深夜……
第13泊地 司令部庁舎 司令室。
皆が寝静まった夜。
湊は、大量の資料を持ち込んでいた。
資料は、深海棲艦についての報告書を纏めた、過去の「深海棲艦白書」である。
電も、日付が変わる頃まで手伝っていたが、うつらうつらし始めた頃に、
隣室の、自身の私室のベッドへ抱き抱えて寝かせたので、今は夢の中である。
「どうしたのさ?湊」
護衛を兼ねている、副官の奈緒は、応接セットのソファーに座って、コーヒーを飲んでいた。
さっきから、手伝う素振りも見せずに、ずっとコーヒーを飲んでいた。
「いえ、深海棲艦の情報をもう一度整理しておきたくて……」
湊は、すっかり冷めた紅茶を一口飲んでから、再び資料に視線を落とす。
「確かに、目の前で艦娘が深海棲艦化したのには、驚いたけどね」
奈緒はコーヒーを飲み干すと、コーヒー
日頃から、『護衛は相手が撃つ前に無力化させる』ということを言い続け、実践してきた彼女に、
反応する前に敵が跳びかかり、護衛対象に銃を撃たせてしまった、のは、
だが、
「ですが……」
そんな奈緒の心情を察したのか、湊は、去年版の深海棲艦白書を閉じると顔を上げた。
「これではっきりしましたね。
そういう噂はあった。艦娘の無念や悔しさの念が、深海棲艦化するという。
だが、前線の
「そうね………」
「しかし、どうして
それに同意する奈緒だったが、まだ謎は何も解明されていない湊の表情は、暗いままだった。
「ま、無理して根詰めてもしょうがないよ」
その、重苦しい空気を打破しようとした奈緒は立ち上がると、司令官執務室に
豆がミルされる音が響き、コーヒーがドリップされる。
ドリップし終わったサイフォンを見せて、飲む?と聞くが、答えはNOであることは判っていた。
湊は、筋金入りのコーヒー嫌いで、泥水呼ばわりしている。
湊は湊で、ティーポットの茶葉を入れ替え、机に設置してある電気ケトルのお湯を沸かしてから注いで、
自分で紅茶を淹れていた。
そんな湊の態度に肩を竦めると、会議テーブルに置いてある椅子を引っ張り出して、執務デスクの対面に置き、コーヒーをデスクに置いてから椅子に座る。
湊は、デスクの引き出しに隠してあったクッキーを取り出すと、電には内緒ですよ、と奈緒に勧める。
「ところでさぁ、湊。前々から訊いておきたかったんだけど?」
「なんですか?」
クッキーを食べながら首を傾げる湊に、意を決してずっと残っていた疑問を伝える奈緒。
「何で、高校の時留年したの?」
湊と奈緒は
それもあって、
上官部下が
湊は、少し思案の後に口を開いた。
「事故だったんですよ。ただ、どういう事故かは
当然、出席日数不足で留年。二回目の一年生は、なんとか頑張りましたけど……」
「そっか、ごめん」
あまり思い出したく無いことを思い出させてしまった奈緒は、申し訳無さそうな顔をする。
そんな顔の奈緒を見て、笑みを浮かべて首を振る湊は、何かを思いついたように立ち上がった。
「そうだ、探検しましょう」
「はぁ?」
何を言ってるんだ、という奈緒の反応を他所に、湊は話を続ける。
「周辺の深海棲艦を片付けたので、明日司令部は、皆休暇ということになってます」
第1艦隊及び司令部は、日付が変わった今日は、一日何もなければ休暇、という指示を、湊自身が出していた。
湊は普段は真面目でおとなしく、常識的なのだが、時折こういう子供っぽい一面を覗かせる。
「せやな。ちなみにもう今日ね」
奈緒は、呆れたままの表情で湊を見やる。
「この間、庁舎の奥に開かずの扉を見つけたんですよ。そこ行きましょう」
「明日でもいいじゃん?寝ようよ、湊」
「ほら、肝試しってやつですよ?」
奈緒だって、この時間まで起きていて、眠くない訳がない。
だが、一度好奇心に火が点いた湊は引き下がる訳もなく、楽しそうに窓辺へと歩いて行き、
外を眺めると、流し目で奈緒の方を向いた。
「ちょうど道連れもいます」
「道連れ?あぁ……
奈緒も窓辺に向かうと、視線の先には軍港の岸壁で仲良く月を見ている、大井と北上がいる。
こうなっては仕方がないなと、大きな溜め息を吐いて、壁に掛けていたS&WM500ハンター改が収められているガンベルトを手に取ると、腰に身につけた。
第13泊地 軍港。
「今夜も月が綺麗ですね、北上さん」
「そうだね、大井っち」
仲睦まじく月を見ている二人から、少し離れたところの建物の影に隠れている、湊と奈緒。
湊の発案で、驚かせよう、ということになり、こうして様子を窺っている。
「本当にやるの?」
「はい。ちょっと行ってきます」
そう言い残して、そろりそろりと二人に近づいていく。
どういう訳か、湊は気配を殺すのが上手で、本気で気配を殺すと、誰にも気づかれない。
士官学校時代、気配を殺して寮のクローゼットで昼寝をしてたら、同室の奈緒に
その時は、なぜか奈緒
湊は足音一つ立てずにそろりそろりと背後に近づいた。これで身体能力もあれば、暗殺者も出来そうだが、湊の運動神経では到底無理だろう。
静かに息を吸い込むと、自分の出せる最も大きな声で叫んだ。
「どっかーん!」
「きゃああっ!?」
北上は、何が起こったのか理解できずに、声のした方を振り向くと、
「え、な、なに…?提督」
大井は反応がない。それに気づいた北上は、大井の表情を見る。
湊は、大井は驚いてないのか、と不思議そうな表情を浮かべる。
「あれ?大井はびっくりしてなかったですか……?」
「ううん、提督。大井っち、気絶してる」
北上が、溜め息を吐いて、首を振った。
「ええっ、気絶しちゃったんですか?」
「ああ、やっぱり気絶するよねえ……」
「大村隊長まで……何か用?」
奈緒も物陰から出て来る。司令官と防御指揮官が二人揃って何があったのか、と思いながら、疑問を口にすると、
「ちょっと、肝試しに行きませんか?」
「はぁ?」
全く理解からかけ離れた言葉が返ってきた北上は、呆れたまま何も言えなくなっていた。
第13泊地 庁舎。
「……と、いう訳なんですよ」
「子供ですか、あんたは?」
気絶から復帰した大井は、移動の途中で説明を受けると、呆れ返ってジト目で上官を見やる。
「思い立ったら吉日、と言うじゃないですか?」
湊が、子供のような無垢な笑みでニコニコとしながら、懐中電灯を照らして歩く。
庁舎一階に詰めている、防御隊員に電灯を落としてもらい、廊下は真っ暗になっている。
最低限の防御隊以外のスタッフは、隣接している寮で休んでいる為、
一階の防御隊詰め所と、司令室隣室で寝ている電と、この探検隊以外は、人がいない。
庁舎は、全てが使用されているのではなく、奥の方には使用されていない部分もあった。
そんな、普段は使用していない区画へと立ち入った。
先日、湊が発見した開かずの扉は、
この一年間、湊も艦娘達も多忙な日々を送っていたのと、
開かずの扉自体、見つけにくい場所にあった為、誰も気づかなかったのだ。
「さて、何が出ますか……?」
司令室に残されていた、鍵束の鍵を順番に差し込んでみるも、全て違う。
「うーん……この鍵でもないみたいですね……?」
最後の鍵を差し込んだ湊は、困ったように後ろの三人に振り向く。
「雷撃で扉をふっとばす?」
「おい馬鹿やめろ、せめてM500にしろ」
「電が起きるんじゃないかな?」
過激な大井の発言に、ぺしっと頭を叩いて突っ込む奈緒。
そして、それに突っ込む北上。
当の湊は、そのじゃれ合いには参加せず、何かを思いついたのか、落ちていた針金と、前髪を留めていたヘアピンを外すと折り曲げて、それを差し込んでカチャカチャと弄り始める。
それに気づいた北上が、声をかけようとすると、カチャリと音を立てて鍵が開いた。
「開きましたよ」
「いや、そうじゃなくて」
満面の笑みを浮かべる湊に、溜め息を吐く三人。
これ以上、ツッコミをしても無駄だと思った北上が扉を開くと、湊が懐中電灯を照らす。
照らし出された先には、地下へと続く階段があり、そしてそこから流れてくる、
「……これはヤバイかもしれませんね?」
それまでの、子供みたいな無邪気な笑顔から一転、真顔になると、腰につけている護身用の銃の位置を確認する。
それに倣い、奈緒もいつでも射撃ができるよう、準備をする。
入り口にある、電灯のスイッチを入れようとするも、蛍光灯が切れてるせいか、電気が点かない。
懐中電灯をしっかり照らすと、奈緒が一番最初に降りていく。
その後を湊、そして大井と北上が続く。
階段を降り切ると、突き当りに扉があった。
扉の上には、『特別工廠』と書かれた札が見えた。
「ここは………?」
呟く湊に対し、大井と北上は、そこが
「おそらくは、前の司令官の……」
言いかけた大井を無言で制すと、
「二人はそこで待っててください。此処から先は私達で行きます」
湊は、そう二人に声をかけると、懐中電灯を照らして奈緒を促す。
奈緒は頷くと、改めて湊の手前に立ち、先へと進み、特別工廠という扉を開けた。
第13泊地 地下 特別工廠室。
特別工廠室にはいった二人は、その
そこから導き出されるのは、
「これは……完全解体をやってたんですね……」
「完全解体!? 軍法で禁止されてる筈よ!?」
湊が苦々しい顔をすると、奈緒は驚きの声を上げる。
通常、艦娘を解体する時は艤装
ただ、不死とは行かないまでも、寿命の長い艦娘達を社会に戻すには、
簡単には行かない為、基本的には泊地や鎮守府の職員として再雇用したり、
軍から年金を与えたりして、社会に馴染ませたりしている。
だが、こういった小さい泊地では予算も限りがある。
その為に用いられていたのは、『捨て艦戦法』と言う
『
完全解体には、もう一つ
解体した
素材の練度に応じ、練度が最初からある程度まで
だが、倫理上問題があるこの方法は、すぐに防衛大臣名により、禁止令が出されていた。
「しかし、それだけでしょうか………?」
「どういうこと?」
腕を組み考えこむ湊に、奈緒は心配そうに声をかける。
「いえ。今日び、完全解体なんて危険な橋を渡るより、もっと楽な練度育成手段はいくらでもあるでしょう。例えば、
「確かに。疲労をいくらでも無視できるし、予備の潜水艦がいれば、いくらでも使い捨てられる、と」
「そこまで行かないにせよ、ブラック鎮守府と呼称される鎮守府や泊地のように、昼夜通して艦娘を酷使する
人海戦術でローテーションするのも含めて、完全解体に今日び、利点など無い筈、なんですよ」
そう言ってから、湊は大きく溜め息を吐く。今ここで考えても仕方がないし、予想以上に泊地の闇は深い、と感じていた。
「……
ちらりと部屋の奥を見回す。その先にも扉があったが、これ以上の探索をする気にはなれず、首を振った。
「高野司令長官に報告を上げる?」
「いえ。今、憲兵隊の調査を受けるわけには行きません。泊地解散にでもなったら、
艦娘達が不憫すぎますから……ある程度実績を上げた上で、改めて報告しましょう。まずは、ここの扉を再封印しましょう」
差し当り、問題を棚上げすることにした。過去の事件を検証している余裕は、
奈緒も、それに同意する。
「そうだね。すぐに新しい鍵を手配するよ」
「お願いします。では、帰りましょう」
特別工廠を出ると、待っていた大井と北上にも、この件は口外しないように、と懇々と語ると、
二人共、深刻な顔で頷いた。
湊は、大井と北上を見送って、奈緒と防御隊詰め所で別れると、
一人で司令室まで戻ってきた。
「ふう……完全……解体かあ……」
士官学校を出てから数年。高野司令長官は、公明正大でそういったことに無縁な男だった為、
初めて目の当たりにした、
カーディガンを脱いでデスクに置くと、静かに隣室に入っていき、寝間着に着替えると、気配を殺して電の眠っているベッドへと潜り込んだ。
「おやすみ、電」
数分後、湊も小さな寝息を立てて眠りについた。