第13泊地 軍港
呉鎮守府の安藤艦隊が到着するまでの2週間の間に、湊は、
護衛もつけずに一人で……
気配を消して出て行く湊に、詰め所の人間は、誰も気づかなかった。
「おーい!湊!!」
休暇で、軍港でのんびりしていた奈緒が、一人歩いている湊に気づくと、慌てて駆け寄る。
「なんですか?」
首を傾げて笑みを向ける湊に、奈緒は少し怒ったように、腰に手を当てる。
「あのさあ、護身用の銃は?護衛は?」
「あれは重たいのでおいてきました。護衛だなんて大げさな……」
湊の言葉に大きな溜め息を吐くと、奈緒は真面目な顔をして湊の目を見る。
「湊、いや、司令官。もう少し、『保身』というものを考えるべきだと思う」
「保身……何か悪い政治家みたいな話ですね?」
「茶化すな。湊は組織人として、保身に
「……」
奈緒は岸壁に足を進める。湊は、無言でその後ろを従いていく。
「湊は、荒野の世捨て人じゃないんだから。多くの人間や艦娘達に、責任を持つ身なのよ。
それに、妹達もあんたの遺族年金で飯食わせる気?」
「何も考えてない訳じゃないですよ。ですが、
「そうかもしれないけど……」
奈緒は大きな溜め息を吐く。心の底から心配しているんだ、というような口調で諭す。
「とにかく、外に出るなら護衛をつけること。いい?」
「分かりました」
肯定の返事が帰ってくると、奈緒は笑顔に戻る。
「よろしい。それで、どうしたの?」
岸壁に座ると、湊も隣りに座る。
「再来週の演習の件ですよ。ちょっとどうしようか考えてて、気分転換に散歩をしてたんですよ」
軍港港湾部に特設された、屋外シューティングレンジの様子を見やっている。
今は、第1艦隊の面々が黙々と、各務原大尉の指導の元、射撃訓練を行っている。
「ああ、安藤龍准将とかいう、呉鎮の司令官だっけ?確か、三年先輩の主席……」
「あの人、主席だったんですか?この間、准将就任の祝賀会でお会いしましたけど?」
きょとんとして言う湊に、奈緒は大きな溜め息を吐く。
「覚えてないの?確か、戦略シミュレーションで、一年次に打ち負かした」
「覚えてないですねえ……」
首を傾げながら思い出そうとする湊に、苦笑いを浮かべる奈緒。
湊は、興味のない人間は割りと覚えようとしない。
交友関係が狭いわけじゃないが、親しい仲、友達知人、後は
だからこそ、
泊地着任時は、その敵愾心を物ともせず……というより、鈍感なところがあり、
その直向きさのおかげで、味方を増やしていったが……
「ともかく、気をつけなよ。安藤准将が直接何かする、って訳じゃないけど、
呉鎮守府は、高練度の艦娘がぞろぞろ居て、常勝の鎮守府、って呼ばれてるほどの強豪だよ」
「強豪ですか……」
少し考えると、湊は水平線を眺める。
「確かに戦果
でも、何か
「異質さ?」
「はい。これは私ではなく、高野司令長官が仰っていたことなのですが、
呉鎮守府は
「………」
「そして、呉鎮の
今回そんな鎮守府の
「それこそ、湊をコテンパンにしたい為なんじゃない?」
「それだけであれば良いのですが……念の為に、横鎮の誰かの同席を求めましょう。
まあ、奈緒の言うとおり、私に対する意趣返し程度だと、私も思いますし……神波君あたりが来れば良いのですが……」
ちらっと横目で、いたずらっぽい笑みを浮かべて見る湊に、奈緒は少し顔を赤くする。
「わかったよ。気遣いありがとう」
「それではすぐに、横須賀へ連絡しに行きますね。奈緒、護衛をお願いします」
立ち上がる湊に、奈緒も一緒に立ち上がり、一歩後ろを従いて歩いて行く。
その頃、軍港港湾内シューティングレンジでは、第1艦隊の面々が、銃の練習をしていた。
防御隊副隊長の各務原大尉が、懇切丁寧に銃の扱い方を教えており、
最初は狙い通りに当たらなかったものの、砲撃を主とする艦娘達は、うまく飲み込んでいた。
空母組の加賀、赤城は若干苦戦したものの、元戦艦艦娘ということもあり、上達は早かった。
艦娘達は、それぞれの希望の銃を受け取っていた。
長門と陸奥はデザートイーグル、大井と北上はコルト・ガバメント、加賀はベレッタM93Rとソードオフショットガン。
赤城は何を思ったのか、明石と夕張が冗談で制作して、防御隊詰め所の
「うん、皆上達してきてるね」
各務原大尉が満足そうに頷く。各務原大尉は今年で39歳、士官学校には入らず、
旧自衛隊の制度が残っている、曹候補兵制度から幹部候補生学校を経て士官になった、
「各務原教官、よろしいでしょうか?」
ソードオフショットガンを片手に持った加賀が、各務原に歩み寄る。
「何だい?加賀さん」
「銃で対空目標を狙う場合、どう狙えばよろしいでしょうか?」
聞かれた質問が理解できずに、首を傾げる各務原大尉に、苦笑を浮かべて加賀が付け加える。
「陸地で、空母型深海棲艦に攻撃された場合の対処法を考えてまして……」
その補足で、得心がいった各務原大尉は、腕を組んで考えると、
「ショットガンなら、散弾で広くダメージを与えたほうが良いかな?ただ射程が短いから、現代艦艇のように、軽機関銃や短機関銃での
「なるほど………では機関銃は、各艦隊にあった方が良さそうですね?」
真剣な表情で頷く加賀に、各務原大尉は頷く。
「そうだね。各艦隊にミニミ軽機関銃を配備するように、司令官に進言しておこう」
「ありがとうございます、教官」
頭を下げて礼を述べると、空いたシューティングレンジに移動し、ショットガンの片手撃ちを練習し始める。
腕を組んだままその様子を眺めている各務原大尉に、長門が声をかける。
「大尉はどう思う?」
「どうって?」
質問の意図を図りかねて、訊き返された長門は、
「この訓練に意味があるのか、ということだ」
「そうだね、無いかもしれないね」
「では何故……?」
「
『危機管理の基本は、悲観的に準備し、楽観的に対処すること』なんだって。
準備をしておいて何も無ければいいし、何もないほうが良いんだ。
でも、何かあった時に、悲観的に対処していては、事態は悪くなるだけ、だからね」
「なるほど……」
真面目に、各務原大尉の言葉に耳を傾ける長門に、
「でも、この訓練が無駄になることを願いたいね。この訓練が役立つ時は、敵が上陸して、
僕等防御隊が全滅しているか、通常兵器の効かない深海棲艦が陸に上がってきた時だから、
住民の命が一番危ない段階だからね」
「全くだ……私も無駄になることを祈っている。何より、私は戦艦だからな」
各務原の言葉に、長門は真面目に頷く。
「この次は、第2艦隊の練習の時間だから、そろそろ片付けようか?」
各務原大尉の号令と共に、一同は銃のメンテナンスを始め、撤収準備を進める。
同じ頃。
大湊警備府の司令長官室で、部屋の主である司令長官・大垣守大将が、腕を組んで窓から港を見下ろしていた。
そこに、ノックの音がすると、低く野太い声で「入れ」と命じる。
「失礼します」
大湊警備府総秘書艦の大鳳が入ってくると、守は執務席に着く。
「ご命令通り、北方海域の大規模調査を行いました」
「ご苦労だった、結果は?」
「こちらのとおりです」
報告書をそっと執務机に差し出すと、守は受け取って目を通す。
「やはりいたか。
「はい。以前の北方航路解放作戦に参加した、呉鎮守府所属の艦娘だと思われます。ボロボロの所属腕章も確認しております」
「呉か……」
低く唸るように言葉を絞り出す守に、大鳳は、
「もう一つ、気になる情報が入っています」
「言ってみろ」
守に促されると、大鳳は頷いてから、
「横須賀鎮守府麾下の第13泊地にて、漂流中の艦娘が深海棲艦化した模様です。その艦娘は泊地司令官が対処したとのこと」
「司令官が対処?よく分からん話だな……ところで、何故その情報を?」
「申し訳ありません。艦娘や深海棲艦の技術的な話は専門外でしたので、私の判断で、横鎮大工廠の夕張工廠長代理に協力を求めました」
大鳳は、独断で進めたこの話を、申し訳なさそうに告げる。
「なるほど。高野大将のところなら信頼できる。だから、そんなに済まなそうな顔をするな。調査について、一任したのは俺だ」
やや笑みを浮かべる守に、大鳳も少し笑みが戻る。
「しかし、第13泊地の司令官か。不祥事で更迭されたとは聞いたが、後任の人間か?俺は、そういう祝宴は好かんから、作戦中と欠席したが……」
「はい。高梨湊准将というそうです」
その言葉を聞くと、立ち上がりながら、守は聞き返した。
「高梨湊だと!?
「て、提督?」
その勢いに後退る大鳳に、苦笑いを浮かべると座り直す。
「すまない、驚かせたな。湊さん、いや、准将は俺にとっての恩人だ。当時、若かった俺は、火力で押し潰す戦法を好んでいた」
「今では考えられませんね?」
大鳳は苦笑いを浮かべながら、執務机横の秘書艦デスクに座ると、続きを促す。
「知っての通り、艦娘本部に入ると、出世は他の部署よりも早い。
それで准将になると、士官学校最上級生の対戦相手をすることになる。その相手が、当時の高梨候補生だったのだ」
「はい……」
「結果は俺の負けだったよ。判定は、
あの悔しさは一生忘れんだろうな。自分で言うのもなんだが、士官学校をいい成績で出て、同期の誰より出世した俺が、
ふっと、笑みを零して語る守に、大鳳はその姿を眺めながら、
「その、不敗の女神様のことがお好きなのですか?」
そう意地悪な質問をぶつけると、守は少し照れくさそうにしている。
「まあな……一目惚れに近かったがな。若かったせいか、毎週のように士官学校に出向き、彼女に弟子入りを願ったりもしたものだ。その時に言われた言葉を胸に、今も精進している」
大鳳は少し驚いたように、目を丸くしながら、
「なんと言われたのですか?」
と訊いてみると、目の前の上司は懐かしそうに答えた。
「『進むべき時期と退くべき時期を見極められれば、敗けません』とな」
「それが、鉄壁の大垣城の原点だったのですね?」
「ああ、できることなら、また会いたいものだ」
大鳳は、守の為にお茶の用意を始める。玉露を淹れて、塩羊羹をお茶請けに用意する。
「そんな司令長官に耳寄りな情報です。来月の幕僚会議の会場は横須賀、とのことです。一日くらいは予定を空けておけますので、
第13泊地への視察、なんて如何でしょうか?」
「
差し出されたお茶を、渋い顔をして一口飲むも、
「いいえ。不敗の女神様に、我が直率艦隊も学ぶべき所も多いでしょうし、私からもお願いします」
にこにことしながら進言する総秘書艦に、溜め息を吐くと、
「わかった、素直にありがとうと言っておく。では、スケジュール調整は任せるぞ」
「了解いたしました」