の中で繰り返す。
(リナディノア)
この言葉にはなにか意味があるのだろうか。今の彼にはわからない。
アンフェールはこの言葉の意味をトアに聞かなかった。『この時』は大きな問題でもないと判断したからだ。
だが、本当にずっと後。彼はどうしてこの時一言でもあの言葉の意味をトアに聞かなかったかと、顔を覆って後悔するのだ。
「あと少し」
カツンと、音が鳴る。
「あと少しで…会える」
その人は口元に笑を作った。