第13泊地 司令部 司令官執務室。
その日も、泊地司令官の高梨湊大佐は、いつも通りの書類作業を行っていた。
薄手の若草色のカーディガンに軍服ズボン。湊は、いつもこの姿で執務を行っていた。
本人に言わせると、詰め襟は肩が凝る、とのことで、初執務からずっとこの格好だった。
着任から、もう一年が経過していた……
軍港の方から、遠征艦隊の帰還を知らせるサイレンが鳴り響く。
「第2艦隊が帰還したのです」
司令官の秘書艦となった電が、代わりに外を確認して湊に報告する。
この泊地では、秘書艦は
「ありがとう。それじゃ、そろそろ報告にやってきますね?」
電に笑顔を向けると、書類作業の手を止めて、第2艦隊旗艦の天龍がやってくるのを待っている。
暫しの後、ノック音が聞こえると、返事をする前に天龍がドアを開けて入ってくる。
「提督、第2艦隊無事帰還したぜ」
「お疲れ様です。どうでした?」
「今日も大成功。開発資材は、皆で運んでるぜ」
誇らしげな顔をして報告する。
「ありがとうございます。また、明日もお願いしますね?」
「お、おう…」
笑顔で御礼の言葉を述べる司令官に、執務室に向かう途中、今日も訓練を続けている第一艦隊の姿を見ていた天龍は、何か言いたそうな表情を浮かべていた。
それに気づいた湊は、少し首を傾げて、
「どうしました?」
と声をかける。
「差し出がましいかも知れないが、そろそろ第1艦隊を動かしたらどうだ?と思ってな……訓練は十分に積んでるんだろう?」
そう、珍しく遠慮がちに湊に訊くが、湊は一向に返事をしない。
「提督、訊いちゃ拙かったか?」
何も答えない湊に、天龍は気分を害してしまった、と心配するが、その代わりに、
「それは私から答えるのです。司令官は、自分も内火艇で出撃する、と言っているのですよ」
と、電が答えた。
「はぁ?」
天龍の顔は、唖然とした表情だったのだろう。そんな天龍を見て、湊が口を開く。
「前任者は酷い人間でしたけど、それでも
翻って、私は
そんな、小娘の私がこの泊地の司令官だと認められる為には、前線に共に出るのは当然です」
偽りのない湊の本心を聞くと、改めて天龍は殺さなくてよかった、と思う。
「だったら、一緒に出撃すればいいだろう?」
天龍が湊に言うも、湊は何も言わずに首を振る。
「
代わりに、電が説明する。
電は、何度も説得の為に、第1艦隊の詰め所に足を運んでいるが、第1艦隊を率いる長門が、それを認めようとしないのだった。
あれだけ頑張っている司令官の何が不満なのか?と、憤りを感じる天龍は、湊に、
「どうしてだ?提督は十分に頑張っているだろう。これ以上、何を信用出来ないと言うんだ?」
「いいや、その逆だな」
と、問いかけるも、違う人間の声に遮られる。
天龍が振り返ると、開けたままの入り口に、長門その人が立っていた…
「「長門」さん」
天龍と電がその人物の名を呼ぶも、軽く手を上げ二人を制してから、湊の前へと歩いて行く。
その佇まいは、普段通りの堂々として凛とした姿だった。
「まず、提督は勘違いしているが、この泊地の艦娘に提督に不信を抱いている者等いない。泊地職員として戻ってきた、元艦娘達も同様だ。
特に、
「では何故……?」
湊は立ち上がるが、長門はそれを手で制してから、ふっと伏目になる。
「ハッキリと言わせてもらうが、船から落ちる人間を連れて行くのは、勘弁願いたい」
長門は、泊地制圧時に海に落ちた湊のことを知っていた為、連れて行きたくなかっただけだった。
だが、分かっていながらそれをストレートに言われた湊のダメージは、小さくなかった。
少し涙目になりながら崩れ落ち、椅子に座り直していた。
「
「………」
自覚はあるものの、ハッキリ言われると、やはりきついものだ。
戦艦の集中砲火を浴びた駆逐艦のように、ボロボロになった湊は、じんわり涙を浮かべていた。
「更には…」
「待つのです!」
本人に自覚はないが、更に追撃を加えようとする長門に対して、電が強い口調で割り込んだ。
「どうした?」
自覚がない為、電に顔を向けようとして、はっと気づいた。
湊が、涙目でしょんぼりしていた。
長門はしまった、と思いながら慌てて、
「す、すまない、司令官。決して小柄で童顔だから妹みたいだとか、思ってはいないぞ!」
等と口走ってしまう。口走ったからには、もう遅い。
天龍と電の呆れた表情に気づいたが、わざと咳払いして、無理やり話を続ける。
「確かに、前任者のために酷い目に遭い、
だが、司令官は率先して雑用から力仕事までやって、何度倒れたと思っている?」
湊は、指で何かを数えてから、笑顔を浮かべた。
「知りたいですか? 昨日までにさんじゅう……あれ?」
途中で、可哀想なものを見るような目で自分を見る天龍と電を見て、言葉が止まり、
「あ、あの、電ちゃんに天龍。何でそんな可哀想な目で見るんです?」
困ったような表情を浮かべて声をかけると、電は首を振り、天龍は肩を竦める。
「電は司令官のこと、
でも……と続ける電の後から天龍が、
「いや。最初からポンコツだったぜ?」
と、バッサリ両断していく。
「ひどい!」
と、湊がかなり不満な表情で二人を見る。天龍は再び肩を竦める。
そんな三人に、長門は苦笑を浮かべていた。
「続けてもいいか?」
頷く三人に、長門は真面目な顔に戻る。
「コホン。話を戻すと、だ。皆前任者とは違う、と分かっている。だから
司令官は、遠慮なく泊地で戦果を期待して待っていれば……」
「お断りします」
静かだが、はっきりと意思の強い口調で拒否する湊。
予想してはいたが、明確な拒否の反応を示す湊に、苦笑を浮かべる長門。
「何度も言うように、私は前線に出ます。それを認めてもらえないなら、出撃はさせません」
湊がまっすぐ長門の表情を見ると、長門は既にわかっていたようで、
「強情な提督だ……」
と言いつつ、入り口の方向に視線を向ける。
「昔から、湊はそうだったものねー」
という声と共に、奈緒がひょっこりと顔を覗かせてくる。
「奈緒!?何でこんなところに!?」
「久しぶりね、湊」
ニコニコと笑みを浮かべて、湊の前まで来ると、ビシっと敬礼する。
「申告します。この度、高梨
湊は、呆気に取られた表情で周りを見回す。艦娘達はニコニコしている。
その反応を見て、湊はやられた、と気づいて苦笑いを浮かべる。
「これは、企まれましたね……どうするんですか?横鎮の防御隊指揮官を引き抜いて……」
わざとらしく、大きな溜め息を吐いて抗議する。それだけ思ってくれることは嬉しいながらも、
そこまで
「問題ない。鎮守府防御隊ごとこちらの泊地に移籍するよう、高野
「なのです♪」
という
「………オウフ」
という言葉と共に、湊の身体は床へと崩れ落ちた。
最後に電の、
「ああっ、司令官が倒れたのです!」
という言葉だけが聞こえた気がした……
数十分後、ソファーに横たわっていた湊が目を覚ます。
「提督、目を覚ましたか?」
「お陰さまで……とにかく、練度の高い陸戦隊と優秀な護衛は用意した、ということですね?」
高野司令長官の認可を得てこっちに来ている以上、受け入れる他はない。
そう思いながら、周囲の面々に訊くと、奈緒が 、
「湊の護衛はあたしがやるから。で、内火艇に危害が及ばないように、
ナガモンという言葉に、長門がばっと振り向くと不満顔で、
「ながもんとか言うな!」
と抗議するも、言った本人は涼しい顔をして受け流す。
「で、あんたは戦術指揮に専念すればいい、って寸法よ」
上官と部下が入れ替わっても、この二人は今までどおりに接して、やり取りをしている。
「うん、ありがとう……皆」
皆の心遣いに、素直に感謝すると、体を起こして皆に笑顔を向ける。
「できればオレも前線にだな」
しれっと天龍も身を乗り出すが、湊は横に首を振って、
「だが断ります」
と言われると、天龍はいじけて部屋の隅っこでのの字を書いている。
そんな天龍を放っておいて、湊は立ち上がり、真面目な顔をする。
「では、第1艦隊出撃します。攻撃目標は、泊地周辺海域に出没している深海棲艦」
湊の言葉に、長門は頷くと敬礼する。
「了解した」
長門に頷くと、電と奈緒に向き直り、
「電は内火艇に同乗、奈緒も護衛でお願いします」
「了解なのです」
「了解」
湊の言葉に、それぞれ返事をして敬礼する、電と奈緒。
「私が不在時の泊地防御は、泊地陸戦隊に任せます。では、出撃準備にかかってください」
湊の言葉を合図に、それぞれが敬礼をして、部屋を出て行く。
その姿を見送ると、湊も隣の司令官私室に入っていった。
数時間後、軍港に現れた湊の姿を見て、電は少し驚いていた。
てっきり、真っ白の海軍の軍服を着て現れる、と思ったら、青と白のデジタル迷彩服だったからだ。
湊が内火艇に乗船すると、すぐに第一艦隊が進発し、内火艇も港を離れていった。
「司令官、その格好は? 海軍の
作戦海域に到着して、第1艦隊に所属している、正規空母加賀と赤城が索敵を始めていた。
敵が見つかるまでは、内火艇司令室にも、少しゆったりとした空気が流れる。
そんな中で、素直に思った疑問を口にする電に、湊は優しい笑みを浮かべる。
「海軍の軍服ですよ」
湊の返答に、良く理解できなかった電は、きょとんとした顔を浮かべている。
確かに軍服ではあるが……きょとんとしたままの電を見ると、湊は、
「迷彩服と言う、
「なんで、戦闘服を着用されるのです?」
「動きやすいからですよ?」
動きやすいからと平然と答える湊に、電は言葉を失うも、
「あの、真っ白な海軍の軍服を着てくるのか、と思ってたのです」
電は、この泊地で一番と言っていいほど、湊のことが大好きだった。
恩人というのもあるが、そんな敬愛する上官の、真っ白な軍服姿を見てみたい、と思っていた。
「私、軍人になりたくて軍に入った訳じゃないんです」
「はい……?なのです?」
予想外の湊の言葉に、声を漏らしてしまうが、慌てて取繕う電に、湊は微笑んで電の頭を撫でる。
「うち、両親が亡くなって、妹が三人いるんですけど、妹達を養って
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両親が死んだ事故に一緒にいて、一年以上行方不明になってたらしくて、その間に親戚から借りていた妹達の養育費も返さないといけなくて、
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語り続ける湊を、電はじっと見ていた。
「だから、軍人らしいとかあまり考えてないんですよね。本当は、
「あたしと、ながもんが却下したわね」
肩を竦めると、それまでずっと湊の横に控えていた奈緒が話に入ってきて、湊の頭を撫でる。
いつもの癖だが、子供扱いされていると感じた湊は、それを振り払う。
「ちょっと。子供扱いしないでください」
「ごめんごめん」
やれやれと、一つ溜め息を吐いてから、湊は続ける。
「それに、白い服は洗濯が大変です。クリーニング代も馬鹿にならないですし?」
通信士の方に歩いて行く奈緒を尻目に、続きを語る。
クリーニングに困るほど、安い給料をもらってはいない筈なのに……と、電は疑問を浮かべる。
「あ、あの、クリーニングするくらいのお給料は……」
「もらってますよ。でも、私立の女子高に二人、短大に一人やってるから、余裕はないです」
「それは……すごいお姉ちゃんなのです」
「でしょう?妹達は、私の可愛い
話が一段落するのを見て、通信士からもたらされた情報を伝える為に、奈緒が湊に声をかける。
「姉馬鹿っぷりを見せてる所恐縮ですが、先行している加賀艦載機より入電。
駆逐ロ級四隻、とのことです」
その言葉に、湊と電も真面目な顔になる。
「了解です。周囲の索敵を続けながら前進、エンゲージせよ、と伝えて下さい」
「了解。司令官」
作戦自体は順調に推移していた。
索敵は正規空母の加賀改・赤城改のツートップ。火力の長門改・陸奥改、そして雷撃の大井改二・北上改二で、
尚且つ全員が、前司令官の地獄の
苦戦するはずもなく、完全勝利と言っていいほどの戦果をあげていた……
内火艇の周囲に、艦娘達が戻ってきて来た時に、湊は
何かは分からないが、声の先を探そうとして、辺りを見回す。
そしてもう一度聞こえた、声のような声でない
湊は、内火艇の司令席を飛び出して、窓から身を乗り出すと、何もない方向を指差して、
外にいた加賀と赤城に、
「あれ!加賀、赤城!二時の方向!索敵機を全部出して!」
そう、指示を出す。
「え?」
「赤城さん。提督が言うのならば、直ちに」
理解が追いついていない赤城を、加賀が窘めると湊に向かって頷き、弓を構える。
すぐに赤城も弓を構え、加賀隊、赤城隊の順に艦載機が発進していった。
奈緒は、急に身を乗り出した湊の身体を、後ろから抱き寄せる。
「どうしたのよ?司令官」
「あ、いえ…何かの声が聞こえた気がして……」
「声…なのです?」
二人共そんな声は聞こえていない為、顔を見合わせて首を傾げる。
「気のせいだったらいいのですが……」
と呟くも、窓の外から赤城が声をかける。
「提督!瀕死の艦娘が漂流しています!」
「わかりました、収容しましょう。長門、陸奥、曳航の用意を! 奈緒、内火艇を向かわせてください」
湊の指示で、すぐに漂流現場に向かう第1艦隊。
浮かんでいた艦娘は、すぐに長門が抱き上げ、内火艇の甲板に横たえる。
艤装は完全に破壊されていて、抱き上げた拍子に全て海の中に落ちていった……
艦娘の体格と、足に残っていた魚雷の残骸から、駆逐艦だ、ということはわかった……
「酷いな……」
長門が、顔を歪めて呟く。もはや轟沈してもおかしくない、そんな惨状だったからだ。
しかし、湊は違和感を拭い去り切れなかった。
「これ普通、轟沈レベルの破損ですよね?何故浮いて……」
そう呟いた時に、目の前で横たわっていた艦娘の身体が、急速に深海棲艦のような白い色へと変貌し、カッと目を見開いて、突然起き上がった。
目は既に、真っ赤な深海棲艦の瞳と化していて、狂気に歪んだ笑みを浮かべていた。
そして、間髪入れずに湊へと跳びかかった。護衛である奈緒は、反応が遅れたわけではないが、あり得ない速度で一気に湊との距離を詰め……
ダァーン…という銃声が鳴り響いていた。
深海棲艦化した艦娘は、頭部を失った状態で数歩よろめきながら後退り、海へと落下していった。
「大丈夫!?湊!」
はっと我に返ると、湊の様子を確認する奈緒。
湊はペタンと尻もちをついた状態で、護身用に……でもどうせ当たらないからと、冗談半分で持たせた、
明石と夕張に持ちやすいように改良してもらった、S&WM500ハンター改を構えていた。
海に落ちた深海棲艦、飛び散った血、そして湊の銃口から出ている煙。それを確認した奈緒は、
「な?当たった!?」
驚愕のあまり、声に出してしまっていた。
扱い易い九ミリ自動拳銃ですら、
電は、湊の銃の下手さを実際に知っている訳ではないから、
「そ、それよりも、
深海棲艦が猛威を振るっていた大きな原因は、
その為に、海軍の軍艦では、対処のしようがなかったのだ。
「あれ?当たっちゃいました……」
撃った当の本人は、もう終わったと思っていたのか、
すぐに、沈んだ深海棲艦化した艦娘の捜索が行われたが、
海流が激しいのと、至近距離からの大口径弾のヘッドショットを受けて、頭部がほとんど残っていない状況を鑑みて、
一時間と経たずに、打ち切りが宣告された。
その間、加賀は艦載機を哨戒に当たらせたが、敵影は発見できなかった。
「周囲に艦影なし。進撃しますか?」
「いいえ。撤収しましょう」
湊の撤収指示に、長門は頷くと、内火艇を中心とした輪形陣のまま、第1艦隊は泊地へと帰還していくのであった。
幾つかの謎を残して……