モンスターハンターStormydragon soaring【完結】 作:皇我リキ
森を、歩いていた。
妙に静かな森は、少しずつ沈んでいく太陽の光が届かなくなっていき暗くなって行く。
歩みは遅い。背負った人物の重み以上に、自分の責任に押し潰されそうになって足が持ち上がらなかった。
「モンスターは追って…………来てないな」
少しだけ背後を確認して、そう呟く。
まだ、彼女と戦っているのだろうか。
それとも、彼女を……ゲリョスのように———
「―――うぇ……っ。ぅ゛っ」
考えて、吐きそうになる。
気持ちが悪い。
気持ちが悪い。
「……シン…………カ……イ」
耳元で聞こえる少年の声。
消え入りそうなその声を、自分は聞き逃さなかった。
「……タクヤ、眼が覚めたか」
さっきまでピクリとも動かなかったタクヤ。
やっとの事で声を出したのは身体が楽になってきたからか? それとも———
「どぅ…………なって、る?」
「……た、……ゃ、ん…………」
そんな彼の表情を伺うアカリの表情は、良くは無かった。
救いの無い、表情をしていた。
「今から帰る所やで」
出来るだけ、何時ものように返した。
そうした方が、良いと思ったから。
「そ…………か……。サナ……は?」
「……先に村に行って、迎えを呼んできて貰ってる」
嘘も付いた。
そうした方が、良いと思ったから。
「あの…………モンスターは?」
「倒した」
「…………」
少しだけ、沈黙が流れた。
そんな沈黙が耐えられなくて、自分は言葉を繋ぐ。
「さっきは……助かった。ありがとう……な」
「……へっ、世話の……焼ける奴だぜ」
そう……だな。
今、背負われているタクヤと背負っている自分は逆だったかもしない。
いや……本当は逆だったんだ。
それで、その方が、良かったんだ。
「なんで……助けたんだよ」
「……そ、りゃ……助ける、だろ?」
お前が逆の立場でもそうするだろ? そう言いたいのかタクヤは理由は告げなかった。
「もう……村に、着くか? 良かった……な。アカリも、シンカイも…………無事、か?」
良かった? 無事?
「お前……自分が何言ってるか、分かってるか? 自分がどうなってるか……分かってんのかよ!!」
感情を抑えられなくて、声を上げた。
心配そうに覗き込むアカリの表情がハッとしたのは、自分の身体から力の抜けたタクヤが滑り落ちたからだろう。
重い効果音でなくて、濡れた雑巾が地面に落ちた様な音を立ててタクヤは地面に転がる。
「……った、たっ……、タクヤ!! わ、悪い!!」
「…………分かってるよ」
仰向けて倒れて、少しずつ見えるようになって来たタクヤはそうやって口を開いた。
防具を脱がして、上着も脱がしたタクヤの身体。
肩から腹部まで真っ赤に染まった彼の横腹からは何か赤い物が飛び出して。胸元は赤と白が見え隠れする。
心臓が動く度に身体中から溢れるドス黒く変色した血液は地面をまた黒く染めて行った。
「………………何が、分かってるんだよ」
「…………俺……、死ぬ……んだよ、な」
それはきっと、誰が見ても明らかだった。
今こうして話している事の方が、奇跡に近い。
今のタクヤは、そんな姿をしていた。
「……っ」
泣きながら崩れ落ちるアカリは、タクヤに何をすれば良いのか分からなくて手で口を押さえる事しか出来ないで居た。
「なんで……だよ」
そんな彼に自分がぶつけたのは、感謝の気持ちでは無くて。
「なんで助けたんだよ!!」
怒り。だった。
「死ぬんだぞ!! 真横に好きな奴が居て!! 失敗したからってなんだ!! 生きろよ!!! 生きてたら……なんとでもなるだろ……? 死んだら…………何も、どうしようも、無いんだぞ!!」
「関係ねーよ……」
「何が関係無いんだよ!!!」
声を上げて、その弱々しい少年の肩を掴む。
そうしたら彼の穴という穴から黒い液体が溢れた。毒に汚染され尽くした、血液が。
「……っぁ、ぁ、ご、ごめん…………ごめん……」
「…………人を助ける事に、俺の失恋は関係無いだろ。こんな時に……人の心の傷まで抉るなよ」
焦点の合わない眼はどこを見ているのか。
「ごめん……」
「何謝ってんだよ……」
「何も守れなかった」
何も出来なかった。
何のために、ハンターをやっているのか。
せっかく大切な仲間達に出会えて、これからも楽しくやっていく筈だったのに。
自分の力が足りなくて、知恵が足りなくて、考えが足りなくて……失う。
「アカリとサナは…………無事なんだろ?」
「…………」
サナは……。声がでそうになったそれを、なんとか押し戻した。
「…………そうだな」
今、自分に何が出来るのか。何をしなければならないのか。
それは、嘘を付く事だった。
タクヤに、後悔させない事だった。
「おかげさまで……皆無事だよ」
「…………そっか」
「あぁ……」
もう、掛ける言葉も見当たらない。
「なぁ……シンカイ」
「……どうした?」
「何にも見えないだよ」
言葉が出なかった。
「俺の眼、空いて……る?」
「閉じてる」
嘘だ。
「眼も開けられねぇ……か」
開いてるよ。
濁った眼球は、まるで星の数を数えているかのように忙しく動いている。
瞬きもしないその瞳から、涙がこぼれ落ちたのは丁度その時だった。
「死ぬんだ……な」
どんな気持ちなんだろう。
なんで、お前がなんだろう。
「……たく、ゃ、く、ん」
大きく、ハッキリとそう言うのは―――アカリだった。
「アカリ……なのか?」
眼が見えて居ないタクヤは、その声を聞いて疑問を投げ掛ける。
それもその筈だ、アカリの声なんてタクヤはそんなに聞いた事が無かっただろう。そして、こんなにハッキリと喋る彼女の声も聞いた事なんて無かっただろう。
「ご、ぇ、ん、ね……」
「アカ……リ?」
「たく、ゃ、く、ん、ぉ、こ、と、ま、も、ぇ、ぁ、て……」
違う……。
「わ、、し、ぁ、っと、ぃ、っぁぃ、し、ぇ、れ、ぁ……」
違う……。アカリは悪く無い。
「アカリ……」
「た、ぁ、く、ん?」
「シンカイ……」
「タクヤ……?」
彼はその後、少しだけ間を置いた。
どれだけの時間だったか分からない。
凄く長くも感じたし、短くも感じた。
そして、口を開く。
「なんか勘違いしてるだろ、お前らさ……。だって俺、勝手に森に入ってさ……助けに来てくれたのは…………お前達なん、だよ。来てくれなかったら、さ。俺……本当、は、誰……にも、会えずに? 殺られてた……ん、だよ。悪いの……俺なんだよ。だからさ、そんなに、さ、気に、さ……したら、そ……ん、だ、ろ?」
それは……違う。
違うだろ、そんなの。
「死ぬ……んだな」
「待てよ……」
違う。そんなのは、違う。
「ふざけるなよお前!! 勝手に受け入れてるんじゃねーよ!! もっと生きたいって泣けよ!! 生きようとしろよ!! 皆、必死に、必死に……必死に助けようとしたんだ。一生懸命考えたんだ。それなのにダメだった。もっと責めろよ、もっと足掻けよ!! 自分だけ居なくなって残った奴の事考えろよ畜生!!!!」
いつか、姉が狩りに行ったきり帰って来なかった話を誰かにしたか。
そんな姉とタクヤが重なって、あの時のような喪失感と怒りに言葉が漏れる。
自分でも、最低だなって、思った。
「………………死にたく、ないよ」
そんな言葉をタクヤが漏らして。
「…………怖い……よ」
年相応の弱々しい声が、色々な物を貫く。
「皆の……所に…………帰りたい」
「タク…………ヤ……」
自分より四つも下の年下が、叩き付けられた運命を受け入れられる訳がなかった。
それでも、痩せ我慢で自分達を安心させようとしてくれていた。
また、間違えた。
タクヤの行為を無駄にした。
「助……け、て……」
手を挙げる。
見えてない彼の瞳から流れる大粒の雫。
その手を、握る事は自分には出来なかった。
「嫌…………だ」
死にたくなんか無い。
当たり前だ。
当たり前なんだ。
姉も、同じ気分だった筈だ。
サナも———
———考えると、何も動かなくなった。
目も口も身体も心も。もう、何もかもが嫌になる。
「たく、や、くん……」
その手を握ったのは、アカリだけだった。
「ぁ、……ぃ……?」
彼の声が掠れて、その命の灯火が今にも消えるその時だって。
「ぉ、……ぇ…………ぁ、……ぃ、ぉ、……」
彼に何も出来ずに、立ち尽くした。
「たく、ぁ、く……」
「………………ぁ———」
その手から力が失われて、支えるアカリの手を抜けて、地面に落ちる。
水に濡らした雑巾が地面に落ちる音。
気が付けば、彼の倒れた地面は真っ黒に染められていた。
「…………っ、ぁぁ……ぁ……」
さっきまでタクヤの死に本気で向き合っていた少女は、その気持ちを爆発させて大粒の涙を彼の頬に落とす。
「あぁ、ぁぁ…………ぁぁあ……」
本当に大切な仲間が、家族が、目の前で息を引き取った。
当たり前の感情が、彼女を襲ったのだろう。
それなのに。
「なんでだ……」
それなのに。
「なんでだ……よ」
自分の瞳からは、何も溢れて来なかった。
「なんだよ……これは」
理解が出来無い。
この前まで、愉快に笑っていた家族が。
一人、血だらけになって自分の全てをかけて三人を守ってくれて。
一人、目の前で息をしなくなった。
おかしいだろ。
なんだよこれ。
おかしいだろ、なぁ?
「おい、何寝てんだよ」
「……っぁ?! し、……く、ぅ?!」
泣いているアカリを振り解く感じで、倒れているタクヤの身体を持ち上げる。
「立てよ。帰るんだよ……皆の所に、家族のところに、家に…………帰るんだよ」
屍は口を開かない。
「サナが待ってる……。皆、待ってる。お前の事心配して、皆探したんだ……」
「…………」
背負って、歩き出す。
妙に軽くなったのは、何でだろう。
早く、帰ろうぜ。
そして、また皆でワイワイやろう?
バカみたいに騒ぎながら飯を食べて、カナタの料理が混ざったりして、ヒールがまた倒れて、自分とお前で良く看病したよな?
また、そんな日常に戻ろう。
「こんなの……」
「し、か、……ぃ、……ん……」
「こんなのおかしいだろ!!!」
怒鳴り散らしたって、何かが変わる訳じゃ無い。
背負った身体はもう動く事は無い。
好きな人にたじろいだり、どこから出てくるか分からない自信で人に勝負を挑んだり。
からかわれて怒ったり、元気に皆と遊んだり。
もう一緒に寝る事も、寝る前のオセロも、恋話をする事も、狩りに出る事も、得意のブーメランを見るのも———
「あぁぁ……、やっと、かよ…………はははっ」
———無いんだ。
もう、動かないんだ。
あれから混乱していた頭がやっと正常な考えを取り戻して。
やっと、やっと、やっとやっと、何を失ったか分かった。
そしたら、やっと涙が出て来たんだ。
止まっていられる時間なんて無いから、そんな涙を受け止める時間もない。
森を、歩いていた。
歩いた。色々な事を思い出した。
出会った時の事、一緒に釣りをしに行った時の事、日課のオセロ、狩りに出掛けた事、武器を変えに行った、水遊びをした、そういや初めてタクヤに負けたんだっけ。
「…………な゛ぁ゛……タクヤ゛……なん゛で…………なんでよ……ぉぉっ!! ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
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「嘘……でしょ」
暗い夜。暗い村。
出迎えてくれたクーデリアさんはそんな声を上げる。
自分とアカリは、ただ立ち尽くす。
「…………良く、帰って来たな」
そしてケイスケは、そんな二人の頭を撫でた。
その後、タクヤの頭を撫でる。
「良く、二人を守ったな……。……クー姉、皆を呼び戻す為の笛を吹いてくれ」
「え、えぇ……わ、分か———ちょっと…………待って」
彼女の言いたい事は、分かる。
タクヤを探す為に別れたのは三人ずつだ。
この提案をしたのも、自分達と一緒に居たのも、彼女なのだから。
「サナは……何処に居るの?」
「サナは…………」
言葉が出なかった。
なんて言えば良いんだ……?
「嘘……でしょ? ねぇ…………シンカイ君! 何とか言って!! サナは?! サナはどうしたの!!!」
「……ぁ、……は…………」
この日、初めて、自分は、目の前で大切な物を失った。